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雑記
ジョージ・セルの伝記本の日本語訳を手掛けた伊藤氏貴氏がしばらく前に出した或る著書について、日経新聞に書評が載っていた。
著書のタイトルが「樋口一葉赤貧日記」(中央公論新社刊)ということで、「おやっ」と思った。そして、書評の文面には樋口一葉が24歳で亡くなったと記述されているからまたしても「おやっ」と思った。
この「おやっ」というのは、「おやおや、小さな偶然!」という意味合いである・・・ここ1週間ほどの間のことと小さな小さな(殆ど意味の無い)偶然の重なりがあったのだ。
居酒屋において、他の客が筆者に対して次のように言った:
「世の中では賃上げへの期待が報じられていますが、賃上げ実施はどのくらい広まると思いますか? 生活苦の人がたくさんいるのをどう思いますか? 人々の間の格差がさらに拡大してしまいそうに思いますが、それをどう思いますか?」
筆者は、相手とやりとりしながら、全体としては次のようなことを話した:
「
賃上げの恩恵を受ける人はとても多くいると思う。賃上げ幅も、わりとしっかりしたもの、そこそこ手ごたえ感あるものが見られるのではないか。しかし、勤労者の数でなく比率から見れば、相当の割合の人は賃上げナシか、微々たる賃上げを受けるだけではないか、賃上げ出来ない企業は中小を中心に山ほどあるだろう。
え? うちの会社? ノーコメントだねえ・・・経営側では総人件費・業績などへの影響度を試算して妥協ラインを考えている段階というか。今後、労使双方で相手の腹のさぐり合いなどもしつつ事は進展するだろうけど。
生活苦の人というのは、いつの時代にもいるものであって、それは仕方ないのではないか。いまの時代、皆が一様に“普通の生活水準とはこれこれこういうものであって、それを自分が手に入れられないのは不公平で正義でない”と考えているのではないか。もしかすると学校教育・家庭教育に問題があるかも知れないねえ、“みんな一緒、みんな一律が良い”という感覚を植えつけてしまっているとか、“よその家庭と比べるな、よそはよそ、うちはうち、他人(ひと)は他人、自分は自分”ということを言い聞かせることを怠っているとか、そういう状況の中で育った大人がたくさんいるという感じで。“自分の望みがかなわない、それは即、不正義”と考え、その不満のハケ口として、或るいはその状況を耐え忍べなくなって何やらやらかす者もいるようだし。
昔々だって、これぞ赤貧という人たちが多数いた筈。(相手は“せきひん?”と訊き返してきたので筆者は次のように言葉を続けた:) “せきひん”というのは、“赤い、貧しい”と書いて、著しく貧しいことの意味、“赤貧洗うがごとし”という言葉もあるけど。関西弁の “そんな難しいこと、できひん” の “できひん” とは関係ないけど(笑)。
格差、格差と、マスコミも騒ぎすぎるのではないかな。格差も昔からあったことだし。豊かな層があった一方で、しかし、奈良の都でも、もっと後の時代でも、その日暮らしをする人、野垂れ死にする人、また、農山村で貧しい暮らしを送る人などいっぱい居ただろうし。栄養失調状態の人は山ほどいたろう。
いまの日本では、我々のような、ごくありふれた庶民でも毎日三度三度、腹いっぱい食べることが出来ており、総じて言えば、明らかに世の中は良い方向に向かって来て現代に至っていると言えるだろう。新鮮な魚を刺身や塩焼きで食べる、トンカツや焼肉を味わうとか、チーズ3種盛りのピザだの、甘さいっぱいのスイーツ、夏にはアイスクリームだって楽しむことが出来る。酒だって毎日のように飲むことが出来る。
食べ物に限らず、暖かい衣服、住環境、旅行やレジャーについてもそうでしょ。昔々であれば、高貴な人、一部の恵まれた人しか手に出来なかったもの、いや、彼らとて手に出来なかったものすら今の我々は手に出来ている、これはもう凄いの一言に尽きるのではないか。
問題なのは、怠けていたわけでもなくコツコツ勉強などにも励んで来たのに社会のメカニズムが狂って就職氷河期に見舞われ、かつ、そのとき機転を利かせることが出来なくて・・・例えば資格取得してそれに基づく仕事を考えるとかもせず・・・良いあんばいの仕事にありつけずにズルズルと蟻地獄に落ちてしまった人たちの救済がされずに来てしまったこととかかな。ほか、べつに安易な結婚というのでなく慎重な結婚をしたにもかかわらず配偶者との死別で苦しい生活に陥った人がやはり救済されにくくなっていることとか。今後いずれは、低年金者に更なるプラスアルファ支給をするとか、一定以上の年齢層に対してベーシックインカム的なものを保証するとか、何か策が必要かも知れないけど。そうでないと、高齢でありながら暮らす場所が無い・家賃が払えない、満足に食べることすら出来ないという人が激増してしまうだろうし。
」
職場での雑談の折りに、「AKBでも何でも、アイドル・グループのメンバーで名前を知っている女の子はいますか? いませんよねえ?(笑)」と尋ねられたので、筆者は「うん(笑)」と応じた。
しかし、すぐ次のように言い足した:
「あ、あれはAKBなのかな・・・元メンバーということなのかどうか、柏木ナントカ、それから指原ナントカというのは、苗字だけは知っているな。顔は思い浮かばないけど」
その理由は・・・前者は「源氏物語」を思い起こさせるからであり、また、この苗字の知人は筆者の身の回りにはいないのだが、某有名銀行の前身のひとつの或る銀行でトップを務めたことある方と同じ苗字だから印象深いのである。後者は、ネット上の芸能ニュースの見出しで目にして「この苗字、なんて読むのだろう」と疑問に思ったことがあるから記憶に残っているのだ。それだけのこと。
上の説明をしたら、「源氏物語といえば、来年のNHKの大河ドラマでは紫式部を扱うんですよ」と言われたので、筆者は次のように言ってホワイトボードも使ってごくごく簡単な説明をしたのであった:
「
ああ、そうらしいね、前にも誰かからそう聞いた。紫式部の生涯だけというか、式部と周辺の日常シーンばかりを描くのではドラマとして物足りないし、年間を通して時間が余っちゃうだろうから、やはり当時の政治をめぐるドラマが織り込まれるのだろうなあ。女性中心のドラマ、文学好きの人が楽しめるドラマという位置づけにとどまらず、日本史好きの人にも楽しめるドラマとなるのだろうな。
藤原のナントカ、名前は忘れちゃったけど(注:藤原兼家)、この人には何人かの子がいて、その中には道隆という人や、そしてあの藤原道長もいた。(ここからホワイトボードに系図などを書いて人間関係を説明)
道隆は娘を一条天皇のもとへ嫁がせた。それが中宮定子。他方、道長もまた一条天皇のもとに娘を嫁がせる、これが中宮彰子。
しかし、中宮定子は確か24歳くらいだったかで亡くなってしまうのだ(注:定子の生涯は977年から1001年)。父親の道隆はそれ以前に亡くなったけど。
いろいろあって藤原道長は力を増していく。ドラマではやはりそこも描かれるだろう。
中宮彰子はかなり長生きした(注:彰子の生涯は988年から1074年)。紫式部はこの彰子に仕えていた。式部も実は藤原家の出身なのだけど、道長や彰子などと近い親戚関係ではなく、かなり遠い親戚だった筈。彰子には和泉式部なども仕えたことがある。
」
・・・時間の制約もあってこの程度だけの話で終えてしまったけど、まあ、おそらく面白いテレビドラマになることだろう。
ただ、「僕としては、NHKはあれもこれもと番組づくりするのをやめて、事業縮小していただきたく願っているけどね」と言い添えることは忘れなかったが。
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