2017-08

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豊洲どーする? 行くの、よす?

   
 豊洲市場の問題や東京オリンピック関連予算などをめぐって、東京都という自治体/都議会/都庁に対して東京都民ひいては国民の懐疑と批判は強まっている。   
 が、そういう懐疑・批判はあっても、「驚き」をもってまで受け止める人は少なそうにも見える。「いい加減なこと、ガサツなこと、テキトーだったり不明朗っぽい金遣いなどは、ありそうなことだ」という感想の人が多いのではないか。また、筆者のように「もともと信用してないもんね」という人もまた結構いると思う。もちろん同時に「けしからん事であるから、今からナゾ解明、責任追及、是正などに励んでくれ」とは考える。   
 そして、当面は新知事のお手並みを拝見する感じ。これまでのところ、大方「この知事もダメだな」みたいな評価には至っていないであろう。   
   
 脱線・余談だが、富山市議会議員の政務活動費の問題も、「驚き」までは感じていない筆者である。この種のこと、どこの議員さんについてもまったく信用していないもんね(笑)。もしも、万が一にでも、東京都議会の議員について同様の問題がいま露見・噴出したら、これはとても騒ぎが大きくなるであろうなあ・・・そのようなインチキは断じてないことが望まれはするが、さて。   
   
   
   
 新知事にはこの調子で頑張っていただきたいところではあるが、しかし、知事はまた油断を出来ないとも言えるか。東京都が抱える課題はいろいろあるから、そちらへの着手・取り組みに遅れ・手抜かりが生じることあれば、1年後、2年後という時期に何かの批判を受けることもありえよう。   
 また、足を引っ張りたい勢力もあるかも知れない。知事の不祥事・汚点・手抜かり・監督不行届などの問題に発展するような、何かの罠が仕掛けられることだって考えられるのではないか。知事自身が公私のけじめ・倫理観を持って職務に当たっていれば特に問題など生じないというわけでもない。たとえば、こんな罠・・・オリンピック関連であれ何であれ「別方面の予算を流用/付け替えする」とか「業者から職員・外部委員その他へのリベート/還流/キックバックを行う」というインチキ・不正を今の時点から行い続けるとする・・・そして、それを後になって、いつの時点かで発覚させる・・・現知事の責任が問題となるであろう。ほかにも、職員のカラ出張・ヤミ給与などを仕組んで後に発覚させる等の手もありえなくはない。それらの動きを封じる・不正を早期に暴く意味でも監査機能の充実が望まれる。   
 政治家が、知事が、難を逃れて泳ぐ・手腕を振るうということはとても大変なことであろうと思う。   
   
   
   
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 NHK総合(地上波)、夜11時過ぎのニュース番組をわりとよく見るのであるが、そこではツイッターに寄せられた感想コメントも画面上に表示される。   
 実際のところ膨大な感想が寄せられているのであろうが、番組制作サイドとしては安易に無作為抽出して表示させることはしていないであろう・・・「乱暴に過ぎる言葉」、「煽り表現」などを含むものは避けているであろうか。で、どちらかと言えば無難な、感情の起伏も抑えられたような、優等生っぽいコメントが目立つように思える。そこがちょっと物足りなくて面白くないが、しかし、やむをえぬところか・・・何かの事件などに関して「馬鹿やってんじゃねーよ、このボケカスの変態野郎めが。首吊って死ね! みんな、あした、○○まで押しかけてデモ行進しよーぜ」みたいなコメントは、決して映し出されないことであろうなあ・・・それはまた適切な対処である。   
   
 先日は、NHK職員が給与の不正受給をしていたというニュースを流した。そのとき、筆者は他に取り掛かっていた作業があったのでテレビ画面に見入ることは出来なかったのであるが、ツイッターに寄せられた感想としてどのようなものが紹介されたのか、今なお気になる。感想コメントのチョイスをする担当者もひときわ緊張・苦労する瞬間ではなかったかと想像する(まさか、このニュースについては感想コメントは一切紹介されなかったということはなかろうと思うが)。   
 仮に筆者がコメントを送るとすれば、「受信料収入すなわち給料の原資がほぼ自動的・定期的に流れ込む環境下の甘えで、給料・お給金の有難みも分からない人間が育ってしまうのだな」くらいのものになろうか。ま、このようなコメントをしても、「受信料」というセンシティヴな言葉が含まれているがため、テレビ画面に挿入されるコメントとしてチョイスされることはないかも知れない・・・NHKが公平・客観性を追求しきるならチョイスされる可能性ありと考えるべきではあるけれども・・・しかし、仮定の問題についてこれ以上に話をすることは無意味でもあるからやめよう。   
   
   
 相模原市にある施設で悲惨・凶悪な事件があったが、それからさほど日を経ていない或る日の晩、テレビをつけたらNHKでは「LIFE」なるコント番組が流れていた。   
 或るコントにて、「どうもこれは」と受け入れにくいものがあった・・・結婚式が始まろうとするところで新婦控室には、新郎ではない、新婦と過去に交際していた男性が現れ、そして、両者は「よりを戻す」方向へと話が進む。新婦の父も理解を示す。男性は新婦に向かって「ごめん、僕がバカだったんだよ」と謝罪の言葉を口にする・・・すると、新婦の父親は言葉尻をとらえて「おい、君はバカなのか? バカな男には、うちの娘をやれん」と言う。ここまでは普通に面白かったのだ。が、しかし、そのあと、新郎となる予定であった男性が登場するのであるが・・・。この先は上手な紹介が出来ない・・・筆者の意識の仕方におかしなところ・大袈裟なところがあるかも知れないが、相模原での事件があった直後にこのようなコントを放映してよいものだろうかと感じた。いや、それ以外のときであってもまったく愉快さを感じないであろう展開に至った。NHKは、この日、せめてこのコントを除外して放送すべきであったというのが筆者の個人的な感想である。   
   
 Eテレには「美の壷」だったかな、そんなタイトルの番組があって、そこには或る有名な男性俳優が登場する。で、番組の冒頭と、そして合間にちょっと「とぼけたセリフ・振る舞い」を披露する。番組制作する側は、それらをたぶん「視聴者の笑いを誘う小休止」とでも考えているのであろうが、筆者個人的には「余計で鬱陶しいもの・番組の流れを邪魔するもの」と感じてしまう。どうにもイヤで仕方ないのだなあ。紹介・説明すべき工芸品その他を、非能率・時間浪費的に伝えているかに感じる・・・番組を観ていて時間のムダ使いをさせられたように感じてしまう。   
 いまのNHKの番組には、わざわざタレント・俳優を起用・登場させなくても済みそうなものが幾つもある・・・と感じているのは筆者だけか。   
 「ブラタモリ」などは、これはタモリ氏の登場が必須であろう。「番組ありき」・「この番組タイトルありき」という点への批判はしないこととして、この番組はこのタレントのユニークな個性によって成立するものである。   
 所ジョージ氏の登場する「大変ですよ」であったか何だかの番組にあっては、氏による発言・コメントにそう大した意味が無かったりするように思え、また、他の3人ほどのゲスト出演者からの発言にもあまり有意なものは無いように感じられる。つまり、NHKのアナウンサーや記者という、自前のスタッフのみで番組を構成させることが可能ではないかと思う。「それでは普通のドキュメンタリー・報道みたくなって面白くない」という見方もあるのかな。   
 タレント等の起用を減らせばそれだけ番組制作コストも削減できて、小さいことながらも結果的には国民の利益にもなろうかと思うのだが。   
 「タレント起用で視聴率を上げよう」との考え方もあるかも知れないが、「大災害時でもなければ基本的にNHKを見ない」という人は相当数にのぼっているようであり、より一層のコスト意識や、また、NHKだからこその「視聴率にとらわれない姿勢」も必要であろうと考える。   
   
 (そして、異論は多くあろうが、タレントの多くは企業活動の「ヒト・モノ・カネ」のうちの「ヒト」でなく「モノ」である・・・芸能事務所がタレントというモノを発掘し、育て上げ、磨き、そして各方面に売り込み、映画・ドラマ・各種番組の制作者らのもとへと送り込む・・・これぞビジネスである。タレントよりも芸能事務所のほうが偉い・・・ときにタレントが、育ててくれて仕事をあてがってくれた事務所を離脱して独立するなどという行為に出るが、受けた恩義に応じた手続きを踏まずに身勝手な行動をとるケースの中には、人の道を外れるようなものもあるのではないか・・・こうなると比喩を越えてまさしく「モノに過ぎぬ者のやらかすこと」と受け止められてしまうであろう。)   
 番組づくりのうえで、タレントの生活保障を考えすぎて出来るだけタレント起用しようとの配慮はタレントを「ヒト」ととらえることに起因した過ちであり、そこを見直さないと適切な番組作りも、あるいは番組作りの改革も出来にくくなってしまうのではないか。   
   
   
   
 或る方が亡くなって、その追悼の意味でNHKでは「夢であいましょう」だったかの古い放送映像を紹介することがあった。   
 こういうものがきちんと残されている一方で、どうしてジョージ・セル来日のときの映像は消されてしまったのかと、少なからず不愉快でならない。「どちらの映像が価値あるか」と比較するのは適当ではないけれども・・・。   
   
   
 「テレビを持たず、しかし、ワンセグ・チューナーつきの携帯電話やカーナビ類だけを持つ人」についての、NHK放送受信契約締結・受信料支払の義務は如何に、ということが論議されているが、そういう人に関しては、筆者個人的には「グッと低い受信料」を課すことでどうかと感じる・・・「考える」というよりも「感じる」であるなあ。   
 ワンセグのあれは、ビルの谷間の居酒屋の中、堅牢な鉄筋コンクリートの雑居ビル内をはじめ、ちゃんと受信できないケースが多いのではないか、どうだろう。「あまり使い物にならないみたいだね」というのが筆者の認識で、この認識が正しいならば、これで「フツーのアンテナを接続したフツーのテレビ」と同水準の受信料負担を求めるのはどうかしていると思う。これで音楽鑑賞が出来るものなのか、それなりのクオリティの画質でドラマを楽しめるのか? ニュースの確認くらいには役立ちそうだから一定の価値はあろうけど、さて。   
   
 ここ最近は、しかし、「NHKは、テレビ放送も、そしてネット配信も、スクランブル化してしまえばよい」との考えがよく紹介されるようになって来た。これは画期的な問題解決であるなと思う。「NHKの番組は見ない、ゆえに受信料を支払いたくない」という人が、「実際に見ていないこと」を証明しやすいし。NHKとしては受信料収入減少になってしまうであろうが、しかし、諸コスト削減や合理化・改革を推し進める契機になってくれる。国民の社会保険料負担が増しているなか、これまた国民共通の負担とも言える放送受信料くらいは「据え置き」からさらに「減額」へと変わっていって欲しいものである。   
   
   
   
 某国が日本の領海・排他的経済水域・接続水域などへと船を送り込むことについて、筆者は「あいつらは、“欲しいなあ、よし、欲しいんだから獲っちゃおう”という思考パターンなのだろうなあ。為政者も含めて困った衆生だ」と思っている。そして、警戒を緩めてはならないと考える。   
 つい先日の国会でのスタンディング・オベーションに関して、あれを「某国の某党みたいだ」と批判した人物がいるが、ま、それぞれの感じ方ではあろうけど、筆者は特に問題に思えなかった。しかし、振り返ると、批判したその某氏自身は某国をお気に入りなのか、かつて政権奪取を果たした折りには議員団を引き連れて某国を訪問し・・・このことのほうがよほど、そしてとんでもなく国民を不安に陥れる行為であったではないか。某国との友好関係などは大切ではあるけれども、しかし、あのときに「朝貢」という言葉を思い浮かべ、また、日本が属国であるかのような錯覚と目まいを覚えたのは筆者だけであろうか。ああいう行為もまた「欲しいなあ、よし、欲しいんだから獲っちゃおう」の国を強気にさせる一要素になっていたりせぬか・・・考えすぎか。   
   
 NHKがワンセグ放送やネット配信に関して受信料収入を得ていこうとする姿勢にも、いくぶんか「欲しいなあ、よし、欲しいんだから獲っちゃおう」的なものを帯びていないか・・・もちろん「法改正などを経て」という理性的なステップ/法的裏づけを確保しながら進んでいくであろう点は某国の振る舞いと違って「ちゃんと」していそうなのであるが。   
   

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