2016-04

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発想の転換、意識改革のススメ・・・?



   
 「それは偏見というものでしょ!」と批判されそうだけれども、筆者にはたとえば次のような感覚がある:   
   
   
 「生命保険のセールスマン/セールスウーマンの仕事とは、相手(潜在顧客)の不安を過剰にあおったうえで、もくろんでいたプランでの生命保険契約をとりつけるのが仕事である。証券会社のセールスというものは、より多くの手数料がこちらに転がり込むようなパターンで相手に何らかの行動・意思決定をさせることである。」   
   
   
 筆者などが何かの世間話のとき「保険会社の人たちの発想は」とか「証券業界の人は」などと言いかけると、年配の人のなかには話をさえぎって「俺なんかは保険屋とか株屋とか言ってきたけどなあ、君はそういう言い方するんだな。世の中、本当に変わったよな」と言う人もいて、かえってこちらのほうが驚く(今なお、そういう言い方が頭にこびりついている人たちがいるのだなあ)。   
   
   
 さて、その証券会社であるが・・・。   
   
 今年に入ってからの株価の動き・変動は大きく、銘柄を物色して「買い注文」を出すことに大きな迷い・躊躇を覚えても不思議はないのである。「塩漬けになってもよいから、長期保有にも適するような、内容のよろしい企業の株式を安いときに仕込む姿勢で行こう」と決意することとしたけれども、投資額は昨年に比べてかなりセーヴ気味なのである。   
   
 そういう状態になると、証券会社へ「預けおき状態」になっている金銭は大きくなる。証券会社の個人客担当セールスマンはそこに目をつけるのであろう、夜、わざわざ残業してまで(実は彼ら自身の自宅からか?)こちらに電話をかけて寄越す。   
 昔であれば「この銘柄を手放して、今度はたとえばこんな銘柄を買ってはどうですか?」などとセールスして来たものだが、いまどきは株式(個別銘柄)の売買手数料は安くなっているのでそういう促しは向こうとしてもメリットが小さいのであろう、投資信託商品を勧めてくる。   
 投資信託の類は、手数料などとして抜かれてしまうぶんが大きいから買いたくはないので断ることになる(たとえノーロードでも抵抗感は消えない)。   
 向こうは「プロによる運用」とアピールするけれども、プロとは何を意味するか? 各種の専門知識を有することの意味もあるわけだが、しかし筆者は「こういうことをやってそれで給料を貰う/生計を立てている(投資信託商品の場合、手数料として引かれるぶんの一部はそれに回る)」というくらいの意味合いだと思うことにしているのだ・・・同時にまた、プロは運用で連続的に成功を重ねているとは限らないとも思っている・・・勝負の仕組み・理屈が違うけれども、毎年、プロ野球もプロ・サッカーもチームのほとんどは優勝することが出来ずにシーズンを終えるではないか(つまり、哀れにも、その年、それらチームは負けるために存在したことになる)・・・と、この最後の部分を読んだ人に「うむ、野球/サッカーって、そうだよなあ、あの弱小チームを応援していた俺って何だったんだ?」と思われても困るが(笑)。   
   
 上のような電話があると何というか「をしっ、他人に頼らない俺は自分で頑張るぞ」との思いを強くするものだから、翌日くらいにはまた株式の物色銘柄の候補選びに躍起になり、そして実際に買うことにもなる。   
 知っている人はあまり多くないかも知れないが「三菱食品」という上場会社がある。先日は「この株価水準ならば買っておこうか」というあんばいになっており、そうした。   
 昼休みには一緒に過ごすことの多くなった若手から(上の、筆者の買い注文の様子(PCのディスプレイ)を見ていたがゆえにであろう)「三菱自動車の株式って、どうでしょうかね?」と尋ねられた。「ん? 俺なら買わない」とだけ答えて終わった・・・この日は値動きチェックしたい銘柄が幾つもあって話を続けるゆとりがなかったのであるが、同社の過去のこと、三菱グループの中での存在のあり方、自分にとっての同社製品のイメージなどについて話したいことは色々あった。   
   
   
   
   
 フォルクスワーゲン社のあの問題が明らかになったとき、新聞その他は「衝撃」という表現すらも用いて報道したのであるが、しかし筆者、衝撃のようなものはちっとも覚えなかった。「そういうこと、あるだろうな」と感じたのみ。   
   
 そして、筆者は知人にこう言ったのであった: 「今回の件はどうでもいいんじゃない?  ドイツ人の倫理観? そんなこと知らない、“免罪符、売る人買う人、ともに良し”というか、(生真面目かつ敬虔なキリスト教徒ばかりのような印象を受けぬでもない)ドイツ人も総じてまた“方便”で生きているかも知れないし、特別な肩入れをしても裏切られるかも知れないわけで。環境性能よりも大事なのは燃費に関わる性能だな。たとえ環境破壊するようなクルマであっても燃費がよいほうがありがたい。それに、世の中、クルマの環境負荷が小さくなっていかないことを望む・・・なぜなら・・・自分の場合、生活のあらゆる場面で“使い捨て”的なものこそスマートで便利であると思っているし、口うるさく“リサイクル”を言われることも鬱陶しい、すなわち、人々の環境意識が高まっていることに抵抗すら覚えている・・・で、蕎麦屋・飲食店での割箸の利用を批判されたときに“俺は玉入れ(普通の人はゴルフと呼ぶが)をするために遠くまでクルマを走らせて環境破壊することはしない、たかが割箸くらいのことでお前さんから余計なことを言われたくない”と言い返したいではないか。そのセリフが成り立つためにはクルマの環境負荷は大きいままであってもらわないと困る」。   
   
 で、さらに言い添えたのは、「その肝心の燃費について、おそらくどこかの自動車メーカーで偽装・不当表示の事件が起こるであろう。日本の自動車メーカーであればまず○○社あたりが一番可能性がありそうだ」ということ。自動車メーカーについての言わば主観的ランキングその他から、また、過去に起こした問題から、半分は当てずっぽうに特定の企業名を挙げたのであった。その種の問題がいずれ2年後、3年後くらいには発覚するであろうと思っていたのであるが、こんなに早くとは驚いた(しかも、メーカー名も当たってしまった)。   
   
 今回の事件とは関係ないけれども、かつて冷蔵庫の省エネ性能についての不当表示事件というものがあった。あるいは、「技術」の問題ではないが粉飾決算・不正経理のような事件も世の中には発生する。理系分野であれ文系分野であれ、人のやること、企業のやること、また政治の世界ほか、いつも信頼をおけるとは限らないのである。   
   
   
 正しい数字を示さない人たち、数字の正直さを愛さない人たち、客観性・正当性にこだわらない人たちがいる・・・「遺憾」とはこういうことである。   
 性能を正しく数字で表す。企業内容(財政状態とか経営成績とか)を数字で的確に表す・・・会計処理の場合には複数の選択肢があったりもするが、どれを選択すれば株主や投資家に正しい情報を提供することになるか等にも悩みつつ「これが妥当で健全で保守的というものであろう、もちろん粉飾との誤解も受けないし、今後継続的に適用していっても問題の生じない選択であろう」などと考えて(監査法人/公認会計士にも相談しつつ)選択する・・・数字の裏には、信念・確信・誠実さ、さらには愛情めいたものまで宿っていたりするのである。   
   
 「大学における教養過程教育がおざなりになっているから粉飾決算その他の企業不祥事が続発する」という意見を言う人がいたが、筆者としては「それはあまり関係ないのではないか、ひとたび粉飾に手を染めるとそれを繰り返すことになりがちだから絶対にダメと叩き込めばよろしい」と思っている・・・粉飾を繰り返した場合の展開・顛末を数字でシミュレートして学生の目の前に突きつけるというのも効果的であろうか・・・或いは「不祥事を起こすと総会屋に目をつけられてその後の対応が大変なことになるぞ」と時代錯誤的な寸劇上演を見せるほうが効果抜群のような気もしないではないが・・・ま、教養教育として文学・歴史・社会思想史・宗教・倫理学その他の講義などを充実させても、知識面はともかく自身の倫理観・性根まではなかなか変わらない・・・「ダメなものはダメ」と繰り返し伝えるしかないのではないか・・・それは、大学でのみならず企業の中でも必要なことだ。   
   
 (なお、大学の教養課程重視の意見のなかにはどうも大学教員の雇用確保・増大を狙っているのではないかと疑いたくなるものもあるが、筆者個人的には、一部のエリートや、クリエイティヴ系職種・学者などを目指す人を除いては教養教育はほどほどとして、実学をより重視すべきと考える。)   
   
   
 しかし、それにしても、下記の報道内容には立腹と、そして、割り切り感覚に対する不可思議な感服(?)を覚える(新潮社のサイト、記事の一部を紹介する文字/フォントは小さい):   
   
  http://www.dailyshincho.jp/article/2016/04261700/?all=1   
   
   



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クラシカルな某

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