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2018-02

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雑記



   
 久しぶりにマーラーを、そして連続鑑賞で・・・。   
    
   

   
   ・・・・・・・・・   
   
   
 ほか、クラシックでないものも交じってはいるが・・・。(中段のものはスヴェトラーノフの「新世界」ほかライヴ。)   
   


小学生の制服/標準服に、そんな高価なものは必要あるまいーに

   
 うーむ、日本の子供のためのものならば、なにもイタリア・ブランドでなく「イッセ○ミヤケ」、「タケ○キクチ」などなど日本人デザイナーのものにせよ・・・という指摘はマト外れなのでヤメておくとして・・・。   
   
 公立小学校であるにもかかわらず、他校一般の場合と比べて親に求められる負担が大きめ・・・これでよろしいのか?(また、負担を強く感じるなら、文句があるなら、よその学校を選べばいいじゃないかとの排除にもつながりうる?)   
 卒業までに、この標準服・制服は通算すると「何揃い」が必要になることか。   
   
 問題となっている標準服・制服は登下校のときのみ着用で、それ以外の時間帯は別の服・体操着などに替えさせて過ごさせるのだろうか。そうでないと、小学生の着ているものなどすぐに傷むからなあ・・・子供たちは休み時間・昼食後・放課後などに(自発的に)鉄棒を練習したり、ほか、跳び箱練習したり、また、走り幅跳びを競ったり・・・そして、ドッジボール、サッカー、鬼ごっこ、ジャングルジム遊びをしたり、野球ごっこでスライディングぽいことも・・・ま、(上着は脱いでいても)少なくともズボンなどすぐ擦り切れるであろう。   
 ほか、授業中に絵の具や墨で服を汚すことだってあるし、昼食の最中に飲食物(牛乳ほか)をこぼして服を派手に汚してしまう子もいるであろう。   
   
 でも、心配しなくてもいいのかな?・・・「体育の時間以外は、たとえ休み時間でも体をつかった遊びはしないように。 “うんてい”くらいにしておきなさい・・・そのときは上着を脱いでしなさい」みたいな指導をするかも知れない?   
   
   
 筆者の場合、中学生時代だけは制服というものを経験させられた。そのことはどうでもよいが、休み時間に変な遊びが流行った時期がある・・・「鬼ごっこ」っぽいものではあったのだが、追いかけてタッチするかわりに、掃除に使う「ぞうきん」を投げつけるというもの・・・そして、この遊びは変化し、「ぞうきん」でなく「黒板消し」を誰かの背中・洋服めがけて命中させるという遊びになった。   
 何度も「黒板消し」に当たったりすれば、学生服の布地にはチョークの白い粉が埋まり、はたいたり拭いたりしても完全にはきれいにならず、着ているものにはいつまでも白っぽさが・・・。この遊びは、けっこう皆、真剣勝負で戦っていた・・なぜ、ああも熱くなったのかなあ。   
 こんな遊びが流行っていることを知った先生は、「君たち、いったい何歳になるんだ? そんな遊びをして、情けない!」と言った。でも、その言葉であの遊びが終わることはなかった。・・・やがては、何が理由ということもなく自然とこの遊びは終わってしまったけれども。   
 ・・・と、上のようなことを書くと、「公立中学校って、そういう下らない事して遊ぶ子供もいて、それがイヤなのよね。だから、うちの子たちには遅くとも中学校からは私立の名門に入れさせたいのよ」という親が増えてしまうかなあ。   
   
 ま、それでも、そしていずれにせよ、筆者はこう言いたい・・・若き日に、そして、子供たちに「高価な制服なんて」と。   
   
   
(追記)   
 でも、この小学校をめぐる今回の件は、騒ぐべき問題ではないのかも知れない:   
   
  http://news.livedoor.com/article/detail/14296333/   
   
   
 「新1年生の保護者は全員賛成」ということらしく、それならば結構、めでたしめでたしで、自分もこの話題は忘れよう。   
   
   
 ところで・・・。   
 下の写真の左側、黄色い表紙の本は、しばらく前に講談社プラスアルファ新書のシリーズから出たもの。面白く読める本だ。   
 新書の類を「一般的に肩が凝る読みもの」との先入観をもって避けてしまう人・構えて接してしまう人も少なくないように見受けるが、しかし、この本は(著者には叱られるかも知れないが)「着るもののチョイスに関わるエッセイ集」のつもりで向き合うと、誰もが楽しめると思うのだ。   
 ただ、日本人男性の多くは「洋服選び・着こなしでキメ過ぎること」について、照れ・はにかみを持ってしまうことも多かろう・・・筆者もまたそうだ・・・しかも、この感覚は、少なくとも日本国内においてはわりと大切で正解だったりする・・・自分だけバリッとピシッとだと、おかしくなってしまうのだ。装いの「ルール」を一応は承知していても、しかし、自分が実際にする「装い・着こなし」では微妙なところでわざと無頓着さ・不徹底さ・抜けも残しておきたい・・・日本人どうしの場合には、「いいものを着ていても、ともかく仕事の出来ない人間、中身の無い人間、気配りの出来ない人間、まごころの無い人間ならば意味ないじゃん。格好よりも中身が大事。おしゃれにエネルギーを使いすぎる人も何だかなあ」みたいな評価もあったりするし、つまり、外側(衣服だの腕時計だの靴だの)に神経を使うほど自分に対する評価が下がっていく可能性に警戒する必要がある・・・勿論、それぞれが属する社会によって感覚は様々だろうし、ハイエンドのレベル、社長さんレベルにもなると状況は異なって来ようけど。   
   
 あと、たとえば、ひとくちに「アメリカ人の、衣服に対する感覚」と言っても、アメリカ人には東海岸の人もいれば西海岸の人、シリコンバレーなどの人、テキサスの人などなどもいるし、また、エスタブリッシュメントの人、オープンマインドでカジュアル・ファッション志向のエンジニアの人、エグゼクティヴの人、高度専門職、アカデミズムの世界の人、ホワイトカラー職、ブルーカラー職など、当然ながら色々だ・・・接する相手それぞれに「受け入れられやすい服装、腹を割って話し合いやすくなる服装」というものがあると筆者は考える・・・そういうことを念頭に置き続けることは大切な筈と思う。但し、やはり同時に、ベーシックな、旧来的な服装選びの常識・感覚を再確認する意味で、この本は読んでタメになる・参考になると言えるだろう。   
 昔々、故・高橋義孝氏が、革靴であっても靴紐ナシで、足をすべらせて脱ぎ履きできてしまうタイプのものをエッセイの中で笑っていたことがあるが、この感覚を今なお我々は心にとめおくことが必要であろう。その方面のこともこの本では触れられているし、よいことである。(とは言え、日本では宴会ともなると和室で行なわれることが多いから、偉い人が先にその場を去って帰宅する際など、見送る側は靴を速やかに履けることも大事・・・すると、簡単に履けてしまう靴を選ぶとか、宴会の前に靴を脱いだときに靴紐を穴1つぶんか2つぶん外して縛っておいて後で速やかに履けるよう準備しておくのもひとつのテではある。)   
   
 一緒に写し入れたのは、手もとに残っている古い新聞記事から。   
   
 

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クラシカルな某

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クラシック音楽好きです。