2013-09

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雑記



   
 (↑)上の写真はチダイ(ち鯛)。   
   
 筆者が買い物するときだけの「偶然の連続」かも知れないが、マダイやチダイの小さなものは「目立ってお手頃価格」状態が長く続いている・・・ような気がする。  
    
 これらは、塩焼きするばかりでなく、煮付けることもしている。煮付けの場合、煮汁は薄味とし(昆布ダシ)、場合によってそれに梅干またはショウガを加えるというヴァリエーション範囲としておきたいところであるが、親たちの嗜好からすると「こってり味の煮付け」もまた決して嫌がらないと想像されたので、(これらの魚に飽きられては献立の幅がそのぶん狭まることにもなりうるし)、先週末にはチダイを濃く甘い煮汁で調理した。   
   
 チダイはそのエラに、血のように赤い部分があるからこう命名されている。「真鯛」と表示されて売られていたもののエラの縁の一部が赤いというか濃いピンクっぽい色をしていたときがあって、売り場のスタッフに「これはチダイですか?」と尋ねたら、マダイだとの答えが返ってきた・・・チダイのエラの赤さはもっとしっかり・くっきりした赤であり、しかし、マダイとチダイとの見分けとしては、尾びれの先端(最後方)あたりが青黒くなっているのがマダイであり、でも、全体の体型をさっと眺めて判別するのが一番簡単なのだと教わった。   
 ネットで調べてみると、なるほど体型による判別を説明したものもあるが、いま仮に目の前にポンと魚を置かれて「では実地訓練してみましょう、これはマダイでしょうかチダイでしょうか?」と問われても正答できるかどうか。ただ、強さ・たくましさとそれを背景にした悠然としたものを感じさせるのがマダイ、温和な環境下でおっとり成長したようなソフトさを感じさせるのがチダイ、といった印象を受けもするが、特にまだ小さなサイズのものだと体型を「パッと見」して見分けることは筆者にはどうも難しいか。   
   
   
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 両親から「昼食にラーメンを食べたい」とのリクエストを受けていたので、今回は下の写真の商品を利用。この品は筆者自身もずいぶん前に食べたことあるもので、しかし、以前のこと、やはりラーメンをリクエストされたときには店頭に見当たらなかった。筆者、ちっともラーメン・ファンでないが、この品などは好みに合う(というか、まずもってアッサリ傾向のスープのものでないと、そしてノン・フライ麺のものでないと食す気になれない)。   
   
 商品パッケージの調理説明には従わず、スープ原液は丼に注いだ。そこに、やかんで沸かした湯をちょい少な目に注ぎ足して味見しながらスープを仕上げた。調味油は控えめに利用。麺を茹でている鍋にスープ原液を入れるとスープの味が悪くなる・濁るので避けたいという、そんな意図でなく、後始末・洗い物を考慮すれば、油っけのある汚れは丼・レンゲなどだけで十分であり、鍋まで油っぽくしないほうが(小さなことだけど)得策だからである。   
   
   
   
 ラーメンを作り終えたあとは翌日(日曜日)の昼食用のカレーの準備となった。   
 筆者の感覚は「パンもカレーも、日本人があえて食べる必要も無いのにな」といったものであるからして、筆者がカレーを用意する場合にそれを「手作り」することなどありえない(笑)。レトルトのカレーで父母ともに気に入る風味のものがあるからそれを利用する・・・しかし、具が少ないのが欠点・・・そこで、豚肉(ただし、歯が悪くても食べてもらいやすいよう、薄切り肉をさらにいくらか小さめに切ったもの)を炒め、父が思いつきで買って来てあったズッキーニもまた炒め、それらを、すでに鍋に移して温めておいた2食ぶんのカレーの中に投入して寝かせることとした。それを次の日に食べてもらった・・・カレーも、そしてズッキーニについても味見する気にならないし、どんな出来栄えか確かめなかったが、気に入ってくれたようではある。   
   
   
   
 レトルトのカレーとはいえ、やはり多少の手間は必要になってしまう。   
 では、ラーメンのほうが楽かというと、一応そうとも言える。焼豚かハムなどをのせ、野菜は「おひたし」の残りであるとか冷凍食品の野菜(ホーレンソウなど)とか、安いときに買い込んで斜切り/輪切りして急速冷凍ストックした長ネギ(冷凍を経ていると細胞膜などが損傷を受けるせいか解凍後にちょっと過熱するだけでとても柔らかくなる・・・親たちはラーメンでもそういう状態のネギを好む・・・栄養素が流出してしまう等のことはこの際だからいちいち気にしない)など利用する。今回トッピングしたのはショルダーベーコンの残り(加熱済ですぐ食べられるようにして売られているもの:歯が悪い高齢者にとって噛みやすかったりするらしく、「ソフト仕上げ」的なことを謳った焼豚よりも喜ばれることがある)、ワカメ、コマツナ少々、ゆで卵。メンマやナルトは、次回に活用するのがいつになるか分からないからわざわざ用意したことが無い。実に簡単な調理ではあるが、ただ、「ゆで玉子」については、父と母とでは「かたゆで」と半熟とに希望が分かれ、その点、ほんのちょっとだけ面倒である(笑)。   
 このラーメン関連の話は、本来はもうちょっと上で書くべきであったが、しかし、今は手直ししている時間が惜しいので話題順はもうこのままとさせていただく。肉でなく鶏レバーを思いつきで別途で煮付け、それをラーメンにのせたこともあった・・・「こういうのってアリか?」と思わぬではなかったが、過日のこと、山形県の観光パンフレットを見ていたら新庄市には「とりもつラーメン」(砂肝などがメインかなあ)なるものがあるようだから、無茶苦茶なことではあるまい。ラーメンに何をのせるかは嗜好その他で自由な筈であるから「高菜漬」、「ふのり」、「はんぺん」はもちろんのこと、「干しイモ」、「ドライ納豆」、「からしレンコン」、「がんもどき」その他などなど、いずれは試してみようか(いや、そういう気は無いが)。   
   
   
 冷凍食品のグラタンも昼食に用いたことがあるけれども、「(おかずとして)食べ足りない」との感想であったから、一概に「手作りは大変、レトルト食品や冷凍食品はそれこそ簡単でメデタシ、メデタシ」とは、やはり言い切れまい。   
   




雑記



   
 (↑) 上のはシソ(紫蘇)の実。   
   
 これは味噌漬、醤油漬、塩漬などにして楽しめる。そういう漬物を、筆者は酒の肴のひとつとして、豆腐(冷奴)の上にトッピングされたかたちなどで愛でる。ご飯のお供にして楽しんでいる人もまた少なくなかろう。もしかして粕漬けにする人もいるのかなあ・・・筆者自身はシソの実の粕漬けは食したことが無いけど。   
   
 漬けるにあたっては、市販の、メーカー品のシソの実の漬物の真似をして刻んだ大根と混ぜ合わせる必要はないし、そのようなことをしないほうが、シソの実の一粒一粒を歯でちゃんとプチプチ噛めて、その濃い風味をしかと楽しめる。   
   
 なお、このままいきなり漬けるわけではなく、洗ったあと、熱湯を利用してのアク取りを経るのが普通だろう。また、「漬け段階」ではガーゼ・日本手拭いなどに包まないと味噌の中などに散らかるうえ、食べるときの味噌の除去が出来にくくなるが、しかし、ガーゼなどのかわりに、日本茶・紅茶のティーバッグを自製するために用いるペーパー(紙・不織布)を用いるのが簡便であり、今日では実際的な方法であろう(レシピ・サイトなど参照されたし)。   
   
   
   
 季節は次第に「秋」モードへ。   
 しかし、エアコン(のクーラー機能)を利用する可能性は、まだまだある。   
 夏の盛りであれば、節電のためとはいえエアコンを使用しない時間帯の待機電力消費をカットすべくその電源コード/プラグをコンセントから抜く・ブレーカーを切るなどということは面倒でやっていられないない(その家にもよるだろうが、コンセント位置が高い場合、特に女性ではイスに乗ったりも必要になって危なっかしくもある)。   
 が、今くらいの季節になると、エアコン運転しない日も多くなる・・・元電源遮断するのを基本としておくことは合理的と思える。   
   


雑記


   
 写真の左のはサッポロの、数量限定発売の品。   
 右のは、冨永貿易が輸入している「アビィビール」の「サン・ベルナール」。ドイツ産とのこと。   
   
 ともに美味であった。   
 右のものの、甘さ、やさしい苦さは、ビールとしてのリフレッシュ要素を伴いつつも、しかし、安らぎを与えてくれる魅力をしっかり持つものであった。他の酒を飲んだあとだったせいか炭酸がちょっと弱めであるように感じたのだが、たとえそうだとしても、風味バランスも含めて全体で惹きつけられるものがあった。取扱店はそう多くないかも知れない・・・しかし、美味かったなあ、筆者は少しばかりまとめ買いすることであろう。   
   


雑記



   
 (↑)ミョウガ。ちょい余ったぶんは味噌漬とすることに・・・包丁で、まったくテキトーに切れ目を入れた直後。気分で撮ってみたまで。   
   

セル指揮チェコ・フィルのドヴォルザーク第8番(ライヴ)



   
  "audite" レーベルからリリースされたルツェルン音楽祭におけるセルのCDについては、チェコ・フィルを指揮してのドヴォルザーク/交響曲第8番をまず聴いたところ。   
   
 基本的に、曲/作品を、慈しみをもって丁寧に扱おうとする雰囲気が感じられ、かつまた、端正さを保持した演奏スタイルとなっていよう。しかし、それは、演奏が穏やかで地味な、メリハリにも乏しいトーンで終始するなどという意味でないこと勿論である。みずみずしい生命感、歌、曲の流れ、流麗さ、洗練、ダイナミズム、そして奔流のようなドヴォルザーク風パッションとその表情、その他の諸々が、コンサート/実演に於けるセルらしい、そして、この指揮者がドヴォルザーク作品に接するときならではの筆致・スタイルでしっかりと表現されている。EMIその他に残るセッション・レコーディングに優る魅力を感じ取るセル・ファンも少なくなかろうと思う・・・筆者は、たとえばベルリン・フィルとのR.シュトラウス/「ドン・ファン」、シューマン/交響曲第2番などのライヴ録音( "Testament" レーベルのCD)と同程度に大切にしたい演奏記録であると感じた。ただ、ドヴォルザーク風のエキゾチズム・朴訥さ・温度感などについての嗜好・こだわりは人それぞれなので、そのあたりを中心に、評価・感じ方はどうしても分かれるかなとも同時に思う。  
   
 曲中のそれぞれの個所でのテンポの選択・変化に関してだけは、少し戸惑うこともありはした。   
   
 「ヒストリカルもの」もそこそこ以上には聴いているがゆえ音質にはどうも「こだわり・追求」が甘くなっており、また、最近はかなり音楽鑑賞する時間が減ってしまっている筆者にしてみると、今回の新譜のこのドヴォルザーク作品については一応以上、いや十分に「良好な音質」と感じられるものであった。   
   
 各楽器の音色はチェコ・フィルらしい豊かさを持ち、また、随所で、(主役でない)脇役を務める楽器やパートの聞こえ方(主役との音量バランスなど)もなかなかに素晴らしく、たいへん心地よく音楽に浸ることとなった。
   
   
 従来、この曲をセルの正規セッション・レコーディングのもので聴くと時間の経過は速くて、ふと気づけば音楽は「コガネムシ、蔵を建つるの段」にさしかかっているというあんばいであったのだが、このチェコ・フィルとの演奏では時はゆっくりめに過ぎていくし、魅了されている時間は少し長めに感じられる(実際の演奏時間も若干長めのようではあるが)。  
  
  
 筆者にとって、ティンパニのパートについつい注意が向き過ぎてしまう曲がドヴォルザークには幾つかある(譜面上でのこと、つまり、打たれる位置、刻まれるリズムのほかに、それぞれが演奏上でどのような力感・パンチ・表情で打たれるか等)。これはこの作品についても当てはまる・・・この演奏でのティンパニの活躍ぶりも良いように思う。   
 録音上のダイナミック・レンジのせいか分からないが、セルらしき激しさ・力強さ・思い切りの良さもよく堪能できる演奏内容である(しかし、演奏の精度は粗くない)。この点もまた、ティンパニの活躍ともども、筆者を興奮させるものがある。   
   
 テンポの話に戻るが、第4楽章の、それこそ最後の最後の個所が「これは幾ら何でも速過ぎる」と思えたが、もう一度この楽章だけを聴き直したら「コンサートにあっては、これくらいで良いかな」という感想に変わった。聴衆は大いにウケている。   
   
 ブラームスのほうはまだ聴いていない。   
   

違いを説明できますか?・・・「スーパーセルとジョージ・セル」、「ツライチとブラ1」、「つぼ八 と ドヴォ8」

   
 某住宅メーカーの新卒採用試験問題から:   
   
 (問い)次の4つの言葉のうち、他の3つとは内容・性格などを異にするもの1つを(仲間はずれのもの1つを)選びなさい。また、あなたがそのように答える理由も記しなさい。あわせて、これら4つの言葉を用いながら、当社製品がどのように優れ、どのように劣るか、当社の製品やサービスが抱える課題が何であるかを論じなさい。   
   
 1)住友林業の家   
 2)セキスイハイム   
 3)へーベルハウス   
 4)ニーベルハイム   
   
   
 ・・・という冗談はさておき。   
   
 7月25日付で紹介した、ルツェルン音楽祭でのセルのブラ1およびドヴォ8のライヴ録音を収めたCDは、ショップへの入荷が遅れているようである(少なくとも某店に関しては、入荷が遅れる旨の連絡を受けた)。   
   
 「mp3音源でもいいや」という人もいるかも知れない・・・たとえば日本のアマゾンでは既に8月からそのダウンロード販売が始まっているようではあるけれども。CDで得たい人は、しばらく「待ち」状態か。   
  
   
   
   

雑記



   
 上の写真の一番左のは黒ビール。その他は「ビール」に該当しないビール系飲料。   
   
 黒ビールは、サントリーのこの品も美味い。こちらの体調などのせいか、風味に線の細さのようなものを感じるときもありはするが、それでも常に満足感を覚える。   
 キリンのスタウト、エビスの黒、そして、ビールには該当しないがサッポロの「麦とホップ(黒)」など、筆者はそれぞれに美味しい、または、悪くないと思って飲める。そして、決まって、「ああ、もうちょいこれを飲みたい、自分としては500ミリリットル前後を飲みたい」などと思う。ま、幸せなことだ。   
   
 有名なギネスは外で飲むばかりである(ビールサーバーからのもの、あるいは、缶からグラスに注いだのを、たぶん超音波振動を発するのであろう小さな台の上で泡立てたもの)。しかし、あのビールは、確かに美味いと思うのだけれども、飲み始めてすぐに「飽き」のような、いや、「満腹感」のようなものが訪れてしまう。風味要素の何かが違うとか、あるいは、それはむしろ良質さ・濃厚さを示す証拠であるやも知れないのだが、筆者個人的には、あまり嬉しいことではない。   
   
 アサヒのスパドラのブラックは、まずもって風味に物足りなさを感じ、次いで「何か違う、いや、違いすぎるよな」的な感想も生まれる・・・ただ、「黒ビールであるにもかかわらず味わいに透明感・軽さ・キレがあって、そこが魅力」とも評しうるか。黒ビールでもともかくグビグビいきたいとか、または、いささか以上に油っこい食べものをつまみながらの場合などには、良いのかも知れない。   
   
   
 写真に戻って、左から2番目のはコンビニのローソン限定商品なのかな、サントリーの "Sweet Rich" という品で、「ローストシュガーのやさしい香り」を謳っている。原材料中に香料、甘味料なども含む。   
 なるほど謳い文句のとおりの風味で、そして、「美味しいか否か」と問われれば美味しいのであるが、しかし、個人的には、独特の甘い風味のその表情・あんばいがあまり好きになれなかった。嗜好の問題だから致し方あるまい。   
 冷たくして飲みながらも、でも、ちょっと「ほんわか」的な風合い・トーンの味わいを求める人に向くかな?・・・と書きつつ、そういうシチュエーションを筆者には思い描きにくい(笑)。   
   
 3番目のはアサヒのプライムリッチ。   
 しっかり冷えたものを口にし、そして、これは美味いと感じた。(口当たりや泡がクリーミーという意味でなく)風味に、ほんのちょっとクリームのような、乳製品のようなものを伴っているように感じられた。コクがあるという表現が適切かどうか分からないが、味わいが薄っぺらでないし、トータルで好ましい飲み物に仕上がっていると思った。   
   
 右端は、アサヒの秋限定醸造「秋宵」。   
 以前の筆者であれば、この品は旨味が少ないなどと感じて嫌ったかも知れないが、いまの自分としては、これはこれで爽快に飲めるものとして、これまたわりと気に入った。キリンの「澄みきり」を飲んだときにも感じたのだが、発泡酒その他の飲み比べ遊びをしているうちに、どうも自分の味覚は大きく変化して来たように思う・・・「そんなことってあるのか?」・・・あるだろうなあ、昔々、スパドラが登場したときには「今後これを好んで飲むことはあるまい」と思ったものだが、やがて普通に楽しめるようになったし、また、「一番絞り」が登場したときに、筆者は「これは妙にふうわり甘いところがあって好きになれない、俺には二番絞りで十分だよ」という冗談を言ったこともあるが、これもまたそのうち普通に美味しいと感じるようになったわけだし・・・。   
   
 ビール各社の秋シリーズ商品の缶デザインでは、今年はサントリーの「秋楽」が一番と思えた。(仮に筆者がデザイン担当するなら、文字を横書きして傾斜配置する場合には縁起をかついで右肩下がりにはしたくなく思うが、ま、お月様との兼ね合いもあって、結局はあのような文字配置にしたのであろう。)   
 「秋宵」のデザインは、(350ミリ缶のほうはどうであるか知らないが)この500ミリ缶について言えば、上半分が昨年同様になかなか素敵であるのに、下半分がよろしくないかなあ・・・グラスに注いだところを描いたイラストが配されているのだが、それが何というか、ファミリー向け商品の「ホットケーキ調理完成例」「○○○の盛りつけ例」みたく目に映り、ちょい面白くなく、また、このイラストが目に入っても「おっ、美味そう、喉が鳴るぜ」と心が反応することも別段なくて、要するに邪魔な気がする。   
   
   
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 居酒屋でウィスキーを口にする客は少ない。   
 それでも筆者は、しばしばウィスキーを口にする。好きな品をぶら下げて行って持込み料金を支払えばボトルキープしてくれるなんていう店もあるし、また、客からのハイボール注文に応じられるようウィスキーを置いている店はそう珍しくないから、それを、ハイボールでなくストレートやオン・ザ・ロックで飲ませてもらう。   
   
   
 ウィスキーを口にしながら、カウンターで他の客と話をかわしたときのこと・・・。   
 相手は言った・・・「映画の西部劇ではウィスキーをストレートで飲んだりしているけど、本当にああいう飲み方をしていたのかねえ?」   
   
 実際のところどうだったかは、筆者も知らない(イギリスでのウィスキーの飲まれ方の歴史は多少承知しているが、アメリカでの状況はよく知らない)。   
   
 「でも、少なくとも映画のなかではストレートとか、せめてロックでないと恰好がつかないですよ。いかつい男、むくつけき男が店に入って来て、拳銃をセットしたベルトを外してカウンターの上に置き、“ウィスキーを、水割りにして。薄くしてくれる?”などと頼むシーンはちょっとアレでしょう。」   
   
   
   
 別のとき、居酒屋でなく或るスナックにて、筆者と同様にウィスキーを口にする常連客がいて、やはりちょっと話しこんだ。   
 その人は、「ワインやウィスキーをテイスティングしてその香りや味を言葉で表現する行為」がとてもイヤなのだと言った・・・つまり、「シトラスの香り」だの、「竹林のような香り」、「蜜のような甘み」などと、風味要素などを述べ立てる行為は好きでないようだ。筆者もさほどは好きでないけれども、さて、この時、酔っ払いどうしであったからどういう話の展開であったか忘れたが、テイスティング行為のギャグを始めてしまった。ウィスキーを飲みつつ筆者は・・・。   
   
 「あ、控えめにスモーキーさがありますね。麦っぽさがしっかりしていますね・・・(中略)・・・それから、特に夏場の、(剣道の防具の)籠手(こて)から手を抜いたときのあの臭いが感じられますね・・・」   
   
   
 もちろん後半は冗談であったのだが、相手は急に真剣になってあの臭いを嗅ぎ取ろう、味わいの中に探ろうとした・・・あの耐え難い臭いを知っている人であれば、顔をしかめたいほど嫌いである筈なのに、ついつい気になりだしチェックしたくなるものだろう。  
   
   
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 或る、個人営業の居酒屋にて。   
   
 お通しの料理の材料中に、スライスされたチクワがあったのだが、気のせいか、どうも穴径が大きい。   
   
 「このチクワ、穴がちょい大きめだよね?」と言ったら、背後の席の人たちから笑い声があがった。その日の客でこれを指摘したのは筆者で3人目だそうで・・・。   
   
 外径を変えずに内径を大きくする・・・原材料の節約、つまりコスト削減につなげる工夫なのだろうなあ。いや、スライスせずに丸かじりなどする場合の食感をより優れたものにするため、あるいは、チクワの穴にキュウリやチーズを差し入れやすくするための改良か。   
   
 その店で「きょうは刺身用のサンマを仕入れたので食べてくださいよ(=注文してくださいよ)」と言われた。   
 ちらと思ったのは、この店にやって来るお客さんだと、サンマの生食に今なお抵抗感を持つ人や、食欲との兼ね合いでヴォリュームのあるものや肉系のつまみを求める人が多かろうなということ。筆者は、せっかくだからオーダーすることにした。   
   
 筆者も、サンマの刺身に親しむようになったのはそんなに昔のことではない。北海道など鮮度のよいものが得られる地でないと刺身で食べることには難があると思って来た。最近は本州の、それも東京その他の魚店、スーパー、飲食店でも刺身用のものがよく扱われるようになり、ともかく珍しくはなくなった。   
   
 しかし、魚好きの筆者も、サンマ刺身の脂には時として往生することがある。脂がよく乗ったサンマは、焼いて食せばもちろん美味いのだけれども、刺身ではどうもその脂に参ってしまうことがあるのだ。風味豊かな日本酒とともに味わうと特にいけない。今回は最後の一切れまで無理することなく楽しめたが・・・。   
   
 ところで・・・。   
   
 1)サンマ刺身   
 2)牛肉   
 3)ウナギ   
 4)鶏肉・豚肉   
 5)スポーツ飲料   
   
 この1のサンマ刺身については、上で書いたように、食べている最中に参ってしまうことがある。ブリの刺身でも量が多すぎると途中で「これ以上はあまり食が進まない」という気分になることがあるが、サンマほどの脅威にはならない。   
   
 2の牛肉についても、たぶん脂のせいでサンマと同様のことがあり、加えて、明らかに胃がもたれることもある・・・しかし、たとえば輸入牛肉などで、赤身と脂身がわりとよく分かれている場合にその脂身を取り除いて食べるとまったく平気である・・・しかも、筆者、固めの赤身が好きと来ている(笑)・・・ビーフジャーキーでは、テング・ブランドのあれや、さもなければオージービーフを使ったものの風味・噛み心地を好ましく感じ、国産牛を使っていて脂しっとり、ソフトな噛み心地のものは苦手であり、素手で食べれば手指が脂っぽくなる点もまた好まない。   
   
 3のウナギは平気である。ただ、翌日くらいになると、ウナギやタレのどういう成分のせいか知らないが、肌の表面にちょっとベタつきを覚える。いつもそうだ。よく言えば「しっとり感」に近いものだけれども、しかし、自分としてはサラサラ状態でありたく思うので、ほんのちょっとだけイヤなのだなあ。   
   
 4は特に問題なし。   
   
 5は、水分補給に適したように糖類やナトリウムその他を含んだ飲料のことを指しているが、筆者、飲んだ直後から汗がベタつき始める。飲まない場合の、ふだんの汗には特にベタつきを感じない自分にとって、実にイヤなものだ。ほかの人に尋ねると、同じ意見の人もいれば、特に何も変化を感じないと言う人もいるし・・・はて・・・。昨夏は、或る銘柄のスポーツ飲料を飲んだあと、汗のベタつきがどうこうばかりか、体調や意識のあんばいその他がどうもかなりよろしくないことに至ったので(半日くらいのあいだに2リットル飲んだのもよくなかろうが)、この夏は、スポーツ飲料はちょっとしか口にしなかった。   
   
 昔、何かのテレビドラマだったかと思うが、「夏場に野良仕事に出るときは、麦茶と塩むすびを持っていくものだ」みたいなセリフを耳にしたことがあるのだよなあ。それをふと思い出して、この夏は麦茶をずいぶんと飲んだ。どうも「麦茶は子供の飲み物」という先入観が筆者にはあるのだが、それでもよく飲むこととなった。   
 伊藤園の「健康ミネラルむぎ茶」の味が良いな、おや、原材料中に麦芽という表記も見受けられるがどういう効果を持つのだろうとか、ダイドーのも美味しいな、サントリーの製品で麦以外に玄米やゴマなども用いたものは麦茶らしい風味が淡いうえに、好きになれない味成分(ゴマ由来か)があって残念だな等、いろいろな感想が生まれたが・・・しかし、麦茶は、ティーバッグを使って自家製したものがやはり美味いと気づかされるこの夏であった。しかし、自家製したものを持ち歩くことまではしなかった。   
   
 職場などで、自製の麦茶2リットルを机上にデーンと置いておきたい場合にどうすればよいか?   
 まず、サントリーの「南アルプスの天然水」の2リットル・ペットボトルを最寄りのコンビニなどで調達する・・・たとえばセブンイレブン、ファミリーマートなどだと廉価である(日本全国そうであるかは知らないが)。   
 ボトル内の水をカップなどに少しあけてから(水位を下げる)、ボトル内に麦茶のティーバッグを入れる(ティーバッグは細長くクルクル巻きにするなどしてボトル内に突っ込む)・・・「南アルプスの天然水」のボトルは口径がちょっとばかり大きい/広いので、ティーバッグを入れやすいのだ。これでしばらく放置すれば水出し麦茶が出来上がる。   
 他のミネラル・ウォーターでも試したが、ボトルの口径が小さかったりする(むしろ標準口径と言うべきか)。そしてまた、出来上がる麦茶の仕上がり方・風味が、上の銘柄の水ほどに優れなかったりする・・・同じような軟水で、また、各種ミネラルの含有量にやたら大きな差異があるとも思えないのに不思議なことであるが、ともかく「南アルプスの天然水」で水出し麦茶を作ると味が良いと感じている。   
 ティーバッグは、その説明書きに従わず、麦茶が出来上がっても筆者は取り出さない・・・ティーバッグは膨張するので取り出すのも容易でなかろう。ティーバッグをそのままにしておくと、雑味や、多少の濁りを生じる可能性もあるけれども、そのほうが筆者にとっては美味いと感じる(笑)。なお、筆者、2リットルを半日くらいで飲みきってしまう・・・さらに、冒頭のように夜にはビール類その他も飲んだりするむわけだから、利尿作用を勘案してもなお水分過剰摂取かも知れないし、漢方医学などの視点からすると問題あるやも知れないなあ。   
   
 麦茶を飲んだあとのペットボトルは、ボトルの下から10何センチあたりで、4面ある側面の、3面と、あと1面の少しばかりにカッターで一気に連続した切れ込みを入れ、その切れ込みを開くようにペコンとお辞儀させ、ティーバッグや麦茶の残りを捨てて軽く洗浄し、然るべくゴミ分別。慣れれば手早く処理出来てしまう。   
   
 なお、「美味しくなかったよ」、「ティーバッグの大きさ・容量の関係でボトルに入れられなかった」等のことも、場合によってはあるかも知れない。カッターの扱い、カッターで切れ込みを入れる作業中やその後のペットボトルの切り口などにはくれぐれも注意を。   
   

雑記

   
 居酒屋にて、よく顔をあわせる他の客との会話・・・。   
 店を構えて商売をしている人が、必要があって書類などをコピーするときはコンビニへ行くのだと言った。「マルチコピー機は凄い。何でも出来て便利だ」と言った。   
 筆者は、「ところが、何でも出来るわけではないんですよ」と言い、次いで冗談でこう言った:「このまえ、精米してもらおうと思ってコンビニへ行き、“精米するときはこのコピー機のどこに玄米を入れたらいいの?”って訊いたら、アルバイト店員さんは分からず、オーナーさんが出てきて“出来ません”と答えてましたからね・・・“何でも”は出来ないのですよ」。   
   
 しかし・・・コンビニに精米機があったらいいな・・・ニーズは、都会・都市部に関する限りは著しく低いかも知れないけど、それでも、少量の玄米その他を販売しつつ、客を「グルメですなあ、こだわり派ですなあ」的に誉めそやしつつ、精米機を置いて固定客、デイリーのリピーター客を得る手段として、精米機は何かしら役立つかも知れない、かな・・・投資回収が果たせるかどうか、それは筆者の知ったことではない。   
   
   
   
 日本のマクドナルドの業績が、昔も今も順風満帆、力強い増収増益の連続、といった推移をしないものだから、経済紙・誌はしょっちゅう何やかや報じる・・・外食産業、ファストフードの代表的企業であるから報道も多くなること当然のことだが。   
 マクドナルドは、いつまでも若者・前期中年オヤジなどを相手にしていてはいけない。同業他社と競いつつも、あるいは牛丼店やコンビニなどとも消費者を奪い合いながら、次々と策を講じなくてはならない・・・。   
   
 ずいぶん前になるが、おそらくマックが既に低価格メニューなど打ち出していたであろう頃、「社員食堂を利用できないときの昼食は、ファミリーレストランよりもマックのほうが安くて経済的ですよ」と筆者に言う人がいた。   
 筆者は答えた:「そう? マックも含めてハンバーガー・ショップにはあまり行かないからなあ。でも、フィレオフィッシュを4つとか頼んだことあるけど、ファミリーレストランのほうが安くつくと思った記憶がある。」   
 相手は、4つも食べるのかと驚いていた(筆者、痩せ型である)・・・別の人にも同じようなことを話したことがあるが、そのときも驚かれた。パン類のようなものは胃に入ってから膨らむとはいえ、どうもその、満腹感が訪れにくい・・・ともかく、ご飯のときのように食べたらすぐに胃にズシリ感が来るのがよろしいし、ハンバーガーやパンは、たくさんの分量を食べないと満足しきれないのだ・・・だいたい食欲というものは腹十分目にて満たされる(笑)。   
   
 で、それは余談。   
   
 マックにとっての、喫緊の新顔・必須メニューは何か? そのひとつはおそらく「わんこそば」であろう・・・話題性でも十分だ。お客さんにとって、その食事風景が、どれほどの笑顔を生み、また、思い出を作ってくれることだろうか・・・「何を食べさせるか」に加え「どんな機会・シチュエーションを体験してもらうか」という発想にもかなう。   
 もちろん、お客さんが「今度の休みには岩手県に出掛けてみようか」と思い立つことがあってよい、その旅行のコーディネートが出来るよう準備しておくことがあってもよいではないか。  
 ハンバーガー販売と違って「わんこそば」提供は人件費、教育訓練費がかさむ? 世の中に、少なくともビジネスの世界に「不可能、出来ません」ということはそうそう多くないというのが挑戦者の常識ではないか? 回転寿司のマシンから発展させたようなものにロボットアームなどもセットし、さほどの人員配置もせずにお客さんに「わんこそば」を楽しんでもらうことだってチョイスのひとつになりえぬか? 合言葉・キャッチコピーはもちろん「マックで わんこ!」だ。  
   
 ま、筆者の無責任放言である。   
   
 振り返ってみると、筆者が店に入って食事をしたりテイクアウトしたりした回数を通算してみると、マックよりも森永ラブやベッカーズ、また、業種は異なるがケンタッキー・フライド・チキンのほうが多いな。森永ラブを利用したのは一時期で、それは鮭ライスバーガーがあったから寄ったまでのこと、また、ベッカーズの店は立ち寄るのに便利だったからに過ぎないが(そも、筆者は普通のハンバーガーをあまり好まない)。   
 マックのメニューに「わんこそば」が登場することがあったら、利用してみよう。ただし、リピーターになるかどうかは分からない・・・困った消費者だ。   
   
   
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 下のは、イトーヨーカドーが店内で配布している料理レシピのパンフ。ここに写し入れた2品はいずれも山形県米沢市の味噌づくりをしている企業(の女将さん)が披露しているもの。   
   
 世の中、「B級グルメ」という言葉が登場して久しいが、次はきっと「CCグルメ」ばやりの時代がやって来るさ・・・それは「“カテゴリーC”グルメ」の意味で、カントリー、すなわち、素朴な田舎料理、伝統料理を引き継いだもの、その延長上にあるもの、などである。それぞれの地域が、人々の嗜好が、均一化・均質化したらつまらない、いや、均質化されることがあってはならない・・・それぞれの個性が維持・発信され、それぞれが人を唸らせ、面白がらせ、観光を促進し、何かで刺激し合い・・・ということが、狭い国土ながらも南北に長い日本では可能であり、それが実利・経済、人々の心の豊かさ、長期的には国民の連帯感をも支えていくのではないか(←何だ、この語調は)。   
   


雑記



   
 仮名であるが、柏原 哲三郎(かしわばら てつさぶろう)という名の人物がいるとする。   
   
 この人物が米国に駐在するとして、現地のアメリカ人にこの名前を正しく覚えてもらう・正しく発音してもらうというのは、やはり難しくもあったりするだろう。   
   
 「俺のことはファースト・ネームでテツサブロウと呼んでくれ」と言っても、それすら覚えてもらいにくい・発音してもらいにくいことだろう・・・というわけで、合理的妥協として「んじゃ、ま、テツサブロウに近い音を持つ、米国でお馴染みの名前を活用することとして・・・そうだ、テッド( Ted )と呼んでくれよ」みたいなことになる・・・決して珍しいケースではあるまい。   
   
 米国駐在を終えて日本に戻って来ると、そういう人の名刺の裏面のローマ字/英語表記に "Ted Kashiwabara" とあったりすることもまた、よくあることだ。   
   
 それは、よいと思うのだ。   
   
 鉄男、哲三郎などの名前の人が "Ted" を選ぶ、そう呼んでもらおうと考える感覚は理解できる。しかし、ときどきだけど、たとえばの話として、「ナントカ 茂(しげる)」という名前の人の名刺の裏面のファースト・ネームが "William" ("Billy") やら "Jack" とか "Fred" 等々になっていることもある。   
 これが、筆者にはどうも腑に落ちないというか、いや、大きな違和感を覚えてしまうのだなあ。「俺の名前はシゲルだけど、ちょい発音してもらいにくそうだね・・・じゃあ、ウィリアムと呼んでくれ」・・・おかしいじゃないか、やっぱり変だよ、と思う・・・ブッシュという「姓」があるが、この語を「名」としても使うこととして、「茂」からの連想として「俺のことはブッシュと呼んでくれ」みたいな意味上の連鎖・関わりが窺えるならばまだしも。   
    
 子につける名はインターナショナルなものとしておこう・・・そういう発想を持つ親もいる。たとえば「譲二(じょうじ)」、「えりか」、「えり/恵理/絵理」などなどの命名の何割かは、そのようなインターナショナル意識を伴っているであろうと想像する・・・ George, Erica, Elly などに通じる。   
 「伊作」という名もあったりするが、これなどは字面では極めて日本的でありながら、しかし聖書(アブラハムとイサク)はもちろん、イツァーク、アイザックとも通じるわけで、何か凄いなと思ったりする。命名された本人が長じてそれを気に入らないという場合は、これはまたかなり深刻なこととなりうるかと懸念するけれども。   
   
   
 冒頭の写真は日経新聞の2つの記事から。   
   
 詩、詩歌・・・「詩子(うたこ)」という名がある。   
 「音楽が好きな子になるように」と思った父は、「詩(らら)」と名づけたというが、ちょい飛躍がある、その飛躍が、良い意味で洒落ているように思った・・・皮肉・冗談は一切なく、筆者には「良い」と感じられる。(ずっと前から有名なゴルファーなのだろうけど、ゴルフに縁遠い筆者は今頃になって知った。)   
   
   
 日経新聞にはしばらく前から、子供(いや、青年層も含みうるだろうが)に向けて、世にある仕事のいろいろを紹介するコーナーがある。分かってもらいやすいもの、また、子供たちが既に「世の中にはこういう仕事もあるよね」と承知・察知しているものばかりを紹介・説明してもしょうがないのではないかな・・・などと、筆者は思い続けていた。最近は、しかし、必ずしもそういう傾向にあるわけではないかな、などと感じるようにもなったが。   
   
 そのうち、いずれかの回では「組合専従」などの職種も登場するのかな、どうだろう・・・筆者としては、そういう関係者が子供たちにどのようなメッセージを伝えるか、関心がある。   
   
 「ティーンエイジャーのうちに、早いうちに、自分が目指す道を確定する」ことを推奨する人たちも多くいるが、それは果たして良いことなのか。いや、良いことだとしても、若者にそれ以外の成長を辿ってもらうことも勿論悪いことではないだろう・・・と同時に、「世の中には面白いことが一杯転がっている。あまり自分の歩む道を固定しなくても、そして、どこかの会社に就職しても、それぞれの会社の中にはこれまた面白い仕事があれこれあるようだし・・・」などと思ってもらうこと、感づいてもらうことも大切だろう。そうでないと、企業は人材確保に難を覚える事態にもなりうる(日本は人口減社会へと突入し、市場・商売を海外に求めるゆえ、日本企業はあまり多くの日本人社員を必要としなくなるとの意見もありはするけれども)。   
   
   
   
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 酒を飲みながらの気楽な場でこう言われたことがある・・・「もしもあんたに子供がいたら、子供の側は大変だろうね・・・勉強しろしろってうるさいだろうし、体罰容認派だし、(某JRの)日勤教育賛成派みたいな人だし・・・」。   
   
 と、すかさず、それに反論してくれる人がいて、「そんなことはないですよね。むしろ勉強のことなど子供本人まかせ、という感じになるのでは?」と言ってくれる人がいた。   
   
 前者の意見はほぼ100パーセント誤解に基づくものであり、後者がほぼ正しい。箸のあげおろし・使い方であるとか、「傘をそのように振り回して遊ぶな」、「刃物を誰かに手渡すときはこういう向きで」などに始まって、勉強以前に山ほど教えなくてはならない・注意しなくてはならない作法や、人への接し方を形作る根本の発想を植えつける必要があろうと思う。   
 「トビウオを食べるときは、ちゃんと骨を取り除けろ。面倒くさいからと言って飲み込むのはいけない・・・嘘つきは泥棒の始まりという言葉があるがそれと似たようなもので、ひとつひとつの骨をきちんと取り除くことを嫌がる、それが手際よく出来ないような人間は、長丁場の仕事、面倒を伴う仕事のときにインチキや手抜きをするようになる。職人でもエンジニアでも事務屋でも営業マンでも、そういうのはダメだ」ということも教え諭さなくてはならない(冗談)。   
 と同時に、自分自身の勉強し直しの意味もこめて、子と一緒に「論語」を読む時間も確保しなくてはいけない・・・子が「息子」でなく「娘」であった場合には、その子が長じて「君死に給ふことなかれ」のごときものを書くようなな人間に育ってもらっては困る・・・筆者は20代の頃、たとえばそんなふうなことを考えて、子を持つことは大変なことと思い、そして大いに恐れたものだ。   
   
   
 しかし、このように恐れ、そして子を持つに至らなかったことは、自分の場合には、別の意味で正解であったと今、あらためて思う。   
   
 (・・・次回以降に続く)   
   

秋口の、小ナス



   
 写真ではサイズが分かりにくいが、数センチから8センチ程度のものが中心の小ナスを買い込んで漬物などに。
   

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クラシカルな某

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