2017-05

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Despite that it is one month ahead of 立冬



   
 ビール系飲料で「冬○○」と名付けられたものが幾つか発売されるような、そんな季節になった・・・暦のうえでは、そして体感的にも、冬はまだまだ先なのだけど。   
   
 上の写真の一番左のはそういう商品のひとつ。味わいがかなり薄いと感じるものの、しかし、「爽やかなうえ、よく言えば上品でもある」と評したいところがある・・・風味や喉越しなどについてのトータルなまとまり・仕上がりに上手さを感じるからだろうか、味わいが淡くとも「うむ、いいよね」と言いたくなる。   
   
 お遊び感覚でいろいろなビール系飲料を飲み続けるようになってしまった自分であるが、写真の真ん中のようなものも特に「ありふれたものは飽きた」などと思わずにしっかり飲むさ(このところ最も飲んでいないメジャー商品は「スパドラ」と「一番搾り」であるような気がする)。   
   
 一番右端のは輸入ビールで、以前にも紹介したことあるような気がするが、この苦味の加減と表情が好きだなあ・・・日本での値段もかなり安く、「価格面の理由から発泡酒、第三のビールなどにしか目が向かない・手を出さない」という人にも是非とも試していただきたい品・・・ただ、「俺にとっては、これ、苦えよ」という感想も十分にありうる。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 先日、はるさめ(春雨=食材)、鶏がらスープの素をたずさえ、そして途中で生ワカメや鶏モモ肉などを買って親のところへ出向いた。  
   
 親のところで夕食を作ろうとしたその日、冷蔵庫その他にどんな食材があるのかをあらかじめ電話確認したら「土産物でいただいた甘エビが、一昨日に食べきれずにまだ結構残っている」と聞かされた。鮮度的に、まだ刺身の状態で食べさせて大丈夫なものか微妙なところかなあと思った・・・それが可能ならば一品ぶん楽チンになるけれども、しかし、胃腸の具合でも悪くされたらイヤだし、かと言って処分するのはもったいなかろう。そこで、加熱調理しようと考えた。甘エビからの出汁(だし)を活かした味噌汁の風味が思い浮かんだのではあるが、なぜか、それを作ろうという気にはならなかった。   
   
 「はるさめ」を湯戻し。甘エビは頭、脚、殻、尾を取り去ってそれにて「出汁とり」の真似事・・・その汁と鶏がらスープの素、しょうゆ、塩にてスープを作った・・・「美味い」とも「何かおかしな味バランス」とも、どっちつかずのスープになったが、ミックスしてしまったものは一種、「覆水盆に返らず」だな・・・自分で勝手に「時間切れ」宣言。甘エビの身の部分、ワカメ、余りもののレタスを具とした「はるさめスープ」を作った(なお、言うまでもないが、甘エビ、レタスは加熱調理で食感・風味は変化する)。   
   
   
 途中で買って行った鶏肉は別の料理に使ったのであるが・・・。   
 鶏肉を適当なサイズに刻んだものを、まな板から皿に移すのでなくアルミホイルに載せた。筆者、包丁・まな板の衛生も気になるし、生肉が触れたものをきちんと洗うことも厭わない。でも、生肉を載せた皿を洗うくらいなら、皿を使うのでなくラップに載せてそのラップをあとで捨てるのが簡便で、(水道水も使わないので)環境にやさしい・経済的でもあると考えている。で、ラップを使おうと思ったのであるが、それの残りが少なくなっていた・・・ラップとアルミホイルとで代替利用可能なシーンでは、余り・在庫に余裕のある方を使うのが良かろうと思ったまでのこと。   
   
 現在高齢の世代にある人たちには珍しくないことと聞くが、父は、今日に於けるラップ、アルミホイル、菓子その他の個装紙などの使われ方・使い捨てにわりと抵抗感を持っている(ムダ、勿体無い、という感覚がある・・・これに対して筆者などはアメリカのような大量生産・大量消費を「使い捨て文化」と解釈・曲解しつつ「使い捨てが文化的・先進的」と考えて育ってしまっている)。手持ち無沙汰で台所にやって来た父は、筆者が鶏肉をアルミホイルに載せているものだからその様子をまじまじと見ていた。    
 鶏肉は、野菜その他と一緒に煮た。煮汁は日本酒、味噌、しょうゆ、砂糖・・・もちろん水もだが。落し蓋する必要も無かろうが、ここでアルミホイルで「即席落し蓋」をこしらえてかぶせた。その様子も父は見ていた。しばらくして、その落し蓋については箸でつまみつつクシャッと潰してゴミ入れへ無造作に捨てた。父は何か言うかと思ったが、何も言わなかったな。   
   
 いつの間にか、父は冷蔵庫の片づけをしていた。紙パック(1リットル)に残った牛乳を捨てて、その紙パックの中を水道水で洗おうとした。   
 「それはこれまで“燃えるゴミ”として捨てて来たんじゃない? どうせ燃やして処分されるのだから洗うだけ手間と水のムダになるよ。臭い予防のために“一度洗い”するくらいならともかく・・・。紙パックの横面をひとさし指の表側のこの関節で押さえて滑らせてこうやれば数秒でペチャンコに折りたためるからそれをゴミ箱に捨てれば、水洗いするよりも速くに事が済む」と説明した。   
 父は「これは、良い紙資源になるらしい」と言った・・・テレビか何かで再認識させられたのであろう。  
 筆者は、「たとえそうでも、それだけを分けて自分でゴミ置き場に持っていく気は無いんでしょ? 牛乳なんて1か月に1本か2本しか飲んでないんじゃないの? 牛乳の紙パックのゴミなど大して出るわけでないし、わざわざ水洗いしてもあまり意味があるようには思えないけど」と言った。   
 かくて、無事に(?)紙パックは可燃ゴミのゴミ箱へ・・・。   
   
 年寄りの「仕事」を失くしたり奪ってはいけないと聞くから、上のようなことを言ってはイケナイな・・・。   
    
 ただ、筆者自身のところでも、牛乳の紙パックはまったくリサイクル・ゴミとしていない・・・可燃ゴミに紛れ込ませる。   
 基本的にダンボール、新聞紙、雑誌、広告チラシといった資源ゴミは筆者が束ねることをしているが、「同様に紙系ゴミだから」ということで牛乳紙パックまで何かするのは御免だと思っている・・・「そんなもの、可燃ゴミに含めてしまえ」ということになっている。   
 昔、友人のお父さんだかお爺さんは「牛乳というものは、あれは牛の赤ちゃんが育つのに都合よく出来ているものなのだ。人間にとって都合良いものかどうか、また、都合悪いものが一切含まれていないのか、分かりはしない。だから俺は飲まない」と言っていたそうで、その当時、花粉症(当時はアレルギー性鼻炎と呼ばれた)に悩まされていた筆者は、花粉症の原因は牛乳摂取に有りとの俗説を耳にしていたこともあって、上の“俺は牛乳を飲まないポリシー”に感銘を受けた・・・そして筆者も牛乳を断つことにした・・・様々な偶然が重なったであろうが、何年かして花粉症は軽くなり、そのうち治ってしまった。その後、やがて牛乳を再び口にするようにはなったが、でも、「習慣的に飲む」という状況にはなっていない。だから牛乳の紙パックの分別には関心が無い。   
   
 ティッシュペーパーの紙箱も可燃ゴミの中。一度、「紙箱の内側から貼られているビニールは剥がしたうえで資源ゴミに出すべきなのか、それとも剥がさなくてもよいのか・・・電話で訊いてみようかしら」と言われたことがあるが、ああいうものもまた「同様に紙系ゴミだから」と、こちらが整理することになったりすれば困る(笑)。・・・ゆえに「いちいち電話で確認せずとも、ああいうものも可燃ゴミの中でよかろうに」ということになっているのだ。   
   

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