2015-09

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セルのラヴェルその他



   
 (↑)タワーレコードとソニー・クラシカルのコラボ企画CDから・・・セル/クリーヴランド管によるドビュッシーおよびラヴェル、そしてシューベルトのシンフォニー。発売されたばかり。これらの音源、めでたく再登場(再々登場以上かな)となったわけである。   
   
 これを書いている今、これらの盤をまだ聴いていないので、「どのくらい音質が向上したか」等を確認できていない。   
   
 しかし、ともかく・・・「亡き王女のためのパヴァーヌ」について、セルの演奏は筆者の「気に入り」のひとつ。   
 ここには不思議と、優雅さを伴いながらも和風の寂寥感、線の細さと色調から来る「枯れ」を感じさせられるものがあって(「デリカシー」という言葉ではくくりきれない)、その風合いはユニークと言えるのではなかろうか。この演奏を聴いたときの感想の内容、共感の度合いは、日本人と他の民族とではおおいに異なるであろうと思ったりもする・・・また、セル自身はどのような感性からこのように仕上げたのであろうかという興味も覚える。   
   
  亡き姫の   
  髪を揺らしし   
  秋風は   
  今年はただに   
  すすき(芒)にぞ吹く   
    
   
 下のは、他のもの(管弦楽ヴァージョン)から・・・クリュイタンスのは来日ライヴ、また、ブレーズ(ブーレーズ)のはこれまた演奏がクリーヴランド管である。   
   


雑記



   
 (↑)先日のこと親のために調理した「ヘダイ」。   
   
 当初は、「煮付けてみようか・・・。昆布だし、しょうゆ・塩・砂糖で、ともかく、しょうゆ風味も甘みも強く出すぎないようなスッキリ系の煮汁にして、そこには梅干しも加えてその風味を添えて」などと考えてはいたのだが、結局は単純な塩焼きに。   
   
   
   
 下のはマンガ「 そ ば も ん 」単行本の第18巻。   
 表紙デザインからも分かるように、ミレーのあの絵も話題に出て来る・・・この絵で撒かれているのは何の種か・・・「撒かれているのは小麦か、あるいはその他の麦の仲間であろう」と大方の人は思っていると思うが、蕎麦の可能性もあるとの話が展開される。   
 ほか、即席乾燥めん・カップめん誕生物語プラス食品添加物談義、みたいなテーマのストーリーも。   
   


雑記

    
 「戦争や有事に対する危機意識を異にする人たち」・・・と表現することも一応は可能であるが、もっとストレートに、かつ主観的に表現してしまうと「重度の平和ボケ症候群を患い、かつ、もの分かりが悪い人たち」が今の政治を混乱・停滞させている。(世間には「もの分かりのよい大人になるな、丸い人間になるな」的なキャッチフレーズ/メッセージもあったりはするが、事と場合によっては、もの分かりの悪さは困るものだ。)    
 そういう、もの分かりの悪い人たちのために国会の会期延長までしてやっていることであろうに・・・野党議員には「会期延長、ありがとうございました」的な「へりくだり」の態度がちっとも見てとれないばかりか、暴言・恨み言を吐くような人、あるいは審議/質疑のマイクを奪うような真似をする暴れん坊もいて、普通のまともな国民をいらだたせる。   
   
 有事の際、「ドロ縄」式に国会審議を経つつの迅速対応など困難であろうに。そして、同盟・連帯・結束とセットになった抑止力の確保・向上が大切であろうに(それを「ギヴ・アンド・テイク」と揶揄する向きもあろうけど)、なぜ、それが分からぬか(なお、国を売りたい・領土などを与えたいと願っている人たちはこのような懸念と無縁であろうから、きっとヤキモキすることもなく精神的にストレスも少なく、おそらくは長生きすることであろうなあ・・・であるから、そういう人たちはまた国防よりも健康保険・介護保険などの福祉充実を叫ぶことも多く、ま、理屈は通っていると言うべきか、立派に利己心と整合を遂げている)。   
   
   
 お爺ちゃん・お婆ちゃんと呼んで差し支えない人たちまでも、さきの戦争に関わる反省がゆえにであろうか、「子や孫を戦争に巻き込ませたくない」として反対に回ったりもする。   
 戦争に巻き込まれる・巻き込まれないの違いは「時の運、世代のリスク」とも言えなくはないか・・・かつて子供の頃、「アメリカとソ連は戦争するのだろうか? 第三次世界大戦に至るのかな? 日本も戦場になるのだろうし、そのときは自分も徴兵されるのだろうな。北海道くらいはソ連に獲られるのかな。戦死するのか、捕虜になるのか・・・捕虜になるとすればソ連に引っ張られて行き「シベリア抑留」のような経験を自分もすることになるのか、それとも傷痍軍人として帰国して残りの人生を送ることになるのか、いずれが自分の運命であろうか」などと危惧したように、いつの時代だって戦争への不安は消えないものではなかろうか・・・「この戦争、戦うのは君の番だよ」と言われれば、それは仕方ないじゃないか。   
 中国が攻めて来て、それが日本各地に際限なく及んで来たとき、やがて、子や孫が墓参しようとしても、当のお爺ちゃん・お婆ちゃんの、そして、先祖代々の墓は、中国人によってなぎ倒され、たとえばゴミ処分場・し尿処理施設になっているやも知れない。「そうまでひどいことはするまい」と思うのはどうか、何しろ中国人(本土の中国人)と中国の指導者のやることだ。   
 「あたしらはそれでもいいよ、子や孫たちが命をつないでいけたならそれだけで」と思うお爺ちゃん・お婆ちゃんもいるかも知れぬが、そうは言っても彼らは、「安保関連法案に反対してそれを廃案にさせ(もって、米国・米軍の、日本を守りきろうとする気持ちを少なからず減退させ)たことに起因する、先祖代々の墓の消失の責任・責め」を、何代にもにもわたる祖先に対して負うことになるであろう。そして、肝心の子や孫は、中国人民のなかで阻害され、少数民族として迫害を受け続ける存在に、戸籍も失って奴隷同然に扱われる存在になるかも知れないのだ。   
   
   
 「憲法第9条を壊すな!」とは、筆者も非常にしばしば思う・・・しかし、筆者の場合それはこういう意味である:「憲法第9条の文言をいじくり回すことに労を割くな、そこで頭をひねっても問題は解決しない、時間のムダになる。第9条を丸ごときれいに削除せよ。憲法第9条が足かせになり、あるいは、諸々の関係で矛盾・誤解・勘違いの原因になり、日本は国家として自然でスッキリとした行動をとれなくなってしまっている」と言いたいのだが、しかし、今回の安保関連法案の審議を見ると憲法第9条削除/改正までの道のりは遠いものに思われ、重たい気分になる(なお、憲法の前文などにおいても戦争関連で所要の修正が必要と思われる・・・とはいえ、他国侵略などはこれは絶対にいけないと考える・・・しかし同時にまた、「侵略などしません、専守防衛を一応の基本とします」などと、いったい誰に向かって敢えて宣言する必要があるのかという気もする)。   
   
   
 ところで、マスコミによる「安倍内閣を支持しますか」、「安全保障関連法案に賛成ですか」等の世論調査の結果(パーセンテージ)は、あれは正確なものでないと筆者は思っている(ただし、結果の「推移・変遷」については意味があろうけれども)。   
 なぜか? 常識人だったり、普通程度以上に忙しかったり、時間を合理的に使おうと考えている人、また、世の中への不満を特に持たない人などはアンケートにいちいち答えないケースが多いと思うのだ。そして、そういう人たちは、現状肯定派・自民党支持層プラス多少の無党派層ではあるまいか(いや、確信は持てないが。なお、一部は、「反対派なんだけど、いちいち意思表示しても無意味だしさ」ではあろうけど)・・・どこかのWEBページで「賛成・不賛成をクリックしてね」みたいな囲み広告を目にすれば「クリックした途端に変なプログラムがダウンロードされてはかなわんな、俺に何の得もないのにわざわざクリックするものか」と考えるであろう。電話に出てみて内閣支持率調査アンケートその他を告げる自動音声が流れて来たら「何だ、この自動音声というアンケートの仕方は。下請け連中にやらせてるんだろうなあ、考えつくのはこの程度のやり方かよ!」と思って電話を切るのがむしろ普通ではあるまいか。ゆえに、相当数の無反応・回答拒否があり、世論調査は歪んでいると思うのだ。   
 同様のことは読者投稿のコーナーを設けている新聞のその投稿にも言えるであろうし(昔、筆者の友人は「投稿しているのは暇を得た定年退職者や、(いちいち何か言いたがる習性がついている)教員が多い」と評したが、その評が正しいかどうか筆者には分からぬ)、テレビで「番組についてのご意見をお寄せ下さい」と言われたって、しかし多くの人はそんな「ご意見」を送ったりしないであろう(過去、インターネットでのブログ等の意見表明手段の無かった時代でも)。   
 ついでに・・・。NHKが多様な番組を制作したがるのも理解できるし、NHKにエンターテインメント番組があってもよろしかろうとは思うのだけれども、昔の「てんぷく笑劇場」とかを、あれは必要だったのかなあとは今もって思い続けているし、つい先日は「イカ大王」なるものがテレビに登場していて「これ、NHKが、受信料を得たうえで制作する必要のあるものなのか」と、個人的には大いに疑問を覚えた(繰り返すが個人的感想である・・・で、そういう感想をわざわざNHKに「お寄せ」したりはしないのである)・・・それからまた、平日、残業時間入りしてしばらくした頃に職場の女性たちがゴソゴソッと「ナニ着る予報」を見るためにテレビのある場所に一斉に移動するのも困りものである・・・「そんなもの見たってさ、お前ら、実際にそういうもの着て来ないんだから意味ねーじゃん」と、たまに一緒に画面に見入ることもあるオヤジは思うのである・・・しかし、ま、ものの1分くらいのリフレッシュ・タイムと受け止めればよいのかな、許す(笑)・・・というか、なぜにそのようなコーディネートを考えたかの説明があって「ほお」と感心したりもする。   
   

雑記



   
 上のはビールと、そしてまた「ビール」ではないビール系飲料。   
 「ビール」と呼べるのは左から1、3、4番目のものである。   
   
 では、それら1、3、4番目のものこそが旨くて、他の2つはそれらに劣るし旨くないのかというと、なかなかそうは言えない時代になって来ていると思う。   
   
 左側の3本はいずれもサントリーの品である。3番目のは誰もが知るプレモルであるが、旧プレモルも現プレモルも、微妙なところで筆者の「気に入り」にはならない・・・ホップの種類・用い方・主張のあんばいによるせいか、麦芽っぽさの表出の加減によるせいか、理由はよく分からない。むしろ、かつての、ちょいクリーム色っぽさを帯びた缶の「モルツ」のほうが、質実と、そして、構えずに付き合える気安さも感じられて好きであった。   
 つい先日、一番左のような新しい「モルツ」が登場した。これもまあ、わりと良いかな。で、サントリー製品のうち3種を好みの順で左から並べると写真のようになる・・・2番目のは「ビール」には該当しない品なのであるが、風味バランスからするとプレモルよりも好きになれるのである・・・食べもの・飲みものの世界、嗜好の世界は不思議なのだ。   
   
 いちばん右の品もまた「ビール」に該当しないものではある・・・ゴクリと喉を落ちたあとに口中には特徴的な甘みが残って、最初はそれが好きになれずにいたのであるが、慣れると何でもないというか、それを期待するようにもなってしまう。きっちり冷やして飲む限り、けっこう旨いと感じる。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 「統計」は大切なことなので・・・完了(↓)   
   

雑記

   
 「日本/東京でのオリンピック/パラリンピック(以下、略して「五輪」と表記する)の招致活動にはカネがかかるものだな」と思い続けて来たが、いざ招致に成功すると当然ながらなお一層のことカネがかかるものであるなあ。   
   
 五輪の経済効果は大きい・・・イベント開催時でも、それに先立つ施設・インフラ関連の準備段階においても。しかし、だからと言って、準備のために「ムダ金をつかってもよい、時間や労力のムダも何のその」などのことは通用するまい・・・けれども、新国立競技場のプランはやり直しになり、エンブレムもまた・・・。   
   
 先日のことテレビを見ていたら、東日本大震災で仮設住宅暮らしとなった人について、最低でも向こう5年くらいはそういう暮らしが続くと見込まれるとのことで、こちらの気持ちはとても暗くなった。5年ということは、当然5歳老いることであり、巡ってくる盛夏を、厳冬を、正月を、あと5回繰り返すということである・・・長い。   
   
 例えばエンブレム選定の関係で支出/発生する金額(国の負担と東京都の負担と)を目にすると、「これを、1人でも1世帯でも多くの被災者のために役立てることが出来ていれば」と思うことしきりなのである。   
 復興関連の工事が理想的に進捗しない理由のひとつには「予算はあっても入札不成立。ゆえに工事発注も出来ない」みたいなこともあるのだろうけど、そして、その場合に「ええい、もう大盤振る舞いで、常識無視の高価格でもやってくれ」的な発注は出来ないだろうけど、何か良いアイデアを出してもらいたいものである。   
   
   
   
 さて、荒れに荒れた天気・・・。   
 9日の、NHKの夜7時のニュース番組を見ていたら新宿駅からの中継映像になった。「また新宿からか」と、この、よくあるパターンには飽きているから手もとの新聞に目をやった・・・すると、あれれ、テレビからは記者の声のほかに歌声も流れて来るではないか・・・テレビ映像を見直すとそこにはストリート・ミュージシャンも映り、彼は何か頑張っており・・・彼の「映りたい」との意思を感じたのだけれども、さてNHKのカメラマン/映像担当者にしても手にするビデオカメラを急速にブイッと「あさって」の方向に振り向けることは掟破りとかであるやも知れず、結局、そのミュージシャンの姿と歌声をちょっと長めに見て、聞いてしまった。一言で簡単に表現することの出来ぬ感想を抱いた(苦笑いもしたが、この瞬間、こちらの頭のなかには5種類くらいの感情が巡っていた・・・しかし、彼は「悪い」のかというと、そうとは言えぬように思うし、「困ったちゃん」と断ずることも出来ぬ・・・そう断じるとすればそれはこちらが「つまらぬ大人」であるように思えてしまうのだ)。   
   
   
 明けて翌10日。茨城県その他では、これは大災害・大惨事である。お見舞いを申し上げます。   
   
   
   
 う・・・文章を書いている時間が無くなってきた。   
   
 政府/内閣/国会は何をどう進めるべきか。順不同で為すべきことを連ねてみると・・・。   
   
 1) 審議に時間を掛けすぎてしまった安全保障関連法案を早期に可決・成立させたうえ、スパッと頭を切り替えて今回の大災害への対応に全力で臨めるようにしなくてはならない。   
   
 2) 今回の災害の現状把握、対応検討をすべきことは言うまでもない。   
   
 3) あらためて災害関連の復興特別税の修正・追加による税収確保を検討(法人についても、個人についても)。   
   
 4) 消費税率10パーセントを繰り上げて2016年4月から、いや、企業サイドの準備期間を考慮して同年10月から実施することを検討・・・国の全体歳入のうち災害からの復旧・復興(さきの広島県や和歌山県その他の土砂災害なども含む)に回せるぶんを少しでも多くする。軽減税率8パーセントの併用時期はそれよりも遅らせて、導入時期はいずれ検討することとする。   
   
 5) 建設工事関係での人手不足/労働力不足が具体化しており、これがまた建設工事の遅れ、建設工事費用の上昇を招いているようであるが、これは東日本大震災や今回の災害その他の復旧・復興にも影響しよう。外国人労働力のより積極的な活用を模索する段階にあるのではないか。解決策・対応策を見出すことが求められる。ただし、受け入れを増やすにしても技能の伝達、そして彼らの成長と熟練というものがすぐさま実現するかどうかという問題もあろうから、そのあたりは適切な受け入れスタイルというものがあろう。
 なお、外国人の受け入れには多数の問題が生じうる。多くの人が「あまり大したことではない」と思っていることのひとつとしては、外国人はデモ・抗議行動をしやすい習性を持つということがあって、それを筆者などは懸念する・・・例えば日本にいるA国出身者のその本国Aにおいてクーデター、軍政復活、人権侵害などあれば、彼らは日本に所在するA国大使館に押しかけて抗議活動などするであろう。これに関して治安維持の対応にあたるのは日本の警察などである・・・しかし、現在の日本の法制ではどうも治安維持をズバッとやりにくくもある。外国人に関わる参政権、健康保険、年金制度などに関しても同様のトラブルは生じうるであろう。そのあたり、治安の維持を有効に図る法制が望まれる。(あろうことに日本人が国会周辺で抗議集会を開いて、しかもそこに国会議員までが顔を出してがなりたてていたりするのは情けない。)   
   
 6) (五輪のための)新国立競技場の建設案件は、日本全体の建設工事に関わる労働力の余裕にマイナス効果を及ぼす、あるいは建設工事コストをアップさせかねないか・・・仮にこのようなことが言えるとするならば、新国立競技場の建設をとりやめるとか、思いっきり簡単な設計とする等のことも検討されるべきではないか。   
 ブラジルのサッカーW杯だったかに関しては「サッカーよりも国民の生活のことを考えろよ」とうことで抗議デモなどもあったようだが、日本人はそもそもそういうデモをするような国民ではない・・・国の側が、政府の側が、大英断として「今度ばかりは五輪の開催を見合わせたい」と決意することも選択肢として無くはないと個人的には思うのであるが、これはさすがに国民の大多数が「日本はそこまで困窮した国ではないわい」と思い込んでいるゆえ賛成しないことであろう・・・しかし、「今回は、日本国民全体と、そしてもちろん世界の人々の、平和で穏やかな暮らしを一番に願いつつ、浮かれ喜ぶことをあえて控えながら、つつましやかなイベントとして五輪を開催したい。五輪へのそういう臨み方もあるのだと、世界の皆様に問いかけ、一石を投じたい」というのも、何かこう、よろしいのではないかと筆者は思うのである・・・が、しかし、五輪スポンサー企業などは「そんなことでは熱狂も消費もイマイチになり、つまんねえよ」などと思うであろうなあ。   
   
   
   
 今回は、いや、いつもながらであるが、文章をうまく推敲できていない。あしからず・・・。   
   

回文・・・前から読んでも「タカベの食べ方」、後ろから読んでもやっぱり「タカベの・・・」 あれれ?



   
 上のは「タカベ」という名の魚。親の食事のため塩焼きにした。色合い悪く映ってしまったが、実際のものは鮮度などもよろしく、お買い得な品であった。   
   
 左のほうに白っぽいヒラヒラしたものが映っているが、これはポリエチレン製の手袋。一部の養殖ものの魚、あるいはまた脂の乗ったいろいろの魚でも手に付く脂は多少とも気になる(洗い落とすのにちょっと厄介だったりする)ものだけれども、タカベの脂もまた・・・で、焼く前の段階では手袋をして下準備をすることとなる。   
 なお当然ながら、焼き始めたのちは、身をひっくり返すときでも皿に移すときでも熱々の身をこのような手袋で触れることなどせず箸/トング/金属製フライ返しなどを用いる。   
   
 この魚の脂・・・黄色味を帯び、風味に少し趣/クセがあるけれども、しかし個性的な旨味を宿している・・・塩焼きの塩とのマッチングの具合もまた特別のものがある。   
   
 油脂を避けたがる食生活を送っている筆者は普通のサラダ油・天ぷら油も、豚や牛のバラ肉も、ヘット(フェット)やラードも、牛乳やバターもチーズも、マーガリンも、オリーブオイルもココナツオイルも、ゴマ油、えごま油に至るまでかなり敬遠しているのだが、しかし、魚の脂には気を許し、なびいてしまう・・・そして、親にもこういうものを食べさせてしまう。   
   

蕎麦を愛(め)でるも、相場に警戒する



   
   
 五月雨(さみだれ)を  集めて早し  最上川   
   
   
 夏賞与  集めて株は  川くだり     
   
   
 1番目の有名な俳句については説明不要であろう。   
 2番目のは俳句のような川柳のようなシロモノであるが、ここに「夏賞与」とは夏に支給される賞与/ボーナスの意味であり、これは当然に夏の季語ということになろう。   
 世間のマネーの動きや株式相場の動き・変遷に関し、はて、これを実証できるかどうか分からないけれども・・・サラリーマンの個人投資家が夏のボーナスを手にするとその一部を株式投資に注ぎ込むことは珍しくなかろう、そしてまた投資信託のような金融商品にも資金は流れ込む。株式市場は活況を呈して値も上げていくと思いきや、案外とそれほどのこともなく、むしろ、しばらくして立秋も迎えてサンマが気になりだす頃になって来ると諸々の理由から相場が軟弱になったり下げたりしてしまうことがある。筆者自身の過去の、しかし実にアバウトな体感から、そういうパターンは少なくない気がしている(なお、筆者の場合、自分の保有する銘柄は日経平均の動きとの連動性は小さく、TOPIXとの連動性のほうが大きいように思える・・・目を向ける銘柄にクセがあるのかな、こういうところにもセル・ファンの特異性があるやも知れぬ・笑)。   
 であるからして、夏のボーナスを株式投資に振り向けるにあたっては、短期勝負で稼ぐ方針のとき(小さい利益でもセコく利益確定売りするケースを含む)を除いては、少し控えめな投資行動をすべきものと思っている。そもそも「買う義務」など無いのだし、待機資金として蓄えておけばよいのである。追加投資するにはしばらく待つことにし、しかし、「この銘柄をどうしても買いたいな」みたく思えるものがあったならば現に保有している株式の中から利益確定売りなり損切りをしてそれを原資にして買うようなパターンが安全かと思うのだ。   
 夏のボーナスのあとの株式相場のパターンに比べ、冬のボーナスのあとについては上のような懸念が少ないような気がしているのだが、しかし、これもアバウトな体感によっているに過ぎない。   
   
 さて、ギリシャ問題、また、中国の株式暴落を経て、日本の株式相場は乱高下を伴いつつも値を下げる方向に来ている。近い将来、相場はまた盛り返してグングンと力強く上昇していくのだろうか?   
 筆者、どうも楽観的になれない・・・そして、目下は強気に買い進みたい気持ちにはないのである。水前寺清子さんの昔の歌をもじれば、「1日一段下げ、3日で三段下げ、そのあと1日くらいは反発する日があり、しかし、大きな流れとしてはズルズルと値を下げていくんだね」的な展開を思い描いてしまう・・・「下げ相場はヒタヒタと歩いて来る、だから、こちらは上手に逃げてゆくんだね」的な認識と行動こそが必要と思える昨今・・・少なくとも、大幅高が連続したうえで数日ののちには「日経平均株価は2万円を回復」ということにはなりそうにないと、そのように考えてしまう。   
 同時にまた、こんなシナリオをも思い描く: 日本郵政の関係の(ゆうちょ銀行などの)株式上場に多くの投資家が資金を投じたその直後に、よりによって、中国の株式相場はひときわ大きく下落し、また、中国のバブルが本格的・決定的にはじける・・・それは日本を含む各国に波及し、世界的な株式大暴落へと至り、世界の株式の時価総額も大幅に萎んでしまう等・・・アベノミクスの恩恵が地方や中小企業に十分に行き渡らぬうちに日本の経済にダメージが及び・・・という悪夢。     
   
   
   
 「今年の利益はこれまでに手にしたぶんで良しと割り切ろう」、「これよりのちは、まず目指すべきことは損失発生の回避であり、欲張ることをせず、つまりは株式の売却を進めて待機資金に振り替えよう」、「含み損をもった株式を年越しさせると来年の株式投資が暗い気分でスタートするからそういう事態も避けたい」・・・などの考えから、しばらく前から株式の売却を進めてきた。   
 実はもうひとつの考えもあって、それは「仮に自分が中国の株式相場などの影響を受けて不利益をこうむることがあれば、今後いつまでも中国および中国人(中国本土の)に対して悪態をつくことになろうな。そういうのはイヤだな」というものである。   
   
 株式の売却にあたって、自分が勤務・関与する会社の株式をどうするかであるが、普通の人はそれだけは「例外的に手放すことをしない」という選択をすることであろう・・・取得するにあたって従業員持株会を利用してのコツコツ投資を経たものであるかどうかはともかく、或る種の「思い入れ」を持って取得・所有したものであろうから。が、筆者はそういう思い入れをドライに切り捨てる人間なのである・・・「現在の相場展開を見れば、含み益は目減りしていくことであろう。売ることによって益出しするぶん課税はされるけれども、しかし、赤字になるわけではないし、売って損することにはならない、むしろ得なのだ」と考えるのである。   
 ただ、「見栄」というよりも「メンツ」の問題として「或る程度の株式数を保有していないとみっともない」ということはある・・・その点については「今日現在の値を上回らない相場で再び買い付ける機会はいくらでもあるわい。メンツという意味では、次の決算日/基準日をメドとしつつ適当なタイミングをみて(出来ればグッと安く)買うのがよろしかろう」と判断できるわけである・・・ただし、総務部長あたりが株主名簿を入念にチェックした場合は「あ、あいつ、うちの株をいったん手放したあとに最近になって再び買いなおしているな」と気づくであろうが、しかし、そこに何か問題があろう筈はない・・・なお、売り・買いともに、インサイダー取引の疑惑を受けることの無い条件下であることは絶対に必要である。   
   
   
 しかし、さて、今回の「売り」行動は正解なのかどうか・・・「そういう弱気なことでは大きな儲けは狙えないぞ」という考え方もありえようが、しかし、筆者自身は「ベストかどうかは分からないが、上のような行動はベターなもののひとつではあるまいか、少なくとも、リスクを回避して当年度の利益を確定することが出来るという意味で失策には当たるまい」と思っている。(なお、相場の下げが予想されるときでもそれに応じて利益を得られる投資手法・金融商品があるが、筆者の側の研究不足と、また、いつまで・どこまで下げていくかの確信が無い等の理由でそういうものの活用はまったく考えていない。)   
   
   
 下のは、売り注文に関わる約定その他のメール通知・・・「売り」を決断したあとにたまたま幾つかの会社から期末配当金・中間配当金が振り込まれることがあって「後ろ髪をひかれそうな思い」もしかけたのであるが、粛々と「売り」を進めていったのであった。   
   


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