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2018-07

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戸惑う日本語


   
 日本のマクドナルドが7月28日付で新聞掲載した謝罪広告・・・その文面に戸惑いを覚えたのは筆者だけだろうか。   
   
   
 謝罪広告においては、「東京ローストビーフバーガー」などの「ローストビーフ」について、実態とコマーシャル表現との間にあった相違の問題を詫びている・・・この件は既に広く報じられているところであるから具体的説明は略す。   
   
 同社は、景品表示法に違反していたと述べ、また、今後は正しく分かりやすい広告表現を行なう努力をするとも表明している。   
 さあ、そのうえで謝罪広告の末尾の文章はこう始まる:   
   
   
 「お客様におかれましては・・・」   
   
   
 で、こう書かれていると、読む側はそのあとの文面・趣旨を先回りして想像する。「お客様におかれましては何なんだ?」と・・・つまり、   
   
 「お客様の側に勘違いが生じるような事態を招いてしまい申し訳なかったと述べるつもりなのかな」、「それとも、お客様にはこれまでどおり当社のことをひいきにして応援していただきたいと述べるつもりなのかな」   
   
などと想像するわけである。   
   
   
 しかし、同社の文章は違うのだ。下記のとおりである:   
   
   
 「お客様におかれましては、テレビコマーシャル、並びにウェブ動画等の広告物におきまして、このような表示をおこないましたことを、心よりお詫び申し上げます。」   
   
 うーん、変な文章に感じるのだよなあ。何かその「お客様がこのような広告表示をおこなった」とか、「お客様の側が心よりお詫びをする(とはいえ、お客の側が「申し上げます」とへりくだるのはおかしいわけだが)」とか、そんな主述関係にある文章になってしまっていないか?   
   
 一度したためた文章をあれこれ校正しているうちに、文章が混乱してしまった?   
   
 本当は例えば次のように言いたかったのだろう:   
   
 「お客様に対しまして(は)/お客様に向け、テレビコマーシャル、並びにウェブ動画等の広告物におきまして、このような表示をおこないましたことを、心よりお詫び申し上げます。」   
   
   
 正しい日本語って難しかったりもするし、筆者もまた時に(しょっちゅう?)変な文章を書いてしまったりするが・・・特にブログのようなものでは読み返しを省いてしまうことも多々あるし・・・でも、企業が出す告知や謝罪などはそれこそ真剣に校正が為されるべきものと思うのだ。   
   
 まあ、筆者自身にとっては、このローストビーフの件でいささかも迷惑を被っていないので別にどうでもよいとは言えるのだが。   
   
 なお、上の「お客様におかれましては」の使い方について、「ちっともおかしくないよ、誤用ではない。過去、同様の例がたくさんある」とのご意見もあるかも知れない。その場合は、上の筆者の指摘は勘違い・的外れのものと思っていただきたく、念のため、あらかじめここにお詫びしておくこととしたい。   
   

   

「破綻調交響曲」、「異端調ミサ曲」・・・


   
 「株式会社 大日本不沈空母フィルハーモニー管弦楽団の特別企画、“夏休みに親子で楽しむサマー・コンサート”のお知らせ」   
   
   
 「うちの子にもクラシック音楽を楽しんで欲しい」、「まだ幼いけど、コンサートに連れて行っても大丈夫かしら」・・・そんなお父さん・お母さんにピッタリの、お子様にも存分に楽しんでいただける演奏会です。   
   
 ちょっぴり欲張って、「お子様に、忍耐力がつく・お行儀よくする習慣がつく」という視点も加えた充実のプログラムです。   
   
   
   
 内容:   
   
  演奏曲目やオーケストラの楽器についてのレクチャー(約1時間)   
   
  フランク作曲/交響曲ニ短調   
   
  マーラー作曲/交響曲第7番   
   
   
 ご注意: 演奏は抜粋ではありません。また、演奏途中での入場・退場はご遠慮ください。   
   
   
   
 ・・・以上は、架空の広告であった。   
   

「女は愛嬌、男は読経」、「猫にビットコイン」、「今日の名古屋は、明日の東京」、「昔ミリバール、今はヘクトパスカル」・・・



   
 猛暑のせいでキャベツやキュウリの値段(店頭価格)が上がっているとのことで・・・そういう新聞記事はスーッと、かなり粗く流し読みしてしまうのだが、ふと目に止まったのが記事中に紹介されていた主婦の言葉であった・・・それによると、キュウリを使う「冷やし中華」を作るのをやめたとのことで・・・。   
   
 「冷やし中華」にキュウリは必須なのだろうか?・・・これは筆者の疑問である。飲食店が「冷やし中華」を客に出す場合、たぶんキュウリは必須または「譲れぬライン」だったりもしようけど、家庭で作るときにも同様なのかなあ。   
   
 ・・・と書いておきながら、実は筆者は「冷やし中華」が猛烈に嫌いなのだけどね(笑)。   
 何と言っても「冷やし中華」のスープには酢と、そしてゴマ油の風味が付いているのが気に入らず・・・。   
 酸っぱいものが苦手ということもないのだが、酸味のあるものは少な目の量を口にしたいというのが筆者の感覚なのだ・・・だから、「酢の物」のおかずは少量でよいし、酢ダコ、もずく酢、ピクルスもたくさんは食べたくない。   
 酢豚という料理だって、普通の人が食べるほどの量を食べたいとは思わない・・・「酢豚の、豚の揚げ物の油っぽさを緩和するためにも酢が使われているんだぜ、見事な調和のアイデアだ」との意見もあろうけど、それなら最初から豚肉に衣をつけて揚げたりしなければよいのに(さっと炒めるなり茹でるなりして)・・・「調理の手間と、酢という調味料の、両者の無駄遣いみたいな料理だ」と思わなくもないかな。   
 ゴマ油も好まないのだなあ。天ぷらで、ゴマ油の風味が目立ち過ぎるのも好かない。煎りゴマなどはとても好きなのだが、ゴマ油、練りゴマなどは好まない。油っ気、ベタッとした感じのもの、そして特に独特の香りを伴っているものがとにかく嫌いなのだな、ラー油、オリーブオイルも好きでない。   
 「じゃあ、ギョーザを食べるときはラー油を使わないのか?」と聞かれれば、もちろんその通りで、酢じょうゆで食べる・・・となると、先ほど酢について書いたことと矛盾するではないかと突かれようけど、それはそれ、人間の感覚・嗜好は一筋縄ではいかないものだ・・・でも、ギョーザって、滅多に食べないけど一度に食べるのは5個から8個くらいだ。好物ということはないのだから。   
   
 話を「冷やし中華」に戻し・・・この料理の気に入らない点は他にもある。それはキュウリ。   
 刻んだり、スライスしたりのキュウリというものは、塩分の作用(浸透圧)により水分が少し染み出てしんなりした状態のものを好む。だから、スライスしたキュウリに塩を振ったものは好きである(これにマヨネーズやドレッシングが付いてしまったものは好まない)。ワカメとキュウリを組み合わせてのサラダ風のものも好む。   
 「冷やし中華」にトッピングされるキュウリは、あれはどういう風にするのが正しいのだろう・・・普通はキュウリに塩は振られていないのでは?・・・しんなりとはなっておらず・・・では、食べるときにスープにしばらく浸しっぱなしにしておいてから食べるべきものなのだろうか。   
 紅ショウガは好きなのであるが、麺などに色移りするのが美しくないようにも思える。   
   
   
 この時期、「冷やし中華」の文字が入ったポスターやノボリを目にしても、或いは初夏くらいに「冷やし中華、はじめました」のポスターを目にしても筆者の心は無反応で、「あっ、そう」とすらも思わないのだなあ。   
   
   
 さて、そもそもの疑問に立ち返り・・・「冷やし中華」にキュウリは必須なのだろうか。   
 他人が注文して食べているのを眺めたことは何度かあるのだが、キュウリがのっていなくてモヤシ(茹でモヤシ)がのっているのを目にしたことがある。   
   
 キュウリの代わりとしては、さらに次のようなものを使うのはどうなのだろうと、筆者は思う(場合によってはキュウリよりも材料費アップしてしまうかも知れないが、しかし、「ちょうど残り物がある」というケースのこともあろう):   
   
  千切りレタス(ポテトチップに添えられたりするような感じの)、白髪ネギ、カイワレ大根ほかスプラウト類、パクチー、セロリ葉、茹で絹サヤ。   
   
   
 また、ハムの代わりとしては、焼豚や(コンビニなどで売られている)サラダチキン、蒸したササミ肉などをスライス・千切りしたりしてもよいのではないか。或いは、カニカマとかでも?   
   
 紅ショウガの代わりとしては、ザーサイ、らっきょう、たくあん、いぶりがっこ等々を刻んだものでもよいのではなかろうか。   
   
   
 ・・・以上はもちろん、飲食店がつくる場合のことでなく、家庭で調理する場合を考えてのことである。で、また、筆者はラーメンにしろ「冷やし中華」にしろ「通」などではないから、上のようなアイデアに関して「邪道である、論外!」との批判も、ま、素直に受け入れよう(笑)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 「天気予報」で「明日の東京の空模様(の予報)」が報じられるとき、その内容をそのまま信じずに「本日の名古屋の天気はどうであったか」を勘案する/考慮に入れるのが筆者の昔からの習慣である。「大雑把に言って天気は西から東へ移るから」というのがその理由で、明日の東京が「晴れ」との予報であっても、本日の名古屋が曇りであったなら、やはり明日の東京は「曇り傾向のある晴れ」くらいに受け止めるわけである。   
 ずっと前は「今日の名古屋は、明日の東京」と、自分の頭のなかで念仏のように唱えていたのだが、今では唱えることはしなくなっているな。でも、名古屋の実績天気を考慮することは変わらない。   
   
 が、ただいま接近中の台風の影響に関しては、その進路ゆえ「今日の名古屋は明日の東京」は通用するまいなあ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 前回のブログ記事の写真ではシューベルトの「樽」、じゃなかった「鱒」のCDを幾つか示した。   
 今回の冒頭に置いたのはブログ画像庫からのもの・・・背景側のアナログ盤に収録された「鱒」は、ピアノはペルルミュテール、そしてパスカル弦楽四重奏団メンバーその他による演奏。   
   
 演奏についての良い・悪いの評価、また、好みに合う・合わないは別として、このアナログ盤は中高年の多くのクラシック音楽ファンにはおなじみではあるまいか。   
   
 これまでCD化されたことがあるのか、また、板起こしなどされたことがあるのか知らないけれども、次のような新譜商品の中にこの演奏も含まれるようだ:   
   
  http://www.hmv.co.jp/product/detail/9046207   
   
   
  http://tower.jp/article/feature_item/2018/07/27/1105   
   
   

雑記



   
 ・・・・・・   
   



   
 暑い・・・そしてビールを飲む・・・そのあと当然、日本酒なりウィスキーなり焼酎なりへと進む。   
   
 音楽くらいは少し、涼やか・軽量・軽快なものを聴きたくなる。   
   
 上の2つ目の写真はシューベルト「鱒」の幾つかの演奏・・・ピアノは上から順にペーター・レーゼル、セル、クリフォード・カーゾン。   
   
 ・・・・・・・・   
   
 下のは、楽しく読める本。   
 以前、日経新聞WEBサイトにて「列島あちこち食べるぞ、B級グルメ」みたいな連載があったのだが、ああいうテーマ・話題が好きな人には大いに楽しめる内容と言えようか。   
   


雑記



   
 東日本大震災のとき、筆者の勤務する会社としてはそれなりに上手な危機対応・挽回が出来たとは思えたものの、しかし、他社、特に一流企業が行なった対応と比較すれば大いに引けをとるものであった。   
   
 あのときの教訓を踏まえ、災害対応のマニュアル・指針が練り直された。そのプロセスに筆者は関与しなかったが、改訂されたマニュアル等に目を通したときには「うーん、大枠としては間違いもないし、的確と思えるものの、しかし・・・」との感想を抱いた。   
 「これらを実践するうえで、人手が決定的に・明らかに不足するであろう」との思いが生じた。部署にもよるが、ゆるい部署でも「余剰の人手が無い状態」にあり、また、本社部門・事務部門は「ギリギリ最少(最小)人員」のところがわりとある。つまり、非常時に、いつもの仕事量を超えたものをこなす余力に乏しく、人手を相互に融通・供出するのもままならないことであろう。   
   
 今回の豪雨災害では、自社サイドに被害は生じなかったものの、しかし、物流の途絶によるビジネスへの影響は小さくなさそうであり関連の担当者は頭を抱えている・・・とはいえ、みずから何かを為そうにも・・・外部環境次第という状況ゆえの「もどかしさ」の問題であろうなあ。   
   
  
   
   
 これは何かで読みもしたし、他人から聞かされたこともあるのだが、役所、それも中央官庁等でなく地方自治体の場合について、   
   
 「地方公務員は普段の残業がほとんど無いケースが多いが、それは人員を多めに確保しているからである。地元から他の地域へと、特に都会へと人・若者が流出してしまうのを防ぐため、また、過去の部落問題を考慮したときにも、公務員採用を多めにして雇用の場を用意することには大きな意味があり、そしてまた、災害発生時に住民の安全や生活再建などに手が回るように公務員/職員を余裕をもって確保しておくことは大切なのだ」   
   
との見方があるようだ。   
 これは正しそうでもあり、しかし、必ずしもそうでないかも知れない。だが、いずれにしても、災害が生じてしまった地の自治体職員の人たちはこれから多忙な日々を迎えることであろう。上の見方が正しいものだとするならば、今こそ自治体職員の本領・本分の発揮のしどころとも言えるのではないか。また、上の見方が誤ったものであるとしても、自治体職員への期待はやはり当然ながら大きい。厳しい暑さが続くに違いないが、過労や健康管理にも留意しつつ、寄せられる期待を裏切らない形で地域住民の暮らし・生活再建のために尽力していただきたいと思う。   
   
   
   
 東日本大震災のときは、その発生時期の偶然から、会社としては4月にスタートする事業年度に関して組まれた「事業計画や予算」に大きな見直しをかけて、拠点・倉庫その他の再建・修繕関連や、義えん金、取引先への見舞金などにカネを回すにあたり躊躇・制約をあまり感じずに済んだ。   
 それを教訓に、毎事業年度、「設備予算・経費予算が認められたからと言って、“ただちに支出してしまえ”みたいな感覚は持たないで欲しい。災害時などには予算の振り向け先を変える自由度も欲しくなる。急ぐ必要のない支出はタイミングを遅らせることもお願いしたい。それがひいては、万一の災害時にも業績低下を小さく収めることにつながる」と筆者は言って来た。   
   
 が、ここ2、3年、上のようなことは言わずにいた。「これはいかんな」と思い直し、今年4月以降のための予算が確定したときには上の趣旨のことを改めて伝達・要請したのだった。   
 今回の豪雨被害に関連して、具体的に義えん金・見舞金などの支出方針がどうなるかは未だ分からないが、社内各部門の予算消化のペースは6月までの時点で「無意味に先走ったものになっていない」ことは明確に見て取れる・・・幸いである。   
   
 実は、上のような発言は、諸々の協賛金・寄付などの支出がルースになりがち、大盤振る舞いになりがちなことに対する、筆者の個人的な、そして私情を交えての、小さな抵抗も含んでいるのだ。この私情は、しかし、「ふつうの私情」を超えた、「別格の私情」である・・・自分の位置づけとしては。   
 協賛金・寄付などとして、また、一部は広告掲載としての意味合いも兼ねている支出としては、たとえば次のようなものがある:   
   
   
 1. スポーツを応援するためのもの(特定競技のものもあれば、スポーツ一般の振興のためのものもある)   
   
 2. 自然科学・社会科学・人文科学・医療などの研究に役立ててもらうもの   
   
 3. 福祉、慈善事業などに役立ててもらうもの   
   
 4. 芸術の振興に役立ててもらうもの   
   
   
 これはたぶん珍しくないことだろうが、筆者の会社の場合、上の最後の4が、悲しいほど少ない。そして増加傾向にはない。   
 それに対して1から3は、多額というほど誇れるものではちっともないが、増加傾向が続いている。   
   
 クラシック音楽ファンとしては4の増加を期待したいが、そういう「支出の振り向け先を決めること」は筆者の職掌の範囲ではない。こちらとしては、会社の事業計画とのバランスから会社の全支出予定に目を光らせたいし、その支出内容の一部として、ざっくり言えば対価性・反対給付を伴わない(そして或る意味、企業にとってリターンの感じられにくい無駄金・捨て金と見てしまうことも出来ぬこともないような)、上の1から4のような利益・金銭の供与の支出合計には特に注意が向かってしまうのだが、そこでは飽くまで(個々の支出案件について特にケチをつけたり誘導したりしたいわけでなく)合計・トータルに対して意見する・賛否を述べることに尽きるかなと考えている(なお、細かいことを言えば、支出するうえでの勘定科目は複数にまたがる)。   
 協賛金などについてその素案を決定している者と筆者との間柄、これまでの人間関係からすれば、仮に筆者が「文化を応援するための支出がこうも少ないのは寂しいではないか。クラシック音楽関連への応援支出などは企業イメージの向上にもきっと役立つ」と意見すれば、彼の考え方も変わるのではないかと思ってはいる。しかし、そのように影響を与えることは一種の越権行為であろう。(そしてまた、クラシック音楽ファンでありながらも筆者は、「クラシック音楽は日本固有の文化でもなく、また日本発祥の文化でもなく、それを応援することは能や狂言を応援することほどには、もしかすると意義は小さいかも知れない」との疑問も持っているし、「東京に拠点を置くオーケストラが多過ぎるのではないか、少し淘汰されても構わぬかも知れない。それよりは日本各地のオーケストラまたは音楽演奏団体を支援するほうが意義深いかも知れない」などとも思っている。)   
 社長その他は「俺の出身地、出身校のために、(自分のポケットマネーからでなく)この会社の負担で寄付をしよう」などということはしていない・・・公私混同とか、私情を交えたことはしていない。これと同様、それ以外の者も、私情を交えることを慎まねばならないと思っている。   
   
 さあ、しかし、不満な気持ちは残る。そこで・・・せめて災害などのときは、上のような協賛金や寄付などをとりやめさせ、または減額させ、災害関連での義えん金・見舞金などに回す余裕を作るほうへと持っていきたく思うわけである・・・ここが、先ほど言った、「ふつうの私情」を超えた、「別格の私情」ということになる。   
   
 「いちど協賛金などを提供したからと言って、次年度も同様にするとの約束はするな。それぞれ、提供するタイミングを急ぐな。 “今年は見送りたい”と伝えることに躊躇するな(「昨年まで支出してあげたのに今年はヤメにするなんて申し訳ない」と考えるのは間違いである・・・去年までのことには感謝してもらわなければいけないのだし、そして今年とりやめることについて「かわいそうだ」と思うことはありうる・正しいとしても、しかしやはり、「申し訳ない、ごめんなさい」と感じることは間違っている)。先方の側では協賛金の額によるランク付けも行なわれていたりするが、上位へと誘われても慎重に考えて“諸般の事情もあり”とか“よそ様への応援もまたあるので”等を言い訳にして拒絶することも考えよ」・・・これもまた、改めて徹底する必要があろうか。   
   
   
 寄付その他に関して、或いは経費支出などに関して、世間ではよく「支出せずに利益を大きく生み出しても、どうせ税金でとられる・・・それくらいなら使っちゃったほうがいいじゃないか」と言う人がいる。使い道が有意義ならばよろしいが、しかし、ときに「勢い」とか「何となくの流れ」で支出してしまうことも見受ける。それはやはり無駄へとつながるのである・・・会社の資産(それはこれまでの蓄積もあれば、いま時点で日々生み出している利益も含むわけであるが)はまずもって「株主のもの」であるからして、いい加減な考え方で放出・消費させるべきものではない。そしてまた、税として課される・納付されるそのカネは、これはちゃんと有意義な形で使われていくものである。一部に税金の無駄使いがあったりはするが(国会の会期延長とかでもそう言いたい場合があるけど)、基本的には税とは有意義なものであることを、そして、この社会を支えているものであることを忘れてはならない(・・・って、いったい、この論文調の書き方は何なんだ・笑)。   
   

雑記、もしくは、「男もすなる○○な行ひを、女もしてみむとて・・・」?



   
 「女性はかくあるべし」、「男と女は違うんだぜ、女性はこうであってはならない」との発言はセクハラ、さもなければ差別と受け止められかねない。だから、やたらなことは言いにくい・・・しかしながら・・・。    
   
   
 或るとき、或るオフィス街の片隅にて、会社訪問または面接試験を終えた直後かなと思える若い女性(女子大生だろう、着こなせていないリクルートスーツ姿であった)がタバコを吸っていた。   
 極度の緊張から逃れて今や「生き返るようにホッとした一服」を手にしているような、幸せな表情を浮かべていた。   
   
 女性がタバコを吸うことについて、筆者はほとんど抵抗感が無い。で、上の女性は携帯型の灰皿を手にし、灰や吸殻の始末を考えに入れていたようであり、つまり、お行儀はよろしいわけで、文句をつけたいとは思わなかった。   
   
 女性の喫煙で気になることがあるとすれば、タバコの火の消し方(の作法)であるかなあ。灰皿の中で、憎しみを込めたように汚く押しつぶすように消しているのを見ると、けっこう引くものがある。でも、それは、親がしつける範囲のこととは違うから、難しい問題でもあるのかな・・・わが子に(自分の息子や娘に)タバコを吸って欲しいと願う親はあまりいないだろうし、すると子供の側も親の前で喫煙することをはばかるのではないか・・・結果としてタバコの火の消し方のスタイルも親からあれこれ指摘されることがないままになってしまうものであろうか。   
   
 何かの折りに、偶然なのだが、自社の女性社員であれ、他社の顔見知りの女性社員であれ、人目につかないところでタバコを吸っているところに出くわしてしまうことがよくあるのだなあ。   
 たとえば・・・某社の駐車場には、その片隅に喫煙コーナーがある。その某社に出かけた折りのこと・・・筆者の会社ともその会社とも双方に取引のある某銀行の女性行員が駐車場の喫煙コーナーで一服していた。筆者は「よっ、こんにちは!」的な意味で手を振ったのであるが、相手は「とんでもないところを見られてしまった、わたしの評価・評判が下がっちゃう?」などと思ったみたいな、おののくような表情を浮かべて挨拶を返した。   
   
 誰かに見られて困ると思うなら、いっそ吸わないでおけばよいのに・・・とも思うが、酒飲みにとっての夜毎の酒と同様、タバコもまた我慢は難しいものだろう。   
   
   
   
 会社で、お客さんとの打合せを終えたときのこと。   
 見送りも終え、受付係の女性たちに「いろいろありがとう」と言って自分の職場に戻りかけた・・・が、彼女らに伝えるべき用事をふいに思いついたので振り向いた・・・彼女らのうちの一方が襟から手を入れて、ま、内側の肩紐の位置を直している最中であった。   
   
 「あー・・・やだ、エッチぃ!」   
   
 ・・・一瞬、こちらのほうが戸惑ったが、向こうも笑い顔であったし(彼女らもべつに若いわけではない・・・いや、年齢のことはどうでもよいのだが)、こちらとしては「ざけっ」と思い、そして「そういうことは、油断しないで、男の姿が完全に消え失せてからにしろよなー」と言った。   
 女性はそういう心がけを持っていないと・・・たとえばデートしていて相手の男性が「ちょっと電話したいので/トイレに行ってくるので」と言って席を立った直後に(1秒とか2秒とかのあとにでもすぐに気が緩んで)彼女らが化粧のチェックや化粧直しを始めてしまうことにもなりうるわけで、それでもしも男性に振り返られたら彼には興ざめな思いをさせてしまうこともなくはない・・・と心配する。   
   
   
   
 スーパーで買い物してそれをレジ袋に入れるとき・・・。   
 レジ袋を広げようとして空中で大きく振る場合もあったりしよう。こういうとき、筆者などは他人のいない方向に袋を向けて、そして、お腹・腰の位置かそれよりも低い位置でパッと振る。   
 が、人によっては、レジ袋を広げるときに高い位置で、しかも他人(他の客)の顔の近くで振ったりするのだよなあ。それがオッサンならば、ま、もちろん褒められたことではないのだが、「男だからこういうガサツ/ワイルドなのも仕方ないか」みたく受け止められもしようが、女性でもそういう仕方をしているケースがある・・・これなど、どんなものかなあ。   
   
 男と女とでは、やはり、どうしたって求められる・許される「振る舞い、マナー、マナー違反のレベル・内容」に違いがあるものと筆者は思うのだ。この点で、家庭での「しつけ」はないがしろに出来ないものと思う。が、いまの時代は「そういうことも、家庭ではなく学校や先生が担うべきこと。ちゃんと教えない先生が多くなっちゃって困った世の中よねー、うちの子もきちんと出来ないことがいっぱいあって、一種の被害者よねー」などという感想も生まれているかも知れないけど・・・いや、いや、まさかそれは。   
   
   
 多くの人が知っている有名コーヒー・チェーンの某店では・・・客が座るテーブルの近くにゴミ入れがあるのだが、テーブルに客がついているにもかかわらず、店の或る女性スタッフはゴミ袋の入れ替えのとき、客のすぐ近くで新しい袋を大きく振って広げていた(こういうのもまた傍若無人と表現してよいのかどうか)・・・筆者はそこから距離のある位置にいたのだけれども、しかし、「それでも女かよ!」と思った。これは、このチェーン店の教育内容の問題であろうか・・・そう言えそうでもあるが、しかし、スタッフとして働いているその「個人」の素養・育ちの問題ととらえるべきことであるような気も。(新しいポリ袋なのだから、広げるときに舞うホコリの量も大したことなかろうとの見方もあるかも知れぬが、客の側としては気持ちのよいものではないだろう、絶対に・・・顔に風を感じるのすら不快でもあろう。)   
 今、飲食店やホテル・旅館、その他の業界では、海外からの旅行客などを意識して「おもてなし」スキルの向上に一生懸命になっているようではあるが・・・スタッフらに語学面その他で新しい知識やスキルを獲得させるのも結構なことではあるが、現時点で存在している「振る舞いの問題点」みたいなものが見過ごされたままになるならば残念なことだ。   
   
   
   
 或る大学の近辺にて・・・。   
 筆者の前を歩いている女子大生が、急に音を発した・・・一種の声であるが、昔のオッサンやジイサンが道端に痰を吐くときの「カー・・・ペッ」という、あの音/声。   
 で、その女子大生は道路脇にペッと・・・。   
   
 「す・・・すげえ女が育っているんだなあ、いまの時代は!」と、筆者は思った。まるでドリフのコントでも目にしているような思いをした。   
   
   
   
   
 駅で電車を待っているとき・・・。   
 リクルートスーツ姿の女子学生が、ホームのベンチに歩み寄った。   
   
 さあ、このあと彼女はどうすると、皆さんは想像するか?   
   
 彼女は腰掛けるのでなく、なんと、足先を宙に上げ、靴の裏(靴底)に付着してしまったらしきゴミかガムをベンチの縁にこすりつけて取り除いたのであった。手とかティッシュとかは一切使わず。   
   
 うむ、合理的であり一種の感動が・・・いやいや、違うな・・・やたらと心を震わされた瞬間であった。   
   

「多税に無贅」、「言うは靖、行うは貴司」



   
 「くまモンは、苗字と名から成る名前を持っている。その名前を略すと“くまモン”になるのだ」と勝手に想定したうえで、その名前として筆者は「熊井 紋次郎」とか「熊倉 主水之介(もんどのすけ)」などを、ぬいぐるみそれぞれにあてている。   
   
 写真の手前はワニのぬいぐるみなのであるが、これに関して世間では「くまモン」のような愛称は付されていないと思う。それでも筆者は何か名づけたく感じ、その苗字を、アリゲーターならば「有毛田(ありげた)」、クロコダイルならば「黒児田(くろこだ)」にしようと思った。このぬいぐるみには小さなタグが付いていて、それにはクロコダイルだと表記されていたので、苗字は「黒児田」に決めた。で、ちょっとホンワカでソフトな表情をしているから、これはオスでなくメスであるものと決めつけ、フルネームはこのようにした:   
   
  黒児田 和仁子 (くろこだ わにこ)   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 健康診断に際しては、ずっと以前は「前夜には酒を飲まないでおく」ということをしていた。   
 しかし、それでは「普段どおりの体調・コンディションのままで検査を受ける」ということにならない・・・卑怯でもあり、いや、健康上の問題点が見逃されてしまうかも知れない。というわけで、或る時からは健康診断の前夜にも躊躇・遠慮せずに飲酒することとなった。   
   
 それでも健康診断で異常や問題点を指摘されることはなかった・・・そして今年も同様。   
   
 そして今では、健診の受け方はさらに進化した・・・。   
 筆者は1年365日、毎晩、酒を飲むのだけれども・・・健康診断のときに提出する問診票/アンケートにおいては実態を隠し/偽り、自分を次のように想定して回答記入するのだ: 「酒を飲むのは1か月に計5日くらい、飲酒量は日本酒にして1合くらい」という具合に(笑)。   
   
 例年、健康診断の検査と同時にか、或いは検査結果が出たときに医師と面談することになるのだが、問診票に上のように回答しておくと、かつてのように医師から「お酒の量を減らすのが望ましいですね。それと、ぜひ、休肝日を設けるようにしましょう」とアドヴァイスされることが無くなった。で、医師は簡単に「よろしいですね・・・特に何も問題は無いようです」で終わり! 健診関連で奪われる時間がまた少し節約されるようになった、めでたいことだ(健診で奪われる時間を最小にするために、筆者は、たとえば一番乗りかそれに少し遅れるくらいのタイミングを選んでいる・・・さもないと、いろいろな検査項目で順番待ちになってトータルではかなり時間をとられてしまうものだ)。   
   
 過去には、問診票にはほぼ正直に「毎日飲む、量は日本酒にして5合くらい」などと回答しており、すると医師からは必ずアドヴァイスを受ける羽目になった(当然だよなあ)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 3月の或る日・・・。決算作業を控えていることもあってA君はピリピリ状態にあり、加えてちょっとしたトラブルも発生したことから、部下を強い口調で叱ることがあった。   
   
 筆者はたまたまその場に居合わせていた。叱り方が行き過ぎであり、感情コントロールを失った叱り方であるようにも感じられ、A君には注意をした(叱った相手に対して謝ることも促した)。これからさらに活躍していくであろうA君が、もしもパワハラだ何だと非難されるようなことがあればそれはよろしくないとも思ったのだ。   
   
 A君は40代後半。世代のわりには仕事への臨み方が保守的・旧来的である。なぜかというと、昔から筆者を含めた彼の先輩たちによって大いに洗脳されてしまったからである。そういう「洗脳されてしまった」彼にとって、今どきの若手と接することが大きなストレスになっていることは確かだろう。   
   
 昔、筆者がまだ20代後半とか30代前半とかの頃・・・A君ではないが、或る後輩が「残業が続いてしんどい。過労で、このままでは体を壊しそうです」と言ったのに対して筆者は「そうは感じても、人間、案外と大丈夫なもんだぜ・・・虚弱体質の俺が言うんだから間違いない」と言った。これだって、長時間労働を受け入れられるようになってもらうための洗脳だったと言えよう。   
 ずっと後になって彼は筆者に「あのとき、ああ言ってましたけど、(あなたは)ぜんぜん虚弱体質じゃないじゃないですか。だまされちゃいましたよ」と言ったが、いや、しかし、筆者は確かに小学校1、2年あたりまで虚弱体質だったように思えるのだ。そして今でも、毎年のように風邪をひく・・・年に1回か2回かな・・・そのくらいの回数だとむしろ少ないほうだとも言われるが、でも、長年ずっと風邪をひいたことがないと言い切る人が周囲には何人もいるのだ・・・その人たちと比べれば自分は虚弱であるように思えて仕方ない。   
   
 また別の後輩、それも何人もの後輩の前で「俺、昨日はズル休みしちゃったから、今日は頑張るぞ」と口にしたことがある。病気やケガを理由とするのでなく、疲れを癒すためとかレジャーとかのために有給休暇をとるのを筆者は「ズル休み」と呼ぶことと決意し、そのような形で休むことを極力少なくするよう自分を戒めていたのだ。そしてまた、それぞれの職場というものは、先輩が、または上司が有給休暇を取得しないでいると、おのずと部署全体の休暇取得率が減ることにも気づいていた。それが良いこと・好ましいことだと信じて生きて来てしまった・・・しかし、この感覚、今になって直せと言われても、すぐには難しいものがあるなあ。   
   
   
   
 若い人を募って読書会/輪読会をやっている。本の選択に関わったりレジュメ・レポートを見たりするだけになってしまうことも多いが、時々は同じ場に顔を出す。   
 読書会メンバーに加わるかどうかは自由で、その点も、そして読書会での発表内容・発言も、考課に関係などしない。会社の趣味サークルと同じようなものとして考えている(テニス部とか華道部とかと同じ感じで)。   
 もともと経理・財務・経営企画・総務の畑の若手社員をメンバーにしていたのだが、或るとき、筆者の同期の、貿易関連部署の男から「うちのB君も参加したがっているが、よいか?」と訊かれたが、歓迎である。   
 で、さらに「若い連中と接していて、疲れないか? イラッと来るとか、何か言ってもこちらの意図がちゃんと伝わっていなくて後でガックリ来るとかしないか?」と訊かれた。   
 まあ、そういうことも感じはする。ただ、彼らにどうあって欲しいのか、組織がどうあるべきか等を考えれば、おのずと導く方向も決まってくるし、また、それが見えていれば、「言わねばならないことは言う、直させるべきところはそうする」ということになるわけで・・・ただ、それだけのことと言えなくもない・・・手間が掛かることは否定できまいが。   
   
 このB君、他のメンバーと比べて本の「読み込み」がしっかりとしている。   
 そして発言も議論も積極的にする・・・もともとそういうタイプなのだろうと思っていたら、後日、彼の上司である先ほどの男から「あいつは読書会を楽しみにしている。それと・・・彼は喋るときによくドモっていたのだが、最近はほとんど気にならなくなった。よく話すようにもなり、性格も明るくなった」と聞かされた。   
 職場とは違った場所での(いや、会社のオフィス内ではあるのだが、ふだん仕事をこなす場とは別の空間での)、そして世代も近く上下関係を意識させられにくいフラットな人間関係の中で発言したり議論したりすることが、何かしらB君の気持ち・精神面に影響を与えているのかも知れない?   
   
 書籍代・夜食などは会社負担としているが、筆者も同席するときの夜食メニューはピザにはさせない。理由は筆者がピザが嫌いだからであり、この点だけはせっかくの「フラットな人間関係」を損ねるような介入をしているかな。   
   
   
   
 下のは過去の写真の再掲。   
   



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クラシカルな某

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