2018-01

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「巧言冷食、すくなし仁」


   
 或る人の、のたまわく、「巧言冷食、すくなし仁」。   
   
 (↑)解釈: 「お帰りなさーい、お疲れさまでしたぁ・・・今夜の夕食はあなたの好物の鶏の唐揚げとシューマイよ!」と、うまい言葉を発するも、しかし、それらはいずれも冷食(冷凍食品)をチンしただけのもので、このようなものを食卓に並べるとは真心に欠ける者のすることである。   
   
 ・・・と、まあ、そんな奥さんが世の中にどれくらい居るのか知らぬが。ただ、揚げ物をカラッと、というか、食感よく仕上げるためのコツ幾つかのうちの只のひとつも心得ていない人の揚げるものを食べさせられるくらいなら、冷凍モノの唐揚げのほうが優れているということは言えるのかも知れない。   
   
   
 ・・・・・・・・   
   
   
 年が明けてちょっとした頃のこと・・・。   
 知人のAさんがスマホ内に保存された写真を見せてくれた。   
   
 「うちの娘・・・正月に帰省したときの写真・・・今年、大学を卒業して○○社に就職することになりまして」   
   
 たいへん嬉しそうであった。こちらも「あれ、べっぴんさんなんだね」と、少し古めかしい言葉をかけた・・・ここで、冗談でも「お父さんにあまり似なくて良かったね」などと言ってはいけない・・・ま、仮に言ってもAさんはむしろ笑いこけるであろうけど。   
   
 「実物はねえ、運動ばっかりやってたから色が黒い。勉強なんてろくにしてないんじゃないかな」   
   
 この「実物はねえ」というのは、「実際はねえ」という言い方をするほうが適当ではないかと思えたが、そこがまたAさんらしくてよいなあ。ま、それよりも、あれからもう何年も経っているのだなと、月日の過ぎることの速さを思った。   
   
 この娘さんと面識は無い。彼女はまだ高校生の頃に「将来は介護の仕事か、さもなければ保育の仕事に就きたい」との希望を持っていた。父親であるAさんが「そういう進路選択でよいのだろうか」と迷いを持ち、それについて筆者とも話を交わすことがあった。そのとき筆者は、それら職種の処遇などを懸念し(それはまた本人が「将来」において後悔するやも知れないとの懸念もあり)、反対意見を口にした。結局、彼女はAさんの説得に耳を傾け、でも自分の信じる/思うところもあって、或る地方大学の、ちょっとありきたりでない学部(しかし介護・保育などとは無関係)に進学した。筆者は漠然と「卒業を迎えるまでに、いや、就職活動をするようになる時期までに、日本が力強く景気回復するといいのにな」と思った・・・筆者の子供ではないけれども、しかし自分の発言が間接的にでも影響したかも知れぬことのその展開・行く末に恐れを覚えたのだ。   
   
   
 就職氷河期の頃、大学生の子供を持つ親から「どこの会社を狙うべきか/どこか穴場はないか」と話しかけられることが何度かあり、筆者は、たとえば某大手企業の有力子会社を幾つかとか、ほか、「生え抜き職員が出世させてもらえる可能性はほぼ無かろうけど、一部の人しか知らない或る団体・組織」などの名前を挙げることがあった。前者は、子会社とはいえそれなりに定評あるところなのであるが、筆者自身、いろいろな企業のグループ経営戦略などを研究している中で再認識させられた魅力的な企業などだった。また、後者の団体・組織は(いずれも就活学生もその親も注目しそうになく、そればかりか、中には、残念ながら一部の公務員やその家族を除けばろくに知られていないのではないかと想像されるところもある)、勤める最初からもう出世に限界点がつけられてしまうとはいえ、「とりあえず正規労働の安定した職」、「理不尽に解雇される危険性が小さい、安定した身分」を手に入れられることにメリットがあり(就職氷河期というものも一種の世代のリスクであり、そこでは妥協と見極めも大事だ)、しかし、仕事としてはかなり暇であることが想像されるがゆえ、もしもオフタイムに資格試験の勉強をする等の心づもりがあるならば自らのキャリアアップを図って転職・独立につなげていくことも十分に可能ではないかと思えたのである。   
 ま、でも、筆者の考えることって、他の人たちとはかなり異なるからなあ・・・上のようなアイデアは聞き入れてくれなかった・・・しかし、その結果、ご子息たちの今は芳しくないことになっている。これまた随分と前のこと、或る人から「息子は銀行を目指すらしい、メガバンクって、どこが一番いいんだろ?」と訊かれたことがあって、「銀行のことは分からないからなあ・・・もしも自分なら農林中金を目指したい。あと、業界は異なるけどリース会社に面白そうなところがあるよ、・・・とか」と言ったら「それは何?」という顔をされることがあったな。   
   
   
 さて・・・冒頭の娘さんであるが、彼女が今、この春からの進路をどう感じているかを知らないが、希望に燃えていることを祈るばかりである。就職する予定の○○社は、「女性が活躍できる会社ランキング」とか「女性が働きやすい会社ランキング」などにはおそらく登場しないところではあるが、全体的によろしいイメージを筆者は持っているし、何より成長力が予見され、活気に満ちた企業と映る。いま、もしも自分が若くて、これから就職活動する身ならちょっと羨ましく思うかも知れない・・・でも、自分の場合、「配属は事務系と約束していただけますか?」とこだわるであろうから、ああいう会社では合格・内定などいただけないであろうなあ。   
   
   
 ここでまたランダムにあれこれと思いを巡らしてしまうことがあるのだ。   
   
 介護の職、保育の職の処遇については、かつて筆者が考えた状況とは違って改善が進む動きが見越される。それがどの程度のものになっていくかは不明ではあるが、しかし、それを見る彼女がいつの日か「やっぱり、最初に自分が考えた道を進めばよかった」と悔やむ日が来たりせぬか。   
 と同時にまた、介護ニーズはまだまだ増大していくものとは思うのだが、保育士ほか保育関連の人材ニーズがいつまで伸び続けるかという点に筆者はやはり疑問を持ちもする。出生率・出生数が伸びず、いや、結局は減り続けるのであれば、いま考えられているような保育所の設置増や保育士の確保努力・処遇改善ということが最終的には誤りだったと言われる日が訪れることもあったりするのではないか。子供の数が減っていくばかりであるならば、保育士を終身雇用・長期雇用することは雇用サイドの重荷になりかねない(それは国民・自治体住民の、税などを通じての余計な負担ともなりうるか)。諸制度・社会情勢のあり方がどう変わっていくか占いにくいが、状況によっては、「日本の財政負担を伴いつつ日本人の保育士が面倒をみる対象は中国人をはじめとする移民の乳幼児たちがメインに」的なパターンにもなりかねないか。それでもよいのか等、筆者は憂うのだ。   
   
 日本人の子供の数が減り続けるならば、いずれ学校の先生も余るであろう。保育士もまたそれと同じことになるのでないかという気もするのだ・・・とするならば、冒頭の彼女にはやはり、過去に思い描いたことをきれいに忘れ去ってもらって、今春からの新しい人生を精一杯がんばって、そして弾み続けて欲しく思う。   
   
   
 それにつけても、子供の数が減るというのは、今後いろいろと劇的なことに至りうるであろうなあ。   
 今や自治体職員の採用試験(公務員試験)で合格しても3割とか6割とかが辞退したりもする時代になっているが、これは、ま、市区町村役場でなく都道府県庁の職員の場合に「親元で暮らせない任地になるかも知れない」、「希望する土地に暮らして通勤できないかも知れない」との考えから来る結果だったりもしよう。東京都職員採用試験に合格しても「ん、待てよ、勤務地が伊豆諸島になる可能性もあるのだろうか・・・念のため再確認しよう」と不安になって、でも、いまの若い人たちにとって電話で大人と会話することは「怖い」ことだったりするから、そのくらいなら既に内定をもらっている民間企業に就職するほうを選ぶかも知れぬか。   
   
 「子供たちはスポーツであれ、音楽であれ、その他の部活・習い事であれ、一生懸命になりすぎてはいけない。それらについての才能など、大抵の人には備わっていないのだ。手堅くきちんと勉強し、そして、アカ学生の真似をして政治に関心を寄せたりせず、宗教に関わることもせず、堅実な人生を歩むべし」というのが、筆者が若い人に寄せる思いである。でも、子供の数が減っていく時代になると、「勉強していようと、そうでなかろうと、どこでもわりと簡単に採用してくれるもんね」という時代がやって来るのかなあ・・・いずれ求人広告で「財務省、上級職員の欠員募集!」、「外務省、欠員を至急募集! 語学力不問、国内限定勤務OK」、「警察庁、幹部募集、前科3犯まで可」、「自衛隊員急募、万一の有事の際も休暇取得OK!」みたいなものも出て来たりする?   
   

寒い、寒い、今年の冬は



   
 このところ寒い。歳のせいなどで寒がりになってしまったわけではないと思うのだ・・・天気予報でも、また周囲の人たちも、「寒い」と言っているのだから。   
   
   
 昔、昭和50年代の後半くらいだったかな、或る時期、サントリーは「ウィスキーのお湯割り」をしきりに推奨していたように記憶する・・・外タレさんまでも使い、そして冊子も配布して・・・それをふと思い出し、このところ、ウィスキーお湯割りも楽しむようになっている・・・でも、お湯割はそれほど好きではないからメインは日本酒のお燗ということになる(お湯割り・ホットウィスキーに合うウィスキーの銘柄は、バーボンやジャパニーズ、アイリッシュのものでは見つけるのが難しくないがスコッチでは限られるのではないかな)。   
   
   
 冒頭のは床暖房のコントロール・パネル。例年だと「強・中・弱」の「弱」で作動させているが、ここ最近は「中」または、ときに「強」のことが多くなっている。    
   

セルの、ブル3、ブル8、シンフォニエッタ、キージェ、ハリヤノ


   
 (↑)言葉の略し方・短縮の仕方が変になってしまったものもあるが・・・タワレコ扱いのSACDハイブリッド盤仕様にて再登場する:    
   
  http://tower.jp/article/feature_item/2018/01/26/1103   
   
   
   
 ブルックナーの交響曲第8番を「ブル8」(ぶるはち)と略して発音してみるとき、筆者はふと皇帝「ヌルハチ」を連想してしまう。   
   
 ショスタコーヴィチの交響曲第X番を「ショスX」と呼ばずに「タコX」と呼ぶのであるならば、ブルックナーの交響曲第8番もまた「クナ8」(くなはち)と呼ぶ人があってよろしかろうにとは思う。そのときはまた、天ぷらの「つな八」を連想させられるなあ。   
   
 もしもマルティヌーが交響曲第8番というものを作曲するに至っていたら、これは「マル8」(まるはち)と呼ばれてあの布団の会社を想起させられることとなるだろうか。   
   
 でも、本当は、「略す」ということそれ自体をあまり好かないのであるが。   
   
   
 本年もまたセル関係のCD、音盤、書籍など、いろいろと登場することに期待したい。   
   

ハラスメントいろいろ・・・クセハラ、タマハラ・・・



   
 (↑)歯の手入れに使おうと買い求めたもの。   
 以前、スーパーの駐車場にやって来た露天商が新潟の燕の金属製品を並べていて、その中にはこういう道具もあった。しかし、ちょっと高価すぎに思え、迷った末に買わなかった。   
 その後、この種のものを扱う露天商に出くわす機会がなく・・・。   
   
 このたびは上のセットを通販で購入。実際に使うのはこの中の1本か2本くらいだろうなあ。でも、あのときの露天商の品の1本ぶんよりもこのセットのほうが安いな。(プラケースは家にあったものの転用で、このセットに付属のものではない。)   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
   
 クセハラ: 「どうしていつもそういう考え方に陥るんだ? そこが君の悪いクセだ」、「どうしてすぐ報告しなかったんだ、それが君の悪いクセだ」などと、何かといえば「クセ」という言葉を使って相手を責める行為。   
   
 タマハラ: 「君、お客さんからこんな小さな仕事しか獲って来れんのかね、たまにはデカイ商談を見つけて来いよな」、「何だ、またつまらないアイデアを出して寄越して・・・たまには俺を唸らせるようなことが出来んのかね」などと、何かといえば「たまには」という言葉を使って責める行為。   
   
 ・・・ま、使ってはいけない言い回しではない筈。だが、この言い回しで叱責されることが何度も何度も繰り返されたならば、その人は「自分には改めなくてはならない点が多すぎる=この仕事に向いていないのかも/社会人として失格なのかも」とか、「自分の能力は低いのかな」とか、そういう思いに陥っていくかも知れぬか。   
   
   
   
 仕事で悩んでしまい、自分で自分の命を絶ってしまった人の中には「いま手掛けている仕事が片付かないうちに、次の仕事を割り振られて」という状況に苦悩したらしきケースもあるようで・・・。   
 その詳細な状況を知らないと当人が感じた悩みを理解しきれるものではないが、しかし、「いま仕事Aに取り組んでいる最中であってそれは明後日くらいまでかかりそうな状況である。しかし、本日、新たに仕事Bを命じられた」というケースは、これはもう新人、配属直後の新入社員にあっても珍しくないことだろう。このケースで仕事Bが早目に割り振られることで「これを処理するにはどんな勉強・情報収集が必要かなあ、誰かに早目に連絡をとっておく必要があるかな?」と準備もスムースに出来よう。また、「どんな具合に処理するのが効率的か・自分ならではの持ち味・アイデアを加味することが出来るかな」などと想を練る時間も持ちやすい・・・想を練ることでワクワク感が増すことだって少なくなかろう。   
 仕事を割り振るにあたっては、その者がいま取り組んでいる仕事が一段落したときにすべきということになると、係長さんも課長さんも部長さんも「割り振りタイミングがやって来るまで案件の書類などを自分の手もとで温めておく」ことになり、これではどうかしていると言えよう。   
   
 忙しく何かに取り組んでいるとき、急ぎの仕事が入ることだってある・・・「取引先の○○が倒産の危機にあるようだ、対応策を協議するので午後一番に会議!」とか「身売りしたがっている会社がある。買収を検討したいので夕方から会議。相手をいつまでも宙ぶらりんにさせておくわけにもいかないから急ぐぞ!」みたいなこととか。あれもこれもが重なってもパニックにならずにこなしていけることもまた能力として大事なことと言える筈だ。   
 急ぎの案件、突発的な事態などに対応する必要があってコンサートに行けなくなってしまったことも、筆者、何度もあるなあ・・・数え上げたらキリが無いほどだ。でも、そういうこともまた仕方ないのだ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
  
   
 出張で泊まったホテルの朝食・・・「おかずは何を選ぼうか」と迷っていたら、「特別の卵なので、おすすめです」という趣旨の紙も張り出されていた。   
 他人の目があるところで「卵かけご飯」を食べることには抵抗を覚えるのだが(箸で、多少はかきまぜる仕草を伴うわけで、これは日本人の食事マナーとして少しばかり問題あると感じ、つまり、卵かけご飯は家庭内でのみとしたいわけである)、たまたまホテルのスタッフがその卵のところにいて「とてもおいしい卵ですから、ぜひ黄身だけで召しあがってください」と声を掛けられた。   
 せっかくだから、その言葉に従うことにした。   
   
 卵の殻にヒビを入れ、卵が置かれていた器の上で殻を適度に(小さめに)割り広げる・・・で、黄身は落下させぬよう、白身だけを器の中へとこぼす。卵の頭の側を下にしてそこに黄身を安定配置したならば今度は殻を切り離し(二分して)、そしてその殻の割れ口を使い、黄身とつながっている白い部分(カラザと呼ぶのかな)を切って器の中に落下させる。そして黄身はご飯の上に。・・・と、この文章を書くのにちょっと時間を要したが、実際にこのような作業・動作をするのにさほどの時間がかかるものではない。   
   
 一緒に出張したA君がこの様子を見ていて、「道具を使わなくても黄身だけに出来ちゃうんですね」と、少し驚いた様子を見せた。彼は、黄身と白身を一緒にしての卵かけご飯としていた。   
 彼によれば、普通の人は、黄身と白身とを分離させるちょっとした道具を使うのだという。そうかなあ・・・そういうことに利用する道具があることは承知しているが、皆が使っているわけでも無かろう。なお、卵の殻の表面の洗浄状況、つまりは衛生に疑念を持っている場合には上のような、筆者がやったような仕方は避けたほうが僅かでも安全なのか。   
 彼はまた、「(あなたは)自分ではお気づきでないかも知れないですけど、やたら器用ですよ。普通の人がやろうと思わないこともやったりしますし」と、笑いながら言った。   
   
 はあ、器用ねえ・・・。多少はそうかも知れない。そのように言われるについては、悪い気はしない。   
   
 昔々、家庭で電気使用量が大きくなってヒューズが飛んだ/切れたとき(まだブレーカーが使われていなかった頃)のこと。それは、冬の夕刻・夜のことが多かった・・・電気コタツ、電気炊飯器、テレビ、居間や台所の照明器具などで電力消費はピークになるわけだから。ヒューズが飛ぶと、少年だった筆者は懐中電灯をオンにしてそれを脇の下に挟んでヒューズ交換することが何度もあったが、それを見ていた父は「懐中電灯は俺が持たなくて大丈夫か?・・・お前、器用だな、速いな」と、褒めるというより呆れたふうな言葉を放った。   
   
   
 後輩の、でも今や勤続30年近くにはなる女性から或るとき「わたしのことを知ったのは、わたしが○○部に配属になったときが初めてですか?」と訊かれたことがあり、こちらはイエスと答えた。   
 しかし、相手は、「わたしが新入社員だったとき、コピー機の紙詰まりを直してもらったんですけど、やっぱり覚えてはいないですよねー」と言った。   
 覚えていないのがむしろ普通ってものではないのか?? 彼女によればそのとき筆者はコピー機の前面を広げ、詰まった紙を素手で引き出したあと「本当は紙はこの道具を使って引き出さないとダメだよ、熱くてヤケドするかも知れないから。紙が詰まったときに誰かが直してくれると思ってその場を離れないこと・・・出来るだけ自分で紙を取り除き、他の部門、他の人に流れてはいけない情報が印刷された紙が出回ったりしないように気をつけること!」と説明したそうである。うむ、確かに自分ならばそのように言ったであろうなあ、しかし、そんなやりとりを誰としたかまではやはり覚えていない。   
 で、彼女はその後、紙詰まりが発生したときに自身でも素手で紙を取り除こうとして指に熱い思いをし、改めて「世の中には器用な人がいるものだ」と思ったとか。そんなに大袈裟なことなのか?(笑)   
 そこで筆者は「君、確かに指が太いもんなあ・・・あ、ウソ、冗談!」と言おうと思ったが、これはやめておいた。   
   
   
 器用・不器用とはまた違うのだけど、今の若い人というか少年たちの自転車の乗りっぷりは、一体どうしたことなのだろうか・・・。   
   
 スマホを見ながら自転車を片手運転していた高校生らしき少年が突然に転ぶところを見てしまった・・・他人を巻き込まなかった点は幸いであるが、それにしても、路面に何か問題があったようにも見えず・・・。   
   
 以前のこと・・・。歩道の補修でもしているのだろうと思われる工事現場で、作業員たちは昼食をとっていた。進入禁止の、黄色と黒色に塗られた金属のガード/スタンドが何本も立っていた。と、そのガードへ向かって一直線に、10メートルか15メートルくらい先から小学校高学年くらいの少年の運転する自転車が進んで来た。直前でストップするのかな、方向転換するのかなと気にしながら見ていたら、そのままガードに突っ込んだのであった。目をつぶって運転していたようでもなかった。   
 筆者も、工事関係者も、唖然とした・・・幸いにもケガなどしなかったようだが・・・それにしても、このようにぶつかるまでの様子が本当に笑えてしまうような感じだった。工事作業員のひとりが「ボク、大丈夫だった? このガード、見えてなかった? どうしてこうなっちゃったんだろ?」と声を掛けていたが、笑いながらであったなあ・・・工事関係者がこんなときに笑うべきではないだろうという指摘は、しかし、このときの、コントでもやっているかのような成り行き・展開を目にした人の口からは出て来るまいなあ。   
   
 子供の遊びの内容が変化し、或いは宿題が多くなった、塾通いがある、クラブ活動の時間が長くなっている等々のことから、必然的に自転車を乗り回す時間も減ってしまって、子供たちは「運転ベタ」になっているのだろうか。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 (↓)筆者は驚かない・・・こんなこともあろうと思っていたから:   
   
   
  http://www.news24.jp/articles/2018/01/24/10383831.html   
   
   
 「見ぬもの、清し」・「見ぬこと、清し」・・・と片付けられるレベルではないけど。   
   

雑記



   
 「蕎麦(そば)がき」のこしらえ方としては、   
   
 A- 鍋を火に掛けながらという仕方   
   
 B- 火に掛けているわけではない容器(ボウル・どんぶり等)に熱湯を注ぎ入れてという仕方   
   
というように、2つの方法があろうかと思う。どちらかと言えばAが主流か。   
   
 ただ、いずれの方法でも、後片付けのとき鍋なり容器なりにこびりついた蕎麦粉をきれいに洗い落とせなかったりして面白くない思いもするのだ。   
 Bの方法を採る場合、業務用パッケージ用品などを扱う店、あるいは100円ショップやスーパーなどにて、豚汁・うどん・ラーメン等に使うことを想定しているのであろうポリスチレン容器を買って来て使い捨てするのも便利。(なお、容器の材質はいろいろあるので、耐熱温度は確認いただきたい・・・耐熱温度70度とかという品もあったりするので注意。)普段からカップ麺のあれこれを食べる習慣がある人ならば、その容器を洗って再利用するのもよいのかも知れない。   
   
 Aの方法による場合・・・普通の鍋の内側にアルミホイルを敷き、外周を立たせ、そして蕎麦がきを作るのもよい・・・もちろんアルミホイルは後で捨てる。   
 でも、このたび100円ショップで、アルミホイルをカップ型に成型してある品を得た。ダイソー扱いの「アルミ タレ皿」という品で、直径約13.5センチのものが12枚セットになっている(冒頭の写真を参照)。これだと作業が楽になると思え、もちろん使い捨てしても惜しくない・・・ガステーブル/ガスコンロの上に焼き網を置き、その上にこのアルミカップを置けば安定性もよろしかろうし。調理中、容器を押さえるのにはトングまたは「鍋つかみ」を用いてヤケドせぬよう作業すればよろしかろうと考えている。   
   
 この冬も、蕎麦がきをささやかな楽しみとしよう。   
   
 下のは過去の写真の使いまわし。汁は蕎麦つゆを薄めにしたもの。蕎麦がきの上に、切干大根を水で短時間(1、2分くらい)だけ戻したものをトッピングしている(大根の水気はギュッと絞る。なお、時間をたっぷりかけて水戻し・湯戻しすると、シャキシャキ感のないものになってしまう)。   
   


雑記



   
 考えてみればクラシック音楽もマイナー・ジャンルのものと言えようけど、世に、漢詩を面白がる人というのも少なかろうと思っている。或る新聞小説には最近になって江馬細香の名が登場したので、ちょっとばかり驚きを感じる。でも、その作品があれこれ引き続き登場する・物語を支配するなどという展開には、やはりならぬのだろうな。まあ、いいけど。   
   
   
 ・・・・・・・・・   
   
   
 人の脳は一度にふたつ以上のことを処理可能であるのか否か・・・(呼吸、心臓・内臓の活動コントロールについてはおいておくとして)脳はマルチタスク、デュアルコア的活動が可能だと考える人は多かろう。ジョギングしながら何かの考え事をするというのはたやすいことだ・・・「運動と思考」との同時並行は可能と思われる。また、ファストフード店でテイクアウトしたコーヒーを飲みながら、歩く・階段をのぼることが出来るし、その際に電話着信すればすぐさま対応も可能・・・「運動と運動」の同時並行も可能なわけである。   
   
 しかし・・・。   
   
 クルマを運転しながら「さっき、あの人が言った言葉、どういう意図だったんだろう?」とか「もうちょっと先のコンビニで○○を買って帰ろう」などと考えつつ、また同時に「前方を走っている自転車がヨロヨロ揺れているなあ、事故になったりするといけないから(自分のクルマを)もっとセンターラインに寄らせたうえで追い抜こう」などと考える。すべての思考は同時進行であるかのように思われるが、でも、このケースでは実はテーマA、テーマB、テーマCそれぞれの思考の進捗を細かく刻んで、思考対象を頻繁に入れ替えながら(=他の思考対象に小休止を与えながら)考えを進めているのではあるまいか・・・そんな気がするのだ。ハンドルやアクセルの操作と思考との同時並行は可能であるとはいえ、しかし、そもそも「複数の思考」の完全同時並行はむずかしいものではなかろうか。   
   
 しかし、ハンドルやアクセルの操作と思考との同時並行も、場合によっては難しいというか、無意識に思考の休止・中断に至る場合があろう・・・たとえば、ついさきほどまで考え事をしつつ運転していても、左折・右折のときにはその考え事を中断させてしまうことが珍しくないと思う。いまはオートマチック車が普通だが、かつてのマニュアル車であったなら、左折・右折が済んだのちにシフトアップなど終えるまで、思考を休止させている時間がさらに長かったかと、そう振り返る。   
   
 「俺は/わたしは、一度に、二つ以上のことを考えることが出来るよ!」と主張する人もいるかも知れない。   
 では、下の3問を、同時平行で考えられるだろうか・・・ちなみに、筆者は出来ない。   
   
   問1. 「懇談会」の「懇」の字の画数はいくつですか?   
   
   問2. 「3277」という数字は素数ですか?   
   
   問3. これまでに知り合った人の苗字で、漢字に「木へん」を含んでいる人を列挙して下さい(杉田、柏原など)。   
   
   
 ま、いいんだけどね・・・。   
 (なお、3277という数字を「素数でないかもね、確かめてみよう」ということで色々な数字で割る試みをしても、すぐに答えが見つかるものではない。29×113=3277である。なお、29と113は素数。)   
   
   
   
   
 中年期を過ぎると、肉体の健康ばかりでなく、脳の健康にも注意を払いたくなる。冒頭の写真は新刊本。   
   
 一緒に写し入れたのは、筆者自身が使うわけではないが或るスマホ(筆者自身は別ブランドの、これまた安物を使っているが・笑)・・・ヘビーユーザーにとっては不満点があるのかも知れないが、使用開始にあたっての設定/準備(一部アプリの停止・アンインストール、新たなインストール等を含む)、そして「試し利用」をしてみた段階では、「うむ、悪くないよなあ全然」と感じられるものであった・・・「中学生・高校生だって、これの5倍以上の値段するものを使ってるぜ」という意見もあろうけど、ま、逆に筆者は「そのようなものを子供らに与えることのメリットを知りたい」と思う・・・自分には、多様な子育て支援の有り様と、「子育てに関連する支出が大きくて、スマホだってそう!」という意見とをどう摺り合わせるべきなのか分からないことだらけだったりする。   
 (なお、「この製品、おすすめですよ」という意味で書いているのではない、製品評価はネット上にいろいろあるのでそちらを参照いただきたい。)製品にディスプレイ保護フィルム(透明フィルム)が同梱されていたが、これ、貼付作業のときに入ってしまった気泡をうまく除去できず・・・で、「んじゃ、どこかで適当なものを買ってそれをハサミでカットして貼ってやるわい」ということで100円ショップ立ち寄りの余計な用事が生じてしまった(笑)。   
   
   
   
 以前、ネット上の記事で目にしたのだけど・・・何かのテレビ番組の中で「コンビニなどで電子マネーを使わずに現金支払いする人なんて!」的な意見を述べた人がいたそうだ・・・そういうことをされると後に並んでいる人が迷惑するということなのだろうなあ。   
   
 でもねえ、ドラッグストアその他で電子マネーを使えない店や、また、自分が利用している電子マネーは扱い対象になっていない店というものもある。そこで買い物をしてお釣りを貰うと小銭で財布が膨らむ・重たくなる。この小銭を早めに上手に使おうとすると、その後に寄る店が電子マネーを使えるところであっても現金支払いしたくなる。仕方ないじゃないか。   
 出来る限りパパパッと素早く、うまく小銭の枚数を減らす・増やさないような合理的な支払い・やりとりを考えるのであるが(下方の写真を参照)、こういうのも多少は脳の健康維持にはなっている?・・・。   
   
 ああ、でも、レジで後ろに並んでいて「イラッ」としたケースとしては、こんな経験がある・・・。   
 某デパ地下のレジで、筆者の前にいた女性客(70代前半くらいか)が支払いを終えて釣りを貰うときにポイントカードを提示して「ね、このポイントカード、使えるのよね(=今の買い物でのポイントを付けてもらえるのよね)」と言ったのである。レジ係は「お会計の最初に出していただかないと」と答えたのであるが、やはり上得意の客、買い物金額の大きい客に冷たく当たるのは得策でないと思い直したのだろう、「では、お会計をもう一度最初からやり直させていただきますね」と優しい対応をみせたのであった。結果、当方の待ち時間も延びてしまったのである・・・心の中で「あーあ、ざけんじゃねえよ」と叫んだこと言うまでもないが、もちろんキレたりはしなかった。   
   


加齢とともに? いや 昔からずっと・・・

   
   
●●当ブログに初めてお越しの方へ●●   
   
 このところ、相互リンクを希望される旨のコメントを複数、各所からいただいております。有難いことではありますが、目下、当方の思うところあって新規の相互リンクは見合せております。ご了承ください。   
   
 但し、「音楽関連の話題がおおむね2割以上を占めるブログ(ホームページ等も含みます、以下同じ)」との間であれば、相互リンクも検討するようには致します。(当方のこのブログには政治・宗教などに関する話題も含まれていること・今後もその種の話題が登場することから、後日になって相互リンクの解除を希望される場合はいつでもご連絡ください・・・それで特に恨むこともしませんし、速やかに対処(当方からのリンク除去)をさせていただきます。)   
   
 なお、「主に政治・宗教などを論じるブログで、かつ過激・著しく(徹底的なほどに)攻撃的なもの」、「アフィリエイトでの稼ぎを目的として開設されたと思われるブログで、内容的に当方の感覚にマッチしにくいもの」、「他からの単純引用/コピペばかりで構成されるブログ」ほか、当方の主観的判断で相互リンクを遠慮させていただくケースは少なくないと思いますが、この場合でも、当方のブログ記事またはコメント欄を通じての説明・回答は一切控えさせていただきます。悪しからず、ご了承ください・・・当方ブログはいずれにせよ大したアクセス数に達しておりませんので、あまり残念がらないでください(笑)。   
   
 (以上の記載は、今後しばらく、都度のブログ記事の冒頭に置き続けます。)   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 或る居酒屋で出て来た「お通し」を口にしたときもそう、そして、或るスナックで出された簡単な「おつまみ」でもそう・・・「この味付けに含まれている独特の風変わりなものは、いったい何によるものだろう?」と、しばし首をひねった。   
   
 居酒屋でのものは、既製品の「ちらし寿司用調味料」にカレー粉を少し加えたものだと教わった。スナックでのものは何とか自力で推測できて、これまた少々のカレー粉が加わっているものと思えた。   
   
 カレーライスなどを習慣的に食している人には理解してもらいにくかろうけど、筆者みたいにこれを避けている人間はカレーの風味を忘れかけてしまうのではないか。(肉・野菜をはじめとする食材のあれこれを不味くして食べる手段として最強のものを挙げるとすれば、カレー風味をつけて食べること、カレーライスの具として入れてしまうことだろうと、自分は思っている・・・なので、繊細な味のカニまでもシーフードカレーに入れる人がいることを信じがたく思う。ほか、タケノコ、ヤングコーンなどをカレーに加えるのもかなり抵抗を覚えるなあ。)   
 あと、パン屋さん、洋食屋さんなどの前を通るときにほんのり漂って来る匂い/臭いを嗅いだとき、おおかたの人はこれを「あ、いい香り。おなかが好きそう」などと感じるものであろうけど、筆者は「ん、イヤだな」とか「ハンバーグでも焼いているっぽい臭いだな・・・この店、換気装置はどこに付けてるんだ・・・ったく、道路側に臭いが流れないようにしろよな」と思ったりする。バターの香りは嫌いであるが、タマネギ臭については嫌いなわけでもないのだけど。   
   
   
 介護中の親の食事を用意するうえで、カレーは便利・手軽なものである(すべて手作りするとなれば話は別)。   
 ただ、或る時期までは、カレーライスを食べさせる頻度について迷いを持っていた。   
   
 昔のまだ若い頃、母が夕食にカレーライスを作ってあっても、自分としてはカレーは食べないと心に決めてしまっていたからそれを口にすることはしなくなっていた。すると、カレーは余る・・・それを母親は次の日の昼食にも食べていた。   
 かくて、いつしか母はカレーに飽きてしまったのか、それとも「調理する甲斐」を感じなくなってしまったのか、ともかくカレーを調理しなくなってしまった。   
   
 カレーばかりでなくマーボー豆腐も似たようなことになった・・・。   
 筆者の世代だと、小学校でも中学校でも高校でも戦前生まれの先生、戦争に行った経験のある先生もいた(講師という位置づけの人もいたような気もする)。授業中の雑談、また、先生が休んで授業が行なわれないときに校長先生や教頭先生がやって来て聞かされる昔話などを通じて、ま、色々と中国人についてのことを教わったわけである。「孔子の言葉、中国古典には学ぶべきものが多いわけだが」などと断りを入れつつも、しかし、戦時中・その後の、何と言うべきか、要するに中国人批判・中国社会批判が披露されたわけであり・・・その詳細は書かないでおくのがよろしかろうと思うからそうするが、自分は「ふむ・・・じゃあ、中国人と同じものなど、食いたくないな」と思うようになった。「もしかして右寄りっぽい先生ばかりだったの?」みたく想像する人もいるかも知れぬが、いやいや、中学校のときの先生たちの中には「天ちゃんの戦争責任」などと言い放つ教師もいて、多くの生徒を唖然とさせた・・・公立中学校の教員が発すべき言葉ではあるまい。  
 さて、小中学校の同級生の家は豆腐店を営んでいた。その同級生の母親と自分の母は仲良くなり、母はその店でしょっちゅう豆腐を買って来た。本当は、他の店の豆腐のほうがずっと美味しかったのに(笑)。   
 さらに・・・自分が高校生・大学生となった頃にもその豆腐屋での買い物は続き・・・。   
 で、豆腐店としてその商売にプラスになるからであろう、某メーカー製のマーボー豆腐用調味材料パックも店頭に置くようになった。(筆者思うに、この品が世の中に登場することがなかったら、日本でここまでしょっちゅうマーボー豆腐だの、その後にはマーボー茄子などまでもが食されるには至らなかったろう。) 母は、このマーボー豆腐用調味材料もよく買うようになった。そのマーボー豆腐を何度か食べたことはあるのだが、先ほど述べたような「中国人と同じものなど食うか」という気持ちは強く、すぐにマーボー豆腐は食べなくなってしまった。そして、せっかく調理されても余り・・・ま、カレーの場合と似た運命になったのである。   
 この「中国人と同じものなど食べたくない」との感覚を完全に払拭することはできていないが、これまでにはかなり減衰させるに至っている。これは縁のあった台湾・香港の人たちのおかげでもある。でも、しかし、「関東地方の某市のように正月からギョーザを食べなくったっていいじゃないか」などとは思うし、あと、「日本人は何かといえば調味に醤油を使う。これはナントカの一つ覚え」との批判を受け入れつつ、ならば「中国人は何かと言えば油を使って加熱調理する」との見方を筆者は持っている。   
   
 話をカレーに戻して・・・。   
   
 そんな昔があったから、さて親にカレーライスを頻繁に食べさせたりすると母などは「飽きるわ」などと言い出すのではないかとの躊躇・懸念が・・・。で、何となく1か月に1回か2回程度に抑えておく感じになっていた。   
 或るとき、ホームヘルパーさんとカレーの味をめぐる雑談になったとき、母は「カレーは好きだから1週間に1回でも2回でもいい」と言った。あとで再確認すると、この意見は変わらなかった・・・そして、カレーの頻度は増えた。   
   
 カレーを手作りするのはナンセンスというか、「そこまでしなくても」の思いがある。(「カレーとかコロッケとかメンチカツとか、誰がどう作ろうとも美味しい食べ物ではないのだから、わざわざ手作りしてくれなくていいよ」と妻に伝える夫、あるいは母親に伝える子供はものすごく多かろうと思っていたら、そんなケースは稀だろうというのが世の大半の見方であるらしく、自分にはちょっとした驚きだ。)   
   
 レトルトのカレーでも、父と母とでは好みが分かれるために、「カレー曜日」、「明治の銀座カリー」、「カレー・マルシェ」、「ククレカレー」、グリコの商品などから適宜に使い分けることとなった(さらに、適当な具を足す/加える場合もある)。自分自身としては、香辛料と同様にカレーも東日本のメーカーのもののみを使ってそこを応援したいのであるが、食べる人の味の好みには沿ってあげたいわけで(笑)。   
 ・・・と、ここまで読んだ人は「何だ、それならばしょっちゅうカレーの香りを嗅いでいるわけで、冒頭にあるようにカレー風味に疎遠になっているわけではないのだね」と思うだろうけど、ところが・・・熱湯で温めたカレーのパックを破って流し出すとき、実に自分はしばし息を止め、その後に呼吸再開するときは鼻でなく口を使うようにするのだ。換気扇は、パックを茹でているときより一段パワーアップさせる。味見はしない・・・ちゃんとしたメーカーが作っているのだから間違いなかろう筈。さきほどのホームヘルパーさんにこのことを話したら大笑いしていたが。食後の後片付けのときにはカレーは冷えているからそれほどには臭いを発しない、めでたしめでたしである。   
   
 新聞記事で目にしたと思うが、日本人は平均すると月に6回、カレーを食べるらしい。非常に頻繁に食べる人もいようから、単純平均でなく並み数/モードではどのくらいになることか・・・6回を、ちょっとばかりは下回るであろうと想像するが。   
 これまた新聞記事か、あるいは雑誌「サライ」でだったかな、将棋の森内氏が対局中の食事としてよくカレーライスを食べるとの話を目にしたことがある。   
 棋士の食事の例としては:   
   
   http://www.asahi.com/and_M/gallery/141204_meijinoyatsu_shogi/   
   
   
 (↑)それぞれの写真の上にマウスカーソルを置いても説明を読めるが、もちろん写真をクリックしても楽しめる。空腹時には目にしないほうがよろしいかも??   
   
 以前、何かで藤井四段の食事が紹介されているのを目にしたら、和食・日本食っぽいものはあまり好まないのかなと思えた。が、最近では親子丼、温かい蕎麦、とろろざる蕎麦なども摂ったりしている模様で。ちょっと前にも書いたけど、日本人は長芋や自然薯のパワーを侮ってはいけないのだよ(笑)。まだお若い、そして育ち盛りなので、しっかりと肉・たんぱく質系のおかずと組み合わせつつ、蕎麦については「ざる蕎麦は2枚で」みたく注文していただくと、ファンもまた「なるほど、蕎麦って、確かにそういう注文の仕方もありだよね!」となって蕎麦への関心を高めてくれるのではないか・・・食べすぎで食後に眠くなってしまっては困るけど。あと、おやつに、蕎麦店などの「そばがき」が選ばれることなどあれば、うーん、最高!・・・醤油つゆで食べさせる店もあれば、甘いタレで食べさせる店もあるが、いずれにしろ、よろしき栄養補給になるであろう・・・いつの日か、ニュースなどで「藤井棋士の連勝の秘密・・・そばがきって何?」みたく報じられたら等、期待したいなあ。   
    
   
 羽生氏は筆者などよりもずっとずっと若いのであるが、テレビで見る限り、どうしてもそのように感じられない。風格というのとはちょっと違うなあ・・・この人が何か、「年齢など評価要素にもならないし、そんなことはどうでもよくなってしまう・意識外に飛んでしまうような、格別の個人」であるからか。あるいは、その風貌が、知り合いの某社事業部長と似ているからか(頭がきれるという点も共通しているかなあ)。   
 が、しかし・・・食事としてピザを選ぶところに世代差を感じ、そこにニヤリとさせられる。オッサン、しかも筆者世代になってしまうと、勝負/大事な場面のときにピザを選ぶ気持ちになれないのである・・・これは一種の老化、固定化された味・食べ物の好みの問題であるのか?   
   

雑記

   
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 このところ、相互リンクを希望される旨のコメントを複数、各所からいただいております。有難いことではありますが、目下、当方の思うところあって新規の相互リンクは見合せております。ご了承ください。   
   
 但し、「音楽関連の話題がおおむね2割以上を占めるブログ(ホームページ等も含みます、以下同じ)」との間であれば、相互リンクも検討するようには致します。(当方のこのブログには政治・宗教などに関する話題も含まれていること・今後もその種の話題が登場することから、後日になって相互リンクの解除を希望される場合はいつでもご連絡ください・・・それで特に恨むこともしませんし、速やかに対処(当方からのリンク除去)をさせていただきます。)   
   
 なお、「主に政治・宗教などを論じるブログで、かつ過激・著しく(徹底的なほどに)攻撃的なもの」、「アフィリエイトでの稼ぎを目的として開設されたと思われるブログで、内容的に当方の感覚にマッチしにくいもの」、「他からの単純引用/コピペばかりで構成されるブログ」ほか、当方の主観的判断で相互リンクを遠慮させていただくケースは少なくないと思いますが、この場合でも、当方のブログ記事またはコメント欄を通じての説明・回答は一切控えさせていただきます。悪しからず、ご了承ください・・・当方ブログはいずれにせよ大したアクセス数に達しておりませんので、あまり残念がらないでください(笑)。   
   
 (以上の記載は、今後しばらく、都度のブログ記事の冒頭に置き続けます。)   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 大学入試に関して、センター試験の「地理B」での或る出題が話題になっている。ムーミンが関係するもの。試験問題・解答は新聞にも載っており「ああ、これのことか」とすぐに見つけることが出来た。   
 筆者、北欧のこともよく知らぬけど、「フィンランド人はアジア人の流れ」みたいなことが頭の中にあるから、言語もきっと他の北欧諸国とは大きく異なるであろうとも思って来た。それはさておき、しかし、ムーミンのことはろくに知らぬから(試験問題にて紹介されている他の作品も)、何というか、まずヤル気・答える気をなくす(笑)・・・答えを出すのに不安を抱きながら/確信を持てぬままという気分になってしまうな。それに、フィンランドの自然についての漠然としたイメージと、ムーミンのテレビ・アニメの幾つかのシーンとが自分の中ではマッチしにくくて。   
      
 でも、ムーミンのテレビ・アニメは1回か2回の放送枠くらいしか観たことがないと思う。漫画とかアニメとかを幾分か以上に軽んじて生きて来たし。   
 あの「宇宙戦艦ヤマト」だって5回放送分くらいしか観たことがない・・・で、「彼ら乗組員はそもそも何の目的で宇宙旅行をしているのか」を知らないし、「なぜ、宇宙船をああまで戦艦スタイルの形状にせねばならぬのか」に疑問を抱いたし、あと「エネルギー充填120パーセントという行為は、その充填設備(バッテリー?)にダメージを与えたりしないのか」と懸念を抱いたこともある・・・今日だって、たとえばリチウム・イオン・バッテリーについて「過充電は危険です、また、80パーセント程度までにしておくのが寿命を縮めないために優しい仕方なんですよ」と言われているではないか。   
 ま、ともかく、「ムーミンを知らぬとは、お勉強ばかりしていて一般常識を欠いている受験生なんだね」という含みを持った出題なのかとも、ちらと思えた・・・だとすると、自分が受験生だったら「一般常識を欠いていて悪かったな」とひねくれるかなあ。それとも、今の地理の教科書ではムーミンのことも紹介されているのだろうか。   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 或るとき、カラオケで見知らぬ人が「冬が来る前に」(作詞は後藤 悦治郎)を歌っていたことがある。   
 歌詞中には次の一節がある:   
   
   冬が来る前に もう一度あの人と めぐり逢いたい   
   
   
 これを聞いて、ふと、若い頃に自分が感じた、あの感覚、一種の悟りのことを思い返したのであった。   
   
 この歌詞の意味内容と類似するような、そういう経験の話などではない。   
   
 簡単に言うと、「上の歌詞をこのままの形で、入試において、英語の和文英訳問題として出題される可能性はあるかどうか」ということである。   
   
 「うーん、出題してもいいんじゃない?」と思う人は多いだろう。でも、ちょっと違う、このままでは出題されないだろうな。   
   
   
 例えば、   
   
 「僕は・・・とは思わない」   
   
 「暗くなる前に・・・しよう」   
   
という日本語を示して和文英訳問題を出題することはないというのと同じである。これでは、わりと容易に英訳ができてしまい、多くの受験生が正答してしまうのである(後者において、動詞の時制を正しく選べるかどうかはミスを誘いやすいところではあるが)。そこで、次のような日本語を示してそれを英訳させるのである。   
   
 「僕は・・・ではないと思う」   
   
 「暗くならないうちに・・・しよう」   
   
 こうすると、たとえば後者では "... before it does not get dark" と答える受験者がそれなりに出る・・・得点差を生じさせ、「ふるい落とし」を図ることが可能となる。或いは、人によっては "within the time ..." とか苦労して迷答を出したり。   
   
 それぞれの言語ならではの「標準的な言い方」を身につけているか、或いは、一種の論理的思考ができるか等をチェックする意味もあるのだろうか。   
 高校生のときにこれを先生から聞かされた自分は、「なんか・・・入試って、そして合格することって、くだらないわけではないけど、でもワナに陥らないようにとか変なところで勝負が決まるんだな。それで合格して、やがて学歴というか学校歴も決まり・・・その学校歴で人をどうこう序列づけるというのは健全ではなさそうだなあ」と思った。   
   
 上の歌詞も、和文英訳のために出題するならば「冬が来てしまわないうちに・・・」などの言い回しに改めたうえで出題することになろうというものだ。   
   
   
 なお、以上の、和文英訳問題の「ひっかけ」の話は昔々のことであり、今日の入試でも同様の仕掛けがされているのか筆者は知らない。   
   
   
 大学生のとき、アルバイトで高校生の勉強をみてあげることをしていたのだが、ひとりの高校生は「国語の、日本語の、文章の勉強として朝日新聞の“天声人語”を読んでいます」と言った。彼が通う高校では、先生が生徒にそう指導しているとのことであった。  
  
 それを聞いた自分は「テンセイジンゴ? それは何なのか?」と思った。   
   
 「天声人語」の活用は世間では有名・ポピュラーだったらしい。しかし、どうも筆者、高校時代のときだって「大学入試」というものに対して無知というかウブというか、それほどまでには真剣に格闘する気がなかったように思う・・・勉強そのものは一生懸命やったことは間違いないけど。   
   
 ちなみに、朝日新聞を手にとって読んだことって、これまで生きてきて10回にも達していないかな。記事の切り抜きを見せられたりということは何度もあるが。学生時代のあのときまで「天声人語」を知らなかったのも無理ないことと言えよう。   
   
   
 さて、新時代の「英語」科目の入試問題として、こういうのはどうか・・・高校3年生/卒業生レベルでどこまで(細部まで)適切に解答・表現できるかはともかく、どのくらい真剣にコミュニケーションを図って理解し合おうとする意思を持っているか、日本のことを伝えたいと思っているかを測定する意味で、一部の学部学科の入試問題としては意味があるのでは?:   
   
1. 或るアメリカ人が、たどたどしい日本語で自己紹介をしました。   
   
 「わたし、ジェームズと言います。大分県の臼杵(うすき)市に暮らしていた頃についたニックネームは“薄切りジェームズ”です。モーツァルトが好きで、モーツァルティアンなんです。あと、マヨネーズが大好きだからマヨネージアンです。パクチーも好きでパクチアンです」   
   
 これに対して、あなたは、日本人は普通はマヨネージアンとは言わずにマヨラーと言うこと、パクチアンとは言わずにパクチストと言うこと、そして、何故そのように表現するようになったのかを説明してあげるとします。その説明の言葉を英語で記述しなさい。      
   
   
2. 次の和歌のうち1つを選び、英語に訳しなさい。歌の風趣や面白さが外国人にも分かるように、必要に応じて、原文にはない説明の言葉を沿える工夫もしなさい。   
   
 「みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆえに 乱れそめにし われならなくに」   
   
 「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」   
   
 「たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」   
   
   

アボガドロ・サラダ・・・アボカド定数・・・ん?



   
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 「週刊 ダイヤモンド」と「週刊 東洋経済」・・・つい最近の号は、両者とも特集テーマが健康関連であった。切り口は異なるものの・・・。   
   
 で、筆者、そのへんの記事はそれぞれ5分くらいの所要時間でパパパっと読み流した。   
   
 「何だかんだと心がけても、或いは、いい加減にしていても、病気になる人はなるし、ならない人はならない」という感覚が定着しているかなあ。   
   
 自分が若い頃に「塩分摂取を控えないといけませんよ・・・“塩鮭は焼いたら塩が噴出して固まるようなものでないと美味くない”なんて、そんな食生活ではいけません、高血圧になります」と忠告してくれたオバサンは、自身が早くに高血圧になってしまったけど、筆者にはまだその兆候も無いようだ。ま、筆者も多くの場合には薄口の味を好むのであるが。けど、鮭はね、甘塩/薄塩なんて、もってのほか・・・塩辛いものこそ価値が高い!(笑)   
   
   
 「人は、その親、先祖の体質を引き継ぐ。弱点も遺伝する。だから、親たちと同じ病気になるのは仕方ない」・・・これは、正しくもあろうが、誤りも含んでいよう。優性遺伝、劣性遺伝があり、伴性遺伝があるし、隔世遺伝の形をとることもあり、遺伝は単純でない・・・「即・親と同じ病気になる」かどうか。また、自分の体質は遺伝のせいと思い込んでいたら、親たちまで引き継がれてきた食生活に問題点があって、自分もまた同じ食生活を繰り返していただけのことだったというケースも多くあるのではないか。   
 また、日本人には不向きな食生活を取り入れてしまって体調が・・・等のケースもあるか。   
 でも、しかし、体に何かのトラブルを抱えがちな人は、傍から見れば「食生活に問題あり」と映るケースが少なくないように感じる。周囲の人に「俺の/わたしの食生活について何か気づいたことはある?」と尋ねてみることがあってもよいのではないか・・・すると、「野菜、食べなすぎに見えますよ」とか、「あなたは日常的に明らかに食べすぎですよ」とか、気づかせてもらえるのではないか。   
   
  
 子供の頃、小学校の先生からは「バターは動物の脂ですから、体に良くないのです。マーガリンが良いのです」と教えられたけど、しかし、今の時代はそのようには考えられていない。   
 やがて、さらに時代が進むと、医学・栄養学の方面からさらに違った考え方が表明されるかも知れない?   
   
 そしてまた、例えばこんなメニュー/レシピが登場したり・・・。   
   
 「今日は、とてもヘルシーな“お茶漬け風の、ラード漬けご飯”をご紹介しましょう。さっぱりした軽い食感がクセになりますよ・・・まずはベーコンをフライパンで炒めて、これをご飯の上にのせます。ほか、スライスしたサラミソーセージ、コンビーフなども一緒に盛り付けます。さらに、アボカドをスライスして、これもトッピングします。先ほどのフライパンの上でラードを熱し、十分に熱くなったらこれをご飯やトッピングの上に回しがけして出来上がりです。お好みによっては刻んだチーズもトッピングしてみてください。風味付けに胡麻油・オリーブ油などを垂らすのもおすすめです! 翌日にはお顔もテカテカに輝いて、健康的な印象を周囲にふりまくことができるでしょう!」みたいな・・・。   
   
   
 ま・・・。   
   
 いろいろなものを好きなように食べたい。   
   
 冒頭のは、「もずく」と、そして紫色した種類のカリフラワー。   
   
 「もずく」は、酢醤油・三杯酢みたいなもので食べるばかりでなく、スープにしても美味。(和風・中華風その他のスープにすると、例えば歯の悪い年寄りにも容易に食べてもらいやすく介護食メニューの副菜のひとつとしても活用しやすいと思うのだが(酢を用いた食べ方よりも、食事中にむせにくい)、しかし、食物繊維豊富であろうから、ほどほどの量にとどめておくのが好ましいものとは思っている。)   
   
 このカリフラワー(愛知県産)を面白がって買ったのは自分なのであるが、これを実際に茹でると(湯には食塩を加えるが)、色素が溶け出し、湯は「草木染でもしてみたくなる」ほどの色合いになるそうだ。   
   

セル関係の新譜/再発


   
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  "ETERNITIES" レーベルからのCD-R盤商品にて、セル/クリーヴランド管ほかによる演奏で「未完成」およびブルックナー「テ・デウム」が発売になるようだ。購入可能な店は限られる。   
   
   
 下のは過去の写真の再掲・・・「テ・デウム」を収録しているCD。この曲、長いこと聴いておらず、どんな演奏内容であったかも記憶にないが。   
   



   

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