2017-05

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エリンギで稟議、デロンギで論議

   
 (↑)ダジャレのためのダジャレに過ぎない。キノコ栽培会社の商品開発関係の決裁手続やら、某社福利厚生施設の暖房設備更新の話題ではない。   
   
   
 「食べもの」は、多くの場合に「他の生命を奪うこと」と結びついている・・・たとえば豚肉もサンマも大根も。   
   
 ・・・と、ここで、食事の前に「いただきます」なる言葉を発することの意味あいを考えてみようなどと書くつもりは無い。   
   
 子供の頃、ボンヤリとだけど、「肉よりも魚を好む自分は殺生係数(せっしょう けいすう)が高いよな」と思ったことがある。いや、「殺生係数」という言葉を思いついたのは高校生くらいのときだけど、それより前の子供の頃にこう思ったことがある:   
   
  
 「豚でも牛でも1頭の命を犠牲にして得られる肉は何人ぶんもの食事になる。それに比べて魚の場合はアジ1尾で人間ひとりぶんだよなー・・・味噌汁の出汁のための煮干しで犠牲になっている命の個数は? ご飯にかける“ちりめん”は幾つぶんの命の集まりか?」   
   
 もっとも、それで胸を痛めたわけでもないし、マグロ、(魚ではないが)クジラ、あるいはブリ、サケなど考えれば、1尾/1頭から得られる食糧は必ずしも少量でないなと、そう思い直したが。   
   
   
 あっ、「殺生係数」なる妙な言葉の意味を説明するのを怠ったが、「おおむねどんな発想か」は分かってもらえることと思う・・・ただ、誰彼に対して「これを意識して日々を暮らせ」と説くつもりは無いし、そもそも筆者自身がそういうことを思うのは年に数回のことだけであるし・・・そして、牛1頭とクジラ1頭とを比べたときの捕鯨の合理性を説明できぬものかと思ったりもしているくらいだし。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 コノシロ/コハダ/シンコ・・・それに、ママカリなども好物である。   
 コハダと称して(総括して?)売られているものは、旬・サイズなど意識しつつ「好み」「こだわり」に従って食するのが良いのだろうが、「あまりにデカイよな、いつ獲れたものなんだ? 味は?」と思えるようなものでも、ともかく、既に酢漬け/酢じめされたものを、さらにテキトーに少しばかりの砂糖を加えた酢(米酢がベター)を用意してそれにしばらく浸したあと適当なサイズにカットしたうえ、たとえばスライスしたタマネギなどの上に盛っても魅力的な「おかず」のひとつに仕上げられる・・・と感じている(ただし、筆者個人はこの場合にタマネギ不要だが)。   
 新聞(日経)に連載されている小泉武夫先生の直近のエッセイもコハダのほか、マアジ、マコガレイなどに関わるものであった。偶然であるが、筆者も親のためにコハダを買ったところであった・・・風味・食感によるリフレッシュを願って。   
   


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