2018-07

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雑記



   
 東日本大震災のとき、筆者の勤務する会社としてはそれなりに上手な危機対応・挽回が出来たとは思えたものの、しかし、他社、特に一流企業が行なった対応と比較すれば大いに引けをとるものであった。   
   
 あのときの教訓を踏まえ、災害対応のマニュアル・指針が練り直された。そのプロセスに筆者は関与しなかったが、改訂されたマニュアル等に目を通したときには「うーん、大枠としては間違いもないし、的確と思えるものの、しかし・・・」との感想を抱いた。   
 「これらを実践するうえで、人手が決定的に・明らかに不足するであろう」との思いが生じた。部署にもよるが、ゆるい部署でも「余剰の人手が無い状態」にあり、また、本社部門・事務部門は「ギリギリ最少(最小)人員」のところがわりとある。つまり、非常時に、いつもの仕事量を超えたものをこなす余力に乏しく、人手を相互に融通・供出するのもままならないことであろう。   
   
 今回の豪雨災害では、自社サイドに被害は生じなかったものの、しかし、物流の途絶によるビジネスへの影響は小さくなさそうであり関連の担当者は頭を抱えている・・・とはいえ、みずから何かを為そうにも・・・外部環境次第という状況ゆえの「もどかしさ」の問題であろうなあ。   
   
  
   
   
 これは何かで読みもしたし、他人から聞かされたこともあるのだが、役所、それも中央官庁等でなく地方自治体の場合について、   
   
 「地方公務員は普段の残業がほとんど無いケースが多いが、それは人員を多めに確保しているからである。地元から他の地域へと、特に都会へと人・若者が流出してしまうのを防ぐため、また、過去の部落問題を考慮したときにも、公務員採用を多めにして雇用の場を用意することには大きな意味があり、そしてまた、災害発生時に住民の安全や生活再建などに手が回るように公務員/職員を余裕をもって確保しておくことは大切なのだ」   
   
との見方があるようだ。   
 これは正しそうでもあり、しかし、必ずしもそうでないかも知れない。だが、いずれにしても、災害が生じてしまった地の自治体職員の人たちはこれから多忙な日々を迎えることであろう。上の見方が正しいものだとするならば、今こそ自治体職員の本領・本分の発揮のしどころとも言えるのではないか。また、上の見方が誤ったものであるとしても、自治体職員への期待はやはり当然ながら大きい。厳しい暑さが続くに違いないが、過労や健康管理にも留意しつつ、寄せられる期待を裏切らない形で地域住民の暮らし・生活再建のために尽力していただきたいと思う。   
   
   
   
 東日本大震災のときは、その発生時期の偶然から、会社としては4月にスタートする事業年度に関して組まれた「事業計画や予算」に大きな見直しをかけて、拠点・倉庫その他の再建・修繕関連や、義えん金、取引先への見舞金などにカネを回すにあたり躊躇・制約をあまり感じずに済んだ。   
 それを教訓に、毎事業年度、「設備予算・経費予算が認められたからと言って、“ただちに支出してしまえ”みたいな感覚は持たないで欲しい。災害時などには予算の振り向け先を変える自由度も欲しくなる。急ぐ必要のない支出はタイミングを遅らせることもお願いしたい。それがひいては、万一の災害時にも業績低下を小さく収めることにつながる」と筆者は言って来た。   
   
 が、ここ2、3年、上のようなことは言わずにいた。「これはいかんな」と思い直し、今年4月以降のための予算が確定したときには上の趣旨のことを改めて伝達・要請したのだった。   
 今回の豪雨被害に関連して、具体的に義えん金・見舞金などの支出方針がどうなるかは未だ分からないが、社内各部門の予算消化のペースは6月までの時点で「無意味に先走ったものになっていない」ことは明確に見て取れる・・・幸いである。   
   
 実は、上のような発言は、諸々の協賛金・寄付などの支出がルースになりがち、大盤振る舞いになりがちなことに対する、筆者の個人的な、そして私情を交えての、小さな抵抗も含んでいるのだ。この私情は、しかし、「ふつうの私情」を超えた、「別格の私情」である・・・自分の位置づけとしては。   
 協賛金・寄付などとして、また、一部は広告掲載としての意味合いも兼ねている支出としては、たとえば次のようなものがある:   
   
   
 1. スポーツを応援するためのもの(特定競技のものもあれば、スポーツ一般の振興のためのものもある)   
   
 2. 自然科学・社会科学・人文科学・医療などの研究に役立ててもらうもの   
   
 3. 福祉、慈善事業などに役立ててもらうもの   
   
 4. 芸術の振興に役立ててもらうもの   
   
   
 これはたぶん珍しくないことだろうが、筆者の会社の場合、上の最後の4が、悲しいほど少ない。そして増加傾向にはない。   
 それに対して1から3は、多額というほど誇れるものではちっともないが、増加傾向が続いている。   
   
 クラシック音楽ファンとしては4の増加を期待したいが、そういう「支出の振り向け先を決めること」は筆者の職掌の範囲ではない。こちらとしては、会社の事業計画とのバランスから会社の全支出予定に目を光らせたいし、その支出内容の一部として、ざっくり言えば対価性・反対給付を伴わない(そして或る意味、企業にとってリターンの感じられにくい無駄金・捨て金と見てしまうことも出来ぬこともないような)、上の1から4のような利益・金銭の供与の支出合計には特に注意が向かってしまうのだが、そこでは飽くまで(個々の支出案件について特にケチをつけたり誘導したりしたいわけでなく)合計・トータルに対して意見する・賛否を述べることに尽きるかなと考えている(なお、細かいことを言えば、支出するうえでの勘定科目は複数にまたがる)。   
 協賛金などについてその素案を決定している者と筆者との間柄、これまでの人間関係からすれば、仮に筆者が「文化を応援するための支出がこうも少ないのは寂しいではないか。クラシック音楽関連への応援支出などは企業イメージの向上にもきっと役立つ」と意見すれば、彼の考え方も変わるのではないかと思ってはいる。しかし、そのように影響を与えることは一種の越権行為であろう。(そしてまた、クラシック音楽ファンでありながらも筆者は、「クラシック音楽は日本固有の文化でもなく、また日本発祥の文化でもなく、それを応援することは能や狂言を応援することほどには、もしかすると意義は小さいかも知れない」との疑問も持っているし、「東京に拠点を置くオーケストラが多過ぎるのではないか、少し淘汰されても構わぬかも知れない。それよりは日本各地のオーケストラまたは音楽演奏団体を支援するほうが意義深いかも知れない」などとも思っている。)   
 社長その他は「俺の出身地、出身校のために、(自分のポケットマネーからでなく)この会社の負担で寄付をしよう」などということはしていない・・・公私混同とか、私情を交えたことはしていない。これと同様、それ以外の者も、私情を交えることを慎まねばならないと思っている。   
   
 さあ、しかし、不満な気持ちは残る。そこで・・・せめて災害などのときは、上のような協賛金や寄付などをとりやめさせ、または減額させ、災害関連での義えん金・見舞金などに回す余裕を作るほうへと持っていきたく思うわけである・・・ここが、先ほど言った、「ふつうの私情」を超えた、「別格の私情」ということになる。   
   
 「いちど協賛金などを提供したからと言って、次年度も同様にするとの約束はするな。それぞれ、提供するタイミングを急ぐな。 “今年は見送りたい”と伝えることに躊躇するな(「昨年まで支出してあげたのに今年はヤメにするなんて申し訳ない」と考えるのは間違いである・・・去年までのことには感謝してもらわなければいけないのだし、そして今年とりやめることについて「かわいそうだ」と思うことはありうる・正しいとしても、しかしやはり、「申し訳ない、ごめんなさい」と感じることは間違っている)。先方の側では協賛金の額によるランク付けも行なわれていたりするが、上位へと誘われても慎重に考えて“諸般の事情もあり”とか“よそ様への応援もまたあるので”等を言い訳にして拒絶することも考えよ」・・・これもまた、改めて徹底する必要があろうか。   
   
   
 寄付その他に関して、或いは経費支出などに関して、世間ではよく「支出せずに利益を大きく生み出しても、どうせ税金でとられる・・・それくらいなら使っちゃったほうがいいじゃないか」と言う人がいる。使い道が有意義ならばよろしいが、しかし、ときに「勢い」とか「何となくの流れ」で支出してしまうことも見受ける。それはやはり無駄へとつながるのである・・・会社の資産(それはこれまでの蓄積もあれば、いま時点で日々生み出している利益も含むわけであるが)はまずもって「株主のもの」であるからして、いい加減な考え方で放出・消費させるべきものではない。そしてまた、税として課される・納付されるそのカネは、これはちゃんと有意義な形で使われていくものである。一部に税金の無駄使いがあったりはするが(国会の会期延長とかでもそう言いたい場合があるけど)、基本的には税とは有意義なものであることを、そして、この社会を支えているものであることを忘れてはならない(・・・って、いったい、この論文調の書き方は何なんだ・笑)。   
   

雑記、もしくは、「男もすなる○○な行ひを、女もしてみむとて・・・」?



   
 「女性はかくあるべし」、「男と女は違うんだぜ、女性はこうであってはならない」との発言はセクハラ、さもなければ差別と受け止められかねない。だから、やたらなことは言いにくい・・・しかしながら・・・。    
   
   
 或るとき、或るオフィス街の片隅にて、会社訪問または面接試験を終えた直後かなと思える若い女性(女子大生だろう、着こなせていないリクルートスーツ姿であった)がタバコを吸っていた。   
 極度の緊張から逃れて今や「生き返るようにホッとした一服」を手にしているような、幸せな表情を浮かべていた。   
   
 女性がタバコを吸うことについて、筆者はほとんど抵抗感が無い。で、上の女性は携帯型の灰皿を手にし、灰や吸殻の始末を考えに入れていたようであり、つまり、お行儀はよろしいわけで、文句をつけたいとは思わなかった。   
   
 女性の喫煙で気になることがあるとすれば、タバコの火の消し方(の作法)であるかなあ。灰皿の中で、憎しみを込めたように汚く押しつぶすように消しているのを見ると、けっこう引くものがある。でも、それは、親がしつける範囲のこととは違うから、難しい問題でもあるのかな・・・わが子に(自分の息子や娘に)タバコを吸って欲しいと願う親はあまりいないだろうし、すると子供の側も親の前で喫煙することをはばかるのではないか・・・結果としてタバコの火の消し方のスタイルも親からあれこれ指摘されることがないままになってしまうものであろうか。   
   
 何かの折りに、偶然なのだが、自社の女性社員であれ、他社の顔見知りの女性社員であれ、人目につかないところでタバコを吸っているところに出くわしてしまうことがよくあるのだなあ。   
 たとえば・・・某社の駐車場には、その片隅に喫煙コーナーがある。その某社に出かけた折りのこと・・・筆者の会社ともその会社とも双方に取引のある某銀行の女性行員が駐車場の喫煙コーナーで一服していた。筆者は「よっ、こんにちは!」的な意味で手を振ったのであるが、相手は「とんでもないところを見られてしまった、わたしの評価・評判が下がっちゃう?」などと思ったみたいな、おののくような表情を浮かべて挨拶を返した。   
   
 誰かに見られて困ると思うなら、いっそ吸わないでおけばよいのに・・・とも思うが、酒飲みにとっての夜毎の酒と同様、タバコもまた我慢は難しいものだろう。   
   
   
   
 会社で、お客さんとの打合せを終えたときのこと。   
 見送りも終え、受付係の女性たちに「いろいろありがとう」と言って自分の職場に戻りかけた・・・が、彼女らに伝えるべき用事をふいに思いついたので振り向いた・・・彼女らのうちの一方が襟から手を入れて、ま、内側の肩紐の位置を直している最中であった。   
   
 「あー・・・やだ、エッチぃ!」   
   
 ・・・一瞬、こちらのほうが戸惑ったが、向こうも笑い顔であったし(彼女らもべつに若いわけではない・・・いや、年齢のことはどうでもよいのだが)、こちらとしては「ざけっ」と思い、そして「そういうことは、油断しないで、男の姿が完全に消え失せてからにしろよなー」と言った。   
 女性はそういう心がけを持っていないと・・・たとえばデートしていて相手の男性が「ちょっと電話したいので/トイレに行ってくるので」と言って席を立った直後に(1秒とか2秒とかのあとにでもすぐに気が緩んで)彼女らが化粧のチェックや化粧直しを始めてしまうことにもなりうるわけで、それでもしも男性に振り返られたら彼には興ざめな思いをさせてしまうこともなくはない・・・と心配する。   
   
   
   
 スーパーで買い物してそれをレジ袋に入れるとき・・・。   
 レジ袋を広げようとして空中で大きく振る場合もあったりしよう。こういうとき、筆者などは他人のいない方向に袋を向けて、そして、お腹・腰の位置かそれよりも低い位置でパッと振る。   
 が、人によっては、レジ袋を広げるときに高い位置で、しかも他人(他の客)の顔の近くで振ったりするのだよなあ。それがオッサンならば、ま、もちろん褒められたことではないのだが、「男だからこういうガサツ/ワイルドなのも仕方ないか」みたく受け止められもしようが、女性でもそういう仕方をしているケースがある・・・これなど、どんなものかなあ。   
   
 男と女とでは、やはり、どうしたって求められる・許される「振る舞い、マナー、マナー違反のレベル・内容」に違いがあるものと筆者は思うのだ。この点で、家庭での「しつけ」はないがしろに出来ないものと思う。が、いまの時代は「そういうことも、家庭ではなく学校や先生が担うべきこと。ちゃんと教えない先生が多くなっちゃって困った世の中よねー、うちの子もきちんと出来ないことがいっぱいあって、一種の被害者よねー」などという感想も生まれているかも知れないけど・・・いや、いや、まさかそれは。   
   
   
 多くの人が知っている有名コーヒー・チェーンの某店では・・・客が座るテーブルの近くにゴミ入れがあるのだが、テーブルに客がついているにもかかわらず、店の或る女性スタッフはゴミ袋の入れ替えのとき、客のすぐ近くで新しい袋を大きく振って広げていた(こういうのもまた傍若無人と表現してよいのかどうか)・・・筆者はそこから距離のある位置にいたのだけれども、しかし、「それでも女かよ!」と思った。これは、このチェーン店の教育内容の問題であろうか・・・そう言えそうでもあるが、しかし、スタッフとして働いているその「個人」の素養・育ちの問題ととらえるべきことであるような気も。(新しいポリ袋なのだから、広げるときに舞うホコリの量も大したことなかろうとの見方もあるかも知れぬが、客の側としては気持ちのよいものではないだろう、絶対に・・・顔に風を感じるのすら不快でもあろう。)   
 今、飲食店やホテル・旅館、その他の業界では、海外からの旅行客などを意識して「おもてなし」スキルの向上に一生懸命になっているようではあるが・・・スタッフらに語学面その他で新しい知識やスキルを獲得させるのも結構なことではあるが、現時点で存在している「振る舞いの問題点」みたいなものが見過ごされたままになるならば残念なことだ。   
   
   
   
 或る大学の近辺にて・・・。   
 筆者の前を歩いている女子大生が、急に音を発した・・・一種の声であるが、昔のオッサンやジイサンが道端に痰を吐くときの「カー・・・ペッ」という、あの音/声。   
 で、その女子大生は道路脇にペッと・・・。   
   
 「す・・・すげえ女が育っているんだなあ、いまの時代は!」と、筆者は思った。まるでドリフのコントでも目にしているような思いをした。   
   
   
   
   
 駅で電車を待っているとき・・・。   
 リクルートスーツ姿の女子学生が、ホームのベンチに歩み寄った。   
   
 さあ、このあと彼女はどうすると、皆さんは想像するか?   
   
 彼女は腰掛けるのでなく、なんと、足先を宙に上げ、靴の裏(靴底)に付着してしまったらしきゴミかガムをベンチの縁にこすりつけて取り除いたのであった。手とかティッシュとかは一切使わず。   
   
 うむ、合理的であり一種の感動が・・・いやいや、違うな・・・やたらと心を震わされた瞬間であった。   
   

「多税に無贅」、「言うは靖、行うは貴司」



   
 「くまモンは、苗字と名から成る名前を持っている。その名前を略すと“くまモン”になるのだ」と勝手に想定したうえで、その名前として筆者は「熊井 紋次郎」とか「熊倉 主水之介(もんどのすけ)」などを、ぬいぐるみそれぞれにあてている。   
   
 写真の手前はワニのぬいぐるみなのであるが、これに関して世間では「くまモン」のような愛称は付されていないと思う。それでも筆者は何か名づけたく感じ、その苗字を、アリゲーターならば「有毛田(ありげた)」、クロコダイルならば「黒児田(くろこだ)」にしようと思った。このぬいぐるみには小さなタグが付いていて、それにはクロコダイルだと表記されていたので、苗字は「黒児田」に決めた。で、ちょっとホンワカでソフトな表情をしているから、これはオスでなくメスであるものと決めつけ、フルネームはこのようにした:   
   
  黒児田 和仁子 (くろこだ わにこ)   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 健康診断に際しては、ずっと以前は「前夜には酒を飲まないでおく」ということをしていた。   
 しかし、それでは「普段どおりの体調・コンディションのままで検査を受ける」ということにならない・・・卑怯でもあり、いや、健康上の問題点が見逃されてしまうかも知れない。というわけで、或る時からは健康診断の前夜にも躊躇・遠慮せずに飲酒することとなった。   
   
 それでも健康診断で異常や問題点を指摘されることはなかった・・・そして今年も同様。   
   
 そして今では、健診の受け方はさらに進化した・・・。   
 筆者は1年365日、毎晩、酒を飲むのだけれども・・・健康診断のときに提出する問診票/アンケートにおいては実態を隠し/偽り、自分を次のように想定して回答記入するのだ: 「酒を飲むのは1か月に計5日くらい、飲酒量は日本酒にして1合くらい」という具合に(笑)。   
   
 例年、健康診断の検査と同時にか、或いは検査結果が出たときに医師と面談することになるのだが、問診票に上のように回答しておくと、かつてのように医師から「お酒の量を減らすのが望ましいですね。それと、ぜひ、休肝日を設けるようにしましょう」とアドヴァイスされることが無くなった。で、医師は簡単に「よろしいですね・・・特に何も問題は無いようです」で終わり! 健診関連で奪われる時間がまた少し節約されるようになった、めでたいことだ(健診で奪われる時間を最小にするために、筆者は、たとえば一番乗りかそれに少し遅れるくらいのタイミングを選んでいる・・・さもないと、いろいろな検査項目で順番待ちになってトータルではかなり時間をとられてしまうものだ)。   
   
 過去には、問診票にはほぼ正直に「毎日飲む、量は日本酒にして5合くらい」などと回答しており、すると医師からは必ずアドヴァイスを受ける羽目になった(当然だよなあ)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 3月の或る日・・・。決算作業を控えていることもあってA君はピリピリ状態にあり、加えてちょっとしたトラブルも発生したことから、部下を強い口調で叱ることがあった。   
   
 筆者はたまたまその場に居合わせていた。叱り方が行き過ぎであり、感情コントロールを失った叱り方であるようにも感じられ、A君には注意をした(叱った相手に対して謝ることも促した)。これからさらに活躍していくであろうA君が、もしもパワハラだ何だと非難されるようなことがあればそれはよろしくないとも思ったのだ。   
   
 A君は40代後半。世代のわりには仕事への臨み方が保守的・旧来的である。なぜかというと、昔から筆者を含めた彼の先輩たちによって大いに洗脳されてしまったからである。そういう「洗脳されてしまった」彼にとって、今どきの若手と接することが大きなストレスになっていることは確かだろう。   
   
 昔、筆者がまだ20代後半とか30代前半とかの頃・・・A君ではないが、或る後輩が「残業が続いてしんどい。過労で、このままでは体を壊しそうです」と言ったのに対して筆者は「そうは感じても、人間、案外と大丈夫なもんだぜ・・・虚弱体質の俺が言うんだから間違いない」と言った。これだって、長時間労働を受け入れられるようになってもらうための洗脳だったと言えよう。   
 ずっと後になって彼は筆者に「あのとき、ああ言ってましたけど、(あなたは)ぜんぜん虚弱体質じゃないじゃないですか。だまされちゃいましたよ」と言ったが、いや、しかし、筆者は確かに小学校1、2年あたりまで虚弱体質だったように思えるのだ。そして今でも、毎年のように風邪をひく・・・年に1回か2回かな・・・そのくらいの回数だとむしろ少ないほうだとも言われるが、でも、長年ずっと風邪をひいたことがないと言い切る人が周囲には何人もいるのだ・・・その人たちと比べれば自分は虚弱であるように思えて仕方ない。   
   
 また別の後輩、それも何人もの後輩の前で「俺、昨日はズル休みしちゃったから、今日は頑張るぞ」と口にしたことがある。病気やケガを理由とするのでなく、疲れを癒すためとかレジャーとかのために有給休暇をとるのを筆者は「ズル休み」と呼ぶことと決意し、そのような形で休むことを極力少なくするよう自分を戒めていたのだ。そしてまた、それぞれの職場というものは、先輩が、または上司が有給休暇を取得しないでいると、おのずと部署全体の休暇取得率が減ることにも気づいていた。それが良いこと・好ましいことだと信じて生きて来てしまった・・・しかし、この感覚、今になって直せと言われても、すぐには難しいものがあるなあ。   
   
   
   
 若い人を募って読書会/輪読会をやっている。本の選択に関わったりレジュメ・レポートを見たりするだけになってしまうことも多いが、時々は同じ場に顔を出す。   
 読書会メンバーに加わるかどうかは自由で、その点も、そして読書会での発表内容・発言も、考課に関係などしない。会社の趣味サークルと同じようなものとして考えている(テニス部とか華道部とかと同じ感じで)。   
 もともと経理・財務・経営企画・総務の畑の若手社員をメンバーにしていたのだが、或るとき、筆者の同期の、貿易関連部署の男から「うちのB君も参加したがっているが、よいか?」と訊かれたが、歓迎である。   
 で、さらに「若い連中と接していて、疲れないか? イラッと来るとか、何か言ってもこちらの意図がちゃんと伝わっていなくて後でガックリ来るとかしないか?」と訊かれた。   
 まあ、そういうことも感じはする。ただ、彼らにどうあって欲しいのか、組織がどうあるべきか等を考えれば、おのずと導く方向も決まってくるし、また、それが見えていれば、「言わねばならないことは言う、直させるべきところはそうする」ということになるわけで・・・ただ、それだけのことと言えなくもない・・・手間が掛かることは否定できまいが。   
   
 このB君、他のメンバーと比べて本の「読み込み」がしっかりとしている。   
 そして発言も議論も積極的にする・・・もともとそういうタイプなのだろうと思っていたら、後日、彼の上司である先ほどの男から「あいつは読書会を楽しみにしている。それと・・・彼は喋るときによくドモっていたのだが、最近はほとんど気にならなくなった。よく話すようにもなり、性格も明るくなった」と聞かされた。   
 職場とは違った場所での(いや、会社のオフィス内ではあるのだが、ふだん仕事をこなす場とは別の空間での)、そして世代も近く上下関係を意識させられにくいフラットな人間関係の中で発言したり議論したりすることが、何かしらB君の気持ち・精神面に影響を与えているのかも知れない?   
   
 書籍代・夜食などは会社負担としているが、筆者も同席するときの夜食メニューはピザにはさせない。理由は筆者がピザが嫌いだからであり、この点だけはせっかくの「フラットな人間関係」を損ねるような介入をしているかな。   
   
   
   
 下のは過去の写真の再掲。   
   



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