2016-04

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雑記

 或るとき、「おたくは、どこのメーカーの冷蔵庫を使っている?」という話題になったことがある。酒の席でのことである。   
   
 で、めいめいが幾つかのメーカーの名をあげ、そして、皆が筆者のほうを向いたので今度は自分が答える番だなと思った。以前からこういうことを言ってみたかったと思うものがあったので、次のように答えた:   
   
   
 「うちの冷蔵庫はソニーのだな。あまりメジャーじゃないかも知れない。うち、結構、ほかの家と違う製品選びしているかも知れない・・・炊飯器もキャノンのだし」   
   
   
 しばしの沈黙が・・・「冗談だってば」と、言うに言えなそうな雰囲気になってしまったのであったが、もちろんちゃんと冗談であると伝えた。   
 (なお、これらメーカーがその種の製品を手掛けていないものとの前提で発した冗談であり、そしてまたここに述べた次第であるが、もしかしてもしかすると、実際にはそういう冷蔵庫・炊飯器、あったりするか。)   
   
 さて、しかし・・・JVCケンウッド製の精米機一体型炊飯器とか、インクカートリッジならぬ味噌カートリッジを備えて白味噌・あわせ味噌・赤だしをその日の気分でチョイスできるようなキャノン製 味噌汁サーバーとか(何と、メニューは、機器本体で選べるほか、無線LANその他経由でも選択可能なため昼休みのオフィスでも重宝がられる)、そういうシロモノが登場してくれぬものか。格好よさそうに思えるのだが・・・ただし、人気を博すか、企業の利益に貢献できるか、それは知らない。   
   

発想の転換、意識改革のススメ・・・?



   
 「それは偏見というものでしょ!」と批判されそうだけれども、筆者にはたとえば次のような感覚がある:   
   
   
 「生命保険のセールスマン/セールスウーマンの仕事とは、相手(潜在顧客)の不安を過剰にあおったうえで、もくろんでいたプランでの生命保険契約をとりつけるのが仕事である。証券会社のセールスというものは、より多くの手数料がこちらに転がり込むようなパターンで相手に何らかの行動・意思決定をさせることである。」   
   
   
 筆者などが何かの世間話のとき「保険会社の人たちの発想は」とか「証券業界の人は」などと言いかけると、年配の人のなかには話をさえぎって「俺なんかは保険屋とか株屋とか言ってきたけどなあ、君はそういう言い方するんだな。世の中、本当に変わったよな」と言う人もいて、かえってこちらのほうが驚く(今なお、そういう言い方が頭にこびりついている人たちがいるのだなあ)。   
   
   
 さて、その証券会社であるが・・・。   
   
 今年に入ってからの株価の動き・変動は大きく、銘柄を物色して「買い注文」を出すことに大きな迷い・躊躇を覚えても不思議はないのである。「塩漬けになってもよいから、長期保有にも適するような、内容のよろしい企業の株式を安いときに仕込む姿勢で行こう」と決意することとしたけれども、投資額は昨年に比べてかなりセーヴ気味なのである。   
   
 そういう状態になると、証券会社へ「預けおき状態」になっている金銭は大きくなる。証券会社の個人客担当セールスマンはそこに目をつけるのであろう、夜、わざわざ残業してまで(実は彼ら自身の自宅からか?)こちらに電話をかけて寄越す。   
 昔であれば「この銘柄を手放して、今度はたとえばこんな銘柄を買ってはどうですか?」などとセールスして来たものだが、いまどきは株式(個別銘柄)の売買手数料は安くなっているのでそういう促しは向こうとしてもメリットが小さいのであろう、投資信託商品を勧めてくる。   
 投資信託の類は、手数料などとして抜かれてしまうぶんが大きいから買いたくはないので断ることになる(たとえノーロードでも抵抗感は消えない)。   
 向こうは「プロによる運用」とアピールするけれども、プロとは何を意味するか? 各種の専門知識を有することの意味もあるわけだが、しかし筆者は「こういうことをやってそれで給料を貰う/生計を立てている(投資信託商品の場合、手数料として引かれるぶんの一部はそれに回る)」というくらいの意味合いだと思うことにしているのだ・・・同時にまた、プロは運用で連続的に成功を重ねているとは限らないとも思っている・・・勝負の仕組み・理屈が違うけれども、毎年、プロ野球もプロ・サッカーもチームのほとんどは優勝することが出来ずにシーズンを終えるではないか(つまり、哀れにも、その年、それらチームは負けるために存在したことになる)・・・と、この最後の部分を読んだ人に「うむ、野球/サッカーって、そうだよなあ、あの弱小チームを応援していた俺って何だったんだ?」と思われても困るが(笑)。   
   
 上のような電話があると何というか「をしっ、他人に頼らない俺は自分で頑張るぞ」との思いを強くするものだから、翌日くらいにはまた株式の物色銘柄の候補選びに躍起になり、そして実際に買うことにもなる。   
 知っている人はあまり多くないかも知れないが「三菱食品」という上場会社がある。先日は「この株価水準ならば買っておこうか」というあんばいになっており、そうした。   
 昼休みには一緒に過ごすことの多くなった若手から(上の、筆者の買い注文の様子(PCのディスプレイ)を見ていたがゆえにであろう)「三菱自動車の株式って、どうでしょうかね?」と尋ねられた。「ん? 俺なら買わない」とだけ答えて終わった・・・この日は値動きチェックしたい銘柄が幾つもあって話を続けるゆとりがなかったのであるが、同社の過去のこと、三菱グループの中での存在のあり方、自分にとっての同社製品のイメージなどについて話したいことは色々あった。   
   
   
   
   
 フォルクスワーゲン社のあの問題が明らかになったとき、新聞その他は「衝撃」という表現すらも用いて報道したのであるが、しかし筆者、衝撃のようなものはちっとも覚えなかった。「そういうこと、あるだろうな」と感じたのみ。   
   
 そして、筆者は知人にこう言ったのであった: 「今回の件はどうでもいいんじゃない?  ドイツ人の倫理観? そんなこと知らない、“免罪符、売る人買う人、ともに良し”というか、(生真面目かつ敬虔なキリスト教徒ばかりのような印象を受けぬでもない)ドイツ人も総じてまた“方便”で生きているかも知れないし、特別な肩入れをしても裏切られるかも知れないわけで。環境性能よりも大事なのは燃費に関わる性能だな。たとえ環境破壊するようなクルマであっても燃費がよいほうがありがたい。それに、世の中、クルマの環境負荷が小さくなっていかないことを望む・・・なぜなら・・・自分の場合、生活のあらゆる場面で“使い捨て”的なものこそスマートで便利であると思っているし、口うるさく“リサイクル”を言われることも鬱陶しい、すなわち、人々の環境意識が高まっていることに抵抗すら覚えている・・・で、蕎麦屋・飲食店での割箸の利用を批判されたときに“俺は玉入れ(普通の人はゴルフと呼ぶが)をするために遠くまでクルマを走らせて環境破壊することはしない、たかが割箸くらいのことでお前さんから余計なことを言われたくない”と言い返したいではないか。そのセリフが成り立つためにはクルマの環境負荷は大きいままであってもらわないと困る」。   
   
 で、さらに言い添えたのは、「その肝心の燃費について、おそらくどこかの自動車メーカーで偽装・不当表示の事件が起こるであろう。日本の自動車メーカーであればまず○○社あたりが一番可能性がありそうだ」ということ。自動車メーカーについての言わば主観的ランキングその他から、また、過去に起こした問題から、半分は当てずっぽうに特定の企業名を挙げたのであった。その種の問題がいずれ2年後、3年後くらいには発覚するであろうと思っていたのであるが、こんなに早くとは驚いた(しかも、メーカー名も当たってしまった)。   
   
 今回の事件とは関係ないけれども、かつて冷蔵庫の省エネ性能についての不当表示事件というものがあった。あるいは、「技術」の問題ではないが粉飾決算・不正経理のような事件も世の中には発生する。理系分野であれ文系分野であれ、人のやること、企業のやること、また政治の世界ほか、いつも信頼をおけるとは限らないのである。   
   
   
 正しい数字を示さない人たち、数字の正直さを愛さない人たち、客観性・正当性にこだわらない人たちがいる・・・「遺憾」とはこういうことである。   
 性能を正しく数字で表す。企業内容(財政状態とか経営成績とか)を数字で的確に表す・・・会計処理の場合には複数の選択肢があったりもするが、どれを選択すれば株主や投資家に正しい情報を提供することになるか等にも悩みつつ「これが妥当で健全で保守的というものであろう、もちろん粉飾との誤解も受けないし、今後継続的に適用していっても問題の生じない選択であろう」などと考えて(監査法人/公認会計士にも相談しつつ)選択する・・・数字の裏には、信念・確信・誠実さ、さらには愛情めいたものまで宿っていたりするのである。   
   
 「大学における教養過程教育がおざなりになっているから粉飾決算その他の企業不祥事が続発する」という意見を言う人がいたが、筆者としては「それはあまり関係ないのではないか、ひとたび粉飾に手を染めるとそれを繰り返すことになりがちだから絶対にダメと叩き込めばよろしい」と思っている・・・粉飾を繰り返した場合の展開・顛末を数字でシミュレートして学生の目の前に突きつけるというのも効果的であろうか・・・或いは「不祥事を起こすと総会屋に目をつけられてその後の対応が大変なことになるぞ」と時代錯誤的な寸劇上演を見せるほうが効果抜群のような気もしないではないが・・・ま、教養教育として文学・歴史・社会思想史・宗教・倫理学その他の講義などを充実させても、知識面はともかく自身の倫理観・性根まではなかなか変わらない・・・「ダメなものはダメ」と繰り返し伝えるしかないのではないか・・・それは、大学でのみならず企業の中でも必要なことだ。   
   
 (なお、大学の教養課程重視の意見のなかにはどうも大学教員の雇用確保・増大を狙っているのではないかと疑いたくなるものもあるが、筆者個人的には、一部のエリートや、クリエイティヴ系職種・学者などを目指す人を除いては教養教育はほどほどとして、実学をより重視すべきと考える。)   
   
   
 しかし、それにしても、下記の報道内容には立腹と、そして、割り切り感覚に対する不可思議な感服(?)を覚える(新潮社のサイト、記事の一部を紹介する文字/フォントは小さい):   
   
  http://www.dailyshincho.jp/article/2016/04261700/?all=1   
   
   



卵が先か鶏が先か、ゆで卵が先か目玉焼きが先か

   
 夏場の日照で熱くなった石のうえでつくられる目玉焼き、温泉卵、火で沸かした湯でつくられる「ゆで卵」、火にかけたフライパン状のものでつくられる目玉焼き・・・人類の歴史上、卵の調理は上のような順序で「発明・発見」がされたと思うのであるが、さて、どうであろうか。それ以前に、卵を生のままですするということもあったろうがこれは「料理」と言えないであろうし。日本の「卵かけご飯」は稲作文化以降であろうし。   
 煎り卵とか、卵焼きなどは、やはり目玉焼きよりは遅れて登場したものと想像する。スコッチエッグはいつ頃に始まったことであろうか。   
 で、何を言いたかったというと・・・忘れてしまった(笑)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 東日本大震災のときは、津波被害その他の模様をリアルタイムで目にしてしまったこともあってだろう、何日か遅れて形容しがたい精神的ショックを確かに受けてしまった。   
 それとは別に・・・事態への対応検討・支援に少しばかり関わる最中には、「これはもう“理想的な対応”など出来ないな」、「ある種の割り切りをせざるをえない。70点、80点を目指すのでなく1ポイントでも2ポイントでも成果を積み上げるしかない。たった1ポイントだって、何もしないよりマシなのだ」と考え、不十分・不本意な対応しか出来ない不甲斐なさ・苛立たしさを抑え込んだ。   
 何か月かして、「我々も、わりと上手くやれたのではないか」と自己満足することがあったのだが、何かの雑誌で「東日本大震災・・・そのとき各社はどう動いたか」みたいな記事に目をやったとき、「うーん、明らかに(よその会社に)負けたな。もっと色々と準備やシミュレーションを重ねておかなくては」と思った・・・けどまあ、それでも、業種それぞれで「もともとこういうことは得意!」とか「日頃から対消費者・対個人の商売なので!」という企業もあるわけで(たとえば宅配便業者やコンビニなどと同じようなことを他の企業が真似しようにも無理であろう)、そういうところに引けをとらないようにと目指すことは無理というものか。   
   
 さて、このたびの九州の件・・・語弊があることを承知で言えば、目にする映像は「震災被害として、想像を絶する域にはない」というのが筆者の感想である。それは、被害が小さいという意味でなく、「おお、こういう事態に至ったか、やはりそうだろうなあ」と、わりと冷静に受け止めることが出来たのである。   
 が、しかし・・・何やかやと対応していこうにも、今度もまたやっぱり上手くいかないのである。上のような受け止め方があったからであろう、今回は70点、80点を目指そうとする気持ちをなかなか切り捨てることが出来ない・・・これがまずい・・・そうして「忸怩たる思い、苛立ち」が止まらない。   
 しかし、この新しい週からは環境が変わる、発想も切り替えていける・・・その筈(はず)と、気が急いている。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 世代によって「どういうことにカネを使いたい」、「こういうことにはカネを惜しんではいけない」という点での感覚に大きな相違がある。昔も今もそれは変わるまい、たぶん。   
 昨年暮れのボーナス時、「スーツ、靴、腕時計のあれもこれもと買いたいものがある」と言う若者と喋ることがあって、スーツについては、最近の若い人は足を運ばないかも知れないけれども生地のクオリティとオーダー料金のバランスから言って絶対に値打ちな買い物が出来る(そして支払いの絶対額も高くない)或る店を紹介することにした。   
 同時にまた、こういうことも言った: 「高い時計をしていることで相手と対等になれる、自分が一目置かれるという感覚は誤りである。近い世代どうしの間で自慢が出来るだけのことで、仕事上で関わる目上のキーパーソンの多くは、そんなものには目もくれないし、年下の人間のそういう持ち物を見てもさほど感心しないことであろう(これは業界にもよるであろうし、趣味人の世界でならばこれまた話は違って来るであろうが)。大事なことはお前がどれだけ勉強していて正確な知識を備えているか、投げかけられた課題に的確な解答を出せるか、為さねばならぬことをキッチリカッチリやり遂げて結果を出せるかである。少なくとも若いうちは飾り物は要らない、その飾り物を取ったら中味はカラッポ、評論家ではあっても実務は何も出来ないというのであれば、そんな人間は無価値である。ただし、清潔感だけは大事にして、そして、既にときどき演出不能に陥った感のある“誠実さ”を表情にたたえ続ける訓練をせよ」と忠告したのであった・・・いまの若い世代には納得しにくい部分もあったであろう。   
   
 この結果、彼にはボーナスをさほど消費させないことにはなったのであるが、かくして自分は、日本の消費低迷を後押ししたのであるなあと思い至ったのである・・・しかし、そこで反省などしない(笑)。   
   
 カネの使い方と言えば・・・今の(いや、もっと前からのであるが)親たちの、子育てに関してのカネの使い方には腑に落ちないところがいっぱいある。幼い子供にブランド物の衣類を着せる必要があるのかとか、高級飲食店に小学生まで連れてくる必要は無かろうにとか(「そういう例はリッチな親たちだけのこと」という意見もあるやも知れないが筆者にはそのようには見えない)、子供たちにスマホを持たせる必要もなかろうに家族全体でそんなに高額の通信料金を支払う家計構造はどうかしているとか、子供に高いスポーツ・シューズを買ってあげるにしてもそれを普段の遊びのときにも履かせて石ころを蹴飛ばして傷むのを惜しいとは思わぬのかとか、学校以外に塾に通わせているとはいうけれども放課後にコーヒーショップその他で友達どうしで一緒に宿題・勉強をするという習慣をなぜやめさせないのかとか(一緒に勉強をしても「出来る子」の側が得るものは何も無かろうし、「相対的に出来ない子」の側もまた塾でもっと上手に教えてもらったほうが効率がよろしかろう・・・そして、都会的な感覚からすれば、子供たちは学校を卒業するたびにまた新しい仲間と出会うから「いまの友達」や同窓会など結局はほぼ無意味になっていくのである)。また、子供たちの(勉強以外の)習い事が多すぎるのではないかとも筆者は思う・・・人は、そして子供たちは成長してから、誰もが輝く権利を持っているし、趣味も豊富なほどよろしいと思うけれども、才能に恵まれているなどのことがない限りは芸術やスポーツに熱中させ過ぎてその道に進ませてしまうことにならないよう注意する必要があると思う・・・筆者がそう思うのは「人間、いずれあの世からお迎えが来るまで手堅く生活を続けることが一番大事で、しかし、ごく平凡な(サラリーマンや商店経営者その他のような)職業選択の中でもわくわくすること、自分が輝けることがたくさんある、それでも十分ではないか。さほどの才能も無い人間が芸術やスポーツの世界で生きようと賭けに出ることは賢明でない」と思うからであろうなあ。   
 親たちがそういう無駄ガネ遣いみたいなことをしつつ、同時にまた、子育てに伴う自分たち自身の生活水準の低下も嫌がり、それがゆえに子育て支援の色々を社会に求めることに、筆者は大いに抵抗を覚えてしまう。   
   
 ただし、誤解の無いように言い添えれば、生活保護の制度と同様に、家計をどう工面しようにも絶対的に子育てが苦しいというケースに対しては然るべき対応がされるべきと思う。   
 また、ダイレクトに金銭で解決することに限らず、就業機会を逸しないで済むように保育所の整備にも行政は注力しなければならないと思うのであるが、これについては筆者、「家計支出におかしなところは無いのか? 離婚しているとかでなく、夫婦がそろっているケースで、子供が小さい時期、たとえば夫の側が就業している場合に妻もまたどうしてそれほど多くの時間を仕事に出たいと思うのか」という疑問も持つ。「そういう疑問を持つこと自体、感覚が古い、お話にならない」と言われてしまいそうだが、女性の側の、キャリアの中断を恐れる気持ちを理解しつつも、仕事からは完全リタイアして子育て専業主婦をしている女性を見ていると「人生と子供のこれからの成長をほんとうに見据えた生き方はどういうものなのか」と考えてしまうのである・・・子育てに縛られる女性はそれまでの学歴も仕事上のキャリアも犠牲にしているのであるという見解もあろうが、それはその種の見解を披露する人の言うことであって、そもそも生き方は人それぞれなのであるから、自問自答も経ずに他人の見解を真似ることだけは控えて欲しいと思うことがある。しかし、この問題は、いくら議論を重ねても、意見がひとつにまとまることはなかろう、でも、まとまらなくても、それもまた悪くない。   
   

雑記


   
 落語をば・・・。   
   
   
 「ご隠居、こないだは色々と教えてくだすってありがとうございました」   
   
 「ん? 俺、お前さんに何か教えたっけかな?」   
   
 「ほら、この茶碗・・・これの呼び名はどうして“茶碗”なんですかってお訊きしたら、“置くと、じっとして動かずにちゃわんとしているからだ”って教えてくれたじゃないっすか」   
   
 「ああ、そうだったな」   
   
 「それでね、ご隠居、いま話題の、あの空中を飛ぶ道具・・・ドローンていうアレ、どうしてドローンて呼ぶんすかね?」   
   
 「お前さん、そんなことも知らないのかい?」   
   
 「へえ、すんません・・・けど、ご隠居ならご存知かと思って」   
   
 「んーと、あれはだな、そうさなあ・・・いきなり飛んで来てまたどこかへ去ってドロンと消えてしまうからだな」   
   
 「ああ、そうなんすか、なるほど。ほかにも教えてもらいたいことがあるんですがね」   
   
 「何だい?」   
   
 「“ちはやふる”って短歌のこと、このまえ教えてくだすって・・・歌の最後の“とは”ってのも芸者さんの名前だっていうことでしたよね」   
   
 「ああ、そうだったね」   
   
 「それでね、やっぱり百人一首のカルタに“すえのまつやま、なみこさじとは”ってのがあるんすが、この最後の“とは”ってのもやっぱり芸者さんの名前なんですかね?」   
   
 「そうだな、源氏名でなく本名だが」   
   
 「歌の意味を教えて欲しいんすがね」   
   
 「お前さん、本当にものを知らないんだね」   
   
 「だからご隠居さんに教わろうと思って。ご隠居さんはご存知なんですね」   
   
 「あ・・・ああ、これくらいは常識だな」   
   
 「じゃ、すいません、教えて下さいな」   
   
 「昔々の江戸時代にな、“とは”って名前の女性が芸者をやっていた・・・」   
   
 「へえ、それで」   
   
 「人気があったもんだから他の芸者さんたちに嫉妬されたり警戒されたりしたんだな」   
   
 「なるほど」   
   
 「で、“わたしはあなたたちに勝とうとか追い越そうとか考えていません”ってことを歌にしたわけだ」   
   
 「はあ?」   
   
 「先輩の芸者さんに“末乃(すえの)”という女性がいた。それから当時人気のキャバクラ嬢に“松山奈美(まつやまなみ)”という女性もいた。どっちも本名でなく源氏名だが。で、“とは”さんはこの二人から特に警戒されていたので、“わたしは、末乃さん、松山奈美さんたちを追い越そうなんて思いません by とは”って具合に、いわば挨拶してるわけだな」   
   
 「ご隠居、いくら何でも、江戸時代にキャバクラなんてあった筈ないじゃないですか」   
   
 「いや、あった。コンビニだってあったくらいだから」   
   
 「本当っすか? コンビニが?」   
   
 「それが証拠に都都逸(どどいつ)が残ってる」   
   
 「都都逸ってのは、あの、七、七、七、五のあれっすね? それはどんな都都逸なんすか?」   
   
 「○○○と○○○○ ファミリーマート、 セブンイレブン ○○○○○・・・てのだな」   
   
 「聞いたことあります、コマーシャルで。ふたつのコンビニ、一緒に登場しちゃってますね?」   
   
 「だから・・・その、コンビニって楽しいところだって雰囲気がよく伝わってくる都都逸だろ?」   
   
 「セブンイレブンって、何でそういう名前なんでしょうかね?」   
   
 「昔々はな、7時から11時までの営業だったからだ」   
   
 「へっ? 一日4時間だけの商売だったんすか?」   
   
 「そう、午前中の短い時間に集中して商売しちゃう」   
   
 「あっしの居酒屋商売なんざ、買出し・仕込みまで含めると1日12時間以上も働いてるんすけどね」   
   
 「稼げるビジネスモデルが確立してさえいれば時短も不可能ではないということだな」   
   
 「稼ぐって言えば・・・こないだ落語を聞いて来たんですがね・・・落語に“かいせんどんや”の若旦那ってのが登場してたんすが、“海鮮丼屋”なんて専門の商売があったんすね。しかも、その若旦那ってのが羽振りもいいみたいで」   
   
 「ああ、景気よかったろうね」   
   
 「いい時代もあったもんですね。あっしの店でも昼のランチにサーモンやイクラを使った海鮮丼を出すことあるんすが、10食も出ませんからね」   
   
 「回船問屋ってのは、その海鮮丼とは全然ちがう。それに、お前さんの店、魚とかのネタがあまり良くないからな、俺もお前さんの店にランチを食べに行こうという気にはなれないな」   
   
 「そんなこと言わないでくださいよ。ご隠居、最近うちの店にちっとも来てくれないじゃないっすか」   
   
 「ま、それを言うな。そのうち、また寄るよ」   
   
 「へえ。うちの店の“晩酌ほろ酔いコース”って、あれ、いいでしょ。また来てくださいね」   
   
 「あ、酒の肴がお任せのあれか・・・あれは良くないな」   
   
 「どうしてです? 刺身のほか、ちょっとした一品、焼き物、煮物、揚げ物って具合にズラッと揃っててお得だと思うんすがね」   
   
 「この前、お前さんが出して寄越したのは何だったっけかな・・・イカ刺に、イカの塩辛・・・イカ焼き、イカのごろ煮、イカのリング・フライだったな。飽きちゃって、あんな献立じゃダメだ」   
   
 「そうっすか? 今日はね、さっき活きのいいイワシも仕入れられたし・・・今晩、来てくださいよ、コースで召し上がっていただけます」   
   
 「どんな献立になるんだい?」   
   
 「イワシの刺身、それからやっぱりイワシの塩焼きは外せないっすから。あと、イワシつみれの煮付け、イワシを開いてフライにもして召し上がっていただけます」   
   
 「イワシばっかりじゃないか。飽きちゃうよ」   
   
 「大丈夫っす、お口直しに、美味い漬物があるんすよ、酒も進みます」   
   
 「どんなんだい? イワシのオイル漬とかじゃないだろうな」   
   
 「違いやす。ショウガの漬物です、あっしが漬けたんじゃないですけどね」   
   
 「ほう、イワシ以外のものもあるんだな」   
   
 「いえ・・・“岩下の新生姜”って品なんですけどね」   
   
   
   (了)   
   

神は全知全能、JAは全知“全農”

   
 (↑)タイトルに特に意味は無い。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 亡くなった有名人の話をすることがあったとき、作詞家、ちあき哲也氏の名前を筆者は出すことがあった。周囲は皆その名前を知らないのであったが、しかし、その作品のいくつかは、おそらく誰もがご存知の筈なのである。たとえば次のような作品:   
   
 飛んでイスタンブール   
   
 ノラ   
   
  YES MY LOVE    
   
 吾亦紅   
   
 仮面舞踏会   
   
   
 筆者としては、「元禄花見踊り」なども好きなのであるが。   
   
   
 氏のご冥福をあらためてお祈りいたします。   
   



或る「カタカナ語辞典」より・・・


   
 ボイル・シャルルの法則:   
   
 (芸術分野) 正しくは「ボイリング・シャルルの法則」と呼ばれる。指揮者シャルル・ミュンシュの芸風に「煮え立つ( "boiling" )」ようなスタイルが見受けられることを指して言う。   
   
   
 ラグランジュの定理:   
   
 (経営学分野) 人気を博す食品や飲料にあっては、その背景に必ず地道な努力や工夫があるとする定理。   
   
   
 下のは「シャトー・ラグランジュ」という銘柄のワイン。   
 美味いとは思ったのであるが、舌がワイン慣れしていないゆえ、どれだけ堪能できたのか怪しい(笑)。   
   

セルの新譜・・・DVDである!

   
   
 以下は、4月1日のエイプリル・フールのための嘘ネタとして載せたものであります(このようなDVDのリリース予定はありません):   
   
   
 昨秋に報じられたとおり、セル/クリーヴランド管の1970年来日公演のテレビ映像が45年以上にわたってドイツ国内に死蔵されていた。はたして商品化されるのだろうかと気を揉んでいたファンは多かったことと想像するが、無事に権利関係の調整が済んだとみえて6月にはリリースされるとのことである。   
   
 DVD、2枚組。   
   
 来日公演の映像がNHKに残っていないということはファンが残念がってきたことなのであるが、当時のDMAG(西ドイツの組織で、日本における文化庁みたいな機関)のスタッフが日本における音楽・古典芸能の番組づくりを研究するためにテレビ番組を録画して持ち帰ったテープの一部に、セルの来日公演の映像(もちろん音声も)が残っていたのである。   
   
 画質・音声とも極めて良好であるらしい(発売元のコメントでは)。   
   
 曲目はシベリウスの交響曲第2番その他。   
   
 併せて、アメリカの料理番組にセルがゲスト出演したときの映像も収録されるとのこと。こちらは1967年放映のもので、出された料理に舌鼓を打ちながら「ロッシーニの音楽と料理」について語り、さらに5分以上にわたってワイン談義に花を咲かせる姿も映っているとのことである。   
   


Vin et Wand



  上のはギュンター・ヴァントのDVDと酒。   
   

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