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2018-11

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冬の五輪・・・カーリソグ女子の活躍その他

   
 (↑)上のタイトル、おかしな部分にお気づきだろうか?   
   
 「カーリング」という語の、「ン」(ん)を、わざと「ソ」(そ)に替えてしまってあるのだ。   
   
   
 「ああ、“ん”じゃなかったんだね! “そ”だねー」と感じていただきたい。   
   
   
   
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 例によって、オリンピック関係のテレビ番組を「意図して観る」ということは無かった。ニュース番組の中にて試合・競技の状況を目にするに過ぎなかったのであるが、それでも自分には十分であったかな・・・スピード・スケートなどについては「おお、立派な成果だなあ」と感心もしたし。   
   
 改めて思うのは、自分という人間は、チーム・スポーツよりも、個人競技のほうに関心が向かうということであるなあ。リレー的なものもよいのではあるが、しかし、野球、サッカー、バレーボールのようなものになると、ぐっと関心が薄れるかな・・・尤も、球技への関心が低めというのもあるかな、最たる例としては、卓球に微塵も感心を持てないし。   
   
 学生時代、卓球部の練習を見ていたら、そこに何か形容しがたい「暗いもの」を感じ、その感覚がいまだに尾を引いているのかも知れない(昔、タモリさんが「卓球は・・・」と発言して社会に一種の衝撃(?)を与えたが、あれには、自分が抱いてきた感覚を再認識するような気持ちにさせられた)。   
 あと、体育館のステージ/壇(朝礼・終業式などで校長先生などが挨拶したりする場所)で、演劇クラブの部員が芝居の稽古などしている様子も、あの当時、「彼ら、何が面白くてあんなことやってるんだろう」と疑問を覚えながら眺めていたなあ。   
   
 話を戻し・・・。   
 個人競技であっても、それはシンプルな「競い/戦い/闘い」でないと、どうも興味を持てない。スピードを競うもののほか、フェンシング、剣道、柔道、レスリングなどがよい(オリンピック種目であろうとなかろうと)。   
 フィギュア・スケートとかシンクロナイズド・スイミングなど、演技の要素が加わるものについてはまた関心が湧きにくい。音楽が好きでもバレエを観る気にはなれないことと、もしかするとどこかに共通点があるやも知れない(バレエ音楽が嫌いなわけではない)。正月の「ウィーン・フィル・ニュー・イヤー・コンサート」のテレビ番組でも、バレエ映像が流れると何か残念というか「こういうのは観たくないんだよねー」的な思いをする・・・「やめてくれ」とまでは思わないけど。   
 ストリート・ダンスに一生懸命になる若者がいるけれども、その気持ちもまた理解できない。   
   
   
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 この日本で、日々、目にする外国人がますます増えているように感じる。永住権ある外国人のほか、不法滞在の状況になっている外国人も含め、いったい、それぞれ、どれほど多くの外国人がどういう条件で暮らし、仕事をしているのか・・・専門家でもないから詳しい状況・データを知らないが。   
   
 それにひきかえ、日本人については少子高齢化の流れ・・・。   
 いずれ何世代か先になると、この日本国内において、こんな迫害・いじめを受ける日本人の子供も出て来る?: 「おまえ、日本人のクセに生意気なんだよ・・・お前なんか、親にも、爺さん・婆さんにも、中国人やフィリピン人がいないんだろ・・・日本人の血しか引いてないなんて、もろに少数民族じゃん! ダサイな! 少数民族は日本列島から出てけば?」とか。   
   
 たいへんな社会になりかねないなあ。子供たちばかりでなく、大人の日本人もまた脅威を覚える時代が来るのか。   
   
 日本にやって来て稼ぐ外国人は多い。或る時期になると帰国しなくてはならなかったりするが、そうせずに日本に留まったまま働き続けたいと考えるケースも多かろう。それが女性である場合、日本人男性と結婚に至ることあればラッキーであるが、しかし、そのほかに「偽装結婚」という手段もまた世の中には横行し、そして時々はそれが発覚し、報道されることもある。歓楽街などで酒を飲むことある人ならば、そういう偽装結婚の噂を耳にすること、時々あるのではないか。困ったことである。(なお、筆者が飲むことある店は、そういう街中にありつつも、ごく普通の業態の店である・・・が、男性客が飲みに連れ歩く外国人女性などをめぐって・それを契機として、いろいろな噂が飛び交うものなのだ(その内容が真実であるのか嘘であるのかまでは知らないが)。)   
   
   
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 スナックなどの飲食店が集まる地域で、女性を対象に求人広告チラシが配られていたりする。職種としてはフロアレディ、宴会コンパニオンなどなど・・・その中には「税金のことなど、丁寧に説明いたします」という文句も入っていたりする。これは、よいと思うのだ。   
 しかし、「税金、マイナンバーのことで不安がある方はご相談ください。いっさい気にせずに働けます」との文章が入っているケースがあるのを知り、これにはとても興味を覚えるなあ。「いっさい気にせずに」とは、具体的にどういうことなのか? 事業者側としては、実際にはAさんに給料を支払いながらも、他のBさん(同僚)・Cさん(事業者の妻)・Dさん(全然関係ないが名義貸しに応じる女性)などに支払ったこととして経理処理したり給与支払報告書・源泉徴収票を作るなどするのだろうか・・・不可能ではなかろうが、それなりに金額がまとまって来ると対応しきれまい。となれば、事業者側としてはいわゆる「売上除外」などをしつつ、Aさんへの給料も帳簿を通さずに支払うのだろうか・・・やりやすく、また、手っ取り早い方法かも知れないが、しかし、結局は「所得隠し」・「脱税」につながっていくことであろう。諸々の経理処理や事務に税理士、社会保険労務士などが関与している場合にはそのような不正は生じるまいとは思うのであるが、それでも上のチラシは気になるから、時間のあるときにでも税務署へ持参し、「これ、どういうことなんでしょうねえ、お分かりになるようでしたら勉強のため教えてもらいたい」と訊いてみたい気もする。    
   
 世の中には中国語っぽい発音を伴いながら「マッサージ、どうですかー? かわいい子、いるよ」と声掛けする女性がいるけれども、彼女ら、そして、その「かわいい子」らは、税金関係、どうしているのだろうと気にもなる。   
   
   
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 或る個人経営の居酒屋では昨夏あたりから人手不足に苦慮している。   
   
 しばらく前に寄ったとき・・・。   
 出された料理に添えられた「かいわれ大根」を見て、「あれっ?」と思った。   
 かいわれ大根でも、コマツナの「つまみ菜」でも、葉に黒ずんだところがあったり、成長不良っぽいものがあったりなどするものだが、それは普通、取り去られて処分される・・・だろう。   
 しかし、この居酒屋で出されたとき、かいわれ大根のどれもこれも、ひとつ残らずが黒かったり、茶色かったりしているのだ。それを食べる気にはなれなかったので、残した。   
 しばらくして、忙しくしていた店主がこちらと話を交わしに顔を出した。かいわれ大根が食べられずに残っているのに気づき、そして、事の次第にも気づき・・・。   
 何が起きていたのかというと、かいわれ大根の選別を終えたのち、捨てるべきものを入れたボウルからアルバイト・スタッフが誤って皿に盛り付けて客(筆者)に出したということで・・・。困ったことだ。いくらアルバイトでも、盛り付け時点で「こんなもの、お客さんに出して大丈夫なんだろうか」との疑問を感じなかったのか。洗い作業を選別の前・後どちらでしているのか知らぬが、このとき出されたものはまた洗いもされていなかったり?   
   
   
 「最近の学生さんほか若いスタッフはねえ、料理について、コツとかそういうレベルのことでなく、ともかく家庭で(基本的なことを)何も教わっていない。お母さんも外で働く人が増えたせいなのか。いろいろおかしなことになっている」とは、別の居酒屋さんで聞いたこと。   
 モヤシのヒゲ(ヒゲ根)について「何が何でも取り去るという、そこまでの必要はない」とする意見の人もいるだろうけど、普通は取り去るものだろう、面倒であっても・・・これは食感・風味にも響くことだ。それを知らない若者が珍しくないのだという。   
 ほか、大根や長芋などをおろした経験のない若い人も多いらしい。ま、日本人の食事も多様化しているので、家庭によっては「うちの食事は基本はイタリアンなので、大根おろし・長芋とろろは子供にも食べさせていない・その調理を子供に任せたことがない」というケースもあったりはするのか。    
 セロリ、パセリ、青ジソなどは残留農薬に警戒して「しっかり気味に洗う/水にひたす」ことをしたいのに、仕入れて来たものを洗わずに使おうとする若い人も珍しくないようであり・・・。   
   
 まあ、親としては、「子供に料理・家事のことを教えるより、ほかのことに集中させたい」と考えるのかも知れないし、それには必ずしも反対しないけれども、しかし、では、子供たちは本当に「意味あること」に集中しているのかどうかと気にもなる。   
   
   
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 「もやし」は、価格が安いこともあってであろう、軽視されがち、そして、ぞんざいな扱いを受けがちな食材と思われる。でも、少しでも美味しく食べる工夫はされるべきであろう。とは言え、自分自身、さして好きではないのだけど。   
 早朝のこと・・・それは八百屋さんでなく、もしかすると「もやし」専門業者なのではないかなと感じてしまうのだけど、軽トラックが「もやし」の大袋を届けて回るのを目にすることがある・・・シャッターの閉まった中華料理店の前などにドサッと届けているのだ。会社の始業時間が9時だからといって「8か8時半くらいにオフィスに着けばいいや」と考えて出勤している人は目にしないかも知れない(7時か7時半くらいにはもうデスクに向かっているような人だと出勤途上に目にすることがあったりすると思うのだけど)。その「もやし」の配達の仕方が乱暴なのだなあ、まるでゴミを投棄するような感じ・・・買い手のみならず、売る側も「もやし」を軽視しているのであろうか。   
   
   
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 時差出勤というか、朝のとても早いうちに仕事をスタートする人はまだまだ少数派のように思える。でも、増えて欲しくはない。サマータイム制にもあまり賛成しない。そういうことが常識化・一般化するにつれ、早朝の電車も道路も混雑したりするであろうし、また、他部署・他社の人が「もしかするとあの人、もう会社に出て来ているかな」と電話を掛けて来るなんてことにもなり、本来は仕事集中・能率化を目指して早朝出社・執務する意義・メリットが減じられてしまうかも知れぬ。   
 早朝の電車に乗っていると、ちょっと面白いことに感じ入ったりすることもある。釣りに出向く姿の人がいたり(東京湾? 千葉?)。あと、電車が一緒だからお互いに顔だけは知っていても、ふとした偶然で、先方が警察官であると知ったこともあった・・・「ああ、早番シフトもやっぱりあるんだなあ(当然とは言えようけど)」と認識を新たにしたり・・・。   
 子供時代の同級生の或る男について、或るとき「あいつ、ちっとも姿を見ないよなあ。生きてるのか?」との噂が立ったことがある。そんな噂が生まれるのは、要するに皆が朝早くに行動を始めないからなのだ。筆者、彼には朝に何度も会っている。元気にしている・・・白髪は目立つけど。彼は勤務医をしていて、仕事柄であろう、だいたい6時前後に自宅脇の駐車場からクルマで出勤する・・・その時間にはまだ寝ているという人、まだ朝食を食べているような人にとって、彼のことは「あの人は今・・・」的な存在になってしまうのかな?   
 オフィス街に隣接する或るパン屋さん・・・あ、このパン屋さんはもう廃業してしまったかと思われるけど。朝、その店では、焼き上がったパンを店内に並べつつ、しかし不衛生にも同時並行的に店内の掃除をし・・・そしてまた入口ドアを開けて外に玄関マットを敷くのだけれども冬はビル風が強く吹き、この玄関マットから舞い上がったホコリは店内へと流れ込む・・・そのホコリは、店の前の通りを歩く者にはしっかりと見えるのだ。「自分はもともとパンは好きでないけど、この店のパンは絶対に食べまい」と思ったものだ。あるとき、取引先の外国人が来社して数日にわたって会議することあったのだが、最終日には時間的余裕が無くなるから(=主として外国人側が考える交渉戦術でもある)その昼食は社内でサンドイッチなどで済ませましょうということになった・・・あのパン屋さんで買って来るということを女性社員から聞き、自分は、前日までは昼食に付き合っていたけれどもその日は席を外すことにした(ま、クロワッサン、菓子パンなどと違ってサンドイッチはラッピングされているものだろうけど、やはりイヤだなと思えるではないか・・・)。   
   
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 「就職や結婚に際しての身上調査は必要なのか否か」という話題が出ることがあった。   
   
 現代では、そういう調査はすたれる方向にあると思う。いや、既に「すたれた」と言ってよいのかも知れない。   
 筆者などは、しかし、人の流入が盛んな都会では、今なお、身上調査、出自の確認みたいなことは一定の意義があるとは思っているのだが(異論・反対意見の多いことも承知はしているが)。   
   
    
 近所の若い女性に関して、「身上調査のため話を聞かせてくれ」と求められたことがあったのは10年ほど前であったか。   
   
 「どんな人って・・・普通じゃないですかね、挨拶も普通、明るそうだし、気持ちいい印象を受けますよ」みたく答えたかな。   
   
 過去に聞いた話では、身上調査で評判を尋ねる場合は、すぐ隣の家でなく、1軒をおいてか、或いは何軒か離れた家でというのが習わしなのだとか。世の中、すぐ隣の家どうしは仲が悪い・嫉妬が生まれる等々のケースも珍しくないから、デタラメの悪評がついてしまうことにもなりかねないし、そうするとまた就職であれ結婚であれ「めでたしめでたし」の結果にならず、何か気持ちの悪い結末になりがちなのだとか。また、万が一にも、調査された側が「興信所が何を報告したか」を察知する・教えられるようなことがあった場合、内容にデタラメなものを含んでいれば訴えられる・どなりこまれる等のことにもなりかねない・・・だから、調査内容は「無難なものになること」が暗に期待されているのかも知れない。   
   
   
 デタラメ・嘘の中傷をされたらかなわないだろうなあ・・・たとえば:   
   
 「ああ、お隣のお嬢さんですか? そうですねえ、お年頃で、あれだけ綺麗だから、おモテになるみたいですよ。深夜とか、いろんな男性からクルマで送ってもらって。たくさんの男の人と、とっかえひっかえに楽しく遊べて、若いっていいことですわねえ、オホホホ」   
   
などと言われたら、就職でも結婚でも、困るよなあ。   
   
   
 しかし、現代ではもう、誰彼の先祖の、いや、自分自身の先祖の、江戸時代における身分はどうであったかくらいの調べ方も知らない人は珍しくなく、また、それに興味を持つこと・確認しようとすることは「罪悪ですらある」との見方もあったり。   
   
 ま、「氏(うじ)よりは育ち」との諺があり、関西のカルタではこれは「う」の項にもなっている。関西のほうが、また、歴史の古い土地のほうが、氏・家柄・門地などについついこだわってしまう傾向があるやも知れないなあ。   
   
   
 学生時代、喫茶店の会計でも、飲み会の会計でも、「俺、きょう、カネをあまり持ってないんだ・・・貸してくれないか/立て替えておいてくれないか」と言い、しかし、後日、ぜんぜん返して来ようとしないという、そんな評がいくつもある男がいた。   
 当人は「カネを払わずに済んだ。ラッキー! あとは、返さないで日を過ごしているうちにいずれ卒業だし」みたく思ったのではなかろうか。しかし、周囲は彼から離れ、「ああいう具合にカネのことがきちんと出来ないのもまた、ひとつの“育ちの悪さ”なのだ」と見限るようになった・・・。   
   
   
 氏・育ち・・・どういう要素にどの程度、目を向ける必要があるのか、むずかしい・悩ましいことだ。   
   

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