2017-10

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雑記

   
 農林水産省であったかの調査によれば、ご飯を食べる習慣が無くなってしまっている人が、20代あたりではそこそこいるらしいのであるが・・・。   
   
 先日もそういう話題が居酒屋で出ることがあって、カウンターで隣り合わせた若者(ガテン系職種と思われる)も「自分も、ご飯を食べなくなっている」と言った。   
 「飲んだあとに、ご飯とか茶漬けとか、食べないのか?」と尋ねたら、何も食べないことも多いし、パスタ類、ラーメンのようなものをコンビニで買うなどして食べるのだと言った。朝食もパン、昼食もやはりラーメンなどが多いとのことで。   
   
 「カレーライスは? チャーハンは? コンビニのおにぎりは?」と訊いたら、「あ、カレーライスは食べます。おにぎりも」との返事で、ふむ、ならば一応「ご飯」の類を食べているではないかと思ったのであった。   
   
 食生活調査の質問票/アンケートの言葉がどうなっているか知らないけれども、「以下、最近食べたものにすべて印(しるし)をして下さい」などの問いのあと、「ご飯」の項目については次のように説明付加しておくのがよいのかも知れない。   
   
 「ご飯(牛丼・カツ丼を含む丼もの、おにぎり、ご飯ものの弁当類、寿司・いなり寿司、おかゆ、カレーライス、チャーハン、ピラフ、ドリア、オムライス、パエリア、リゾットなどを含みます)」   
   
 弁当男子が用意する「弁当」も、最近ではサンドイッチ類もそう珍しくなくなっているようであるし。それがカツサンドなら納得なのであるが、そうでないもののほうが多いのか。      
 筆者個人の、少年の頃の感覚としては、給食が無かった時期の弁当や、あるいは遠足や運動会のときの弁当として、男子がサンドイッチを持参して食べるというのは「微妙に変・不自然」というものであった。男の食べるものではないという感じであったかな。冬場に、男子が手袋をして登校する・遊ぶのは軟弱者っぽくてみっともないというのにもちょっと似た感覚・・・ま、これは寒冷地の人には分かってもらいにくいか。   
   
 時代とともに、感覚も、食生活も変化するもの・・・であろうが。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 昼食をとるべき時間に食べそこねてしまったとき、「コンビニで何か買って来ましょうか」と声を掛けられれば「おにぎり」を頼むことが多い。   
   
 毎度毎度の食事について理想的栄養バランスを実現しようというのは無理なことと心得ている・諦めているけれども、が、ともかく「炭水化物/糖質、たんぱく質」だけは少しでも多めに摂取しなくてはと思っているものだから、おにぎりの具は、鮭・たらこ等を望むし、「おかか」では寂しいようにも思え、また、梅・昆布も望まないことが多い。   
    
 で、これまでに買いものしてくれたことのない、初めての相手であるときは「棚の奥のほうの、新しいものを選んでね」と伝えるのである、小うるさいことではあるが。  
 「自分もいつもそうしています、大丈夫です」と答えるから、「女子力が高いね」と言ったら、「これが普通です」との返事で、こちらも内心、「そうだよなあ、普通そうだよなあ」と思うのである。   
 先に買い物した者が古いもの(と言うか、製造からの時間経過が長いもの)をつかまされ、たとえばその5分後にやって来た他の客が新しい品をゲットするというのは、やはり不合理と感じるのである。   
   
 さあ、しかし、上の「奥のほうの、新しいものを選んでね」という言葉は、本当は次のように言いたいのである:   
   
 「ズボラな店員だったり、あまりに忙しかったりするとき、新しい品を棚の手前に置いていることもあるから、手前の品物と奥の品物とを見比べてから新しいほうを選んでね」   
   
 だけれども、こう言うと、説明も長く、そして細かい、うるさい言い方になってしまうのだよなあ。でも、上のような注意を払いながら買い物して欲しく思う。そこで、最近では次のように伝えることにしている:   
   
 「手前の品物と奥のとを見比べて、新しいほうのを選んでね」   
   
   
 「うるさいオッサンだな、俺は」と、ちょっと思う。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 読書感想文を書くのは子供の頃からずっと嫌いで、しかし、他人が書く読書感想文を読むのは、その本を読んでいなくても内容の一端に触れられるから有益でありがたい。   
 社内の若い人たちの輪読会の発表資料をオブザーバー的に見させてもらうことがあるが、その文章について「この日本語、おかしいぞ」と思うことがしばしばある。いや、自分も間違った日本語を使ってしまうことがあるし、また、時代とともに言葉は変化するものではあるが・・・。   
   
 「ら抜き言葉」には驚かない。と言うよりも、「ら抜き言葉」が登場した頃からその使用に賛成する立場であったし。   
 「見られる」では、「見ることが出来る」なのか、それとも「(犯行現場などを)見られてしまう」・「(或る現象・傾向などが)見受けられる」みたいな意味合いなのか即座に判別しにくいこともあるから、前者の意味のときは「見れる」のほうが便利、コミュニケーション・ツールとしての言語の機能発揮がきちんと出来ると感じて来たのであった。   
  
 読書感想文では、本のなかの一節を引用しつつ「この言葉に著者の思いが集約されていると言えよう」などと紹介することがしばしばある。英語のビジネス書について、引用の言葉をたとえばこんな具合に訳しているものがあった:   
   
 「いかなる企業は、変革を伴わなければ持続と成長を遂げることは出来ない」   
   
 日本語としては「いかなる企業も・・・」とすべきものであろう。しかし、最近の若い人は「いかなる・・・も」という言い回しにあまり接していないから上のようなあんばいになってしまうのだろう。   
   
 「何卒よろしくお願い申し上げます」の「何卒」を「なにそつ」と読む若者が多数いるとの話を耳にしたことがあるが、教科書に登場しにくい言い回しであり、また、自分が漢字を見つめているときにちょうど誰か(親など)が読み上げてくれるという経験がないと、「なにとぞ」と読むことを知らぬままで過ごしてしまうのであろう。(それでもテレビ・ドラマその他で「なにとぞ」とのセリフを耳にはしているであろうが、それを漢字では「何卒」と書くのだとは気づきにくいだろうし。)   
 「御用達」は「ごようたし」以外に「ごようたつ」と読んでも構わないらしいが、個人的には抵抗がある。   
   
 とはいえ、自分の場合も物産展コーナーなどで菓子屋さんの「のぼり」など目にしたときに「この場合の“名代”は“みょうだい”でなくて、何て読むんだっけ、“なだい”だっけか」と迷うときがあるし、「短時日」という語も一旦は頭のなかで「たんじにち」と読んでしまってからすぐ「たんじじつ」に改めるという、そんなことがある。   
   
 「(法律の)施行」・「(設計および)施工」のそれぞれを「しこう」・「せこう」と読み分ける人もいれば、読みを区別しない人もいる。それでも間違いではないとの話も聞く。   
 ずいぶん前のことになるが、某有名住宅メーカーの子会社が印刷した新聞折込チラシには「外壁の施行は・・・」という表記があって、しかし、これは「施工」が正しいであろう・・・ま、チラシの上でのことはどうでもよいが、工事で取り違えミスなど起こさないことが肝心だ。   
   
 読書感想文に話を戻して・・・。   
   
 やはり英語の文章を日本語訳して引用紹介している個所で、「・・・(A)・・・なので・・・(B)・・・」という文章があった。   
 この文章が変なのである。(A)という事実のあとであれば普通には(B)という事態に至らない筈なのに、「しかし(B)ということになってしまうとは」と予期に反するような展開であって・・・これをどうして「なので」という言葉で文章がつながっているのかと、おそらくは誰もが感じてしまう訳しようなのであった。   
 もともとの英文はどうなっているのか? 英文は "...(B)...because...(A)..." なのだろうかと首をひねったのであるが、いや、きっと "...(A)..., and...(B)..." となっているのではないかと想像し、英語の原文にあたったらこの予想は当たっていた。   
  "and" は、「・・・だから/そして・・・」ばかりでなく、「・・・なのに/しかし・・・」の意味のときもあるのだ・・・このことはたいていの英和辞典にちゃんと説明されている筈なのだが、そう頻繁に、いつもいつも出くわす使い方でもないので、日本人としては忘れてしまいがちなのである。   
   
 どうして "and" というひとつの単語・言い回しに順接と逆接との正反対の使われ方があるんだよ、と文句を言っても仕方がない。言語にはそういうこともある。   
 日本語の「・・・(し)たら」の用法だって、次のようなヴァリエーションがあるではないか:   
   
 「気合を入れて作った企画書を上司に出したら、褒められた」   
   
 「気合を入れて作った企画書を上司に出したら、“長いからA4用紙1枚に収めろ”と叱られた」   
   
 2番目の文章の「・・・たら」は逆接で、「出したのに」という意味合い・・・いや、逆接への「つなぎ」になっているくらいに考えるべきであるのか。直後に「どっこい」などの言葉を挿入するともっと文意が強調されるであろう。   
   
   
 上の "and" のケースと同様に日本人が戸惑いやすいものに、 "if" があろうか。   
  "if" の意味が常に「もしも・・・なら/の場合には」になるとは限らない。 "even if" という言い回しについては「もしも/たとえ・・・であっても」という譲歩的意味であると我々は承知しているが、この "even" を付けなくても、つまり "if" だけでもやはり同様の「もしも/たとえ・・・であっても」の意味になったりする。これは中学・高校くらいの英語の授業でちゃんと教わっている筈ではあるが、これまたいつの間にか忘れてしまう人が多いように見受ける。   
 ビジネス・商用の連絡文で "if and when..." という言い方をする人もいるが、これについては常に「・・・の場合には」の意味となって、「・・・であっても」という譲歩的意味合いを持つことはあるまい、解釈違いの懸念を持たずに済むかと筆者は思っている・・・ "in case that" や "in case of" を用いた書き換えも可能であろう。   
   
   
 さて、ところで・・・日本語の次のような点には、外国人は惑わされることがあるやも知れない。   
 それは、「のに」は逆接の意味を持っていて「けど」へと言い換えられるが、逆方向に、「けど」→「のに」という言い換えがいつも成り立つとは限らないということ。   
   
 「教えてくれた店にきのう行ったけど、休業日だった、残念!」   
   
 この「けど」は「のに」に換えられる。   
   
 「教えてくれた店にきのう行ったけど、ほんと、品数がハンパじゃなかった、すごいね!」   
   
 この「けど」は、順接というか、いや、文章のつなぎ、あとへと続けていくための呼吸のようなものと言えるであろうか。   
 「いきものがかり」の古い歌「ありがとう」の歌詞のはじめのほうにある「けど」などもこの類と言えるであろう・・・逆接の意味ととらえると、あとの歌詞とのつながりがおかしいわけで。   
   
 なお、「ノニ・ジュース」の「ノニ」は「けど」に換えることは出来ない。   
   
   

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