2017-06

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山の上のオクラ。紫敷布。ユーロダラーよりスケソウダラ。



   
 今回の記事タイトルに特別の意味は無い。   
   
   
 個人経営の居酒屋の長所のひとつとしては、店主やスタッフが気安い人物であるならば店が用意している料理メニューに多少のアレンジ/変更を求めることも可能だという点がある。   
   
 「椎茸のバター炒め」というメニューに関して、バター風味が嫌いであるならばサラダ油で炒めてもらうとか、網焼き・グリル焼き・オーブントースター焼きにしてもらうとかのリクエストも可能である。   
   
 「月見とろろ」というメニューについてであれば、筆者、べつに生卵が苦手ではないものの、しかし、長芋・大和芋の類はその風味をしっかり味わいたいから、そこに卵の黄身のあの甘味と風味が加わることをあまり好まない。ワサビを添えてくれるだけでよいし、刻み海苔もトッピングしてくれるならばそれもまたよい(青海苔だと少し抵抗がある・・・昔、電車で隣に座った人から青海苔の口臭が感じられたことがあって、それ以来、「ニンニクなどと同様、青海苔を口にすると他人に迷惑をかけかねない」と不安を抱いてしまうのである)。   
 「月見とろろの卵抜きを」と注文して、「あいよ!」とすぐ返事して寄越す店主もいれば、一瞬固まってしまって「え・・・あ、はいはい」と応じる人もいて、後者のほうが愉快ではある。   
   
   
 さて、個人経営の居酒屋のうち、短所を有する事例について。   
   
 若い知人と飲みに出る話がまとまって、個人経営の居酒屋2店のうちどちらにしようかと迷った。A店のほうがメニューや味の点で優れているのだが、ともかく、まずは新聞でテレビ欄をチェックすることにした・・・サッカーや野球などの中継があるかどうかを確認しなくてはならないから。   
 2店どちらもテレビをつけているのだが、A店には、まだ若い店主のかつての同級生とおぼしき男が客として訪れることがしばしばで、彼は、店にやって来るや店主に断りを入れるでもなくテレビのチャンネルをスポーツ中継に切り替え、さらにヴォリュームを大きく、うるさいほどに上げるのだ。   
 チャンネル切替するまでは構わぬと思うが、それでも普通なら店主に断りを入れつつ、また、他の客に「この番組を観ている人はいますか? チャンネルを替えてもいいですか?」と尋ねるものではあるまいか。しかし、大きな問題は、ヴォリュームである・・・居酒屋という場所はもちろん、一人でやって来てテレビを眺めながら晩酌を楽しむというケースもあるが、客どうしが会話する空間でもある。テレビの音量は、その会話を邪魔しない程度のものであることが適当である(スポーツ・カフェ、スポーツ・パブのような形をとる居酒屋であるならば話は別だろうけど)。   
 そういう行動をしておきながら彼は「つまみ」は一品くらいをオーダーするだけで、ビールや酎ハイの類を実にスローペースで飲む。そしてテレビに見入る。周囲の客は皆、おそらく不快に感じていることであろう。「自分の家・部屋でテレビを観ながら過ごせばよいではないか」と思う客は筆者ばかりではあるまい。   
   
 で、知人とはその晩はB店へ向かったのであった。   
 「テレビっ子」についての問題、子供の教育についてなども話題にのぼったのであるが、ほか、彼からはこう言われたのであった:   
   
 「あいかわらずサッカーに対して冷たいですね。(あなたの世代だと)体育の授業でもサッカーよりも野球が多かったのですか?」   
   
 現在のサッカー中継ではアナウンサーが興奮して大きな声で実況したりするのが気に食わない等のことがあるけれども、しかし、振り返れば、サッカーについては快くない思い出がある。   
   
 筆者の世代でも、体育の授業では野球やソフトボールをすることはかなり少なく、2学期の秋以降になるとサッカーが多かった。   
 クラスの中をチーム分けするなどして対戦するのであるが、中学生の頃、チーム分けで自分が属する側はどういうわけかいつも優勢で、ボールは相手方ゴール付近にあることが多かったように記憶する。あの頃はサッカー部に属する生徒は少なく、また、「パスつなぎ」やシュートの上手い・下手よりも「脚が速ければフォワード、そうでないものはバック」みたいなポジション分担がされてしまい、自分はサッカー部所属でもないのにフォワードに配されることが多かった。   
 するとどういうことになるか? 自分は相手方ゴール付近にて「土埃もうもう」の状態の中でプレーする時間が多くなる。東京では冬場は乾燥するのだ。そして、授業のあとに脚などを洗うのも冷たくて不快なのである。また、試合途中にふと自チームのバックの様子に目をやると彼らは実にノンビリと暇そうに過ごしているのであった。この不公平は何だろうと思ったものである。   
   
 「やっぱ、スポーツ競技は、体育館(とか武道場)やプールでやるもののほうがいいね」とも思った。   
   
 サッカー部に属し、そして体育の授業のサッカーにすらやたらと夢中になり熱を上げている者が一人いた。こちらは「たかがサッカーじゃないか」と思い、また、「スポーツの世界で生きていくわけじゃあるまいし」とか「この授業の試合の勝ち負けで体育の成績が決まるというより、人それぞれの技能レベルで決まるのであろうから、やたらと勝ち負けにこだわっても意味が無いであろう」などと考えていたから、彼の「熱中ぶり」を理解できなかった。   
 自分がゴールを決めた場合、そのあとノンビリしていられない、同じチームのサッカー部の生徒からそれとなく距離をおくよう走り続けることも自分はしていた。サッカーやバスケットボールのクラブに属している生徒は、単に「ナイッシュー(ナイス・シュート)」などと声を掛けるばかりでなく、シュートした者の肩や、時には腰や尻を叩く習慣を持っていたが、こちらは同性から腰や尻に触られることにものすごく嫌悪を感じていた。彼らに他意は無かったと理解できるけれども、ま、あの頃も今も、同性どうしで体にタッチするということには非常に抵抗感を覚える(野球でホームインしたときに手を打ち合わすくらいのものは何とも思わないが)。   
   
 スポーツでも音楽でも「各人の好き嫌いや適性の有無に関係なく、チーム一丸となって勝利を目指すことが教育効果を持つ」との考えも確かにあろう。それは体育の授業でサッカーやバレーボール、バスケットボールなどのチーム競技やそれに類するとも言えるリレー走が選ばれることの理由のひとつにもなっているのではないか。また、合唱大会にもそのような効果が期待されているのではないか。文化祭・学園祭についても同様か。しかし、「べつに好きでもないもの・嫌いなもの」では、現実問題として「嬉々として取り組む」ことは出来まい。「チームの一員として頑張ることの大切さ」は、「好きなことに取り組んでいる時」にこそ気づき、発揮可能ではあるまいか。(有事の際には、好むと好まざるとにかかわらず、各人に求められ課された役割に全力投球すべきであるが、子供の頃の教育とは無関係に、「事態の重要性」を理解するならば自ずとそのような行動がとれるものと期待したい。)   
 まあ、筆者の場合、学校の行事・イベントはどれもこれもが無意味に見えてしまっていて、「遠足・修学旅行・運動会・文化祭・合唱大会などはやめにして(社会科見学はよろしいが)、ともかく毎日単調に授業が繰り返されていくこと、気分転換めいたものが無くてもコツコツ日々を過ごせる人間に仕立てられることが大事かも知れない」と、漠然とそのように考えてもいた。   
 音楽の先生が各クラスの合唱指導の際にヒステリックになることもあったが、「音楽が好きでない者にそんなにあれこれ要求しても仕方あるまいに」と感じた。   
 遠足でのハイキングっぽいこと、自由参加の山登りの際には「目的地に早く到達して、つまり用事を早く済ませ、そしてすぐに帰りたいな。どうしてわざわざ途中で休憩をとるのだ? 皆で一緒に行動しなくてもよい筈で、休憩など要らないと感じる者とそうでない者とで、大雑把に2つのグループに分ければよいではないか。大した山でもないし、景色だってどうせ感動するほどのものでもあるまい。ともかく、のろい者に合わせて全員にスローな行動を求められるのは時間の無駄になり迷惑で、堪らない」と感じたものだ。   
   
   
   
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 2020年の東京オリンピックではスケートボードが競技に加えられるという件について「あれはスポーツなのか?」と怪訝な顔をする人もいるが、スポート/スポーツの「気晴らし」という意味からすればスケートボードは十分にそれに当てはまるものであろう。技能向上のためにどのような体幹づくり・トレーニングが必要なのかを知らないが、強い選手・上手い選手になるためには容易ならぬ鍛錬・練習を重ねなくてはなるまいと思う。   
   
 少し不安になるのは、あれは楽しそうだから、夢中になり過ぎてしまう子供たちが多くなるのではないかということである。   
 人それぞれ、将来的に何を職業とするかの自由な選択があるが、スケートボードで食べていける人はどのくらいいるものなのか(プロとして、あるいは企業所属などとして)、それは現在、そして将来、どのような具合なのかを、本人や親などが計算・心づもりする必要があろう。あるいは、体育・運動系の先生の道を目指すのか。   
 スケートボードに夢中になり過ぎて、しかし、あとになって全然違う分野へ進むことになり、「もっと勉強をしておけばよかったな」等の悔いを残さないようにと、そんなことを外野から心配してしまうのである。ただ、それぞれのスポーツには、それとは無関係に見える仕事をするうえでヒントや参考になることもあるし、精神修養のうえで有意義な点もあるから、スケートボードについてもそれを否定するつもりはない。   
   
 或る時、購読しているのとは別の新聞が間違って配達されることがあって、土曜日であったから昼過ぎに新聞を買いに出掛けた。途中でふと「久しぶりに図書館に行ってみようか、そこで新聞も読めるな」と思いつき・・・。   
 図書館の敷地範囲にある、公園っぽいスペースにはスケートボードに興ずる少年たちがいた。図書館が神聖な場所であるなどと言うつもりは毛頭ないけれども、また、スケートボードの騒音が図書館内に達することもないと思われたが、しかし、その場所でスケートボードをしている光景には、何か表現しにくい抵抗感を覚えた。   
   
   
 下の写真は、過去の日経新聞の記事の見出しから。   
   


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