2017-04

Latest Entries

セル関係のあの本について、再び



   
 「浪花(なにわ)恋しぐれ」(作詞:たかたかし)という古い歌謡曲を耳にするたび、次のように改変した言葉を頭に思い浮かべてしまうのだ:   
   
   芸のためならオケ・メンバーも泣かす。   
   今にみてみい・・・クリーヴランド管を「全米一番」「世界一」にしたるんや!   
   
 これぞ "Second to None" を目指してクリーヴランド管を率いたセルの心意気・・・ではあるまいか。   
   
 セルの実績と活躍を振り返ることは、オケの部外者である一般の音楽ファンにとって楽しい。セル・ファンにとってはなおさらである。   
 ところが、当時のクリーヴランド管メンバーにしてみれば、このオケに属するということはつまりセルの厳しい「音楽づくり」に付き合わされることであり、ここで誰もが例外なく喜びと満足、充実、納得のいく発見などを得られたわけでもなかったようだ・・・そして、セルはまたオケという組織の専制君主的リーダー/管理者であり、オケ・メンバーの採用・処遇・雇用継続・解雇の権限を有していたし、そしてまた皮肉屋だったり辛らつな言葉を発したりする人物でもあった・・・このオーケストラに属することでメンバーに生じる精神的ストレスというものがあったとすれば、その大半はセルという人物に関わってのものだったのではないか。   
   
 セルの経歴・実績やクリーヴランド管については書籍、CDやレコードの解説、その他で既にいろいろなことが述べられているが、以前にも紹介した "Tales from the Locker Room" という書籍は、言うなれば「クリーヴランド管メンバーが明かすジョージ・セルという人格-今だから話せるその人となり-」みたいな内容のものである(冒頭画像。なお、「ねまるちゃ」というタイトルの冊子は本件とは関係ない。ペーパーバックでそれほど高価でないし、電子書籍でも入手可能)。   
   
 この本の中からは以前、リン・ハレルによる回想の言葉などを紹介した。   
   
 元オケ・メンバーがインタビューに応じて答えた言葉などが幾つも紹介されているが、当時の不満、セルに対してのネガティヴな評価が目立つように思え、個人的にはそういうものを読んでも愉快な気分にはなれなかった(ちょうど、会社であればその経営方針、待遇、上司について批判・悪口を言ってばかりの人間に好感を持てないのと同様かな)・・・ただ、組織、それもセルが君臨していたクリーヴランド管におけるストレスの生じ方などを窺い知ることが出来るから、それなりには興味をそそられる。   
   
   
 本書に紹介された幾つかのエピソード等を紹介しておこう・・・(但し、著作物における翻訳権の問題を考慮し、直訳・逐語訳は控えさせていただく)。   
   
 ミルシテインとセルとの共演の音源としては、我々はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ラロのスペイン交響曲のライヴ録音を楽しむことが出来るけれども、ミルシテイン/セル/クリーヴランド管の練習中、次のようなことがあったと本書は紹介している:   
   
 練習中、セルがオケに対して注意・指導するため演奏中断することが何度もあってミルシテインとしてはウンザリすることもあったという。木管セクションがミスをしたときセルは演奏ストップをかけた・・・演奏をすぐにやめない奏者がいたため第1ヴァイオリンに向かって手、おそらくは左手をあげて静止した。それから木管セクションに向かって話しかけたのであったが、さきほどの左手を下ろさずにいたままで夢中にもなっていたのであろうか、その手が泳いでミルシテインのそれこそ顔の真正面に行ってしまったのである。ここでミルシテインはムッとなってどうかしたかというと、むしろ気取ったふうの笑みを浮かべてオケ・メンバーを見やって、そしてヴァイオリンの弓の先でセルの手のひらを突いたのであった。   
 さあ、このときミルシテインはどういう感情を持っていたのか、そこまでは述べられていない。「セルはん、細かいことはええから流れを止めずに行きまひょ」であったのか、それとも「セルはん、そないにして音楽に熱くなるのも結構なことやけんど、そいでも自分のしてはることが分からんようになってはあきまへん。わて、ソリストがここにいてまんねんやで、それなのに、こないな具合に、ひとの顔の前に手を持って来るゆうんは失礼なことでっしゃろ、そういうの、わて感心しませんのや」であったか。   
 ま、ともかく、手のひらを突かれたセルはびっくりして、その様子は「このオッサン何やねん、頭イカレてんのんか?」とでも言っているふうだった。   
   
 或るエピソードからも窺えるように、セルにとっては音楽上のちょっとしたことでも「生死の問題」と同じくらいのものであったから、やはり上でも「周りが見えなくなってしまう」、あるいは、「予期せぬタイミングでのお遊び・ジョークには対応できなくなってしまう」のではないか。そこが微笑ましいと言えなくもないか。なお、上で使った関西弁はエセ関西弁であるが、ご容赦を。   
   
   
   
 本書ではセルに対する批判が幾つも並んでいる一方、賞賛する回想、印象深かった様子を語る言葉も見受けられる。   
 セルの、来日時であれ何の時のものであれ、「英雄」を指揮する映像が残っていないことを残念に感じさせる回想:   
   
   
 「英雄」の第2楽章途中において、セルはいつも同じような仕方で、1秒ほどの時間を掛けて体の向きを変えてコントラバスのほうを向くと、低いAフラットの音符(フォルティッシモで強奏されるあの個所か?)を突くように振った。オケ・メンバーにしてみると(特にコントラバス奏者など、長身のセルの姿とその眼光を目にするメンバーにとっては?)これにはゾクッと来るほどの怖さがあった。   
   
   
  
 セルがグールドに対して言ったとされる、例の、「あんた専用のその椅子の調整に時間掛けてるよりなあ、そのお尻をほんのちいとばかり切り取ったほうが事は速く済むでえ、そしたら練習スタート出来るんやけどな」的な言葉・・・このような言葉は実は発せられていないとグールドの著作では述べられている。   
 が、本書では、またもやこのエピソード・発言が紹介されている。発言者は1955年から1995年にかけてクリーヴランド管に在籍した人物である。グールドがセル/クリーヴランド管とベートーヴェンの協奏曲第2番を共演したのは1956-57年シーズンであった。グールドをめぐるこの件は、やはり真実であったのか、どうなのか・・・自身がじかに目にしたことを語っているのかどうか。歳月が経ち、やがて当時の状況を知る人がいなくなってしまうと、この件は「藪の中」になってしまう。   
   
   
   
 グルメで知られたセルであるが、こんな回想も:   
   
 クリーヴランド管がフィラデルフィアへ楽旅に出たときのこと、セルは或るレストランでランチを摂ることがあった。店にはひとりで入ったのだが、案内されたテーブルの隣のテーブルにはオケ・メンバー3人が先にいてマティーニを飲んでいた。そのメンバーによる目撃談・・・。   
 セルはロブスターを注文したのであったがそれを食べ始ると、何と、ロブスター全部をテーブルや皿やのあれこれ目がけて叩きつけた・・・床の上に音を立てて散らかったのである。そんなことをしておきながらもセルは、片手で簡単な仕草をしたのであった(料理に問題があったり、あるいは、食べ物を落としたりしたときの定型的な合図を給仕スタッフに送ったということであろう)・・・すべてが礼儀作法にのっとった形で運んだ(スタッフによって片付けもされ、何事も無かったかのように事は済んだのであろう)。   
   
 見ているほうはビックリもしたであろうし呆気にもとられたであろう・・・一種ドリフのコント/コメディにでも出てきそうなシーンではあるから可笑しさをも覚えたであろう。   
 はて、セルにとって何が問題だったのだろうか? ロブスターの風味・調理や鮮度? 添えられていたかも知れないソース類などの調味が気に入らなかったのか?   
 あるいはもしかすると、完璧なものを求めて妥協を許さない自分の姿というものを、自由時間とはいえ昼酒を飲みつつリラックス・ムードに浸っているオケ・メンバーに対してこれ見よがしに示すための振る舞いであったのか(フィラデルフィアにはあのオーケストラも存在するからセルとしても対抗意識として「いつも以上にしっかりとした演奏をしなくては」との思いは強かったかも知れない)・・・もしそうだとすればレストラン側はたいへんな迷惑を受けたことになるが。   
   
 セルというと「肉食好き」のイメージがあるが、どうやらシーフードにも関心はあったのだなと思わされる記述が他にも見受けられた。来日時に口にしたものとしてはステーキが知られているけれども、魚や貝類なども堪能していただきたかった・・・とはいえ、あの当時の外国人はやはり普通には「生もの」を敬遠したであろうし、アメリカ暮らしの人たちの先入観からするとそもそも魚介類の食中毒を警戒し、演奏スケジュールの詰まったツアー中には食べるのを控えたがったか? 滋養面でも肉をしっかり食べるのが筋というものであったか。   
   
   
 ・・・ま、エピソードは他に幾つも紹介されているし、セル・ファンの方にはおすすめしたい1冊である。   
   

コメント

コメントをありがとうございました

 所用があってコメント対応(お返事)が遅くなり、申し訳ございません。
   
 そのピアノのサウンドは、ひょっとしたらクリーヴランド管が関わったピアノ協奏曲などのレコーディングのいずれかの中に残っていることがあるやも知れませんが、たとえそうでなくても、セルのDVD "One Man's Triumph" の中でのベルク/ヴァイオリン協奏曲のリハーサル風景(ドルイアンとセルによるピアノ伴奏リハーサル)ほかに映っているピアノだったりするかも知れませんね。   
   
 またよろしくお願い致します。

いい加減な私のはなしに、おつきあい頂きまして有難うございます。
そうです、「グレン・グールドは語る」です。
あの本の中に、もう一つ私の妄想をかき立てるエピソードがあります。
セルの部屋においてあったスタインウェイを、セヴェランスに行くたびにセルから借りて指ごなししていたというグールドが「いいピアノ」だったと言ってるでしょ?そのスタインウェイこそ、ミケランジェリが見つけたという名器ではなかったか?なんて・・・・。えヘヘ!

コメントをありがとうございました

 コメントをお寄せいただき、ありがとうございました。

 セルがグールドに向かって発したとされる言葉の件(グールド自身による事実関係究明の顛末)については現在、ちくま学芸文庫の「グレン・グールドは語る」に収録されていたように思います。   
 ナーヴァスであったとされるグールド(それも若き日のグールド)にとって、音楽そのものと、そして、音楽ジャーナリズムや聴衆との接し方に関して、何かを考え直し始める契機のひとつ(小さな「ひとつ」)になったかも知れません。
   
   
 このところ以前とは比べものにならぬほど多忙になってまいりましたが、可能な限りブログ更新するつもりでおります、今後ともよろしくお願い致します。   

お尻のはなし

>この件は「藪の中」になってしまう
そうなんですよ。
グールドのインタビュー本(本の題名を忘れました。)では、全く身に覚えのないことで、そんな与太話が拡がっていることが許せず、調べたんだそうです。出どころを。
そしたら、セルが作った話で、それをどこぞの記者かだれかに、それらしく喋ったらしいのですな。聞く方にとっては、そりゃ嬉しい話ですよ、すぐ拡がったのです。
ルイス・レーンがグールドとセルの間に挟まれて、大変だったようです。
グールドは本の中で飽きれていました。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://szelldocs.blog9.fc2.com/tb.php/946-8a42e383

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

クラシカルな某

クラシカルな某

クラシック音楽好きです。