2017-10

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  (↑) 「アサリの、中華風スープ蒸し」を調理中の様子。   
   
   
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 米国の大統領による、移民・難民などへの対応をめぐっては、それを非難する人たちが多い。日本国民以外からの視点、つまり、流れ者が国民の多くを構成するような国々の立場を考えるとこうした非難・意見は大いに理解できるが、しかし、日本においてすらも同様の批判を口にする人たちがいる。   
 「ヨーロッパ等の首脳と同様に、日本の首相もまた米国大統領に再考を働きかけるべし、あるいは苦言を呈すべし」との意見を発する人たちがいる・・・政治家の中にもいるようだ・・・しかしながら、「まさかそんなことをして大丈夫なのか」と、筆者は疑問と懸念を感じる。   
   
 米国には米国の憲法があり、そしてまた、米国による選択があって然るべし、彼らの判断に委ねるべし・・・であるが、しかし、いちばん大切なことは: もしも日本が「移民・難民を排斥してはいけない、人道的見地からも、そして、自由な人の往来・グローバリゼーションの流れに照らしても、移民・難民の積極的な受け入れを」などと、ひとたび強く主張・提言すれば、将来的にも日本が移民・難民の流入を抑制・阻止し続けていくうえで不利に働くことが予想される。これこそが当面、いちばん留意すべき点であろう。   
   
 国連の難民高等弁務官その他が何を言おうと、或る国や地域に異国の民、異邦人、異民族、異教徒を受け入れるということは大混乱を招きかねない、災いの原因となりうる。おそらく世界の多くの民は、日本人とは違って「よその国へお邪魔したら、子々孫々にわたっておとなしく、しおらしく、協調性を持ちつつ暮らし、まじめに慎み深く、波風を起こさぬように生きていきます」と考えたりせぬであろう・・・そういう者たちが日本人社会に入って来れば、やがて彼らはつけあがる・・・そして、何かといえば安易に人権だの言論の自由その他を口走り、様々な主張をし、デモなども頻繁にするようになるであろう(同時にまた日本では徹底した治安維持が出来きれない状況が続いたままでもある)。   
   
 日本は海に囲まれているから、そしてまた経済大国として世界的に知られてはいながらもやはり外国人が手にする地図のうえでは極東の、つまり地図上の右端にポツンと寂しく存在する小さな辺鄙な列島であるから、どちらかといえば外国人が移住に消極的になりそうな「微妙なマイナス要素をもつ存在感」を示せているけれども、将来的にどのように見られるかは分からない。「世界じゅうで日本が一番幸せそうな国だ」と思う人たちは多いし。   
   
   
 いま、日本の近くの某国がミサイル実験を繰り返している。このまま放置しておいて大丈夫だろうかと、日本国民は懸念を抱いている。対処法は何通りもありそうに見えるけれども、たとえ日本単独でなくどこかの国と合同してであろうとヘタに乱暴なことをすればこれは国際的な非難を浴びるから出来よう筈もない。   
 もっと穏やかな方法として・・・技術力が低い者たちでも確かなミサイル発射・運行制御を可能とするようなミサイル・キットを技術供与して次のようにアドヴァイスすることも、やっぱり危なくて出来っこない: 「どうせなら、このキットを使ってミサイル実験せよ。いまのお前たちの技術レベルでは実験に失敗して日本の秋田や新潟や、あるいは日本のどこかの原発に落下しかねないけど、その場合の人身被害などなどを賠償でけんやろ(不作の、うらなりみたいなトウモロコシや穀物・野菜を育てて食っているだけの民と比べ、日本人は稼ぎ・生涯賃金も命の値段も違うんやで)。このキットを使ってミサイルを正確にコントロールしてくれ。よろしく!」などとは・・・。   
 わりともっと穏当な方法としては、たとえば、食糧難にあえぐ辺境地の民などに上空から食糧支援して「世界の民は日々これくらい豊かな食生活を送っているのだぞ。これをもうしばらく提供し続ける。その間に諸君も頑張って民衆蜂起をして政権を打ち倒し、豊かで自由な暮らしの実現に向かってくれ」とそそのかす手段もありうるかも知れないが、それでもしかし・・・「そそのかし」をした以上、あとの顛末について責任をかぶりうる。   
 あるいは、自然崩壊・自滅のときまで待つか。側近やそれよりも下のあたりからのクーデター、権力者の不慮の死とそのあとの混乱などなど・・・。   
 だが、しかし・・・。とにかく問題は、どのような経過を辿ろうとも、かの国から他地域に逃れ、さまよう者たちが多く出るのではないか。これをどうするか。思うに、彼らについては、同じ民族が暮らす隣国、あるいは、少なくとも地続きのどこかの国に逃れてそこで受け入れてもらって(面倒をみてもらって)暮らすのが妥当というものであろう・・・当然ながら財政負担も当該国による。日本に入って来てもらっては絶対に困る。   
 海を渡って来るかどうかはともかくとして、日本としては、一人たりとも上陸させたくない。この場合に、やはりそれ以前(過去)において「移民・難民の積極的な受け入れを」などと声高にアピールしていればそこに矛盾感が生じ、どうにもマズイのである。   
   
   
   
(ひとときの脱線:)   
 世界各地の紛争、難民、貧困、児童労働などなどについての報道が伝わる。しかし、これに類したことは太古の昔からあったことであろう。情報網・メディアもろくに発達していなかった時代には、人々は遠隔地、ましてや地球の裏側の状況まで知りうる筈も無かったし、そういう問題は放置され、誰も手を差し伸べることなく、それで済んでいた/何らかの一定の決着を迎えていたのである(たとえ悲惨な結末でも)。現代では我々は多数の悲劇を(映像・音声つきで)目にし過ぎ、ウォッチ・モニタリングし過ぎているのではないか。   
 フリージャーナリストという人たちまでもいて、新聞社社員の記者では行きたがらない地域にまで足を踏み入れる。そして、彼らは誇らしげに「この現実を世界に伝えたい。どれほど危険でも私は頑張りたい、この世界から紛争や悲劇が無くなる日まで」などと語ったりする・・・戦争も紛争も、いろいろの理不尽も、決してこの世から消え失せることなど無かろうに、夢物語を信じて人生を賭けるとはまるで宗教関係者のようにおめでたいことである(もっとも、宗教関係者が施し・恵みを巧みにねだる手口に比べれば、彼らが報酬を得る仕方のほうがずっとリーズナブルではあろうか)・・・しかし、普通の手堅い生業では飽き足らず、危険な地域をめぐり歩き、その挙句、仮にも人質などとしてつかまれば身代金うんぬんの問題となり、それへの対応で多くの人の時間を浪費させるし、仮に身代金支払へとつながれば、同様の手口が連鎖するなど大迷惑が生じるのに。   
 が、そうしてジャーナリストらによって伝えられる現実に我々がいちいち真剣に見入っていたら、こちらは疲れてしまう。時に我々はもっと肩の力を抜いて「あのような紛争を繰り返して・・・困った衆生よのお」とつぶやきながらチャンネルを切り替えることもあってよいのではないか。日本人である我々にとってまず以って大切なのは日本と、そして、つながりの深い国・地域であろう・・・グローバルな視点および長期的視点で何から何まで考え洞察すること等については、その種の職責を担ったエリート層の仕事と割り切ることが我々凡人には許されていると思う・・・そうでないと、のびのびとした気持ちで生きていけない。   
   
   
 さて・・・。   
   
 日本国内の現在の平和と安定は、日本人がひとえに日本人のために築いてきたものである。「日本という国・地域は平和で素晴らしい、治安もよい、日々の食生活にも困らない」と褒め称える外国人もいるが、そういう社会は我々日本人のためにあるのであって、べつに外国人に次々と移住して来てもらって彼らにも一緒に堪能して欲しいわけではちっともない。   
 日本で労働力不足が予想されるなか、外国人が入って来て労働力提供をしてくれることはメリットもあるが、しかし、「彼らが高齢になって衰えが出始めたら本国に帰ってくれなくては困る」というのもまた否定できない事実であり、我々の本音である。移民・難民の医療・介護・生活支援などに関して日本人が支払う・負担する税金・社会保険料の一部でも回ることを我々は望まない。彼らは彼ら独自に、いわば民営の互助システム・保険システム・無尽など考え出すことがあってもよさそうに見えはするが、いやいやしかし、それに安心をして永住を目指すようになれば、やがて彼らは選挙権・被選挙権などを求め、そして日本人の中にもそれに理解と賛同を示すような者も現れ、日本はどんどんおかしくなっていくことであろう。(一部の、人格や業績面などで優れた人たちが日本に移住・帰化することにまで反対するつもりは無い。)   
   
 米国の大統領令について、これを、きれいごとで安易に批判することをしてはいけないと思うのである。何が大事であるか・・・人権も、そして自由(宗教・思想信条の自由を含む)も、差別否定の考えも、博愛主義も、確かに大切ではあるが、「せっかく築かれた何かを破壊される危険性」を憂う・警戒することも忘れてはなるまい・・・現在の米国の場合には「 テ ロ の無い、安全な社会」であろうか。そういう憂慮をすることなく大統領令を批判することについて、人によってはそれを「偽善」とすら感じもするのではないか。   
   
   
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 下のは「げんげ」という魚。   
 煮付けて美味い。   
   
 「漢字で“幻魚”と書いて“げんげ”と読むんですよ。美味いよ!」などと言いながら客にやたら擦り寄って来る魚屋のオッサンも以前いた(「こいつ、同性愛者かよ!」と思えるほど近寄って来ることが複数回あったので、この店には寄らなくなった・笑・・・どちらかと言えば「パーソナル・スペース」を大きく/広めにとりたがる筆者なのであるが、それを勘案してもなお、他人に接近しすぎるように見える人が時折いる)。    
   
 美味いけれども、ただ、大騒ぎするほどではない。普通程度に美味い。だから、妙に高い値段をつけて売られている場合には首を傾げる(アンコウとかじゃないんだから)。   
 ウロコが無く、また、皮とともにコラーゲンっぽいものがトロロローンと存在するので(ヌメリっぽく)、人によっては「キモい!」と感じるかも知れない。身の風味は、干物にしていないハタハタにちょっと似たところがある・・・背骨の具合も似ている。    
   
 なお、「げんげ」とは、魚のランクとして「下の下(げのげ)」と言われたのが訛ったものという説もある。しかし、「ランクづけ」してもなあ・・・過去に「猫またぎ」とされながら現代の日本人が喜んで食しているマグロの部位もあることだし・・・。   
   


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