2017-11

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雑記

   
 要するに「静かな時間」とか「邪魔されない・煩わされない時間」のために、いや、トータルな「こちらの気持ちの平安」のためにということかな、選挙運動、宗教関係の布教・勧誘というものを、何か適切に規制してくれぬものかと、ときどき思う。いや、「規制」とは違うのだが、その何と言うか・・・。   
   
   
   
 思い返せば、それは20代半ばの頃のことだ・・・家のすぐ近くを歩いていたら選挙カーがこちらに向かって走って来た。   
 拡声器からはそれまで、ウグイス嬢の声で「選挙公約」めいたものを伝える声、候補者の名前を連呼する声が流れていたと思うのだが、こちらは当然のように無視して歩いていた。   
 するといきなり、拡声器から「旦那さん、応援いただき、ありがとうございます。頑張ってまいります」とかいう声がした・・・。   
 「ん?」と思って周囲を見渡すと誰もいないし、近所の家々から顔を覗かせている人も無いようで・・・自分が(年齢より老けて見えると指摘されたことは当時よくあったものの)まさか「旦那さん」とまで呼ばれるようなルックスとは思っていなかったが、しかし、「俺のことを指したんだろうな」と思えた。   
   
 こういうの、とてもイヤだよな。まず第1に、こちらが手を振ったりしたわけでもないのに「今しがた有権者の応援をいただきました」と、彼らはウソの宣伝をしていることになるだろう。そして第2に(むしろこちらの問題が大事だが)、もしも近所の人が「誰かが手でも振ったのだろうか?」などと思ってこちらを見やることがあれば、「あそこのウチ/あの息子は公明党支持なのか?」と思うではないか。それで即、筆者や同居家族(その当時であれば父母)の「名誉が損なわれる」とまでは思わないが、しかしそれに近いような気持ちにはなるものだ・・・この党の何がよろしくないとか、そんなことを今ここで言うつもりはない、とにかく「自分はこういう不快を覚えた」と書くまでのこと(以下、いずれのケースも同様)。近所からそのように勘違いされたくないと思ったものだ。   
 どの党であれ、「誰かしらを、我が党の支持者であるかのように周囲に誤解させてしまった場合の迷惑、当人の気持ちの問題」ということを念頭に置いていただきたいものだ。   
   
 繰り返しになるが、「その党がなぜによろしくないか、良いか悪いか」などを書くつもりは無い・・・そうでなく好悪の問題ということ。   
 転勤などで引越しする人、引越しして来た人に対して、彼が既婚者であるなら「新しい土地で、奥さんに“3時のお茶友だち”が出来たりするかも知れないが、あとで気づいてみたらそれが創○学会の人たちばかりだったなんてことにならないよう、奥さんにも注意の言葉を掛けておいたほうがいいよ」と、そのように言っておくことがある。これを余計なお節介と感じる人もいようが、筆者個人はそのように思っていないし、反論やクレームを受けたことも無い。   
   
   
   
 上のこととは話のレベルも、関係しうる思想なり政党なりもまったく違うが、民間企業における従業員採用にあたって、応募者本人やその実家などの思想面をまったく調べない/気にしないという、最近では定着してしまったかに見える採用方針についても、筆者は多少の疑問を覚える・・・たとえば労働組合が先鋭化する要素を排除しておく意味でも、あるいはその他の意味でも、「現状、これ、どうなのかなあ」と、正直、思うものがあるのだ。   
   
   
   
 最近こういうことは無いのだけど、こちらの家と隣家との間くらいの前の公道にて、共産党の候補者が拡声器を手にして「ただいまから辻演説をさせていただきます・・・」と言って、演説を始めることが何度かあった。筆者は共産党の発する言葉は聞きたくないのだけど、政治活動は自由なわけだから仕方ない、そして、うるさいのを我慢するわけだが、しかし、演説などというものは、出来れば駅前とか「ふだんから静寂であるとは言えない場所」でやってもらいたいものだ。   
   
 住宅街に限らぬが、議員選挙の場合や、あるいは複数種の選挙のための運動が同時進行している場合、或る候補者とまた別の候補者の選挙カーがすれ違うときに、彼らの所属政党が同じだったりすると拡声器を使いながら互いにエールを交わし合うなんてことがある。これこそは「うるせえんだよ。仲間うちのことは、選挙事務所の相互表敬訪問か何かでやってくれよ」と思う。   
 対立候補の選挙カーのすれ違いだと、また別の形でうるさくなったりするし、やれやれと思う。   
   
   
   
 中学生時代の同級生がいて、しかし、彼とは親しくもしていなかったし(会話を交わすことはあったが、しかし、彼が「軍神」という言葉も広瀬中佐も知らなかったという記憶だけは残っているなあ)、卒業以来まったく会っていない。   
 その彼が、或る議員の後援会か何かに卒業生名簿を提供したらしく、選挙の時期になるとその議員から郵便が送られて来るし、それだけならまだしも、議員が戸別訪問して来ることさえあった・・・今は無い。   
 その議員は玄関の外で「いつもお世話になっています。民主党の○○です」と大きな声で挨拶したが、こちらはもちろん「お世話」も彼への投票もしていないし、「ちょっとは声を小さくしてもらわないと」と思ったものだ・・・隣家の人などから、こちらが民主党を応援しているなどと誤解されたくない。   
   
 かの同級生が卒業生名簿を渡したであろう時期はけっこう前のことで、「個人情報」についての意識もまだきちんと浸透していなかったであろうから致し方ないことなのか。   
   
   
   
 土曜だったり日曜だったりに「奉仕活動で回っているのですが」と言って回って来る人たちがいる。ノンビリしていたいこちらの気分は害される。こちらが寝坊していた場合にはパジャマ姿だったりもするので、気をつけながら窓から顔を出さなくてはならない羽目になる。向こうが発する言葉、「奉仕活動で」の「ホウシカ」まで聞こえたところで「うちは興味ないので」と告げて追い返すことを基本としている・・・セールスマンであろうと、そうでなかろうと、こちらにとって用事の無い相手には、キッパリと、口調ばかりでなく顔の表情も冷淡にして、木で鼻をくくるように、にべもなく告げるのが「早くお引き取り願う」ためのポイントだ。     
   
 こちらが玄関の外、庭先などにいて、不本意にもちょっとばかり会話することになってしまうと、冊子、パンフレットなどを寄越そうとするが、あれはつまり「他の雑誌類などと一緒に束ねることとなる資源ゴミ」をこちらに押し付けることと変わりない・・・「迷惑であり、失敬なことだ」と筆者は解する。「各人、どのような教えを信じるかは自由であろうが、しかし、布教などしないでくれ」と、いつも思っている。   
 何年も前のこと、冬の或る日・・・。庭の枯葉をゴミ袋に詰めていたら、宗教関係者が家々のポスト(郵便受け)に冊子を入れて歩いているのが見えた。そしてウチにもやって来た。こちらに会釈しつつポストに入れようとするから、「おい、違う違う、こっちに入れてくれ」と、枯葉の入ったゴミ袋を広げて差し出した。   
 相手は「意味が分からない」という表情をした。「どうせ読まないし、最初からここに入れてくれたほうがこちらの手間が減る」旨を告げると、相手は口を尖らせ、手にしていた冊子を、まるで「奪われまい」とするかのように引っ込めた・・・「そんなもん、誰が欲しがるか!」と思った。なぜに、ああ不機嫌になるのかな・・・「冊子を読まない人もいるし、その場合にはゴミとして処分する労ばかりが生じる。非生産的である」という想像力が働かないのかな。冊子のなかに書かれている言葉や知恵や体験談とかは、それは信者が「ありがたいお言葉」などなどと思っているに過ぎぬのであり、こちらが読み手となった場合にはこんな感想を持つこともあるのだ:   
   
 「この文章を書いた人(それが教祖であれ投稿者であれ)はこんなことをヌカすのかあ。俺にしてみれば“たわけたことを”と感じられるものだがなあ・・・ま、徳の積みようもいろいろあろうし・・・おっと、こんなものを読んでいてはあかんな。それにしても・・・占い師をやる場合には、その占いが外れたときに恥をかき、ビジネスも終わってしまうかも知れないが、宗教のほうが楽に始められ、布施・免罪符・摩訶不思議アクセサリーなどで金も集められるし、こういう生業(なりわい)・ビジネスも有りなんだろうな。」   
   
   
    
 宗教関係で回って来る人たちは、筆者の限られた(少ない)経験からすると、「お忙しいところすみません」とか、「お呼び立てしてすみません」、「お時間を頂戴しました」等の言葉が出て来ることが無い。それを注意してやったこともある・・・「そういうことを指導されていないのか? どんな人物が指導者になっているんだか」と。   
   
   
 高校時代以降の若い頃には、聖書(旧約・新約)を読んでいないと「レクイエム」「ミサ曲」「スターバト・マーテル」などをきちんと鑑賞できないのではないかと思ってそれらを読み、その関係の解説本なども幾つか読んだが、疑問に思うことなどを宗教関係の人に問うのは(個人的な経験からすれば)どうも正解でないのかな・・・スパッと答えが出て来ることが無いばかりか、余計な話へとウロウロしてこちらの知りたいことへなかなか到達しない。あげくに「教会にお越しになってはどうでしょう?」と言われても、そこまではちょっとという気持ちがこちらにはあるしなあ。ま、浮世・現世を生きること以外にあまり関心を抱くのも自分としてはどうかと、心の底で思っていたりもするからか。   
   
   
   
 ずっと前のこと、これまたやはりまだ若かった頃のことになるが・・・。   
 人と待ち合わせをしていてベンチに腰掛けていたら、ひとりの若い男が寄って来て「手かざしをさせてくれ」と言いながら手を伸ばして来た。それが宗教によるものであることは承知していたが、ああいうことをされると、少なくとも筆者は「気味が悪いことだ。不快かつ不吉なことをされる、事によるとこちらの運気も悪くなりはせぬかなあ」みたく感じてしまうため、「そういうことはやめてくれ」と言って睨んだ。   
 それから1年か2年かした頃、またも同じように「手かざしを」と寄って来る者がいた。このときも自分は腰掛けていたから「こちらの左足で相手の右足首後方をフックして、次にこちらの右足で相手の右脚スネを押し蹴って仰向けに倒してやろうか」と、チラと思った・・・これはイケナイことか? だが、それで何か問題になっても「え? そんな宗教があるなんて知りませんよ。(十字を切るくらいに、誰もが知っているメジャーな動作なんですか?) 腰掛けているこちらに手を伸ばして来たから身の危険を感じてしまって」と主張すれば、或る程度以上は正当防衛みたいなことが認められやせぬかと、以上のようなことを1秒くらいの間に思いついたのであったが、ま、よした・・・相手が後頭部を変な具合に打って深刻な後遺症でも残った日には裁判だ何だということになって時間そのほかでバカバカしい損をするであろうし、何もしなかったのが正解だったろう。   
   

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