2017-05

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雑記

   
 スポーツをテレビ観戦するにあたって筆者はかなり淡々としているかな。個人競技でもチーム競技でも「誰を応援する」とか「どのチームを応援する」という感情があまり湧かない。しかし、どのチームのどの選手についても「ほー、上手いもんだなあ」、「うはっ、凄いなあ」などと感心することはちゃんとある・・・こういう態度を自己弁護すれば、冷めているのでなく、むしろ、誰彼と差別することなく公平に応援・観戦しているということになろうか。「手に汗握る」ということが無いので心臓にもやさしいか(笑)   
   
 テレビ中継・・・サッカーの試合でもよい、あるいはオリンピックの諸々の競技でもよい、いずれにせよ感じるのはアナウンサーの喋りについて「うるさいなあ。そんなに精出して感情表出しなくても」ということ。サッカーでゴールめがけてのシュートが「決まった」ときの騒ぎよう、あるいは攻め込まれたときや敗れたときの断末魔のような嘆きっぷりなどには呆れることしばしば・・・。   
   
 会場で観戦する人も、テレビ観戦する人も、それぞれがそれぞれのモードで興奮すればよろしいではないか。優れたプレーや賞賛されるべき精神力などなどはそれ自体で底力あるエネルギーを放ち、おのずと観る者の感動・感銘を呼ぶものと思っているが違うか?   
 アナウンサーは必要な範囲で状況を冷静に伝えればよいと思うし、あるいは裏話・エピソードなどをタイミングを見計らいつつ上手に紹介してくれれば好ましい・・・アナウンサーはそういう介在の仕方をして欲しく思うし、同時にまた、こちらとしてはアナウンサーの感情起伏を鑑賞したいとはちっとも思わない。   
 しかし、現状、少なからぬ場合においてアナウンサーは「興奮の押し付け」もしくは「盛り上げの演出」、「アナウンサー自身の感興の披歴」などを行っているように感じられて仕方ない。今回のオリンピックでも、アナウンサーの喋りをうるさく感じてテレビを消してしまったことが複数回あった。   
   
 さて、ここでさらに、たとえばフェンシングの実況中継はどうあって欲しいとか、また、仮に剣道がオリンピック競技種目になった場合に「こんな実況中継アナウンサーは御免だ」とか、書いてみたいことは色々あるのだけど、よしておこう。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 (以下は、マンガ「そばもん」の単行本第9巻を読んでいない方にはチンプンカンプンな話となります。また、同書を読んだ方にとっても、少しも有意義な話ではありません・笑)   
   
   
 こんな空想をしてみよう・・・。   
   
 或るとき、新しくラーメン店が出来た。   
 店主の確信とポリシーはこうであった・・・「ラーメンと言えば醤油スープに決まっている。これ以外ありえない。ゆえにメニューは“ラーメン”一本。うちのは麺もスープも絶品なので、正直なところ具など何も乗せたくないが、ま、それでは寂しいからネギとメンマだけはトッピングすることにしよう」。   
   
 店は繁盛した。お昼時や、そしてまた夕刻を過ぎたあたりには次から次へと客が押し寄せた。   
 だから調理スタッフも増員した。店主自身は(仕込みも勿論するが)営業時間中は主として麺を茹でる役割に特化するようになった。他のスタッフは、客に水をサービスすると同時に注文を聞いてそれを調理場に伝えたり会計をしたりする係、ドンブリを用意する係、ドンブリにスープを注いで(そこへ店主によって麺が投入されたら)ネギとメンマを乗せる係、洗い物をする係、などの役割を分担した。   
   
 メニューは“ラーメン”しかないのだから、客の注文が調理場に伝えられるときの言葉は単純明快、「1杯でーす」とか「2杯お願いしまーす」とか・・・。   
   
   
 やがて「チャーシュー麺も食べたいな」と言い出す客が現れるようになった。店主は了解し、チャーシュー作りを研究した末にメニューに加えた。   
   
 すると当然ながら、客からの注文が調理場に伝えられるとき、たとえば「ラーメン2杯、チャーシュー麺1杯」などというセリフも響くようになった。   
   
 ふと、店主は思った・・・「なんか面白くないんだよな。てか、あのセリフがうざったい。それが問題だ」。   
 「うちはラーメン屋なんだよ。出すものはラーメンに決まってる。客の注文を調理場に伝えるのにいちいち“ラーメン”なんてセリフ、まだるっこい。それに、麺を茹でる俺としては合計何杯ぶんの麺を茹でなくてはいけないかをパッと知りたい。普通のラーメン2杯とチャーシュー麺1杯とで合計3杯なんてすぐ計算できるけどさ、その3杯というのを、注文が伝えられた瞬間に映像として頭のなかに思い描きたいんだよね。せっかちな俺にはコンマ何秒のロスすら無駄に思えてしまう。ドンブリを用意するスタッフもたぶん同じ思いだろうよ」。   
   
 その結果、ラーメン2杯とチャーシュー麺1杯という注文は、「チャーシューがひとつ付いて合計で3杯」という符丁で調理場に伝えられるルールが出来上がった。   
 この言葉が調理場に伝えられるや、具をトッピングする係りはチャーシューを(一人ぶんの)5枚カットする作業に取り掛かった。そして勿論、ドンブリは素早く3つ並べられ、店主はおもむろに3杯ぶんの麺を茹で始めた。   
   
 しかし、注文を調理場に伝える係のほうもまた思うところがあり、ほどなくして「チャーシューがひとつ付いて合計で3杯」というセリフは短縮されて「チャーシューが付いて3杯」という、ごくシンプルなものとなった。   
   
 ただ、ラーメン3杯とチャーシュー麺2杯という注文の場合には、「チャーシューが付いて」ではなく「チャーシューがふたつ付いて」というように「2杯」の旨が伝えられたこと当然である・・・つまり「チャーシューがふたつ付いて5杯」という具合。   
 しかし、これもやはり何だかまだるっこいと、皆が感じるようになった。そして、何がきっかけであったかハッキリしないが「ふたつ付いて」は「交じって/混じって」という言葉で表すルールが出来た・・・「チャーシューが交じって5杯」。   
   
 ラーメンといえば醤油ラーメン、という店主の信念はやがて変容した。塩ラーメン、味噌ラーメン、タン麺など、色々なメニューが揃うようになった。   
 もはや、「2杯お願いしまーす」では何を2杯なのか判然としないし、「チャーシューが付いて3杯」などのセリフでも同様だ。かと言って「醤油チャーシュー麺1杯に、塩が2杯」というセリフで調理場に伝えれば、かつて店主が思ったように「瞬時にして合計3杯だと思い描くこと」が出来にくい。   
 試行錯誤の末、たとえば塩ラーメン2杯と醤油チャーシュー麺1杯という注文は、「醤油チャーシューが付いて3杯塩で」と表現されることに落ち着いた。部外者から見れば「そりゃ何だか変だよ、おかしいよ。塩ラーメンについては3杯の注文を受けているって勘違いするよね」などと感じられるところではあるが、しかし現実には、このセリフが響いた瞬間、調理場ではあっという間にドンブリが3つ並び、そのうち1つのドンブリには醤油スープが注がれて残りの2つには塩スープが注がれて・・・といった具合に正確に作業が進むのだからちょっと不思議である。しかし、注文合計数/ドンブリ数が端的に表現されることで作業着手しやすそうだなとは、ちょっとだけ思う。   
   
   
 ・・・以上、架空の話である。   
 過日に紹介したマンガの「そばもん」第9巻にあった「通し言葉」の話には首をひねった・・・「ついて/つき」や「まじって/まじり」の言葉のあとに注文合計数を持ってくるのは何故なのだろう、それで本当に調理場スタッフはサッと動けるのだろうか等。   
 通し言葉が完成されるまでの正しい経緯について、不勉強な筆者には知識が無い。   
   


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