2014-09

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雑記



   
 (↑)駅弁としては有名なものであるらしい。   
   
 さて、この品について気になった点をば・・・。   
   
 パッケージ(紙の覆い)の側面に “「牛たん」とは・・・・・・” という見出しのあと色々と書かれているのだが、仙台市民に親しまれて来たこと、栄養成分、その他のことは書かれているものの、しかし、牛のどの部位であるかは述べられていない。「説明されなくても分かっているよ」という人が大多数だろうけど、でも、ふだん、それこそお上品なものばかり口にしている人の中には、それが何であるか承知していない人も少なからずいると思うのだ(焼とり・焼とん・ホルモン焼などのハツ・ガツ・カシラ等々と同様に)。こういう見出しのあとでは当然に説明すべきことと思う・・・尤も、ふつうの肉以外の内臓やテールや何やらを嫌う人はいるので、牛タンにもまた顔をしかめる人はいると思われ、説明することはマイナス効果となりうるか。   
   
 黄色い紐が見えているが、これを引っぱると弁当箱にセットされている発熱ユニット内の石灰と水が反応し、弁当がホカホカと温まる(けっこう高い温度にまでなる)。この紐を完全に引き抜くよう指示書きされているが、なかなか抜け切らない・・・紐の先端に自分で輪をつくり、そこに指を掛けて引くとようやくにして紐を抜ききることが出来た。      
    
   
 さて、食べての感想は・・・。   
   
 牛タンは、もう少し厚みがあってくれたほうが筆者の好みには合うのだがなあ。味わい、ヴォリュームにも少し不満を覚えた(せめて、ご飯だけでももう少し多くして欲しい)。   
 1回の「食事」としての満足度は100点満点中60点くらいであった。でも、それと同程度の満足度の駅弁は割りと多いことから、「駅弁」カテゴリー商品として評価すると80点近くになるかも知れない・・・目先の変わった食材ではあるし。   
   
 原材料名の表示中に酸味料、乳化剤なども見受けられるのはよいとして、「シリコーン」もあるのは、食品添加物についてあまり知らない人にはちょっと驚きを与えてしまうかも知れない。「消泡剤」とか「消泡剤(シリコーン)」とかの表示にしたほうがよいのではないかと、ちらと思った(実際の使われ方に照らし、そういう表示が不適切でない限りは)。   
   
   
 以上、いずれも筆者の、あくまで個人的な感想に過ぎない。   
   

「俳句実例付 精選現代季語辞典」より



   
   
 チューハイを  アベ飲ミクスで  おごりけり   
   
 ・・・「チューハイ」は冬の季語、新暦で11月、12月あたり。   
 ここに「チューハイ」とは、酒ではなく、会社がおこなう「中間配当」の略語である。上場会社にあっては3月末日を本決算日とするものが多く、中間決算日は9月末日となり、そして、中間配当実施の如何と配当額の決定、また、株主への配当金渡しなどが11月から12月にかけておこなわれ、それゆえにその頃の季語となったのである。   
   
 上の俳句は、今年の中間配当が、アベノミクス効果による経営環境改善によるものか、それともむしろ各企業が配当性向・株主還元を重視する姿勢へと動いているせいと見るべきか分からぬが、全体的に大きく伸びている(増えている)、各企業が中間配当に積極的になっている感じがするということを詠んだもの。   
   
   
 クラシック音楽の、それもヒストリカルなものを連続して聴いていたので、気分を入れ替えるべくバーブラ・ストライザンドの最新アルバムを・・・(冒頭画像)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 「日本の食糧自給率は、言われているほどに低いのか?」と、ときどき思う。でも、そのような疑問が浮かぶのは、筆者の個人的な食事内容のせいだろうなあ。   
   
 まず、筆者はパンというものを排斥して食べない。肉も少なめである。つまり、米飯、蕎麦、うどん、魚、野菜(根菜類、キノコなども含む)、海草などの摂取が多い。国産米だと信じていながら実は輸入米が混入しているとか、麺類の小麦粉や魚・野菜・海草などで輸入ものもあろうけど、ともかく、パンや輸入パスタなどを食べないという食生活は、「日本の食糧自給率は実はそんなに低くないかもね」的な個人的感覚につながる・・・もちろん、日本全体のことを考えればこれは錯覚なのだろう。   
   
 消費者物価指数もまた、どうも筆者らの家庭生活/個人生活での実感とは乖離があるように思える。東大日次物価指数のほうがこちらの感覚にマッチしているようにも思えるが、それでもやはり違う。ま、個人の生活それぞれ、生活エリアそれぞれなので、それはやむをえぬものであろう。   
   
 下のは或る酒を購入したときのレシート2枚。両者とも同じ銘柄の酒である。いずれの日にもちょっとしたキャンペーン価格っぽい扱いであったが、5日後の買い物では5パーセントほど価格が下がっているわけである(電子マネー利用を前提としない店頭表示価格ベースにて)。なお、いずれの日にも電子マネーを利用したが、ポイントの付き方に差があった。なおまた、ともにボーナスポイント120ポイントが付いていた。(レシートを写した画像は削除しました。)    
   
 統計調査として店頭価格(物価)などを調べるとき、電子マネーで買い物する場合のポイント還元ぶんや、ボーナス・ポイントは勘案されないだろうと思うが、どうだろう。   
   
 「電子マネーはあまり使うまい、釣銭を計算するのに頭を使うのも良いことだ」という主義をずっと貫くつもりだったが、4月に消費税が8パーセントになってから、この主義は捨てた。どうも財布の中に1円玉が貯まりやすくなり、電子マネー積極利用に踏み切った。   
 すると、どうだろう、通常ポイントのほかボーナス・ポイントなども付くし、予期していなかったのにレジで「今日は8の日なので5パーセント引きします」(ヨーカドー)とか「ポイント2倍キャンペーン中です」(セブン)のこともあったりする。お中元の手配をデパート以外にスーパーでもするようになったが、これでも意外に大きなポイントが付いたりする。   
 こうなると、4月から電子マネー積極利用派になった者にとっては「個人的(属人的)消費者物価は下がっている」という感覚に陥る。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 すべてのコンビニ、すべてのスーパーで電子マネーが使えると便利であろうが、そうはなかなかならない。なったとしても、対応する電子マネーのすべてを一人の人間が利用しているかどうか分からないし・・・。   
 ただ、電子マネー社会が進んでいくと、釣銭というものが無くなっていき、結果としてコンビニ店頭などでの小銭による募金(災害関係とか自然保護活動とかへの義援金・賛助金など)の実績金額は減少してしまうかも知れないな。   
   
   

雑記



   
 説明不要の名盤(CD)・・・クラシック音楽ではない。   
   

雑記



   
 某日のこと、デパートで買い物し、次いで100円ショップでも買い物をし、袋を2つ提げて歩いていた。そのとき偶然にも知人と出くわした。   
   
 後日、その知人と話したときにこういう趣旨のことを言われた: 「普通の人は、(あなたとは違って)デパートの袋と100円ショップの袋とを持ち歩くときに100円ショップのを目立つように車道側(身体側でない方)に持ち歩いたりしないものだ。あるいは、100円ショップの袋はデパートの袋の中に入れてしまうものだ」と。   
   
 要するに、デパートで買い物したことは構わない・格好悪くないけれども、100円ショップで買い物したことは格好悪い・気恥ずかしいことであるらしい。   
 しかし、そうだとすると・・・それでは100円ショップが可哀想だし、いや、何かしらの合理的判断なり経済感覚なりをもって100円ショップで買い物する行為が格好悪い・気恥ずかしいということにもなりやせぬか。   
   
 上の画像の右のは他の文具などとともに100円ショップで買ったメモ・パッド。この品については、合理的買い物というのでなく「このキャラクターが好きだし、それに、俺がこれを使ってメモを渡すと、意外性というインパクトを周囲の人たちに与えるであろうなあ」という愉快な気持ちで買ったもの。このショップ以外ではどんなところで買えるのか、残念ながら筆者は知らないし(アンテナ・ショップあたりならともかく)、こういう巡りあいをして買い物することはちっとも格好悪くないものと考える。   
   
 左のは、日本列島をずっと北へのぼって、小樽のメーカーのビール。アンバー・エールと呼ばれるタイプのもの。美味であった。   
   

雑記



   
 人の話す言葉を音声認識し、それが日本語であるならば英語に翻訳し、また、英語であったならば日本語に翻訳してくれるというソフトウェアがあるとする・・・日英双方向翻訳ソフト。   
   
 「そうめん」、「うどん」、「冷麦(ひやむぎ)」を英語でどう言えばよいのかをこのソフトウェアを利用して確かめるために「そうめん、うどんと冷麦」と話しかけると、次のように翻訳されるかも知れない:   
   
 「だから、男たちはマギーの言うことに耳を傾けようとはしなかった」   
   
   
 ・・・「そうめん、うどんと冷麦」を、そのソフトウェアは "So, men wouldn't hear Maggie" という英語であると理解し、この英文を日本語に訳すから上のような翻訳結果となる。   
   
   
   
 冒頭の写真はカボス(貰いもの)。   
   
 サンマの塩焼きに添えるのもよいが、普段そこまでせずに大根おろしを添える程度のことが多い。それで構わぬとも思っているし・・・。   
   
 今年、このカボスは、サンマに添えるよりも前に、まず「うどん(冷)」を食べるときに活用した。絞り汁を麺に振り、あとは普通にその麺を「つゆ」に浸して食し、香りと味わいを楽しんだ。蕎麦の場合でも、同様にして、あるいは絞り汁を「つゆ」に加えて楽しむことが出来る・・・蕎麦には「ユズ切り」というものがあるくらいなので、別段、珍妙な楽しみ方でもなかろう。レモンよりもライムを好む人がいるように、カボスにはカボスの良さがある。    
   
   
    
  ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 下のは「和楽」という雑誌の10月号。   
 日本の美術作品や仏像、国宝などに関心ある人には、と言うか、そういうものに目覚めてみたい人には面白がれる特集および付録かと思う。次号の11月号が10月1日発売予定なので、あとちょっとすると店頭で内容チェックなど出来なくなるであろう。   
   
 筆者は、仏像を見てもそれによって宗教心が高まるとかのことは無い。「巧みな造形だなあ」、「見事な迫力であるなあ」などなど感心するばかりである。でも、それで良いと思っている。   
 同時に、それらが今日まで残り続けたことや、日本の歴史の長さに改めて感激し、心がひきしまる思いをする。   
   
 ま、筆者は宗教心・信仰心が薄いのである。税収拡大のために消費税や相続税の税率をアップするとか、新税を導入するとかの前に、まずは宗教法人に対して(収益事業以外についてもの)原則課税をただちに断行すべきではないかとすら思っているくらいである。いや、しかし、仮に筆者が信仰に篤くても、やはり宗教法人課税に賛成するであろうと思う。それによる税収は社会保障制度・福祉の充実に振り向けるという条件を付したならば、おそらくは多くの宗教法人が掲げる理念と衝突しない「税の使途」ということになるかと思うが、どうだろう。   
 この問題は政治的にはちっとも進行しないであろうと推測するが、もしも進行することがあれば大いに感心するところである。   
   


雑記


   
 睡眠中に夢をみるとき、それはモノクロであって色つきではないとする説には同意できない。   
   
 その気になれば行くことはできるのに、名古屋に行ったことがない(通過してしまうことは何度もあるが)。   
 いずれは行ってみたいと思っていて、それが影響したのか、先日は名古屋駅に降り立ち、街を歩くという夢をみた・・・。   
   
 街を歩いて目にとまったのが「三菱UFJ東京らーめん」という立派な看板。縦書きであった。カタカナでなく平仮名で「らーめん」と表記されたいた。そして看板にはしっかりと赤が使われていた・・・このとおり、夢はモノクロと決まっているわけではないのだ。   
 「あれっ? “三菱UFJ東京”じゃなくて“三菱東京UFJ”が正しいんじゃないか?」と思い、それを確認すべく銀行の看板が見当たらないかクルクル見回したが、残念ながら見つからず・・・。   
 が、そこで驚いたのは「餃子のゴールドマン・サックス」という看板が目に入ったことである。   
 「はー、銀行業界も証券業界も、こういう異業種参入が盛んになっているんだな。やっぱ名古屋に来てみて気づくこともあるのだなあ、ひとつの“食都”だし、それにしても食べもの商売とはまた手堅いものを選んだものだなあ。でも銀行法その他の関係でこういうことって許されるのか? それともブランド/サービスマーク/のれんをライセンスしているのだろうか」と不思議に思った。   
 餃子屋のほうの看板には、旧・三和銀行のと同じトーンの緑色が使われていて「やっぱ、この色、いいよな」と、そう思った・・・やはり色つき。   
   
   
 ・・・妙な夢でった。   
   
   
 名古屋への興味がまたちょっと増すような記事も見つけた:   
   
  http://news.goo.ne.jp/article/trafficnews/trend/trafficnews-36081.html   
   
   

雑記-その1


   
 「ケンタッキー・フライド・チキン」という名前を目にするたび、しばしば思う・・・「この商号/屋号/商標は、アメリカでの創業時などには実はスッと簡単に思いついたのではあるまいか。だけれども・・・全米のアメリカ人たちがケンタッキー州に対して抱くイメージがどんなものであるか知らないが、同州を一度も訪れたことのない日本人(筆者も含む)はこんなイメージを持っていたりするだろう・・・のんびり・おおらかとした、良い意味での田舎・農村が多く残っており、農産物・畜産物の品質は良さそうである。そしてトウモロコシは美味いバーボン・ウィスキーになり、また、地鶏の肉質は、アメリカで普通に流通しているものを遥かに越えるほど優良なものではあるまいか」みたく。   
 だから、このネーミングは、少なくとも日本においてはわりとプラス効果を発揮していると思う。日本産チキンを使用しているとしても、それは別に問題ないというか、日本人としてはむしろ歓迎するところであろう。   
   
 仮にもし、次のようなネーミングの飲食店があったとする:   
   
   マサチューセッツ・フライド・チキン   
   
   ウィスコンシン・グレート・サラダ・コレクション   
   
   サウス・キャロライナ・カレー・パーティー   
   
 デタラメなネーミングを許してもらうとして、これらからは原材料の優良性をイメージさせられない。それよりもむしろ「目新しい調理スタイルやレシピに出会える店なのかな」的な、そんな期待を抱かせられるであろう。   
   
   
 では、ケンタッキー・ソフィスティケイティド・フィルハーモニー管弦楽団であるとか、ケンタッキー州立歌劇場管弦楽団というものが存在するとして、我々はその名称に関してどのような先入観を持ちうるか。いや、当然ながらケンタッキー州にもオーケストラが数々あるようだけれども、その演奏を聴く前から既にマイナス方向の評価を用意しかねない・・・「アメオケかあ」どころか、それも越えて「田舎のオペラ劇場のオケかあ」みたく。(クリーヴランド管にしても、かつての時代は「地方オケかあ」、「工業都市のオケではあるが、技量その他はどんなものか」みたいな印象をアメリカ人たちに与えていたことであろう。)   
   
 実際に見てもいない土地のイメージ・・・そしてそこから広がるもの・・・今さらながらであるが、どうもやはり侮れない。   
   
   
 なお、上であげた、ケンタッキー・フライド・チキン以外のショップ名、オーケストラ名などは、架空のものとして筆者の即席の思いつきによるものである。実際に存在するかどうかを確認していないが、もしも存在する場合に、筆者としてそれらを中傷しようという意図は無いこと、ご承知いただきたい。   
   
   
 「雑記-その2」へ続く・・・(↓)。   
   

雑記

   
 ビビンバを  混ぜずに食す  野分かな    
   
   
 ビビンバは、その言葉の意味からすれば混ぜて食べるのが本来だろうし、そのようにしない日本人をむこうの人が目にすれば落ち着かない気分になって「おせっかい」を焼きたくもなるらしい。あちらの国で食べる場合はあちら流にしたほうがよろしかろう。石焼ビビンバはかき混ぜないと食器の後始末も面倒になるらしいから、筆者、口にするときは混ぜることとしているが、でも「ほどほどに」である(根性いれて混ぜたりはしない)・・・混ぜるという行為は、逆に日本人としては「致したくない行為、少なくとも人前でそんなことが出来るか!」な振る舞いであり、その辺の妥協ラインを試されるのだなあ。   
   
   
 だが、しかし、日本の地で食べる限りにおいては、日本人的な食事スタイルに従って食べることは間違いでないと信じるのだ。かき混ぜることについて、日本人の多くは、いや、半数を若干超える程度かも知れないが、そういうことを「美しくない」と感じると思う・・・幾つもの食材・具がのったものをかき混ぜるという行為を。   
   
 玉子かけご飯を、我々はかき混ぜて食べる。のっているのが玉子だけだから許されるのである。親子丼、カツ丼、ちらし寿司を「かき混ぜて食ってみろよ、美味いんだから絶対!」と言われても、たいていの人は拒絶するであろう。(なお、しかし、玉子かけご飯について、筆者はご飯の一部としかかき混ぜない。全体をかき混ぜるとご飯茶碗の内側に黄色いものが付き、食べ終わったあとが美しくないからである。)   
   
 ビビンバをかき混ぜて、むこうの人はそこに「味のハーモニー」を感じているのであろうか。かき混ぜることはせずに、複数の具・食材を同時に口にすることでも或る種の「味のアンサンブル」めいたものを楽しめると思っているのだが、さて、それぞれのケースに関連して、脳の反応がどう違うか、あるいは音楽の嗜好にどんな差異を生じさせるかとか、いずれは研究される日が来るであろうか。   
   
 冒頭の句は・・・台風のことを心配しながら、「このビビンバをかき混ぜたりすれば、目の前のこれもまた見た目が台風みたくなっちゃうよ、それはちょっと」という思いの延長上にあると言えようか。   
   

「演歌一筋45年、最近はラップに関心が・・・」という人もいたりする



   
  「増補改訂版 国語・新語・カタカナ語総合辞典」より:   
   
 【LINEつながり】(らいんつながり:オーディオ用語)アンプ類のPHONO入力端子でなくLINE入力端子へとつないでいる状態を言う。PHONO入力端子を有しないアンプも多くなり、一方でまたフォノ・イコライザーを内蔵したアナログ・レコード・プレーヤーも登場していることから生まれた言葉。   
   
 【閣下掻痒】(かっかそうよう) 閣下と呼ばれるような偉い人、尊敬される人でも、かゆいところを掻くこともあれば鼻をほじることもある、くらいの意味。   
   
 【殿下の放蕩】(でんかのほうとう) 殿下と呼ばれるような偉い人、尊敬される人でも・・・ あ、こういう冗談を書いているのも馬鹿馬鹿しくなったのでヤメ・・・。   
   
   
   
 さて・・・。   
   
 「日本人は農耕民族であるがゆえ、貯蓄には一生懸命であっても発想・行動が“投資”へと向かわない傾向が強い、それは色々とよろしくない」という論議が盛んである。   
   
 NISAの制度がスタートしても、これを「せっかくだから利用しようか」と考えた人は、中高年世代に多いようだ・・・若い人などで、これまで株式や債券、諸々の投資信託などを購入した経験の無い人をその世界に呼び込むことには成功していないように見える。もちろん、「勉強・研究しない人」とか「余裕資金以上を投じかねない人」とかには手を染めさせないほうが良いと思うのであるが。   
   
 「投資すること」や「労働を伴わずに儲けること」には二の足を踏む、抵抗を覚える人であっても、既に有している資産価値を「保全すること」には抵抗など覚えない筈・・・と、筆者は思う。   
 人は海外旅行や海外出張をしたり、また、海外勤務を経験したりすると、そのあとに「残ったトラベラーズチェックや外貨預金などを、今すべて“円”に替えてしまうのが良いのかどうか?」と思うことがあろう・・・そうして、近い将来の、あるいはもうちょっと遠い将来の“円”相場・外国為替レート、日本経済のゆくえに思いを馳せ、そして外貨預金での価値保全という行動に一歩を踏み出したりする・・・円建資産と外貨建資産とをどういうバランスで持つかという感覚が生まれ育つ。   
   
 純金(ゴールド)を毎月一定額ずつ買い付けて積み立てましょうみたいなことは随分と前からT社やM社などが一般個人向けに手掛け、手軽であるがゆえに筆者も平成のはじめ頃にスタートした。当初はこんなことも考えたものだ:   
   
 「今後において、巨大な金の鉱脈が発見されたりすると金の相場は暴落してしまうのではないか?」    
 「原子(げんし)内の、電子・中性子・陽子などの数・配列を自由に変化させられる技術が生まれると、たとえば鉄やカルシウムを金に変えてしまうことが出来る・・・金が鉄や牛乳みたく安くなったりはせぬか?(錬金術かい?)」   
   
 ま、結局は「分散投資」というよりも「分散“保全”」という感覚に自力で到達したから上のような積み立てサービスを申し込むに至ったのである。   
   
 いま、久しぶりに1米ドルが105円程度という水準になったが、これはNISAよりも強力に、人々の発想・感覚に変化をもたらすかも知れない。ガソリンが、エネルギーが、輸入にたよる素材・穀物その他のものが値上がりしていく。或るものは消費者の節約志向というか「買おうと思えば買えるけど、ちょっとでも値上げしたら我慢して買わないもんね、向こうが諦めて値下げしてくれたらそのときに買ってあげるわ」的な圧力で消費者物価の上昇はそれほどには至らぬかも知れないが、しかし、円安というものを少なからず肌で感じる場面は増えよう。   
   
 資産保全のためには円建資産だけでは限界がある・不十分だと感じる人は増えこそすれ、減りはするまい。外貨預金、外国の株式・債券ほか外貨建ての商品などへ目を向ける人は増えると思う。   
 ただ、しかし、為替リスク・信用リスクなどなどについて不注意な人、外貨預金と預金保険の関係、NISAで利用できる商品の種類、NISA以外での諸々の場合にどう確定申告に載せていくべきか・申告不要かとか、そのへんをまったく知らない人とかもまたいるし、当初は保全のつもりで商品検討しているうちにハイリスク・ハイリターンな商品に目が向いてしまったりする人もいそうで、これが結構たいへんなこと・問題含みなことだと懸念する。   
   
   
 なお、今回タイトルは漢字変換に誤りがあり、正しくは「円価一筋45年、最近はラップ(口座)に関心が云々」である・・・筆者のことではない、いま45歳くらいでリッチな人たちを想定してのタイトルである。   
   
 なお、冒頭の画像は、記事テーマに合いそうなものを用意したまでであり、筆者が推奨しようとか、そういう意味は一切無いので誤解の無いよう・・・。   
   


雑記


   
 スマホは、或る人にとってはまずもって「コミュニケーション・ツール」であり、或る人にとっては「PC代替程度のネット利用ツール」であるかも知れない・・・筆者はスマホを使っていないが、今後に利用するとすれば後者のようなユーザーとなるであろうなあ。もちろん、検索、ニュース・天気予報その他の情報取得ばかりでなく当然ながら電話的コミュニケーション・ツールとしても利用するであろうが、ともかく、現段階では「自分なりにガラケーとPCとの使い分けをすることで十分、結構」と考えている人間である。   
   
 というわけで、「スマホの利用料金というものは高い」と思っている。   
   
 「スマホにしませんか?」と業者に勧められたとき、料金・実質負担金などについての資料を見たあと、「で、要するに24か月目/36か月目までと、25か月目/37か月目以降について、毎月の支払額総額がどうなるかをパッと見て分かるように示してくれ」と言ったこともある。こういうのが分かりにくいのだよなあ、いつでも・・・少なくとも自分には。   
   
 どのタイミングで契約解除などすると解除料が発生する等のことは、ま、カタログなどにて見落とすことはないし、今や常識的なものとして承知している。   
   
 「格安スマホ」が次々登場する・・・。通信クオリティ、あるいは利用するハードウェアの性能・機能・安定性などを総合的に見ないと「安い」と言えるかどうか分からないが、ただ、月次の通信料の水準だけに目をやれば「十分に安い」と言える状況になった。しかし、筆者個人的には「格安」というよりもむしろ「ようやくにしてリーズナブルな料金水準となり、利用スタートを検討してもよい環境になった」と感じるのである・・・金銭感覚は人それぞれであるし、何にどの程度のカネを振り向けるかの選択も人それぞれであるから、「ケチだな」と笑わないでいただきたい。   
   


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