2017-05

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「のだカン」とは、決して「のだよカンタービレ」の意味ではあるまい・・・

   
 「のだカン」なる略語が生まれたのは偶然のことでないかも知れない・・・野田佳彦氏が菅直人氏のあとを継ぐことになるであろうと、いわば「神の啓示」として、そして一般世俗の人をして誕生せしめた略語ではあるまいか。   
   
 さて、野田首相が願ったとおりには事は運ばず、小沢氏は新党結成へと動いた。その政党名を「長いよなあ」と感じた人は多い筈。政党名に字数制限は無いのか? だとすれば落語の「寿限無」のような長いネーミングも許されるのかな・・・そのままマニフェストになってしまいそうな政党名とか。   
   
 新党の名称を耳にしたとき、ふと頭の中に「国民の生活が 第 一 興 商 カ ラ オ ケ」というシャレが思い浮かんだ・・・大した意味をこじつけることも出来ないが、「苦労、くすぶり、不安に満ちた、今の国民の日常生活ではあるけれども、時にカラオケを楽しんだりすると、潤い・余裕・トキメキ・カタルシスなどを得られたりするではないか!」くらいの意味になるかな。   
   
   
 しかし、これまでのところも、そして今後も「のだよ(野田佳彦)カンタービレ」のように「カンタービレ」を付けることは似合わないように思える。今後については「のだよズモルツァンド」となるかどうかと・・・。   
   
   
 長めの政党名とするならいっそ、たとえばの話、「国民の生活が第一、○○は当面棚上げ、××は二の次、三の次」の如くにしてくれたほうが、考えていることが分かりやすいのだが。   
 この新党は、選挙の神様が実力発揮して、いずれは大躍進するのだろうか。また、その暁には、再びの「中国詣で」を実施するのだろうか・・・そういう具合に関心の先が脇にズレてしまうのは何故なのか、自分でもよく分からない。   
   
   
 ところで、あの「3.11」の地震・津波を某都知事は「天罰」と評して批判を浴びた。   
  
 しかし、あの災害はもしかすると「民主党が政権を得て政治運営していけるものか否か」に関わる試練として、神が課したもの、また同時に何かの啓示であるやも知れない・・・という気がしないでもない。   
 鳩山元首相は国連気候変動サミットの場にて温室効果ガス排出量25パーセント削減目標を口にし、経済界・産業界・国民を唖然とさせた。このとき神はこう思ったかも知れない:「そんな大事なことを、国を預かる首相が軽い気持ちで勝手に宣言してよいのか・・・この男に反省させるにはどうすれば良いかな。なるだけドラマチックな事態によって猛省を促すには・・・うむ、原発停止とともに火力発電の利用度が増す事態へ導いてみるか」などと。宗教によって「神」は色々な性格を帯びているように思う筆者ではあるが(しかし詳しく研究したわけではない)・・・「残酷さ」「大胆さ」「気まぐれ」が神においては有り得ないなどとは言い切れまい。   
   
 政権の中枢にありながら自衛隊を「暴力装置」であると発言した者もいた。あのような災害の中での自衛隊の活躍は、彼の、自衛隊についての認識を改めさせることになったであろうか・・・そうであって欲しい。ギクシャクしてしまった日米の関係/同盟関係についても、その大切さは米軍による救援活動/トモダチ作戦などによって再認識させられたのではないか。   
   
 起きてしまった原発事故に手際よく、ソツなく対処することは、どんな政権・内閣にとっても難事であろうけれども、しかし、菅内閣のもとでの不手際、連携不十分などの程度・内容については「ちょっとなあ」と感じずにはいられない。(しかし、過去の原発行政を「良し」とするものでもないが。)   
   
 民主党政権は、神によって「試されてしまった」のではあるまいか。そのくらいに、神によっても不安視されるような政権だったのではないか。   
   
 神の啓示は、うっかりしていると見逃してしまうような微妙なものもあったりする。   
 いま問題になっている「オスプレイ」。あれは "Osprey" と綴るが、それをカタカナで「オスプレイ」と表記されるに至っていることは、実は、人が見落としがちな、神の啓示なのである。   
 「オスプレイ」という言葉を目にした我々は、「これはもしかすると "Oath-Play" と、神が皮肉り、反省を促しているのではないか」と気づくべきなのかも知れない。 "oath" とは宣誓・陳述などの意味であるが、 "Oath-Play" というのはたぶん「マニフェスト遊び」=「マニフェストで約束したことをコロコロ変えてしまうこと」を指しているのではあるまいか。ここ最近になって頻繁に「オスプレイ」という言葉を耳にする機会が増したのは、これは、心当たりのある政党、そしてまた、踊らされてしまった有権者に対する、神からの警鐘・最後通告ではあるまいか。   
  "oath" にはまた「神聖なるものの名前を乱用する行為」という意味がある。民主主義国家において「国民」は最大限に重視されねばならない・・・国民はいわば神聖な存在であるが、このことは同時に、政治家などが軽い気持ちで安直に「国民のために」などと口にするような、そんな遊びめいたことは慎むべしということをも意味するであろう。いま仮に、そうだなあ、想定しにくいがたとえば「国民の生活が第一」などという大胆な言い回しを政治家などが選ぶとする・・・そこにどれほどの慎重さ・真剣さがあるか疑ってみる必要があるかも知れない。   
   
 (なお、念のため・・・本当は筆者は神の存在を信じてはいない。また、オ カ ル ト、摩訶不思議なども好きでない。)   
   

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