2008-08

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雑記20080819



   
 上の写真は過去の使いまわし。右は、セルがザルツブルクで振ったモーツァルトの「後宮」のCDで3年前にORFEOからリリースされたもの。   
   
 今週は出張であるが、今回は早めに宿泊先へ戻る夜が続きそうなので長めの音楽を張り切って聴こう・・・と思う。しかし、飲み歩いてしまう可能性も30パーセントほどあるなあ。   
   
   
 モーツァルト作品中、バス歌手が歌わされるもっとも低い音はこの「後宮」中にあるのだとか。たとえば下の写真の右のほうの部分だろうか・・・これは第3幕でのオスミンの歌唱から。   
   
   
 オスミンの歌といえば、第1幕にてイチジクの果実をもぎながら歌うエキゾチックな歌なども魅力的だと思う。演出・配役にもよるだろうが、姿と歌詞内容のミスマッチ感から来る滑稽さなどもよい。歌のエキゾチック感は何に由来するのだろう。ト短調音階、そしてEフラットの音がどうやら出現しないようであり六音音階の音楽だから? ←専門家ではないから実は全然見当違いなことを書いているかも知れない(笑) それはともかくとして、この歌は好きだ。   
   
 ブロンデ(ブロンテ)が歌ういくつかの歌(第2幕のはじめのほうのオスミンとの二重唱も含む)も好きだったりする。   
   


雑記



   
 ほんとうはもっと前に載せるつもりだったものだが、写真手前はリゲティの作品。   
 鑑賞者サイドからすると "Book I" よりも "Book II" の曲のほうが面白いかな。しかし、大いに気に入るというものでもなかったが。   
   
 ピアニストのイディル・ビレットがナクソスにレコーディングしたショパン作品のCDは持っている人が案外多いのではないかと思うのだけど、筆者は持っていない。ショパン作品は強く惹かれるわけでもないのであれもこれもと買い求める気にはなれない(ここではピアノ作品に限って言っているのであってチェロ・ソナタについてはまたちょっと違う感想もある)。しかし、もちろん嫌いとか飽きやすいとかいうことでもない。筆者の場合、結局、ペルルミュテールのと、ダルレのと、あと意外かも知れないがピヒト=アクセンフェルトが演奏した練習曲集の録音があればいい、なんて思っている。それ以外は要らぬのかと問われると、そんなわけないのはもちろんなのだけど。でも、たとえばリパッティのものやノヴァエスのものは、自分は今後はもう取り出して聴くことはないのではないかと、そんな気がする。   
   
   
   (以下、略)   
   
   

盆と正月と五輪と万博がやって来た?

   
 音楽関係の学業を終えたフリッチャイの、指揮者としてのキャリアはハンガリーのセゲドの街でスタートした。セゲドには、この地ならではのレシピによるグラーシュ(グーラッシュ、グヤーシュ)の料理があるらしい。   
 セゲドは英語アルファベット表記をすると "Szeged" であるが、このグラーシュは "Szegediner Goulash" と呼ばれる。しかしまた、セゲド風グラーシュなどと呼ぶのは的確でなく、むしろ「セケリ風グラーシュ」と呼ぶべきだとの説もあるようだ・・・この「セケリ」とは詩人ヨゼフ・セケリのことを指しているとのことで、それ以上はよく分からないが、独特なところがあるレシピはもともとこの詩人のアイデア・思いつきに依っているということなのではあるまいか。   
   
 ・・・先日は、こういう話とともに歌手ライズ(リゼ)・スティーヴンスが紹介したことあるセゲド風グラーシュのレシピと、また、(かつても取り上げたことあったが)セルが「ホンマもんのグラーシュ」と称して紹介したもののレシピについて触れてみたいと思った。   
   
 ・・・が、時間も無かったし、これはまた今度にでも。   
   
 なお、ライズ・スティーヴンスについては YouTube で "rise stevens" の2語で検索してもヒットする。   
   
   
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   洋梨に  用はあるなり  このうへ無し   
   二十世紀を  愛(め)づる秋かな   
   
   
 「なんじゃ、こりゃ?」という歌ではあるが(笑)   
   
 あの某Dレーベルにて、セル関係のラインナップがまた増えたようだ。   
   
   
  ht5tp://ww5w.musi5cinthemail.com/clas5sicalconducting/sze5ll.html   
   
   
 正しいURLは上記に混在させてある5つの「5」を取り除いたものである。   
   
 個人的には小品・短かめの音楽などで面白そうなものがあると思うが、ほかに、商品番号365ほかに見える20世紀作品に興味がある。また、作曲家の生存中におけるセルによる演奏実践の記録は、20世紀音楽やアメリカ音楽に興味ある人にとっても意義が大きいのではあるまいか(・・・などと書いてはみたものの、筆者は別段その方面を分かっているわけではないし、だいぶ話は違うが昔々の少年時代あたりに「ドナウエッシンゲン音楽祭」の模様をNHK−FMが放送したときなどは「現代の作品は、一生つきあえまいなあ」と思ったりしたものだ・笑)。ただし、収録年代など勘案すると音質の程度、テープ劣化の可能性などに不安も無くはないのだが。   
   
 それにしても、(レパートリー上の重複は見られるものの)すごいラインナップだなあと、やはり思う。盆と正月が一緒にやって来たみたいな、そんな心のときめきを覚える。   
   
   
 今回の追加分をざっと見て気づうた点・・・。   
 商品番号360収録のバルトーク作品のヴァイオリニストはヨハンナ・マルツィであろう、綴りがちょっとおかしいが。   
 商品番号370にマルティヌーみたく書かれているのは正しくはマルタンであろう・・・こちらは過去にCDでリリースされたことがある。   
 商品番号384の1969年10月23日のカザドゥジュとのモーツァルトの協奏曲は第24番であろう。   
   
 さてこれからオーダーするとして、商品到着は秋の頃かも知れない。ラ・フランスでも味わいながら、ハンソンやコープランド、ストラヴィンスキー、ピストンなどの音楽を楽しむというのも良さそうだ・・・というのが上の短歌の趣旨であって、歌の中の「二十世紀」はどっこい二十世紀梨を意味したものではない。しかし、もちろん、二十世紀梨もやっぱり美味い・・・話が脱線してはいけないのでこれ以上は何やかや書かないが。   
   
 いつもと同じ注意を繰り返すが、商品にはジャケット、ライナーノート、曲目リスト、プラケースなど付かないであろう。レーベル面に手書きで商品番号が書かれたCD−Rが、紙やビニールのスリーヴに収められて届くものと予想する。代金は前払いで、先方の表示住所は私書箱である。   
 CD−R自体やその焼き具合の不良、商品の輸送途上(郵便)の破損、あるいは万一の商品不着だの、送金直後の先方の廃業の可能性などなどの諸リスクに関し、筆者は何も保証しない。   
   
 筆者は日本ではない某国からという形でオーダーす予定なのであるが、日本では某ショップが注文のとりまとめをしてくれているようであるから、商品単価はアップしてしまっても、英語でのコミュニケーションの手間を避けたり、また PayPal によらずに「ゆうちょ銀行」の為替証書を使う場合の手数料などを考慮すれば決して損ではあるまいと思う(証書申請の手間もあるし、手数料には米国向けで 2,000円を要し、これの郵便料金・書留料金も要する)。   
   
   

夏。そして秋。

   
 「まだ夏」、「夏まっさかり」と思えても、秋は身近に迫りつつあるはず。もう「立秋」になろうとしている。   
   
 誰もが教わったことのある、有名な短歌・・・   
   
   
 亜季 来ぬと   目には さやかに   見えねども   
 かあぞんの音にぞ    驚かれぬる   
   
   
 解釈:   
 亜季ちゃんがやって来たぞと誰かが言うものだから、ついついそちらを見やったが、   
 なるほど、そりゃ、ま、この目には、さやかちゃんでないことは明らかであったが、   
 いやいや、そんなことはどうでもいいのだ、   
 大事なことは、先ほどから耳傾けるクリフォード・カーゾンの奏でるピアノの音色に   
 はっとしてしまったということなのだ。ああ、そんな季節なのであるなあ。   
   
   
 ここで、カーゾンのCDの写真でも付けておきたいところであるが、出先ということもあるし、ブログの画像アーカイヴから探してピックアップするのも意外と面倒なので省略。   
   
   
   
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 「変ロ調で歌うような下らん真似して、それが俺に聞こえていないと思ったら、そりゃ残念ながら間違いだよ」   
   
 ・・・まだ戦前のこと、プラハの歌劇場で指揮者をつとめていたセルがハンス・ホッターに対して言った言葉。   
   
 ホッターは「マイスタージンガー」中で ナハティガル(ブリキ職) の役を受け持つことがあって、役柄としては暇なこともあってついつい妙な遊び・いたずらを思いついてしまったようである。リハーサル時、終盤のオケ・独唱陣・合唱全体で演奏し歌う個所でホッターはキーを下げて歌ってみたらしい。リハーサルのあと、出演者たちは舞台監督から指導・注意を受けたりするわけだが、その際ホッターの背後にセルがやって来て上のように言ったという。   
   
 ホッターとしては、そのように歌った犯人がほかでもない「自分」だと聞き分けたセルの耳に驚いたようだ。もっとも、ホッターの声質には特徴的なものもあるし、セルもわりと判別しやすかったのかも知れないが・・・。   
   
   
 詳しくは、グーグルのブック検索で "Hans Hotter" というタイトルの本を検索してその7−10ページを。   
   
   

 ワーグナーものの指揮者と言えば、故ホルスト・シュタイン氏もそのうちのひとりであったが・・・。   
   
 下の写真は(以前にも紹介したことあるが)NHK交響楽団に関係する本。わりと一気に読めてしまう。マタチッチ氏、シュタイン氏ほか、幾人もの人たちについてのエピソードに接することが出来る。   
   


薔薇


 エルンスト・アブラハム・ジョセフソンの詩「黒い薔薇」に、シベリウスは作曲をしている(ほかにディーリアスも作曲しているらしいのだが、そちらの作品については筆者は知らない)。   
 詩はスウェーデン語らしいが、英語やドイツ語に翻訳されたものもCDのライナーノートやネットで目にすることが出来る。   
   
 女心の歌なのか、それとも男の心を歌ったものであるのか、勉強しないと分からない。以下に紹介するように男性歌手が歌い、しかし、フラグスタートほかの女性歌手も歌っていたりするから、「男の心か女の心か、さてどちらであるか?」と無理に決めつける必要はないかも知れない。   
 歌詞には何通りかの英訳例がある。詩の趣旨をぐっと煎じ詰めればおおむね次のような具合か:   
   
 「この悲しい心の中には夜のように黒い薔薇の花々が咲き、その薔薇の木は育っていく。トゲがいっぱいで、わたしを絶えず苦しめる。しかし、その薔薇は、死のように白く血のように赤い宝石を生む。その宝石はどんどん大きくなり、(それに応じて・反比例するように)自分は衰弱していく。薔薇は根をおろしているから自分の心は痛めつけられ、むしばまれていく」   
   
 詩の形式として、たとえば「トゲがわたしを苦しめる、それというのも悲しい心には黒い薔薇を宿しているから」のごとく、都度、「黒い薔薇を宿しているから」というフレーズが付いてまわるところに特徴的なものはあるが、言わんとする全体趣旨は上記のとおりである。   
   
 恋心を歌ったものであるとすれば大層な表現であるなあと(日本人的には)思ってしまうのであるが、しかし実は、全然違う種類の悲痛や傷心を歌ったものだったりするのだろうか。やはり勉強せねば・・・。   
   
   
 メロディも伴奏もやすやすとは記憶に残りにくいように思うし、たまたま聴いた他のシベリウスの歌曲作品のほうこそ直後には「良いな」と感じたりするのだが、この「黒い薔薇」の歌詞内容が気になっているうちに次第にどうもこの曲が魅力的なものに見えつつある。  
   
   
 かつて紹介したこともあったオランダ・フェスティヴァルの音源中にトム・クラウゼが歌ったライヴ録音があるが、ほかに、下の写真の下段のものはビョルリンクがカーネギー・ホールで歌ったもののライヴ。   
 写真上段はクリスタ・ルートヴィヒ/ヴァンデルノート/フィルハーモニア管によるマーラーの「さすらう若人の歌」収録のCD・・・その第3曲は、薔薇については歌っていないが、「俺の胸の中には真っ赤に焼けたナイフが刺さっていて、ああ苦しいぜ」みたいな歌。上の「黒い薔薇」はこれと共通点もあれば相違点もあると思うが、それにしても暑苦しいというか何というか・・・しかし、本当に厭うべきは現実の、夏という季節のこの暑さ。   
   


ピストンの作品から




   
 またまたアメリカ作品で、ピストン作曲のヴァイオリン協奏曲などを収めたナクソス盤。曲は、ちょい面白いかな。   
   
 ちなみに、ヴァイオリン独奏のジェームス・オリヴァー・バスウェルは過去、セル/クリーヴランド管のコンサートに何度か登場して共演を果たしている(メンデルスゾーン、ストラヴィンスキー、プロコフィエフほかの協奏曲)。   
   


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