2017-08

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雑記 - いろいろな、人生の選択・歩み・・・

   
 来春卒業予定の若者たちの就職内定獲得戦が、例年よりも順調に進んでいるように見える・・・。   
   
 知人の某さん(民間企業勤務)の息子さんもA社に内定した。その某さんとしては一応ホッとしているわけである・・・が、しかし、「一応」なのだなあ、この人にしてみると。   
 息子さんはA社のほかB社からも内定を得ていたが、結局はB社内定を辞退してA社を選ぶこととした。父親としてはB社に入社して欲しかったようだ。で、そういう不満というか、もっと的確に表現すれば「息子がA社を選んだことにイマイチ釈然としない、首を傾げたくなる気持ち」を筆者に吐露したのであった。   
 が、筆者はむしろ息子さんの選択に賛成したい・・・その理由をこう説明した: 「A社の事業内容つまり商売のタネ、ビジネスのタネは現在も魅力的であり永続性・将来性も見込まれる。会社に勢いもあるではないか。それに対してB社は名の通った会社と言えはするけれども、現時点で業界ナンバーワンでもないし、それはともかくとしても、ナンバーワンの座を奪取しようという気概が、少なくとも我々外部の人間に伝わって来ない。もしかしたらB社はつまらない会社だったりするかも知れない。働きながら興奮を得られるとすればA社のほうが魅力的ではあるまいか。尤も、責任をとるつもりでこういうコメントをしているわけではないけど。 あと、待遇・賃金カーブ、職場の実際の雰囲気とか、社内派閥、人材育成方針などなど、そういう点までは知らないけどさ」と・・・。某さんは黙って聞いていたが、少しは納得したようであった。   
 筆者はまた「A社は自己資本比率も高いなど財務内容もしっかりしているようであり、そういう面での安心感もある。B社は全然それに及ばないように見受ける」とも言った。そうしたら「自己資本比率とは何か」と訊かれたので説明する羽目になったが、親として、子の就職に口出しするとか見守る、最終的な承諾を与えるとかするなら、就職する企業についてその程度のことは把握しておくべきではないのだろうか? 筆者はたまたまそのA社の株式を買おうかどうか検討する際にちょっと細かく調べたことがあったので上のようなコメントをサッと言えたし、またB社の業績データなど数値面についてはその種のものをまとめた本が手近にあるからそれを見ながらコメントしたのであるが。   
 就職する本人=息子さんは、おそらく財務データ・決算書の類を、そして上場企業なのであるから有価証券報告書などに目を通していることと思いたい。   
 (ただし、親が子に対し、次のような思いを持っているなら上とは話は違って来るであろう、例えば: 「若いときの苦労は買ってでもしろ。無能な経営者と先輩たちのせいで借金漬けになっている会社、資金繰りも苦しい会社をこそ選べ。勉強することが山ほどあって自分を鍛えられるぞ。そういう会社をお前が変えていくんだ。その達成感はたぶん素晴らしいものとなるであろう。若いうちからイバラの道を歩むことを恐れるような臆病者であってはいけない」などと。)   
   
 しかし、某さんとしてはさらに、「理想を言えば、息子にはA社でもB社でもなく、公務員の道に進んで欲しかった」という思いもあるのであった。うーん、しかし、そういう次元のチョイスの問題となると、筆者としては上手なコメントを探すのが難しいと感じたのであった。   
   
   
 何だかんだ言っても、子には公務員になって欲しいと考える親は多いのだろう・・・。   
   
 筆者の或る知人は、某県出身で東京の大学に進学したが、親からは「卒業したら実家に戻れ。市役所に入れてもらえるように取り計らうし、それがイヤなら地元の民間企業の某社(地元ばかりでなく全国的にも有名)にだって入れるぞ」と命じられていた。彼は東京で暮らしていきたいと考え、親の意向に逆らって筆者と同じ会社に就職したのであった。親は怒ったそうだが、とは言え、親子関係が断絶するということも無かったようである。   
   
 「公務員採用に縁故・コネがあってよいのか?」と、多くの人は反感・怒りを持つであろうが、実は筆者、そういうことにそれほど大きな抵抗感を持っていないのである・・・と言うか、そのへんの問題に対して一種の感覚麻痺があるやも知れない(なお、筆者は公務員ではない)。   
 なぜ、筆者の問題意識は乏しいのか・・・それは次のような経験があるからだろう・・・。   
   
 筆者がまだ10代の頃のこと・・・同級生の母親は「(その同級生の兄であるところの)上の子については、知人に頼んで近隣自治体の某市役所に入れてもらった」と、むしろ誇っていた。「そういうルートを持っていること」を自慢し、かつまた、地元では「大地主」みたく見られていた家でもあったから「代々守ってきた土地を息子たちにきちんと継がせなくてはならない」という使命感を持っていた。それで、「民間企業に勤めさせて転勤などされては困る、近くの市や区の職員にさせて、うちから通ってもらわなくてはならない。民間企業で海外転勤などあって現地妻が出来たりしたらなお困る」などと言っていた(その話を聞いていて「現地妻」という個所で筆者が笑ってしまい、しかし筆者の母はきょとんと「?」な顔をしたことを今も覚えている)。   
   
 この、先祖から続く土地を子には守り続けてもらいたいという気持ちと、いろいろ考えてもやはり子には公務員になってもらうのが一番よろしかろうという判断などをおもんぱかると、縁故を活用してでも子を公務員にさせるという親の行動が、筆者には納得出来てしまう、いや、「納得」ではないな、許せてしまう、あるいは目くじら立てずに見逃してやってもよさそうな不正ではないのかと、そんなふうに感じられてしまうのである。   
   
 で、上のようなことやその他の似たような事例を聞くこともあったので、「世の中そういうこともありはするのだろう」的な感覚になってしまったのだろうな。勿論、大半の公務員の方々はきちんと真っ当な形で採用されているものと信じている。   
   
 子自身、つまり就職希望する本人が「どうしても公務員に」と、強くこだわる例もまたあるだろう。   
 中学時代の友人AとBがそうだった。大学4年のときに公務員採用試験に落ちても、次の年、大学を卒業していることを隠して学歴を高校卒業としてそれに対応する採用試験を受けて合格すればよいのである・・・「よいのである」という言い方は適当でないかも知れず違う言い回しを探すべきかも知れない、しばらく前にも或る自治体で過去の職員採用に関してそういうことが問題になったし・・・ま、ともかく、そのような受験については遅くとも昭和50年代にはよく知られていたことである。   
 Aは上のようなやり方を選んだようである・・・ただし、本人から直に聞いたわけではない。   
 Bも同様のことをしようとしていたが、うしろめたくなったようであり、結局は民間企業に就職した。が、Bの勤めていた会社はやがて経営がおかしくなってしまった・・・Bのその後の消息を筆者は知らない。   
 簡単に結論を下すことは出来ないが、Aの選択は正解というか、少なくとも大間違いだったようには見えない・・・外野からどうこう評するのも難しい問題であるか。   
   
   
   
 たまに連絡して来る大学時代の友人がいる。筆者に対して「学生時代には、俺も、お前みたくもっと遊んでおけばよかった」と、もう3度か4度か、それ以上も言われたことがある。   
 しかし、こちらは遊びほうけていたわけではない。彼とは入学直後に仲良くなって、履修科目選択など一緒に相談し合ったりしたのだが、彼は普通の授業科目以外にも、学校の先生になるための教職課程科目も履修する決断をしていた・・・筆者にも同様にするよう薦めてきたが、それについては筆者は首を横に振った。   
 筆者は「先生になりたいとは思わない。それに、そもそもそういう就職に関係して、教育委員会その他に口利きなどしてもらえるルートも無い。教職課程の勉強をしても意味が無い。そういうムダなことを、俺はしない」と言った。   
 彼は「(筆者の疑念について)そんなふうに考えているとは、信じられない」という意味のことを言った。   
   
 彼が、筆者のことを「遊んでいた」と感じてしまうのは、そういう履修科目数の差のことがまずあるのだが、ほかにはアルバイトの量・時間数の違いもまたある。彼はアルバイトというものを社会勉強と考え、あれこれの種類のアルバイトをしていた。対して筆者は「アルバイトをして、レコード(アナログ盤)を買いたいだけ買い、コンサートにも行き、酒を買っていろいろ飲みたい」と思い定めていたから極めて単純に、時間給の有利さを基準にして家庭教師と塾講師のアルバイトに限っていた。   
 「将来、教師になるつもりがない」と言った筆者がその種のアルバイトをしていることは彼には理解しにくかったかも知れない。また 彼には筆者が「楽をしている」と映ったことでもあろう。   
 おまけに、筆者は塾講師のアルバイトについてはわりと早くにやめてしまったので、それも彼には不思議に見えたかも知れない・・・塾講師の仕事は、声を出し続けて喉を痛めがちになるし(夏期講習におけるコマ連続は酷であった)、また、チョークで指先が荒れるという不満があったが、経営者でもある或る先生からあてがわれていた例年使用のオリジナル教材にたびたび誤りがあるので腹が立ち、「正誤表があるのならそれを下さい」と言ったら向こうとしては「ミスだらけの教材」と指摘されたようなものだから機嫌を損ねてしまい、ま、折り合いが悪くなったほどではないが、そのアルバイトをやめてしまったのだ。   
   
 そして2人とも大学4年になり・・・彼は結局は先生になれなかった。   
 あのガッカリ感が今に至るも残っているから「俺もお前のように遊んでおくんだった」と、彼は思うのではないか・・・彼から「遊んでいた」と見られ評されても、しかし、べつだん腹を立てない。   
   
   

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