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2018-08

Latest Entries

「応用仏理」、「漁師力学」、「満身僧衣」、「近畿雀躍」、「蛮児、窮す」、「油脂麺食の処分とする」、「・・・友に白髪の生えるまで」・・・



   
   
  「おまえ百まで、わしゃ九十九まで、介護と葬儀は頼んだぞ」   
   
  (大意)「同い年で結婚したお前と俺・・・お前、元気で百歳まで生きろよ。俺は少し遠慮して九十九歳で先にあの世へ行かせてもらおうかな。それでだ・・・ついては、俺の介護と、それから俺の葬式のこと、よろしく頼むぞ。その後のお前自身についての介護や葬式については、それはそれで、お前、よく考えておけよ。で、俺はあの世で一人ぼっちで長いこといるのも寂しいから、お前もちょっと遅れてやって来い」   
   
   
 ・・・「えええーっ?」という言い様・言い分であるな。   
   
 なお、本来のことを言えば、「おまえ百まで・・・」の言葉は、これは女性側が発した言葉である(「おまえ」=「おまえさん」=旦那・夫、「わし」=妻である)。   
   
   
   
 人生百年時代と言われる。これについて様々な点から関心が寄せられているが(老後の生活・カネのこと、何歳まで働くか、年金財政のこと等)、それはともかくとして、多くの人が当たり前のように百年生きるとなると・・・:   
   
 親も子も孫も、それぞれが早目に結婚・出産を済ませているケースの場合・・・たとえば、それぞれが25歳までには第1子の出産を済ませている場合には、やがて或る時点では4世代がみな生きているということになる: 一番上の世代は「やしゃご」の顔を見ることが出来ることになるが、そういう状況があちらでもこちらでも「珍しくないこと」になるというのは、うむ、やはり凄いことだなあ。   
   
 晩婚化に歯止めがかかるのか・・・それへの期待も少しは出来る?:   
   
  https://www.businessinsider.jp/post-174187   
  
   
 冒頭の写真・・・ケーゲル指揮のシベリウス第4番を収録しているCD、その他。   
   

蕎麦(そば)屋で・・・



   
 (↑)これはまだ夏が本格化していなかった頃の写真。でも、暑くはあった。   
   
 ゲルインクのボールペンにインク漏れが発生した(写真中の上側は、ボールペンの中身のインクの入った軸を取り除いた状態)。ペン先を引っ込めてある状態(退避状態)のときに漏れが生じていた・・・暑くてインクが膨張して漏れるに至ったのだろうかと、最初はそう思った。   
   
 しかし、よく観察してみると、どうも中の「インクが入った軸」が微妙に曲がっている感じで・・・それがため、ペン先が、外側の軸の先端の穴付近に接触してインクが伝わって流出してしまったのではないかと思え・・・で、インクの入った軸を、適当にしならせて「まっすぐになったかな」っぽい具合にしたところでセットしなおした。その後は問題なくインクを最後まで使い切ることになった。   
   
 幸い、このテのペンは持ち歩きしないので、衣服やバッグなどを汚すこともなく済んだ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 以前のこと、「こうして蕎麦(そば)屋で酒を飲むと、居酒屋などで飲むのと違って早くに酔いますよね? どうしてでしょうね? こっちの酒のほうが高級とかいうこともないし・・・たとえ高級でもアルコール度数は同じなことが多いし。でもやっぱり濃いこともあるでしょうかね・・・居酒屋のほうでは酒を薄めて出しているなんてことは、まさかないでしょうに」と訊かれたことがある。   
   
 上の感想は筆者も抱いたことがある。蕎麦屋だと、確かに早目に酩酊感がスタートするのだ。筆者なりに考えている理由は、こうだ:   
   
 会話しながら飲むという状況の場合においては・・・。居酒屋での会話の仕方に比べて蕎麦屋では口数が少なめになる(ちょっとばかり会話の内容や進め方、乗り、トーンが違うことが多い)。さらに、居酒屋の場合には自分たちの周囲・店内に響き渡る他の客たちの会話の音(こちらにとっては騒音・雑音という位置づけになろう)が大きいことが多いが、それに比べて蕎麦屋の店内のほうが静かである・・・すると、蕎麦屋で交わす会話では声量が小さめになる。以上のことから、蕎麦屋で飲むときは呼気の量も少なくなりがち・・・よって、体内摂取されたアルコールの発散が進みにくい。さらにそれに加え、会話での口数が少なくなれば、酒を舌の上で転がしてその旨味を楽しむ時間が長めになる・・・胃腸よりも先の段階で、舌からのアルコール摂取が多めになって酩酊が早まる。   
   
 ま、正しい理解か分からぬけど。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 日本語を解さない出席者が一人でもいれば、その会議は英語で行なうというのが職場の基本ルールとなっている。   
   
 ずいぶん前のことだが、そういう会議のあと、一緒に出席していた別部署の若手から「前から尋ねてみたかったんですが、(あなたは)どのように英語を勉強しましたか?」と問われることがあった。   
 参考になるような話は出来そうもないと思えたし(英会話学校に通ったこともない)、そして、これは筆者が本心から思ったことなので「君の場合には、職場の身近の先輩に○○君がいるじゃないか・・・彼の話を聞いたほうがよほど参考になると思うよ」と応じた。   
   
 すると、このように言われてしまったのである:   
   
 「あの人は・・・頭の出来が違うと思うんです。英語の能力にしても完成形みたいな感じで。追いつくとか真似するとか、絶対に無理って感じがして」   
   
 ふむふむと納得したが、面白いから筆者はこう言った:   
   
 「おー、なるほど。俺レベルの頭の人間なら参考にするのに“もってこい”ってわけだな」   
   
 相手は慌てた表情をした。ま、笑っておしまいにしたけど。   
 彼が発した言葉のようなものも「タメ口」に当たると感じる人がいるかも知れないが、筆者はいちいち気にしないし、むしろお互いに笑い合える方向へ持ち込むほうがよろしい・建設的な展開と思っている(よその会社の人に向かって無神経な物言いなどしてもらっては困るけど)。   
   
   
   
 アメリカ人を交えて食事しながらの雑談で筆者が "no sooner A than B" という言い回しを使ったことがある。一緒にいた人からあとで「あの言い回し、よく覚えていますね・・・あれって、とっさのときに A と B と、どちらの位置に“先の事(先行する事象)”を置くのか迷っちゃうんですよね 」と言われたが・・・。   
 うーん、自分でも、よく記憶にとどまっていたなと思った・・・40代も後半の頃、実に、この表現を使ったのは社会人になって初めての筈・・・。   
 ただ、日本語で「AするやいなやB」と言いたいならば、そのままの順で "no sooner A than B" と言えばよい筈だとは記憶していた(なお、パターンによっては主語・動詞・助動詞の間で倒置表現を伴うが)。そのように機械的に覚えてしまって本当に大丈夫なのかと疑うのであれば、一度、上の表現を以下のように理屈っぽく訳してみると納得できるのではないか(自分が高校生のときに考えたことだ・・・先生からはこのような説明を受けることがなかったが):   
   
 「Bという事象が発生したタイミングに比べて、Aという事象が先行した度合いはほんのちょびっとで、それはゼロに等しいくらいものだ・・・つまり、Aの事象のほうが僅かだけ先んじている」   
   
   
 しかし・・・高校までに、或いは大学の教養科目での英語の授業で教わりながら、社会人になってみたら一度も使っていない単語や表現というものは実に山ほどあるなあ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 「7月某日に取引先の人たちとゴルフの予定があるのですがメンバーが足りなくなって・・・一緒に出ていただくことは出来ないでしょうか?」と、後輩のA君から言われた。   
   
 A君とはこの2年ほど定期的な会議で顔を合わせるようになったのだが、しかし、それぞれに違う部署・畑を歩んで来たため、彼は筆者がゴルフをしないことを知らなかった(仮にゴルフの趣味を持っていたとしても、クソ暑い夏にプレーするのは御免だと思えたが)。   
   
 それでも筆者としては何人かにあたって、ゴルフに加わってくれる者をなんとか見つけてあげることが出来た・・・女性ふたり・・・最初は「日焼け」を警戒してこのシーズンのゴルフに躊躇していたが快諾してくれた。筆者としてはまた「あとでA君がお礼にご馳走してくれるだろう、そうに違いない」とも言い添えた。   
   
 昔から筆者の会社では一部の事務系部署ではゴルフ好きの女性が多い。   
 まだ男女雇用機会均等法が無かった頃、女性に任されるのは「定型的業務ばっかり」という形であったが、日常業務は彼女らのスピーディでミスの無い仕事によって回っていた。にもかかわらず彼女たちの出世は閉ざされていたからそこには不満も鬱積していた・・・ゴルフと、男性社員(特に新人・若手)への嫌がらせなどは、彼女らの「うっぷん晴らし」のひとつともなっていたように筆者は思う(筆者は幸い、彼女ら先輩女性から嫌がらせのようなものを受けたことは皆無である・・・それは彼女たちが担当する職務の大切さを十分に理解し、また、こちらの仕事が忙しくても彼女らの仕事がスピーディに回るよう伝票・書類のチェックその他に関して快く優先的に協力もしていたし、今日で言うところの逆セクハラっぽいものにも上手に対応していたからであろう(逆に、彼女たちを見下すようなことをしていた男性とか、逆セクハラをスマートに上手に活用・回避することが出来なかった男性は、いろいろな形で厄介な思いを重ねるケース、泥沼落ちするケースがあった)。ま、伝統のように、一部の女性社員はゴルフ好きである。   
   
 ゴルフも無事に済んだようで、過日は、思ったとおりA君が女性たちに、そして更に筆者にもご馳走してくれるとのことで・・・。   
   
 食事などした後、A君からご馳走になってばかりでは申し訳ないからスナックへ誘うことにした・・・4人で店に向かう途中、筆者はもう少し何かを食べたいという気もしていたから(しかしスナックで出される食べものは限られているので)コンビニで買い物してそれを持ち込みさせてもらうことにした。   
   
 持ち込んだ或る加工食品を皿に盛り付けてくれたスナックのママさんは筆者に向かって「○○さん、こういうの、いろんなメーカーが出しているけど、この品が好みなの?」と訊いた。筆者はこう答えた:   
   
 「コンビニにはこれしか無かったから。ほんとうは○○社の品のが好きかな。味が良い。それに、あっちの品だとね、一度にたくさんの食品添加物を摂れるんだよ」   
   
 「え? その言い方って・・・健康食品じゃないんだから(笑)」   
   
 上のように筆者が言ったのは、もちろん、冗談を加えてのことなのだが、毎日のようにたくさん食べる品でない場合には食品添加物をそれほど強くは警戒していないかな。でも、食品類のパッケージに目をやる機会があるときはどうしてもそれを見て(読んで)しまうけど。   
   
   
 この店には強烈な下ネタ話をする客がいることあるのだが、この日、彼らの姿は無くてちょっとホッとした・・・のも束の間、そういう客が次々とやって来た。   
 最初は彼らもごく普通の話をしていたが、やがて○ープランド(作曲家の名前ではない)のお姉さんのテクニックの話だの、ほか、際どい話が炸裂し・・・。我々サイドはこちらのペースを守りつつカラオケを続けていたが、女性の一人が彼らの発した言葉をスマホで検索して「うわっ」と小さな声を発し・・・こういうとき、いまの時代にスマホが存在することが果たしてよろしいのかと考えてしまう・・・もしもスマホが無かったなら彼女も検索することはなく、そして、ひとつひとつの言葉をいちいち覚えてもいなくてすべてが終わるのに。   
   
   

寿司屋で・・・



   
 今回のブログ記事のタイトルは、或る歌のタイトルではない・・・いや、歌のほうは「寿司屋」でなく「鮨屋」という表記だ(写真中、下側のCDを参照・・・これは上側のマーラーとはまったく別の歌謡曲系音楽のCDであり、マーラーに「鮨屋で・・・」とか「元禄花見踊り」とかの作曲作品があるなどと勘違いしないで欲しい・・・そんな誤解をする人がいるわけないか・笑)   
   
   
 このところ仕事上・プライベートの両面で、酒を飲むのに寿司屋を利用することが多くなっている。   
   
 理由1: 仕事の延長としてのデリケートな打合せのため個室空間/座敷を用いたいケースが増えている。   
   
 理由2: よく行っていた居酒屋のうち2店を避けるようになった。   
   
   
 理由1の「打合せ」の内容は述べるわけにいかないが・・・。   
 この寿司屋は高級店ではないのだが、以前から会社の営業部門がよく商談・接待で利用している。その場合には飲食代は結構な金額になる。が、過去に、経理部門と支社・子会社の経理責任者らとの懇親会で利用したとき、筆者が店側に「営業部門と違って我々のような事務方は飲食関係に使える予算が限られているし、ましてや経理部門がそういうことにカネを使っているようでは示しがつかないので、飲食代について少し手加減してもらえると大いに助かるのだが」とお願いしつつ予約・利用し、それ以来ずっと事務系部門に優しいお店として時々利用させてもらっている。筆者が予約する場合、飲食代はかなり安めにしてくれるし、また、座敷が空いているときは座敷料ナシでそこを利用させてもくれる・・・店側としてはひょっとすると「この人の機嫌を損ねると、営業部門で経費精算するときウチの店の領収証にケチをつけるよう手を回し、結果的に営業部門がウチでの飲食を控えるようになったりせぬか」みたいに勘ぐったりもしている?・・・なわけはなかろう。   
   
 また、「今日はプライベートでの食事なので」と伝えれば、さらにもうちょっとだけ安く・・・もちろんランチタイム料金並みみたくはならないけど、それは当然のことだ。世の中の寿司屋さん全体が、このくらいのリーズナブル料金で営業してくれるととても嬉しいのだが(高い店があってもよいけど、その場合は明朗会計を徹底していただきたく思う)。   
   
 酒の肴、メニューにしても、魚系のものばかりでなく肉系のもの、洋風のものなども日替わりで幾つか用意されているので、そういうものを食べたい相手にも喜んでもらえる(店主の奥さんによる自家製ローストビーフ、しゃぶしゃぶ、何とかいう有名らしきソーセージ、もつ煮込み、クジラ(←感覚的には「魚」なんだけど)等々)。   
   
   
   
 よく行っていた居酒屋(個人経営)のうちのひとつは、人手不足ゆえスタッフ確保に苦労し、ついに外国人スタッフを雇うようになった。筆者は以前、「この店が外国人を使うようになったら、(自分は)来なくなるだろう」と伝えてもいたし、筆者はきちんとその言葉を守って店に行かなくなった。   
 チェーンの居酒屋では、特にその厨房ではもはや外国人スタッフも珍しくないと聞くが、しかし、個人経営の、店主ほか全スタッフがカウンターの内側に揃って姿を見せるような居酒屋にて、外国人スタッフを目にしながら酒を飲む・食事をするというのを、筆者は好まない。   
 すべての外国人が嫌いというわけではない、しかし一部の外国人を筆者は好まない。「多様性を理解し、そして尊重しなければ」という意見は頭では理解できるのだが、しかし・・・「好き・嫌いの問題」も含んでいるし。そして、これは「あげあし取り」・「馬鹿げた逆説・ツッコミ」と批判されるかも知れないが、「世の中には外国人嫌いな人間もいる。それもまた多様性なのだ。外国人嫌いの感覚もまた理解・尊重されるべきである。諸外国においても外国人・異民族・異教徒嫌いはたくさん見受けられるし」と、筆者はやはりそのように思う。移民・難民・外国人に対する感覚について日本は世界に遅れをとっているとの指摘は頻繁になされているが、そういう点で「進んでいる国」においても国民のすべてがそれを納得しているとも見えず、各国は矛盾を抱えていたりする・・・そしてまた、「日本は世界を、進んでいる国を見習え」との意見に対し、筆者は懐疑的である・・・日本は何でも世界と同じでなくてはいけないのか? 日本は日本独自のスタイルを維持したり、或るいはスタイル変更の独自のあり方を模索することがあってよいではないか。   
 難民高等弁務官とかユニセフ関係とか、そういう仕事をしている人間ならばこうは言わないだろうけど(そしてそういう発言は許されないだろうけど)、しかし、筆者のような立場なら言っても構わないだろう: 「一部の外国人は嫌いだ! 良質でない外国人までもむやみに日本に入れさせるな、人材を受け入れても一定期間のうちに確実に日本から出て行ってもらう制度は大切だ(多少の例外はあってもよろしかろうが)! 不法滞在者の洗い出し・送還に努力を!」とか。   
 また、こんなことも思っている: 「世界中の誰もが豊かさ・好ましい自然環境・恵まれた医療環境・安全・平和といった“幸福”を手にすることが出来るとするならばそれは確かに素晴らしいことだ。世界の多くの国・地域の人々が、日本にやって来て仕事をし定住・永住することがかなうならばそれら“幸福”の条件が整うのになと思っていることだろう・・・しかし、だからといって、そういうことを望む彼ら皆が日本に押し寄せて来て、この日本列島に集結されても困る(経済がうまく回るか? 人口密度は? 社会保障制度の大変革が必要になるのでは? 日本人の血筋が将来どうなっていくか?等々)・・・彼らには残念なことであっても、この日本と日本列島のあり方は日本人本位で決めるべきものである。日本は、彼ら外国人の安住の地である必要はない」 ・ 「観光地、繁華街、駅周辺などなどを外国人旅行者が歩き回るのは当然のことで構わないが、しかし、住宅街にはやって来て欲しくないし、特に、(日本人サイドの感覚からして)人相・目つきなどが悪いなと思えるタイプの外国人とか、Tシャツ姿みたいな格好の者にウロウロされれば空き巣狙い・強盗でもたくらんでいる不良外国人かと思えて落ち着かないので、民泊は大いに規制されるべきである。旅行者は従来どおりのタイプのホテル・旅館などに泊まればよろしい」。  
   
 話を居酒屋に戻し・・・その店主が嘆いていたことのひとつとして、「それまでスタッフとして働くこともあった近所の主婦が、年間所得が多くならないよう抑えるため、昨年秋からは応援に来てくれなくなった」というものがある。さらに店主を悲しませたのは「しかし実は、その主婦は、よそでのパート勤務は続けていた」ということである。   
 これは店主にしてみると、「うちの店での仕事はキツかったのか、格好悪かったのか、それとも就業時間帯の問題かな、或いは時給その他の処遇の問題かな、もしかして俺の何かが気に入らなかったのかな」などと、いろいろ気になったりもしたろう。   
   
   
 或るスナックで他の客と飲んでいて、その男性がこう言ったことがある:   
   
 「うちの女房が年間所得を抑えるためパート先に“来月からは休ませていただきます”と伝えたら、先方は“来月以降に働くぶんは、来年1月以降に働いたことにして、その建前に従って給与支給も来年にすれば大丈夫。あなたと旦那さんがそれで口裏を合わせてくれさえすれば全部が丸く収まるから”と言われたけど、それでいいんですかね?」   
   
 筆者は即、「そういうのはダメだね・・・というか、危ないと思う」と答えた。奥さんの年間所得については現金主義会計的な、「実際に給料が入金した日」を基準に考えれば良さそうにも見えて、しかし、上のケースはあからさまな、その年度の所得・課税所得の調整・隠ぺいと言えるのではないか・・・つまり、脱税っぽいところがあろう。で、そのように調整された奥さんの所得額を以って夫の側が配偶者控除・配偶者特別控除などを適用すれば夫の側の税額計算も不正ということになろう。夫の勤務する会社との関係では年末調整、配偶者手当の支給基準との問題も生まれかねない。そして、税務署側が、雇い主に対する税務調査その他を通じて妻の所得に関する問題に気づけば、夫の勤務先の給与担当者に連絡がいくこともあったりしよう。上の、妻のパート先の担当者は「全部が丸く収まる」と言ってはいるが、「三方よし」ならぬ、実は「多方面、あとから面倒もち上がり」となりうるだろう。   
 またもしも、支払いが先送りされている給料がちゃんと支払われる前に、パート先が倒産するとか、そうでなくても悪質なことに次のように言われたらどうするのか: 「え? 昨年の10月以降の給料? あなたは働きに来てないよね、勤務集計データにも記録が無いし・・・前の給与担当者はどこかへ転職しちゃったし、何も分からん」。これらの場合、対処・解決に面倒な思いをすることだろう。   
 上のような「勤務実態を偽った先送り処理」をひとたび行なうと、さて、翌年もまた秋口あたりや、もっと早目とかに偽装をスタートさせねばならない状況にもなりえよう・・・一体どうなっちゃうのか。   
   
   
   
 さて、行かなくなったもう1軒の居酒屋は・・・。   
 その店には、その近くにある某有名企業の某営業所の或る社員が飲みにやって来るのだが、彼は筆者が飲んでいるとその隣に座りたがる。   
 で、彼は、筆者を相手に自分のセールス活動をしようとするのだ。居酒屋でセールス活動してよいパターンとしては、客どうしが最初から商談するつもりで居酒屋にやって来ている場合とか、店主が客に向かって「うちで忘年会、やってくれませんか」と働きかけるケースとか、そのくらいのものだろう。たとえばの話、隣の客に対して「わたし、実は車のディーラーの仕事してるんです、今度の新しい○○シリーズに試乗してみませんか? パンフレットはこちらです、どうです?」なんていうのは、やはりよろしくないものと思うし、また、「俺もこの近所で居酒屋をやってるんだよ、今日はたまたま休みだけど・・・うちにも寄ってよ、この店より酒の種類は多いし、もっと美味い魚を仕入れているからさ」なんてのも反則行為だろう。   
 上の客はクルマ関係ではない会社の社員なのだが、しかし、何かといえばセールス活動・・・鬱陶しい。   
   
 そしてまた、この居酒屋の店主にはまだ小さい子供がおり、ときどきは店のほうにも出て来たりする。   
 そんなソフトでアットホームな雰囲気だから、子連れでやって来る客もいたりする・・・で、子供のしつけがきちんとしていないケースが多々あり、足をバタつかせる・騒ぐなどのことが見られるが親はそれを注意しない・・・ま、世間でよく批判が起こるような状況がここでも見られるのだ。   
 そしてまた筆者が気になるのは、子供に、食べ物をちゃんと味わうことを教えない親が実に多いということだ。特大クラスの海老フライなどを、しっかり味も分からないのではないかと思えるような感じで、ろくに噛みもせず、2口くらいでパクパクとスピーディーに食べてしまう子供とか・・・刺身でも天ぷらでも、コロッケでも、スマホの動画や小型ゲーム機に見入りながら実に無造作に食べ進む。肥満の子もいるが、ああいう食事の仕方をしていれば、味わい・味覚面の満足を感じることも少なく、そしてまた、ついつい食べ過ぎにもなろうというものだ、違うか? そして、いろいろな野菜やシイタケを嫌いだと言って食べず、親がしつこく勧めると大声をあげて「イヤだ、食べない!」と騒ぐ・・・将来、まだ若いうちから糖尿病を患うとか糖尿病予備軍みたいになってせっせと日本の医療費を膨らませる役に回ったりするのではないか・・・傍らで見ていて、「食事の仕方だって、しつけの重要テーマのひとつだろうに」と思ったりして愉快でない気分に陥る。   
   
   
 そういえば、これはわりと前のことだが、寿司屋のテーブルで飲んでいたらカウンターにいた二人の中年女性客がこんな会話をしていた:   
   
 「あの人たちって、“わたしたちは大阪のオバチャンとは違います”とか言ってるけど・・・。でも、何ていうの? やっぱりどこか下品なのよね。あたしたちとは違うのよー」   
   
 「うんうん」   
   
   
 しばらく会話が続き・・・二人のうちの一方が海苔巻に醤油をつけようとしたが、箸の先から海苔巻きが醤油皿の上にポトッと落ちた。するともう一方の女性が「あーあ、しょっぱいよー、それ」と言った。それに対して、海苔巻きを食べようとしていた女性は、   
   
 「平気平気、こういうときはこうすればいいのっ」   
   
と言い、もうひとつの海苔巻き(まだ醤油をつけていない)と一緒に、手に二つの海苔巻きを持って両方一緒にパクリと、一口で平らげた。   
 うむ、彼女らの言葉にたがわぬ、スマートで上品な所作・振る舞いであった・・・??   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 出張の電車の切符の手配をいつも任せている者が休暇をとっていた・・・で、別の女性に頼んだ。   
   
 「席の希望など、ありますか?」   
   
 「行きは右側の席がいいかな、でも微妙かな、いや右側でいい。・・・帰りは・・・うーん、帰りも右側でいいな」   
   
 「はい。往復でちゃんと両側の景色を楽しめますね」   
   
   
 いや、そういう考え方をするのは標準的なのだろうけど、夏なので太陽光・熱を少しでも避けたいということからの判断だったのだが。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 筆者の周辺でこの夏に「流しそうめん」をやったという人が計5人にのぼる。玩具メーカーなどが売っているプラスチック製の「流しそうめんセット」を使った人もいれば、ちゃんと自分で竹を割ってという人も。   
   
 で、ふと思ったのだ:   
   
 「流しそうめんって、あれはそこに子供の姿があるとか、たとえ大人だけでも何人も揃っているから絵になる。流しそうめんを夫婦ふたりだけでやるとなると、これはちょっと珍妙・滑稽だろうなあ・・・いや、新婚カップルならそんなこともはしゃいで楽しめるかも知れぬな。或るいは、ひとり焼肉、ひとり観覧車みたいに、ひとり流しそうめんとかをする人・・・いないだろうなあ・・・いや、いるか?  大学生が就職活動するときのエントリーシートや履歴書で、趣味欄に“登山・サイクリング・流しそうめん遊び”とか書いてあったらウケるかも知れない? ・・・日清食品、東洋水産、シマダヤなどなど(そうめんに限らず麺類関連企業)を志望する人の場合にはアピールとしてまんざらでないかも知れない? (液体の)流体力学などを専攻にしている人の中には流しそうめんから何かのヒントを得ようとしているうちに流しそうめん好きになった人とか、いたりもするだろうか」   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 「あおり運転」される(被害を受ける)のを防ごうということだろう、クルマの後ろに「後方ドライヴレコーダー搭載/動作中」みたいなステッカーを貼っているケースが徐々にだけど増えているように思える。   
   
 では、それ以外に、どんなステッカーを貼れば効果があるだろうか・・・そういうものを自作して貼るのはどうかという話題になったことがある。しかし、良さそうなアイデアは出なかった。   
   
   
 たとえば、こんなステッカーだったら?:   
   
 「あおり運転は、あなたの心の未熟を示すバロメーターです」   
   
 こういうのもアリかとは思うが、これを見て「うむ、自制しなくちゃな」と思ってくれるドライバーならよろしいが、しかし「何を真面目くさった標語みたいなのを付けてんだよ! クソったれが! おしっ、一発いくぜ!」みたく思う者もまたいるだろうしなあ。   
   
   
 「煽れるもんなら煽ってみろ。後悔しても知らねえぜ」   
   
 ・・・なんていうのは、絶対に逆効果だろう。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 冒頭の写真の下側に写っているCDに関しては「一時間だけの・・・」の歌詞中、「サイレント・ナイト」 のサイレントという部分の綴りがすべて "sirent" となっているのが以前から気になっている(これはネット上に紹介されている歌詞でも同様)。   
   
   
 居酒屋で、或る若者が「自費出版したんです」と言って本を見せてくれたことがある。タイトルは英語なのだが、「あれ? ここは絶対に複数形でなくてはおかしいよね?」という誤りがあったので、指摘すべきかどうか迷ったが、やはりそれを言った。相手は「あ・・・ほんとだ」と気づき、そして、ものすごく落ち込んだ様子をした。こちらは「こういうのも、あとになってみると懐かしい、いい思い出になるもんなんだよ、今はそんなふうには思えなくても」と、慰めの言葉(?)を掛けたけど・・・。   
   
 いまどきの若者が自費出版など考えるというのは、ちょっと貴重なケースであるとも思うが、詩集、写真集、マンガなど、やっている若者もいる。   
 やはり自費出版したものを見せてくれた若者がいて・・・筆者は或るページを見て「あれ?」と声を発した。相手は「あ、誤植、やっぱり見つけました? 見つけるの、速いですね」と言ったが、いや、違うのだ・・・筆者が目をとめたのは「彼の手書きサインの写真/コピー」のところ。   
 たとえば・・・上の実際のケースとは違う例にしておくけど、「祐介」という名前の「祐」の文字の、右側/つくりの部分の「右」は、書き順としては横棒から書き始めるのでなく、上から左下へ向かう縦の「はらい」から始めるのが正しいものと思う。(ついでに言えば、「右」という字と「左」という字とでは、第1画・第2画の書き順が逆・反対の関係にある。)彼がペンで書いて用意したと思える版下のサインからは彼自身による書き順がはっきり見て取れ、そこには書き順の間違いがあった。   
 これを彼に言うと、「今までずっとこの書き順で自分の名前を書いて来た」とのことであった。世の中には書体によって書き順が変わったりする例もあるのだろうけど(筆者はそれを殆ど知らないが)・・・。   
   

「完全オリジャケ」ではないものも・・・


   
 セルのCD106枚セットに用いられている紙ジャケットの中には、「オリジナルそのものからの縮小コピー/縮小再現」ではないものも含まれているのだな。   
   
 セット中のCD3に収録されている、古いレコーディングのほうのモーツァルト第39番およびハイドン第92番・・・これら2曲(2つのレコーディング)が実際のアナログ盤ではどのように収録されていたかをみると、次のようになる:   
   
   
 アナログ盤ML4109: セルのモーツァルト第39番、オーマンディのハイドン第88番   
   
 アナログ盤ML4268: オーマンディのハイドン第101番、セルのハイドン第92番   
   
   
 今回のセット中のCD3には、上の、セルによる演奏の2曲を収録し、そしてML4109のジャケット・デザインを採用/利用している。   
 となると当然ながら、ジャケット上に記載される収録曲目・演奏者の表示をどのようにするか迷いが生まれるわけであるが、結局はCD3の紙ジャケットにおいては収録曲目・演奏者の表示をCD内容に即するように変更されている。   
 ついでにCDジャケット裏面の上部にある曲目・演奏者の表示や、そして左右両端に書かれている曲目表示も変更されている・・・ただし、曲目解説の文章は元のまま保たれている。   
   
 で、CDジャケット表面に話を戻す・・・そこには "GEORGE SZELL conductor" との表記個所があるが、しかし、アナログ盤のときのジャケットでは "GEORGE SZELL, Conductor" のような表記形式になっていた・・・非常に細かいことではあるが、しかし、カンマの有無や大文字・小文字の使い分けに差異が生じている・・・筆者は、アートワーク関係を担当する人たちはこういう点も細かくこだわる(オリジナルのときのものに合わせる)だろうなという先入観を持っていたのだが、しかし実際はそうとも限らないのかな、意外なことだ。まあ、筆者はジャケットに対してはそれほど関心を寄せていないのだけど。   
   
   
 上のような、CD収録内容・カップリング変更などに合わせてのジャケット表記変更はCD4、14その他でも行なわれている。これらの件は、ブックレット中、それぞれの該当CDについて "Note" としてメモ・注書きされている。   
   
   
 以上のようなことは、米国アマゾンにおけるユーザー・レビューとして8月19日付でN******さんも指摘しているところである。   
 この方はCD3その他に関して、「セルのボックス・セットという趣旨とはいえ、しかし、アナログ盤当時のカップリングに基づいて他のアーティストによる演奏も収録しておいてくれるほうがよいのになあ」との考えを持っている(なお、CD52ではフランチェスカッティ/シッパーズ/NYPのものをカップリング収録しているのだが)。また、オーマンディについても今回のセルのセットと同様の、古いレコーディングを含めたコンプリート・ボックスが登場することを望んでいる旨、コメントしている。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 ちょっとマーラーの交響曲第5番を聴いていて(もちろんセルのものではない)、そして、ふとラヴェルの「ラ・ヴァルス」も聴きたくなり・・・。   
   
 で、思ったのだ・・・セル/クリーヴランド管には、ドビュッシーやラヴェルの作品をあともう幾つかセッション・レコーディングしておいて欲しかったなと。   
   
 下の写真はブログ画像庫から再掲・・・コンセルトヘボウ管の古いライヴ音源を集めたボックス・セットであるが、奥のほうのものには1950年代にセルが指揮した「ラ・ヴァルス」が含まれている(ほかにショーソンの「詩曲」とかも)。クリーヴランド管とともにステレオ・レコーディングしておいて欲しかった曲のひとつと思っている。   
 「クープランの墓」やドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」については、クリーヴランド管を指揮してのライヴ音源が残っているけれども。   
   



   

雑記


   
 またもソニー・クラシカルのセルのCD106枚セットに関してであるが、紙ジャケットからCDを取り出しにくい(ほんのちょっとだけ)こともあるし、自分なりに次のように整理しなおすこととした。   
   
 1) すべてのCDを不織布製のCD袋に移す。なお、袋にはディスクナンバー(1~106)を表示。   
   
 2) それらを、100円ショップ「ダイソー」扱いの、食パン用ケース2つに分割保管(食パンの場合に 1.5 斤入れることが出来るという、密閉フタ付きの品=大型タッパーウェアみたいなもの)。   
   
 3) 片方のケース内にはディスク1~80を保管。   
   
 4) もう一方のケース内にはディスク81~106を保管。   
   
 5) 紙ジャケットはこの商品の箱に戻してどこかに保管・・・普段は、ま、必要なかろう・・・このジャケットを壁掛けして飾るアイデアもあるやも知れないが、しかし30センチLPのジャケットと違ってサイズが小さいからそれほど面白くないように想像する。   
   
 6) 上の4のケース内には、併せて次のものも保管: セルの、A)モーツァルト・オリジナル・ジャケット・コレクション10枚セット、B)ベートーヴェン交響曲・序曲集の2013年リマスター版5枚セット。C)メンブラン・レーベルのロベール・カザドゥジュCD10枚セット(セルとのモーツァルトの板起こし音源や、セル/ケルン放送響との共演なども含んでいる。なお、このセット商品の一部には演奏者表記に誤りがあるとの指摘がネット上に見受けられる)。D)ヴァンガード・レーベルのシゲティ/ホルショフスキー/セルによるモーツァルト/ヴァイオリン・ソナタのCD4枚セット。やはりすべてのCDを不織布製の袋に移し、また、上のA・B・Cについてはその紙ジャケットもケース内に保管。解説冊子のあるものはそれも。これでケース内部の空き(空間・隙間)を小さく出来る。   
   
 7) CDが斜めになってもCDへの悪影響は心配しなくても大丈夫だろうとは思うのだが、一応、両方のケース内にはビニールの緩衝材(プチプチ)や乾燥剤を入れることでCDの直立を図る(この仕方は他のCDで自分がこれまでやって来たことである・・・なお、筆者の場合、CD商品に付属しているプラケースは廃棄してしまうことが多い・・・そしてCD何枚もを適宜の区分・単位でプラボックスに保管して収蔵スペース削減を図っている・・・どうせCDを売却・転売などすることはないので。乾燥剤は、食品・菓子類に同封されているもので袋に汚れの無いものを折々に得て活用している)。   
   
   
   
 今回のセット商品のブックレットには、上のシゲティによるモーツァルト・ソナタの録音や、過去にソニーが扱ったザルツブルク・ライヴ、メトでの「タンホイザー」についてはセットに含まれていない旨が書かれている。それは承知しているところである。   
 で、筆者は、これまでセル(指揮者としての)のライヴ音源については、「オペラもの」、「CD-R盤商品」、「CDのうちアメリカ・日本・ロシアなどでの公演のもの」、「CDのうちヨーロッパでの公演のもの」という区分・単位でプラボックス保管して来ており、それはそのままとする・・・今回のセット商品と組み合わせて食パン・ケースのほうへ移すことはしない。   
   
   
 下の写真は、1枚目はシゲティによるモーツァルトのソナタのCD。   
   
 写真2枚目のは、過去にコレクションして来たCDの一部。何かの理由でCDに異常が生じて再生不能になったりする状況を恐れ、たとえ同一CD・同一内容CDであっても複数枚を得ておいたケースが少なからずある(もちろん中古盤ショップなどをコツコツ利用して支出抑制を図りつつ)。さて、それらは、今回セット商品の登場ですべて無駄になってしまうのか? いや、そうはならないと思うのだ・・・新リマスタリングのものよりも過去のもののほうが音色、残響のあんばい、トーン・バランス、パート間バランスなどの点で「しっくり来る、頭の中に固定化されてしまっている演奏・音像と合致して心から楽しめる」ということが筆者の場合にはあったりもするのだ。だから、古いCDもこのまま保管を続けることになろうし、或るいはカー・オーディオでの再生用に回すのもよいか。   
   
 もしもセルの演奏に出会うことがなかったら、自分はこうも長きにわたってクラシック音楽と付き合うことはなかったかも知れない・・・そんなふうにも思っている。そして、セルの演奏の記録は、今後も筆者にとっては生きていく上で欠くことの出来ない存在、「生活必需品」ならぬ「生活必需音楽」のひとつであり続けるだろう。その意味でも、手もとに確保しておくものは、古いものも含め、ともかく多いに越したことはあるまい。   
   



   
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雑記



   
 かつて或るとき、「この件、どうしてこういう扱いをするんでしょう? 昔からこうなんですか? 異例で変則的ですよね。ちょっとおかしくないですか?」と若い人から問われることがあった。   
   
 筆者は「それはね・・・言うなればこういうことだよ」と、上の画像の「1」のようにメモ書きして渡した。   
   
 相手は「?」という顔をした。   
   
 これは、「“大人”の2乗」と読むのでなく、「“大人”の自乗」と読む、すなわち「大人の事情」ということである。   
   
 もちろん、その事情や経緯を具体的に説明したわけであるが・・・なお、「大人の事情」と言ったって、べつに「検査データねつ造」とか「裏口入学の取り扱い」、「経費削減のため点検作業・メンテナンスの先送り」、「粉飾決算」、「脱税」みたいな、そういう悪質な類のものでは全然ない。   
   
   
   
   
   
 「まつ毛エクステ」だかをやるショップにポスターが貼られていて、そこには   
   
 「ステキに変身した貴女に、みんな○○」   
   
 みたく書かれていた・・・○○の部分は、上の画像の「2」のように書かれていた。   
   
 しかし、これだと“DOKII”ということになってしまい、意味をなさないだろう。ポスターが訴えたかったのは「ドキドキ」ということであろうから、上の画像の「3」のように表記すべきと思うのだが。   
   
   
   
 昔、有名歌手の、一種の愛称と思われるものの表記として上の画像の「4」のごときものが見受けられた。これなども、本当ならば「5」のように表記すべきと考えるのだが・・・。   
   

雑記


   
 前回ブログ記事で紹介したセルのCDセットに関して、米国アマゾンのサイトにはユーザー・レビューが既に6件ほど寄せられている。   
 興味ある人はグーグルにて "amazon com B079VD2YRP" などで検索すると商品ページをすぐ見つけ出せる。   
   
   
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 NHKのEテレで、N響コンサートの、メンデルスゾーンの協奏曲(ヴァイオリンとピアノのための)その他を楽しんだ。   
   
 登場した女性ヴァイオリニスト・・・魅力的な演奏を披露していたが、音楽のことはさておき、この人の名前に接するたび筆者はいつも「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども・・・」という短歌を思い浮かべてしまう。もしかしてNHKもそれを考えて放送をこの8月上旬・中旬というタイミングにした?・・・なわけはないな。   
   
 「ハーリ・ヤーノシュ」の演奏もあった。この作品を聴くと、これまたいつものことなのだが、日本の古い歌謡曲を思い出す・・・奥村チヨが歌った「終着駅」である。    
   
 まだまだ暑い夏が続いているが、あとしばらくすれば秋の気配も感じられるようになり(土地によってはもうそうなっているかも知れないが)、そして、やがては落ち葉の見られる季節もやって来ることだろう。   
   
   
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  からころも きつつなれにし つましあれば   
   
  はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ   
   
   
 ・・・有名な短歌で、「かきつはた(かきつばた)」の折り句になっている。   
   
   
 では・・・こちらは「かきふらい(牡蠣フライ)」の折り句・・・って、時期はずれっぽくもあるが:   
   
   
  からころも きつつなれにし 振袖で   
   
  らぶらぶデートの 飯田橋かな   
   
   
 ちと、時代遅れ的な表現も含んでいるが・・・飯田橋でなく池袋でも池尻でも伊勢佐木町でも色々なヴァリエーションがありえようが。   
   
   
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  Do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about its own things.     
   
 「明日のことを思いわずらうな・・・」   
   
   
 2020年の東京五輪に関して、必要なボランティア・スタッフが揃うだろうかとの不安も聞かれる。   
 今はその懸念が大きく意識されている・感じられているけれども、その時がやって来れば大丈夫かも知れない・・・だって、「日本・東京への招致」に賛成していた人があれほど多くいたのだもの、きっと彼らの多くはどうにか仕事や学業をやりくりして、そして暑さにもめげず嬉々としてボランティア・スタッフとして活動してくれるに違いない(なお、筆者は五輪招致に一度も賛成したことがなかったし(経済効果に対しては一定の評価をしないわけではないが)、もちろんボランティアに加わることは決してない)。   
 五輪招致の件ではスポーツ界出身の人の中には「わたしの周囲はみんな賛成なんですが」と言った人もいたようだが、だとすれば、その周囲の人たちを今からでも根気よく説得してボランティアに加わるよう働きかけるのがよろしかろうと思う(スポーツ関係者の周囲の人は、そりゃ気を使って賛成の言葉を掛けるものだろう、本心は別としても面と向かっては)。   
   
 選手もまた、自身の競技出場を終えて暇になったら、みずからもボランティアに加わることがあっても罰は当たるまい。   
   
 サマータイム制みたいな、人々の活動時間・執務時間を前倒しさせるみたいなアイデアは採用して欲しくないなあ・・・しかも長期間にわたってなど。   
 現時点で、外部からの電話・連絡が来ない早朝時間を有効活用できることから早い時間に出社するなどして仕事している人たちは少なくない。特に事務系仕事では効率的に、また集中して仕事ができる、静寂でありがたい時間帯なのだ・・・世間みんなが早朝から一斉活動し始めるようになると、この時間帯の静寂が邪魔されてしまうかも知れない・・・それに対抗するにはさらに早起きしなくては・・・今時点で豆腐屋さん・新聞配達スタッフなどがとっている生活サイクルに近くなる? ・・・たかが五輪のために迷惑なことだ(五輪なんて、その熱狂は3か月もしないうちに冷めて人々は忘れてしまうものだろう・・・違うかな)。   
   
   
 そしてまた・・・。   
   
   
  復興の  遅れも未完も  さておいて   
   
  2020の  五輪に はしゃぐ   
   
   
   
 ・・・五輪よりも大切なことがあろうと思うのだが。    
   

待望の・・・



   
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 ソニー・クラシカルから、セルの「ザ・コンプリート・アルバム・コレクション」( George Szell - The Complete Columbia Album Collection )が予定どおりに発売された。   
   
 (↑)1枚目の写真はこの商品のボックス内の具合。   
 なにしろ106枚セットの商品なのでけっこう重たい。メンブラン・レーベル10枚組ボックスが11個分の重さという想像の仕方もありえようけど、しかし、本商品の場合には140ページあまりのブックレットが付属しているのでさらに重くなる。   
 写真中、白いリボン/紐が写っているが、これはセットのブックレットを取り出しやすくするためのもの(リモコンや置時計などで、電池セット個所に付いていたりするリボン/紐と同様のこと)。   
   
 2枚目の写真は付属のブックレットを開いたところで、各CDの収録内容・レコーディングデータのリストのページ。なお、右側ページのように、セルの写真もブックレット中には何点も載っている(カラーまたはモノクロの写真)。   
 このブックレットの116ページ以降では、収録内容が「作曲家名-作品名-セット中のCD番号」でリスト化されており、聴きたい曲/聴こうとしている曲が収まっているCDを探し出しやすい。   
 この、「今あの曲を聴きたいけど、一体どのディスクに収録されているのかな」というときにどんなリストが便利かは当然ながら大きな問題だろう。上で触れたようにブックレットを利用するのもよいとは思うが、しかしまた、ボックスの底面に印刷されているCDリストを自分でコピーして、主要作曲家ごとに等、各人にとって便利な基準でカラーペン、カラーマーカーで色分けしたものを用意するのも便利かも知れない(なお、CDが入ったままのボックスは重たいので、その状態でコピー・マシンやスキャナの上に乗せようとするのは躊躇を覚えるケースが少なくあるまい、ましてや「よっこらしょ!・・・ドッスン!」と置くのはもう論外であろう・笑)。   
 「収録内容リストは日本語表記なのが便利だよ」と思う人は、HMVやタワレコなどのWEBページの商品紹介のところをプリントして手もとに置くとよいのではないか。   
   
 CDはボックス内に2列に並んで収納されているが、ちょっと窮屈な感じであるから各CDをピックアップしにくい。各列から2、3枚を抜いて上に置くことにするとピックアップがしやすくなる。(しかし、筆者の場合、いずれは各CDを不織布などの袋に移し、それを、密閉できる容器に入れて保管することになろうなあ・・・袋にはディスクナンバー(連番)をメモする必要が生じるだろう、また収める容器は100円ショップなどの食材保管用プラボックスなど用いることになろうか。)   
   
 下の写真は、ディスク面のデザインのあんばい。インタビュー音声を収録したものやホロヴィッツとのチャイコフスキー協奏曲ライヴなど以外は、アナログ盤のときのレーベル面デザインを利用しているのかな(まだ全ディスクを見たわけではないが。なお、アナログ盤の音溝を模したデザインもあしらわれているが、これはどのCDも共通して4トラック区切りのデザインである・・・これを以って「不精!」と批判する人はまさかいないだろう・笑)。   
   



雑記



   
 右のは梅酒で、筆者自身はそれほどには好きでないのだが、好きな人はそれぞれに、水で割るばかりでなく炭酸水で割って飲むのもまた夏には爽やかでよろしいのではないか・・・よくは知らぬが健康効果・食欲増進効果などもあるかも知れない。   
   

雑記


   
 「○○大学からのお知らせ: 本学の入学試験における合否判定につきまして」   
   
 最近、本学の経済学部および文学部の入学試験に関して、次のような問合せ・質問が数多く寄せられております。   
   
 「わたしは以前に受験して不合格になった女子であるが、自分よりも頭が悪く、模試でもいつも成績がずっと下であった男子が合格したのはおかしい。女子であることを理由として差別的な扱いがあったのではないか」   
   
 「わたしは高校の教員であるが、成績優秀な生徒が貴大学の入試で不合格となる一方で、著しく成績不振の生徒が合格する等、不審な思いを抱かざるを得ない状況が見受けられる。合否判定において何らかの不正が存在するのではないか」   
   
   
 本学におきまして、たとえば女子受験生について一律減点をするような扱いは決しておこなっていません。そのようなことは、本学の教育方針のひとつである「有意な人材の育成は減点主義によらず加点主義によるべし」の考え方にも反するものであります。   
   
 本学の、合否判定に関わる基準を以下に説明させていただきます。これは全学部に共通するものです。   
   
 1.  1000点満点で合否判定する。   
   
 2.  このうち、学力考査は300点を占める。   
   
 3.  男子受験生には100点を加算する。   
   
 4.  高校在学中にクラブ活動の一環として、またはその他の形で、一定の試合・選手権・コンクールなどで優良な成績をおさめた、あるいは、ボランティア活動に積極的に取り組んだ等、本学の教授会が別途に定める基準に該当する受験生については100点を上限として加算する。   
   
 5.  本学の教授が個別に推薦する受験生には100点を加算する。   
   
 6.  本学の教授会が別途に指定する中央省庁幹部職員、自治体幹部職員、その他、政界の要職にある人物・有力者などから個別に推薦を受けた受験生については、状況に応じて200点を上限として加算する。但し、上記5にも該当している場合は重複加算はおこなわず、いずれか大きいほう・小さくないほうの点数を加算する。   
   
 7.  受験生本人、またその父兄・親族などが、本学が定める期日までに特別寄付金を納入した場合、その金額100万円ごとに10点を受験生に加算する。但し、上限を300点とする。   
   
 8.  その受験生を合格させることが本学の存続・発展のために有意義であると本学の教授会が判断する場合には、以上の基準にかかわらず、合格とする。   
   
   
 本学では、以上のように極めて明確で分かりやすい配点基準・合格基準を設けたうえで厳正な合否判定を実施しております。逸脱した扱いがおこなわれないよう、入試監察委員会を設けて確認作業も実施しております。   
   
   
 受験生の皆様には安心して入学試験に臨んでいただきたく存じます。   
   
 また、ご父兄の皆様におかれましても、進路選択のひとつとして本学への進学をご子息に対して助言いただけますよう、切にお願い申し上げます。   
   
   
   
 ・・・以上は、架空の告知/広告であった。   
   



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