2017-04

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雑感あれこれ、そして青と赤について

   
 外国人旅行客が激増しているが、中国人ばかりが目立つ・・・との感想が続いているが、先日は少年を連れたドイツ人旅行客を目にした・・・横断歩道で信号待ちしていたらすぐ隣にいたのである。   
 で、その少年が母親に向かってドイツ語で話しかけた。そこに何の不思議もないのであるが、それでもやはり「小さいうちからドイツ語を話せるのは凄いな」と思ってしまう(笑)。   
 日本人だと「えっと、えっと、 der じゃなくて die だな」とか「 dem じゃなくて den だったっけかな」などと思考しつつドイツ語の文章を考えたりするわけであるが、ドイツ語でもフランス語でも、それらを母国語とする人たちは例えば「性数一致」などの文法上の複雑な(妙な)約束事をおのずと習得できていくところに感心する。   
   
 ああ、それにしても、ヨーロッパの面積は狭いなどと言うのは間違いであるが、あの地域にああも沢山の、オランダ語やスペイン語、ポルトガル語、ギリシャ語なども含めて多くの種類の言語が存在することには溜息も出るし、感心もし、そして呆れもする・・・そしてもちろん、歴史をも思うのであるが。   
   
   
   
 日本のこの狭い国土ではどうか? 日本語のみが話され通用していると解することは適当なのか? 例えばアイヌの人たちの言葉は? また、各地に残る方言には膨大な単語や表現があろう筈で、それらについては地域限定でしか通じないものがあるので何とも厄介なことである。とはいえ、それぞれの方言はやはり言語文化なのであって、「方言を駆逐して日本全国、皆が標準語だけを使って生きていきましょう」などとは絶対に主張したくない・・・まあ、これはほとんどの日本人の感覚でもあろう。   
   
   
   
 英国の国民投票・・・残留派が「EUから離脱すれば英国は衰退の道を辿るであろう」と主張しているのをニュースで見ていて、遠い昔の記憶が蘇った。   
   
 昔、中学生のとき、英語の先生は最初に「アメリカ英語とイギリス英語とには相違点があります。違いがある場合には両方を教えていきますから、皆さんもなるべくなら両方を覚えるようにして下さい」と言った。まあ、誰も彼もと同様、大したことを教わったわけではない・・・イギリスでは、色彩を意味する「カラー」を "colour" と綴るとか、 "either A or B" などというときの "either" を「アイザー(アイダー)」と発音するとか・・・。   
 筆者はそれらのことを教わって「イギリス英語のほうが面白そうだな」と感じた。「桜という漢字も、画や芸という漢字も、旧字体のほうがカッコよいからそれで書こう」などと思っていたのと同様で(?)、ちょっとだけ綴りの面倒な "colour" を愛したし、そして「アイネ・クライネ・・・」のドイツ語の音っぽい「アイザー」という読み方を好んだのであった。   
   
 さて、それから学年が上がり先生も替わった。すると、この先生は或る日こう言ったのだ:   
   
 「アメリカという国は今後ますます発展を続けます。世界はアメリカを中心に回っていきます。それに対してイギリスは没落していきます。皆さんはアメリカ英語を勉強すればよいのです。クイーンズ・イングリッシュなどと言ってイギリス英語を誇りにする人たちもいますが、世界で通用しやすいのはアメリカ英語となっていきます」   
   
 何とも実利的である・・・つまり、コミュニケーション手段であるところの言語は、要は、「通じてナンボ」と割り切っていて気持ちよい・・・そのように感じた。   
 「没落」という表現は刺激的であった。確かに「斜陽の国」と言われるようにもなったし、しかし、サッチャー首相は腕をふるい・・・さて、21世紀の今、EU離脱へ向けた動きのその先、イギリスはどうなっていくか、あるいはEU諸国は、そして世界の経済環境は・・・。   
   
 さて、その先生はまたこうも言った:   
   
 「英語のテープ(音声教材)が少ないし、皆さんに良いものを聞かせてあげられないのが残念です。FENという米軍のラジオ放送がありますが、あれは中学生には難しすぎます。それでも聞こうという人たちもいるかも知れないですね。しかし、聞くものを選ばないといけません。上等な人間は軍に入ったりしませんが、そういう人間が喋る英語もあそこでは流れます。そういう発音を模範にしてはいけません」   
   
 これまたトンデモ発言であるが(昔はアカ教師も多かったし、そういう彼らの感覚ゆえに軍関係者をけなしたのか)、さて実際にFENを聞くと、アメリカ本土で放送されている普通のラジオ番組そのままと思えるもののほうがむしろ大半を占めているように思えた。けれども、上の先生の言葉に影響されてしまって、FENを聞く習慣というものは身につかなかった(「ミステリー・シアター」その他を聞くようになったのはもっと後のことである)。   
   
 そういえば、高校の英語の先生は「ロック・ミュージックのああいう英語に染まってはいけません。発音の面でいえば、カーペンターズの歌のようなものは好ましいです」と言った。   
   
 その英語の先生は生徒を発奮させるのが上手で、「文法上のこれをマスターしたら上等!」とか「仮定法のこれが分かると英語の視界が一段と広がる・・・ついでに、助動詞を完全マスターすることが大きな強みになる。これらの助動詞( could や might や shall なども含めて助動詞(時制ごとに)すべて )について、辞書に書かれている説明と例文にすべて目を通して自分のものとせよ!」、「倒置をサラリと使いこなせたら、もう怖いもの無し」などと励ました。生徒の大学入試が終わろうとする頃には特別の(自由参加の)授業も行なって「教科書の内容やカリキュラムのせいで君たちには口語表現をあまりにも教えてあげられずに来た。最後にそれを教えたい」と言って、多くの口語表現を教えた(たぶん、今どきの英語の授業では口語表現は数多く教えられているであろうが、筆者らの世代ではカリキュラム上ではろくに教わらなかったのである)。   
   
 しかし、高校の、英語でなく社会科系を教えていた或る先生は「英語の習得はますます大事になっていくであろう、しかし、“英語バカ”になってはいけません」と言った。   
 これは、「単に英語を上手に使えるだけの人」になってはいけませんよという忠告であったろうけれども、こちらは「そうか、英語の勉強もほどほどにしておかなくちゃな」みたく受け止めてしまって、その後は英語を熱心に勉強し続けるということがなくなってしまった。大学生時代は専攻とは別に「将来役に立つのはどうやら簿記と会計学、商法/会社法だな。学者やエコノミストを目指すというのでなく一般企業の事務系職種を希望する以上はこれらが役立つ、ほかは勉強してもあまり意味がない」などと思うこともあって英語のほうもまた・・・それゆえ、就職して英語にも接しなくてはいけなくなってから苦労することになってしまった。   
   
   
   
  A bolt from the blue.    
 ・・・ blue という単語は the が付くと「空(そら)」を意味する。その青空からボルトねじ・ナットなどが降って来たりすれば我々は「上空を飛ぶ飛行機からでも落下してきたのか?」と驚いてしまう。上の英語の文句については、ふつう日本語では「青天の霹靂(へきれき)」の訳語をあてる。   
 ・・・という説明は冗談であり、ここで bolt は thunderbolt の意味、すなわち「稲妻」なのである。   
   
   
  Reds under the beds.    
 ・・・先頭と末尾に似た音の単語を配しての、ダジャレのような文句ではあるが、これは、人々が安心して体を休めるその寝床の下に共産主義者が潜んでいる、つまり、平和で安らかに見えるこの社会の中にも共産主義勢力は潜んでいるとの危機意識などを表現する言葉である。   
   
 選挙権年齢が引き下げられたが、それに伴い、かなり若い層、大学に入ったばかりかなと思えるくらいの若者が街頭演説して投票を呼びかけたり、特定政党への支持をアピールする例が以前よりも増したように思える。で、筆者が目にしたケースでは現与党を支持するケースが無い。反戦をアピールし、あるいは、「最低賃金上げ」でアルバイト代もアップする、そして人々の生活も向上する等を説明しつつ野党の某政党への支持を訴えていたりする。   
 あまりに若い人がマイクやメガホンに向かって声をあげているのを見ると、ふと、昔の大学キャンパス内の様子や看板(「日米安保体制粉砕ナントカ」とか「成田空港工事ナントカ」などの看板)までも思い浮かべてしまうのであるが、いつの時代であっても純粋無垢の若者のなかにはそういう政治的主張・政治活動に染まってしまう者が出るであろう。若者は、気をつけないと、最初に触手を伸ばして来た者の手に落ちていく。これからは大学のみならず高校においてもそういう関係の注意が必要になる・・・学生・生徒の本分は学業であることを忘れてはならないし、親もまた、みずからの子が高校生になったら彼らにそれを教え諭さねばならないであろう。   
 街頭でビラ配りなどのため近寄って来る若者に、大人たちは上のような注意を呼びかけたりしない。筆者もまた同様・・・ただし、彼らの一人でも考えを改めてくれるよう、そういう若者が寄って来たらビラを受け取らず、まるで汚いもの・伝染病患者を見るような目をして体をよけるようにして歩くことにしてはいる。   
 凡人がソツなく生きていこうと思うなら、まだ若いうちから「自分が世の中を変えよう、世の矛盾を正そう」などと、急いでそんな思いを固める必要は無い。まずは生きていく・暮らしを立てていくための知識・技能・スキルを身につけることを一番にして欲しい。当面ノンポリでいることを恥じることは無い。   
   

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クラシカルな某

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