2017-08

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或る曲解


   
 小沢氏問題で党内が揺れる民主党を念頭に、あるいは早期の衆議院解散と総選挙における民主党敗北を期待しつつ、「こんなタイトルでブログ記事を書いてみようかな」と、2つの候補を考えついたのはつい先日のことだった:   
   
  「“割れる民主”より、シャルル・ミュンシュ」   
   
  「“去る民主”より、シャルル・ミュンシュ」   
   
   
 外相だった前原氏は辞任した。閣僚の辞任ドミノや党の自壊は始まるのか。   
   
   
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 大相撲の八百長疑惑問題・・・。   
 スポーツ一般と違って相撲には、歴史的な意味合いのほか、イベントとしての性格のなかに神事的背景ほか独自のものがあると思うが、しかし、いずれにせよ、「相撲には八百長もあるのだよ」と納得して受け入れたがる観客・相撲ファンは少なかろうと想像する。   
   
 相撲とは全然違うが、昔の歌謡曲「王将」では将棋に賭ける勝負師の気概が歌われている。スポーツ一般や相撲についても、人はああいう気概や、また、そういうものに根ざした精進・頑張りなどなどを期待しているのではないか。   
 では、「王将」は、相撲の道に進んだ人たちに対するモラル教育などに役立つかと言えば、そうとも言えそうだし、「ちょっとばかり方向性が違うかな」とも言えそうだ。   
   
 しかし、相撲における八百長を戒め、また、そのような行為の悲しさを歌った曲がある。「あの曲をそのように解する者は、広い日本、若干1名に過ぎない、お前だけだ」との反論があろうことは承知しているが・・・。   
   
 その曲とは、 井 上 陽 水 の「青空、ひとりきり」という歌。その3番の歌詞がそうだ。   
 「仲よしこよし」には怪しいところがあるよね、と歌っているが、まさにそのとおりで、プロ野球のほうで試合前・試合中に相手チームの選手と談笑などするのを規制する動きが出たのは正解と言えるのではないか。相撲においても、部屋を異にする者どうしの接触には何らかの規制などを設けることが、ファンの誤解を避けるためには意味があろう。   
 「夕焼けこやけ」のさみしさについても触れている・・・相撲を見た観客が、「あれれ? いまの勝負はインチキくさいなあ、八百長なんじゃないか」などと思うことあった場合に、夕闇迫るなかを帰路につくときの心情が歌われている。   
 さらに続く・・・。   
 大関昇進への道とて険しいものを、まして横綱になろうとの夢を抱いても、それは一種、はかない夢だったりする。それどころか負越してしまう場所だってあったりする。「今日は八百長で勝たせてもらおうかな」と、誘惑に負けてしまったとする・・・当日の取組もすべて終わって八百長の相手と飲みに出かけたとしよう、居酒屋のテレビではスポーツ・ニュース・・・彼らふたり、自分たちの取組を見ても何の感動も無く、退屈ですらある。   
 八百長という手段で白星を飾ったとしても、そんなもの、誰にも誇れるものではない、クズに過ぎぬのだよ・・・そうして夜空の下で、将来を、先々を不安に思ううちに孤独感も増していく。   
   
 「あの歌詞をそんなふうに解釈するのかよ」との意見はあろうが、しかし、この歌手の歌作りには凝ったところがあるから、すでに1番の歌詞にて示されているメッセージに気づかなくてはいけない(「俺はこのあとで大相撲について歌うからね」というメッセージだ)。   
 1番の歌詞中、「笑える場所」の「場所」というのは、「夏場所」とか「名古屋場所」とかの「場所」である。「笑える」というのは、「ワハハハ」とか「ガハハハ」とかの笑いを意味するのではなく、内容の濃い勝負に感心しながら拍手したり、ファンである力士の活躍に満足したりといった場合に浮かぶ笑みを念頭においた表現なのだ。あるいは、相撲が終わった帰りにちょっと一杯ひっかけていくときの充足感・満足感から来る表情を念頭においた表現であるのかも知れない。   
   
   
 しかし、うーん、やはりこれは曲解というものだろうなあ。   
   

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クラシカルな某

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