2017-10

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雑記



   
 仕事納めの次の日からは、持ち帰った書類と「にらめっこ」して難しい顔をしていれば自宅の大掃除に関わらなくて済むだろうなあと思ったりもするのだが、高い位置のもの(天井照明や冷蔵庫のてっぺんなど)や、この寒い季節の外回りの掃除はどうも自分がやるべきことと思えるし、ひとの手際を観察していると「動きにムダがあるなあ」とか「俺ならこうするのに」などと思うことしょっちゅうでこちらがイラ立ってしまうものだから、結局はわりと率先して掃除をする。(しかし、たとえば網戸などは温かい季節に、サッシのレールから外して雨に打たせておいてから布で拭いたほうがずっと簡単に掃除が済むし、浴室の念入りな掃除は梅雨の前にすることが合理的と考えている。)   
   
 上の写真はレンジフードの内側で、大掃除する直前の状態。前回の掃除から4か月ちょっとを経ている。写真では分かりにくいが、少々のホコリはやはり付着している。このさらに向こう側にも掃除すべき個所があるのだが、汚れは僅かであった。   
 一般に比べて汚れはかなり少ないと思う。揚げもの、炒めものをすることが極めて少ないのが理由だろう。焼魚を食べることも多いが、それを原因とする汚れはグリル内のほうに付着するぶんが多いようであるし。   
 我が家の食生活は「ごく一般的な、標準的な」とは言えない部分が多そうだ・・・。   
   
 職場の関係ではなく家庭内においてもやはり忘年会と称して御馳走を食べる人たちもいるようだし、そういうことをしないにしても大体クリスマス・イブあたりから大晦日、そして正月にかけてはいろいろな御馳走を口にすることが一般的ではあるまいか。そして、「この日にはコレを食べる」とか「この日にはこんな傾向のものを食べる」などの決り事がある家庭は少なくないと見える。   
   
 クリスマス・イブやクリスマスの晩は、世間的にはどうやらチキン(鶏肉)系の料理が幅をきかせているように見えるが筆者のところは全然そうではない。料理をおおざっぱに和・洋・中・韓・エスニックなどと分類したとして、普段から筆者がかなり強く「和」を好むということが大きく影響していることは明らかだ。   
 日常の夕食であってもそれは「せっかくの夕食」であるから、自分の口に合うことの少ない「洋」と「中」のものについては出されても箸をつけずにいることが珍しくない。食べてから「これは嫌いなんだよ」とか「誰が作ってくれても口に合わない」などとブツブツ言うよりもマシだろうと思っている。だから、もしも夕食にコロッケが出されればそれは食べない。ハンバーグもマーボー豆腐も食べない。ギョーザを手作りして上手に焼き上げることの面倒やコツうんぬんがどうであろうと、これも食べない。それら以外の副食を食べることにし、そのほか冷蔵庫の中から佃煮やら何やらを出して来たり・・・。   
 食材そのものについての好き嫌いはほとんど無いのだ。茹で上がった状態の、まだ潰していないジャガイモに塩を振っただけのほうがコロッケよりも美味いということだ・・・コロッケの油切りがきちんと出来ていても油の風味が付いたものはあまり好きでないということもある。わざわざ挽肉にしたうえ混ぜ物を加えつつ繋ぎ合わせるという不合理を内包したハンバーグにあまり意味を見出せず、そしてさほど美味いと感じない。誰かとハンバーグ専門店に食事に行くことになると、「この店にはハンバーグ以外には一体何があるのだっけ?」と思いながらメニューに目をやる。ちなみに、マクドナルドが日本進出して今日に至るまでの間に、あの店でハンバーガーを注文したことは3回くらいではないかなあ、あそこは気に入るメニューが少ないなあ。マーボー豆腐よりも冷奴や湯豆腐のようなあっさりしたものを食べたいと思うと同時に、白い豆腐に色の付いたものをからめるというのは美しくないとも感じる(これは中華料理批判を意図して書いているわけではない。筆者は、たとえば白い御飯に納豆をからめるのも抵抗があるので、納豆はそれが入った食器から箸で口に運び、御飯の上に乗せることはしないし、ましてや御飯と一緒にかき混ぜることは決してない)。ギョーザも口の中が脂っこくなるし・・・酢醤油で食べれば案外と平気だろうという意見もあろうけどそうまでして食べたいとは思わない。   
 油脂に対して舌や口腔が過剰に拒否反応を示すというのもあるか。中華料理の店でフカヒレ・スープが出て来たとき、「この胡麻油の風味がイヤだなあ」と言ったら隣の人は「えっ? 胡麻油なんて入ってないよ・・・そんな風味は全然しない」と言い切ったことがあった。そこで皆に「これには胡麻油が入っていると思うかどうか」と訊いてみたら実に半数の人が胡麻油の風味など感じないと言ったのには驚いた。各国・各地の料理はそれぞれに「文化」であり、「あちら」のものも文化、「こちら」のものも文化・・・相互に敬意を表すべきと思うが、味覚を侵略されたり麻痺させられてしまってはいけないだろう。そしてまた、チキンライスやオムライスのように銀シャリをトマトであれほどまで汚したものを目の前にしても嫌悪の情を抱くことなく喜々として食べることは日本人として如何がものかとも思う。   
   
 何やかや書いてしまったが、今年のクリスマス・イブの夕食のメインはカキ(牡蠣)鍋であった・・・質素かなあ、しかし、ク リ ス チ ャ ン ではないので。翌日の晩は貰い物したアンコウ。以上、やはり「和」なのだ。仕事納めの日の夕食はかなり遅い時間に食べることになったが、まずローストビーフを少々、これは大根おろしを添えて。そして粕漬けの魚を食べ・・・しかし、長芋の「とろろ」が一番嬉しく感じた。   
 カキ鍋をたらふく食べた晩は、そのあと行きつけの店に酒を飲みに出た。常連の数人が集まりチキンの丸焼きを分け合って食べていて、こちらにも勧められたけれども、結局は「お通し」だけをつまんで酒を飲んだ。クリスマス・イブなどはやはりチキンが多数派なのか。   
   
 さて、というか何というか・・・。   
 正月の「おせち料理」と「雑煮」。筆者にとってこの定番は絶対に外せないかというと、さにあらず・・・。   
   
 「おせち料理」の歴史や、料理それぞれの「言われ」が何であろうと、どうにもこうにも「保存食」または「日持ちする調理方法」といった面を併せ持つような品もあるし、料理における「先人の知恵」や「センス」に敬意を覚えつつも、しかし新鮮な食材が年末年始でも入手可能な現代にあってはいまひとつ魅力薄のものもある(保存食としての面もある漬物や干物は好物なのだけどなあ)。   
 というわけで、「おせち料理を作ろうが出来合いのを買って来ようが、俺のぶんは要らない」と言ったこともある。そしてもう何年来と、特に「正月らしく」ということで用意されるのは「数の子」「タコ」「(普段あまり買うことのない、ちゃんとした)かまぼこ」くらいか。元旦の朝になってから「あっ、“ちょろぎ”を買っておいて欲しかったなあ、また今回も言い忘れた」などと思うことを何度も繰り返しているが・・・。   
 煮豆は家庭で用意してもらったもののほうが(その調味が)口に合う。そして、正月というのとは無関係にわりとしばしば食べている。昆布巻も正月に合わせずともなあ・・・そして、これは、昆布ばかりがやたら厚くグルグル巻きしてあって芯の「にしん」が申しわけ程度にヒョロヒョロと顔を覗かせるようなものであっては食べる甲斐が無いというものだ。   
   
 「雑煮」は食べたり食べなかったり。ここ何年かは食べない。ちっとも嫌いではないのだが、朝や昼前にこれを出されるときは、まるでそれと交換条件のように御飯と味噌汁が用意されない・・・これが気に入らないのだ。普段は味噌汁を夕食時に口にすることも多いが、休日の朝食時にはやはり「御飯に味噌汁」を欲する。   
   
 「正月」や「元旦」に特別の意味のあることくらい承知している。しかし、同時に、都会を中心に、そしてサラリーマンすなわち「勤め人・雇われ人」を中心に「年末年始は単なる連休みたいなもの」という感覚は少しずつ、そして静かに広がってきたと思う。筆者もやはりそういう感覚のなかで育ってしまったということかも知れない。それほどドライに生きているつもりはないし、上のような感覚をあえて主張しようなどとはちっとも思わないが、しかし、昔々と違って「一年を無事に過ごせた」とか「年を越せた」とかの感慨は薄い・・・それどころか、「人間が念力をふり絞らずとも、特別の努力をせずとも、12月31日の次にはおのずと1月1日がやって来る」と思ってしまっているところがある。ここはひとつ、謙虚にならねばいけないな。   
   
   
 下のはビールそのほか。   
   


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