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2018-06

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セル関係の新譜



   
 すでに紹介したように・・・(↑)最近CDで登場したものから2点。いずれもライヴ音源。   
   

雑記



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 上の写真の1枚目について: 言うまでもないことだが、自動車メーカーとその関連産業の規模・経済的影響力は巨大で、その将来像、発展・盛衰のゆくえは誰にとっても興味深いものであろう。小説と同じくらいかそれ以上に面白く読める本と思う。   
   
 一緒に写し入れたのは新聞に載った、或る雑誌についての広告・・・2枚目の写真のほうが見やすいかな。この雑誌の広告にはいつも目をやるのだが、毎度、興味をそそられる記事テーマがある。でも、この雑誌を手にしたことはないけど。   
   
 で・・・「お寺の生活が経済的に厳しいのは云々」ということではあるのだが、その記事の具体的内容も、論調も、筆者は知らない。   
 好き勝手に想像してみるに、例えば次のいずれかのようなことが語られ/主張されてでもいるのだろうか(と言うか、もしも筆者が上のようなタイトルで、僧侶サイドを応援する方向で何か書けと求められたら以下のようなことを書くかな・・・):   
   
 1) 日本人の不信心はけしからん。仏法僧の三宝を何と心得るのか。嘆かわしいことだ。   
   
 2) 僧侶は修行を積んでおり、深い知識、格別の教養、品格を備えており、尊く偉い存在なのだ。一般大衆は僧侶を大切に思い、そして彼らのステータスに相応しい、経済的に豊かな暮らしをしてもらおうとの気持ちを持たなくてはいけない。   
   
 3) 布施その他の金額水準アップにつなげるべく、一般大衆がもっとカネを出すようになる方策を考える必要があるやも知れない。   
   
 4) 世界平和を祈るイベント、災害に関連したイベントはもちろん、地域に暮らした先人たちをまとめて供養するイベントなどを事あるごとに積極的に行ない、広く布施を募る工夫も有効であるやも知れない。イベントの内容によっては、土地の名士、町内会・自治体としても、布施などとして何がしかのものを僧侶に渡さざるをえない状況・雰囲気に持ち込めるであろう。   
   
 5) いや、待てよ・・・企業が顧客満足度を高める努力をしているように、実は僧侶たちも一般大衆に「ありがたみ」を感じてもらえるような努力・工夫が必要なのではないか。心に響くような、感服させるような法話を出来るよう腕前をあげる等々。   
   
   
 記事に何が書かれているのか分からないものの、しかし、「生活にゆとり・豊かさを感じにくい」と嘆いていることだけは確かそうだ。   
   
 うーん、でも、ゆとりある暮らし・豊かな暮らし・彩ある暮らし等を望むならば、そもそも仏門に入らなければよろしかったろうに。   
 そして、ふと、思うのだ・・・他の宗教、たとえばキリスト教・イスラム教などの聖職者の場合も、人によっては「生活の厳しさ」を感じてそれを不満に思う、嘆くことはあるのだろうかと。たとえ何かの不自由を覚えても、しかし平然と「信仰の喜びに生きております」と答えるような矜持があるのではないかと思ったりもするが。(日本の)仏教の僧侶の場合にはそういうことにはならぬのかな、上のように豊かさを求める気持ちについて「僧侶として嘆かわしい・見苦しくないか」と思ってしまうことは誤りなのか・・・確かに痩せ我慢はよろしくないし、先立つものはカネというのもひとつの悟りであるかも知れない(?)。   
   
 僧侶でも神職の人でも、教員として、また、市町村役場などの公務員として働きながらという人もいるようだし・・・。生活を安定させたい僧侶は皆、それを見習えばよろしいのではないか。公務員の兼職の問題が生じるかどうか知らぬが、それを懸念するならば、たとえばコンビニその他の商店・飲食店のスタッフやバイト、工場の製造ライン・組み立てラインなどのバイト、工事現場などのガードマン、宅配便荷物の集荷・選別・配達などなど、いろいろな職があるのではないかなあ(教員免許が無くても、公務員採用試験に受かっていなくても、自動車運転免許を持っていなくても、やれる仕事はたくさんあると思うのだ)。   
   
 今に始まったことではないが、食べていくのに/暮らしていくのに苦労しやすそうな道に敢えて進んでおきながら、あとになって「ワーキング・プアに陥ってしまって」と嘆く人が少なくないように見える。   
 役に立ちそうもない学問、役に立つ学問だけれども世にそれほど多くの研究者を必要とするとも思えぬもの(もしも大学の教授職のポストに就けなければ苦しいことになったりしよう)を志す人。それなり以上に突出した才能・魅力などなどを備えているわけでもないのに芸能人・音楽家・スポーツ選手・作家などになろうとする者。彼ら、どうして夢を押し殺せないのか・・・なぜ、もっと安全を考えて、エンジニアや営業マン、事務職、医療関係職、料理人ほか「手に職」系の職などを志向しないのか(今後のAI時代には多数の仕事が消滅しうるとも言われるが、しかし、そのAI時代がまだ具体的に予測されていなかった頃でも、「堅実な職」を考えずに夢を追いかける人が何と多かったことだろう)。   
   
 宗教もまた、日常、大抵の人にとっては役に立たないものである。葬儀・法事などを仏式の流れの中で行いたいから僧侶へのニーズがあるだけのこと。   
   
   
 さて、しかし、都市部、農村・漁村、限界集落的な土地などそれぞれで、僧侶・住職らの暮らしぶりは大きく異なるのかな。   
 筆者などは、高級外車に乗っているお坊さんも目にするのだけど。また、外飲みが好きで輸入ビール・クラフトビールにも随分と詳しいお坊さんもいる。ほか、スナックでカラオケで歌うのが好きなお坊さんもいる・・・この方は、周囲にあまり職業を知られたくないと考えてであろう、カツラを装着して飲みに出ている・・・歌や酒が好きな一方、しかし、他の客の発する下ネタ的な談笑には決して乗ろうとしない点にはよろしき「心掛け」・「けじめ」を感じる。   
   
   
 この雑誌の広告中に「コスプレのお寺」という言葉も見えるが・・・そこで「お寺 コスプレ」の語で画像検索してみると・・・何か楽しそうではあるなあ。   
   

セル関係の新譜



   
 1965年、セル/クリーヴランド管はロシア・欧州方面を巡って公演を行なったが、そのときのオランダでのライヴがCD化されて登場する。収録内容は「マイスタージンガー」前奏曲とシューベルト「グレイト」。   
   
 このCD商品について、放送局保管のテープを使用した等の説明は見当たらないので、音質がどれほどのものであるか、個人的にはその点を少しだけ心配してはいるのだが・・・。   
   
 この公演に関しては、 Michael Charry 氏の著作をお持ちの方は232ページの "The final stand of ..." 以下の段落の記述を参照いただきたい。   
   
   
  http://www.hmv.co.jp/product/detail/8923110   
   
  http://tower.jp/article/feature_item/2018/06/14/1104   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
   
 冒頭の写真は「とろろ蕎麦」の調理準備のもの・・・「長芋とろろ」は冷凍保存しておいたもの。   
 「とろろ」はまとめてこしらえてこのように冷凍しておくと後日になってからの活用が出来るのだ。多少、味が落ちるようでもあるが、しかし、その都度こしらえるのは長芋の皮を剥く・(調理前後に)調理器具や手をしっかり洗うなどの点でわりと面倒なので。   
   
   
 一緒に写し入れたのは或る宅配ピザ店のパンフレットなのだが・・・いや、下の画像でご覧いただこう。   
 筆者の世代だと、こういう「囲みデザイン」で文字が並んでいるのを目にすると「みやどの」って読んでしまうのだよなあ、ハンコと同じで(笑)・・・「宮土野さん」とか「御谷戸野さん」とかの姓ってあるのだろうか、また、誰か「宮さん」という姓の方がいて、その人を“殿”づけで呼んでいるみたいな連想もしてしまうわけで。   
   


雑記



   
 上の写真中、左上のは「トムとジェリー」シリーズの作品から9点を収録しているDVD商品。   
 この中の「星空の音楽会」では「こうもり」序曲が使われている・・・で、アニメのほうもまた楽しい。   
   
 このアニメをご存知の方は多いと思われ、「懐かしい、また観たい」と感じる方は、100円ショップのキャンドゥで入手可能・・・「トムとジェリー」のシリーズだけでも何点もあるので、間違いのないようにパッケージ・デザインをご記憶のうえ、さらに買う前にもパッケージ裏面にて収録内容の再確認を!   
   
 ついでに、有名な「ファンタジア」のDVDを買い求めるのもよろしいのでは?   
   
   
 「100円(税抜)でなく、是非とも400円とか500円くらいで買いたいなあ」と思う方は(笑)、これとは別企画のDVD商品がホームセンターとか、また、スーパーマーケット駐車場などにやって来る露天商の店などで入手可能だったりもしよう。(画質や音質、字幕の状況などにどのくらい差があるのか筆者は知らないけど。)   
   
   
 写真に一緒に写し入れたのは「こうもり」のDVD(ユロフスキーほか)と、「こうもり」序曲を含むフリッチャイやチェリビダッケのCD。   
   
 なお、よく知られているように、序曲についてはセル/クリーヴランド管による演奏もCDで出ている。   
   
 下のは、ブログ画像庫より再掲・・・手前のものはこれもまた「こうもり」のDVD(グシュルバウアーほか)。   
   


トランプさんと安倍さんと、どちらが標準的?


   
 気がかりであった、某2国のトップ会談・・・。   
   
 会談中・会談直後に緊急ニュースとして「○○国で民衆蜂起。軍の一部も加勢。○○○氏は帰国を延期」などと伝わったりせぬかとも思ったのだが何事も無く・・・(期待したわけではない、そんな事態になればそれはそれで世界に大きな動揺と不安をもたらす)。   
   
   
 さて・・・。   
   
   
 皆様にはちょっと試していただきたいのだが・・・。   
   
 今すぐ、大至急、そう2秒以内に、腕組みをしてみて下さい。但し、手にはコーヒーカップとか筆記具とか、何も持たずに。   
   
   
   
   
 さて、「右腕の前腕」と「左腕の前腕」とで、どちらが上になっているだろうか・・・。   
   
 筆者が思うに、「右利きの人ならば左の前腕が上になることが普通なのではないか」・・・その理由は、頭で「さあ、腕を組もう」と思ったとき、その「腕組み状態」へ移行するのに利き手・利き腕である右のほうの動作が優先されるからである(右腕のほうをいち早く胸や、左腕の二の腕に近づけようとする)・・・反対の左腕は後順位になり、したがって左腕が上になってしまう。   
 ただし、手に飲み物・箸・筆記具などを持っている場合は必ずしもそうならない・・・たとえば「飲み物をこぼしにくいように・腕組みしながらもちょこちょこと飲み物を口にしやすいように」との計算・配慮も働いたりするからである。   
   
 ・・・との考えは、しかし、間違いなのかも知れない。世の中、異なる見解も見られる・・・詳細はネット上でいろいろ当たってみていただきたいが。   
   
 いずれにせよ、右利きである人が多数派のこの世界(多数派らしく見受けられる世界)にあっては、腕組みした姿というものは大抵は左腕が上になるものと、筆者は思ってしまうのだが・・・。   
 しかし、下の記事のどちらか一方だけをご覧いただければよいのだが、添えられた写真にて安倍首相は右腕を上にして腕組みしている。他方、トランプ大統領は左腕を上にしている。   
   
  https://www.sankei.com/world/news/180610/wor1806100016-n1.html   
   
   
  https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3158887010062018000000/   
   
   
 この写真をパッと見たとき筆者は「言葉に表しにくい違和感」を覚え、それが何によるものかしばし考えたのであった・・・そして、安倍首相の腕組みの状態にあると気づいた。   
   
 なお、念のため安倍首相について画像検索したら、首相は大抵はやはり左腕を上にして腕組みをしている。このたびの腕組みパターンは例外的であるのかな。   
   
   
   
 では、「ぞうきん」を絞るときの左右の手の位置関係はどうだろう。   
 右利きの人であれば、右手を体側に、左手を体から遠い側に位置させるものと筆者は考える。ああ、でも、どうかなあ、分からないな。   
 なお、野球や剣道を一生懸命にやって来たからといって、バットや竹刀(しない)の握り方と同じにして「ぞうきん」を絞るとは限らないとも思っている。「ぞうきん」を絞るのはスポーツ・競技でなく、したがってまた体全体の動作との兼ね合いとか、バットや竹刀に関する「手首でのコントロール」みたいなことは求められないからである。   
   
   
    
 下のは以前に用いた画像の再掲。   
 「しぐさで読む美術史」(ちくま文庫)には「腕を組む」という仕草が描かれた絵画も紹介されている・・・右腕・左腕のどちらが上になるか、そのパターンは様々なのである。   
   


雑記



   
 ・・・上のは、筆者が調理したサザエの壷焼き。   
   
 「店で買って来るサザエの場合は(大抵は)砂抜きも不要だし、楽チン料理の最たるもの!」との意見もあろうけど、今回のは「下茹で(湯には塩を加える)」とその後にカットを経てから焼いた。   
 最後の調味には出汁・醤油を用いたほか、某メーカーのマジックソルトなる品も振った。   
   
   
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 いま書店に並んでいる雑誌では、「サライ」でも「日経おとなのOFF」でも、画家・田中一村に触れているページ/個所があり、ちょっとだけ「ほほお」と思った。   
   
 ごくたまに誰かと「好きな画家は?」という話題になったとき、筆者がこの画家の名前を挙げても、いつも「? 知らないなあ」的な反応をされて来たのであった。最近はスマホが普及しているからすぐにその作品や画風を確認してもらえるようになり、世の中は便利になった。   
 自分はどういう絵が好みなのか・・・を、総括することは難しい。音楽についてもそれが難しいのと同じか。   
   
 昔、「バブル経済が始まるのより少し前」から「バブル真っ盛り」の頃にかけて、人々の絵画への関心がわりと高まったときがある・・・ハコモノ行政の一種として日本各地に公立美術館もいろいろ出来たり・・・。   
 その頃に筆者はこう言ったことがある:   
   
 「人気の高いユトリロの絵は、その魅力が自分には分かりにくい。何が描かれているかは分かりやすいし、味わいあることも理解出来ているのだけど、こちらの心にはアピールして来なくて、何かすれ違ってしまうようだ。カシニョール、モジリアーニへの人気も高まっているようだけど、それらの魅力も自分には分からない。スーラもそれほどには好きでないし。・・・まあ、好みの幅が狭いのか、或るいは自分の感覚がおかしいんだろうねえ」   
   
 そして、あの頃、自分の好きな絵としては、キュービズムのもの、カンディンスキー、ブラマンク(ヴラマンク)、ルオー、シャガール、ルソー、そして田中一村などを挙げたりしていた。   
   
 あれは昭和の終わりか平成に入ってすぐの頃であったか・・・日本にも拠点を構えていた某・外国銀行が取引先に配るカレンダーとしてキュービズムの絵を載せて綴られたものがあった・・・あれはよろしかったなあ。   
 日本ではカレンダー配布を実施する企業が山ほどあるけれども、絵画よりも写真、それも風景写真のものが多くを占めているのではないか。で、西洋絵画のものとなれば印象派のものが多いのではないか。どうだろう。   
 水墨画とか、アヴァンギャルドな洋画とか、そういうテーマでのカレンダーがもっと広まってもよかろうに・・・などと思わぬではない。   
 でも、「カレンダーは、それを配る会社に対するイメージ・評価に影響しうる。だから当社としては、穏やかで、評価も定まった、かつ常識的な(?)絵画のカレンダーを選びたい」との考え方もあろうか・・・うむ、「当社は斬新なものには関心がなく、新境地とか冒険とか挑戦とかには無縁の社風です」とのアピールをしたい場合にはその考え方は正しいのかも知れない・・・しかし、それならそれでたとえばレンブラントとかコンスタブルとかの作品を扱ったカレンダーならばたいへん魅力的なのだが、そういうものを頂戴した経験は皆無なのだよなあ。   
   

雑記


   
 懸案の、アメリカと某国との会談の時期が迫っている。   
   
 最悪のシナリオは「会談が実現しなくなり・さもなくば交渉が決裂し、堪忍袋の緒を切らしたアメリカ大統領はついに・・・」というものではあるが、そうはならないことを祈るばかりだ。   
   
 で、上のようなことがあればそれは株式市場に少なからぬ悪影響を及ぼすのではないか。また、会談の日が近づくと株式市場では「様子見」兼「リスク回避」のために「売り優勢」の状況になったりせぬのか・・・それを懸念する。   
   
 というわけで、筆者は今日までに所有株式に関して「利益確定売り」兼「資金退避」をかなり進めるに至った。   
 まあ、あと1日くらいは強気でいてもよさそうな気もしたのではあるが、しかし明日以降もまたミーティングのスケジュールが多数あるから昼休みも無いような状況になろう、だから株取引に時間を充てることはできまい・・・同時にこうも考えた: どうせ相場には波があるのだから、いずれまた「ほどよい価格」にて買戻しのできる時がやって来るだろうと・・・大事なことは「利益確保」と、それを積み上げて実現する「稼ぐスピードの重視」かな、ただいまのところは。   
   
 株主総会のシーズンである。各社の業績が好調・絶好調である現状について、あらためて感心する。   
 国会では野党が、ほか、マスコミも世間も、現・首相を批判する動きが活発だ。しかし、こうして経済の好調を目にする限りは現・首相を評価したいというのが筆者の感覚である。   
 (野党は、党によっては「景気がよくなったのは大企業ばかりで、それ以外は好景気を実感できていないし、むしろ苦境にあえいでいる」と言ったりしているが、そうだろうか? 実力ある中堅企業もまた好景気を実感できているところが多いのではないかなと、周囲の事例(それは確かに少ない事例ではある)を見る限り、筆者は感じている・・・まず大企業が元気になるべきこと、するとパワーを持った機関車に引っ張られる客車も元気よく走行できるように、中堅・中小企業も元気になっていく・・・そこに時間差は生じようし、ひょっとすると好景気が全てにまでは巡りきらないかも知れないが、しかし、野党が言うとおりのことをしていれば、それは機関車のエンジンに石炭をくべずに(←表現が古いな・笑)客車のほうを豪華に飾り立てたり、その冷暖房機器などを充実させることに力点を置くようなもので、よい結果にはつながらないと思えるのだ。)   
 もちろん、日本の財政の健全化など、急がなくてはならない課題がいろいろとあるので、それらについて精力的に取り組んで欲しい等、要望したいこともあるのだが。   
   
   
 仮に野党が現・首相をひきずり下ろすことに成功したとして、そして、それを喜ぶ国民が大勢いたとして、では、そのあと誰に首相を務めてもらいたいのか・・・筆者は「次の首相」として最適な人物を思い描けない。「この人ならよいのかも知れないなあ」という人物もいるけれども、その人が考えていることの全体像がまだハッキリ見えて来ない。(なお、政権交代とか、自民党以外から首相が出る等のことは、考えたくもない。)   
   
   
 ・・・・・・・・・   
   
   
 硬い話はこれくらいにして、心なごむ写真をば紹介したい・・・(ただし、猫が嫌いという人、特に「猫には凶暴さ・邪悪さ・不気味さを感じてしまう」という人は見ないほうがよいかも知れないけど)。   
   
   
  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180605-00000105-it_nlab-life   
   
   

「キンパブ」・・・。「パブドメ」?



   
 いわゆる「パブリック・ドメイン」を短く略して「パブドメ」と呼んでいる人はいるのだろうか・・・と思って検索してみると、そこそこ以上にヒットするものがあるのだな。   
 隣の某国に「キンパブ」なる言葉があるが、これは(「キン/キム」は海苔のこと、「パブ」はご飯のことゆえ)海苔巻きを意味するようだ。では「パブドメ」という言葉はあるのか? 無いみたいであるが、しかし、「パブドゥメ」と発音すれば、何かしら無理やりにでも意味を持たせることが出来るのかも知れないなあ、分からぬが。   
   
 その話はおいておくとして・・・。   
   
   
   
   
 冒頭の写真にて、左下のはCD・・・でも、普通のCDショップではあまり売られていないかも知れない?   
   
 収録内容は、カザドゥジュ(カサドシュ)/ロスバウト/RCOによる「皇帝」(1961年)、ミルシテイン/フィルクシュニーによる「スプリング・ソナタ」(1958年)。   
   
 ジャケットに用いられている絵画について商品上に言及が無いようだが、ファン・グリスの作品と思われる。   
   
   
 一緒に写し入れた右上の文庫本は知人から貰ったもの・・・というか、当方が読み終えた或る新書とトレードしたもの。うむ、何かと興味を覚える話題・解説が詰まっている。   
   

雑記、もしくは、デカ過ぎる・・・


   
 すこし前のこと、居酒屋で・・・近隣諸国のひとつである某・民主主義人民共和国について、今後は「どのようになっていくか」・「どのような方向へ向かわせるのが適当なのか」という話を他の客から振られることがあった。   
   
 筆者はこう言った: 「わたしはあの国とその最高権力者を信用していないし、周辺国や世界が“これが望ましい”と期待する方向にどれだけ動いていく・変化していくものなのか大いに懐疑的に見ている。国際情勢・国際政治の専門家でもないから、今後どうなっていくかについて、ほぼ何も分からない・占えない」   
   
 相手は「(最高権力者の)○○○を、権力の座から引きずり下ろすべきではないのか。国際社会の側が彼を責め、裁くべきではないのか。どう思います?」と言った。   
   
 筆者は「うーん・・・その気持ちは分かります。そういう展開は我々の正義感みたいなものを満足させてくれますよね。しかし、そういうことが可能なのか分からないし、また、突然の体制崩壊と大混乱を招かぬよう、当面は彼をそのままリーダー・最高指導者として置いておくことを選択するのもアリということではないですかね・・・それを面白くないと感じるのもまた間違いではないと思います」と応じた。相手は半分納得、しかし、心に鬱積するものは消えないといった表情であった。   
   
 筆者はさらに続けた: 「体制崩壊したとき、今後の明るい未来を信じる国民もいれば、他国へ移り住もうと考える国民も出て来ると思いますが、わたしは、国を去る者たちが向かう先は半島・大陸内だけであって欲しいと思いますね。難民化した者についてはそれらの国々で面倒をみればよろしいと思っています。日本へ向かう者はゼロであって欲しい。彼らが日本に入って、仮にも定住するようなことになれば、子孫を残そうとする者も出て来るでしょうし、そういう増殖は気に入りません・・・人権とかのことは、あの民族に関してはわたしの関心外です。あの国から避難民の船が日本に向かって来たとき、海上保安庁とか自衛隊とかはどうするのか・・・放水して彼らを引き返させるんですかね?・・・空から機銃掃射しちゃえばとも思うのですが、ま、そんなことをしたら国際社会から批判されるでしょうし。ただ、拉致被害者には、本人が望む限りはそれぞれの母国に無事に戻れることを願っていますが」・「彼自身(最高指導者)は今後、自分が偉大なる最高指導者にして“経済発展の父”、豊かで文化的な国づくりの立役者として評価されたいと願っているかも知れないし、このまま権力の座にとどまり続け、そしていずれ、存命中であれ死後であれ、息子などにその座を継がせることを願っているのではないでしょうか。その思いのままになる可能性は否定できないのではないですかね。どう思いますか? それをわたしは面白くないと感じますが、世の中の実際は、そういう展開もあったりするものでは?」   
   
 話はその後も続いたが、大した展開にはならなかった。   
   
   
 しかし、非核化に関連してはカネの問題も出て来る。どのくらいのカネが必要になるか、それを、国際社会はどう負担していくのか・・・こんな、「えー? デカイ問題だなあ」と思わされる記事が:   
   
  https://www.businessinsider.jp/post-168452   
   
   
 「ヨーロッパ諸国は関係ないもんね」といった前提で語られるのは、ま、仕方なくもあろうか。   
 かの国を甘やかし、協力関係を惜しまなかったのはどこの国なのか。かの国が核開発を進めるにあたって、その資金の源泉(経済取引・貿易取引その他)はどこにあったのか、技術の出所はどこなのか・・・それらの要素を重視しつつ、非核化のための各国によるコスト負担を考えることがあってもよいのではないか。かの国の南側の同胞の国の負担はもっと大きくてよいのではないか、また、北方の大国の負担はゼロであってよいのか等、個人的には思うところがある。   
 そしてまた、かの国の最高権力者の個人資産は相当に大きいとも伝えられている・・・非核化のための総コストを考えたとき、たとえ「焼け石に水」みたいなものであっても、しかし、資産凍結のうえ没収し(或るいは自発的な形で提供させ)、それも非核化の資金に充当されるべきと筆者は考えるし、それをしないまま放置ということがあれば大いに腹立たしい。   
   
 「(日本人は)1億年たっても神聖な地に足を踏み入れることはできない」との言葉ほか、日本、アメリカ、国連その他に対してこれまで礼を失する発言がいろいろと見受けられるように思う。「施し」・扶助を受けておきながら、こういうふざけたセリフを吐く国は他に例があるのだろうか・・・二流民族というよりも、「世界で下から数えて何番目のレベル」的な国と言えるのではないか。
   
 筆者個人的には、あの辺が神聖な地であるととらえる感覚は、たとえ自分が1億年の寿命を得ても身につかぬであろうなあ。何をもって神聖と感じるか・・・アンティーク家具を喜ぶ趣味は無いのだが、「(或るモノに)関わりを持った人間の歴史」が価値を持つとする感覚は理解しているつもりだ・・・で、あの土地にあの民族が暮らし続けていたと考えるとき、それは「神聖」とは結びつかない、むしろ「厭離穢土」という言葉にもあるような「穢土」を想起させられる。繰り返すが、これは個人的な感覚だ。ああ、やだね。   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 ところで、かの国のテレビ放送でニュースを伝える女性アナウンサー・・・日本でもその映像がテレビで報じられることがある・・・この女性アナウンサーの喋りの物真似をする人がたまにいる(女性でなく男性がやるのだよなあ・・・女性はやりたがらないのかな?・笑)。   
   
 しかし、ちっとも似ていない物真似をされることもある・・・その場合の物真似の口調はむしろ、あの国の南に位置する国にて市民に街頭インタビューした場合の、そのインタビュー内容が「日本の歴史認識をどう思いますか」、「日本の考えている領土の範囲をどう受け止めますか」、「前大統領についての感想は」などであったときの、彼らが(遺伝的にか、辛いものを食べ過ぎなのかどうか知らぬが、ともかく、あたかも感情抑制能力が欠落しているかのようにして)感情を込めてみっともなく話すときの口調に似たものだったりする・・・「チゲッテヨ! ラリルレロ、筋子食らえってよ! イルボン、デンデケ・・・アレグロ・コン・フォコ・・・ホンズベ、しめじバター、シムニダ」的な物真似かなあ・・・なお、「ホンズベ」という言葉は今は殆ど聞かないが、昔は「ほんもののズベ公」の短縮語としてよく使われていた。   
 (・・・他方、彼らに対して「この国で美味しい食べ物といえば何を挙げますか」とインタビューすればその口調はまったく異なり、軽めの、ときに柔和ささえ伴うものとなろうけど)。   
   
   
 で、筆者は或るとき、「あのアナウンサーの話し方はむしろ、こんな感じではないのか」と、自分も即興で物真似することがあった。   
 それを覚えていた人から先日、「あれをもう一度やってみてくれ」と言われたが、気乗りがしなくて・・・あまり品のよいお遊びとは言えないものだから、興が乗らないと出来そうにない。   
   
 かの女性アナウンサーの喋りは、まず威厳を感じさせる語り口でなくては・・・ニュースを報じるというより、厳かに宣言を行なうかのように。そしてまた、子供たちに紙芝居を見せていて話がクライマックスに差し掛かり、大事件・大転換点を大げさにドラマチックに語り聞かせるような、そんなトーンも必要ではないかと考える。   
   
 アクセント・抑揚、そして時には劇的な印象を与える必要もありそうな「間(ま)」などに気を配りながら次のように言葉を並べると、物真似が出来てしまうと思うのだが・・・あの国の言葉はほんの僅かしか含んでいない(自分はあまり知らないし)・・・おせち料理に用いられもする「チョロギ、チョウロギ」を「チョーロギ」と発音し、ほか写真関係の言葉とか何やかや。「・」は短い区切り、「、」はそれより少しだけ長い区切り、「・・・」は一呼吸の間合い。   
   
   
 「チョーロギ・張りぼて、ネガポジ・ツンデレ。・・・焦がし味噌・カラヴァッジオ、豚バラ・散り散りに、絵葉書。・・・しばらく・香料・ネギじょうゆ(しょうゆ)・磁場。・・・支那そば・ガングロ。・・・いかなご・バジリコ、イリジウム・カッパドキア。尻すぼみ・手まり歌。・・・よんどころ・しっぽく、スンドゥブ・メジマグロ・ハムニダ」   
   

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