2017-10

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卵が先か鶏が先か、ゆで卵が先か目玉焼きが先か

   
 夏場の日照で熱くなった石のうえでつくられる目玉焼き、温泉卵、火で沸かした湯でつくられる「ゆで卵」、火にかけたフライパン状のものでつくられる目玉焼き・・・人類の歴史上、卵の調理は上のような順序で「発明・発見」がされたと思うのであるが、さて、どうであろうか。それ以前に、卵を生のままですするということもあったろうがこれは「料理」と言えないであろうし。日本の「卵かけご飯」は稲作文化以降であろうし。   
 煎り卵とか、卵焼きなどは、やはり目玉焼きよりは遅れて登場したものと想像する。スコッチエッグはいつ頃に始まったことであろうか。   
 で、何を言いたかったというと・・・忘れてしまった(笑)。   
   
   
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 東日本大震災のときは、津波被害その他の模様をリアルタイムで目にしてしまったこともあってだろう、何日か遅れて形容しがたい精神的ショックを確かに受けてしまった。   
 それとは別に・・・事態への対応検討・支援に少しばかり関わる最中には、「これはもう“理想的な対応”など出来ないな」、「ある種の割り切りをせざるをえない。70点、80点を目指すのでなく1ポイントでも2ポイントでも成果を積み上げるしかない。たった1ポイントだって、何もしないよりマシなのだ」と考え、不十分・不本意な対応しか出来ない不甲斐なさ・苛立たしさを抑え込んだ。   
 何か月かして、「我々も、わりと上手くやれたのではないか」と自己満足することがあったのだが、何かの雑誌で「東日本大震災・・・そのとき各社はどう動いたか」みたいな記事に目をやったとき、「うーん、明らかに(よその会社に)負けたな。もっと色々と準備やシミュレーションを重ねておかなくては」と思った・・・けどまあ、それでも、業種それぞれで「もともとこういうことは得意!」とか「日頃から対消費者・対個人の商売なので!」という企業もあるわけで(たとえば宅配便業者やコンビニなどと同じようなことを他の企業が真似しようにも無理であろう)、そういうところに引けをとらないようにと目指すことは無理というものか。   
   
 さて、このたびの九州の件・・・語弊があることを承知で言えば、目にする映像は「震災被害として、想像を絶する域にはない」というのが筆者の感想である。それは、被害が小さいという意味でなく、「おお、こういう事態に至ったか、やはりそうだろうなあ」と、わりと冷静に受け止めることが出来たのである。   
 が、しかし・・・何やかやと対応していこうにも、今度もまたやっぱり上手くいかないのである。上のような受け止め方があったからであろう、今回は70点、80点を目指そうとする気持ちをなかなか切り捨てることが出来ない・・・これがまずい・・・そうして「忸怩たる思い、苛立ち」が止まらない。   
 しかし、この新しい週からは環境が変わる、発想も切り替えていける・・・その筈(はず)と、気が急いている。   
   
   
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 世代によって「どういうことにカネを使いたい」、「こういうことにはカネを惜しんではいけない」という点での感覚に大きな相違がある。昔も今もそれは変わるまい、たぶん。   
 昨年暮れのボーナス時、「スーツ、靴、腕時計のあれもこれもと買いたいものがある」と言う若者と喋ることがあって、スーツについては、最近の若い人は足を運ばないかも知れないけれども生地のクオリティとオーダー料金のバランスから言って絶対に値打ちな買い物が出来る(そして支払いの絶対額も高くない)或る店を紹介することにした。   
 同時にまた、こういうことも言った: 「高い時計をしていることで相手と対等になれる、自分が一目置かれるという感覚は誤りである。近い世代どうしの間で自慢が出来るだけのことで、仕事上で関わる目上のキーパーソンの多くは、そんなものには目もくれないし、年下の人間のそういう持ち物を見てもさほど感心しないことであろう(これは業界にもよるであろうし、趣味人の世界でならばこれまた話は違って来るであろうが)。大事なことはお前がどれだけ勉強していて正確な知識を備えているか、投げかけられた課題に的確な解答を出せるか、為さねばならぬことをキッチリカッチリやり遂げて結果を出せるかである。少なくとも若いうちは飾り物は要らない、その飾り物を取ったら中味はカラッポ、評論家ではあっても実務は何も出来ないというのであれば、そんな人間は無価値である。ただし、清潔感だけは大事にして、そして、既にときどき演出不能に陥った感のある“誠実さ”を表情にたたえ続ける訓練をせよ」と忠告したのであった・・・いまの若い世代には納得しにくい部分もあったであろう。   
   
 この結果、彼にはボーナスをさほど消費させないことにはなったのであるが、かくして自分は、日本の消費低迷を後押ししたのであるなあと思い至ったのである・・・しかし、そこで反省などしない(笑)。   
   
 カネの使い方と言えば・・・今の(いや、もっと前からのであるが)親たちの、子育てに関してのカネの使い方には腑に落ちないところがいっぱいある。幼い子供にブランド物の衣類を着せる必要があるのかとか、高級飲食店に小学生まで連れてくる必要は無かろうにとか(「そういう例はリッチな親たちだけのこと」という意見もあるやも知れないが筆者にはそのようには見えない)、子供たちにスマホを持たせる必要もなかろうに家族全体でそんなに高額の通信料金を支払う家計構造はどうかしているとか、子供に高いスポーツ・シューズを買ってあげるにしてもそれを普段の遊びのときにも履かせて石ころを蹴飛ばして傷むのを惜しいとは思わぬのかとか、学校以外に塾に通わせているとはいうけれども放課後にコーヒーショップその他で友達どうしで一緒に宿題・勉強をするという習慣をなぜやめさせないのかとか(一緒に勉強をしても「出来る子」の側が得るものは何も無かろうし、「相対的に出来ない子」の側もまた塾でもっと上手に教えてもらったほうが効率がよろしかろう・・・そして、都会的な感覚からすれば、子供たちは学校を卒業するたびにまた新しい仲間と出会うから「いまの友達」や同窓会など結局はほぼ無意味になっていくのである)。また、子供たちの(勉強以外の)習い事が多すぎるのではないかとも筆者は思う・・・人は、そして子供たちは成長してから、誰もが輝く権利を持っているし、趣味も豊富なほどよろしいと思うけれども、才能に恵まれているなどのことがない限りは芸術やスポーツに熱中させ過ぎてその道に進ませてしまうことにならないよう注意する必要があると思う・・・筆者がそう思うのは「人間、いずれあの世からお迎えが来るまで手堅く生活を続けることが一番大事で、しかし、ごく平凡な(サラリーマンや商店経営者その他のような)職業選択の中でもわくわくすること、自分が輝けることがたくさんある、それでも十分ではないか。さほどの才能も無い人間が芸術やスポーツの世界で生きようと賭けに出ることは賢明でない」と思うからであろうなあ。   
 親たちがそういう無駄ガネ遣いみたいなことをしつつ、同時にまた、子育てに伴う自分たち自身の生活水準の低下も嫌がり、それがゆえに子育て支援の色々を社会に求めることに、筆者は大いに抵抗を覚えてしまう。   
   
 ただし、誤解の無いように言い添えれば、生活保護の制度と同様に、家計をどう工面しようにも絶対的に子育てが苦しいというケースに対しては然るべき対応がされるべきと思う。   
 また、ダイレクトに金銭で解決することに限らず、就業機会を逸しないで済むように保育所の整備にも行政は注力しなければならないと思うのであるが、これについては筆者、「家計支出におかしなところは無いのか? 離婚しているとかでなく、夫婦がそろっているケースで、子供が小さい時期、たとえば夫の側が就業している場合に妻もまたどうしてそれほど多くの時間を仕事に出たいと思うのか」という疑問も持つ。「そういう疑問を持つこと自体、感覚が古い、お話にならない」と言われてしまいそうだが、女性の側の、キャリアの中断を恐れる気持ちを理解しつつも、仕事からは完全リタイアして子育て専業主婦をしている女性を見ていると「人生と子供のこれからの成長をほんとうに見据えた生き方はどういうものなのか」と考えてしまうのである・・・子育てに縛られる女性はそれまでの学歴も仕事上のキャリアも犠牲にしているのであるという見解もあろうが、それはその種の見解を披露する人の言うことであって、そもそも生き方は人それぞれなのであるから、自問自答も経ずに他人の見解を真似ることだけは控えて欲しいと思うことがある。しかし、この問題は、いくら議論を重ねても、意見がひとつにまとまることはなかろう、でも、まとまらなくても、それもまた悪くない。   
   

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クラシカルな某

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