2017-08

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雑記



   
 「おせち料理」のカタログなどが目につく季節となった。   
   
 「別段、おせち料理を食べなくても」とすら思い、元旦・正月時期も、白いご飯や味噌汁を食したく思う。   
 ただ、おせち料理を用意すれば、一家の主婦は少しばかりは楽をしやすかろう。自分で手作りするとなればそれは大変であるけれども、いまの時代、出来合いのものがあちこちから発売される・・・が、しかし、筆者などは「保存食っぽいイメージが無くはない料理も含まれており、また、好みに合わない隠し味が付いていてその点に嫌味っぽさすら感じられる調味などによって、あるいは、“原価低減のためか、大根なます、多過ぎじゃないか?”みたいなことによって、決して“大満足”と言えない品/セットになっているのならば、むしろ同じ程度かそれ以下の出費で、寿司・刺身盛合せなどを楽しんだほうが喜ばしい」みたくも思う・・・正月に営業していて出前も普通にやっている寿司屋は多い。世の中、好みは様々であるから、家によっては「ピザやフライドチキンがよい」ということもあるか・・・おせち料理に伝わる、いにしえからの文化・思いを軽んじてはいけないと思いつつも、しかし・・・。   
   
   
 以前、おせち料理のカタログを見ていて・・・「こういう出来合いの品を買うにしても、ごくごく簡素なセットでいいじゃないか・・・おっ、これなんか、シンプルで結構いいぞ」と思うことがあった。   
 が、カタログの写真に添えられた商品案内コメントにはこう書かれていた:   
   
   
 「愛犬にも、おせち料理を」   
   
   
 犬用のものだとは(笑)。   
   
   
 冒頭の写真は過去に載せたもの。このセットは満足度が高かった。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 トラックの車体に "... Express" などと表示されているのを見ると、「さあ、この運送会社の社名は“○○運輸”なのか“○○輸送”なのか“○○急運”なのか、いずれであろう」と確かめてみたくなる自分は、ちょっと変わっているかなと思う。もちろん「エクスプレス」の語は急運・急送という言葉とだけ対応すべきものとは思っていないし、また、“○○陸運”という社名の英語表記ヴァージョンが「○○エクスプレス」になっていたとしても勿論よいではないかとも思いはするのだが。   
   
 英語での社名表記が書かれたトラック、クルマは多い。それを目にするこちらを落ち着かなくさせるのは、   
   
   “○○ Co,. Ltd.”   
   
と表記されたものを目にしたときである。   
   
(追記) 或るWEBブラウザの、そのヴァージョンによっては上の表記において "Ltd" の "d" のすぐ後ろにあるピリオドが表示されなかったりもするようだ・・・よって、以下の記述にあっても、ピリオド抜けして文章表示されるケースもあろうことと思われるが、世のすべてのブラウザのことを考慮した文字置き・表記を再検討するのも面倒であって、以下、特に書き改めない、ご容赦を。   
   
   
 ピリオド記号というものは、文末のほかに言葉を短縮したときに用いるものであるから、 "Company" を短縮して“Co.”となり、さらに有限責任会社(株式会社など)であることを示す "Limited" を短縮して“Ltd.”・・・これを“Co.”のあとにカンマを置いたうえで付して、正しくは次のやうに表記すべきものである。   
   
   “○○ Co., Ltd.”   
   
 カンマのあとには1文字分のスペースを置くのが普通であるが、意外とスペースが広くなることもあってその場合は「間延び感」を生んだりするので、そこはデザイン的・レイアウト的な微調整があってよろしかろうと思う。   
   
 CD商品でも、たとえば筆者の手持ちの Altus レーベルのものにはそのライナーノートなどに於いて上のピリオド、カンマの使い方が変になっている個所が見受けられる。   
   
 「細かい話だなあ」と思われるやも知れないが、企業の車両/社用車であれ、名刺、会社の封筒、レターヘッド、カタログなどであれ、そこに於ける社名表記は「企業の顔」的な面をしっかり有しているから、気を抜いてはいけないものと筆者は考える。英語圏の人、いや、それ以外の外国人も、こういう点にはすぐ目が留まって「ありゃ?」と思うことであろう。   
 “NEW YORK”を“N.Y.”と表記することがあるが、これを“N,Y,”としてあれば、われわれ日本人であってもまた妙な感じを受けるであろう・・・それと似たことである。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 ずいぶん前のこと・・・。   
 終業後、ロッカールームからもう一度職場に戻って来た女性が着ていたトレーナーっぽいシャツは、なかなかお目にかかれないような、独特で深みのある色合いで、センスの良さを感じさせるものであった。   
 その色合いを褒めたら身体を回転させて背中も見せてくれたのであるが、こちらはつい、「あれ?」と声をあげてしまった。次の瞬間、「しまったな・・・声を出すんじゃなかった」と思った。   
   
 向こうは「え? 何?」という顔。こちらは心の中で「俺の勘違いじゃないよな。背中にプリントされている言葉の中のあの単語、綴りが間違ってるよな・・・彼女にそれを教えるのはよろしくない、迷惑というか何というか、ちょっと何だなあ」とつぶやき・・・。向こうは立ったままでこちらの言葉を待っているし・・・。   
   
 辞書で確認するまでもないが、しかし、一応はやはり辞書でチェックし・・・「ええい、悪いのは俺じゃないんだ、トレーナーを作った会社だ」と割り切り、彼女に綴りの件を伝えた。   
   
 その後、このトレーナーを外出時に着ることはなくなったそうである。決して安くはなかったであろうになあ、あのトレーナー・・・。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 クレジットカードを店員さんが取り扱うとき、あるいは預金通帳やキャッシュカードを銀行員が扱うとき、どうしてああも無造作に磁気テープ部分に手指で触れるのかなと、ちょっと疑問・不満に思うことはある(ICチップの金属端子/接点の個所にしても、であるが)。   
   
 カセットテープであれ、オープンリール用のテープであれ、あるいは企業が使うデータ記録テープなどなど、「磁気テープ表面にはやたらと指を触れないのが無難(皮脂汚れにカビが発生するなどしてトラブルの原因になる)」と思い続けてきたからであるなあ。しかし、ま、現実問題としては、そして、音楽/音声の信号記録のデリケートさに比べると、カードや通帳の磁気テープ部分についてはあまり神経をつかわなくてもよいのであろうか。   
   
 そういうカセットテープ等に馴染みの無い世代が多くなっているから、もはや「テープに触れまい」との感覚は失せてしまっているのだろう。時代は変わる・・・。   
   
   
 小 林 明 子 が歌った「恋におちて - Fall in love - 」(作詞: 湯 川 れ い 子 )という曲には今なお人気があるが、その歌詞中の「土曜の夜と日曜」という部分について、「どうして単に“土曜と日曜”と言わないのか?」との疑問を持つ人たちが今後ますます増えていくことであろう。そして、「土曜の日中は、相手の男性が家族と過ごすための時間であろうか。それだけは譲歩・我慢しなくちゃという気持ちを表しているのか」という捉え方も出て来うるか?   
 週休2日制によって、「土曜も午前中だけは勤務あり」という「半ドン」のスタイルがかなり消えてしまった今日・・・歌の理解・解釈に影響が出てしまいうる。   
 世の中、商店・飲食店・ホテル・運輸・テーマパーク・警察・消防・防衛その他の仕事もあって、必ずしも「土曜と日曜がお休み」と決まっているわけでもないから、「土曜と日曜という曜日特定の表現は適切さを欠く」などという、そこまでの意見はちょっとありえないことであろうけど。   
   
 そしてまた同曲を聴いて、「ダイヤルを回すとはどういうことか? 一部の電子レンジにダイヤルっぽいものがあるよね? 電子レンジを使おうとして途中でやめたってこと?」などという疑問を覚える人たちも出てきたりするか?   
   
 歌詞中、英語が使われている或る部分について、その意味を「わたしは、恋に落ちてしまった一人の女に過ぎないの」と解釈している人が多いようであるが、これはおかしい。いや、そういう意味合いのつもりで英語歌詞が書かれたものと想像はするのだが、上のような意味にするのであれば、現在分詞の後置修飾ということで "ing" を付して "falling in love" とすべきであろう・・・メロディを改めないと歌いにくくなりはするが。   
 しかし、この歌詞では現在分詞でなく原形を用いているから、 "fall in love" の個所は「1つの独立した命令文」であると解される。よって、歌詞の中のこの辺りを日本語に訳すと:   
   
   「わたしは一人の女に過ぎないの・・・ (さあ、この私よ! )恋に落ちてしまいなさい!/恋に落ちてしまいましょうよ!」   
   
 ・・・みたいな意味になるかと思う。   
 実際、メロディの進行と、ブレス(呼吸の挟み)に目を向けたとき、うむ、やはりこちらの意味として受け止めるべきなのかと、迷うところがある。この、「どっちつかず」っぽいところ、聴き手の解釈に委ねるあたりが心憎い歌詞作りなのか・・・真意は分からない。   
   
 ま、日本人は、日本語の中に突如として「英語の決まり文句、熟語パターン」を差し挟むことを、遊び的に、あるいはお洒落的・雰囲気づくり的に行なうことがあるし、一応は英文の塊のなかであってもつい "fall in love" という表現をこの形のままでくっつけてしまうということになりやすいのであろう。   
   
 昔、民社党という政党があって、その春日委員長(故人)は選挙演説か何かでこんな具合に言ったことがある:   
   
 「・・・それがいつの時期になるかと言えば、デペンド・アッポン・サーカムスタンシズなのであります」   
   
 政局のことなどに触れた語りであったかどうか覚えていない・・・が、ともかく、カタカナ部分は "depend upon circumstances" であろう、これを開き直りの完全なカタカナ読みをし、声質と相俟って独特の味わいを醸していた。   
 この演説の場面、この事例の場合に、 "depending upon circumstances" あるいは "It depends upon circumstances" と言うべきだと指摘するのは、これはやはり適当でないように思える。日本語・英語の双方が交じるなかでもこのように改めると文法的配慮があって収まりが良さそうには思えるものの、しかし、それでは微妙な愉快さと無骨さが欠落してしまうのである。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 山 口 百 恵 が歌った歌は古びない、と言う人がいる。 本当にそうだろうか?   
 いま、自動車の後方確認の手段として、カメラ映像を用いて室内のモニター/ディスプレイに表示させる研究がさらに盛んになっているらしい。サイドミラー/ドアミラーの出っ張りを無くすことが出来るのも、いろいろと都合が良いわけである。   
 さあ、そうすると、交差点にて、隣の車線に止まっているクルマから「おい、ミラー、こすったぜ。ざけんじゃねえよ」などとイチャモンをつけられることは無くなる・・・ゆえに、あの曲もまた「永遠に新鮮」であり続けるとは言い切れない?   
   
 この曲(「プレイバック Part 2 」、作詞: 阿 木 燿 子 )の歌詞には日本語表現ならではの特徴があるから、仮に英訳して歌ってみようと思うときには注意も必要となろう・・・「隣の車が」怒鳴っていると歌われているけれども、普通、クルマという機械製品(車両)は声を発さず怒鳴ることもない。怒鳴っているその本当の主体/主語は「隣の車の運転手、もしくは同乗者」である。   
   
 しかし、高性能AIも搭載された未来のクルマは、もしかするとその自らの判断で他のクルマに向かって音声を発することもありえようか?   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 「365日の紙飛行機」(作詞: 秋 元 康 )という曲を耳にすると、どういうわけか冒頭の「朝の」を脳内漢字変換で「浅野」と受け止めてしまう。   
   
 浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の 遺恨をば思うとき ・・・・・・   
   
という具合の替え歌を思いつくことあったのだが、上の言葉のあと、何を願うかの内容が過激に過ぎるのでここに示すのはちょっと遠慮させていただく。   
   
   

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