2017-08

Latest Entries

雑記

   
 最近、本屋さんの「新書」の新刊コーナーには音楽関係のものも何冊か出ている。   
  
 「ストラディヴァリとグァルネリ・・・」(文春新書)や「冷戦とクラシック・・・」(NHK出版新書)は、興味をそそられる人も少なくなかろう。   
 ほか、筆者が面白く読めたのは、やはり新書で「サザンオールスターズ 1978-1985 」(新潮新書)である。もちろんクラシック音楽関係の本ではないし、語り口や、曲目(作品)解説のパターンもまたクラシック音楽関係で見られがちなものとは全然違うのであるが、歴史を、諸作品を、楽しく振り返ることが出来る。そしてまた、はっぴいえんど、キャロル、サザンなどをめぐって、どれが格上・格下であるか、また、彼らがどう変革・進展に寄与したのか等、それらの点についての人々の認識に修正・再考を迫って来るところにも意義を感じる。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 先日はNHK総合(地上波)の番組で、NHKが開発したAI(人工知能)を活用して解析その他をするみたいなテーマのものがあったようなのであるが、見逃してしまった。   
   
 AI利用に適するテーマかどうか分からぬが、「もしもNHKが速やかに受信料の引き下げを実施すると、国民の幸福度/ハッピー度はどのくらい向上するか(たとえ微々たるものであっても)」という予測をして欲しいのであるが・・・NHKの受信料を「月額いくら」と考えると、人はそれを大した金額でないように感じてしまうが、これを「年額いくら」と捉えなおすとする・・・すると、そんなに小さい金額ではないと言え、この支出・負担が小さくなれば「おっ!」という感じにもなりうる筈・・・たとえば、シングルマザーの世帯で、そして非正規労働・低賃金で働くしかない境遇で、しかし家賃支払い額は決して小さくないといったケースの場合に、今のNHK受信料の料金レベルは結構な負担感になっている可能性があるのではないか、どうだろう。   
   
 筆者個人的には「4Kテレビ、8Kテレビの研究開発に見られるような、次世代テレビ/放送の研究はほどほどでいいんじゃないか」みたく思って来たのであるが、この感覚はむしろ少数派であろう。しかし、ま、同時に、そういう研究もやはり大きな意義があるものと思うし、高精細映像の技術は学術調査その他にも貢献しうるのであろう。   
 が、NHKは少しスリム化を目指してもよいのではないか。民放テレビでも現代ではこれほどのチャンネル数があり、インターネットなどもあり、我々が情報を得たり娯楽に接したりする手段が多様化しているなか、相対的にはNHKの役割・意味合いは減じて来ていると思う。であるならば・・・(NHKが発する情報には信頼性があるように我々は感じ、あるいは、そのように思い込み続けて来てはいるが、その点はNHKも大事に考えつつ、しかし、)NHKは組織のスリム化とともに、その番組の整理・再編によるスリム化をも目指していただき、受信料という国民負担を今よりも小さくする努力があってよいのではないか・・・国民の社会保険料負担が増している状況下、受信料引き下げが行われればそれは人々の暮らし・家計にメリットをもたらす。   
   
 各テレビ局の各番組の視聴率がどうだとか調べたこともないのであるが、ともかく、「いったいNHKの番組は人々からどのくらい観られているのか」という疑問は前からあった。そして、最近、またもやそれを思うことがあった:   
   
 若い世代の女性に「テレビを観るとすればNHKがほとんどだ」と言ったら、 「ニュース以外に、いったいNHKで何を観るんですか?」と、不思議そうな顔をされてしまった。   
   
 こちらは「モーガン・フリーマン」、「サイエンスZERO」、「美の壷」の3つを挙げたのだが、首を傾げられて「知りません」との返事で・・・。   
 これら3つはたまたま揃ってEテレの番組なので、「どれも教育テレビの番組だけどね・・・あ、今は教育テレビって言わないんだよね、Eテレか」と言い添えてしまった。この「Eテレ」という呼称に対しては微妙な抵抗感をずっと覚え続けている・・・昔、JR/国鉄で「E電」という呼称が生まれたのはいつのことであったか・・・あの呼称に感じた抵抗感にちょっと似ているかな・・・“E”の意味は異なるだろうけど。   
   
 上の3つの番組のうち前2者は科学番組ではあるが、文系人間も大いに楽しめる。「モーガン・フリーマン」の内容中には「うーん、ホンマかいな。そんな研究、成果が出るのか?」等の疑問を感じることもありはするが、でも、興味深いことに多く接することが出来る。   
 「美の壷」については、登場するタレントさんK氏の「おとぼけ」等の加減・具合が、かつては好きでなかった。その後、気のせいか変化したように思え、現在の「あんばい」はよろしいように感じられる。   
   
 これら以外、同じくEテレで日曜の夜9時に放送されるクラシック音楽の番組枠については特に挙げなかった・・・おおかたの人はクラシック音楽に興味を持っていないのだから。   
 しかし、ゆっくり自問自答してみて、あのクラシック音楽番組枠に満足しているかというと、「さほどでもない」という感じかな。毎回観ているわけではないが、N響のコンサートを収録したものが多過ぎないか・・・日本のオーケストラそれぞれ、昔に比べるとかなりレベルアップしたように思えるし、N響も同様に思えるのだが、でも、こちらはN響のファンでもないし(在京オケ、日本のオケに関して「N響ありき」的な感覚も持っていない)、他のオケや、あるいは来日オーケストラ、また個人/演奏家などのコンサートを収録したもののほうが、個人的には有難いか。もちろん、海外のテレビ局が制作した映像・音声を放送してくれるのでもよい・・・たとえBSの「クラシカ・ジャパン」の番組っぽくなってしまっても。     
 「らららクラシック」も楽しめる内容のときがあるかな。ただ、うっかり見逃してしまうことが多い。   
   
   
 しばらく前になるかな、NHKの何というタイトルの番組であったか忘れてしまったが、桑 田 佳 祐 氏が登場して落語っぽいものを披露したり、また、「メンチカツ・ブルース」その他を歌うことがあった。が、この曲について、周囲の誰に話しても皆「知らない」と答える・・・ということは、あの番組を観ていた人もまた少なかったのだろうか・・・あの番組は、しかし、NHKのものとしては「やたらと柔らかい内容」というか、「お子様も含めての、お茶の間の皆様に向けた安心・安全・健全・無難な番組づくり」から踏み出した内容であったなあ・・・筆者個人は愉快に感じながら観ていたが。   
   
   
 NHKの番組で、世間の人気が高いのは何なのだろう。「家族に乾杯」だろうか・・・しかし、この番組のテーマ・内容がこちらの好みとまったく合わないし、また、言うなれば主役を務めるタレントさんTの声質・喋り方、笑いの取り方、出会う人たちへの話しかけの言葉遣いが当方の好み・波長などと噛み合わないので自分は観ない。もう随分と長いこと放送されていると思うが、30分以上観ていたことは通算4、5回くらいではないか。番組の最後まで観たことは一度も無かろうと思う。(こういう、タレントさんの能力・実力その他とは関係しない、言うなれば「テレビを通して接する視聴者側の好みの事情」から来る問題はどうしようもない。)   
 朝の「連続テレビ小説」は、長年にわたって観ていない・・・生活・仕事のリズム・時間と合わないし。大昔に「おしん」や「澪つくし」だけは観ていたかな・・・早朝出社して一仕事を終え、そのあと社員食堂で朝食を摂りながら観ていたが、そのうち「ドラマを観るのは時間のムダ、さっさとデスクに戻ろう」と考えるようになり、で、観ることは無くなってしまった。(いま現在では、たまに、偶然で観てしまうこともありはするが、それも1か月に2、3回くらいか・・・なのでストーリーの把握は出来ない。)   
   
   
 テレビドラマというものを、特に「観たい」とは思わないのだなあ。  
 で、そのテレビドラマに関して・・・しばらく前までのものから:   
   
 1)「逃げるは恥だが云々」(民放)   
 2)「地味にスゴイ 校閲ガール」(民放)   
 3)「水族館ガール」(NHK)   
 4)「ツバキ文具店」(NHK)   
   
 上記1は一度も観なかった。理由は特に無い・・・基本的に「テレビドラマは観ない」の姿勢でいるので、世間で評判なのは知っていても観ることはなかった。   
   
 次の2は・・・。   
 「(テレビドラマを観ないと言い張ってますけど)これは面白いと思いますよ。毛色の変わったものが好きそうですから、もしかしたら気に入るかも知れないですよ」と言われて観ることにしたのだ。ただ、録画してまで観ようとは思わなかったので見逃してしまった回もある。   
 うむ、悪くはないなと思えたが、主役の女優さんの表情のつくり、喋り、身振り手振りが気のせいか大袈裟に感じられて、そこが気に入らなかった(責任は女優さんにでなく演出などの担当者にあるのか、それは知らないが)。   
 むしろ、共演の、男と同居をしてしまう役の女優さん、それと、主演女優の先輩役(メガネをかけたベテラン女性の役)の女優さんなどに魅力・味わい、代えがたい個性などが感じられたかな。   
   
 誰かから勧められたのでなく、偶然に何回か観てしまったのは上記3であった。主演の女優さんみたいなタイプ・雰囲気の人はこれまで身近で目にしたことが無かったため「これはまた面白い個性を感じさせる女性がいるものだなあ・・・しかし、さて、演技上と実際と、どのくらいの差異があるのだろう」などとも気になった。   
 芸能人、タレント、スポーツ選手などなどの名前を覚えるのが苦手であるのだが、ドラマを観続けてはいてもこの女優さんの名前もやはり記憶にとどめにくくて・・・。ふと思い立ったのは、苗字が同じで元テニス選手のM氏の名前もこれまではすぐに思い出すことが出来なかったりもしたので、「よしっ、ではこの際、それら2名をセットで記憶にとどめよう」と思い立ち、「松岡美術館」と無理やり結びつけて記憶にとどめることとした・・・みごとに記憶は定着した。   
 だが、この女優さんについて「この顔と目、過去に何かで見たことあるんだよなあ、それは絶対に間違いない」と気になった・・・でも、どうしても思い出せず・・・しかし、である・・・ふと思いついてネットで調べたら、過去にNHKで偶然観ることあったドラマ「限界集落株式会社」にも出演していたということが分かり、腑に落ちた。「ネットって便利だなあ」と改めて思った。   
   
 上記の4は、ほぼ全回、観ることが出来たと思う。ストーリーのトーンや展開に独特の味わいがあって楽しめたが、でも、こういう感じの仕立てのドラマについて、世間全体の(特に若い世代からの)ウケはよろしいのか疑問に感じた・・・いや、しかし、NHKは視聴率を気にし過ぎる番組づくりをする必要はあるまい。それに、このドラマのこの作り方の場合に、どこかでコマーシャルが挟まるとすれば観ている側はきわめて興ざめな思い・不愉快な思いをするであろうと、そんな気がした・・・そういう意味でも、NHKが制作・放送してくれてよかった。   
   
   
 ああ、でも、驚いたのは、筆者の周囲の数人のうちで上の3、4、つまりNHKが制作・放送したものを観た人はいないのである(男女ともに)。いったい、視聴率、どのくらいだったのかと気になるなあ(上で、NHKは視聴率を気にし過ぎなくてもと言ったのとは矛盾する言い草だけど)。   
   
   
   
 NHKはネット同時配信をしたいらしいけど、ニュース以外にもこういうドラマをはじめとして諸々の番組も配信するということなのか。現状ですら民業圧迫の面があるのに、それがさらに進み、好ましいことではなかろうになあ。それとやはり、むしろスリム化の道へ進んで欲しいかなあ(それによって自分がテレビ・ドラマを観る機会が減っても、特に残念には思わない)。   
   
   

雑記

   
 福岡県や大分県も、そして秋田県も、さらに他の各地でも、豪雨による大災害が生じている。犠牲になられた方々に哀悼の意を表しますとともに、負傷・被災された方々にお見舞いを申し上げます。   
   
   
   
 過日の熊本県・大分県における地震からしばらく経った頃・・・報道されるのは熊本県についてばかりになっていたがため、「結局、大分県のほうは大した被害は無かったのだろうか」と言い出す人がおり、そのうちに「そういえば、大分県って何が有名?」という話にも。   
   
 東京ほか東日本に暮らす者にとっては、確かに大分県には関心・注意が向きにくいかも知れない。筆者の独断で言わせてもらえば、「関東地方の都県のうち最も地味で目立たないのは栃木県、西日本で目立たないのは滋賀県、和歌山県、奈良県、島根県、そして九州地方の中については佐賀県と大分県」という感じか・・・べつに、それらの県と県民に対する悪意があって言っているわけではない、むしろ「目立てばいいってものでもない」くらいの気持ちもある・・・でも、「その地への観光」による経済発展・振興・景気浮揚などを大事と考える当事者にとっては「目立たない」ことは頭の痛い問題か。   
   
 上の、大分県では何が有名かという話題になったときに筆者は言葉を発した: 「別府温泉、湯布院温泉や城下かれい(鰈、つまり魚のカレイ)ならば誰もが知っているのではないか。杵築(きつき)や臼杵(うすき)、耶馬溪(やばけい)は有名だけど誰もが知っているわけではないかも知れない。田能村竹田(たのむらちくでん)、あと、どんこシイタケ、それから、日田林工高・・・知らないの? 高校野球に出たことあるんだぜ(=甲子園に出場したことあるんだぜ、という意味)・・・えっと、あとそれからトキハ(発音は「ときわ」=デパート)かな。しばらく前には大分県では教員採用不正が話題になった」   
   
   

 筆者の古いダイアリーでは、鉄道路線図のページの大分県の日田のところに印(しるし)を入れていた。日本のその他の地の駅や周辺にも・・・。   
 このように印を入れたきっかけ等は・・・。   
 20何年か前、ひょっとすると30年くらいも前になるかも知れないが、雑誌の「サライ」が日本各地の、歴史を感じさせる土地、風情を残した土地をシリーズ記事で紹介することがあった。そういうものや他の情報によって、自分としても「いつかは訪れたい地」として、たとえば広島県竹原、山口県柳井、徳島県脇町、愛媛県内子などとともに、九州では福岡県の甘木/秋月があり・・・。で、「サライ」に限らず、何かで面白そうな街の情報を得るたびに地図上にマーキングなどするようになった・・・日田も。   
   
 そして、「真夏の日田はやたらと暑いとは聞くが、実際どんなものであろうか。一度は経験しておきたいな」という、変な興味もまたあった。   
   
 真夏に日田を訪れる機会というものはやがて巡って来た・・・訪れるのは一度で十分と思っていたのであるが、これまでに二度経験してしまった。真夏の日田は・・・結論というか感想を言えば「昼下がり、炎天下に歩き回ったけれど、案外と大したことはなかった」というもの。そう感じた理由は、東京、それもたとえば首都高速道路沿いや幹線道路沿いの排気ガスを多く含んだ空気に比べて、日田の空気は清浄であったせいではなかろうか。また、湿度も低めだったかも知れない。つまり、人が生活するうえで少しだけはまだ優しい、まともな環境だからか。   
   
 二度とも、福岡県出張の合間のことであった。出張は普通、土曜・日曜・祝日などを挟まないようにするものではあるが、必ずしもそれを徹底可能なわけでもない。で、出張者を迎える側は、余計な気を使って休日/オフ日に地元の観光案内などしてくれようとするが、そういう気遣いを自分は申し訳なく思うし、また、一人で気楽に過ごしたい。神社や寺には出来る限り足を踏み入れたくないと思って生きて来たので、そういう場所をガイドされて観光するのも控えさせてもらいたい。あと、食事に関して、もともと福岡・博多の人は次のような思い込みを持っているのも当方にとっては問題だ(笑):   
   
 1.とんこつラーメンは美味しい。誰もが喜んで食べる。   
   
 2.屋台での飲食を、誰もが喜ぶ。   
   
 3.焼きとりで、食べるべき筆頭格・主役は「皮」である。   
   
 4.高菜漬は、他県の人、本州の人には勧めるまい。本心では喜んでくれないから。   
   
 上の1から3の考えには、こちらとしては対抗したい・・・つまり、こちらの考えはまったく逆なのだ。   
 焼きとりの色々(内臓も含めて)は大好きなのだけど、しかし、自分にとって最下位が「皮」、下から2番目が「つくね」かなあ・・・こう言うと「皮は下ごしらえが大事なのだ、下手くそな調理の焼とりしか食べていないのではないか」との反論もあるかも知れないけど、そんなことは断じてない。     
 また、高菜漬は好物で、「無理して/我慢しながら口に運ぶ」なんてことは決してない。   
   
 話が逸れるが、最近は何にでもマヨネーズをつける人(特に若者、しかし中年層も)が多くいて、先日は高菜漬の上に七味唐辛子のみならずマヨネーズまで載せて食べている人を発見した・・・これ、九州方面の人が知ったらどう感じるだろうか・・・いや、同様のことは既に九州でも見受けられるようになっているのかどうか・・・酸味の少なめなマヨネーズなら合うのかなあ、しかし、味を想像しているうちに気持ちが悪くなるなあ。どうしてこうも皆、マヨネーズを好むのか・・・そのうち、マヨネーズ・トッピングの「かき氷」や「あんみつ」が登場したり、あるいは、マヨネーズを「うな重」や「鯛茶漬け」、さらにはサヨリ刺身、刻みミョウガ、ばってら寿司、鮎寿司などにも載せるとか、そんな時代になっていったりするのか。   
   
   
 話を戻して・・・福岡県出張の合間のオフ日に、一人で甘木/秋月方面に、あるいは大分県の日田へと「ぶらり旅」に出たという次第であった。   
   
 テレビでの豪雨災害のニュースにあまり見入っていないのであるが、映される地域が自分の歩いた日田の街と同じところなのかどうか、どうも判別が出来ない。   
   
   

セル関係の新譜(再発売)



   
 9月下旬に、タワレコ扱いのSACDハイブリッド商品で、カザドゥジュ(カサドシュ)との共演によるモーツァルト/ピアノ協奏曲集や、また、「スラヴ舞曲集」が登場する:   
   
  http://tower.jp/article/feature_item/2017/07/14/1103   
   
   
 カザドゥジュとのモーツァルトに関して、第18番・第20番は古いモノラル・レコーディングであるからか、あるいはマスターテープ等のコンディションを考慮してなのか、今回の収録対象にはなっていない・・・しかし、あれらの録音も、この世から忘れ去られて欲しくない。   
 第20番はゼルキン/セルのステレオ・レコーディングがあって、カザドゥジュ/セルのものよりもそちらを主に楽しむセル・ファンもいるとは思うが、しかし、個人的には、音質は劣っていてもカザドゥジュ盤のほうが魅力的に感じる(また、第2楽章冒頭などの歌い回しも、ゼルキン盤の平坦な流し方よりもカザドゥジュ盤のほうを好む等のこともある)。   
   
 冒頭の写真は今回新譜とは無関係・・・ブログ画像庫のものの再利用(いちばん奥のものはCBS・ソニー時代のアナログ盤でSOCUナンバーのシリーズの1枚)。   
   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 話は全然違うものになるが・・・。   
   
 焼肉屋には滅多に行かないが、誘われれば行くこともある・・・いや、これまで「行くこともあった」(カルビとかは絶対に食べないが)。   
   
 焼肉店の経営者については北系とか南系とかあったりもするらしいが、そのへん、よくは知らない・・・「この屋号ならばたぶん」、あるいは、「○○家庭料理」などの添え書きからすると、などということで筆者は好き勝手に判断するが、南系なのだなと思えばさほどマイナス・イメージを持たずにいた。   
   
 しかし、その南のほうの国の、昨今の、日本に対する態度などを思えば、どうもやはり自分としては不愉快を覚える。で、今後は一切、焼肉屋には足を運ばないことに決めた。日本国民揃ってそのようなボイコット的なことをするのは好ましくなかろうが(少なくとも、ちょっと妙な感じがするであろうが)、単に筆者ひとりがそういう決意を持つことはまったく問題ないことであろう。   
   
 もともとオリンピックなどは世界のどの地で開催されようと筆者の関心は薄いし、そして平昌五輪にも行くつもりも無いけど、かの国としては、「日本人を寄越せ」という気持ちもあるようだ:   
   
  http://www.sankei.com/premium/news/170721/prm1707210007-n1.html   
   
   

雑記



   
 前回の記事で取り上げる/言及するのが漏れてしまったが、セルが指揮をとってのベートーヴェンのピアノ・コンチェルトでCD化まで至ったものとのとしては、さらにカーゾンとの「皇帝」、ベンノ・モイセイヴィッチとの「皇帝」(1938年!)、また、ライヴ収録でシュナーベルとの第3番がある。   
   
   
 昔々、アナログ盤で入手可能なセルのライヴ音源はあまり多くなく(現ソニー・レーベルからのマーラー第6番は別として)、シュナーベルとのベートーヴェン(メロドラム・レーベル)はセル・ファンにとって懐かしいもののひとつと言えようか。   
 (アナログ盤で出回っていたライヴとして入手しやすかったものとしては他に、ホロヴィッツとのチャイコフスキー、ハイフェッツとのブラームス、VPOを指揮しての「運命」とブルックナー第7番、「魔笛」、「タンホイザー」、「薔薇の騎士」くらいであったか。CDが登場してからの時代にも、モリーニとの共演を収録したアナログ盤が制作されたことがあった。いずれの音源もその後CD商品やCD-R盤商品で接することが出来るようになり、喜ばしいことである。)   
   
   
 今回の写真はいずれも過去にアップしたもの。ブログ画像庫に眠っていたので、それを利用。   
   


雑記



   
 先日の晩はテレビの音楽番組でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番や交響曲第7番を観て/聴いていたのであるが、両曲の演奏には、しっくりとは馴染めなかった。歌い回しに「?」と感じる部分があったり、あるいはまた、このような演奏スタイルとする必然性というか、その考え方・洞察について当方の理解が及ばなかったのかな・・・当方の側の「固定観念」、「すりこみ」、「受容可能な演奏パターンのあれこれ(の狭さ・少なさ)」などが邪魔してしまったのであろう。   
   
 というわけで、ピアノ協奏曲についてはレオン・フライシャー/セル/クリーヴランド管が残した演奏などを改めて聴くことになったのである。   
   
 冒頭の写真は、これはギレリス/セル/クリーヴランド管による協奏曲全集で、しばらく前に再発売になったもの。セル・ファン以外にもよく知られた録音であり、これらの曲を買い揃えるにあたっては今もなお「わりとスタンダードな選択のひとつ」として評価され続けているのではないか。が、しかし、個人的には、フライシャー/セルのものもまた忘れて欲しくないように思う。   
   
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲でセルが指揮をとっているもののライヴ音源としては、ギレリス、マガロフ、カーゾン、フィルクシュニーらのピアノによるものがCDとして出ている・・・下の写真はそれらの3商品と、また、フライシャーとのセッション・レコーディングのうちの1枚。   
 ほか、グルダとセルとの共演による「皇帝」のライヴはDVDおよびCDでリリースされたものがある。  
 さらにCD-R盤商品その他にて接することの出来る音源としては、ゼルキン、アラウ、カリヒシュタイン(カーリヒシュタイン、カリクシュタイン)、グラント・ヨハネセンらとのライヴなども存在している。   
   
   
 ここで話題は最初の写真に戻り・・・。一緒に映しいれた新書は最近のもので、アメリカ人サラリーマンの働き方に対しての、日本人が抱きがちな誤解・先入観を正してくれそうな本。   
 筆者は昔、突如として急ぎの案件で埼玉県の川越市まで出向き、そして晩になってから自分の職場(東京)まで戻ることがあった。もう夜9時を回っていたであろうか、会社近くで モ ル モ ン 教徒とおぼしき外国人から日本語で話しかけられた・・・こちらは「話をしている時間など無い。会社に戻って片付けなくてはならない仕事が残っている」と言ったら、相手は「まだ仕事をするんですか? 日本人はそんな働き方をする人が多い。アメリカ人はそんな働き方をしません」と言った。彼もまた(アメリカ人であろう彼ですらも)、アメリカ人の働き方について、当時の日本人と同様の誤解、または画一的な見方を持っていたのだろう。その頃も、また今日でも、アメリカにある子会社のコントローラー職やインハウス・ロイヤー、取引先の何人かのマネジャー職、また、税務であるとか企業買収のことなどを扱う弁護士その他の専門職の人たちとやりとりしていると、彼らがどれほどアグレッシヴに執務し、あるいはまた、長時間労働をいとわずに挑戦的な仕事をしているかがよく分かる(一部の人については、その「長時間労働ぶり・精力的で綿密な仕事ぶり」を誇示するために(=それはペイメントに跳ね返りうる)メールやファクスを送って寄越すタイミングをわざと遅くしているのではないかと疑いたくなることもありはするが)・・・ともかく、アメリカ人の誰も彼もが定時退社し、残業をせず、ファミリーと一緒にいる時間をとても尊重しているみたく考えるのは間違いだというのが筆者の感じていることである・・・しっかりと成果を残すためには、天才でもない限りはプライベート面に関して一定の割り切り・切捨て・諦め等々も必要ということではあるまいか、たぶん・・・でも、どうしてクリスマスにあれほど浮かれるのかという疑問も浮かぶが。・・・ああ、しかし、そういう話は、上の写真で紹介した本の内容とはあまり関係ないな(いや、まったく関係ないわけでもないが)。   
 長時間労働の是正、働き方改革などが叫ばれるが、変な方向へ向かうと日本人の仕事の成果の出方、スキルアップのされ方、日本企業の競争力にとってマイナスの影響も出かねないのではないか。「命を犠牲にしてまで頑張らなくてはならない仕事など無い」という考え方もあるが、これは、過労などが原因で家族を亡くしてしまった遺族の悲痛な叫びとして真摯に受け止めるべきものであること勿論ではあるのだが、しかし、人によっては「俺は/わたしはどこまでも頑張ってこれを成し遂げたい、たとえ体を壊そうとも・・・そして、成し遂げられなかった場合の無念や恥を思えば、過労で死ぬことさえも厭わない」と思いつつ頑張るケースだってあろうし、過去・これまでには、そういう執念と気概があったからこそ生まれた成果というものが日本のあちこちに見られたのではあるまいか(企業人でも職人さんでも、さまざまな仕事の人それぞれについて)・・・今後の日本ではそういうことが一切見受けられなくなるということがあれば、むしろ怖い、不安にさせられるかなあ・・・世に反論はありえようが、残念ながらこちらの頭・思考回路が古く、また、容易にそれを直せそうにもない。   
   


それは「遠すぎるダジャレ」だったのか、それとも・・・

   
 居酒屋で、顔なじみの男性(40歳くらい)と隣り合わせた。   
   
 相手は、「昼間、エアコンで冷えすぎちゃったみたいで・・・風邪っぽいような、喉が いがらっぽくて」と言ったので(最後のほうの活舌があまりよくなかった)、こちらは   
   
 「エゴラッピン?」   
   
と返したのであるが、しかし、「??」という表情をされてしまった・・・たぶん音楽には興味が無いのだろう。    
   
   
 昔々、この「いがらっぽい」という言葉を、どこかの地域の方言ではないかと言った知人がいたが、そうではあるまいと思う・・・上のように、この男性も使っているのだし。「えがらっぽい」、「えがらい感じ」ということであろうし・・・「音の変化」という現象を経てはいても。   
   
   
 「たくさん」という言葉と同じ意味で使われる副詞の「たんと」という言葉についても、「そんな言葉、知らねえ。どこかの方言?」と言った人がいたけど、そうかなあ・・・テレビドラマなどでも子供に向かって「たんと、お食べ」などの言い回しが使われていたことがあると、うっすらと記憶する(テレビドラマをろくに観ないので、記憶のほうもあいまいだが)。   
 それに、ダイハツの自動車で "TanTo" というのがあるではないか・・・あれはたぶん「車内スペースが広い、積載量が大きい、つまり、たんと収容が出来る」ということから名付けられたのではないか・・・と思っていたら、似たような意味を持つイタリア語に由来しているらしい。   
   
 日産の「ムラーノ」という車は開発チームの最高責任者が村野さんだからであり、また、 "Tiida" という車にあっては最高責任者である飯田 哲次郎さん、つまり "T. Iida" さんに由来している・・・というのは筆者の作り話・デタラメで、それぞれ、ほんとうの由来は違うものであるようだ。   
   
   
 過日、自民党の有力政治家のK氏が「ゲスのかんぐり」という言葉を発したとの報道を見て、大いに愉快に感じ、声を立てて笑ってしまった。自民党の他の政治家たちがこのような言葉を発してもあまり驚かないし、「あ、また失言しちゃって。自民党への批判が高まりかねないから注意して欲しいよなあ」と思ってしまうのであるが、あの真面目顔でスリムな、「高慢おやじ」臭さの無いK氏がこういう発言をするというのは、何か気持ちよくさえある。   
 「ゲスのかんぐり」という言葉を、一部分だけ英語に直して表記するとそこに言葉のシャレが生まれる・・・ "Gesu's guess" とか。    
   
   
 安倍内閣のこれまでの方向性に一定以上の評価をしているのであるが、推し進めていただきたい事柄はまだ幾つか残っている。加計学園問題が政権に小さからぬダメージを与えているが、今後というか、遠くない将来において安倍政権以外の政権になってしまうことがあればこれは大変なことになると思っているから、是非とも穏やかに問題が収束・終結していくことを願う。   
   
 しかし、自民党を支持する人の中にも「加計学園の問題で・・・これは困ったことだ」と言う人は多い。   
   
 上のような言葉に、筆者は「加計学園の問題・・・もう飽きちゃったし・・・もう追及するのをやめて、もっと大事な政治課題に焦点を当てなおして欲しい」と返し、そのうえで次のように言ったのであった:   
   
 「いま、夏でやたら暑いしなあ・・・“かけ”が食えんということであれば、“冷 かけ”とか、“盛り”とも“ざる”とも、好きに選んで食べればよいわけで」   
   
 意味を分かってくれるまでにしばし時間を要してしまった。   
   
   
 (下の写真は、過去のものの使いまわし)   
   


«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

クラシカルな某

クラシカルな某

クラシック音楽好きです。