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2018-10

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雑記



   
 しばらく前のブログ記事にて紹介した "Memories" レーベルからの新譜 = M.フォレスター/R.ルイス/セル/クリーヴランド管による「大地の歌」(1967年ライヴ)のCDがショップに置かれていたけれども、このたび筆者はその商品を買い求めず。しかし、この演奏を改めて聴きたくなったので、ずいぶん昔に発売された "Living Stage" レーベルのCDで鑑賞・・・写真のうち、下側のものがそれ・・・なお、ベルリン・ライヴであるかのような表記は正しくなく、クリーヴランドでの公演と考えられる。   
   
   
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 ちょっと前から、筆者も含めて「子供を持つこともなく中年期(以降)を迎えるに至った男どうし」の間で流行っていることがある。それは、何かの会話の折りに「(自分は)生産性がない人間だからさ」という自嘲のセリフを挟むこと・・・。これはもちろん、某代議士の発言に由来している。   
 ただ、上の自嘲は、誰の前でしても構わないというものではない。互いによく分かり合えている相手の前でしか発しない。妊活中の人もいるであろうし、いろいろの事情から出産を諦めざるをえなかった人、不幸にも子供を亡くしてしまった人などもいるであろうから。   
   
   
 さて、「同性婚のようなケースも含めて、夫婦が子供を産まないことは生産性がないと言えるのだろうか?」とか、「子供を産むにしても、夫婦(男女計2名)の間に1人や2人が生まれてもそれでは日本の人口維持には足りないのだから3人以上を産まなくては褒められないのだろうか?」などと、誰かの発言を念頭に置きつつあれこれ悩む人は実際のところ少数だろうと想像する。少なくとも筆者の場合、まったく気にもとめない。   
   
 で、そういう「気にもとめない人たち」はまた、それ以上さらに何かに思いをめぐらす・何かを考えるということも普通はしないだろう。ところが、筆者はついつい、あれこれと考えてしまうのだ。   
 たとえば仮に・・・「子供を産むこと」をもって「生産性あり! 出産マシーンとして合格!(女性についてはもちろんのこと、カップル揃ってについてもそれを“マシーン”と位置づけるものとする)」と評価するとしようか。その場合には、いわば「出産評価値」として、子供1人を産んだ場合は「プラス1」とし、子供2人を産んだならば「プラス2」として評価することは不自然な発想ではあるまい。   
 さあ、しかしだよ・・・。カップルが子供を1人産んだとしよう。これは「プラス1」と評価されるものとする。その子供が成長し、しかし、やがては殺人犯になったとする・・・過失致死とか、正当防衛に伴って相手の命を奪ってしまったとか、また、やむにやまれぬ深い事情があっての殺人などのケースは除いて考え、まったく身勝手な理由から凶悪殺人をおこなってしまうケースのみを想定することとする。さきほど一旦は「プラス1」と評価された出産評価値は、その子が1人の人間を殺した場合には「マイナス1」を及ぼして差し引き「ゼロ」へ戻るものと解すべきなのだろうか? 2人を殺したなら結果として「マイナス1」になる? 連続通り魔殺人事件で10人を殺したならば「マイナス9」なのか?   
 いや、しかし・・・殺した人の数だけマイナスを及ぼすのは「その子を産んだカップル」に対してでなく、「その子自身」に対してとすべきなのか? つまり、カップルの出産評価値はいつまでも「プラス1」のままであり、しかし、殺人を犯した子が、殺した人数分だけマイナスを背負うものと見なすべきなのか? とすると、子持ちでない人間が連続通り魔殺人で10人を殺したという場合には、今後に子供を10人産めば出産評価値はゼロまで回復してチャラになるのか? 13人を産むに至れば「プラス3だね、それでこそ日本の人口を増やすのに役立っているというものだ、でかした、でかした! あなたの多産の遺伝子、優れた素質も多く引き継がれるであろうし、それもまた素晴らしい!」と褒められるのだろうか・・・?   
   
 「普通は、その種の仮定の問題を考えたりしないよ」というのが、大方の意見だろう。でも、筆者は考えてしまうのだ。なぜなら、筆者が「自分は子供を持ちたくない。そういうことのない人生を選ぼう」との考えに至った理由は20も30もあるのだが、その一部は次のようなことだからだ:   
   
  「子供は親が思うとおりに育つとは限らない。しかし、子供は親とは別のひとつの独立した人格なのだから、それはそれで一応よいのだろう。だが、それでも、許せない・納得できないこともありえようというものだ。子供が、大罪を犯す者、けしからぬ政治思想などを持つ者、徴兵拒否するような者に育ったらどうする? そのように育った子供を目にして嘆いてしまう可能性をしっかり排除しようとするならば、子供を持たないという選択もまた間違いとは言えないのではないか? 子を得ないことはさほど後ろめたい・世間に申し訳ないことでもないのでは? 子供が学生運動やデモ行進に参加するような者に育つのもイヤだな。結婚は家どうしのつながりという面を持つことを忘れて好き勝手に相手を選ぶような者に育つのもイヤだな。ともかく、子育てにはあまりにも不安要素がつきまとうではないか」   
   
 筆者にはこのような発想があったから、「子供を産むカップルは生産性あり」的な見方に関しては、「子供がやがてどんなふうに育つかの問題をとりあえず脇におき(放っておいて)、とにかく産みさえすれば評価され、産まないのならば評価されないこと」をめぐって、どうしてもいろいろと考えてしまうのだ。   
   
   
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 小学生の頃、問題行動の多い同級生に関して、筆者の友人のひとりは「自分に子供が生まれたとしてさ・・・あんなふうだと困るよね!」みたいな発言をした。筆者も同感であったが、こういうこともまた「自分は子を持つまい」との気持ちを持つ原因になっているだろう。   
   
 小学生時代、問題行動の多い同級生は複数いたのだが、その極端な例は・・・。   
 A君は、いたずら・乱暴が過ぎる児童であったし、授業中もまた先生に叱られても言うことを聞かない子であった。他のクラスでは体罰をおこなう先生もいたのであるが、A君の場合は(おそらく小学校6年間ずっと)決して体罰をしない先生が担任になっていた。先生がA君に対してすることとしては、教室の後ろに立たせる・廊下に立たせるくらいが最高レベルであった。   
 で、A君の問題行動の一部、大きなものとしては、たとえば「同級生と普通ににこやかに会話をしていたかと思えば突然、相手の顔や腹を殴る(それも力いっぱい)」というものがあった。これは、突如として性格が豹変するというのとは違うのだ・・・筆者は彼の発したセリフを聞いたことがあるのだが、おおよそのところ「とにかく人を殴りたい。人を殺すこともしてみたい。凶器を使うのでなく、この生身の自分の力のみをもってするところに意味・醍醐味がある」という気持ちを口にすることがあった。だから、彼が殴る前にする「にこやかな会話」は、油断・リラックスした相手に対してしっかりと暴力を振るうための作戦要素であったのだ(いきなり殴るという行為は性格の豹変などによるものではないと考えられた)。ただ、彼に「凶器・道具を使わないスタイルの暴力」へのこだわりがあったとは思えない・・・なぜなら、閉じた傘の先端で友人を突くことをしたり、図工の授業中に同級生の手の甲を彫刻刀で突き刺すようなこともしていたからである。みずからの暴力行為を終えるとA君は満足そうに笑っていた。筆者は彼に殴られる等の経験をしていないが、襲われた側はたまったものではなかったろう。   
 A君はほかにも、こんなことをしていた: 公園のゴミ箱を倒して中のゴミを周囲に投げて散らかす、どこかの家の生垣の木を倒して土から引き抜いてそれを道路に放る、学校のでなく公営のプールにて「痰つぼ」の中身をプール(の水の中)にぶちまける、学校の夏休みのプール教室でろくに泳げない子をどついてプールに落としてその子が「おぼれる寸前」まで抱きついて意地悪をする、うまくおびき寄せたネコの腹を蹴る、いきなり唸り声を発して電柱やブロック塀を殴る・蹴る、友達から自転車を借りてその自転車に乗ってコンクリート塀めがけて思いっきり衝突する、スーパーマーケットの客の自転車何台もをなぎ倒す(転ばせる)、などなど。また、伝え聞いたところでは、自動販売機の中のカネや商品を盗る目的で自販機をしつこく蹴飛ばして金属のパネル/扉を歪めるなどの行動もあったらしい。(思い出しながら書き連ねてみると、やっぱり凄すぎるよなあ、絶対に。)   
 そしてやがて、皆、中学生になった。中学校では隣の学区の小学校からの卒業生も一緒になったわけだが、彼らは当然、A君の問題行動について何ひとつ予備知識・情報を持っていなかった。で、A君とのにこやかな会話の途中で思い切り殴られるという被害に合う生徒が何人もいた。また、A君はプロレスの真似が好きだったらしいのだが、教室のイス、音楽室の折りたたみイスを同級生の頭・背中にぶつける(予告無く背後からいきなり)ということもしていた(あまり力加減・手加減はせぬ感じであったなあ)。   
 中学校の先生たちのうちのひとりは、A君を叱るにあたって、最初の頃こそ出欠簿(表紙が硬い)で頭をバチンと叩くことなどしていたが、その後は特に何もしなくなってしまった。生徒の側も先生に何かを期待するのを諦めてしまい、出来るだけA君と関わらないように行動するのがせいぜいであった。(先生の側も、この種の暴力問題に関わるのを面倒がったと思う・・・仕事が増えるし・・・他の生徒の暴力問題などからしてもそのように察せられた。)   
 A君は卒業後に事件を起こすに至るのだが、それについてはここでは書かないでおく。(ああ、しかし、こういう事例でもやはり「子供への体罰はあってはならない」と言えるのだろうか・・・筆者は疑問を覚えるし、そして、正解というものが分からない。)   
   
 こういうケースを目にして来た経験も(それが特殊なものであると理解はしているが)、「子供を持つことの怖さ、不安の原因」になったな。   
   
   
 まあ、こんなことを書くと、「そういうこともありそうだから、公立の中学校はもちろん、公立の小学校についても、うちの子を通わせたくない。私立、または国立がいいのよ」と考える親御さんもいるかも知れない。しかし、子供や親の状況(性格・行動パターン・家庭環境・経済格差ほか)を見ながら入学者を選抜する(合格者を選ぶ)というプロセスが無い公立校だからこそのメリットもありはする。それは、子供自身が多様性を目の当たりにして何かを学ぶ・何かの教訓を得るということである。やたらと「多様性」とか「多様性の尊重」という言葉が好きな人も多いが、そしてまた、外国人の受け入れ・永住に肯定的な人も多くなっているが、そういう人たちこそ「将来を担う子供が公立校で過ごしておく経験」のメリットに目を向けるのがよいのではないか?(外国人の子、外国人と日本人との間に生まれたハーフの子などは公立校のほうに多く在籍するのではなかろうか・・・なお、「ハーフ」という呼び方は英語としては普通でなく、「半分が○○人、半分が○○人のミックス状態にある人 (mixed) 」みたいな言い方のほうが分かりやすい表現なのだろうと思う。なおまた、筆者はよく「混血児」・「混血の子」という言い方をするのだが、それを差別表現・蔑視表現だと指摘する人もいるから上ではハーフとの語を用いた(でも「混血」というのは差別表現ではないと筆者は思っている))。   
 どういう人とどう付き合えばよいのか。自分の身を守るうえで教員や教育委員会など頼れるものではない、自分が強くなる・周囲からの評価を得る・うまく立ち回れる人間になる・・・などで生きていく必要がある。それらのことは、温室育ち・ハイクラス環境育ちでは身につくものに限界があると言えるのではないか。たまたま学校が同じ・クラスが同じ等の理由で卒業後いつまでも「SNSつながり」を保つことが有益なのか等のことだって、子供自身が判断できるようになることが必要だろう。   
   

雑記


   
 HMVのサイト内に・・・指揮者ゴロワノフ(ゴロワーノフ、ゴロヴァノフ)に関する解説記事がある。紹介しておきたく思った:   
   
   
  https://www.hmv.co.jp/product/detail/9208858   
   
   
   
 なお、下のは新商品ではなく、以前からあるボックス商品。   
   


The pen is mightier than the 一般大衆・・・?


   
 何だか・・・筆者の受け止め方が間違っているのかも知れないが、「一般大衆はジャーナリストのことを批判してはいけない」的なことをはじめ、国民がジャーナリストに対して持つ自由意見などを抑えこみ、世論をもコントロールしようとしているのではないかと思えてしまうことを述べる報道関係者・知識人も目立つなあ。   
   
 もしも、「ジャーナリストは例外なく誰もが偉くて聡明・賢明で、一般大衆・凡人を超える知識・問題意識・バランス感覚などなどを備えており、言論の自由はジャーナリストにのみ許されている」のだとすれば、ま、筆者も考え方を変えねばならないのだろうけど。   
   
 が、しかし・・・或る種の危険をおかすジャーナリスト(ルポ・ライターなどと名乗る人たちも含む)、めぐりめぐっては日本の不利益につながりかねない行動をとるジャーナリスト、ほかに戦場カメラマンとかを・・・筆者としては、以前から、ちっとも尊敬する気にはなれないでいる。   
   
   
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 下のは・・・意味ナシ。   
   


雑記



   
 言うまでもなく、NHKには随分と古いテレビ番組の映像(および音声)が残っているものだ・・・歌番組、ドキュメンタリーその他・・・そしてまた、1964年の東京オリンピックに関してはカラー映像のものもあり・・・。   
   
 それにひきかえ、オリンピックから6年も後の1970年のセル/クリーヴランド管の来日公演の映像は残っていないとされるのは、どうしても残念で残念で。   
   
   
 ところで、これはカラヤン・ファン、ボスコフスキー・ファン(またはウィンナ・ワルツ好きの人)には朗報なのか・・・それとも既に何らかの形で世に出ている音源?:   
   
  https://www.hmv.co.jp/fl/12/2712/1/   
   
   
   
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 下の記事、直接の逮捕容疑のところまでを読めば「なんだ、たった12万円程度の話か」と思うであろうけど・・・大事なのはそのあとの部分・・・9億円、そして7割、8割という点だ・・・報道が正しいとするならば大きな問題事案であるなあ。   
   
   
  https://www.jiji.com/jc/article?k=2018102200994&g=soc   
   
   
 「みんながやっていること」ではない、「事情」があっての事案なのだろうけど、それにしても日本の医療費が食い物にされ・・・そしてわが国の健保、社会保障制度は・・・。   
   
   
   
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 最近の大学生の就職活動では「内定を2社以上から得たけど、それぞれの会社にまだ自分の返事(決断)を示していない。さて、どこに就職しようかな」で迷うというケースがそうそう珍しくなくなっているように思える。   
   
 筆者などが学生時代だった頃だと(昭和50年代)、「第1志望先でないところから早目に内定を得てしまった場合、妥協してそこに就職することを決意するか、それとも、第1志望先(または今回内定をもらったところよりも上順位の志望先)から今後に内定を得られる可能性に賭けて、今回の内定については(返事を遅らせるような失礼なことをせず早期に)辞退の意向を伝えるか」の決断をするのが普通ではなかったかと思う。なお、筆者の場合は配属職種へのこだわりがあったため、志望順位としてわりと下位のところから「配属職種の希望を聞き入れてあげる」的な約束を得たからさっさと妥協して就職活動を終えてしまったのだけど(なお、当然のことながら、就職活動スタートは周囲の人たちと歩調を合わせようなどということはこれっぽっちも考えなかった)。   
   
 さて、冒頭のような「最近の大学生」の親でもある、会社の仲間から「息子/娘が複数の内定をもらったけど、どちらの/どの会社を選ぶのがよいだろうか」との話を持ちかけられることが以前からよくある。   
 そういうとき筆者なりに考えるところを話すけれども、去年、そして今年は、可能である場合にはその内定を出した企業と同じ業界に属している知人に時間を割いてもらって親御さんと少し話を交わしてもらう機会を設けることもした。   
 たとえばの話、昔はもちろん、今の時代に、「新たに銀行マンとなる人たちはどのようなキャリア・プランを描く・心づもりするのがよいのか(幸せなのか・納得できる人生となるのか・豊かな生活を送れるのか)」ということは、ぜんぜん違う業界にいる筆者らには想像も難しいことである・・・それぞれの業界の人に改めてあれこれ話してもらうのがよいと考えるからである。   
   
 で、ついでに筆者自身も自分の興味に基づき以下のような質問を発したり・・・。1番目のものは銀行の人に向けての質問であるけれども、それ以外は銀行以外の相手に向けての質問からその一部:   
   
 「たとえば投資信託、保険商品などを顧客/預金者に勧めようとする場合、本心から“この人のために良いものを”と考えて商品選択をしていますか? それとも銀行に入る手数料収入こそが選択基準ですか? ノルマ、上司・支店長らの指示のあんばいはどうなっていますか? 不動産関連融資ではスルガ銀行のようなケースは他の銀行にもあると思いますか? また、銀行側に悪意が無くても、しかし、だまされてしまっているケースはあると思いますか?」   
   
 ・・・なお、不動産関連融資について興味ある方は次の記事も参照を・・・もしも報道が事実を反映しているとするならば困った問題だ:   
   
  https://www.asahi.com/articles/ASL9P777TL9PUUPI004.html   
   
   
 「お宅の同業他社である○○社には・・・・・・みたいな評価・噂もありますけど、どうなんでしょう? あの会社、クソ根性が悪いですよね、創業者の生まれ育ちが悪いからですかね? 将来、経営陣が代替わりしても、会社に染み付いているものは簡単には直っていかないような気もしますが、どう思いますか?」   
   
 「お宅の同業他社である○○社が中途採用する場合、うちの近所で研修をすることが多いみたいで、お昼の休憩時間には・・・・・・の辺りで研修生がテスト対策として仲間どうしで出題し合って知識確認していたりしますが、それを傍で聞いていると、彼らの頭のレベルが如何に低いかがよく分かるんですけど、例としては・・・・・・。あんなんでも社員として通用するんでしょうかね、珍しくないことですか? 業界でも下位になるとああいう感じですか? だとすると、接するお客さんの側もビックリでしょうし、そしてまた、管理職は苦労の連続ではないですかね?」   
   
 「世間の噂をやたらに信じるわけではありませんが、お宅の業界で、女性社員による枕営業というのは存在しますか? ノルマがきつくて自らそれを選ぶケース、上司がそのように差し向けるケース、或るいは、察知した上司が見て見ぬふりを続けるケースなどなど、考えられますか? 娘を就職させる親御さんとしてはたいへん気になるポイントでもあるでしょうし、実際どうなんでしょう?」   
   
   
 ・・・上のは質問の一部。   
 しかし、これらについては、特にビックリするような話・回答は聞かれなかった。むしろ、もっと違うテーマについて色々と興味深い話、新鮮な話、オフレコ発言級の話などを聞くことが出来たりして、親御さんの側も、筆者も、ともに有意義な時間を過ごすことが出来たりする。   
   

日本の医療費は・・・


   
 「健康保険料が高い(その金額が大きい・負担感がハンパではない)」と嘆いているのは筆者だけではあるまい。実に多くの人が同様の感想を持っているはずだ。   
   
 高齢化社会になっているというのも大きな理由ではあるが、わりと小さめなことまで挙げていくと、次のようなことだって散見される・・・。   
   
 例1.中国人が日本国内において、小さな自己負担で高額医療のようなものをやってもらうケース・・・日本にやって来て健保の被保険者の資格を得てから診察・治療を受けて(自分だったり身内だったりを診てもらう)、まんまと上手いことをやってのけるのだ。厚生労働省はようやく実態調査に乗り出すらしいけど。   
   
 例2.現に病気であるにもかかわらず、医師の指示に従っていないような食事・飲酒を重ねるケース(居酒屋では、自分でインシュリン注射だかをしたうえで酒を飲みだすケースも目にするし)。   
   
 例3.「健康によくないかも。念のためこういう食事は控えておこう」との決意が出来ないような人もいる・・・傍から見ていて「その食事量は異常だろ」とか「著しい/顕著な肥満体なのに、おやつにケーキやシュークリームとか、どうして食べるんだよ」などと思わされるケース。   
   
 例4.学生時代、または若き日とは体の動かし方その他も違っているのに(スポーツをしなくなったようなパターンを含む)、かつての食習慣をそのまま続けているケース。   
   
 例5.まだ若いのに、それこそちょっとしたことで年に2回も3回も病院・医院を受診しているようなケース(なお、筆者が問題視しているのはあくまで「ちょっとしたこと」である。ぜひとも医師に診てもらうことが必要なもの、虫歯治療などなどは、これは「やせ我慢」すべきものではない)。   
   
 例6.生活保護者である患者について、病院から病院への「患者ころがし問題」。   
   
   
 上のようなことが抑止され、或るいは反省されるなどしないと、医療費の伸びを緩やかに抑えていくことはますます難しくなるであろう。    
 例えばまた、「自分は健康保険料を負担し、そして納税もしている。だから医者にかからないと損だ」などという考えは捨ててもらわないといけない。「必要な場合に限って医者にかかる。そうでないのにやたら医者にかかることは、他の健康な人、そして国民全体に対する迷惑行為なのだ」との認識が醸成されるべきであろう。   
   
   
 そして・・・美容目的のために、他の国民に負担・迷惑を及ぼしている事例:   
   
  https://news.yahoo.co.jp/pickup/6300580   
   
   
   
 このようなケースに関しては、医師の診察・処方に関わるコスト・診療報酬相当額、そして医薬品の代金などは、100パーセント本人負担とされるべきものであろうし、1円たりとも健保などへ請求されることがあってはならないことだ。   
 もしも「ニセ患者と、それに同調してしまう医師とが結託して診療報酬などを不正請求する行為」という構造になっているのであれば大いに問題だ。ニセ患者の側はまた、すべての国民に対して「たかり行為」をしているとも言えようか。   
 美容・顔の美しさを求める以前に、醜い心、さもしい根性を何とかしていただきたいものだ。   
   
 目的を逸脱した処方のケースは他にもあるとは聞くけど・・・困ったことだ。   
   
   
 なお、繰り返しのようなことになるが、上の1で触れた中国人の問題に関しては、中国の最高権力者が暗に伝えているメッセージに目を向けるべきである。この人は自らの名前をもって世界に対して、そして日本に対し、「 See 人品!」(人品を見よ)と呼びかけているではないか。中国人は自分にとって「お得!」と考えるならば、自身の品性に疑いを持たれようともお構いなしに何でもやらかすし、日本の健保にもたかる、そういう民族であったりする(これがあてはまらない、ちゃんとした人たちもいるが)。「アヘンを吸って頭がおかしくなってしまった連中の子孫だから仕方ない」と諦めて接していては大変なことになる、放っておけば日本の財政をも食い物にされてしまう。中国人の健康回復の面倒まで日本の負担でやっていてはたまらない・・・たとえ彼らが医療目的で日本にやって来るにせよ、金持ち層を中心として100パーセント自己負担で医療を受けてもらうのが相当というものだろう。   
   

セルの新譜


   
 ギレリス、カーゾンのピアノ、そしてセル指揮クリーヴランド管による、ベートーヴェンのピアノ・コンチェルトのライヴがCDで登場する(ギレリスとの第3番(1966年)、カーゾンとの「皇帝」(1967年))。   
   
 これらの音源もまた過去にCD-R盤商品などで登場したことあるのだが、こうしてまたCDで入手可能になったことはファンとして嬉しいことである。   
   
   
  https://www.hmv.co.jp/fl/12/2683/1/   
   
   
 少し前に紹介した「大地の歌」と同様に10月20日発売予定とのこと。   
   
   
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 下の2つの写真はブログ画像庫からのもの。   
 まず1番目のは、セルが指揮を受け持ってのベートーヴェンのコンチェルトのライヴ音源を含んでいるCDから・・・(ただし、右下のはフライシャーとのセッション・レコーディングのもの)。   
 左上のCDにはギレリス/セル/ウィーン・フィルによる第3番が含まれている。   
 左下のはCD7枚組商品なのだが、カーゾンのピアノによるものが含まれている(オケは第4番がシュターツカペレ・ドレスデン、「皇帝」はウィーン・フィル)。   
 右上のものにはニキータ・マガロフ/セル/シュターツカペレ・ドレスデンによる「皇帝」が含まれている。   
   



   
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 次いで下のは・・・。   
   
 青い色のジャケットは、忘れられがちなモイセイヴィチ/セル/ロンドン・フィルによる「皇帝」(1938年)を含むCD。   
   
 真っ黒いディスクは、カーゾン/セル/ロンドン・フィルによる「皇帝」(1949年)を含むCD。   
   
 下のほうの真ん中のは、グルダ/セル/ウィーン・フィルによる「皇帝」ライヴを含むもの(CD・DVDセット商品)。   
   


「有料化を憂慮する・・・」 もしくは 「町のコンビニがインコンビニエンス・ストアに変身する日」?


   
 買い物すると客に渡されるレジ袋・・・環境省はこれを有料化したいらしいけど。   
   
 その考えは理解できなくもないが、しかし、筆者(すなわち客・消費者の立場として)はビミョーに不愉快な気分かな。   
 だいたい筆者、ああいうポリ袋が河川や海に流れ込んでしまうような扱い方・捨て方をしていないし(屋外の、公園や河川敷やコンビニなどに備えつけのゴミ箱にあのような袋を捨てることなどないし)・・・にもかかわらず、レジ袋に関連する手間・負担を及ぼされるのは気分よろしきものではない。捨て方についてのマナー徹底を呼びかけるなどで対応して欲しい問題かな・・・国全体で消費されるレジ袋が減ったとしても、しかし、海水浴、海や川での釣り・レジャー、河川敷での花火大会やバーベキューなどに際してマナーを守らない人が減らないとするならば、環境問題の解決につながらないのではないか。   
   
 レジ袋の有料化は、お店の側としても手数が増えるから迷惑に感じたりするであろうなあ。   
   
 店としては、次のいずれの方法を採用してもよいのか、それとも、Aの方法しか認められないのか?   
   
 方法A: レジ袋を客に渡す・商品をレジ袋に収めて渡すにあたって、袋代として例えば10円などを請求する。   
   
 方法B: レジ袋を要らないと言った客のレジ精算で、例えば10円などを値引きする。   
   
   
 スーパーマーケットの場合は現時点でレジ袋有料化を実施しているところも多かろうし、それはちょっとおいておくとして・・・。   
   
 コンビニの場合、大半の客は商品をレジ袋に入れてもらいたいと願っているのではないか?・・・すると、今後、上のAの方法しか許されないならば、多くの客に対してレジ係スタッフは「レジ袋代」を請求(商品代金のほかに加算処理)する一手間が増える・・・などと心配することは意味ないことなのかどうか(「レジ袋を有料化しているスーパーと同じに頑張ってくれたまえ」で片付ければよい話なのだろうか)。   
   
 また、上のAにせよBにせよ、客の側としては「レジ袋、付けてね」または「レジ袋、要りません」と言ったり、または意思表示カードのようなもので意向を示す手間が生じる。もしも客の側が自分からさっさと意思表示しない場合には、レジ係スタッフは客の意向を尋ねる手間を負うことになるし・・・。   
   
 コンビニで飲み物1本を買うくらいならレジ袋は要らないと、多くの客は思うであろう。でも、「おにぎり3つ、サラダ、飲み物1本」のように買い物する客は当然のようにレジ袋に入れてもらえるものと期待して生きて来た筈・・・レジ袋の有料化は、(レジ袋代の金額の多寡の問題をおいても)レジ袋の必要・不要についていちいちレジ係スタッフとの間で意向の確認を要することにつながり鬱陶しく面倒なことだ。   
   
   
 「レジ袋」とは、どこからどこまでを指すのか?   
 町の豆腐屋さんが商品を入れて渡す手提げポリ袋も? 客が仮に「あんな小さなポリ袋は再利用することもなかろうし、袋代など払いたくない」と思うなら・・・客は鍋とかタッパーウェアなどを持参して豆腐屋さんに行く?・・・みたいな昔風のことはしないな、家庭内のどこかにある余ったレジ袋を持って買い物に行けばよいのであるな(しかし、面倒なことだ)。   
   
 駅弁の手提げポリ袋も?   
   
 寿司屋、ウナギ屋、やきとり屋などで食事したあと、家にいる家族のために「おみやげ」として何か注文し、それを手提げポリ袋に入れてもらう場合は?   
   
 重たいもの・角張ったものを買い物したときにはレジ袋を2枚重ねしてくれるような、気の利いたお姉さんのいる店もあったりするが、今後このような場合、店としてはレジ袋代は2枚ぶんを請求する義務が生じる?   
   
 冷たいものと温かいものを同時に買い物したとき、または、買い物帰りの途中で結露の生じるような品と湿気を嫌うものとを同時に買い物したとき(例:缶ビールと雑誌・ノートなど)、或るいは、食品と殺虫剤や洗剤を同時に買い物したとき、店側が複数のレジ袋に入れ分けてくれることは珍しくない。この場合もまた店としてはレジ袋代はその枚数ぶんを請求する義務が生じる?   
   
 神社その他のイベント・縁日に出店している店で買い物するときに渡される手提げポリ袋も?   
 学校の文化祭などでの模擬店で買い物するときの手提げポリ袋は?   
   
 農家の産地直売コーナーで白菜やニンジンを買い物するきは? 対面販売でなく無人販売の場合に客が適宜に使えるよう備えてある手提げポリ袋についても今後は「野菜の代金のほかに、ポリ袋1枚につき10円を加算して代金投入箱に入れてね」みたく掲示しなくてはならなくなるのか?   
   
 クリーニング店が、仕上がった洗濯物などを客に渡す・届けるときの手提げポリ袋も?   
   
 本屋さんがビニールでなく紙製の袋を利用している場合にも有料化が義務づけられるのか? 紙製であれば対象外?   
   
 老舗の菓子店や高級ブランド衣料品店などが商品を入れて渡すような、厚紙または厚手ビニールの袋で紐なども付いているようなものとかも?・・・(「品物代にこれだけ高い金を払っているのに、袋をタダでくれないなんて! それって、店の格に不似合いなセコい印象を受けるんだけど」と思ってしまう客も少なくなかろうになあ。)   
   

或る工夫と努力・・・?


   
 「さて、ここまで本日のニュースをお届けしましたが、このあとはシリーズでお伝えしている“東京オリンピックを控えての、街のおもてなし研究”です。昨日はホテルの事例でしたが今日はお寿司屋さんです・・・では、川島アナウンサー、お願いします」   
   
 「はい・・・今わたくしがお邪魔している寿司店さんは、外国人のお客さまのためのメニュー研究に積極的に取り組んでいらっしゃるということでして・・・。では、ご主人にお話をうかがいましょう。どのような視点から新しいメニューを生み出したのでしょう?」   
   
 「えっと、そうですね・・・外国人のお客さまの場合、お寿司のどれもこれもを醤油の味で食べるということに飽きを感じる人もいらっしゃいます。また、生の魚介類が苦手な方もいらっしゃいます・・・マグロや蒸し海老は召し上がっていただけてもイカ、アジ、ウニ、イクラなどの風味には抵抗を覚えてしまう方とか・・・。それから、ベジタリアンということなのでしょうか、カッパ巻、かんぴょう巻くらいしか注文されない方もいます。そこで、もっと多くの、新しいタイプのお寿司を考えることにしたわけです」   
   
 「なるほど。では、ここに並べられたお寿司のいろいろを、紹介していただけますか?」   
   
 「はい、このあたりは軍艦巻ですが・・・この茶色っぽいネタはピーナツバターです。もちろんピーナツバターだけでなく、その下に、実は隠れるようにコハダをカットしたものが置かれています」   
   
 「ちょっと頂いてみましょう・・・あ、ピーナツバターの香りの中に、コハダの酸味が・・・」   
   
 「どうです? おいしいでしょう?」   
   
 「・・・あ・・・はい・・・ご飯とピーナツバターの組合せでねっとりした甘味のある食感・・・それにコハダの酸味と、海苔の香り・・・かなりユニークな舌触りと味わいですが・・・おいしいと言えますかしらね(汗)・・・さっき離れたところから拝見したときはウニの軍艦巻かと思ったのですが、ぜんぜん違いました」   
   
 「ああ、そうですか・・・ウニと言えばですね・・・こちらはウニを使っています」   
   
 「では、これも頂いてみましょう・・・これ、ウニの味もしますが、何かちょっと違いますね、それと、細かいものも歯に当たりますが・・・何なんでしょう?」   
   
 「これはですね、ウニとレバー・ペーストとを二層に盛った軍艦巻です。クレソンを細かく刻んだものもレバーペーストに練りこんでありますので、独特の味わいをお楽しみいただける当店の自信作のひとつです。そして、その隣にあります、こちらのお寿司・・・これはハマグリです・・・ハマグリの下に、実は粒マスタードとオレンジ・マーマレードが置かれているんです。ほかにハマグリ、黒コショウ、ブルーベリージャムの組合せでも美味しいんですよ。・・・それから、こちらのは、かんぴょう巻です・・・色が黒っぽいのは、オイスターソースやイカスミで味付けしているからです」   
   
 「これらはすべて、醤油は付けずに頂いてよろしいのですね」   
   
 「ええ、そうです。それからこちらは普通によく見かけるイクラの軍艦巻をアレンジしたものですが、イクラとラム・レーズンをミックスして、下にはゴマ油で炒めたニラが隠れています・・・イクラにある甘味にさらにレーズンの甘味、ニラとゴマ油の味わいが加わって、濃厚でありながらもニラの風味が生きた、贅沢な味のハーモニーを堪能いただけます」   
   
 「なるほど・・・。あれ、こちらのもお寿司ですか?」   
   
 「あなたね、冗談を言ってもらっては困ります・・・これのどこがお寿司なんですか! これは見てのとおりラーメンです」   
   
 「あ、やっぱり・・・」   
   
 「わたしのポリシーは、儲けるためなら何でも用意する、ラーメンだってメニューに加えちゃうって感じなんです。寿司にこだわるわけではないんです」    
   
 「醤油ラーメンっぽいですが、スープがかなり黒い感じですね」   
   
 「ソース・ラーメンです。珍しいアイデアではないんですよ」   
   
 「ダシはどのように?」   
   
 「この商売していますとね、魚のアラなど色々と使って贅沢なダシを用意できてしまうんです。日によって出来るダシは変わりますが。今日のこれはキンメダイやサンマ、ホタテの貝ヒモからのダシが多いですね。そこに、とんかつソース、中濃ソース、ほかに秘密の香辛料をブレンドしてラーメンのスープを作っています」   
   
 「トッピングされているのは何でしょう?」   
   
 「そこは当店らしく、まず、お刺身のいろいろですね・・・熱々のソース味スープに合うということで、ここに乗っているのは甘エビ、サヨリ、つぶ貝です・・・スープによく浸して食べていただきたいですね。べつにこのような刺身でなくても、特に白身の魚などを使うのがおすすめです。他に、がんもどき、水菜とモロヘイヤのおひたし・・・栄養バランスも良いと思っています。ちょっと冷めてしまっていますが、お召し上がりになりますか?」   
   
 「あ、のちほど番組が終わってからにさせてください。・・・わー、こちらは茶碗蒸しですね? わりと大きくて・・・」   
   
 「そうです。当店の茶碗蒸しはちょっと自慢の面白いアイデアが加わっています」   
   
 「どんなアイデアですか?」   
   
 「茶碗蒸しの中に、ゆで玉子が入っています・・・うずらの玉子のですけど」   
   
 「はあ・・・なるほど。その他の具は何でしょう?」   
   
 「カツオの血合い、味付けした牛タン、らっきょう・・・ですね。カツオの血合いは独特の臭いがあって嫌う人もいらっしゃいますが、慣れれば、茶碗蒸しにこれが入っていないと物足りなくなる筈です。栄養価も高いので、おすすめです」   
   
 「そうなんですね。では、再びお寿司にもどりまして・・・こちらのは何でしょう?」   
   
 「シラウオですね・・・当店の自家製コーヒー・リキュールに2時間以上は漬けこんだものを使っております。シラウオの下にはニンニクおろしが隠れています。醤油をつけて召し上がっていただく品になります・・・自分で言うのもちょっとあれですが、コーヒー、ニンニク、醤油がミックスされた風味で味わうシラウオはまさに絶品です」   
   
 「ああ、なるほど・・・。次のこれはカズノコかと思われますが、何か白いペースト状のものが添えられていますね?」   
   
 「召し上がってみてください。これは醤油を付けてどうぞ」   
   
 「はい、では・・・あ、これはミントの風味、でしょうか? カズノコとミントと醤油の風味で・・・」   
   
 「そうです、よくお分かりになりましたね。カズノコに、ミント風味の練り歯磨きをちょっと添えてございまして・・・なかなかの風味でしょ?」   
   

「銃よく剛を制す」(一部の米国人?)、「銃よく郷を制す」(軍事政権国ほか一部地域?)、「田で食う虫も好き好き」、「天高く馬超ゆる秋」・・・


   


   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   



   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   



   
   
 秋、そして冬・・・この時期になると食べたくなるものはいろいろとある。   
   
 上の写真は過去のものの再掲で、1番目のはスケソウダラ(スケトウダラ)の味噌煮、2番目のは鶏モツ煮。   
   
   
   
 そば屋で昼食をとっているとき、ふと「新そば」のことが思い浮かび、で、世には「カレーうどん」ばかりでなく「カレーそば」・「カレーなんばん(そば)」があるけれども、しかし、「マーボー豆腐」や「マーボーなす」ならぬ「マーボーそば」を思いつく人はいるまいと思った・・・しかし、ネット検索してみると、そういうアイデアはあるのだなあ、「マーボー春雨」がある以上、当然の無理ない発想であろうか(この場合の「そば」はラーメン・焼きそばの麺でなく、日本そば)・・・うーむ。   
   
 なお、筆者は「マーボー豆腐」等を好まないので、「マーボーそば」についても食べてみたいとか調理してみたいとか思わないけど(そばの風味が、マーボー風味に負けてしまいそうな気がするがどうなのだろうか)。マーボーは何にでも合うという人もいるけど、ま、好みは人それぞれ、どれが好ましい嗜好、変な嗜好というのもちょっと・・・。「マーボー・パイナップル」、「マーボー・バナナ」というのもアリ?   
   
 では、秋冬に向けて、こんな料理アイデアはあるのだろうか?   
   
 「マーボーまつたけ(松茸)」   
   
 「まつたけスライス入り濃厚激辛カレーライス」   
   
 「まつたけの粕汁(酒粕汁)」   
   
 「まつたけ糠漬(ぬかづけ)のあぶり焼き」   
   
 「マーボーししゃも(焼きししゃも使用)」   
   
 「なまこ入りカレーライス」   
   
 「なまこ入りフォンデュ」   
   
 「ズワイガニの粕汁」   
   
   
 ・・・幾つかをネット検索してみると・・・あるものもあるのだなあ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 一読して、晴天の秋空のように爽快な気分になれる記事を紹介しよう:   
   
   
  https://president.jp/articles/-/25849
   
   
 ま、味覚と同様で感じ方は人それぞれ・・・「爽快な気分になれる」というのは、一応、冗談のつもり(筆者としては)。   
   

セルの新譜


   
 M.フォレスター、R.ルイス、セル/クリーヴランド管によるマーラー/「大地の歌」(1967年ライヴ)のCDが発売される。   
   
  https://www.hmv.co.jp/fl/12/2657/1/   
   
  https://tower.jp/article/feature_item/2018/10/04/1101   
   
   
 この演奏、実は過去に複数のCD商品で登場しているのだが、現在では入手しにくくなっていることだろう・・・今回の商品を得たいファンは少なくないと思う(誰でも気軽に買い求めやすい価格なのも喜ばしい! 10月20日発売予定のようだ)。   
   
   
 下の写真は、ブログ画像庫から過去のものの再掲・・・上側のCDは今回話題とは無関係であるが、下側のはセルの「大地の歌」の、ずいぶん前に発売されたCD・・・ここに「ベルリン・ライヴ」であるかのような表記が見られるがこれは誤りと思われ、クリーヴランドでのコンサートのものと考えられる。   
   


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クラシカルな某

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クラシック音楽好きです。