2017-05

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雑記

   
 或る店で、ひとりで酒を口にしていたとき。   
 店には本が置かれていて、そのうちの1冊を手にした。それは占いの本であった・・・正確に言えば、誕生日のほか幾つかの要素をもとにしての性格診断をする本。   
   
 自分は占いのようなもの、また、このテの方式による性格診断というものをろくに信じない。で、その本については、自分の場合にどのように性格診断されるかをチェックし、その「はずれ」具合を笑い飛ばしてみたくなった・・・それはまた、「ほら、このような本はインチキなのだ」と、あらためて納得したいことでもある。   
   
 が、驚いたことに見事に「当たって」いたのである。こんなことがあってよいのか! このような状況は認めたくないものだから、「実は誰にでも当てはまること」を巧みに、読者を引きずりこむように述べているだけではないかと、猜疑心をしっかり働かせて読み返したが、決してそのような内容ではないのであった。   
   
 「それでは」と、今度は身内についてチェックしてみた・・・すると、これがまた、よく言い当てており・・・。   
   
 これほど驚いたことはなかった。凄いことがあるものだと感心した。本のタイトル等は覚えていないので(覚える気も無かったのだが)その本をここで紹介することは出来ないけど。   
   
   
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 占いと言えば、随分と前のこと、「前世占いをします」という広告チラシが郵便受けに入っていたことがあった。   
 読んでいるうちに笑ってしまうような記載があった・・・どんなだったか覚えていないのだが。今となっては、あのチラシを捨ててしまったのが惜しまれる・・・何かのとき、ひとに見せて話のタネにできたであろうのに。   
   
 前世占いというものはどうやるのだろう・・・相談にやって来た人の前世の身分その他について「あまりにも低いもの(低いとの評価がされがちであるもの)」を言うと、相談者は不愉快になって「料金など払えるか! ふざけんじゃねえ」という反応をしかねないから、少なくともコワモテの相手にはその気分をよくする・その心をくすぐるようなことを言うくらいの注意は必要だろうなあ。   
 ひとりの相談者が、時をおいてもう一度その占い師のもとを訪ねるなどというケースもあるかも知れない。となると、占う側は前回と同じことを言わねばならないから、しっかりと記録をつけておくという習慣も必要であろう。 ・・・と、ここでは、前世占いはインチキとの前提で書いているが、単に「そのつどの口からデマカセ」だけで上手にやれる商売とは言えないのかな。   
   
 「あなたの前世は、ヨーロッパの○○の王様が可愛がっていたネコでした」などと言うのも、ネコ好きのひとにはウケるかも知れないが、しかし、輪廻転生めいたことを信じない人からはその辺についての議論をふっかけられるやも知れない?   
   
 占いも、お気楽なだけではつとまらない稼業なのかも知れない。   
   
   
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 或る店で酒を飲み・・・そこから出たときに知人に会った。   
 知人といっても、仕事の上でとかの知り合いでなく、そこここの店でよく出くわす相手なのだ。訪れる店が共通する・重なるのだ。   
   
 自分がさきほどまで飲んでいた店の経営者とは、子供の頃から顔見知りなのだそうだ・・・これは、後日、別の店でまたもバッタリ一緒になったときに聞かされた。   
 彼からは、「あの店は、というよりも、あの経営者の家族は云々」と、かなりマイナス評価のことを聞かされた。   
   
 話の内容はここでは省略するけれども(そして、話のひとつひとつが真実であるかどうか分からないけれども)、要するに、ま、「親がああだと子供の世代もああなってしまう」、それゆえ子供らも「常識に欠けるところが、子供の頃から色々と見受けられる」、「これこれの場合に大抵の人であればこういう行動をとるのに、その家族はどうかしていて、それができない」、「規範意識・モラルに欠けている」、「デタラメが通用すると思い込んでいるフシがある」等の指摘なのであった。   
   
 この話は合点がいく(まんざら嘘でもないなと思える)ものであった。実は、「ほかの店では当たり前のことがそこではきちんとできていない」、「これではマズイということを自覚して反省すべき機会があったにもかかわらず、それができないとは不思議なことだ」など、また、他のこともあって、簡単に言えば「どうかしているな」と感じてはいたのだ。   
   
   
 それにしても、こういう場合のこの家族の各メンバーについて、多数出版されている占い・性格診断の本は言い当てることができるのだろうか・・・。「氏より育ち」ならぬ「生年月日/干支/星座/血液型より育ち」?   
   
   
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 子供の頃というか、高校生までの同級生のことを思えば「色々なタイプの人間がいたよなあ」と感じる。そういう感想は誰しも同じであろう。   
   
 となると、日本のそれぞれの都道府県ごとに、いわゆる「県民性」などというものが果たして見受けられるのかという疑問を覚える人も多くいるのではないか。つまり、「どこそこの土地で育ったから/親がどこそこの地の出身だから、その人の性格・性分・考え方はこういう傾向にあるなどと言い切れるものではない」と。   
   
 が、筆者の個人的な感想からすると、県民性というものはやはり感じられるのである。確かに人それぞれ多様な個性を持ち合わせてはいるけれども、出身都道府県ごとに、公約数的なもの、共通項的な部分というものが、人にはわりとよく備わっているように思う。   
   
 県民性というものに興味を持ったのは大学時代のこと。日本各地出身の友人に出会ったからである。ただ、その頃は、そういうテーマの本まで読むようなことはなかった。平成の時代に入ってしばらくした頃になってようやく、機会があればそういう本を買い求めるようになった。   
 人づきあい、その他のうえで、県民性というものは侮れないものではないかと思ったりする。   
   
 下の写真のうち、上段にあるのは手持ちの県民性関係の本のうちのひとつ。   
   
 下段は、しばらく前に出た本。   
 かねてより「中国人(本土の)は、人として備えているべき最低限の徳性その他がなぜ多く欠落しているのか」、「韓国人の場合、そこまでのことはないにしても、しかし、何か、ひねくれて育ったようなところがあってそこが問題」などと思い続けていて(しかし、いずれの地にも「立派と思えるような人たち」も勿論いるので、一般大衆をひとくくりにしたうえでさらに大雑把に見た感想ということになる。なお、日本人の欠点は棚に上げてしまったうえでの言い分)、それらを解説してみせる本のあれこれを興味深く読むことは時々あった。   
 写真の本は、現代でなく、昔々に焦点をあてたもの。これで「現代の隣国の人々の特徴」についてすんなり納得・理解できるものではないが、しかし、興味深い史実に接することができる。理系出身の人がこういうものを著すというのは意外な気もするが、ともかく面白い。   
   


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クラシカルな某

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