2017-10

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「笑止高齢化社会」か「少子恒例化社会」か

   
 (↑)「笑止」という言葉には複数の意味があって、上では「困るような一大事」くらいの意味合いで用いている。   
   
   
   
 S M A P の「 世界に 一つだけの 花」という曲、いつまでも一定の人気は続いているようで、スナックのカラオケでも耳にすることしばしばである。   
 しかし、筆者にすると抵抗を感じ続けている点が幾つかある。   
 ひとつは、「競うことをやめよ、競って勝とうと思うな」とアピールしているものと思えるからかな。決して「勝つことへの執念」を煽る歌でないところに残念さを覚える・・・特に若者には「競う精神」を大事にして欲しく思うから。ただ、心が折れてしばし「俺/わたしはダメ人間なんだろうか、どういう生き方を模索すればよいのだろうか、自分にも何か“とりえ”があるだろうか」と暗い気持ちになったときなどの応援歌にはなってくれたりもするのだろうか。   
 ふたつめは、歌詞について、「これだけのことを言おうとするのにどうしてこうもたくさんの文字をつらねなくてはならないのか」ということである。もっと短く、極端には次のようなあんばいでも表現可能ではないか:   
   
   
    競わねど 並ぶ花には 矜持あり   
   (「花」は特定の一種類の花を意味していないし、また、季語のようにして使っているわけでもない)   
   
   
    黄赤白(きいあかしろ)   
    花屋に居並ぶ   
    それぞれは   
    競はで静かに   
    誇りをぞ秘める   
   
   
 ・・・と、俳句・短歌の例のそのヘタクソさ加減はおいておくとして、ともかく、やはり、うーん、歌詞が長い、言葉数が多いように感じられて仕方ない。尤も、同様に思える歌は山ほどあるから、筆者の感覚がもう相当に時代遅れになっているものと悟るべきなのであろう。   
   
 そして三つ目・・・歌詞の中に「バケツ」という語が出て来る。べつに気にならないという人も多いのだろうけど、しかし、こういう言葉が登場する歌ってあまり無さそうに思う。あるいは「そこがユニークで気に入っている」などという人もいるやも知れないが、どうも筆者は抵抗を覚えてしまうのだなあ。   
   
 以上、もちろん個人的感想ではある。「チャイコフスキー作品、これだけ音符を多く使ってたくさんの楽器も活躍するけれども、俺にとってはモーツァルトのほうが断然いいなあ」というのと同程度の感想と思っていただきたい。   
   

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クラシカルな某

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