2017-08

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雑記


   
 或るとき、「YDKとはどういう意味か知っているか?」とクイズを出されたが知らなかった。電機メーカーのTDKなら知っているが、はて、ではAKBとかの類かと思いきや、「やれば出来る子」の略なのだそうだ・・・どこかの進学塾のキャッチフレーズのようだ。   
 筆者は、他の、違う意味の言葉・フレーズを以ってYDKと略すことこが出来ぬものかとしばし考えて2つのパターンを思いついた。   
   
 それから1週間ほどして、別の機会にまたしても「YDKとは何か知っているか?」と問われたので、すかさず「やたらダメな子」と答えた。不正解なのであるが、しかし、この不正解は「正解を知っているからこその、ジョークとしての誤答」というものである・・・ただし、あまり上等な答えでなく、子供の勉強の出来具合その他に悩んでいる人たちにとっては快くないジョークであるやも知れない。   
   
 ところで、筆者が考えたYDKのもうひとつは・・・「やめては どうか 介護保険制度」というものである。   
   
 介護保険制度は、筆者自身も親の介護で世話になっているのであるけれども、介護を受ける本人の月次の介護保険料負担の累計、ならびに利用サービスの1割負担などの合計負担と、利用サービスの9割給付の恩恵とを比べたときに、必ずしもうまくバランスしていないように思えて仕方ない。   
   
 このアンバランス感覚がなぜ筆者らに生まれるかというと、「介護は出来る限り家族・身内(同居であれ別世帯であれ)で済ませたい」という考え方のもとで介護に臨むからである。必要性・利便性、その方面の知識・技能による助けの有用性などもあるからホームヘルパーさんの利用もするし、介護用ベッドのレンタル利用などもする。   
 しかし、基本は家族による介護と考えている。本心から、積極的にそのように考えているのであるが、同時にまた、「あまりに手抜きの介護、デイサービスの多用などあれば近所からも親戚からも非難を浴びるかも知れないな」との思いもあることは否めないが、しかし、たとえば、「そのような非難をしてはいけません、まだまだそのような古い感覚が残っていますが、だからこそ介護に対する意識を変革し、介護保険によるサービスの一層の拡充が望まれますし、制度の充実と浸透によって女性を家庭・介護に縛りつけることなく社会進出しやすくしなくてはならないのです」的な意見に賛成する気にはなれない。女性もまた考え方や立ち位置はそれぞれなのであり、一律に「専業主婦=悪」、「介護や子供の世話に時間を費やすよりも外へ出て働くことが賢明」などと論じるのもおかしいことだろう。   
 レンタル制度のあるベッドだって車イスだって、必要に応じて介護を受ける本人なり家族なりが買ってしまえばよいのである・・・ああまで機能豊富なベッドである必要性は必ずしも無かろうから、それほど高額な出費になるとは限らない。高機能で高価なものを、レンタル料金の9割を保険制度で負担するから皆が安易にレンタルしてしまっているのではないか。   
 デイーサービスの類も、「家庭で入浴させるのは大変だし危険もあるし、それよりもこういうものを利用するほうがスマートであるかな」程度で利用する人もいれば、年寄りを厄介払いする本心を丸出しにして積極利用する人たちもいる。しかし、その積極利用ゆえに介護保険制度の財政は膨張し、また逼迫していくことであろう。特養ホームなどの利用にもそういうことが言えまいか。   
   
 家族介護について一定の信念があって、徹夜や、夜中に何度も起きても体力消耗したり集中力散漫になったりしない人にとって、家族での(自分自身での)介護はそれほどまでには苦しくなかろう(重病の、あるいは夜間徘徊癖の老人を介護するともなるとゆっくり風呂に入ることも出来なかったりして大変ではあろうが)。他方、たとえば修学旅行や社員旅行でも目にしたりするが、寝起きの悪い人、夜中のマージャンの音で目が覚めると不機嫌そうな顔をするような人たちは、ひょっとすると介護には多くの手助けを必要とするかも知れない。人間には両者のパターンがあることを考えると、「介護はこうすべき、これでいいんだよ」的なものは一律に描けないことを認めざるをえないが。   
   
 要介護度が高い人に配偶者その他の同居家族がいて一定の条件を満たす場合には介護手当なるものがその同居家族に支給されることになっているようで役所からの連絡も届くようなのであるが、父などは妻の介護に関して「俺みずからは介護らしいことは何もしていないもんな。こんなものを貰う筋合いではない」と言って受給申請をしない。筆者個人的には「べつに手当だと思わなくても、特養ホームなどに入れてしまわず家に置き、つまり介護保険財政を助けているのだからその謝礼的な払い戻しみたく思って受け取ればよいのではないか、夫婦二人して何か美味いものでも食べればよろしいではないか」と思ってそのようにも言ってみるのではあるが、しかし父にしてみると「筋の通らぬ、腑に落ちないカネなど受け取れるか」ということなのであろう。ゆえに、こういう介護手当なる制度も人によっては無意味でムダなものと感じてしまうものなのである。   
   
   
   
 健康保険制度に於いても似たような面があろう。   
 それぞれの健康保険組合などが財政難に悩んでいることを誰もが承知しているのに、しかし、「せっかく毎月のように健康保険料を負担しているのだから、何か体調不良を感じたら、或いは風邪をひいたと思ったら医院・病院に行かないと損、薬/処方箋も出してもらわないと損」と考えている人が案外と多い。たいていの疾病は自然治癒力で治るのであり、やたら不安を覚えてしまうくらいの病気・体調不良や、自分でうまく対処できぬと思えるケガのときだけ医師の世話になろうみたく心に決めている人は実はそう多くないように見受ける。そうした状況があるから健康保険制度の財政も逼迫してしまうのであろう。   
 「手遅れになってからでは遅いから念のため」との感覚も間違いではないのであるが、筆者などはそういう思いが生まれたとき「自分というものの価値を高く評価し過ぎるな、1億2000万人ほどの日本人のうちの1つの個体に過ぎぬ、命を落とすに至っても大したことではない。安易な受診が健康保険制度の負担増につながる・・・皆がそれをやれば“チリも積もれば”で大きな負担へとつながり、ひいては健康保険料の上昇へとつながるのだ」と自分を戒めることにしている。   
   
   
 介護保険にせよ健康保険制度にせよ、制度の大改革が必要のように思えてしまう。   
 (1)「手厚い保険給付を望む人」のための、保険料も割高な制度と、(2)「さほどの保険給付を望まない人」のための割安な保険料負担で済む制度と、そういう2つのものを用意して、各人の希望に応じてどちらか一方に加入させる形に改めるとか。   
 あるいは、前年などの保険給付実績に応じてそのあとの年度の保険料を割り引く制度にする等。   
 さもないと、「保険制度の財政に迷惑をかけたくないから」等の理由で医療機関を受診しない人、介護保険での介護サービスをまったく、あるいは少ししか利用しない人にとって不公平であろう。「自分は体力もあって健康面での不安も無いから健康保険制度そのものが不要だと思う」と主張する人もいるかも知れないが、それでも感染症やケガなどのリスクはあるのだし・・・そして、皆保険制度を完全否定してしまう主張は、現時点では通らないものと思える。   
   
 ただ、しかし、介護保険制度のほうについては、「老後の備えは現役世代のうちに」との常識に照らして、いっそ廃止してしまったほうが現役世代の負担も減って好ましいのではないかと個人的には思えてしまう。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 下のは、とうに現役を引退してしまったノート・パソコン。   
 処分するにあたって、バッテリーは別途の処分。HDDも別途に処分(こればかりは業者を信用せず、中味を物理的に破壊するのがいつもの習わし)。   
   


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クラシカルな某

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