2016-07

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雑記

   
 幾つものアパート経営をされている方の、そのプランの手伝いを昔からしているのだが、「今度は、あそこに持っている土地に更にもう1棟を」というアバウトな計画が生まれてから随分になる。   
   
 筆者は、「今度の計画はちょっと見合わせたほうがよいのでは。立地面で経営・採算性がむずかしそうな気がしないでもないし。いや、もう、べつに欲張らなくても」と感じ、そういう趣旨の助言めいたことを口にしたこともあるのだが、本人は強気なのであった。   
 建設会社への見積依頼などはこれまでどおり筆者から行なったのであるが、A社もB社も忙しがっていてなかなかプラン・見積書を出して寄越さなかった・・・東京をはじめとして世間では賃貸アパート建設ブームっぽいものがあって実際のところ多忙であろうし、零細案件になど付き合っていられないのだろう。   
 しびれを切らした本人からは「それならば、以前に接触したこともあったC社に見積依頼をしてみてはどうか」と言われたのであるが、自分としては、過去の工事案件でC社から出された見積書において不誠実と感じさせられるところがあったために発注を見合わせることがあったし、今回についてもやはり乗り気になれず・・・また、タイミング的に夏場の工事現場見回りということになってそれをおおせつかるのもイヤだなと思え・・・人によっては「何も、施主(発注者・建築主)サイドが見回らなくても」という見方もしようけど、ご近所迷惑となるようなな工事進行/休憩時間の過ごし方/工事関係車両の駐車方法などのケースは少なくなく、それが結局は施主の評判を落としかねず、筆者はそこを懸念するのだ(昔のきちんとした大工さん・職人さんその他と同じような行動・作法を今の若い人に期待しても、ガックリくるほど裏切られることがある)。   
   
 本人への説得をあきらめずにいた甲斐があって、ようやく、追加的なアパート建設プランを諦めてもらうに至った・・・それに加えて、「よい値で売れそうなこの土地を今のうちに手放してしまうのも選択肢であるかも知れない」との、思いつきでしたアドヴァイスも受け入れてくれてその売却話もすばやく進行し、事は完了・完結した。   
 ああ、これで、新規のアパート計画のチェックも、地鎮祭への同席とか工事現場の見回りなどもせずに済む・・・少なくともしばらくの間はそういうことに付き合わされることはあるまい、ホッとしている(笑)。   
   
   
   
 東京はオリンピック招致にしっかり反対する人があまり多くなかったせいで招致・開催も決まり、そうしてオリンピック関連施設の建設のことばかりでなく、影響を受けて一般的な都市再開発の勢いも増しているように思える。   
 オリンピック開催を喜ぶ人が多いけれども、地価は上昇をたどり、そして固定資産税(や都市計画税)も上昇傾向が続くのではないか。その固定資産税の上昇分はまた賃貸物件の家賃にも転嫁されていくことであろう。   
 各種建物の工事案件が多くなっている現状は景気を支えるうえで極めて有益であるが、そうなっていなかった場合に比して、建築資材や工事関係人件費から影響を受けうる建物価格、また新築建物に関わる固定資産税にどう影響が出ているか/出て来るかにも注意を向けたいところである。   
 オリンピック開催によって東京の(あるいはその他の地域においても)「住まいコスト」が上昇していく可能性には目配りが必要と言えるのではないか。   
 もちろん、逆の可能性、あるいは、「あまり変わらず」の状況になる可能性がないわけではない・・・たとえば賃貸物件の建設ラッシュや、また、築年数がずいぶんになる物件や老朽化物件、不人気エリアの物件の増加で賃料は全体平均では下落するとかのことだってありえなくはない。   
   
 上のような問題についてのシミュレーションは、業界関係者は当然に行なっているだろうけれども、部外者・一般人にとっても興味深いものがある。   
   
   
 都知事選では「東京の子育て環境をもっとよくしなくては・・・長時間労働を抑制して子育てしやすい状況を・・・子供を生み育てやすい環境を・・・そして保育士の確保のためにその処遇アップを」などという主張が見受けられるが、状況の推移によっては「ちょっとくらい給料を上げてもらっても、家賃上昇・住宅価格上昇で生活は少しも良くなっていない」との感想に至り、結局は何も改善されなくてムダな工夫に終わるかも知れない(但し、オリンピック開催賛成派だった人はこのように不平を言う資格はない・・・それによる地価上昇は当然に予期されたものだったからである)。   
 それならば・・・。筆者などは昔から今に至るまでおおむね次のように考える: 「東京では、人は子供を生み育てなくてもよいではないか。東京が魅力的な都市であり続けるならば、たとえば渋谷などのように次々と地方から若い世代がやって来る。子供を持てるのは地方の人の特権でよいではないか・・・そういう子供たちを呼び込むことを東京は考えるべきである・・・他方、地方は“若者を東京へ持っていかれないようにせねば”と工夫をして対抗するという構図(笑)。東京人は子供を持たないぶん企業人などとして燃えて生きる・・・そのあとに寂しくこの世を去っていくことはトータルの人生でバランスがとれることではないか・・・それもまたよし・・・子供がいたとて、それは思い通りに育ってくれないものだから(バカ息子・バカ娘・親不孝者に育つかも知れぬから)“子ナシは不幸”と決まったものではない」と考えてきた・・・幸いの偶然か、いわゆる「ふるさと納税」も少しずつ定着・利用増へと向かっているであろうし、その中には地方での子育て支援に回るカネもある。東京において介護その他での人手が不足するならば、素行の悪くなさそうな外国人を見定めたうえで受け入れ、そのスキルアップ策を早めに進めてはどうかと思ったりもする。   
 ま、出生率の上昇を図ろうといろいろやっても、ほとんど無理ではないかと思えるのだが。(ただ、職業軍人にならないにしても、有事の際の国防要員として「日本人の人口」は確保される必要があるし(傭兵という制度ではむずかしかろう)、人口問題への取り組みは簡単に諦めるわけにはいかない。      
   

雑記

   
 前回ブログ記事に於ける架空スマホ・アプリの2つめのもののアイデア(?)は、あの大ヒットのゲーム・アプリによって、遊びに夢中になって電車の踏切で警報が鳴り始めているのにそこから退避するのが遅れてしまうような子供、河川敷から川の濁流に飲み込まれてしまう人、農業用水路に落ちてしまう子供などが出てしまわないかという筆者の(過剰とも言えそうな)心配性をひねってみたところから生まれて来たものなのである。   
   
 しかし、この心配は当たらないかも知れない・・・かな。   
 偶然のことからピカチュウを知っていてそれを「かわいい」と思っている筆者ではあるが、でもゲームには興味が無いものだから今回のアメリカでのヒットや騒動もつい最近知ったばかりなのであるが、その後の数日くらいの間に上のような懸念点・不安点を思いついたわけである・・・しかるに、このゲームを提供している企業の側はそれの何倍、何十倍の時間的余裕をもって諸々の、ゲーム/遊びの間に起こりうる危険やアクシデントの可能性を想定しているに違いないのである(わざわざ言うまでもなく)・・・そのうえでゲーム配信しているということは、安全などの面で問題は無かろうとの判断があったに違いあるまい(多少の危険や社会問題はビジネスにおけるプロフィットとの関係では無視しておこうとの非倫理的判断など決して無かった筈なのである、いや、そんなことがあってはいけない)。   
 日本の市街地その他ではたとえばアメリカなどとは比べものにならないほどの踏切事故の可能性があろうと想像する・・・でも、そんなことはもう勿論お見通しのうえで「配信して大丈夫」と考えたのであろう。うむ、だから、きっと痛ましい事故など起こりえない、そう信じたい。   
   
   
   
 中学生くらいまでならともかく、まともな大人であれば真夏の昼間であっても襟ナシの衣類(Tシャツなど)で外をうろつくのは近所のコンビニまでアイスクリームでも買いに行くときくらいと思うのだが、そういう場合であれば、家とコンビニとの間を直行往復する筈で、寄り道みたくして自分とは無関係の他人の私有地や駐車場に踏み入るなどのことはしないもの・・・であろう。   
 が、今日はまたしても、そういう反則的行動に出ようとしている不審人物を見かけてしまった・・・手にしたスマホに、普通以上に真剣に見入ってもいた・・・あのゲームをしていたのか、それは分からない。こういう輩はアブナイな、何かの出来心で車上荒らし・空き巣狙いなどに発展しかねないと思えたので(人相も悪かったし)、こちらは立ち止まって、むこうが立ち去るまでじっと見ていることにした・・・むこうが頑張るものだからたぶん2分くらいもじっと見守ることになってしまった(笑)・・・むこうに何かそれなりの理由があるならあのようにモジモジとしてその場に居続けるのはおかしいのである(速やかに、何を迷うこともなく目的とする“正当な”行動(家を訪問する等)に移ればよいだけのことだ)。   
 アメリカではゲーム遊びの最中に誤解されて銃で撃たれた人がいるというが、或る意味で仕方ないことのように思える。日本では銃の所持が(普通には)認められていないが、いろいろな形での防犯アラームなど対策が必要になって来るかも知れない・・・理由なく他人の土地などに入って来ることがまかりとおるような、そういう感覚マヒが蔓延してはいけない。   
   

Governor Pence was hence nominated...

   
 (↑)タイトルに特に意味は無い・・・。   
   
   
   
 速報・・・ス マ ホ ・ ア プ リ 人 気 ラ ン キ ン グ :   
   
   
第1位 「 激マズ・アラート Ver. 4.2 」   
   
 要するに「この飲食店の料理はクソ不味いから要注意」のアラームが発せられるアプリ。GPS機能を利用しており、問題のありそうな飲食店の前にたたずむとブザー音およびバイブレーションにより警告。   
 飲食店が何軒も入居しているビルなどにも対応しており、この場合にディスプレイには、   
   
 「もしかして、このビルの3階のお店○○○をご利用の予定ですか? “激マズ”のレビューが28件寄せられています」   
   
などと警告してくれる。「レビューを見る」をタップ/選択すると、寄せられた評価やコメントをチェック可能。   
   
 また、自分が飲食した店のレビューを投稿するのも容易。   
   
 アプリの使用料は無料。有料オプションにて「ぼったくりアラート」を含む Ver. 5.1 が利用可能になる。   
   
   
   
第2位 「お漬けもんGO」   
   
 アウトドア型ゲーム・アプリ。   
 GPS機能、地図情報、VR技術、鉄道各社の列車運行ダイヤ情報、音声認識技術、気象データなどを複合的に利用し、これまでに経験したことのないようなスリリングなアウトドア・ゲームを楽しめる。   
 ユーザー(プレイヤー)は街中を歩き回りながらスマホ上でさまざまな実在の、あるいは架空の野菜を模したキャラクターに出会い、それをゲットしてスマホ上の漬物樽に押し込むことで漬物(お漬けもん)を作れる。漬物樽は味噌漬・ぬか漬け・キムチその他のものが用意されており、漬け始めからの経過日数と世話の状況によって漬物の持つパワー/価値などが変化を遂げるという・・・その漬物コレクションを用いて他のユーザーとの間で自慢のし合い・勝負を楽しめる・・・架空の「漬物の鉄人バトル」、「嫁姑バトル」的なものを楽しめるのが評判になっている・・・巷の噂ではズッキーニのキムチが最強ではあるらしいが。   
 個性的な仕様として・・・ユーザーは、たとえば踏切内で野菜キャラクターを見つけた場合でもそれをすぐにゲットせずにおき、電車が近づきつつあって踏切の警報音が鳴ってしばらくするまで待つとレアな野菜キャラクターに変身するからそれをゲットするという楽しみ方が出来る。また、増水した河川のその河川敷・農業用水路の近辺でもレアなキャラクターに出会える可能性が高くなるという。ショッピングセンターその他の駐車場でも、至近でクラクションが鳴らされた場合などにやはりレアなキャラクターに出会える可能性が高くなるそうだ。   
 危険な面もあるが、希望者には、周囲環境に関する警告を発してくれるプラグイン・アプリが提供される。   
   
   
   
 ・・・と、以上は、ウソ、デタラメな情報であった。   
   
 が、しかし・・・あのゲーム・アプリが登場して間もないのに(登場したばかりなのに)、はや、周囲の状況に無頓着なままフラフラ歩いている人、駐車場に入ってくる不審人物っぽい人などが急に目立つようになって何かちょっと・・・気味が悪いとも思える。   
 また、様々な形での事故なども心配だが、人の目が届かないところに子供が歩いて行って事件に巻き込まれるなどという可能性が無いものか等も心配してしまう。   
   

雑感

   
 昔々にはEL&Pの「展覧会の絵」を幾度も聴いたものだけれども、今あらためて聴くと、自分にとっては「あまり刺激的でなく面白くないかな、かつて感じたものは何だったのだろう」との思いに至ってしまう。大いに工夫も創造もされていることは分かるが、やはりどこか、オリジナル作品の上で踊っているのみという印象を受けてしまう・・・それが悪いというわけではないけれども物足りなさは否めず、「もっと」があって欲しくなってしまう。   
 クラシック音楽を他ジャンルのスタイルに移し入れてもどこかに無理が生じたりすることは珍しくないように思う。ホルストの「惑星」から「ジュピター/木星」を用いて歌詞を乗せたものがJ-POPで随分とヒットしたけれども、「うーん、良いかどうか・・・微妙だな」と感じたものである。   
 ベートーヴェンの「悲愴」ソナタの第2楽章を利用したポピュラー・ミュージックは幾つかあると思うが、それらのケースはわりと成功しているか・・・しかし、その成功とは「うまく利用した」に過ぎないことのように思え、何かしら「発展形」のようなものを感じるかというとそれは無く・・・メロディが、ポピュラー・ミュージックが扱うテーマやムードに合いやすく、容易に転用できることからウケのよい作品にはなるが、結局のところベートーヴェンに「おんぶに抱っこ」状態なのだと言えようか。きっと今後も、忘れた頃になるとベートーヴェンのこの作品に依存した新作のポピュラー・ミュージックが登場して来るのではあるまいか。   
 ジャック・ルーシェによるバッハのジャズ演奏は、あれは今もって色褪せないと思えるのだが、これはバッハ作品のどういう特質・汎用性ゆえであるのか・・・。   
   
   
 先日の或る晩、テレビではモーツァルト/「2台のピアノのための協奏曲」(K.365)のライヴ映像が流れていた。演奏はチック・コリア、小曽根真、尾高忠明/N響。   
   
 この曲、筆者自身は稀にしか聴かない・・・と言うか、もうずいぶんと聴いていない。ただ、ピアノ・パートに関してはカザドゥジュ(カサドシュ)夫妻がセルと、あるいはオーマンディとともにレコーディングしたもののその演奏ぶりが記憶にとどまってはいる(CDは現在はソニーからリリースされている)。   
   
 モーツァルトの協奏曲に関しては、カザドゥジュやカーゾンの演奏を通じて自分のなかに形成されてしまった「モーツァルト的な質感、フォルム、愉悦、イントネーション、テイスト」というものがあることも手伝って、テレビで流れた演奏では何個所にも違和感を覚えてしまった。   
 当然ながらそれは「ありゃ、モーツァルトにジャズのテイストが」という、残念さに近い違和感が主なものであったが、同時にやはり「ピアノに関して、こちらが(好き勝手に)求めるデリカシー、抑揚のあんばい、音の太さ・細さ・響きのほど良い加減が期待どおりには実現されていない」という狭量な感想に至ったわけである。   
 しかし、さらに、これまた同時に、「モーツァルトが生きていたら、これはこれで面白がるかも知れぬ」とも思った。すると、こんなふうにも思ったのであった・・・「チック・コリアは、こちらが勝手に抱いてしまっているものと共通しそうな“モーツァルト的なるもの”の枠組みに収まろう・それに寄り添おうとする気持ちが幾分か以上に強いようであるが、今回のような2人の(顔ぶれの)ピアニストの共演という場ではもっと挑戦的であってもよいのか」と・・・。   
   
 はあ、以上、わがままな感想であるなあ。   
 演奏後の拍手のあんばいは微妙なものになるであろうと予想したのであるが、しかしそうはならず盛大なものとなったので意外な気がした・・・固定観念に縛られないクラシック音楽ファンが多くいて、そしてまた少なからぬ人数のジャズ・ファンも聴きに行っていたのであろうか。   
   
 そのあとに演奏されたエルガーの「エニグマ」は、「ちょっとだけ立派に・豪勢に過ぎるかな」とは思えたものの、堪能しきれる演奏であった。バルビローリの残したレコーデイングを久々にまた聴こう・・・このところまた音楽鑑賞に時間を割きにくくなってはいるが。   
   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
   
 居酒屋での雑談の最中に「 F I F A をめぐる疑惑って、あれはどういうことなの?」と尋ねられたことがある。   
   
 筆者、こういう問題についてはテレビのニュースではもちろん聞くわけだけれども、新聞記事を前にしたときには「しっかり読む」のではなく「斜め読みする」という具合なので(新聞を読むにも記事テーマに応じた時間配分は大切だ)、上の問いにもごく大雑把に答えるにとどめた。すると相手は、   
   
 「ああ、そういうことなわけか・・・こういうことって、子供には話せないよね」との返事・・・。   
   
 そこで筆者、「え? むしろ、よく解説してあげるべきことでしょ」と応じたのであった。   
   
   
 子供に教えてはいけないことなど、そう多くあるものではない。サンタクロースからのプレゼントの実体/実態などのことは、これは幼い子供の夢との関係もあるから教えてあげる時期を選ぶべきではあろうけど。しかし、子供の側の理解力にも配慮しつつ、冒頭のようなことや、また、たとえば次のようなことは小学校高学年くらいの子供に対してであれば説明してあげればよろしいではないかと考える:   
   
   
 ・入札その他をめぐる談合、あるいはヤミカルテルなどはなぜ起こるか、それで得する人、世の中が被るデメリット、そして、制裁のあり方   
   
 ・カルテルとは何か   
   
 ・独占、寡占、財閥、コンツェルン   
   
 ・買い叩き、また、不公正な取引方法とされる事柄   
   
 ・政治とカネの問題   
   
 ・贈収賄   
   
 ・ウラ金をつくる企業は、そのウラ金をどう作り、どう使っているのか   
   
 ・タックス・ヘイブンとは何か   
   
 ・産地偽装ほか虚偽表示の問題、誇大広告の問題など   
   
 ・ドーピング、八百長試合   
   
   
 つまり、世の中の仕組みや、ありうる弊害、また、「いけないとされていること」とか「大人の事情」とか「キタナイ行為」などなど、そういうものを教えて何が悪いのかと、筆者は思うのである。もちろん教えるに際しては「なぜ、それがよろしくないのか」等を丁寧に話してあげなくてはいけないし、そして「君自身はどう感じ、どう思うか」と問い、考えさせること、正義感を育むことが必要であろう。間違っても、時期尚早に不健全な免疫を得させてはなるまい。   
 もっとも、これらの話を出来ないという大人も実は相当数いるかも知れない(自身がその実態をよく知らないからとか、あるいは、自身がまさにそれらにタッチしているがために後ろめたくて子供に話す気になれないとか・・・)。   
 ああ、そうだ、以前、社員食堂でのランチタイムのとき、テレビでは水道メーターをめぐる談合事件を報じることがあった・・・筆者が思わず「この業界、何度目だよ!」と独り言っぽく言ったら「えっ、そうなの?」的な表情をした人がいた・・・これにはこちらが驚いてしまい、この種の事件はすぐに忘れ去られてしまうものなのかと意外に思ってしまった。   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
      
 「情けは人のためならず」・・・この言葉を品詞分解するとして、「なら」の部分は動詞なのか助動詞なのかを子供に答えさせるというのは、それなりに意味のあることである。   
   
 で、ついでに・・・筆者的には「ついでに」なのではあるが、人によっては「ちっとも“ついでに”ではないじゃないか」と思うかも知れないけれども・・・「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉をめぐって子供と一緒に話し合うことがあってよろしかろう。それはつまり、「健全な精神」と「健全な肉体」とはどういう関係にあると思うか、これらは数学的な意味での十分条件、必要条件の関係にあてはめられるのか?   
 ・・・と、ここまでは昔々、保健の授業の際に先生が上の言葉を黒板に大書したときに筆者の頭に浮かんだ疑問であり、そのとき自分は「健全な精神と健全な肉体とは、実は無関係ではないのか。こんな標語めいたもの、馬鹿馬鹿しい、たわけたことを教えられても困る」と感じたものであった。その後になって、上の言葉には或る由来があって、それが実は歪められて今日に伝わっていることを知ったのである・・・ま、ともかく、「健全な肉体を持っていないと、健全な精神は宿りえない」などと理解する必要は全然ないのだ。そう見てくると、スポーツ選手がドラッグ類に手を染めようと、賭博にのめりこもうと、あるいはドーピングしようと、八百長ゲームをしようと、もうそんなことはちっとも驚くことでないとスンナリ理解できるではないか。この「スンナリ理解」の感覚を子供にも植え付けつつ、体力増進・運動能力向上とはまた別個に、いや並行的にかな、精神修養の意義、社会のルールを遵守し不正に走らないことの大切さを説くことが必要であろうかと思う。   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 以前、テレビ番組の芸能人インタビューをたまたま目にしたたときのこと、若い女優さんであったかと思うが「この業界に入るときには両親から反対されました」と言っていた。   
 インタビューアーが「それはどうしてでしょう?」と問うと、その返事は「分からないですけど、この業界、男女間のスキャンダルとか、いろいろあるからよくないと思ったのではないでしょうか」というものであった。   
   
 確かにそういう理由も十分ありえようし、比較的若い世代の親御さんであれば反対理由はそういうことや人気商売ゆえの不安定さ等の問題に尽きるかも知れないが、しかし、或る年代までは「芸能方面の職」(の社会的地位)への偏見がしっかり残り続けているからではないかと思うのである。   
 それは、天覧歌舞伎よりも前のこと、長い過去を思いながら我々が歌舞伎役者を見ることに通じる。能とは異なり、町人階級にとっての歌舞伎の、その役者に対する視線・・・その延長上で芸能人を見ている向きは、筆者も含めて今日なお一定数以上はいるものと思う。   
   
 しかし、そういう問題を離れても、かなりの芸能人嫌いであるなあ、自分は。   
 そして、議員や知事の選挙戦に芸能人が出ることに関して、それを推薦したり支持したりする政党の問題以前に、何か表現しにくいような抵抗を覚えてしまう。   
   


落ち着かない、違和感を覚える、矛盾ぽいものを感じる等・・・

   
 「わたしたちの銀行は皆様の身近に・・・おそばにいますよ・ありますよ」という意味であろうけど、某メガバンクのキャッチコピーに「そばにいる。そばにある。」というのがある。   
 このキャッチコピー自体はよろしいと思うのだけど、広告に使われている写真は蕎麦屋の店内の光景・・・「そば」に絡めての洒落であろう・・・で、客である若い男性たちが、目の前に置かれた蕎麦に手をつけないまま何かを話し合っている様子。「おいおい、蕎麦が伸びてしまうではないか、そして、水切れを通り越して干からびたらどうする?」などと、ついそんな不安感というか、落ち着かない気持ちを抱かせられるシーンとして受け止めてしまうのは自分だけだろうか。   
 とは言え、蕎麦をすすっている様子を広告写真にするのもこれまたあり得ぬことであろうし・・・。とすると、「美味いものを目の前にしていても、それを忘れてついつい仕事の話に夢中になってしまう真面目で一本気な私たちなのであります」的なメッセージととらえるのが正解なのであろうか。   
   
   
 日本郵政グループの上場が迫っていた頃、たとえば、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の株式を買いたいと思っているかどうかと何人もの人から問われた。それに対する筆者の答えはノーであった。今後の業績伸張への疑問も大きかったけれども、それ以上に自分の心にあったのは、これらの企業体の存在・活動が「民業圧迫」であり、そういうものの株式を取得することへの抵抗感であった。   
 NTTが、あるいはJRやJTが上場したときとは、受け止め方に大きな違いがあった。   
 筆者、べつに銀行マンでも生保・損保関係者でも、あるいは宅配便業界関係者でもないのだけれども、ま、日本郵政グループのあり方などについて大きな抵抗感を覚えてしまうのである。   
   
   
   
 参議院議員選挙を前にして、ときに一緒に酒を飲む或る年配の男性(70代後半くらいか)がおおむね次のような趣旨のことを口にした:   
   
 「格差社会、格差社会と世間は騒ぐけれども、昔から格差はあったし、それはやむをえないものと考える。人間の出来や努力と無関係に皆がまったく同じ暮らし向きになったらそれは奇妙である。俺と、あんたと、立派なお医者さんと、どこかの社長さんと、皆が同じ収入だったらおかしいだろ? 自分も少ない年金でやりくりしているけれども、自分の過去を振り返ればこれはこれで仕方ないと思う。ちゃんと命をつないでいける暮らしが出来るのだから、世の中の何も恨んでいない。しかし、どうしても納得できない、許せない、おかしな制度がある。それは生活保護というシステムである。自分は苦しい年金生活のなかでも工夫してやりくりして生活しているのに、生活保護を受けている人たちのほうがどうもゆとりがあるんだよね・・・いやいや、あんたはね、生活保護のことなど何も知っていないでしょ・・・そう、あんたの言うとおりその制度が必要な人が躊躇なく支援を得られることは確かに必要だよ、だけれども、おかしなことがあるんだよ・・・あんたはパチンコやらないでしょ・・・あのね、(ここから近くの)○○駅にあるパチンコ店に昼間に行くとだよ・・・まだ30代とかの若いのが、べつに体のどこも悪くないようなピンピンとした連中が生活保護を受けているのにパチンコやってて、で、仲間の誰かしらがパチンコで儲けを出すからそれの驕りで安い飲み屋で明るいうちから陽気に酒盛りして騒いでいる。こんなことで良いのかっていう疑問があるわけだよ」   
   
 実は、同様の問題提起は、他の人からも聞いたことがある。厚生年金の支給の無い人の場合、むしろ生活保護を得ている人の暮らしのほうが経済的余裕があるように映ることもあるようだ。   
   
 ・・・で、上のような話が終わろうとする頃、今度は別の高齢男性からこんな話を聞かされた:   
   
 「俺も生活費の切り詰めには工夫しているよ・・・(幾つかのアイデアを話したのち彼が言ったのは:)NHKの受信料は払ったことがない。勝手に番組を作って電波を送り出しておいて受信料をとろうというのがおかしいので、もう随分前にNHKの集金人にそう叱ってやってからは来なくなった」   
   
 話を聞いて少し唖然としたのであったが・・・しかし、この人の場合、本当にNHKの番組は殆ど見ていないようなのだ。放送受信料制度の考え方としては上のような言い分は通用しないものと筆者は思うのだけれども、しかし、この自分の感覚はもしかすると古くなりつつあるやも知れないと思ったりもするのである。と言うのも、「テレビの時代は終わった」などと思わないものの、しかし、NHKの存在意義が昔とは変わったと言えそうだからである。   
 民放がこれだけの成長を遂げ、すると今のNHKの番組には民業圧迫と評してよさそうなものが少なからずあるように見受ける。NHKが扱わなくても/制作しなくても民放の側で出来ているジャンル、テーマのものがあるし、ネットでの情報(新聞社ウェブ・サイトも含む)もまたある。NHKについては組織の改廃、運営規模の縮小も検討されてよいのではないか。   
 この人とは逆に、筆者の場合、(テレビ視聴時間は短いものの、観るとすれば)NHKの番組がメインで民放はあまり観ない。だから放送受信料への抵抗感は無いけれども、上の人はそれとは正反対の感覚に至ってしまうであろうこと、十分に考えられる。たとえば、どこかの新聞社が発行する新聞が(購読申込してないにもかかわらず)毎日勝手に郵便受け(ポスト)に入れられるとする・・・でも、記事内容は自分の関心事からは外れるものばかりと分かっているからページをめくることもない・・・なのに月末になって「新聞代を払え」と迫って来たら、我々は「何を!」と思うであろうなあ、確かに。   
 次世代のテレビ技術の開発テーマとして、各世帯・各人のNHK番組の視聴・録画時間を毎月集計し、それに応じて月ごとの放送受信料徴収額が計算されるというシステムの構築があってもよいのではないか。これは応益の感覚に合う・・・電気やガスの料金計算と変わりなく、リーズナブルとも言える(課金にあたっては、番組内容により時間単価に違いを設けることもあってよかろうな、趣味・文化・娯楽と、報道と、また、教育・健康・キッズ関連とで、3:2:1くらいの課金レート差があってもよいのではないか・・・なお、NHKからのお知らせとか番組予告編などについては当然「ゼロ課金」とすべきであろう(笑))。     
 NHKはネット配信に積極的になっているようであるが、もうあまり余計なことをしなくてもよいのではないか。そんなことに取り組むほどに組織は肥大化する一方でキリがない、自分たちの何が「余計で民業圧迫」なのか「世間からお呼びでないと思われているか」について再考する段階にあるのではないか。   
 ・・・が、しかし、総務省は放送受信料の今後のあり方の検討を始めている。テレビが有ろうと無かろうと全世帯から受信料徴収する案もその一つで、これにより受信料がグンと安くなるのであれば一応は喜ばしいがNHKの経営努力・スリム化が果たされなければいずれ受信料はズルズルと上昇していくことであろうなあ。   
 ただ、現状、テレビの有る世帯で受信料を支払っているのは77パーセントらしく、仮に全世帯から受信料徴収する方式に改めてもその徴収率が100パーセントを果たせないのであれば一体・・・結局、上で述べたような視聴実績課金制度によるか、さもなければ「NHK、ずいぶん利用しています」、「NHK、応援しています」という視聴者から心のわだかまりなく受信料を得、その「範囲の中で相応に」運営するというあり方でよいのではないか。NHKは存続すべきである、しかし、その規模は拡大されねばならない/維持されねばならないというものでもあるまい、縮小もまた選択肢であろう、そういう選択をする民間企業はいくらでもある、なぜにNHKにそれをあてはめてはいけないのか、それこそ疑問である。   
   
   
   
 ODA、無償資金援助、円借款・・・。何らかの支援をしても、たとえばそれが建造物であった場合には戦争、内乱、紛争、テロ等々で破壊されたりもする。あるいは、その建造物が日本からの支援で作られたものとの理解を国民は持たず、反日的行動に出たり、日本の領土領海を脅かしたり・・・。あるいは、エンジニアらがその活躍途上に無惨な死を迎えることになってしまったり・・・。日本と日本人は割りに合わないというか何というか。   
 それだったらODAなど縮小してしまい、少しくらい高めの工事金額を許してスピーディーにどんどん災害復興住宅など建てればよろしかろうと思うものの、中長期的視点に立てば、いや、短期的視点に立っても、やはり海外への支援は有益・必須なので仕方ないことか。   
   
 それにしても、日本の国土は、日本の安全は危うい状況に置かれつつある。   
 有事への対応力、必要とあれば反撃と制裁を実行できること(戦闘の泥沼化を招かないほどの確かな軍備を含む)、いや、それ以前の抑止力・・・これらの充実が今、必要と思う。そのための第一歩が憲法上の問題を整理し、然るべき改正を経ることではあるまいか。   
 今回の参議院議員選挙では政策論争に乏しく批判のし合いに終始した感があるとの見方が多いが、筆者、今回の選挙の意義は「野党のうちの幾つかの政党の頭をしっかり押さえこみ、あるいは、その息の根を止めること」にあるものと勝手に思い、そして、それに期待を寄せて来た。この観点からすると「自民党の成績に拍手をしつつも、もう一押しが足りなかったな」という感想に終わる。   
   
   
 「暑くて、頭の回転が鈍くなって・・・考えごとが億劫・・・今夜の夕食の献立もどうしてよいのか分からない」という女性がいて、「では、これではどうか、ついでに明日以降のも」と思いつきで提案したのが次のようなもの(メインのものに限る):   
   
 シーフード・カレーや野菜の具の多いカレー   
   
 豚肉の冷しゃぶ風   
   
 海老チリソース、またはマーボー豆腐   
   
 切り身の魚の、塩焼き、または味噌漬/酒粕漬にしたものの焼き物   
   
 鶏ひき肉だんご、きのこ、野菜の鍋物   
   
 刺身またはカルパッチョと、(時短・省力化のため、手づくりでないチルドまたは冷凍の出来合いの)ギョーザまたはシューマイ
   
   
 モツ煮
   
 ・・・と提案しつつ、「このうち半分くらいは、俺の苦手な食べ物だな」と思った次第・・・。   
   


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クラシカルな某

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クラシック音楽好きです。