2017-06

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雑記



   
 (↑)トウガラシの1品種。「へた」を除いての本体は8センチから10センチくらい。   
 日本各地で、こういうトウガラシ類のあれこれを用いての漬物や、あるいは味噌と合わせての調味料・和え物みたいなものが親しまれていると想像するが、自分もそれを真似たものをこしらえてみようと思った。   
 また、このトウガラシを使えば「ゆずこしょう」っぽいもの、タバスコ・ソースみたいなものを自製することも可能ではないかと想像するが、ま、しかし、それらが必要ならば市販されているものを買うほうが手軽であろうからそういう挑戦をしてみるまでの気には今のところならない。
   
 だけど、そうして何かを作っても、こればかりはあまりに辛いため筆者だけが喜々としてつまむだけ(調理作業中などに)ということになるであろうなあ。   
   
 背景に写っているのはペットボトル入り麦茶のダンボール・ケース。調理作業をし始めると酒類に手がのびてしまうことが以前からあって、これはどうもよろしくないと思うのだ。時間帯的に夕刻以降である限り問題ないのだと思いつつ、しかし、いくばくかの罪悪感・うしろめたさを感じてしまう・・・というわけで、調理作業が終わるまでは、この夏にずいぶん好きになってしまった麦茶を今後も愛飲するべく「まとめ買い」した。麦茶よりも麦酒のほうが嬉しいのだけど。   
   
   
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 セルがクルマ好きでメカにも詳しかったことは知られている(キャデラックを運転して自宅と仕事場=セヴァランス・ホールとを往復していた、昼食は自宅でとるため1日2往復)。   
 ワインに詳しく、また食べることも好きであったし、そして自ら料理することもあった。アメリカで、音楽関係の資金集めのため数々の音楽家がそれぞれのお得意料理・お気に入り料理のレシピを紹介する冊子が発行されることがあったが(有料頒布)、その企画にはセルも協力し、グラーシュ(グーラッシュ、グヤーシュ)のレシピを寄せた。   
   
 どなたであったか、日本人の音楽関係者でセルの自宅にも訪れたことある方がいて、夫人は「(夫の)ジョージが料理を始めると大変で、キッチンは戦場のごとくになってしまう」という趣旨のことを言ったそうだ。たぶん、使った調理器具、食材・調味料・ソースをのせるなどした皿・カップなどが、料理が出来上がる頃になっても散らかったままで、調理と後始末との同時進行ということは出来なかった、または、そもそもそうしようとする意図が無かったのではないか・・・ま、そういう調理シーンのほうが、或る意味では男らしく豪快で、料理も美味そうな予感を与えてくれそうではあるが。   
   
   
   
 男が調理をする場合に見受けられがちな欠点・難点にはこんなことがあると聞いたことがある・・・1)道具・調理器具・食器などをあれもこれもと使いすぎ、そして散らかす、2)しかも、それらの後片付けに興味ナシの様子もあったりする、3)何かのレシピを参考にして調理する場合に、そこに示されている食材などをキッチリ揃えたがり、食材に余りが出てもそれを無駄なく活用し尽くせるかまで考慮しない、4)調味料などの分量・比率をレシピどおりきちんと守りすぎて融通が効かない・・・などなど。   
   
 そうかなあ? 筆者の場合、いずれも当てはまらない。   
 一例をあげると、レシピを参考にしたとき「大さじ1杯」、「小さじ1杯」などとあっても、それら大さじ・小さじを使わないし・・・「頭のなかにそれらを思い描きながら、目分量で“こんなものかな”」である。まれに、慎重を期して目の前にそういう「さじ」を置いてちらと目をやることもあるが、「さじ」を汚すと洗う手間が増えるわけだからやはり使わない(笑)。だいたい、レシピを書いた側がキッコーマン丸大豆醤油(こいくち)、タカラ本みりんなど利用しているとしても、レシピを参考にしつつ調理する側はヤマサ醤油やヒゲタ醤油や、いろいろのローカル銘柄の醤油を使っているかも知れない。みりんでも似たようなことはあろう・・・いろいろの調味料をレシピどおりに用いたとしても、はて「カリスマ料理人」と同じ味を再現できているかどうか分かったものではないのでは? 結局、こちらはアバウトに調味料投入しつつ、自分の舌を信じるなり食べる人の嗜好を思い描くなりしつつ「これでいいんじゃないかい?」と自分なりの納得をして調理するのが正解ではあるまいか。加えて、客から代金を頂戴して料理を供するわけではないのだから、「100点満点」の出来でなくても落ち込む必要は無いのである。   
   
 親の介護の関係では時間的に手の回らないもの、体力的に「ちょっとしんどいな」的な作業などあったりするからホームヘルパーさんのサービスも活用している。先日は或るヘルパーさんが筆者の調理作業を目にすることがあって「(作業が)速い。あたしもかなり速いほうだけど、それよりも速い」と言った。父に言わせると、筆者の調理の様子は「食べものを作ろうっていうのに泡をくってやっていて楽しいか? どうしてそんなに」なもので、ま、ともかく自分は速いと自信を持って言える。   
 父はまた、筆者の料理したものを評して「いい加減に作ってるのに、ちゃんと美味しいんだな」と言ったりする・・・褒めるような表情はまったくせずに不思議そうな顔をして。父の世代は「男子、厨房に入るべからず」で、その母親や妻のする調理の様子をごく断片的にしか目にしていないのであろう、昔、父が気まぐれで調理する様子を見ていたら、どんな場合でもガスレンジの火力は弱火なのである・・・「料理とは弱火でコトコト煮るもの」という感覚で生きているのではないかとも思われる。そうして今、筆者が調理しているときにその様子を見にやって来ると、中火や強火のときが勿論あるから、父の目には「乱暴な料理の仕方だ」と映るのではないか。また、さきほど述べたような、筆者の目分量的調味もよく目にしている。さらに、筆者、まな板を洗っている最中などに独り言で「衛生第一、安全第一、味は二の次、三の次」と、ボソッと独り言することがある・・・そういうときに限って父がすぐそばに寄って来たりしているのだなあ・・・「なぜに味を第一とせぬのか?」と、味・出来栄えへの不安・疑念など芽生えるのではあるまいか。   
   
 さて、しかし・・・さきほどのヘルパーさんには、もっと違う点を見て欲しかった。どうやらヘルパーさんによって、水道栓(レバー)の扱いの丁寧さ・乱暴さ、洗面台の周囲やその前面の床に水などを飛ばすかどうか、その他、作業上のソツの無さみたいなことに大きな差がある。この日にも来たヘルパーさんはそのへんがちょっと乱暴で大雑把なのだなあ。   
 筆者の調理作業は確かに速いが、どんなときでも水道栓は、手早くながらもやさしく開け閉めする。また、洗う作業などあるとき、たとえ水を太く流していても、また、大きな鍋・皿を洗っていようとも、周囲に水をはね飛ばしてしまうことは滅多に無い。ついでながら、とき玉子をつくるときも、食事場面と同様、速くても静粛に、箸を器に当てて音を発してしまうことがあれば心の中で「しまった!」と舌打する(食事というものは、もし仮に会話もテレビ視聴も同時に為されていないのであれば、通夜の場でも通用するような静けさのなかで進行すべきものである・・・「食べものを口にする行為」自体に関しては)。物事をスピーディに処理するとは、そのようなデリカシーや注意・心配りも伴うべきものと考えて生きているのだ。そういう、丁寧さ、水はねさせないこと等、このヘルパーさんには(介護作業との関連という形にて)気づいて欲しかったのであるが・・・。   
   
   
   
 土曜、親たちの昼食は中華まん(肉まん/豚まん)を用いて楽をすることにした。そして、味噌汁などを添えた・・・「えっ? そういう場合は味噌汁でなく中華風わかめスープとかが良いのでは?」という意見もあろうけど、すべて中華系の食べもので固めるのは、 セ ン カ ク 問題の進展が不透明な現状に照らし、あまりに日本人としての誇りが無さ過ぎるというものだ、よろしくない。   
   
 日曜の昼食は「何か、簡単でも手作りのものを」と思い、干しシイタケで出汁をとったうえ、ベビー・ホタテ(既にボイル済みの商品)を、おひたしの残りのコマツナとともにさっと煮た(もちろん干しシイタケも一緒に煮た)・・・ホタテは、煮る時間が長めになったとしても食感への影響はさほどでないと思う。出汁をとる時間は別として、実に簡単に過ぎるが。   
   


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