2013-11

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雑記



  
 介護などを通じつつ、可能であるならば親たちをもっと「魚好き」にさせよう・・・というのが、今の筆者の目標のひとつではある。   
 「人類の歴史は長いが、その大半において、魚でなく動物の肉こそが中心に食されて来た。また、長生きする人は肉をモリモリ食べている」とする意見に抗うつもりはないのだけれでも、そして肉類を食べさせないことなど決してないのだけれども、「この魚、こういう美味しさが魅力的だと思う、どうだろうか?」と、鬱陶しくならない程度に手短かにコメントしつつ食べさせるのは、「食べること」とともにあるコミュニケーションとして一定の意義はあるものと考えている。好みの無理強いはしていないつもりだが。   
   
 上のはメバチマグロのカマ。煮たものを以前に食べてもらったことがある。ちょっと前に「ああいうものをもう一度食べたい」とのリクエストを受けたが、いつでも店に並んでいるとは限らないため1か月ほど待たせてしまった。今回もやはり煮付けた。塩焼きなどしてもこれまた美味なのであるが、中心部まで(奥まで)しっかり熱が通るかどうかに不安があるため、筆者はやはり煮付けてしまう(なお、大きい鍋またはフライパンが必要)。   
   
 下のは、別途に用意した、何と呼ぶべきか「エビ、シイタケと、ふわふわ玉子のあわせもの」めいたものの材料。右上のコマツナは前日の「おひたし」の残り物であって、これを加えると水っぽく仕上がるであろうと思えたから結局は加えなかった。なお、日経新聞に連載されている小泉先生のエッセイの直近のものでもエビ雑炊や、また、最後から2番目の段落にてシイタケに触れられているなど、(茶碗蒸しを思い浮かべていただければ容易に納得いただけるように)玉子、エビ、シイタケなどは相性がよいのである。   
   
 なお、下の写真のエビは既にボイルされて売られていたもので、ゆえに、調理上、ほんの僅かの時間しか加熱しなかった・・・加熱するほど身が硬くなると思えたので。また、歯が悪くても楽しんでもらえるよう、調理に先立って包丁で細かな切れ目を加えた。   
   


雑記



   
 それは筆者の世代/年代のみに特有のことであるのか、それとも育った地において特徴的なことであったのかよくは分からないが、少年時代、冬場などに(大人は別として)男子学生が手袋をするのは「恥ずかしいこと」という感覚があった(人間の行動・振舞いとして恥ずべきことという意味ではないので「気恥ずかしいと感じるべきもの」などと表現するほうが適当であろうか)。   
 小学校高学年・中学・高校の頃のこと。女子が手袋をすることはちっとも構わないのだけれども、しかし、「手袋をする男は軟弱者」という共通感覚が当時の筆者の周囲にはあったのだ。自転車通学の場合に「軍手」を用いることについては「軟弱者扱いされることの範囲外/対象外」であったから(しかし軍手でない、皮や毛糸などの手袋はダメでそれだと軟弱者視された・笑)、筆者は自転車で通うときには軍手を利用した。   
   
 で、「手袋をするまいぞ」という意識は今なお自分のなかに棲みついている。   
   
 まだ少年の頃、手荒れには結局はユースキンが一番効くと思えた(筆者の場合には、である)。いつの間にか、そういうクリーム・軟膏などの世話にならずとも済むようになったが、時にメンターム類など利用することは続いた。   
   
 が、この2、3年くらい、自家製クリームの世話にもなっている。   
 主に石鹸やら入浴剤やらを自家製するために、ハーブ類をもとにした「エッセンシャル・オイル(精油)」を買っている家庭があると思うが、そのオイルが余ったりする。「余りを何かに活用できるか?」と訊かれても、そんなことは分からない・・・直感的に、書籍の虫除けとして利用できないかと思ったことはあるが。   
   
 それぞれの人の体質は異なる・・・だから、やたらなことは書かないことにするが、白色ワセリンに、或る2種類のエッセンシャル・オイルを或るパーセンテージでミックス(湯せんしつつ仕上げるらしい)したものが、筆者には効能をよく発揮してくれる・・・匂い/臭いは好きになれぬが、嗅がないようにすればよいだけの話であるし。   
   
   
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 下のはラトル/BPOのDVD。実はラトルにほとんど興味は無いのだけれども、ブラームスの二重協奏曲の或る個所について「映像で確認することが出来たなら」というところがあるため購入(なお、この時期ならではの商品)。   
   
 まだ視聴していないし、そして、あと幾日か先に鑑賞することになろうか。ちょっと前にオーマンディ/フィラデルフィア管による「春の祭典」(モノラル・レコーディング)を聴いたが、これが魅力的であって、また「ちょっと好みに合わない風情を伴うが、実は見事な演奏と言えるのではないか」と感じるものがあって今夜はまたも聴きなおすであろうし、他の予定もあれこれ詰まっている。(ハルサイは、これまでブレーズ(ブーレーズ)/クリーヴランド管の1969年レコーディング、コリン・デイヴィス、マルケヴィッチ(「プラハの春」ライヴを含む)などのものが自分の中では「気に入り」または「規範」みたいなものとして存在するが(アバドなどのものも断片的に記憶に残っている)、オーマンディのも「これはこれでよろしいのかもなあ」の域では済まないものがある。)   
   


雑記



   
 久しぶりに「杏里(あんり)」の音楽を聴き返そうと思ったのは、ボージョレ・ヌーヴォー~ワイン類~アンリ・ジローという連想によるのでなく、マンガ「そばもん」第12巻収録のストーリー中に「あんず」のことが出てきたから。(マンガの中では平仮名表記ではあったが、頭の中にはもちろん「杏」という漢字が思い浮かぶ)。なお、上の写真には竹内まりやのCDも含む。   
   
 写真の背景は新聞広告。このシャレについて筆者の感想と評価を一口で述べるのはたいへんに難しい・・・ちょっとの時間だけ「唖然」に近いものも感じはしたが、でも「ダメ、悪い」というわけでもない・・・ともかく、注目を得やすく、また、広告を目にした人の何割かには強く印象に残りそうではあるし。   
   
   
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 下の写真の左のはビール。「グランドキリン」の新しい銘柄 "The Aroma ( ジ・アロマ )" で、セブンイレブンで買い求めたもの。ビールの中でも「エール」と呼ばれるもの、また、ホップ香の強いものなどに魅力を感じる人であれば、キリンのこの品にも小さからぬ、いや、それなり以上の魅力または面白さを感じるのではあるまいか。筆者は気に入った。   
   
 ・・・上の品の風味は(日本の大手ビール・メーカーの主要商品と比較したとき)マニアックな傾向のものに属してしまうものである。   
 写真の右のはビールに該当しないビール系飲料。しっかり冷えた状態のものを口にしたところ、コクの物足りなさと、また、僅かに酸味を感じつつも、それがどうでもよくなってしまうような「爽快さ」や「ホップの香り」をよく楽しめた。   
 「ホップの香りがイヤでイヤで」という人は別として、この品は一般的にわりと親しまれやすいものではあるまいかと想像する。付き合って気持ちのよい、そんな飲み物であった。   
   


人はパンのみにて生きるにあらず・・・日本人はなおのこと、もっとコメを食べよう



   
 特に都会・都市部を中心に、コメはスーパーで買い求め、米店を訪れる機会は無いという人・家庭も珍しくなくなっているかと思う。そういうこともあってか、上の写真のようなものを目にして「これ何だろう、土嚢(どのう)とかか?」みたいな疑問が浮かぶ人もいるようだ。   
   
 もちろん、紙袋の中身はフツーにコメである(農家から購入しているもの)。   
   

雑記


   
 親たちのための食事づくりとして、土曜の晩はマコガレイ煮付け、また、日曜の晩はスケソウダラの煮付け(こちらは味噌を中心とした味付け)をメインとした・・・やはり魚を用いるのが自分としては楽である。   
 特にスケソウダラについては、本当はもう少し先の季節(冬場)に食卓に並べたいと思うものではあるが、店頭で目にしたものは質感その他が良さそうに見えたため買い物してしまったのだ。実際、とても美味に調理できた。   
 日曜の昼は冷凍のギョーザ(名の知れた日本メーカーの品)を用いてこれまた簡便な対応を狙っていたのであるが、焼きあがったところで試食すると「よろしくないなあ」な食感であった。説明書きどおりに調理したのであるが、ギョーザの皮が舌に触れたところで「これはちょっと違うんじゃないか?」なものを感じたのである、中身の具についてはそこそこ納得・妥協できると思えたのであるが、皮がどうも・・・。   
 「冷凍食品というものはダメなのだ、冷凍したものが美味いわけはない」と、父はあらゆる冷凍食品を否定したがる・・・おかずの一部に冷凍食品も交えようとする場合は「こっそりと」的に一応気も遣う。もしもこのギョーザを食べさせたりしたら「何だこれは?」という反応が返って来ようし、こちらとしても自分の腕前にそれほどの問題があるのでなく「冷凍食品だからこんなもんでしょう」と伝えたくなるであろうし、そうすると父の冷凍食品拒否反応はなおのこと強まるであろう・・・それは今後の冷凍食品利用に影響を及ぼしうるので注意が必要なのだ(笑)。   
 というわけで、冷凍ギョーザについては、「それでもべつに良い(構わない)」と言う母には食べてもらい、父には「月見そば」的なものを用意した・・・結局、当初に見込んでいた昼食調理時間をオーバーしてしまった。   
   
   
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 下の写真の左端のはビール。ホップの爽やかな風味は際立ち、たいへんに美味であった。   
 CDは、フリッチャイの「新世界」(旧録音、BPOでなくRIAS響、1953年レコーディング)と、やはりセルのドヴォルザークのシンフォニーのもの。   
 マルツィ/フリッチャイのドヴォルザークのコンチェルトをまず聴いて(これは以前に紹介したことあるように思う)、次いでフリッチャイのこの「新世界」・・・いずれも魅力的な演奏である(「新世界」などは、筆者にとってはやはりセルのものが一番肌に合うのであるが、しかし、フリッチャイのこれにも大いに惹かれる)。   
 今日はセルのドヴォルザークは聴かなかったのであるが、わざわざ一緒に写し入れたのは、このディスクのライナーにも写っている第7番のレコード・ジャケットを思い出していただこうと思ってのこと・・・あの風景地図はセル自身の絵画コレクションのひとつであった。   
   


雑記

   
 今日(9日)は自由時間がわりと持てて、雑誌「サライ」最新号、マンガ「そばもん」第12巻・第13巻を、いささかのんびり気味に読んでいた。   
   
 「そばもん」は、どちらの巻も、ストーリー面を含めて(いや、主にストーリーについて)面白いと感じながら読めた。   
   
 どうでも良いことをば・・・。   
   
 第12巻の123ページの、エビの姿について主人公が発する言葉は、筆者いつも思っていることなのでちょっと笑った(エビでもシャコでもタコでも、もしも初めて目にする人がいれば「うわっ、キモッ」などと思うであろうということ)。   
   
 第13巻の「板わさの味」に出て来る、映画のシーン中に映った「そば猪口(そばちょこ)」・・・これは、映画監督が、何というか「(僕と君との)二人だけが分かる秘密、もしくは、二人が、いずれの日にか思い出をたどるときの入り口となるシロモノ」として配置したものであろう・・・そういうものを、誰もが目にする、後年まで残り続けるであろう映像の中に敢えて収めたのである・・・「粋(いき)」とは感じないが、似たようなことは男であれ女であれ、やらかしそうなことではある(しかし、それを笑ってはいけない)・・・そして、完成した映画を目にしたときに、その「そば猪口」の意味合いを理解できるのは二人だけなのだ・・・女優が事実上の引退をして静かに暮らすことを続けられたのも、理解できぬではない(或る意味、あまりに古風な感覚を前提とするものであるが)。   
 が、しかし、この「そば猪口」の意味合いを、作者は209ページのように位置づける・・・マンガを書いた本人がそう位置づける以上はそれが「絶対の真実」なのだから反論することはナンセンスなのだが、しかし、承服できぬわい(笑)。映画監督は、そば猪口を拝借するにあたって「草庵」店主にそれなりの、男女間にかかわる心情その他を述べたであろうに・・・などと、筆者はまったく違う背景を思い描いてしまうのである。   
   
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 やはり無難に「食」の話題・・・。   
   
 牛肉について「霜降り肉でなくちゃ。それを分からない人間はどうかしている」的な見方が、少なくとも日本では趨勢のように思われ・・・これに対し、筆者などは(豚肉の脂身が持つ甘さの魅力についてはともかくとして)どうも牛肉についてはその脂にそれほどの魅力を感じず、むしろその赤身を噛みしめるときにこそ喜びはあると思って来た。   
   
 このような感じ方も特におかしいことではないのだな、と思った(それでもフィレのほうを好むが):   
   
  http://www.nikkei.com/article/DGXNASFB2506F_Z21C13A0000000/?dg=1   
   
   
 しかし、筆者は肉よりも魚を愛する。   
   

雑記


   
 以下は、2013年5月27日付のブログ記事に加筆などしたもの(なお、同時に、同記事は削除)・・・。   
   
   
 「幾つものログインIDやパスワードは、紙・手帳にであれ、あるいはPC上のデータとしてであれ、メモ記録しておくのは適当ではない」   
   
 「ん? IDについては、職場の周囲の人やメール受取人その他などが知っている場合や、容易に推測可能な場合も多いわけだから、メモ書きしてはいけないのはパスワードだけだよね」   
   
 ・・・という議論はさておき、IDとパスワードの双方について「控えメモ」をとっている人は相当いるだろうと思う。それらを暗号化したうえ管理できるソフトウェアもあるけれども、紙のメモや単純なるテキストデータには一種の安心感(笑)がある。   
 筆者もまた紙にメモ書きしている・・・パスワードについてはアルファベットや数字をランダムに組み合わせたものとするのを原則としているから、そういうメモはどうしても必要なのだ。IDの多くはそのままメモ書き。一部のIDについては空白にしていたり、あるいは実際とは少し違えてメモ書き。そして、パスワードについては、すべて、或る簡潔なルールに基づいて、実際とは異なるものに変えてメモ書きしている。その変換ルールについてここに紹介することは控えるけれども、似たようなことは誰にでも容易に実践可能であろう。   
   
 たとえば・・・。   
 パスワードは自分の好きなように設定可能という通常のパターンにおいて、「自分は、パスワード中にこの数字やアルファベットは使わない」というルールをまず決めてしまうとする(定期の、あるいは時折のパスワード変更手続の際にもこの「自分ルール」を守り通す)。そのルールは、覚えやすいようにたとえば「七五三」にちなんで「3、5、7の数字は使わないことにしよう」でもよかろう。「素数以外は使わないことにしよう」、「縁起が悪いと考える人もいる4と9を使うまい」なんていうルールでもよかろう。あるいは、「偉大なるバッハに対する敬意を込めて、A、B、C、Hの文字は使うまい」とか、「大きい数字や、アルファベットの後ろのほうの文字、すなわち、7、8、9やX、Y、Zを使わないことにしよう」など・・・。   
 そういうルールでパスワード設定しておきながら、メモ書きのほうには、正しいパスワードの文字列の中に「使わないことに決めた数字やアルファベット」をランダムに混在させる。  
 誰かがそのメモを見たとして、さて、そこから正しいパスワードを見破ることは可能か? そう容易なことではないと思うのだけれども、しかし、安全性について、筆者はもちろん何も保証しない・・・仮に、たとえば社内システム運用管理者など、あなたが利用している本当の、或るパスワードを知る立場にある人物がそのメモを目にした場合、実際のパスワードとメモ書きとを見比べつつ「ははーん、実際のパスワードにこういうデフォルメを加えてメモ書きしているんだな」という推測は出来てしまうだろうなあ。   
   
 しかし、上の方法については「でも、やはり面倒・厄介なような気がする。メモを見ながら正しいパスワードを入力するときに、ちょっとだけだが頭が混乱しそうだし、自分が書いたメモの解読のために1秒、2秒くらい余計な時間が掛かりそうなのも癪だ」という気持ちも生まれたりするか。また、「パスワードの幾つかは、自分で設定したのでなく金融機関のネット・サーボス・サイト、通販サイト、プロバイダー、その他の側が設定して寄越したものをそのまま使っていて、“使わないことに決めたい文字”がその中に含まれているんだよね。ここで今、自分でパスワード設定しなおすのも面倒くさくて」という意見もありえよう。   
   
 ならば、たとえば次のようなルールでのメモ方法はどうか・・・。   
 正しいパスワードの頭に(正しいパスワードに先行して)、ダミーとして「何文字かのアルファベットと、そのあとに数字1文字」を付加してメモ書きしておくという方法。   
 仮に正しいパスワードが "abcd1234" だとしよう。これをメモ書きするときにはたとえば "jdmw3abcd1234" とか "r8abcd1234" などとするのである。また、正しいパスワードが "1234abcd" であるならば、メモ書きを "gmv31234abcd" などとする。   
 メモを見ながらパスワード入力するときは「最初に数字が現れる、その数字1文字目までは意味ナシであり、読み飛ばすべきもの」と考えればよいので、かなりシンプルに、スピーディーに対応できるかと思う。   
 パスワードをメモ書きするときは、パスワードそれぞれの先頭に付加するダミーの文字数がマチマチになるように、つまりはアルファベットの文字数がマチマチになるようにしておくのが多分よろしかろうと思う・・・とは言え、これまたやはり、安全性の保証などするつもりは無いけれども。   
   
   
   
 「意味のある言葉/単語をパスワードに使うことは避けるべき」との意見・指摘はずっと以前からある。それに素直に従いたくても、しかしまた、覚えやすく・思い出しやすいパスワードとして、そういう言葉/単語を使いたく思う人がいても無理からぬことのように思える。   
 人名もまた「意味のある言葉」であるとするならば、カラヤン・ファンだからといってパスワードを "karajan" とするのは慎みたいところか。   
 では、母音を取り除いて "krjn" とするのはどうか? 覚えやすく手控えメモも不要なほどであるが、パスワードとしては文字数が少なすぎるかな。   
 ならば、カラヤンは1908年生まれということにちなんで "karajan1908" や "krjn1908" とするのはどうだろう・・・クラシック音楽ファン以外にはこういうパスワードは推測しにくいものとは思えるが。そして、アルファベットについて大文字も利用可能であるならそういうものも混ぜるということで。ま、これまた、安全性について筆者は何も保証しない。   
   
 クラヲタとしては "hans978224" または、もう少し簡単には "h978224" というパスワードもアリなのかなあ。これは、ハンス・クナッパーツブッシュの意。「クナッパーツブッシュ」の部分の音を数字に置き換えている・・・ちと訛(なま)ってはいるが(笑)   
   
 同様に、 "dimitri3106264" や "aben10610" とかもどうか・・・。前者はミトロプーロス、後者はアーベントロートを意味している。   
   

雑記



   
 上の画像は過去のものの使いまわし。   
   
 幾つかの理由からボリス・ブラッハー作曲の「パガニーニの主題による、管弦楽のための変奏曲(作品26)」を聴きなおそうと思った。   
 パガニーニの主題とは、「24のカプリース」にある、あの誰もが知っているであろうテーマ。ラフマニノフにもそのテーマに基づく狂詩曲がある・・・こちらは、セル・ファンにとってはグラフマンとセルとによる共演レコーディングがよく知られていることであろう。   
   
 ブラッハーの作品はラフマニノフのものとは全然違って、少なくとも筆者には「“変奏”というよりも、まったく新しい作品として生み出されたもの」という印象に近い。   
 この作品、けっこう騒々しく音がうるさい個所も多い音楽なのではあるが、ポップ感・半ジャズ感(?)めいたものや、あるいは形容しがたい独特の雰囲気、また、オーケストラの個別演奏者・全体の性能発揮などをあれこれ楽しめたりと、魅力は豊富であると感じる。   
 フリッチャイがRIAS響を振ってレコーディングしたのは1950年・・・写真のCDの音質は、懸念するほどには音が悪くない。   
   
 この作品、実はセルもクリーヴランド管やニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートで取り上げている。1954年にニューヨーク・フィルハーモニックを指揮したときのものは放送がされ、その音源が残っている(筆者の手もとにあるものは音質がとても悪いが)。なお、セルの伝記本をお持ちの方は、この作品に関して138~9ページの記述も参照されたい。   
   

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