2017-07

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夏を秋らめて

   
 サルスベリの樹が花をつけているのを目にするといつも、高校時代の或る日のことを思い出す。   
   
 なぜ「サルスベリ」と呼ぶかといえば、木登りの上手な猿でさえもあのツルツルした幹では滑って落ちるから・・・というのが子供の頃に教わったことだ。   
   
 さて、高校のときのこと・・・。   
 英語科目の夏休みの宿題に「何でもよい、気に入った英語の本を読んで感想文なりレポートなりを提出せよ」というのがあった。友人と一緒に本屋さんに行って、それぞれに本を探した。   
 本のページをパラパラめくっていた友人が声を掛けて来た。   
   
 「サルスベリって、英語なんだね。ほら」   
   
 まさかそんなわけは、と思って彼が指差した単語を見ると、そこには "Salisbury" とあった。その単語が何を意味するのか一瞬では分からなかったが、しかし、英国の地名「ソールズベリー」のことではあるまいかと推理するのは難しいことではなかった。文章からしても、この言葉は地名だろうなと思えた。この勘違いに、二人して涙が出るほどに笑い転げた。   
   
   
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 「アカシヤの雨がやむとき」という古い歌謡曲があるが、この「アカシヤ」はきっとニセアカシヤなのだろうなと思う(もしかしたら間違っているかも知れないが)。   
   
 以下、「アカシヤ」はニセアカシヤである可能性も有りとして書く・・・。   
   
 アカシヤは悲しさ・哀しさ・切なさ・寂しさ・侘しさなどに似合うと言えるのだろうか・・・しかし、そういう感覚は筆者には無いなあ。   
   
 アカシヤは英語でも "acacia" と綴られる(発音は「アけイシャ」)。  
 ドイツ語では "Akazie" とか "Akazienbaum" である。そんな細かいこと、どこかで習ったわけではない。R.シュトラウスの「四つの最後の歌」の第2曲「9月」の歌詞(ヘルマン・ヘッセの詩)に、アカシヤの葉が舞い落ちるシーンが出て来るから知ったまでのことだ。夏の終わりの風情を描いた詩。   
   
   
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 (以下、ちょっと前に書きとめたものなので、今日このごろの気候と微妙にズレがあると思うが・・・。)   
   
 秋の足音が聞こえ出した。しかし、筆者の頭の中ではいつの年も、既に8月が「夏であると同時に秋が始まっている時期」なのだ。にもかかわらず、9月に入ってもすぐには秋らしくならない・・・そのことにじれったさを感じつつ暑さをやり過ごすこととなる。   
 ああ、だけど・・・かつては夏という季節がずいぶん好きだった筈だ。また、子供の頃などは2学期が始まると「体育の授業内容が水泳とされるのはいつまでかな、俺、走ったり跳び箱したり球技したりするよりも水泳のほうが好きだな」みたく思ったり。しかし、今に至っては、夏の暑さのレベルは昔のそれとは違う。   
   
 秋が8月にスタートすると見なすのは、二十四節気の「立秋」を意識するからでもあるが、実は主として、8月上旬になれば「秋の味覚」とされるサンマを食べたくなるから(しかし、「はしり」のものより「旬」のものを食すのがいろいろな意味で合理的である)。   
   
 今年は、例年より早くから、そして多くのサンマを食べているなあ。しかし、内臓が溶けかけている場合が多かったのは気になる。鮮度に関して、身を食べる限りでは特に問題があるようには思えなかった。また、こちらの腹具合が悪くなったなんてことも無かったが。   
 震災・津波のせいでサンマ漁に用いられる船が多数被害を受け、また、輸入枠が大幅拡大されたらしいが、漁場、獲ったサンマの保存方法、出荷手筈などに例年とは違う点などあったのだろうか。それとも、サンマが育つまでの間の海水温、口にしてきたエサなどに何か理由を求めることが出来るのか。分からない。   
   
   
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 今回のブログ記事タイトルは、本当は「夏を秋らめて。エ○○カ・セブン。」としようと思った。そうすると、サザン/桑田氏の歌のあれこれをよくご存知の方は、「タイトル後段はあの曲のことかな?」と思い、しかし、ブログを読めば「ああ、何だ、別の話題か」ということになって・・・。そういう「見当はずれ」の妙を狙いたいと思ったが・・・。あの曲の歌詞が歌詞だけに、このプランは控えることとした。   
   
 いわゆる「駅ナカ」にセブンイレブンが入っているケースもあるが、そういう、言うなれば「駅ナカ・セブン」をまだ利用したことがない。   
 駅の改札の内外で、売店または(セブンではない)コンビニ・スタイルの店で飲み物を買うとちょっと割高なことがある。あるいは、雨が降っているためビニール傘を買い求めると、「あれ、普通のコンビニで買うよりも高くないか?/普通のコンビニでこの値段だと60センチでなく65センチの傘が買えるよなー」と思ってしまうことがあったり。小さい問題だけど、そしてそれなりの理由もあるのだろうけど、しかし、こういう価格設定にはどうしても抵抗感がある。かと言って、買い物するのを控えることはしないから結局はこちら側の負け・妥協であるなあ。   
   
 駅弁・・・。   
 内容・ヴォリュームと値段との釣り合いがとれていないと感じるケースは少なくない。そんなわけで、出張のとき電車の中で食事しようと思った場合には、時間が許せば駅ビル商店街や駅近くのデパ地下などで適当なものを買い求める。デパートや大型スーパーの催事で「全国駅弁大集合」みたいなイベントに偶然に出くわすケースもあって、そのときは価格とのバランスがとれていそうな、どこか遠くの地の駅弁を買い求めることがある。ただ、そういう駅弁を電車の中で食べていると、隣席の人にじっと見られることがあるにはある・・・向こうは、「まるで北海道あたりの駅弁みたいだが・・・この人、どこで買ったんだろう?」などと思うのだろうな。   
   
 あ、結局はセブンの話題ではなくなってしまった・・・。しかし、駅ナカのセブンは、おにぎり、弁当、ビール、ビニール傘などなど、街中の普通のセブンと同じ価格設定なのだろうか。   
   

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クラシカルな某

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