2016-05

Latest Entries

雑記



   
 イザベル・ファウストのバッハ、以前から聴いてみたいと思っていたのだ。   
   
 ・・・週末に聴こう。   
   

雑記

   
 知人の女性が親を介護するようになってしばらく経つ。「趣味としている旅行を、これからは諦めるしかないのでは」との彼女の予感は的中し、ゴールデン・ウィークはショッピングに出掛けるくらいしか出来なかったと嘆く。   
   
 音楽やら何やらの趣味でもあればよろしかろうに、そうすれば代替的な形での気分転換も図れるだろうにとは思うけれども、「人それぞれの趣味」はそうなかなかうまい具合にはなっていないものであるなあ。   
   
 「状況によってはショートステイなどのシステムも利用可能であろうが、介護をしていれば普通は旅行などのレジャーは諦めるものではないか・・・いっそ、介護を趣味にしちゃえば?」的な言葉は(最後の部分は冗談ではあるが)、彼女を暗澹たる気分に陥らせるであろうから発しないこととした。この種の不平不満については、こちらとしては黙って耳を傾けるようなあんばいでよいのではないか。   
   
 彼女にとってもうひとつ大きな悩みというか、ため息が出てしまうこととしては「料理がまるっきりダメ」という点にあるらしい。   
 食事制限・栄養管理、嚥下機能の状況などに気をつける必要がない場合はごく普通の料理であるから、「記憶の中にうっすらある、親の料理の仕方にしたがう」とか「テレビの料理番組の見よう見まねで」とかによって「ええい、とにかくやってみよう」で始めれば何とかなるものと思うのだけれども、踏み切れない人がやっぱりいそうだ。   
 しかし、現代、自分で調理せずともスーパーやコンビニで多種多様な調理済食品が手に入る。みずから手づくりすることにこだわらなくても、たとえ「他人による手づくり」であってもそれまた「手づくり」には違いないのだし、そしてもちろん、こだわりを捨てればレトルトのもの、冷凍食品など活用できるものは膨大である。   
   
 或るときのこと、筆者が親の食事を用意しているところでホームヘルパーさんが訪問して来ることがあったが、キッチンでは筆者が魚を焼いており、その近くにはコロッケと天ぷら、野菜のおひたし等があるのをヘルパーさんは見て「これ全部ひとりで作ったんですか?」と驚いていたことがあった。それこそ「まさか!」である・・・魚は親2人ともが食べるけれどもコロッケ、天ぷらはそれぞれ片方の親しか食べない・・・したがって、それだけの分量のコロッケや天ぷらをみずから手間をかけて作るのは馬鹿げていると筆者は感じるのである(しかも油を使っての調理であるから片付けも面倒になる)・・・スーパーにて調理済のものを買って来て、油切りが悪いといけないからクッキングペーパーにしばらく載せておいてからその後に軽く炙って食卓へ運ぶわけである。ほかに、たとえばポテトサラダやマカロニサラダ、ギョーザなども筆者は手づくりしたことがない。   
   
 高齢者こそ一生懸命に肉を食べなくてはいけないとの説も世にはあるが、色々の調理法があるにもかかわらず肉の風味というものは変化に乏しい、ヴァリエーションの幅が狭いように思え、飽きを生みやすいのではないかと警戒してしまう。これに対し、魚のあれこれは風味の違いが大きく、魚嫌いの人でないならば日々多様な味わいに接してそれを楽しめる・・・筆者の個人的な考え方であるが。   
   
 (↓)下のは、魚の買い物の例。   
   

«  | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

クラシカルな某

クラシカルな某

クラシック音楽好きです。