2016-11

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雑記



   
 まだ20代の若い頃、先輩の中年世代の人たちの中にはオフコン、パソコン、ワープロ専用機の類を扱えず、かつまた、習得しようともしない、そんな人たちもいた。   
   
 「技術進歩などに遅れてしまうという焦りを感じないのだろうか」と首をひねったのであったが、「自分でやらなくても・・・周囲の若い人や部下にやってもらえばよい」との悟りもあったのだろうか。そういう人たちの一部にとっては結局その悟りは正しくて、偉くなったために「自分でやらなくても、作るべき書類・書くべき内容を口頭で指示すれば済む立場の人」になっていった。   
   
 時代は移り・・・。   
 「パソコンでの文書作成、表計算ソフトやデータベースソフトの利用があまり上手でない」というか、はっきり言って「ヘタクソ」という若手世代が増えているように思える。   
 (自社・他社の財務分析その他の表において「○○比率 81.66237155 パーセント」などという数値を示していたりするのを見て、「普通は小数点以下1位か2位くらいで丸めて示しておくものだが・・・もしかして有効数字についての意識も低い人間かな?」とその辺を話しあってみたくなることも昔あったが、ま、これは性質の異なる問題である。)   
   
 今の若い人たちはもしかすると、パソコンでもスマホでも、その活用パターンとして、「既存の書式を修正する」、「既存の表計算フォーマットのデータを更新する」、「インターネット/社内データベース等の上に存在するものを閲覧する・ダウンロードする」、「インターネット通販を利用する」ということが中心になってしまい、そして、「自分が他者に対して説明・提案・説得などをし、あるいは指示を出す」という、そういう役割意識が薄れてしまっているのか。その種の役割意識がしっかりしていれば、パソコン等の活用についての感覚ももっと変化・向上していくであろうか・・・とすると、「仕事を任せきる」・「自力で完遂させる」等のことについて、上司・先輩の意識のあり方を再チェックすることもまた必要なのかも知れない。   
   
   
 これまた昔、「オジサン世代はどうしてああも芸能人の名前を記憶にとどめていないのだろうか」と疑問に思うことがあった。   
 しかし、その理由は、自分が中年世代になってみるとよく理解できるものとなった・・・。   
 次々と登場してくる芸能人などについて特に興味を持たなくなってしまうのであるなあ、少なくとも自分の場合には。そして、これは男性の場合によく見受けられることと思うのだが、女性が化粧や髪型を変えると、それが誰であるのかよく分からなくなってしまうことも多い・・・普段、「この人の目・鼻などなどのパーツはこういう形・具合」という観察も別にじっくり行なうことをしていないのではないか・・・いや、造形把握力という能力問題もあるやも知れないけど。   
   
   
 というわけで、テレビを前にして、中年オヤジは家族との間でこんな会話をしていたりしないだろうか?   
   
 「お、 賀 来 千 香 子、久しぶりに見るな」   
   
 「違うよ、この子は・・・ 宮 崎 あ お い 」   
   
   
   
 「お、 山 口 智 子 !」   
   
 「違うってば、これは、 石 原 さ と み 」   
   
   
   
 「あ、このグループは・・・えっと、 K G B ( カ ー ゲ ー ベ ー )だっけか?」   
   
 「 A K B 」   
   
 「アーカーベーって発音したりしないのか?」   
   
   
   
 「えっと、これは・・・談合坂サービスエリアじゃなくて、えっと」   
   
 「 乃 木 坂 」   
   
   
   
 ・・・みたいな会話は・・・さすがにあり得ぬな。   
   
   
   
 寒くなっていく季節・・・冬に楽しみたい味覚いろいろ。   
 ハタハタという魚は、一夜干しみたいなものを楽しむことが多いが、煮付けても美味しい。独特の「におい」が気になる人はレシピ・サイトなど参考にしてから調理するのがよろしかろうが、醤油風味で煮る場合には「おろしショウガ」、さらにはネギなどを加えるのもよろしいのである。   
   


雑記



   
 (↑)写真のDVDは、マゼール指揮NYPが某国の首都で公演したときのもの。この映像は来月発売の或るDVDセット商品にも収録されるからであろうか、こちら単品のDVDをようやくにして格安購入することが出来た(残念ながらマゼールのファンではないため、これまでは特に買う気にはなれなかったのだ)。   
 もちろん音楽鑑賞の対象としても考えたわけではあるが、一種の歴史資料その他として観ておきたいような気持ちがあった。コンサートが実現するにはそれ相応に経済的・金銭的負担も要したわけだが、それがどう役立ったのかという評価は難しいものがある。今日に至ってはこの某国はミサイルまで発射しているし。  
   
 「音楽は人々に勇気を与える・国境を越える・平和をつなぐ」とか「スポーツは人々に勇気を与える」等の言葉について、それがウソだとまでは言わないが、どこか大袈裟とか、胡散臭いとか、欺瞞があるなどと考えてしまう筆者なのである。   
 ザルツブルク音楽祭は、或いはバイロイト音楽祭は100年後にも続いているか?・・・「続いていて欲しい」とは思うけれども、「続いていない、無くなってしまうという事態に至っても驚かないだろうな。そういう事態を自分は受け入れられるであろう」と考える音楽ファンは多いと思う。ところが、オリンピック・パラリンピックは100年後にも続いていると思うかどうかとなると、大抵の人たちはイエスと答えることであろう・・・この、オリンピック等が未来永劫続くイベントである、そうあるべきと考えることは、筆者からすると「固定観念にとらわれている状況」なのである。オリンピック等は神聖である、長い歴史があってそれを絶やしてはいけない、絶対の必要物である、盛大なイベントとしなくてはいけないと思い込むものだから予算も膨らみやすく・・・ま、筆者としては「生まれる経済効果」のほうに価値を見出す・・・話が脱線してしまった。   
   
 上のDVDで・・・聴衆には外国人の姿も見受けられるが、それ以外の、つまり某国の国民である聴衆のそれぞれの階層、職業、家庭環境・生活レベルなど気になるところである。地理的な面も含め、やはり「限られた人たち」しかこのコンサートを聴く機会には恵まれなかっかものと想像するが。   
 演奏中に退屈した顔を浮かべる聴衆も見られたりする。もうあと少し拍手が遅めに出てもよいのになと思えるところもあったが、「トンデモ・フライング・ブラボー」のようなものも無く、マナーは良好と感じられた。   
   
   
 コンサート映像のほかに、ドキュメンタリーとして現地マスタークラスでNYPメンバーが指導する様子など少し紹介されているが・・・インタビューで学生に向かって「ジュリアード音楽院を知ってますか?」と尋ねたところで、その学生の向こうにいる男性が振り返り、会話のやりとり・成り行きを気にしているような様子が見受けられ、そこが印象的であった・・・海外留学などは亡命につながる可能性もあろうからその辺りに危惧・不安を覚えたのであろうか・・・しかし、インタビューされた学生の側は全くもって模範的な受け答えをするのであった。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
   
 暗殺された大統領の娘がやがて自身も大統領になったところが、しかし、その彼女もまた暗殺されるという「数奇な運命」というものがこの世にはあったりはせぬか・・・予感というのでなく、しかし、そういう可能性も考えておくべきであると筆者は思い続けて来た。そのとき、日本が拠出したカネに対応する、「像」撤去の問題、「今後は蒸し返さない」との約束はどうなるのか、あるいは、撤去について「努力」以上のもっと踏み込んだ対応を約束させることは出来ぬのか等の懸念もあった。   
 暗殺という物騒な事態には至っていないが、日本との約束がひっくり返される懸念は増したとは言えようか。   
   
   
 某大国の、その政権の頂点に立つ者とて、何かの理由で失脚する可能性が無いとは言えまい。そのとき、経済協力とセットで日本が寄せた期待はどうなってしまうのだろうか? 島はちゃんと戻って来るのか?   
   
 ・・・などなどの不安を、どうすればよいのだろう。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 酒が入っていようとシラフであろうと、相手が年上であろうと年下であろうと、自分の管轄外・専門外のテーマについても以前は真面目に議論を交わすこととしていた。但し、軽めにというか、熱くならない程度に。   
   
 しかし、最近は、何かを尋ねられたりしたときなどに「うーん・・・そうだなあ、それは難しいなあ/簡単なことではないなあ」などと応じて、こちらの考えていることを言わないようになっている。   
 どうも昔から、自分が何かを発言すると、それを相手が納得して、こちらの意見どおりに事が進んでしまうことが多い。それを、かつては嬉しいことと感じ、また、得意にも感じていたが、最近は「怖いことかも知れない=大事な問題については、その結果や顛末について当方が責任をとれるわけでないし」とか「こちらの先入観や固定観念、古い感覚を押し付けることになって、世の中の、或いは社内の変革を妨げることになるやも知れない」などと危惧するわけである。(とはいえ、「変革」はことごとく善であるとも思っていないが。)   
   
   
 ビジネス(商売・交渉)関連のことはおいておき・・・。そう、たとえば人事・労務関連の事柄はこれまた専門外である。しかしながら、そういう部門の人からこんな話題を振られる:   
   
 「公平な採用って、改めて考えてみて、どういうことでしょうね?」   
   
 「残業時間を減らすための新たな施策として何が考えられるか?」   
   
 「有給休暇の取得推進、育児や介護のための休業をしやすくするために、さらに何をすべきか?」   
   
   
 いずれに対しても、言いたいことはあるのだが、これらのテーマに関しては、参考にならないような答えとか、もしくは解決策と呼べないこと(反対のこと)を述べてしまうであろうから、「うーん、難しいねえ」などと言って結局は口をつぐんでしまうのが最近のことなのである。   
   
   
 「公平な採用」とは、応募者に対し、「不公平な採用をしているな、そのせいで自分は不採用になった」と思わせない程度のことでよろしいのではないかと、筆者は考えている。   
 「そんな軽い考え方では通用しないよ」との意見もあろうけど、少なくとも筆者の考え方は上のような具合である。   
   
 たとえば、応募者2名のうち1名を採用しようとする。ともに成績その他に優劣をつけがたいとする。履歴書やエントリーシートの「趣味・特技」欄について、片方の者は「読書、映画鑑賞、楽器演奏」と記入しており、もう片方の者は「競馬、競艇、競輪、パチンコ、マージャン」と記入していたとする。この場合、筆者が採用責任者であれば前者を採用しようとするであろう。これは、ギャンブル等に対して筆者がマイナス・イメージを持っているからで、たとえそれを偏見と言われようと、やはり仕方の無いことであろうと思う。不採用になった者に対し、「不採用になったのはこういう理由からです」と説明する必要も無かろうし、10人の採用枠に300人応募などというケースでその種の不採用理由の説明などしていられまい。   
   
 昔、或る業界に関しては、親が「持ち家」でないとその子息を採用することはないとの噂があった。賃貸物件に暮らす親の子供は採用してもらえないということになる。これを「親の社会的地位や財産に基づいた差別である」と批判する人もいたが、しかし、その業界では仕事上、ひとりひとりの社員が多額の現金その他を扱うわけで、横領や詐取その他の不正が起きたときには弁済・弁償させる金額もまた大きくなりがちなのである・・・懲戒免職とするか、退職金支給するものとしてそれを弁済に充てさせるか、刑事告発するか等々の検討と同時に、親には「場合によっては家を売ってでも弁済」という協力をしてもらわないといけない。人の採用についても安全を図ることがその企業の、そして、さらにはその株主の利益・安心につながるのではないか。   
   
 「コネ採用/縁故採用はよろしくない」との意見もあるが、一概にそのようには思っていない。ただ、筆者自身、コネによって入社することを嫌悪していたから、コネ入社した者から「自分がどれだけ偉い人・有力者と縁を持っているか」を自慢されたときには心底ムッとなることもあったが。   
   
 「コネ入社組は、就職の世話をしてくれた人の顔を潰すわけにはいかないから、仕事で辛い思いをしても辞めにくい。不人気な土地・支店などへ配属・転勤させやすい」との説が昔はあって、学生時代にそれを聞いていた自分は「コネがあれば優待切符を得たも同然」などとは決して思わなかった。   
 何が何でも営業職を避け、事務職で生きていきたいと思っていた。「営業職=転勤に次ぐ転勤」という先入観を持っていたこと、自分の性格・精神構造と営業ノルマとの折り合いの付け方は難しそうだという予感があったこと、そして、企業では、その中枢部分に属するか、それに近いところに居ないと、経営が傾き始めたのをいち早く察知できない、何らかの経理不正・粉飾など行なわれているのも見抜きにくいと考えていた(沈む船からサッサと逃げるような真似をしないにしても、危険や問題点は早くに知らないと、改善その他、手を打つことも出来なくなってしまう)。   
   
 大学の先輩(卒業生)の「うちの会社はコネ入社組ばかり=そのぶん普通に応募する者にとってはさらに“狭き門”」とか、「うちの会社は仕事がきつい(長時間労働)、体力自慢だった俺ですらきつい。お前、うちには絶対に来るな」等々の話を聞き(後者の企業ではその後、過労による死者も出た)、さて、策を考えて早めに企業に接触を試み(まだ昭和のことであるから手書きの手紙を送った)、3年生の3月には企業から「いまの時期だとゆっくり話が出来ますから、堅苦しく考えずに、いちど遊びに来ませんか、お昼など一緒に食べましょう」という電話を貰うなどして幾つもの会社を訪れるようになった。   
 あの当時お会いしてくださった方々からは「事務職希望というように、若いうちから自分の可能性を狭めてはいけません。営業という仕事は深いものがあります。営業のスタイルは色々で、人それぞれに成功の仕方があるのです。見たところ、あなたもちゃんと大丈夫ですよ。うちの会社では採用後、皆が営業職に配属されます」と言われることもあったが、それでもしかし諦めず各社訪問・・・すると、事務系部門への配属を約束のうえで内定を出してもよいと言ってくれた企業があったから(そういう約束をしてくれるところは珍しかったであろう)、「よし、これで折り合いをつけるのが大人というものではあるまいか。人間、生きて、そしてやがて死んでいくもの・・・不本意と感じない道で生きていくのが幸せというか精神衛生上もよろしかろう」と考えて、志望順位としては第6希望か第8志望くらいであったその会社のお世話になることとし、そして、今に至る・・・歳月の過ぎるのは早いものでもう後期中年オヤジになってしまった(笑)。   
   
 「文系学生の場合、本心では事務職を希望していながらも、営業職希望とアピールしたほうがほんの少しばかりであっても内定を得やすいと考えてそのようにするケースが多いのではないか。実際に営業配属が決まると気落ちする新入社員も見受けられる。困ったものだ」との意見を人事部の人から聞いたこともある。   
 そうなのか? 営業職を熱望していたのに経理・総務などの事務部門へ配属が決まったときに「ショックで目の前が暗くなった」みたくこぼした若者なら何人か知ってはいるが(笑)。   
   
   
   
 長時間残業是正問題についてなどは、自分が意見を述べるとしたらどの程度が適当なのか大いに迷う。   
 というのも、「若手の、20代はもちろん、30代前半くらいまでであれば、月間100時間残業くらい出来るだろう」というのが筆者の本心だからである。たとえば1日5時間残業として、それでも終電には間に合うレベルであろう。それを連日やると月間でもう100時間に達してしまうのである、これを果たしてハードとまで言えるのか。ときには午前零時を過ぎるとか、徹夜のこともありえよう。土日が休みであるとして、土曜だけは月に4、5回の休日出勤をするとすれば、残業時間はもっともっと増える。   
 それこそごく一部の企業を除いては、新入社員でも20代社員でも給与の額は低く抑えられている。稼がせるためにも残業が必要と筆者などは考える・・・それなりに稼ぐ・蓄えるようになると、おのずと「自分も従業員持株会に入ろうかな、それ以外の一般的な株式投資もやってみようかな、ゴールドの積立もしてみようかな」などという気持ちが醸成されるようになるし、それは好ましいことだと、少なくとも筆者は考える。   
 なお、サービス残業は絶対にダメというのが筆者の考えである。たとえ残業時間がほどほどであったとしてもサービス残業があるとすればそれはブラック企業もしくはグレー企業ではあるまいか。しかし、残業時間が多くても36協定と整合をとりつつ、また、キッチリと残業手当を支給していれば、ブラック企業ではないというのが筆者の個人的な肌感覚である。   
 人員に余裕を持たせて残業時間を減らすという策については、そのあんばいをよく考える必要がある。筆者などは若い頃から「仮に自分が窓際族・余剰人員になってしまったらどうしようか」という漠然とした不安を持っていたし、また「会社の業績悪化のときに首キリが行なわれるよりも、厳しい環境下でもやっていけるように従業員数を絞っておくことが結局は安心、残業が多いことをこぼしてはいけない」などと考えて生きて来た。世間でリストラがあれだけ行なわれ、そういうものを目にしていながらも、今、安易に「人員のゆとり」を求める声があがるのをちょっと心配に眺めている(「仕事の効率性」を求めることはよろしいが)。   
   
 「体を壊してからその後に復職するときの安心」も、心の支えとして必要であろう・・・「復職したときに、場合によっては配置替えしてもらえるのに適当な、残業も殆ど無く定時で帰れる職場」も用意されているかどうかは、思い切り働くうえで意外と重要ではあるまいかと考える。   
   



雑記



   
 しばらく前のこと、20代半ばと思われる若手サラリーマン2人が喋っていて・・・。   
 片方の男がこう言っていた:   
   
 「最近、すごくタメになることを教わった。“他人は他人、自分は自分”ってこと。生き方とかがガラリと変わりそうなほどで云々」   
   
   
 「他人は他人、自分は自分」という、そんな基本的な教え・考え方は、ふつうは小学校低学年くらいまでには身につけているものではあるまいか。学校や社会のルールとか、団体行動の場合の自分のあり方とか、道徳的規範とか、そういうものでは逸脱することがあってはなるまいけれども、自分自身の生き方とか、進路、人生航路その他、個々人が自分オリジナルのものをチョイスしていくうえで、「他人は他人、自分は自分」ということは基本中の基本と言えるものであろうし、常日頃「自分は自分」との自覚を置き去りにしていたとしたなら、いったい彼はこれまでの人生をどう歩んできたのだろうと、とても疑問を覚えてしまった。   
   
 「皆と同じに。多数派に属するように」と考えていたら、クラヲタなどという者も存在しえぬではないか(笑)   
   
   
 ところで、最近、筆者自身、「他人は他人、自分は自分なんだな」と、悟るというのとは違って、気づいたことがあった。   
 音声入力で文章作成するにあたって、他の人が使っているシステムやマイクなども参考にしていたのであるが、どうもやはり個々人の声の周波数帯域、声質、発声時の声量・音圧の揺れ具合や、その他の諸々の要因によって、人それぞれに合う/適したシステム、ハードウェア用品というものがあるように思えた。   
   
 如何にスピーディ・効率的に文章作成するか・・・それはやはり革命的なほどにスピーディ・効率的でないと面白くないではないか。試行錯誤はまだ続きそうである。   
   

(負の数)×(負の数)=(正の数)、(モヤモヤ)×(不透明)=(突き抜けるような青空)?



   
 英国の、EU離脱をめぐる国民投票については、その投票結果について予想が的中した。あのとき、株価の急落に慌てた人たちも少なくなかったと思えるが、対処済みであった自分は「この急落時こそ“買い”のタイミング。不透明感が長く続きはしようが、しかし、世の中の状況が急速に悪くなるわけでもないし、ヨーロッパからの影響がすぐには及ばない銘柄である限りは安心して買っていける」と見込んでそのようにした。   
 長期保有に向いた銘柄を中心に選んだのであったが、その後、よろしきあんばいに値上がりもし、結局はあれもこれもと売却し、保有銘柄・保有株数はグンと減ってしまった。利益を得るという点では満足いくものではありながらも、しかし、「カネを休ませている/遊ばせている(金利だって低いこの時代に!)」という状況は寂しくもあり、心を落ち着かなくさせる。   
   
 というわけで「良さそうな銘柄を再び選び出す」ということをしながら、それらの株価の下がるタイミングを待っていたのであるが、やはり優良な企業のものはなかなか下がらず、むしろ安定的に株価は上がっていき・・・買いタイミングをつかめないで来た。   
 「安いときに買う、それが鉄則ではないか!」と、はやる心を抑えて待った。   
   
 「米国の大統領選でトランプ氏が選ばれることになれば、そのとき株式市場にはショックが走るであろう、そこが大チャンス」と、自分の中で期待は高まっていた。   
 しばらく前からテレビでは「大統領選も近づきました・・・云々・・・ここで、両候補のこれまでの演説など振り返ってみましょう」などということをやっていた。それを見ていて、トランプ氏について自分が抱いている印象が変化していることを改めて認識させられた。   
 以前はトランプ氏について「うおっ、とんでもないことを平気で言い放つ人物だな」と、日本や日本経済への影響、アメリカの社会・政治に与えるインパクトに警戒と不安を覚え、そしてまた「こういう人、好きじゃないな」とも思ったのであるが、ここ最近はむしろ「選挙票を得るために人々の不満をあぶりだして代弁するみたいな戦略でもあろうけど、しかし、ともかく、これだけ自由に言ってのけるのは大したものだな」と、感心もしたのである。「言ってはいけないこと」等々を堂々と言うという、その、「優等生、模範的人物、お利口さん、世評に対して神経過敏な人」でない姿に、一言では表現しにくい魅力を覚えるに至った。   
 筆者などは「マナーの悪い外国人旅行者には、べつだん日本好きになってくれなくてもよいし、リピーターになってくれなくて結構」とか、「いくらお客様は神様、たくさん買い物してくれるのが上客と考えようと、マナーの悪い客に注意もしないデパートやスーパーやドラッグストアについては、俺は今後はその店で買い物しないからなって気分になる」とか、「日本での旅行の記念にと、家族揃っての写真を撮って欲しいと近寄って来た外国人旅行者がいたが、俺はあの人種が嫌いだから首を横に振って通り過ぎた。べつに日本で良い思い出をつくってくれなくても結構。もちろん東京オリンピックのときにも来て欲しくない」、「技能実習生として来日したあとに行方をくらます不法滞在外国人について、一般人から通報を寄せてもらう有効手段は研究すれば必ずある筈。彼らはやがて低賃金・劣悪待遇で働きながら隠れ住み続けることとなり、日本社会への不満分子となる・犯罪者予備軍ともなる危険な存在である、いくばくかの報奨金を設定してでも通報制度を活用し、とにかく摘発、本国への送還などが為されることが必要である。そも彼らには合法的に稼いだあと/用が済んだら帰国してもらわないといけない」等々の発言をしているが、これに類したこと、あるいはそれ以上に過激な言葉を、しかるべき立場の人が発するというのはなかなか容易なことではあるまい・・・。   
   
 新しい大統領が、本心として日本や日本人・日本企業のことをどう思っているか、また、今後の米国政治、日米関係がどうなっていくか等の不安もありはするが、共和党、そして大統領のブレーンがどういう働きかけをするか等のこともあり、そんなにムチャクチャな突っ走り方をしないのではないかという気もするのである。また、「ビジネスの世界で生きてきた・鍛えられてきた人、その方面でのセンスが培われている人」であることに魅力を感じる・・・しかし、これは同時に、そういうキャリアを持つ有力政治家がいない日本について心配してしまうことにもつながるけれども。新大統領が強いアメリカを目指すことが「閉鎖的なアメリカ」の面を持つ可能性もあろうが、繁栄の恩恵が日本企業にも巡ってくる可能性もまた否定できまい。   
   
 デフレ脱却できていない日本、モヤモヤと閉塞感すらある日本、そして、政策が不透明な新大統領・・・それらがやがて、どのような相乗効果を生むかは分からないものの、もしかしたら明るい将来へとつながっていくかも知れないではないか。先々のことは分からないものだ。   
   
   
 大統領選挙の開票が進むにつれ日本の株式市場は大荒れして急落した。「チャンス!」と思い、昼休み、12時半から物色し・・・最初は「あれ? この銘柄、むしろ昨日より上がっているではないか」とか「先日の業績予想からすればただでさえもっと下げていて欲しかったのに、まだこれしか下がってないのかよ」というものもあったが、幾つかの銘柄は納得できる株価水準で買うことができた。   
 銘柄選びに時間の余裕がなかったので、当初の心積もりより多い株数を買ってしまったものもあって、それについては値を戻した(上がった)翌日(つまり本日)に一部を売って保有量を減らした(それらについては約定ベースでも受渡日ベースでもわずか1日保有ということになるが)・・・「昨日に買えなかった他の銘柄も買おう」との思惑もあったが、株価がしっかり戻ってしまっていて諦めた、というか、冷静な心で控えた。   
 今回も「長期保有に適した銘柄」に徹した買い物をしたけれども、もしかするとまた短期に売るかも知れない。   
 今年はもうこれほど大きなチャンスや株価乱高下は見られないのだろうか? いや、乱高下の機会はたくさんあるものと想像する・・・ただ、今後は、下落した場合に株価が戻るまでに少し日数がかかるようになってくるのだろうか? 警戒しつつも、同時にまた、ワクワク感もあることを否定できない。   
   
   
   
 気分としてベートーヴェンのピアノ・コンチェルト「皇帝」が聴きたくなったし、それからまた、いつもはなかなか聴こうとしないベートーヴェンの「第九」も、と思い立った。   
   
 冒頭の写真は、グルダ/セル/VPOのライヴで「皇帝」、ブルックナー第3番、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、ウォルトン作曲「ヒンデミットの・・・」が収録されたDVDと、そして、セル/ニュー・フィルハーモニア管のライヴでベートーヴェン第8番・第9番のCD。   
 いずれも約50年前の演奏記録で音声もモノラル(DVDの映像はモノクロ)ではあるが、演奏が素晴らしい。   
   
 「皇帝」についてはDVDとCDのセット商品の形で Andante レーベルからリリースされたこともあってそれも持っているが、しかし、その商品も、そして写真のDVDも、現在ではどうも廃盤になってしまったようで残念である。   
   
 たとえばこの「皇帝」とか、あるいは、うーん、チェコ・フィルとのライヴ(ルツェルン)でのドヴォルザーク第8番などは、それらの曲の正規セッション・レコーディング(ソニーやEMIから発売されている)を上回るかも知れない魅力を有しており、セル・ファン必携と評しても過言ではないように思う。   
   


雑記



   
 パソコン内のHDDが異音を発するようになったときは安全のため早めに新しいHDDと入れ替えるし(換装)、また、パソコンを廃棄処分するときにはセキュリティを考えてHDDを外してしまう。そういうHDDが幾つかたまったので自分で破壊処分することに・・・。   
   
 「パソコンをHDD付きで下取りしてもらえば得だよ」との考え方もあろうけど、筆者、そういうことはしない。HDDにデータ上書きしてそれ以前の記録内容が読まれないようにするソフトもありはするが、心のどこかで安全性への不安が拭えず、また、そのようなソフトを稼動させて作業する時間(待機・見守り時間)もムダのように感じてしまうのである。   
   
   
 HDDのケースに使われているネジを1つ外し(特殊な形のドライバーが必要ではある)、そして、軸が長めのマイナス・ドライバーなどでケースの端からめくりあげ、それを折り曲げたり戻したりして切り離す。その後、HDD内の円盤(ガラス製など)を破壊する。   
 円盤を破壊するときには破片が飛び散りやすい。ゆえに、「HDDのケースのネジを全部外してケースをきれいに外してから円盤を破壊する」という仕方はデメリットが大きい。また、残ったケース端を「てこ」にしてドライバーで円盤を破壊するので、ドライバー軸は長めのほうがよい。   
 軍手や、厚手のビニール手袋などをすること。軍手の場合、その繊維に円盤の細かい破片が紛れ込んだりすると後になってケガをしたりもするので、軍手の上にさらにポリ袋などを重ねるとよい。   
 円盤を割る作業は、厚手のビニール袋の中などで(コメの入っているビニール袋などを利用してもよい)。   
   
 ゴミ出しの折りは、市区町村などの分別基準に従うこと。そしてまた、収集作業などにあたる人がケガをしないよう、先ずは新聞紙や広告チラシに包み、それを厚紙で出来た箱などに収めて注意書きもしておくこと。   
   
   
 ちなみに、古くなったUSBメモリなどは庭で燃やして処分するのが筆者流。   
   
   
 いずれも、大して時間がかからない。それも大事なことだと思っている。   
   

セルの新譜



   
 クリスマス・ソングの類を、セル/クリーヴランド管もやはりレコーディングしたことがある。このたび、めでたくも、その3曲が揃ってCDに収録・発売されることになった。   
   
 タワレコ企画のCD3枚組商品で、それはオーマンディやフィラデルフィア管のファンのための商品と言えようが、しかし、その片隅にセルの振ったクリスマス・ソングもまたカップリングされるのである。12月14日発売とのことで、クリスマスにはしっかりと間に合う:      
   
  http://tower.jp/article/feature_item/2016/10/31/1101   
   
   
 冒頭の写真のうち左の3つは、過去においてセル指揮によるクリスマス・ソングが収録されたことのあるCDやカセットテープの商品。ほかにまた、アナログ盤に収録されたこともあった。   
 右のグラモフォン・レーベルのCDはフォン・オッターが歌ったクリスマス・アルバムみたいなもので当然ながらセルとは無関係であるけれども、これまた聴いて心地よろしきものである。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 下の写真は、11月1日に発売された18円切手のシート。   
   
 世の中、どうして18円切手などという半端な額面の切手が必要なのか? ・・・海外に暮らす日本人などに向けて、クリスマス・カードのようなものを利用するのでなく、やはり52円額面の年賀状を送ろうとする場合に、海外向けハガキ郵送料70円に合わせるために差額18円の切手があると便利・合理的だからである。   
   
 切手類を写真で紹介する場合、或る程度はモザイクなどでボカす必要があるかと思われるためそうしたが、切手デザインは「ざる蕎麦(そば)」および「親子丼」の2種のイラスト。少し愉快であるが、海外在住の日本人にしてみると「うっ・・・食いてえなあ・・・この気持ちをどうしてくれる!」みたいな思いに駆られるかも知れない?   
   



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