2017-09

Latest Entries

或る広告・・・

   
 ・・・この機会に是非、先進の技術をご堪能ください。   
   
 驚異的な音声認識技術と、開発費に100億円あまりを投じて誕生した人工知能ならびに解釈アルゴリズムによって、かつてないほどスムースな音声入力・漢字変換・文書作成が可能となりました。また、日本語・英語間の的確な双方向翻訳が実現し、その英語力は英語ネイティヴの人たちをも唸らせるほどです。   
 PC用ソフトも、スマホ・アプリも、どちらも絶賛発売中です。   
   
 その実力の一端をご覧いただきましょう:   
   
【日本語を音声認識して日本語で文章作成した例】   
   
 坊主肉蹴りゃ、今朝までに食い。   
   
 隣の客は、よく牡蠣食う客だ。   
   
   
【日本語を音声認識して日本語で文章作成するとともに、英文にも翻訳した例】   
   
 明日に道を聞かば、夕べに死す友かなり。   
   
  If I listen to the way tomorrow, so many friends passed away last night.    
   
 健康第一、体がシフォン。   
   
  Health is the most important thing, and the body is a piece of chiffon cake.    
   
   
   
 ・・・以上、架空の広告であった。   
   

ならぬ堪忍、駿河観音



   
 写真の左手前は新たに使い始めたノートPC。   
   
 その厚さ/薄さは、右奥のものと比べると、閉じた状態でCDケース(1枚用)以上の差がある。   
   
  "ThinkPad" ブランドには(IBMのときから)ずっと思い入れがあったけれども、でも、その思い入れが薄れて随分になる。   
 このたびは東芝ロゴ入りのものを得ておきたくなって・・・。   
   
   
   
 「薄い」という語の反意語は「厚い」・・・とは限らない。   
   
 「濃い」もまた「薄い」の反意語。   
   
 やがては秋も深まり、そして紅葉(もみじ)の季節もやって来る・・・すると「濃い」・「薄い」の言葉を歌詞に含む、あの、子供から大人まで知っている唱歌を思い浮かべることもある。   
   
 ここ最近は「有事」を懸念するから、軍歌「敵は幾万」が頭の中に響くこともある・・・。   
 現代はかつての日本とは異なるから、今を生きる自分が「敵」として想定するものはもちろん米国などではない。そしてまた、歌詞中の「味方に正しき道理あり」の部分では、ついつい日米同盟を前提としてあれこれ考えてしまい、気は引き締まりつつも複雑な気持ち・憂慮へと至る(しかし、日米同盟関係に反対する意図は無い)。   
   
 「対話と圧力」みたく、ぬるいことを言っていたのではラチがあかない、圧力と制裁と天誅こそが望まれるなどと思いながらも、しかし「ならぬ堪忍、するが堪忍」という言葉もあることを思い起こす。同時にまた「窮鼠、猫を噛む」という言葉も。政治家は、そして事態に関係する官僚はどのような判断を下していくだろうか。   
   
 だが、観音様のような穏やかな顔をしていられないのも事実だ。   
 堪忍の末にでも、相手方の出方が変わればまだしも、しかし、出方が変わるには相手方が「過ちに気づく」、「悔い改める」ということが必要であろう・・・で、そのためには相手方に一定レベルの知恵や正しき心が必要であろうが、果たしてそういうものを備えているのだろうかと、そこが一番気がかりなところではある。   
   

働き方“怪革”? “快革”? 

   
 夏の暑さに苦しめられたのに、それでも「ああ、夏も終わってしまうのだなあ」と、少し寂しく感じてしまうときもありはする。するとR.シュトラウス/「四つの最後の歌」の第2曲「9月」が頭の中に鳴り響く・・・そして、シュヴァルツコップフとセルがレコーディングした歌曲のあれこれを聴きたくなってしまう。   
   
   
   
 8月の或る日のこと、「暑いからこそチゲを食べに行きませんか? ビール飲んで、何かつまんで、最後にチゲ・・・最高ですよね!」と誘われたのであった。   
 以前であれば同調したのだが、このときはやんわりと断ることにした・・・理由は伝えなかったが、自分としてはしばらく前からこういう思いを持っているのだ: 「某国については、特に今の大統領になってから気に入らないことが増えるばかりだ。少なくとも今の大統領が在任中はそのテの食べ物を出す店や焼肉店には行くまいぞ」と。   
 いちど心に決めたことは出来るだけ貫きたい。チゲもチジミも、センマイや何やかやも食べられなくても・・・。   
   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 「いやあ、うちの会社も実はブラック企業なんですよ・・・長時間労働で」   
   
 ・・・という趣旨の発言を、居酒屋で顔見知りの客から聞くことが、この2か月くらいの間に数回にのぼるか。   
 これはつまり、世の中、そうそう「きれいごと」では済んでいないということであろう。   
   
 でも、まさか例えば「労働基準監督署で職員が過労死、違法残業の疑いも」などと報じられることは無いものと信じたい・・・シャレにならない。   
   
 ま、筆者自身は「たとえ長時間労働でも、支払うべき給料・手当をちゃんと支給していればよろしいではないか」と、基本的にはそのように考えてはいるが。ただ、この感覚は古いとも言えそうなので、社内では口をつぐむこととしている・・・働き方改革については若い世代の考え方・感覚に寄り添いたく思う・・・「一応」はね。   
   
   
 世間では労働時間の短縮を求める声が強いが、長時間にわたって働くことを厭わない人もいるのだし、特に、若くてエネルギーと向上心に満ちているうちは多くの仕事をさばく・パニック慣れする・場数を踏む・関連の勉強を迫られる等々のことを通じて大きく成長できることにもなる。また、基本給が低い若手でも残業手当・休日出勤手当などによって収入増を実現してもらえる。   
   
 ところで・・・。   
   
 或る会社に、男性社員A、B、Cの3名がいるものとする・・・。3名は大学卒、同期入社で勤続年数は同じ、年齢も同じ28歳、社内資格も同じ、勤務評定も揃って同じとする。残業時間は3名とも、いつも月間20時間である。いずれも事務職であるため営業職手当その他の特殊手当なども無い。ところが毎月の給料(税金等を控除前。通勤手当・住宅手当を除く)は、   
   
   A>B>C   
   
という具合になっている。その理由は何か?   
   
 Aには妻がおり、また子供が2人おり、それに伴って配偶者手当・扶養家族手当が支給されている。   
   
 Bには妻がおり、しかし子供はおらず、配偶者手当が支給されている。   
   
 Cは独身者であり、上のAやBに対して支給されているような手当は貰えていない。   
   
   
 最近、子育て支援等を拡充するための財源をどうするか、その負担者は誰とするかの議論のなかで、「子供を持たないでいる人たちはみずから子育てコストを負担することが無い一方で、いまの/これからの子供たちが育ったあとには彼らの労働・稼ぎを通じて年金・医療などの社会保障上の恩恵を受け取ることになる」との言い方を目にすることがある。後半の説明は合っているけれども、前半の言い放ちは必ずしも適切ではない。 (子供を持っていることに対応した手当が存在しない企業のサラリーマン、あるいはパート、アルバイトなどでの勤務者、自営業者などを別として)上のA、B、Cのようなサラリーマンの場合には給与支給に於いて差異が生じているのである・・・いわば不公平な利益分配がなされ、(言葉は悪いが)子持ちの者によって多めにかっさらわれている状態とも言える。言い換えると、子を持たない者は子育てコストを負担しないけれども、しかし同時に、給料減額されているかのような扱いを受けている。   
 この種の手当が賞与計算にも影響するかどうかは企業によって異なるであろうがそういう問題や、また、将来の厚生年金支給額、退職金や退職年金にどう影響するかなど、それぞれのサラリーマンごとにあれこれ考慮した場合には「子を持たない者は子育てコストを負担していない云々」と非難めいた言い方ばかりするのはちょっとおかしい、または相当におかしいし、子を持たない者が受けている不利益を無視しているのではないかと感じる。   
   
 と同時に、税制上でも所得控除項目に於いて、子を持つか否か・配偶者がいるか否かの点で差がつけられ、これにより徴収される税額に影響を及ぼす=手取り収入に影響する(子がいない・配偶者がいないということによって税負担は重くなる)。   
   
 未婚でも、或いは子持ちでなくても、それなりにガッツ・根性があれば「客観的にみて同じ能力であるならば、こんなことで手取り収入に差をつけられてはかなわない。上司などから頼まれた仕事はとことん受け止め、それをこなし、残業手当も受け取って子持ちの連中と同じだけのカネ・可処分所得を得よう」と考えるであろう・・・というか、そういう発想はおかしくない。・・・というわけで、若いうちは、体が弱いわけではないし仕事にも熱中できるという人には、過重労働で体を壊さない・精神を病まない範囲にて長時間労働も厭わずに働いて欲しいし、それが当然のこと・むしろ精神衛生でも気持ちの良いことであると、筆者は思うのである。(あっ、でも最近は若い人に対しては「婚活も怠らないように、出会いも大切に。仕事はほどほどに」という助言も必要らしい・・・しかし、急いで結婚したら相手は悪妻だったとか、ブランドもの買いまくり妻だったとか、DV夫だったとかいうことだってありえなくはないから、結婚などというものを急がせなくてもよいのではないかと思うが、しかし、そういう話をすると「少子高齢化が止まらなくなるから若者に余計な忠告をして慎重にさせるな」と叱られかねない?)   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
   
 ウケを狙っての発言には色々あるものだ・・・。   
   
 「僕、出身は○○県です。ド田舎ってイメージがあるかも知れませんけど、僕が育った○○市は違いますよ・・・ちゃんとマクドナルドも100均もあって、都会です」   
   
 「都会なのだ」ということの根拠/理由として上のように説明してウケを狙うこの方法は、たぶん10年以上も前から見受けられる、いわばベタなパターンと言えよう。発言する本人も「これゆえに都会なんだよ」などとは、本心では思っていないのだし(場合によっては自虐?)・・・。   
   
 先日は居酒屋で、顔見知りの客のこんな発言に出くわした:   
   
 「(この状況下、南のあの国が、北のあの国に対して人道的支援をすると決めたけれども) 朝 鮮 人 など放っておけばよいのに、何を考えてるんだろって思いましたよ。そんなに 朝 鮮 人 が好きなんですかねえ」   
   
 これは無知ゆえの発言などでなく、ウケ狙い50パーセント、そして、毒50パーセントで構成された発言であるように思えた。   
   
 ところで、よく気になるのは・・・。   
 北の最高実力者の親(故人)の髪型はああであったのに対し、でも、子供のほうはああいう髪型で・・・それぞれに、どうして「七三分け」とか「八二分け」、「オールバック」、「角刈り」、「スキンヘッド」、「すだれ満月」など、何というか典型的・ありがちな髪型を選ばない/選ばなかったのだろうか・・・いや、髪形も自己アピールの手段、そして下々(しもじも)の人間との差異アピール手段なのだと受け止めるべきなのかな。とはいえ、「ファッション・おしゃれ」みたいな軟弱な発想ではあるまい。しかし、次世代になるとモヒカン、ソフト・モヒカン、ドレッドヘアなどで登場することもありうるのか・・・。   
   

あの「肉豆腐オヤジ」は今・・・



   
 (↑)左はカボス(小さめ。大分県産)。その右は100円ショップのダイソーが扱うシュガーポット。さらにその右はやはりダイソーの品のフレグランスオイルのシリーズで「柚子(ユズ)」。いちばん右は某アロマオイル・ショップ扱いのユーカリの精油。   
   
 基本的に、部屋の中などに香りが漂うのを好まない。無臭こそが好ましいと思っている。だから、エレベーターの中などで誰かの香水、オーデコロンなどの香りを鼻に感じるのも好きでない。(ムスクの香りは特に嫌いで、ほか、仁丹を噛んでいる人の口臭なども好きでないが、でも最近は仁丹を愛用している人に出会わないなあ。)   
   
 オフィスビルなどのエレベーターで、香水や化粧品の香りを強烈に発している女性がいたりする。で、その女性がどこかの階でエレベーターを降りる・・・エレベーターのドアが閉まって、なおかつエレベーター内にはもう女性がひとりもいないという状況になるとき・・・さきほど降りた女性がどこの誰であるか、エレベーター内の男性たちはみな知らないのであるが、しかし、それだからこそ、誰か一人が「うおー、いまの女、すんげえ化粧品くさかったなあ」と声に出すことがあり他の男性らの共感を呼ぶ(笑)・・・ごく稀なことではあるが、しかし、こんな場面もあるのだと、たぶん女性の多くは想像もしていないことであろう。   
   
   
 無臭の環境がベストと思っていながらも、ときに「良い香り」を嗅ぎたくなることもありはする。常時嗅ぎたいのでなく、また、いつまでも嗅ぎ続けていたいわけでもない。数秒の間、リフレッシュのために嗅ぎたく思うのだ。   
 ・・・なので、アロマディフューザーとか、お香のようなものは適さない。   
   
 上の写真のようなシュガーポット内の底に、折りたたんだキッチンペーパーその他を入れてそれにアロマオイルをたっぷり垂らして滲みこませればよいなと思った。ふだんはシュガーポットに蓋をしておき、嗅ぎたいときだけ嗅ぐという仕方。   
 これがなかなかよろしい。この柚子オイル、香りが少し大人しいようには思うが、不満でもない。   
 もう少し存在感のある香り、強い香り、刺激的な香りを欲するようになったら、レモングラスとかオレンジっぽいものを求めるなどしても良いかも知れないし、そのほか、ハッカオイルなども自分は楽しめそうだ。   
 瀬戸物でもガラスでも、同様の蓋つきポットはいくらでもあるが、素焼きみたいなものの場合、また、陶器類でも釉薬の仕上げのあんばいによっては、容器にオイルが浸透して底などから滲み出るというアクシデントの可能性も無くはなかろう。   
   
   
 香り刺激には興味深いことが色々とありそうだ。以前に紹介したことある「脳には妙なクセがある」(扶桑社新書)の152ページ以下ではその点に触れているし、また、日経新聞の昨夏の記事その他からすれば、認知機能などの衰えを防いでくれる効果も期待できるのかも知れない。とはいえ、敢えて自分の嫌いな匂い/臭いまでも嗅ぎたいとは思わぬけど。(なお、上で言及した日経新聞の記事とは、「日経 認知 アロマ  2016 」でグーグル検索すれば見つかるもので、会員登録などしていなくても誰でも読める。)   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 出張で泊まる某ホテルを、一緒に行く若い人に予約してもらったときのこと・・・。   
   
 「朝食つきのプランを希望しますか? それとも朝食無しの形にしますか?」と訊かれた。   
   
 自分は朝食つきを当然のように望むのであるが、彼は朝食無しを選んだ。   
 彼は大抵そのようにしているらしい。朝食を食べない習慣なのかと思ったら、そうでなく、朝食はコンビニで買い、そのイートイン・スペースで、またはホテルの部屋で食べるという。   
   
 さて、自分がホテルで食べることになった朝食は・・・非常に不満なものとなった。   
 高級ホテルではないが、べつに安ホテルでもない。   
 好きなものを選べる、バイキング形式のようにして食べ物が並んでいた。朝食には肉を含むもの、洋食、中華系のものよりも、魚ほか和食系のものを食べたい。したがって、ハンバーグ、オムレツ、グラタンもどき、マカロニサラダ、シューマイその他はパスし、鮭を焼いたものなど探したが無いのであった。   
 では「目玉焼き」でもと・・・しかし、目玉焼きはひとつひとつの皿に載っているのでなく、大皿に幾つもが山盛りされていて、各人そこからトングでひとつなりふたつなりを取ってくれという具合になっていた・・・が、しかし、言葉で言い表しにくいのだが、ビミョーに目玉焼きの焼き上がり・仕上がりが下手くそというか汚っぽい感じがして・・・目玉焼きはパスした。   
 他人の視線があるところで納豆は食べたくないし、結局、梅干だけをおかずとすることに決め、あと、ご飯茶碗に盛られたご飯を取った。   
 次に味噌汁のコーナーに行くとそこにはスタッフがいて味噌汁を御椀に入れてくれるところだった・・・しかし、この御椀が随分と小さいので「もっと大きい御椀、無いのかな?」と尋ねると、「最近は塩分摂取を気にして少ししかお飲みにならないお客様も多いので、小さい御椀を用意しているのです。おかわり自由ですので、飲み終わったらまたここへいらして下さい」との返事であった。   
 それも面倒そうだから「じゃあ、いま2杯くれ」と言おうとも思ったが、今日の朝食のおかずが梅干だけということに気持ちが萎えて悲しい気分すらしていたので、「もうどうでもいいや」でその小さな御椀の味噌汁をひとつ受け取ってテーブル席へ・・・。   
   
 ご飯一杯、梅干(中サイズ)3つ、小さい御椀の味噌汁・・・まるで二日酔いした人の朝食みたいではないか(自分はもう長いこと二日酔いになったりしていないけど)。この朝食料金、食べる量には無関係で定額1500円前後であったかな。   
 梅干は小梅というサイズのものではないが、にもかかわらず、ひとつの皿に3つ盛ってあるのは、国産のちゃんとした、値段もそれなりの梅干などではないからだろうと想像したが、うむ、果皮の噛み心地や風味に不満を覚えるような(美味しくない)シロモノだった。   
 つまらぬ思いをした食事であった。自分も、今後はホテルでの朝食は避けてコンビニを利用しようかなあ。たとえカップ味噌汁に割高感があるにしても、トータルで見れば、リーズナブルな支払いでもっと満足いく朝食にありつけるであろうし・・・。いや、今後はあのホテルに泊まらないようにすれば良いだけの話か。    
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 某オフィスビル内に、バイキング形式で昼食を出している大食堂がある。昼はサラリーマンらでにぎわう。   
   
 たとえば冷奴(ひややっこ)を取るときは、手前側のものは豆腐の表面がちょっと乾燥気味になっていることもあるから奥のほうのものを選んだりする(乾燥する理由は、早めの時刻に陳列したからなのか、それとも前日の残り物を再び並べるからなのか、それは知らない。しかし、世の中、刺身の表面が乾いたら霧吹きで水を与えるというテクニックもあるから、食べ物の表面が濡れていれば鮮度抜群などと信じきってはいけない)。・・・そうやって奥の豆腐を取るとき、自分の髪、眉毛、まつ毛などが手前側の豆腐の上に落ちたりせぬよう、上体をあまり前傾させないように気をつける・・・それでも衣服の袖口あたりから微細なホコリが落ちるやも知れないけど、そこまでは防ぎようもあるまい。   
 ほかの料理を取るときにも自分は似たような気配りをしている。   
   
 さて、或るとき・・・その日は「冷たい豆腐よりもむしろ、温かい豆腐のほうがよろしいな」という気分だったので、肉豆腐のコーナーへと向かった。順番待ちになっており、自分の前にはオッサンがいた。   
 このオッサンは「おたま」を使って大鍋から肉豆腐をすくい、そして手もとの深皿に入れた・・・ここまではごく普通の仕方である・・・ところが、今度はその自分の深皿の中に「おたま」を入れ、ちょっと苦労しながら豆腐だけを選び出し、その豆腐を大鍋へと戻したのであった。で、あらためて再び大鍋から肉や豆腐を一緒にすくい、それを深皿に入れるとそこからまた豆腐を大鍋に戻し・・・。   
 ああ、なるほど、このオッサンは「肉が食べたい、豆腐は要らない」という人なんだなあと思った・・・でも同時に、「やることが、汚っぽいというか何というか」とも思った・・・イエローカードの少し手前な感じ?   
   
 それからかなり経った頃、同じ食堂でこのオッサンをまた目撃することがあった・・・こちらは心の中で「あ、あの肉豆腐オヤジっ!」と叫んでしまった。   
   
 あのオッサンは今頃どうしているだろう・・・もうとっくに定年を迎えているだろうか。それともどこかの会社の経営トップなどに就いていたりもするのだろうか。関西出張でうっかり串カツを「二度づけ」して怒られたりなんかしていないだろうか。   
   
   
   
 過日のO(オー)157の食中毒事件では、ポテトサラダが原因なのかと思いきや、そういうことでもなく、客が使いまわすトングの、その使いまわしに原因があるかも知れないなどとも言われている。   
   
 トングの使いまわしについて、「食中毒リスクがあるやも知れないなあ」と、ずっと以前から思っている。でも、リスクを否定できないものの、それが原因で現実に自分が食中毒になる可能性はものすごく小さいと思いながら人々は生活していることであろう。スーパーなどの惣菜コーナー、ベーカリー・ショップ、バイキング形式レストランなどなど、トングの使いまわしはあらゆるところで見受けられ、リスクの完全排除は簡単ではあるまい・・・「いちど使ったトングは元に戻さず、こちらのボックスへ」という形にし、使用済みのものは洗浄するという方式を採るなどしないと。   
 が、「トングだけに注意を向ければよいのか? “おたま”は? あれも使いまわしに伴うリスクがあるのではないか? 社員食堂その他で客がそれぞれに割り箸・プラスチック箸を一膳ずつ掴み取るとき、誰かの手が汚かったらどうする?」などと気にしだすと、事は簡単に収拾がつかなくなる?   
   
 「やきとり」を親が食べたいと言い出したとき・・・自分で手作りすることは易しくないのでスーパーなどの惣菜コーナーで買って来ることとなる。   
 さて、串に刺さった「やきとり」をトングで取るとき、トングは「やきとり」のどの部分をつまむのが正しいのか?   
 筆者は、串の手前部分、つまり「やきとり」を食べるときに指でつまむ部分をトングでつまむ。トングを肉などに触れさせない。この方法だと(その前にそのトングを使った客が肉などの部分をつまんでいた場合には)串にタレや脂などが付いてしまうが、しかし、どうせ親に食べさせる前に肉などを串から引き抜くから問題は無い・・・肉などはオーブンやグリルで適当に温めたいので、串刺しのままでは串の先端や手前がさらに焦げてしまうというデメリットすらあるし、また、高齢者は串刺し状態のままでは食べるのに難儀することもあるのだ。   
 仮に、「やきとり」の調理スタッフが素手のままで串をつまんで調理しているとすれば、筆者の上のようなトングの使い方によって、あとの客がトングで肉をつまめばその肉に調理スタッフの手指の雑菌などが付着することになってしまうのだが・・・しかし、おそらく素手での調理はしていないものと信じているのだ(外食産業であるところの、やきとり店・居酒屋などでは素手で調理することがむしろ普通だろうけど)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 下の写真では、上段がフリッチャイ指揮によるウィンナ・ワルツなど。   
 フリッチャイの、普通のCDショップでなくどこかのホームセンターあたりで買ったか、さもなくばスーパーの駐車場の露天商から買ったウィンナ・ワルツ等のCDについてはしばらく前に写真で触れたことがあったが、このたびCDを買いなおすこととしたのである。   
 ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートなどでは聴けないような、独特のテイスト、スタイルを持った演奏・・・魅力的だ(もちろん、人によって好みは分かれるであろう)。   
   
 写真の下段はやはりウィンナ・ワルツなどでセル指揮のもの。これも、また、フリッチャイのも、ライナーのも、大切に聴き続けたい。   
   


義兄業務妨害とは・・・?



   
 姉の夫、配偶者の兄など、「義兄」にあたる者がしている商売・仕事の邪魔をすることを「義兄業務妨害」と呼ぶ。・・・というのは冗談であるが、先日報じられた、グラニュー糖だかの白い粉を入れた小袋を警察官の目の前でわざと落としてから逃げ走るという悪ふざけは、あれはとんでもないことだ。(また、もしも同じタイミングで他に事件が起きて、しかしこのイタズラが原因でそちらの事件への対応がうまく行かなかったりすればさらに問題は大きくなってしまうことだし。)   
   
 10年以上も前だろうか・・・。或る警察署の正面玄関前には警察官が立って構えていた。不動で立ち続けるというのは結構大変だろうなと思いながらその前を通り過ぎたのであるが、向こうから高校生の数人グループが歩いて来た・・・そのうちの一人が仲間に声を掛けた: 「あ、今日も(警察官が)立っている・・・あのおまわりさんの前に行って、お前、ガンつけて来いよ・・・ずっと何も喋らずに睨みつけてさ・・・どんな反応するかなあ」と言った。彼らはそんなこと、実際にはしなかったようだが、仮にもそういうことを思いつくというのが、これまたよろしくない、けしからんことだ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・    
   
   
 野菜の値段が上がると、世間では嘆きの声もまた上がる。   
   
 世の中、トマトとレタスは毎日の食卓に欠かせない・毎日食べないと気が済まないという人が多くいるようで、そしてまた、一日でもそれを怠ればビタミン不足で病気になってしまうみたく感じている人もいそうな雰囲気だ。   
   
 筆者が子供の頃を振り返れば、トマトやレタスは夏場くらいしか食べなかったように記憶するし、ハウスものの、つまり季節はずれのトマトなどについてはちょっと馬鹿にするというか軽視するというか、そんな感じであった・・・つまり、トマトもレタスも、しばらく口にしないからといって健康を損ねるなんてことはあるまいになあ。   
   
 で、いまの若い人たちはホウレンソウ、コマツナ、山東白菜、春菊などなどの「おひたし」を、加熱調理しているから栄養価が低くなっている、生野菜よりも野暮な食べ物だ、みたく感じるせいか食べたがらない・・・ふうに見受ける。おかしなことだ。   
 生野菜を食べたい、でもレタスが高いなどと言うのならば、「玉ねぎスライス・わかめ・かつおぶし等々を組み合わせたサラダではダメなのかい? セロリは? オクラは? カイワレは? さっと茹でた豆苗・スプラウト類(オクラ・ブロッコリーなどの)では?」などと訊いてみたくなる・・・個人的には、オクラはさっと茹でたものを好むけど。   
 冷凍食品でも野菜・根菜類のものが多数あるようだし。   
   
 冒頭のは過去の写真の使いまわしでセロリの味噌炒め(茎も葉も)。ネット上にはレシピがたくさん紹介されているけれども、わりと大切なことは、調理中に換気を怠らないことだ(笑)。   
   
   
   
  To err is human; to forgive, divine.    
  To err is North Kxxean; never forgive that.     
   
 ・・・平和と、そして安心な日々を願う。   
   

雑記



   
 最近読んだものから・・・。   
   
 「ずるゆる」のほうは、タイトルを「勘違い読み」してはいけない・・・別に大富豪を目指すための本ということではない。仕事をこなす・仕事で成果をつかむために、また、会社や組織の中で上手に泳いでいくために、或いは、上手に生きていくにあたって、ヒントとなることが語られている。この本に書かれていることは、人みな、歳を重ねるごとに何となく身につけているものではあろうけど、いま一度自分に言い聞かせて行動の指針、考え方の軸などをリセットしたり、火照った頭を冷ますのに有益な内容になっていると言えるのではないか。   
 自分自身は、ビジネス書のなかでもこういう本や、ハウツー本のようなものを滅多には読みたがらない、どちらかと言えば学術的なもの、企業成長のヒント的なものを読みたがるが、しかし、この本はわりと楽しめた。   
   
   
 右側の新書については、第4章まで読み進むについて、人によっては少しばかり「興味薄!」、「自分の専門外なので、読むのがしんどい!」などと感じるかも知れない。しかし、それでも第5章だけは、著者の考え・提言を知るために読んでいただきたいものと思う・・・そして、「おわりに」の部分も。   
 しかし、著者が「良し」と考える制度・社会が現実化した場合には、「戸惑い」を覚える日本人も多く出て来そうな気もしなくはない。   
   

雑記



   
 有事、戦争状態、そして世界経済の混乱の可能性などが懸念される昨今・・・。    
 「そのような状況下でも、業績を伸ばしていけるばかりでなく株価もまた安泰な企業にはどういうものがあるだろうか」などと考えつつ、8月中旬の14日・18日には、ちょっとぶりに株式の買い付けを行なった・・・筆者、日ごろはラーメン批判などしていることもあるから、その罪滅ぼしに某有名ラーメン屋/ラーメン居酒屋の株式なども含めて(笑)。   
   
 しかし、やはり有事の際の株式相場の混乱には警戒したい・・・というわけで、8月末日には、これまでに取得していた銘柄のうち7つほどを利益確定売りする決断をした・・・警戒が叫ばれる「9月9日」までには間があるが、早めの対応も悪くあるまいと思った次第。   
   
 9月4日には株式相場は大きく値を下げた・・・ヤレヤレ。ホッとはしつつ、しかし、幾つかの銘柄はなお所有を続けたくもあるし・・・今後の相場動向が気になる。   
   
   
 世界の最迷惑国の今後の振る舞いが気に掛かる。この国について、そしてまたこの国の民族について、「威信、名誉、誇り、矜持をうんぬんする意味など無かろうに」と言いたくもある。そしてまた: 「ここでひとつ、良きことを教えて進ぜよう・・・それは、過去を水に流して心安らかになることも生きる知恵だということである。21世紀の今、過去へのこだわりから身軽になり、未来と将来に目を向けていただきたい。そして、自分たちの未来は自分たちで切り開いていただくこと当然であるが、ともかく、他国の、そして世界の平和と安定、繁栄を妨げるな、そのようなことをするのは邪(よこしま)なことであるし、そういうことでは国際社会の一員たる資格を欠くばかりか“劣等民族の国”とのレッテルを貼られても仕方ないのだぞ。今後は黙々と、自国の農業の発展や、平和的な技術・産業の発展に努められたし。やがて、またもや食糧支援の必要性など出て来ると周辺国も世界も迷惑である、よく胸に刻んでおかれよ」と伝えたいところではあるが、しかし、かの国はどこへ進もうとしているのか。   
   
   
 少し前、寝ていて夢を見ることがあった・・・。   
 新聞の1面には大見出しで「○○○でクーデター」とあった。さらにサブ的な見出しもあったがそちらにはどんな言葉が並んでいたかを覚えていない。このとき「おお!」と感じ、さてこれから先良い方向へ向かうのか悪い方向へ向かうのか、期待と不安の入り混じった複雑な感情を覚えたのである。   
 そしてまた、「日中韓政府は難民流入を警戒」との小さな見出しが見えた。そこで「うーむ」と唸ってしまった。   
   
 さて・・・上のような状況に至るなどして(或いは他のパターンでも)難民が出て彼らが向かう先は大陸内のどこかの地・どこかの国であろうと、われわれ日本人は警戒感も抱かずに構えていてよいのだろうか。   
 かの国の者たちは表向きは反日・反米の言葉を口にしても、実は日本への憧れを強く持っている者も少なくないとの話も聞く。たとえそうでなくても、「日々の食べ物にありつけるならば、別段どこの国でもよい、日本でもよい」くらいの気持ちを抱くかも知れない。すると、難民の一部は船・いかだ等を用いて日本へ向かって来るやも知れない。それにどう対処することになるのか心配だ。かの国を甘やかし、つけあがらせた責任がどこの国にあるのかを考えると、難民を引き受けるべき国は日本以外の幾つかの国であるべきとも思う。   
   
 この、彼らが難民化することに警戒する気持ちは以前からあったので、夢の内容にも反映されたのであろう。   
 難民化の懸念は人とも話したことがあって、相手は「受け入れて、人手不足に苦慮している業界で働いてもらうのはどうか、たとえば建設労働者や介護関係スタッフなどとして」と言ったが、スキル面ばかりでなく、根本的に難民受け入れが問題含みであると自分は思っているので、相手の意見には賛成できなかった。   
 現時点でも、行方をくらます技能実習生が多数いるではないか。見つけ出すことも容易ではない。GPS機能を利用して位置情報を把握するための装置を、入国時に人体に埋め込む等のことができればよろしいが、人権上の問題も含めてそれはかなわないことであろう。行方をくらました者については懸賞金を付けての情報提供制度などあってもよいのではないかと思う・・・人手不足になった農村部で農作業の手伝いをしながらひっそり暮らしているケースもあるかも知れず、そういう方面からの通報がしやすくなるようにJAや地域組織に協力を求めることもあってよいのではないか。   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 居酒屋などで一緒に飲んだあとに、相手が「もう1件、行きましょう。中国人のママがやっているスナックで面白いところがあるんですよ」と言い出すことがある。或いは、「・・・韓国人のママが・・・」という場合も。   
   
 こういう場面での異国人好き・異民族好きの感覚が、筆者には分からない。   
 そういう店に一緒に行ったことは何度もあるが、必ずと言ってよいほど居心地がよくなかったり不愉快になったり・・・。   
 「客をもてなすうえで、店の側は へりくだれ」などと言うつもりは無いのだけれども、何というか「このママさん、どうして客に向かってそんなに威張っているんだい?」とケチをつけたくなるようなことがあったり。ほか、カウンターやテーブルにボトルやグラスを置くときに乱暴に音を立てるなど、ガサツで所作に問題があったり。異なる文化・礼儀作法の中で育ったから仕方が無いのか、それとも、どちらかと言えばその者に固有の「育ちの悪さ」みたいなものの現れなのか。   
 ま、愉快な気分では飲めない。高級店であればまた違うのかなあ・・・でも、興味は湧かないけど。   
   
 そしてまた、これは正しいこと・事実であるかどうかは知らないが、中国人・韓国人には肝炎を患っている者やウィルスのキャリアーが多いと聞いたことがあって、ちょっと警戒する気持ちが働く・・・このうち韓国の場合は「酒の回し飲み」文化が背景/原因のひとつと聞いたが、その指摘が当たっているかどうかもまた分からない。(それゆえ、生活排水が流れ込む海で育つアサリでもハマグリでも牡蠣でもワカメ等々でも、国産のものにこだわりたく思うし、また、流通段階で産地偽装がされている可能性も皆無ではないのだし、しっかりとした加熱調理が望ましいと考えている(O(オー)157に対する警戒も兼ねて)・・・「牡蠣フライは、衣はカリッと、中の牡蠣は少しヒンヤリ感の残った半生が美味しい」と主張する人がおり、また、そういう調理の牡蠣フライはこれまでの人生で二度ほど食べる羽目になったことがあるけれども、フライの衣とのミスマッチ感など気持ち悪く、しっかり牡蠣の芯まで熱が通ったもののほうが美味しいと感じるし安心感もあるではないか。但し、牡蠣・岩牡蠣の生食が嫌いというのではない。)   
   
   
   
   
 (以下は、「よい子」の皆さんはお読みにならないで下さい。)   
   
 飲んだあと一人で歩いていたり、男ふたりで歩いていたりすると、中国人女性が「マッサージ、して行きませんか?」と声を掛けて来ることがある。向こうがしゃがんだ姿勢から声を掛けて来る場合はまだしも、こちらの顔のすぐ近くで話しかけられると、自分は咄嗟に顔をそむけ、また、口をぎゅっと結ぶ。   
 この様子を見ていた知人が「うわあ、露骨に嫌がりますねー(笑)、そんなに中国人が嫌いですか?」と言ったこともある。   
   
 中国人が嫌いというよりも、こちらの頭にこういうことが思い浮かぶのだ: 「中国人女性(本土出身の)で売春している者は、すべて病気持ち。空気感染するかどうかはともかくとして要警戒。くわばらくわばら」・・・この認識が正しいかどうかはともかく、昔、そのように言っていた知人がおり、自分にも警戒感が宿ってしまったのだ。   
   
 もちろん、ちゃんとしたマッサージの店(マッサージしか行なっていない店)の場合もあろうけど、そうでなく、売春が行なわれている店がある。   
 そんなイケナイ店が、或る居酒屋の近所にある。その居酒屋で幾度か顔を合わせたことある男性(推定年齢60歳くらい)によると、客引きしている女性と、店内スペースで売春する女性とは別で、基本としては役割分担がされているそうだ。客引きをする女性は、自分も何度も目にしているし声を掛けられたこともあるが、ルックス等それほどは悪くない。しかし、売春するほうの女性については「あまり」というよりも、かなりマイナス評価せざるをえないレベル(簡単に言うとブサイクということ)らしい。   
 で、その男性によれば、声を掛けられたときに「お姉さんが相手してくれるなら、いいよ。幾ら?(=別の女性でなく、あんたとヤリたいな。幾ら?)」ということで話をつければそのとおりになるとのこと。そうしないと、別の、マイナス評価な女性を相手にすることになる・・・ただ、その場合でも、相手には顔に新聞紙を載せて隠してもらうと気にならずに事を致せるとの話であった。   
 しかしなあ・・・新聞紙というアイデアが凄い、画期的に過ぎるではないか(笑)・・・が、そうまでしてこの種の買い物をしたいと思う男の気持ちを、やはり自分も男であるのに理解不能だ。   
   
   
 なお、病気に関しては・・・日本にやって来る中国人男性旅行客が性病をばらまいているとする問題指摘がある・・・「中国人観光客 日本 性病」で検索しても容易に接することが出来よう。困ったことだ。   
   

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

クラシカルな某

クラシカルな某

クラシック音楽好きです。