2017-08

Latest Entries

セルとアラスカ



   
 セルについての新情報を得るため定期的にチェックしているサイト・WEBページは幾つかあるが、日本の某巨大掲示板におけるセル関係のスレッドもそのひとつである。そこにおいて、セルの生涯最後の正規スタジオ・レコーディング(EMI)となったシューベルト/「ザ・グレイト」およびドヴォルザーク/交響曲第8番のレコーディング地がアラスカであるかのような発言(レス)が見られた。   
   
 しかし、正しくは、いずれも1970年4月下旬、クリーヴランドのセヴァランス・ホールにおいて、とされている。   
 いま、たまたま手許にあるのがEMIの「ザ・グレイト」のCDだが、それにも上の写真のように記載されている・・・ピンボケしてしまっていて申し訳ないが。なお、ここでは「4月」はローマ数字の“IV”で表記されている。   
   
 1969年秋から始まったオーケストラ・シーズンも終わりが近づき・・・。1970年4月23日(木)および25日(土)のコンサートでは「ザ・グレイト」が、また、4月24日(金)にはドヴォルザーク第8番が演奏されたようだ。EMIへのレコーディングがその直後に行われたと考えることは、セルの通常のレコーディング日程を考えても合理的である。諸々の情報からすれば、4月27日(月)から29日(水)にかけての中でレコーディングされたようだ。   
   
 本拠地クリーヴランドにおける最後の演奏会となった5月7日および8日のプログラムではモーツァルト第40番やベートーヴェン「英雄」などが演奏された。   
   
 その後、セルとクリーヴランド管はポートランドでの公演を行い、そして、日本へと向かった。   
 彼らが日本に到着したのは5月13日夜であった。   
 来日公演はセルとブレーズが指揮を分担したが、そのうちセルが振ったのは公演初日の15日(大阪)、16日(大阪)、20日(京都)、21日(名古屋)、22日(東京)、23日(東京)、25日(札幌)、26日(東京)である。   
 すでに病気もかなり進行していたセルにとってこのスケジュールは、特に20日から26日にかけては、きついものがあったかと想像される。   
   
 筆者の知人によれば、時差ボケが体全体にグッと重くのしかかって最悪のピークを迎えるのは旅行地到着1週間目くらいなのだそうだ(そして、それは筆者の体験ともよく一致する)。   
 そこからさらに1週間を経過すると体が「新しい時間」に順応しきるのだと彼は言ったが、同時に、その1週間、つまり最初から数えて2週間を迎えたあたりにまた新たな土地へ移動したり帰国したりすると、「今度の、つまり2番目に経験する時差ボケ」には体が悲鳴をあげがちで、体調不良も大きくなりやすいのだとも・・・。   
 来日して約1週間となる21日夜の名古屋公演において、セルは弱音を吐くことになる。幾度かのカーテンコールに続いてアンコールを1曲演奏してステージを引き上げると、セルはマネジャーに向かって、もう1回ステージ上で礼をしてそこで切り上げたい旨を伝えた。これに対してマネジャーは、まあ聴衆の反応など見つつ決めてはどうかと述べた。そうしてカーテンコールに向かったセル・・・。   
 ステージから戻ったセルはこう言った・・・「おい、わしはもう絶対に続けられない。すっかりヘトヘトになってしまった」。   
 この夜、セルはもう1回ステージに出ていったあとオーケストラとともに退場。   
 これ以後の公演では、アンコールは1曲だけということとなった。   
   
 札幌公演におけるシベリウス第2番の指揮中には、頭を垂れ、胸の右脇を左手でつかみ、指揮棒は辛うじて弱々しく動いているだけという瞬間もあったようだ。   
   
 日本公演を終えると27日に韓国に向かい、その夜にソウル公演。   
   
 29日はアラスカ公演。プログラムには当初はウォルトンの「ヒンデミットの主題による変奏曲」が含まれていたが、しかし、セルはこれをやめてモーツァルト第40番に入れ替えることに決めた。これについて確たる理由は分からない・・・トロンボーン奏者の体調不良を考慮してウォルトン作品を外したのか、それとも自分にとって最後のコンサートになろうことをセルが予感してウォルトンよりはモーツァルトを振りたいと考えたのか、などという関係者の推測意見はある。   
 アラスカへの移動が28日だったのか29日だったのか知らないが、しかし、セルがアメリカ大陸から日本へやって来てからほぼ2週間目となるタイミングでアラスカへ戻ったというか向かったことは、(日付について無視してしまえば)実質的には数時間程度の時差に過ぎないとはいえ、やはり時差ボケの負荷が無かったかどうか気になる・・・それによってさらなる体調悪化があった場合、セルを気弱にさせてしまった可能性も否定できまい。  
 かくて、セルにとっての最後のコンサートのプログラムは、「オベロン」序曲、モーツァルト第40番、ベートーヴェン「英雄」となった。このときアンコール曲が演奏されたかどうか、筆者は知らない。   
   
 こういう経過であったことを考えると、仮にもしアラスカでのレコーディング計画があったとしても、それは中止・キャンセルになったことであろう。   
   
   

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://szelldocs.blog9.fc2.com/tb.php/171-e2b63f9c

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

クラシカルな某

クラシカルな某

クラシック音楽好きです。