2016-02

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前回の続き・・・



   
 本日、鑑賞した順序としては上の写真を左から右へという具合だったのであるが、まず最初に上段右上のハイフェッツのライヴ盤に触れておくと・・・ここにもフランクのヴァイオリン・ソナタが収録されている・・・「これこそが最高峰の名演であって、かつ往年の“まばゆいばかりの音色にして○○美の世界”をそのまま保っている」と評することには無理があるのだけれども、演奏ぶりにはしっかりと醍醐味が感じられるし、技巧・音色よりも演奏における「意気」に惹きつけられる。「年齢(とし)をとることは、(精進を重ねている限りにおいては)ちっとも怖くない」という思いを抱かせてくれる演奏内容でもある・・・異論あることを承知しているが。   
   
 上段のいちばん左はセル・ファンにはおなじみのものなので説明省略。上段の真ん中のものはベルティーニ指揮によるマーラーの「歌もの」を収録しているもので、「角笛」の一部その他。最近よく聴き、おそらくは気に入りのものとなっていくことであろう(収録内容全部についてではないが)。   
   
 下段はR.シュトラウスの「四つの最後の歌」がらみであるが、左のシュヴァルツコップフ/セル盤については説明省略。右のものはチェリル(シェリル)・ステューダー/シノーポリのレコーディング。シュヴァルツコップフ盤に聴き馴染んでしまっていると、後者の演奏にはちょっとした違和感や粗さのようなものも感じてしまうのであるが、聴き重ねるうちにこれもまた優れた演奏であるとの感想に至る。なお、ヤノヴィッツ/カラヤン盤が醸しているあの世界については、間違いなく名演と感じつつも、自分としては没入できずにむしろ距離を置きたいものがある。   
    

雑記



   
 (↑)DVD2枚の背景にしているのは日経新聞の先日の記事/コラムで、これと殆ど同じタイトルでブログ記事をアップしようとしていたのに先を越されてしまった(笑)。   
   
 もっとも、筆者としては、「マイナス金利」の次は、驚くなかれ「マイナス消費税」という制度が登場するぞという話を書きたかったのだけれど。   
 日本にやって来た外国人旅行者が買い物をする際、免税どころか1パーセントのオマケをしてもらえるという、そういう制度(オマケの原資は国家予算)・・・「マイナス消費税」と呼べば珍妙に聞こえてしまうが、国が観光振興のために発行する来日観光客向けクーポンみたいなものと解せばそれほど違和感を生まないのではないか。小売業も、また、ひいてはメーカーその他も恩恵を受ける。   
 同時に、日本国民である一般消費者も恩恵を受けるようなマイナス消費税制度は考えられぬか。ひとつには、海外農産物に価格面では対抗しきれずにいるブロッコリー、アスパラガス、オクラ、シイタケなどなどについて、消費税8パーセントを課さずにおき、むしろ1パーセントのオマケをするという制度。ただ、これをやると国内からも異論はあがるし、海外からも国内農業保護のあり方について批判を浴びるので実現の可能性は乏しいか。   
 ま、以上いずれも、あくまで冗談ではあるが。   
   
 なお、写真中の2枚のDVDのうち「ファンタジア」のほうは、よく知られているようにストコフスキー指揮による音楽が収録されている。その音作りやアレンジについて好みは分かれようけど。2枚とも100円ショップ「キャンドゥ」で売られていたもの(現在も扱われているかどうか知らない)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 下のは・・・。ドビュッシー、フランク、フォーレなどのヴァイオリン・ソナタその他は、自分にとっては「夏に聴きたい音楽」ではあるのだが、この度やたらと聴きたくなってしまった。ディスクの古い一部のものはちゃんと再生できなくなってしまったようなので先日買いなおした。   
 これらの他、手持ちのものがいったい何枚あることか。それらの中には、気に入りの演奏もあれば、逆に「この演奏、何かおかしいな、虚ろというのとも違うし、聴き手を引き込まない演奏だな、それに、この演奏、果たして正確に音程をとれているんだろうか?」と感じてしまうものもあるのだが、ハッキリと「これが理由・原因だ」と指摘できるものでもない。   
   
 写真中の右下のものはチョウ・チンのチェロによる、チェロ版でのフランクの演奏。カップリングはモーツァルトのオーボエ協奏曲をセルがチェロ用に編曲したものを収録。   
      
 左上のカザドゥジュ(カサドシュ、カザドシュ)のCD10枚組セットの中にはフランチェスカッティとのフランクなどが収録されているが(敢えてこの商品で聴かなくてもソニーからのCDで聴ける)、ほかにセル/ケルン放送響とのモーツァルトの協奏曲第24番・第26番なども収録されていて、それらは大いに魅力的で楽しめるものである・・・これらのモーツァルト、音質的には必ずしも芳しいとは言えないのであるが「ヒストリカルもの」に馴染んでいるファンにとっては「よろしいではないか」的な水準のものと感じられるのではないか。   
   


雑記



   
 国税庁のサイトにて確定申告書作成のための金額(数値)データその他を入力すると、それに基づいて確定申告書をプリントアウトすることが出来る。(ほか、e-Taxという手段もありえはするが、筆者の世代だとやはり「書面による提出」のほうが安心というか、しっくり来る・・・時間や手間の点で不利だとは承知しているが)。   
   
 さて、プリントアウトを済ませたところで「もしかすると、そろそろインクの残量が少なくなっているかな」と思い、インクカートリッジにインクを補充したのであった。カートリッジ交換ではなくて、「インク補充」である。   
   
 プリンターのメーカーは、取扱説明書にもあれこれ記載しているとおり、ユーザーによる、サードパーティ製インクの補充を推奨していない。当然であろう(プリンターのハードウェア的品質保証の面でも、印刷クオリティの保証の面でも、そしてまたメーカー側の、消耗品販売でも利益を出していくというビジネスモデルとの関係でも)。   
 当然ではあるのだが、筆者、昔から自分でインク補充している。経済的だからである。慣れてしまえば、大して手指を汚すこともなく、短時間で作業できてしまうものだ(その人それぞれの器用さにもよろうが)。仮にプリンターに重大なトラブルが生じても、筆者が使っているものは廉価モデルであり、買い替えも苦にはなるまい。   
   
 上の写真で、左のパッケージの製品にはノズル付ボトルに入ったインクのほか、写真右下のようなドリルも付属している。添付説明書に従ってこのドリルでインクカートリッジに穴をあけてからインク補充をし、そのあと穴をシールで塞ぐのである。   
 筆者は、穴の空け方をちょっと工夫するほか、ボトルから直接にインクを注入するのでなく写真右上のような注射器(シリンダーおよび、先端の尖っていない金属製の管)を用いて注入するという方法を採っている・・・写真右上の何点かのものは昔のサードパーティ製インクに付属していたもので、それらを今に至るまで持ち続けているのである。   
   
   
   
 なお、ブラック以外の、カラーのインクカートリッジについてはメーカー純正品に交換することとしている・・・カラーインクは、筆者の場合には消費量が著しく少ないから交換頻度も少ないし(文字・罫線のみの文書・書類を印刷することが殆どであり、印刷の設定でも几帳面に「モノクロ印刷」を指定している)、また、昔、カラーインクも自分で補充してはみたけれども色調の点で不満足なこともあったからである(文中に赤色のアンダーラインを引くくらいなら気にならないものの、「写真だとどうもなあ」という感じであった)・・・最近のサードパーティ製カラーインクのクオリティ・出来具合は承知していない。   
   
   
   
 以前のこと、よその或る会社の人が「俺、家で使うボールペンやマーカー、ホッチキスの針、セロハンテープ、付箋、インクカートリッジなどは買ったことがない。職場の文房具ロッカーから持ち帰っちゃうもん」と言ったので筆者は驚いたものだが、それはやはり一種の犯罪ではないのかと思う。ただ、部門長・上司その他の了解があれば別だろうけど(たとえば、職場で残業するのでなく家に仕事を持ち帰って作業し、そしてプリントアウトも家で行なっている等の事情がある場合)。   
    

さして面倒でないから、かくて確定申告を済ます



   
 昨年ぶんの所得にかかわる確定申告を済ませた。   
   
 昨年よりも1日早いペースである。   
   
 株式投資による所得があること(源泉徴収ありの特定口座によるもののほか、若い頃からのもので一般口座にて管理されてしまっているもの等があってその売却益は申告分離課税に乗せなくてはならない)、また、微々たる額の雑所得もあったりすることから毎年のように確定申告をしている。   
   
 あまりに古い申告書(控え)は捨ててしまっているが、昔はどのくらいのタイミングで申告をしていたか・・・。   
 写真のいちばん左のは平成17年ぶんのもので18年3月に申告。おおまかに言って、少しずつ申告タイミングは早くなっている。   
   
   
 昨年は、特定口座ぶんの取引も含め、筆者のキャピタル・ゲイン成績は絶好調であった・・・さらに配当も含めれば、これほどの利回りを誇れる投資信託商品はいったい世の中に存在するだろうかと思えるほどであった。が、それだけ通算の納税額も大きくなるのである・・・かつて、バブル崩壊やリーマン・ショックの頃に塩漬けを決め込んだ銘柄の株価復活・上昇を喜びつつも、株式売却益への課税上で「(上場株式の)長期保有に伴う精神的ストレスを考慮した特別控除制度(売却益減算=結果的に所得控除)」みたいなものがあって欲しいよなと思ったりもする。仮にそのような制度があっても直ちに大きな税収減にはなるまいと思え、国民による株式投資をさらに盛んにするうえでは多少なりとも有益であろう。   
   
   
 ところで・・・。   
   
 たとえば、国防関連の機密情報を外国人その他に提供した見返りに受け取る報酬であるとか、公共工事についての最低落札価格/最低制限価格の情報提供を仲介したことで受け取る謝礼などは「雑所得」になると思われるのであるが、そういう申告、ちゃんとやっている人はたぶんゼロであろうなあ。世の中、不公平であると思う。   
 ま、受け取る金額なり、総所得なりとの関係で申告不要というケースもあろうけど。検定前の教科書を見せられながら意見を述べたことで先生・教育長などが受け取る謝礼の額などは申告不要ラインなのかな。世の中、公務員に対する謝礼は「お車代」で(源泉徴収もしない)というテもあるし、うーん、ちょっとばかり面白くない気分ではある。   
   

At a glance, and at a guess...



   
 上のは「太刀魚(タチウオ)」。適当にカットしたうえで塩焼きに。   
   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
   
 昔、中学生の頃、筆者やその友人たちのあいだでは「下衆(げす)」という言葉がおおいに流行った。あれは、この言葉を先生が生徒に教えたからではなかったかとも思うのであるが、もしかしたらテレビの時代劇などで使われていてそれが耳に残っていたのかも知れない。   
 で・・・、誰かが行儀の悪いこと、品の悪いことをしでかしたり、また、一緒に遊んだときの缶ジュースやら何やらのおごり・おごられの関係の中でいつもおごられてばかりの者が「たまにはおごり返してくれよ」と求められたにもかかわらず知らぬふりを決め込むなどということがあったりしたとき、周囲は「下衆は、やることが違うな」、「下衆の連中は、やっぱりそんなものか」と言い放つことがあったのだ。ただ、軽いノリの感じはちゃんとあって、いまどきの小中高生のあいだで見受けられそうな「いじめ」的な雰囲気はなく、上のように言ったからといって、それ以後に相手を無視する・村八分にするなどということは決してなかった。もっとも言われた側はそれなりに「クソッ」とか「しまった」とか、あるいは肩身の狭い思いなどすることがあったかも知れぬが。   
   
 音楽の趣味のある友人は「ソの音にフラットが付く、あれだね」と言うこともあったが、これは「変ト」を、あるい変トの調性をドイツ語では「ゲス」と呼ぶからである。   
   
 その後、高校生の頃には「下品(げぼん)」という言葉がほんのちょっとだけ流行した。   
   
   
 時は流れ・・・。   
 いま、日本には海外からたくさんの観光客がやって来る。   
 いっぱいの買い物をして大きな荷物を持った彼らが、二人連れ・家族連れなどで歩道を歩く。反対方向からこちらが歩いているとき、歩道がそれほど広くなくて一人対一人ですれ違うのが適当と思われるときに向こうは二人並んだままで歩み続けようとする。これは、こちらにとって腹立たしいものであるから、決して道を譲らないのが筆者の仕方である・・・譲ればそれは卑屈というものと考えるからである。すると、当然ながら相手の体なり買い物袋なりとぶつかるわけであるが、しかしそれでも構わない、これは彼らに対する教育になるのだから。すれ違うとき、歩道その他の幅を考慮せずに二人並んだままで歩く・自転車で並走し続ける等のことを良しとするマナー・交通ルールというものは、おそらく世界の中でメジャーではあるまい。(ただ、日本人でも同様の行動が見受けられることが多くなっている・・・これは情けないことである。)   
   
 「海外からの旅行者は大切ですよ、おもてなしの心をもって接しましょう」と言う人たちもいようが、旅行会社、ホテル、旅客運輸、観光業、テーマパーク、スーパー、コンビニ、ディスカウントショップ等々に関わる人であればともかく、「振る舞いのクオリティが芳しくない旅行客については日本に来てもらわなくても結構」というのが筆者の正直な感覚である。   
 五七五をば・・・。   
   
  おもてなし(を)  大事だなんて  思ってないし   
   
 先日のこと、知人と酒を飲むことがあった。店に向かうまえに彼はドラッグストアに寄りたいと言った。   
 彼は或る薬を選び、いま飲んでいる別の薬との飲み合わせのことなどを店員さんと話していた。その会話の途中で、海外からの旅行客が割り込んで来た。「この店では免税で買い物できるのか?」という趣旨の質問をたどたどしい日本語で尋ねたのであるが、割り込み方が強引ぽくもあり、また、声もでかかった。   
 彼は舌打ちを、わざとらしく大きくした。しかし、ただそうしたに過ぎず、我慢して店員さんとの会話を中断した。筆者は彼の気持ちを察し、「下衆のやることと思えば腹も立たずに済む」と彼に言った(この感覚、そして、このように自分に言い聞かせることはキレてしまわぬために有用なものと思っている・・・これをも「上から目線」などと批判されることは正しくないと思う)。旅行客との話が終わった店員さんは、まだとても若いのに、「下衆」という言葉を承知しているに違いないと思えるような笑い顔を浮かべてこちらを見、そして知人との会話に戻ったのであった。ちょっと意外なことだと思ったのだが、昨今はこの言葉が若い人たちにもよく知られているのだと最近になって知った。   
   

雑記



   
 ホームパーティーめいたことをし・・・よくありがちなオードブル類(生ハムだの、チーズを用いたものだの、揚げ物だの)も食べてもらったのであるが、その後に自分を含めた一部の「呑み助」は言うなれば「日本酒で酒盛り状態」に突入したのであった。   
 こうなると、つまみには漬物や、「鮭とば」なども追加することになる。イカの鳶口(とんびくち)なども出したかったのであるが残念ながら在庫を切らしており・・・最近、乾物屋さんに足を運んでいないのであった。   
   
 日本産の、ちっとも珍しくはない或る農産物を台湾出身の知人にも食べてもらったが、これは大いに気に入られた。TPP発効してもこれは強力な産品となるであろうことを確信した。それは一体何か? 今は言えない・・・なぜなら、台湾の人には食べてもらいたいが中国本土の人たちによって爆買い・爆食がされればこちら日本人が食べられなくなって(あるいは価格高騰して)迷惑するからである。   
  「はざかけ米」と称されて天日干しされたコメも、その風味のよさを分かってもらえたと思う。こういうものも日本のコメの輸出に際して考えられてよいと思うのであるが、さて、手間・コスト面でむずかしい面があるか。それとももう現実に輸出用にもなっているか。(なお、冒頭の画像は過去のものの使いまわし。)   
   
   
 ところで、生ハムやチーズの塩分含有量が如何ほどかは知らぬが、漬物や、或いは「鮭とば」にもそれなりの含有量があろうなあ。   
   
 塩分摂取量は控えめにしたくはある。しかし、人みな等しく塩分摂取による悪影響を受けるのであろうか?   
 筆者の場合、1日2杯の味噌汁を口にすることは珍しくないのであるが、そのうち1杯は具だくさんの状態のものである(ワカメや野菜を含むことが多い)。日中の水分摂取量も多い。料理は薄味のものを食べることが多い。生野菜を食べるとき、トマト、レタス、ブロッコリーなどには塩すらも振らないことが普通である。   
 血圧は上が120台で、どうも最近の考え方ではこれを110台に持っていく努力をするのが好ましいらしいのであるけれども、健診時に医師からは「あなた、血圧はこれでよろしいです。血管そのもののコンディションが良好で若々しいですよ」と言われてしまうと、さて今後、何か努めるべきことがあるのかどうかと思ってしまうのである。子供の頃、成長期に立ちくらみなどを覚えたことを振り返っても、あまり低血圧にはなりたくないしなあ。また、長生きしたいという気持ちもそれほど無いし・・・。   
   
 下の写真は「鮭とば」と、新聞に載った或る本の広告。   
   



雑記


   
 或るとき、「YDKとはどういう意味か知っているか?」とクイズを出されたが知らなかった。電機メーカーのTDKなら知っているが、はて、ではAKBとかの類かと思いきや、「やれば出来る子」の略なのだそうだ・・・どこかの進学塾のキャッチフレーズのようだ。   
 筆者は、他の、違う意味の言葉・フレーズを以ってYDKと略すことこが出来ぬものかとしばし考えて2つのパターンを思いついた。   
   
 それから1週間ほどして、別の機会にまたしても「YDKとは何か知っているか?」と問われたので、すかさず「やたらダメな子」と答えた。不正解なのであるが、しかし、この不正解は「正解を知っているからこその、ジョークとしての誤答」というものである・・・ただし、あまり上等な答えでなく、子供の勉強の出来具合その他に悩んでいる人たちにとっては快くないジョークであるやも知れない。   
   
 ところで、筆者が考えたYDKのもうひとつは・・・「やめては どうか 介護保険制度」というものである。   
   
 介護保険制度は、筆者自身も親の介護で世話になっているのであるけれども、介護を受ける本人の月次の介護保険料負担の累計、ならびに利用サービスの1割負担などの合計負担と、利用サービスの9割給付の恩恵とを比べたときに、必ずしもうまくバランスしていないように思えて仕方ない。   
   
 このアンバランス感覚がなぜ筆者らに生まれるかというと、「介護は出来る限り家族・身内(同居であれ別世帯であれ)で済ませたい」という考え方のもとで介護に臨むからである。必要性・利便性、その方面の知識・技能による助けの有用性などもあるからホームヘルパーさんの利用もするし、介護用ベッドのレンタル利用などもする。   
 しかし、基本は家族による介護と考えている。本心から、積極的にそのように考えているのであるが、同時にまた、「あまりに手抜きの介護、デイサービスの多用などあれば近所からも親戚からも非難を浴びるかも知れないな」との思いもあることは否めないが、しかし、たとえば、「そのような非難をしてはいけません、まだまだそのような古い感覚が残っていますが、だからこそ介護に対する意識を変革し、介護保険によるサービスの一層の拡充が望まれますし、制度の充実と浸透によって女性を家庭・介護に縛りつけることなく社会進出しやすくしなくてはならないのです」的な意見に賛成する気にはなれない。女性もまた考え方や立ち位置はそれぞれなのであり、一律に「専業主婦=悪」、「介護や子供の世話に時間を費やすよりも外へ出て働くことが賢明」などと論じるのもおかしいことだろう。   
 レンタル制度のあるベッドだって車イスだって、必要に応じて介護を受ける本人なり家族なりが買ってしまえばよいのである・・・ああまで機能豊富なベッドである必要性は必ずしも無かろうから、それほど高額な出費になるとは限らない。高機能で高価なものを、レンタル料金の9割を保険制度で負担するから皆が安易にレンタルしてしまっているのではないか。   
 デイーサービスの類も、「家庭で入浴させるのは大変だし危険もあるし、それよりもこういうものを利用するほうがスマートであるかな」程度で利用する人もいれば、年寄りを厄介払いする本心を丸出しにして積極利用する人たちもいる。しかし、その積極利用ゆえに介護保険制度の財政は膨張し、また逼迫していくことであろう。特養ホームなどの利用にもそういうことが言えまいか。   
   
 家族介護について一定の信念があって、徹夜や、夜中に何度も起きても体力消耗したり集中力散漫になったりしない人にとって、家族での(自分自身での)介護はそれほどまでには苦しくなかろう(重病の、あるいは夜間徘徊癖の老人を介護するともなるとゆっくり風呂に入ることも出来なかったりして大変ではあろうが)。他方、たとえば修学旅行や社員旅行でも目にしたりするが、寝起きの悪い人、夜中のマージャンの音で目が覚めると不機嫌そうな顔をするような人たちは、ひょっとすると介護には多くの手助けを必要とするかも知れない。人間には両者のパターンがあることを考えると、「介護はこうすべき、これでいいんだよ」的なものは一律に描けないことを認めざるをえないが。   
   
 要介護度が高い人に配偶者その他の同居家族がいて一定の条件を満たす場合には介護手当なるものがその同居家族に支給されることになっているようで役所からの連絡も届くようなのであるが、父などは妻の介護に関して「俺みずからは介護らしいことは何もしていないもんな。こんなものを貰う筋合いではない」と言って受給申請をしない。筆者個人的には「べつに手当だと思わなくても、特養ホームなどに入れてしまわず家に置き、つまり介護保険財政を助けているのだからその謝礼的な払い戻しみたく思って受け取ればよいのではないか、夫婦二人して何か美味いものでも食べればよろしいではないか」と思ってそのようにも言ってみるのではあるが、しかし父にしてみると「筋の通らぬ、腑に落ちないカネなど受け取れるか」ということなのであろう。ゆえに、こういう介護手当なる制度も人によっては無意味でムダなものと感じてしまうものなのである。   
   
   
   
 健康保険制度に於いても似たような面があろう。   
 それぞれの健康保険組合などが財政難に悩んでいることを誰もが承知しているのに、しかし、「せっかく毎月のように健康保険料を負担しているのだから、何か体調不良を感じたら、或いは風邪をひいたと思ったら医院・病院に行かないと損、薬/処方箋も出してもらわないと損」と考えている人が案外と多い。たいていの疾病は自然治癒力で治るのであり、やたら不安を覚えてしまうくらいの病気・体調不良や、自分でうまく対処できぬと思えるケガのときだけ医師の世話になろうみたく心に決めている人は実はそう多くないように見受ける。そうした状況があるから健康保険制度の財政も逼迫してしまうのであろう。   
 「手遅れになってからでは遅いから念のため」との感覚も間違いではないのであるが、筆者などはそういう思いが生まれたとき「自分というものの価値を高く評価し過ぎるな、1億2000万人ほどの日本人のうちの1つの個体に過ぎぬ、命を落とすに至っても大したことではない。安易な受診が健康保険制度の負担増につながる・・・皆がそれをやれば“チリも積もれば”で大きな負担へとつながり、ひいては健康保険料の上昇へとつながるのだ」と自分を戒めることにしている。   
   
   
 介護保険にせよ健康保険制度にせよ、制度の大改革が必要のように思えてしまう。   
 (1)「手厚い保険給付を望む人」のための、保険料も割高な制度と、(2)「さほどの保険給付を望まない人」のための割安な保険料負担で済む制度と、そういう2つのものを用意して、各人の希望に応じてどちらか一方に加入させる形に改めるとか。   
 あるいは、前年などの保険給付実績に応じてそのあとの年度の保険料を割り引く制度にする等。   
 さもないと、「保険制度の財政に迷惑をかけたくないから」等の理由で医療機関を受診しない人、介護保険での介護サービスをまったく、あるいは少ししか利用しない人にとって不公平であろう。「自分は体力もあって健康面での不安も無いから健康保険制度そのものが不要だと思う」と主張する人もいるかも知れないが、それでも感染症やケガなどのリスクはあるのだし・・・そして、皆保険制度を完全否定してしまう主張は、現時点では通らないものと思える。   
   
 ただ、しかし、介護保険制度のほうについては、「老後の備えは現役世代のうちに」との常識に照らして、いっそ廃止してしまったほうが現役世代の負担も減って好ましいのではないかと個人的には思えてしまう。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 下のは、とうに現役を引退してしまったノート・パソコン。   
 処分するにあたって、バッテリーは別途の処分。HDDも別途に処分(こればかりは業者を信用せず、中味を物理的に破壊するのがいつもの習わし)。   
   


雑記


   
 一般国民の多くが随分と関心を寄せ、そして、それについては集会なども行なわれたあの安全保障法制の問題・・・。今や、多くの人々はこれを忘れ去ってしまっているかに見えてしまうのは筆者だけだろうか。世間話に登場するテーマは廃棄食品の後始末のこととか、ま、時が過ぎるとはそういうことか。   
   
   
 居酒屋での会話・・・。   
 「女性、特に子を持つ女性(母親となっている女性)が防衛大臣を務めれば戦争は起きない」との意見を口にする人がいる。「いや、それは無理だろう。総理大臣をはじめとして主要閣僚が女性であるならば戦争回避・戦争忌避の指向はかなり強くなり、戦争は起こりにくい」との意見を出す人もいる。しかし、女性政治家もまた、政治の世界でのし上がっていく・権力と地位を得ていく過程では、世論はもちろんであるが、同時にもっと近い周囲、つまり先輩有力者なども含めての空気を読んだうえで意見形成・意見表明することは大事なわけで、果たして、自分の胸に手を当ててホンネに忠実に行動していくかどうかは分からないと筆者は疑うのである。   
   
 筆者が、「だいたい、女のほうが怖いんだぜ。 “強き者、汝の名は女”とシェイクスピアも言っている」と言ったら、これを冗談とは分かってくれない若者から「へえ、そうなんですか」と返事された。   
   
 さらに、「中国には“モウボサンセンノオシエ”という喩え(たとえ)もあるし」と言ったら予想どおりにキョトンとされたので、筆者は紙にこう走り書きしたのである:   
   
   猛母、参戦の教え   
   
   
 「はあ、凄いですね」との反応。   
 「好戦的な母親というのもいるのだよ」。   
   
   
 ま、すぐ後から色々と正しい(まじめな)説明をする羽目にはなったが・・・。   
 しかし・・・何かというとすぐスマホをいじって調べるくせに、こういう場合にはそういうことをしないのであるなあ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 個人生活上の安全保障体制・・・。   
 予備コピーだの、万一のリカバリのためのデータ確保などでたまったCD-Rも、時にはきちんとした適切な形で処分しなくてはならなくなり、これはちょっとばかり面倒でもある。   
 パソコンやインターネットの普及によって人々の暮らしは能率的になった。また、色々なことを低コストで処理できてしまうようにもなった。しかしまた、データ保全であるとかセキュリティとかには一定の手間やコストを掛ける必要も生じているのである。   
   


セルの新譜


   
 セルが指揮したモーツァルトの交響曲としては、現在、何を聴くことが可能であるか?   
 正規レコーディング(セッション録音)およびライヴ音源の双方に目をやると、28番、29番、33番、34番、35番、39番、40番、41番である。(「協奏交響曲」は除いて考える。)   
   
 ・・・というわけで、たとえば25番、36番、38番あたりを聴けないというのは残念なことである。   
 38番は第1楽章のみ正規レコーディングが為されているらしいのだが発売に至っていない・・・第1楽章だけとなると、何かの余白にカップリングするとか、あるいは特典盤みたいなものにするとかしないと世に送り出すのも難しいか(また、セル自身によるリリース許諾の有無なども問題となりうるか)。   
   
 ・・・と、上のような理解・認識がしばらく前までのことであった。が、しかし、いよいよ第38番を聴ける日がやって来たのである。   
 ごく限られた店でしか入手できないCD-R盤商品ではあるが、次のような収録内容の商品が登場した:   
   
 モーツァルト/交響曲第38番「プラハ」   
   同   /ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ K.261   
 スーク/ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲   
 ヤナーチェク/シンフォニエッタ   
   
  スーク/セル/クリーヴランド管、1965年ライヴ   
  (CD-R盤、2枚組)
   


冬に食べたいもの



   
 冬に食したくなってしまうもの・・・数々あれど、上のは鶏モツの味噌煮。   
   
   
 魚介類であればスケソウダラなども食べたくなる。   
   
 ナマコも食べたいが、仕入れて来ない魚屋さん、スーパーも多いし・・・。   
   
 これまた仕入れる店が限られがちのようだが、鯉(こい)もまた食べたくなる。煮付けるなどしたものも美味いけれども、とかく「夏の味覚」としてのみ扱われがちな「鯉の洗い」は冬に食べてもやはり美味なのである(脂の乗り具合からすれば冬のほうが良いのであろう・・・とはいえ、鯉の脂の量はちっとも多くない)。   
   
 下の写真はその「鯉の洗い」。   
 今回のこれは小骨が気になるところがあって少しだけ不興を覚えた。ま、家庭で/自分で調理したりすればとんでもなく小骨だらけのものとなること必定であるからして、「下手っぴ」などと責めるのもどうかと思えた。味わいのほうはよろしかった。   
   


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