2017-10

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人の感覚いろいろ(その4)



   
 (↑)今や、ついに市民権を得たばかりか超有名にもなったイカスミと魚介類を具にしたワンタン。外側が緑色したものはワンタンの皮にニラとターサイが練り込まれている。   
   
   
 ・・・というのはやっぱり嘘で、「生八ッ橋」。   
 八ッ橋の類についてはずっと前のこと、「本家西尾八ッ橋のを食べてみよ」と言われたことあるのだが、いまだに食べる機会を得られずにいる。   
 尤も筆者は甘党でないから、真剣にその機会を見つけようとは思っていないのだけど。   
   
 夜遅くにビールを飲んでいて、つまみに生八ッ橋に手を伸ばしたらミスマッチであった。この場合、組み合わせた自分がいけないのであって、ビールにも菓子にも責任は無い。  
   
 口にしたビールはアサヒの「ザ・エクストラ」350ミリリットル缶。特別限定醸造との表記がされている。   
 麦芽100パーセントのタイプのビールで、缶に印刷された説明には「最高級濃度のコク」、「アルコール度数 6.5 パーセント」、「良質なアロマホップ」等の言葉が見られる。甘い菓子と一緒に飲んでいたのでビールをきちんと味わえたか自分でも心許ないのであるが、このビールの味わいは、ちょっと不思議なものに思えた。   
 こちらとしては、麦芽100パーセントのタイプということで当然のように生じてしまう或る種・或るラインの期待がある・・・しかし、アサヒが提案する風味は大体の場合に於いて筆者の求めるものと違うのだということを失念していたから飲んでみて戸惑った。ホップのせいなのか、アルコール度数のせいなのか、表現しにくい独特のキレ感と清涼感を伴っているように感じたのだが、このキレ感や清涼感が、悪く言えば「ビール全体が水っぽい」ような印象すら与える瞬間が確かにあった・・・筆者個人の感想に過ぎないが。ゆえに不満も感じたわけであるが、しかし、麦芽感はそれなりにあって「悪くないかな」とも。トータルで「何とも不思議なビール」と映った。美味いかどうかと問われれば「美味い」。でも、何か余計な、ケチをつける言葉を発したくなるような、自分を落ち着かない気分にさせるビールである。無条件に「お、美味い!」と言ってしまいたくない気分にさせる何かがある・・・ビールを口にふくむたび、何か心地悪いキャッチボールを繰り返しているような感じがしたのであった。(以上、もちろん個人的な感想である。)   
   
 ビールを飲み終えたあと、今度はお湯割りした麦焼酎に替えたら、うむ、この菓子とわりと合うように感じられた。甘いものをそれほど続けては食べられないので、すぐあとには漬物などをつまんで飲んだが・・・。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 このところ夜はしばしば親世帯に出向き、介護の関係で徹夜または半睡状態で過ごす時間が多い。   
 音楽を聴こうと思えばそれが可能な時間があるにはある・・・でも、気分は音楽鑑賞になかなか向かわない。また、ヘッドホン、インナーホンなどで聴くのを長年にわたって嫌ってきた自分にとっては、それらで音楽鑑賞することは実に心地悪くもあるのだ。しばらく前のこと、夜中にヘッドホンで聴いていたら、親がこちらに声を掛けていることにすぐには気づかなかった・・・気をつけたい(持ち帰り仕事を処理したり、ブログ記事などをしたためているのがどうも向いていそうだ)。   
 パイネマン/セル/クリーヴランド管によるブラームスのコンチェルトのライヴ音源があって、それはエア・チェック音源であるため音質的に残念なものがあるのだが、以前スピーカーで聴いていて「あれ? ひょっとして左右チャンネル音が逆かなあ」と思ったことがある・・・それをヘッドホンで確認しておきたいと思ったのだが、そんなことすら果たせずにいる。   
 グレン・グールドが残したレコーディングを、或る理由から意識的に聴かなくなってしまったのであるが、このほどソニー・レーベルからリリースされた新商品ラインナップを目にしたら我慢できなくなってブラームス、ギボンズ、バッハのものなどを再度(というか3度目かそれ以上かな)買い求めることになった・・・まだ聴き直していない。グールドの、人気も高いモーツァルトについては、昔から好んだり遠ざけてみたりを幾度も繰り返した末に、今現在、あの演奏にはやはり寄り添えないだろうなあ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 「埼玉」、「名古屋」、「卓球」。   

 ・・・相互に無関係であるかに見えて、しかし、共通点がある。タレントのタモリ氏によってマイナス・イメージが与えられてしまったであろう過去。これは、過日のロンドン・オリンピックでの卓球の試合を見ていて思ったこと。   
   
   
 昔、筆者は愛知とか名古屋とかについては「両口屋是清」の和菓子から勝手に膨らめてしまった独特のイメージを持っていた・・・それは「憧れ」などとはちっとも違うのだけれども、しかし、かなり良いイメージ。   
   
 それが、タモリ氏の言葉によってイメージは変化し、自分のなかの「名古屋」像は歪み、きしんでしまった。   
 今だって、拠点責任者会議の場などに名古屋の、わりと素敵な女性が参加して来ると、「この人も自宅などでは“海老フリャア”などと喋っているのかなあ」と、どうでもいいようなことをついつい考えてしまうのである・・・もちろん、そんなことなど当人の人間性とは関係も無いのだけど・・・こういう雑念をどうすればいいのかな。   
   
 「尾張小牧」ナンバーのクルマを目にすると「何かいいよな」と思う。「尾張」に風格がある一方、「小牧」という地名が帯びる「音」的な軽み・・・そのコンビネーションがよいと、筆者は感じるのだ。これは勿論、関東育ちの自分が感じることであり、でも、しかし、小牧については仕事上そのほかで全く縁が無いわけでもない。筆者とはまったく異なる意見があるかも知れないが、でも、「尾張小牧」というのは、何か、よいのだよなあ。   
   


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