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2017-12

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年末年始は・・・これを楽しむ



   
 写真の上段は、リリースされたばかりのCDでフィルクシュニー(フィルクスニー)/セル/ケルン放送響によるモーツァルトのピアノ協奏曲第18番を含むもの。   
 モーツァルトのピアノ協奏曲については第20番以降のものばかりを聴きがちなのだけれども、この第18番の魅力を改めて思い知らされる演奏・・・ピアノの素晴らしさは言うまでもないが、オーケストラ側に目を向ければ、思いのほか第2楽章の演奏が表情豊かで色濃いものを感じ、また、全体的にも彫琢、テンポの扱い、楽器の音色、演奏のキレ・表情などに魅了される。   
 (なお、第19番までの作品について見た場合、セルはフィルクシュニー、カザドゥジュ、ゼルキンらと「ジュノーム」、第15番、第17番、(今回のものとは別に)第18番、第19番の録音を残している(ライヴ音源を含む)。)   
   
   
 同じく冒頭写真の下段はセルがメトロポリタン歌劇場で指揮した「タンホイザー」のライヴ録音。   
 (1942年のでなく)1954年のほう・・・ "Wagner at the Met" というセット商品に含まれているもの。以前にも紹介したことあると思うが、やはりこの演奏には、ハッとさせられるほどに惹きつけられる。しかし、不評もまた、ありえようか・・・ワーグナーの歌劇・楽劇は「単なる“管弦楽プラス歌唱”の音楽作品ではなく、そして、整然とした構築物ではないのだ。プラス・アルファのあれこれが渦巻き、それが音にまとわりついたその先に於いて、初めてワーグナー世界が立ち現れる・具現化されるのだ」との感覚もあるようだし・・・。   
   
   
   
 「セル・ファンではあるが、しかし、そもそもオペラ系の作品は関心外であるからその方面のものは聴かない」という向きも多かろうと思う。   
 でも、上の1954年の「タンホイザー」のほか、「後宮」や、音質的に不満足を覚えるかも知れないが「ボリス・ゴドゥノフ」、「ヴァルキューレ」、「魔笛」などは、やはりファン必携のものと評することが出来るのではないか・・・個人的にはそのように思う。言うまでもないが、セル世代の指揮者は、そしてセルも、若き日には「劇場の人」、「劇場で鍛え上げられ、活躍し、名をあげた人」であったし、上にあげた録音/演奏は、その腕前を改めてよく認識できるし、そして何と言っても大いに楽しめる。   
   
   
   
 さて、下のも「タンホイザー」・・・こちらは映像/DVD・・・ただし、セルとは無関係。   
   


雑記



   
 写真中のいちばん上のは、超廉価な万年筆としてよく知られているもの。これ、書き味もよろしいが、キャップ内部の構造のおかげであろうか、(付属のカートリッジは使わずに)別途購入の、カートリッジ規格が同じもののカーボン・インクのタイプのものを利用してもインクの乾き・固まり等によるトラブルが生じず、都合よろしい(3日と空けずによく利用している・・・1週間も2週間も使わずにいるような場合もトラブル無しでいられるかどうかは知らない。ペン先は、M、0.5 )。   
 軽量である、透明プラスチック軸なのでインク残量がいつでも分かる、キャップ部分も透明なのでその内部がインク飛沫で汚れているなと気づいたらすぐに綿棒などで掃除できる(筆記しようとしたら指にインクが付いてしまうというイヤな思いを避けやすい)等の長所もある。   
   
 というわけで、このたび、もう2本を書い足し。   
   
   
 ほか、一緒に写し入れた3色ボールペンはゲル・インクのもの。ダイソーの2本セット商品。   
 青色の色味がなかなか良く、このたびの年賀状書きでも少し利用。   
 赤色インクのトーンもまた悪くない。   
   

ヴォータン、業担、MOF担・・・




   
 ワーグナーの「指環」の物語にヴォータンの存在は欠かせず・・・。   
 そういう、「欠かせない存在」が世にはいろいろと有るし、または、有ったりもした。   
   
   
 タイトル中の「MOF担(もふたん)」の意味合い・役割は銀行・金融関係者などに尋ねていただきたい。   
   
   
 さて、「業担(ぎょうたん)」とは・・・業界関係担当職、業務担当職などの意味で、この職は広範な企業・会社に存在していることであろう。が、必ずしも正式の(組織図・名刺などに記載されるような)「役職名」になっていない。   
   
 その担う職務は様々であり、たとえば、「この製品分野について、業界にて統一的な安全基準を作ったほうがよろしいのではないか」などというとき、自社側の考え・要望を整理・集約しつつ、同時にまた業界全体とのすり合わせ等も図っていく・・・そんな役割もあるし、ほか、経済産業省・国土交通省その他の政府機関/官僚に対して、あるいは政治家に対して業界全体として出していきたい提言・要望事項などをまとめ上げるような仕事もこなしている人たち。   
 しかしながら、この他に、企業によってではあるけれども、「業担」として次のような役割を担う人物もいるであろう・・・競合企業との談合、受注調整合意、ヤミ・カルテル合意、また、ヤミ献金・ヤミ協力金・ヤミ工作資金などの運び役/渡し役、等々を受け持ち、つまりは、自分が摘発されたら取調べを受けたり逮捕・起訴されたりすることもあるという、際どいことを担う一種の「汚れ役」。もちろん、このようなことをどこの会社もがやっているわけではないし、また、上のどれもこれもをでなく一部だけをやっているというケースであったり・・・それは様々であろう。   
   
   
 談合その他は、業界の各社が価格競争・料金競争に巻き込まれて利益率低下・赤字操業・事業撤退・廃業・倒産などに陥らずに企業存続・繁栄していくための「必要悪」とする考え方もあろうけれども、しかし一応、今日では「企業間の絶え間ない競争こそが善である。競争を阻害するものは悪である」ということが前提・常識・テーゼともなっているので、上のような「必要悪論」は通用しにくい。(一部の業種・ジャンルにて例外的にカルテルが認められるケースもあったりはするが。)   
   
 それでも、「あのね・・・、きれいごとでは生きていけないのよ。談合もヤミ・カルテルも、みんなでやれば怖くない!」みたいな考えはしっかり生き残っているのだよなあ、きっと。尤も、これを100パーセント批判する気にも、微妙なところで、実はなれない。たとえば建設業・土木関係業を見てみた場合に、超一流の一級建築士・トンネル工事技術者・道路関係技術者などなどを擁していながらも、仕事を受注することが出来ないままでいたらその企業はどうなるか、その従業員と家族は、下請け企業はどうなるか、連鎖的影響はどうなるか・・・ということである。ま、「そこはそれ、淘汰ということですよ」と総括してもよいのかも知れないけど、その影響は大き過ぎるのではなかろうか。   
   
   
   
 ヤミ・カルテルというと「売り値、提供価格、受注価格」などの面ばかりを連想する人は多いが、何かを仕入れる同業者どうしが「○○を仕入れるにあたっては幾ら幾らを超えないようにしようぜ」という取り決めもあったりする・・・「農家が持ち込んで来るコメの買受金額はキロ当たり幾ら幾らまでに押さえこんでおこうぜ」と合意したりすれば、それもまた問題なのだ・・・これまた意識されにくいが(罪の意識が生じにくかろうが)実際にあったりもすることであろう。   
   
   
   
   
 「こんちはー、毎度、お世話になってます・・・いつもいつも繁盛してますね・・・あの、ご主人、ちょっと、いいっすか? お宅の店に卸させてもらっている○○の商品ですけど、あの値段で売ってもらっては困ります。前にも言ったとおり、最低でも○○円以上で売ってください。おたくの昨日の新聞折込チラシですけど、あのセール広告はどういうつもりっすか? ○○をセールの目玉商品にしてもらうと困るんすよ! よそのお店も同じことをしだしたら値崩れの連鎖になりますから、やめてください。わたし、真剣に言ってますから! とにかく、わたしが言いたいのは、今すぐ、わたしの目の前で売り値を改めてください。そうでないと、取引をやめさせてもらいます、今後は品物を流しませんからね。これ、皆さんにご協力いただいてます・・・だから、他店との競争で負けるなんてことにはなりませんから安心してください・・・で、いまの話は内緒でお願いしますからね」なんていう圧力/再販売価格の維持・拘束も、たぶん、今日も世の中のあちこちに存在しているのではなかろうか。   
   
   
 「いけないこと」とされているけど無くならないもの・・・かな。でも、それで皆がそこそこハッピーに過ごせるなら・・・うーん。      
   
   
 ・・・・・・・・   
   
   
 このところ、相撲界での暴力事件に関して某・親方の対応・言動に関心が高まっている。でも、外野からどうこう批評するのは、何となくではあるが、今はまだ時期尚早なのではという気がしないでもない・・・あくまで「何となく」である。   
   
 この親方といえば、印象的なのは以前から時に新聞広告に登場する横顔・・・その広告はウィスキー「シーバス(シーヴァス)リーガル」のシリーズ中の「ミズナラ」のもの。   
 これの風味には個性的なものが活きていて、魅力に満ちている(ただ、好みは分かれるかも知れない)。その風味ゆえに、普通のシーバスのようにクイクイと乱暴には飲めないけど満足感・充足感は大きめ。冒頭の写真でいちばん右にあるのがそのボトル。初めて買ってから通算してもう4、5本目のボトルになろうか。   
   
 写真の真ん中のものは「カティ・サーク」の「ストーム」という品。「カティサーク」ではよく知られているレギュラーのものの「あっさりライト」な風味とは違い、わりと「くすみ感/スモーキー感」や重み・深さなども感じられ、よろしき滋味・楽しみを与えてくれる。開封直後(開封初日)にアルコール感が気になるときもあるが、それはすぐに消える。美味。加水すると上品さのようなものがぐっと出て来る。もちろんストレートで飲んでも・・・愛着がわく。   
 レギュラーのものは「グレンロセス」をメインのモルトとしているらしいのだが、この「ストーム」はハイランドパークその他がメインらしいので、風味の傾向もまた大きく異なるわけで・・・。なお、下のほうに置いた画像は過去のものの再利用で、グレンロセスの空きボトル。形状がユニーク。   
      
 再び冒頭の写真に戻り・・・いちばん左に並べて写し入れることにしたのもスコッチ。これもしっかりと美味い。なお、どうでもよいことかも知れぬが、ボトルの裏側ラベルにはカラメル色素に関わる表示/記載がせっかくあるので、輸入業者が上から貼るシールはその個所を見えなくしてしまわない位置に貼付していただきたいかな・・・そうすればウィスキーを愛好する人・愛好していく人たちが「ウィスキーとカラメル色素との関係」に関心を持つ・理解を示すきっかけになりうるのだし。   
   



   

セル関係の新譜・・・これも年内発売らしい


   
 セル指揮によるブルックナーの交響曲のライヴ盤(CD)が登場する・・・第3番(クリーヴランド管)、第7番(NYP)、第8番(コンセルトヘボウ管)。   
   
  http://www.hmv.co.jp/product/detail/8445092   
   
   
   
 第3番の演奏は、過去に米国の某通販サイトにて取り扱いのあったCD-R盤商品に収録されたものと同じときの(同じコンサートの)ものであろう。   
   
 セル指揮でのブルックナーの第7番というとVPOとのものが思い浮かぶが、今度はNYPとのものが登場することになるわけで・・・これまでにもどこかで発売されたことがあるかどうか不明。ただ、セル指揮NYPのライヴは(個人的感想として)年代のわりに音質面で不満を覚えるケースが少なくないのでそこに不安がある。   
   
 第8番は、これも過去にCDで発売されたことがあるもの。   
   
   
 以下の写真は全て過去のものの再掲/再利用であり、セル指揮のブルックナー演奏を収録しているもの(関係の無い、モーツァルトやヴェルディ、ベートーヴェンのものも写ってはいるが)・・・いちばん下の写真では、左上のDVDにブルックナー第3番ライヴ映像(VPO)が収録されている。   
   
   

   
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 ・・・・・   
   


セル関係の新譜

   
 フィルクシュニー(フィルクスニー)がケルン放送響と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲ふたつ・・・CDで登場する。   
   
   
 第15番はズデニェク・マーツァル(マーカル、マカール)の指揮で1973年の収録、そして第18番はセルの指揮によるもので1966年の収録。ステレオ録音とのこと。   
   
   
  http://www.hmv.co.jp/product/detail/8445102   
   
   
 年末までには発売されるようなので、セル生誕120年であった今年の最後の嬉しいプレゼントと言えるのではないか。   
   

ちょっとだけ ビックリ・・・


   
 いろいろな話題その他に関して「縁起でもないことを!」等々と、わりと気になさりがちな方は、以下はご覧になりませんように。   
     
 (ああ、でも、スマホでアクセスしている方には、もう画像が目に入ってしまっているかな。ごめんなさい。)   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 CDやDVDなどの、つまり、ごくありきたりな商品を通販サイトにて物色していたときのこと。   
   
   
 ふと目に入った広告は・・・下の画像のとおり。   
   
   
 もちろん、世の中いろいろなビジネスがあり、広告宣伝してはいけないということもないし、「何かのときのために覚えておいて下さいね」的な広告もまたあってよいわけで・・・。でも、少しだけドキッとした。   
   
   


野党も週刊誌も決して追及することがなかろう、或る未知の「政治スキャンダル」・・・?



   
 日経新聞の12月10日付の日曜版では、ヴァイオリニストのエディト・パイネマンがカイルベルトやヴァントの指揮するケルン放送響とともに残した演奏/録音について鈴木淳史氏が評論を書いている・・・シベリウス、プロコフィエフの協奏曲について。   
   
 パイネマンがセル指揮の同オケとともに演奏したベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲の録音が残っていることや、それがCDなどでリリースされていることはこのブログでも既に複数回紹介したところである・・・で、パイネマンの演奏について、今の時代においても上のような記事が登場したことに触れておきたかったまで・・・。   
   
   
 冒頭の写真は、過去に用いたパイネマン関連のものを含むものから再掲(今回のために写真の撮り直しはせず)・・・右上のドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲がやはりよく知られているものと思う(指揮はペーター・マーク)。   
   
   
   
 ところで、新聞記事といえば・・・。   
   
 敢えて紹介するまでもなかったのであるが・・・。   
 ここ最近までの政治スキャンダルの代表と言えば「モリトモ問題」と「カケ問題」ではあろうけど、しかし、さらに下の写真のような、誰もが知らずにいた政治スキャンダルが・・・あったのだろうか。   
   
 「モリモト・スキャンダル/問題」って? ・・・これは或る英字新聞から。   
   
 ま、その他のメディアにも同パターンの「綴り」が見受けられる例があった・・・「モリトモ」よりも「モリモト」のほうが、その、「メジャーな響き」でついつい・・・なのかな。   
   


雑記



   
 カクテル研究のやり直しを、と・・・。   
   
 なお、この種の本では、洋書の場合には材料の分量表示形式が日本のものとは異なるので(度量衡の相違)、不慣れな方は日本で出版されている本(日本人が執筆した本)を買い求めるほうがよいかと思う。   
   
 しかし、たとえば小説、映画、ドラマ、歌詞などの中に登場するカクテルが「どんな風味要素のものか」等を想像して楽しむというニーズには、洋書でも十分に役立つ筈だ(手頃な価格で買えるものも少なくない)・・・尤も、「ネット検索で十分だよ、レゲエパンチというカクテルの説明もそのほうがちゃんとすぐ見つかるし」と言われれば返す言葉が無いけど(笑)。   
   

雑記

   
 「人員面でのゆとりを考える必要性が高まっている」ということで、中途採用の方針・仕方の見直しなどが話題にのぼることがあった。     
   
 で、懐かしく思い出すことが幾つかあった。大したことではないのだけど・・・。   
   
   
 入社して何年目のことであったろうか、すでにバブル経済も始まっていたことになるかな、仕事量が増すばかりの頃であった。「体に無理は来ているけれども、しかし、大丈夫、ぶっ倒れるようなことはあるまい」と思いながら仕事をこなしていた。   
   
 或る日、上司が「おい、喜べ。この部署に中途採用で人を採る。これでお前の仕事の負担も少し減らせる」と言った。   
 採用予定は1名、すでに書類選考で3名に絞ってあるが、一緒に仕事をすることになるのはお前なのだから面接試験に同席しろとのことであった。   
 面接試験に先立って3名A、B、Cの履歴書・職務経歴書など見せられ、上司は「どれが良さそうだと思う? Aが良さそうに思わないか?」と言った。筆者は「能力は間違いなく高そうですが、人相が良くない感じがしませんか? 人を裏切りそうな印象を感じますよね。Bが良さそうに思うんですけど。実際に面接してみないと何とも言えませんが」と答えた。   
   
 面接が済んでからも、上司と自分とは「Aを採るかBを採るか」で意見が割れた・・・上司にしてみれば「Aにする」と決定・宣言することも出来る筈であろうに、こちらとしっかり対話・意見交換する姿勢が立派であるなと思った。・・・そう思いはしたが、しかし、こちらはやはり譲らず「一緒に仕事をするのは、そして仕事の指導をするのは誰なんですか? わたくしですよね。Bと仕事をしたいですね。Aとでは気持ちよく仕事を出来そうには思えません」と言って、結局こちらの考えを通させてしまった。   
   
 その2日後くらいであったか、上司はこう言った:   
   
 「おい、やったぞ・・・上の方の許しが出て、2名の採用が可能になった。Bのほかにもう1名採れる。Aも採ろうか?」   
   
 ちょっと驚いたが、実際、そのような許しが出るほどに仕事量は激増していたのだ。   
 上司はまた、(べつにAがコネを持っているとかそういうことはなく)本心からAに期待を持っていた。   
   
 筆者は「2名を採るとしても・・・その2人目は誰の仕事をするんですか? そして誰が仕事の指導をするのですか?」と尋ねると、「もちろん、お前だよ・・・かえって負担になるか?」との言葉であった。   
   
 「負担になりますよ、絶対。それと、Aのような、ああいう目つき・人相の人とは仕事する気にはなれません。頭がキレる・事務処理能力が高そうな人間であることは分かりますけど。一緒に仕事するのは難しいと思います」と答えた。   
   
 かくて、Aは採用されず、また残念ながらCも採用には至らず、B1名のみが採用されたのである。   
 Aはつまり、学歴、職歴、仕事面でのポテンシャル等々とは関係ない理由で不採用・不合格となったわけではあるが、そういうことって、世の中、珍しいことではあるまい・・・新卒採用であろうと中途採用であろうと。そしてまた、「(上のような、採用に関する舞台裏について)これは公平な採用ではない」との批判もあたらないと信じている・・・採用を決めるカギのひとつとして「仕事はチームで成し遂げるものであり、新たに加えるメンバーを選ぶ際は、既に在籍する者と相性が合いそうな者を優先する」みたいなものもあって然るべきというものであろう。また、採用試験において思想・信条・支持政党などを聞き出す・問うことは慎しむことが通常であろうが、受験者みずからが受け答え・会話の中でその種のことや購読新聞名などを口にした結果、これが採否に影響するということがあっても致し方のないところと思う。   
   
   
 さて、それから何年か経って・・・。   
 別の部署で中途採用された若手スタッフがいて、筆者はときどき彼と話を交わすこともあった。或るとき「調子はどう? もうすっかり職場にも慣れた?」みたく尋ねた。彼の返事はだいたい次のようなものだった。   
   
 「この会社、鬼のように仕事が押し寄せて来て(=仕事量がやたらと多いという意味だと思う)、そこがキツイですけど・・・でも、人間関係がすごく楽なのがいいです。過ごしやすいです。精神的に全然楽にやっています」   
   
 こちらとしては「よその会社との違い」を意識したことは無いのだけれども、うーん、なるほど人間関係があまりに難しい会社・組織・職場というものは多くあるのだろうなあ。パワハラその他の事例は多く報じられるし・・・。   
 とは言え、自分の勤務する会社にも「むずかしい人」が決していないわけではない、例えば・・・書くのはヤメておこう(笑)。   
   
   
 よその或る会社の人が言っていたこと: 「マイカーを持つにあたっては、上司が乗っているクルマよりも高級なものを選んではいけない」との暗黙のルールがあるとか・・・それじゃあ、何かい、仮に上司がマーチとかに乗っているとすると、その部下はたとえどんなに「クルマ好き・クルマ命」な人間であっても、レクサスとかアウディ、BMWなどを乗り回したらもう大変なことになるではないか・・・イヤミを言われるばかりか、人事考課に響いたり左遷されたりもしてしまう? 私生活過剰干渉に思えるが、しかし、クルマ通勤の企業だったりする場合には「会社の駐車場に置くクルマである以上は、社内での役職・社員階級に応じたものにせよ」的な無言の圧力も働きうるか・・・ああ、それでもなお、息苦しいものを感じてしまいそうだ。   
   

雑記


   
 街が再開発などされていくのを目にして、こんな感想を持ったりするのは自分だけのことだろうか・・・。   
   
 「あれれ・・・まだ使える信号機、きれいな状態のガードレールを撤去して新しいものに替えちゃうんだな」   
   
 「このへんの道路、補修(穴ぼこ埋め)というのでなく、ぜーんぶ舗装し直すのかあ。そこまでしなくてはならぬのかなあ」   
   
 ・・・等々。   
   
 或いはまた、若い親たちの子育て・しつけ、子供への目配りの仕方などを見ていて「ちょっとおかしいのではないか/手抜きではないのか/不注意で危険でもありやしないか」と思ったり、また、子供・青少年の行動の仕方などを目にして「何だ、あのクソガキは!」とか、「こういう少年はきっと“君たちはどう生きるか”という本を(名著のひとつと言えようが)、たとえマンガ版であろうとも読まずに育つのだろうな」などと思ったり。   
   
 そして、何と言うべきかな、インフラ整備の工事に関しては自分の生活圏である街に「?」なものを感じたり、子育て関連では「この地の子供たちよりも優れた・きちんとした子供たちが育つのは、きっと他地域に於いてこそであろう・・・だから、むしろ他地域にて子育て環境が整備されることを応援したい」みたく感じたりして、これがいわゆる「ふるさと納税」への動機になりうる(筆者の場合には)。    
   
 尤も、ふるさと納税を受け入れる地が返礼品の調達に多額を費やし、つまりは、その地域の特定の産業界・企業・事業者にばかり恩恵をもたらしているに過ぎぬような問題状況も生じているのではないかと、懸念を感じぬではない(「当地での地場産業といえばこれくらいしか無いので」という事情ならば納得できはするが)。  
 そして、大抵の人の感覚では「ふるさと納税」は、「自分が自分の住所地に納税するものの代替、もしくは相殺の相手」としてとらえるであろうけど、自分はやはりちょっと違った感覚によっている・・・返礼品への期待はあること勿論なのだけれども、しかしながら、それが過剰なものであるとちょっと“引く”ような感覚になり、「他の地へのふるさと納税のほうが健全といふべきものであろう」といった気持ちが生まれる。   
   

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