2013-01

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雑記



   
 上の画像は筆者利用の iTunes 画面から。(ちょっとした個人的好み・総合的使い勝手の問題から、敢えて古いヴァージョンも利用しているのである・・・自動でネット接続しようとする挙動はパーソナル・ファイアウォールにて遮断。)   
   
   
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 いったん溶けたのにちにまた凍ってしまった雪/氷のうえを歩いていた。   
 何年か前のこと、やはり同じようにして歩いていた筆者の姿を目にした知人がいて、「まるで雪や氷が無いかのように、気にならないかのように、速く歩きますね」という意味のことを言われ、ちょっとばかり感心されたことがあった。   
   
 パントマイムの芸で、そこに見えない壁が存在するかのように振舞うものがある。パントマイムをする人の誰だったかによれば、あの芸は「あたかも壁があるように振舞う」のでなく、「そこに壁が無かろう筈がないと信じて振舞う」ものだそうだ。   
 筆者が雪道や凍った道を歩くときもまた「路面に雪や氷があったりする筈がないと信じて歩を進める」だけのこと・・・これが雪上・氷上でスタスタと歩を進めるための極意である。・・・というのは嘘で、ちゃんと路面の雪や氷をにらみつつ、みっともなくならない程度に前のめりをし、体重は「かかと」などでなく土踏まずの前方あたりに掛けて淡々と歩く。と同時に、もしも転んだらこんな姿勢で転ぶのが安全かなあということを考えてもいる。   
   
 これまでの人生で、氷で足をすべらせて転んだことは2回か(アイス・スケート中を除く)・・・記憶にある限りでは。自転車では1回・・・このときはハンドルの真ん中の突起で胸を打って痛い思いをした。自動車でスリップの感覚を覚えたことは幾度もあるが、或るときは「あっという間」でなく「あれよ、あれよという間に」という表現よりももっと時間の経過をゆっくり感じるほどにクルマがヤバイ方向へ進んでしまう恐怖と焦りをしかと味わった・・・事故に至らずに済んだが。   
   
 雪/氷のうえを歩くとき、筆者のスピードはどのくらいか? 先日は頭の中で音楽を鳴らしながら歩いていた・・・それらの音楽と同じテンポで歩いていた。   
 音楽のひとつはベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲の第1楽章。アレグロ・マ・ノン・トロッポであるが、具体的にはミルシティン/セルの1964年ライヴのものに即したテンポでの脳内再生であった(笑)。   
 もうひとつはモーツァルト/ピアノ協奏曲第21番の第1楽章。これまたアンダ/セルのライヴでのテンポ。   
   
 前者のミルシテインの演奏/音源は、日本のアマゾン、あるいは iTunes ストアなどでダウンロード購入可能。ただ、現時点では全楽章そろっての購入は出来ないのかな、よく分からないけど。   
 後者のアンダのものは、かつてタワレコで得た Virtuoso レーベルのセル関連CDの中に収録されているもの。   
   

アンダンテ・スピアナートと・・・



   
 週末・休日の、親のところでの出張調理のひとつは赤ガレイであった・・・これは煮付けた。   
   
 煮魚を含め、煮物では「砂糖をケチってはいけない」ということを子供の頃に言われたことがある。これは正しかろうと、素人ながらも筆者はそう思う。もっとも、必要以上に砂糖を投入しても意味が無いし、味が崩れてしまうことすらあろう・・・言うまでもないが。   
   
 カレイにも色々な種類があって、或る種のものについては煮汁を甘く「こってり」と表現してよさそうなくらいに仕立てても、またついでに水溶き片栗粉などプラスしても、よくマッチしうる。しかしまた、別の種類のカレイについては、ちょっと素っ気ない感じに、しょうゆ風味がしっかりしていながらも澄明・スッキリな煮汁とするのが(ときにショウガ風味など添えられているのが)喜ばしいものがある。赤ガレイも、筆者にとってはそのひとつで、当然そういう味付けで、火力的にも時間的にも「やさしく」煮たのであった。   
   

   

イサキの骨は鍛冶屋も・・・。イサキの脂は・・・。



   
 しばらく前のことになるが、日経新聞土曜版の1・2ページに「トマトの含め煮」が紹介されていた。作りたいと思っている。これの、温かいヴァージョンも、ひんやりさせたヴァージョンも、ともに食べたことあるのだけど、自分で作ったことなど無かった。湯むきしたトマトを煮る汁は、コンソメなどで仕立てるのでなく、和風だし、しょうゆ、その他によるもの・・・おでん種にトマトを入れるような感じに近いかな・・・煮汁は、市販の「めんつゆ」を少し調整することでも用意できるかと思う。   
   
   
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 冒頭画像は里芋を煮たもの。   
 もともと「カレーライスに用いた肉がまだ余っているので、出来れば無駄なく有効活用されたし」という命題があった。筆者の感覚は「魚に比べれば肉の価値なんぞは」というものではあるし、さほどの量が残っていたわけでもなかったのだが・・・しばし考えた末、里芋の煮物に追加投入することとした。   
 里芋は、すでに皮むきのうえ水煮された状態でパックされたものを利用した。これでも、食卓に並べる段になると「手作り感」が生まれるのが愉快。   
   
   
 サメ(棒サメなど)を、筆者はしばらく食べていない。大騒ぎしたり、はしゃいだりするほど美味なものではないが、しかし、忘れがたい、素朴なところもある魅力をしっかり備えた食材である。親たちも最近は食べていないだろうと思い、煮付けることにした。しかし、メニューの予告に対し、親の一方はあまり嬉しそうな顔をせず・・・そちらのためにはイサキを焼くことにした。   
   
 イサキは、本来ならば明日の昼食に「(焼き)イサキの ほぐし身 入り 炊込みご飯」の具として使う筈だったのであるが・・・一度でよいから、この手で作ってみたかった、少し変り種の炊込みご飯。   
   
 夏でない、この季節のイサキは食べるに値する味わいなのか? ・・・という疑問を持つ方もおられるであろうが、脂の乗りをしっかり感じられるものであれば「わざわざ食べる」甲斐がある。   
   


雑記

   
 おせち料理のうち筆者でもこしらえることの出来そうなものとしては何があるか? たとえば「たつくり」だろうなあ・・・そんなことを思う日があった。あれを調理する様子は何度も目にしているし。   
 しかし、ちりめん、かちり、しらすぼし、コウナゴなども含めて、小魚の類は出来るだけシンプルに味わうのが好ましいと筆者は思うし、また、甘さはそれほどに加わらないほうが美味しいと信じている。また、歯が悪いほうの親は「たつくり」を食べるまいとも思えた。   
   
 黒豆を煮るのもまた自分に出来そうだな・・・そう思って挑戦したのは元旦もとっくに過ぎてからのこと。   
   
 人により、生活パターンにより、都合や考え方はまちまちであろうが、たとえば、翌日が(あるいは、翌日も)休日という日の晩の午前零時(夜中の12時)に豆を水に浸し始めるなどすれば、次のようなプランで進められるだろうと考えた:   
   
   午前零時:   水に浸し始める   
   朝10時:   煮始める   
   午後1時頃:  ほぼ煮終え   
   夕食あたり:  適当には冷め、豆への味の浸透もそこそこ程度には?   
   
 このパターンだと、自分が豆を水に浸したあとの深夜に親元から自宅に戻り、次の日の朝に再び親元へ出向くのにも、また、その午後にこちらの自由時間など確保するうえでも支障・問題を生じない。そこで、実際に上のように進めることとした。   
   
 調理プロセスを振り返ると・・・。   
 豆の袋に2012年産などの表示は無かったが、「あの店で買ったものならそうに違いあるまい」と信じたうえ、ざっと、しかし、やさしく水洗いしてから上記プランどおりに水に10時間浸すこととした(収穫から月日を経ている豆ほど、水に浸す時間は長くする必要があるというのが一般的なことではあるまいか)。   
 そのあと、後記するようなあんばいで砂糖などを加えた汁にて中火くらいで煮始め・・・。煮立ってから弱火にし、アクを取り除く作業を経てから落し蓋をし、15分くらいもした頃、「火をつけっぱなしにせずとも余熱を活用しても大丈夫かもなあ」と思って火を消した。しかし、「これを繰り返すと、外側・鍋肌近くの豆と、鍋の中心部の豆とで、熱の加わり方に差が出てしまうかどうか。とはいえ、かきまぜて豆の皮が剥がれてしまったりすれば何だかなあ」と疑問に思え、どうすればよいのか分からないから、火を消したあとあまり冷めてしまわないうちにまた火をつけ、そしてしばらくしたらそれを消して、などということを繰り返した。その間、豆のかき混ぜは2回くらい、とてもやさしくではあるが、行なった(そのように混ぜるのが正解なのかどうか分からない、無駄・無意味であったかも知れない)。   
 煮始めて1時間あまりもしてつまみ食いすると、「もう殆ど煮えたに等しいなあ」と思えるほどに柔らかくなっていた。しかし、「歯の悪い親にもまったく不満なく食べてもらえるにはどのくらいの柔らかさが良いのだろうか」と考えつつ、加熱をやめている時間を長めにしつつも「火をつけて煮る」という作業を完全停止したのは午後1時近くのことであった。その後は単に放置。・・・一応完成。   
   
 黒豆2カップ、水6カップ、砂糖1カップ、食塩小さじ1杯程度という比率で調理。これは、うちでの普段の仕方と少し違うのであったが、ネット上にあったレシピ例に即している。鍋にて豆を浸し終えたところで、まだ豆が吸っていなかった水をボウルに移し、そこに砂糖・食塩を加えてよく混ぜて溶かし、それをまた元の鍋に戻しいれて「加熱調理」のステップへと進んだのである。   
 ほかの比率例は幾らでもあろうし、詳細なレシピ、コツ、注意ポイントなどについてはレシピ・サイト、料理系ブログなどに譲る・・・何しろ当ブログは純粋なクラシック音楽系ブログなので(笑)。   
   
 承知はしていたことだけど、豆は煮ると膨らむなあ・・・調理量が多すぎたかなとも思えた・・・しかし、上手に扱えば日持ちもするからいいか。下の写真は、煮たもののうちのおよそ半分。色を黒々と仕上げるため鉄釘などを入れて煮るということは、面倒でもあり向上心もあまり無かったので省略した。   
   


雑記



   
 「出張調理サービス、新春・魚メニュー攻め」(笑)も終盤に近づき、鯛のカブト(兜)の利用。   
   
 念のためであるが、上の写真のは1尾の頭を2つ割り状態にして売られていたもの。これだけの下準備が済んでいるだけでも手間が助かる。昼食として親に食べさせるべく煮付けた。  
   
   
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 調理というのは基本的には「立ち仕事」になってしまう。長い時間立ったままでいると、筆者はどうも脇腹のちょっと下あたりや腰などに疲れ・鈍い痛みを覚えることがある。・・・なので、テーブルに向かって腰掛けて作業できるような場合とか、床にペタンと座って作業するのも決して不合理でない場合とかは、そのようなこともしている。それでも、この何日かは体への負荷が生じてしまった感がある・・・料理に夢中になっては、あるいは精を出してはいけないな、と思った。   
   


「カツオ(鰹)食い」は日本固有の食文化であり・・・などとは絶対に主張できないのであるが


   
 すでに知っている・感じている人も多いことと思うが、カツオ好きには気になるニュース:   
   
  http://sankei.jp.msn.com/world/news/130104/chn13010411040001-n1.htm   
   
   
 カツオやイカを軽く見る人がいる。そしてまた、大間のマグロに1億円を遥かに越えるセリ値がついたり・・・。   
   
 しかし、筆者は「カツオ好き」なのである。(画像は過去のものの使いまわし)   
   


・・・みをつくしてや 鯉は食べるべき(小倉百人一首ほか?)



   
 (↑)鯉を、甘辛く(というか、「醤油風味で、なおかつしっかり甘く」かな)煮付けているところ。煮方は人それぞれだろう・・・しかし、筆者は「じっくり煮たい」と思っている。煮るにあたって、「必ずしも火をつけっぱなしにしている必要も無いな、余熱を上手に利用してよいよな」と思ったのはちょっと前のことで、今回はそれを試み、火をつけたり消したりを何度か繰り返し・・・ま、うまく出来たと思う(あえて圧力鍋を使わずに調理したいと思ってもいる・・・その理由は、単なる片意地である・笑)。   
   
   
 鯉の味付について書き始めるとキリが無くなりそうなのでヤメておく・・・しかし、いろんなパターン、ヴァリエーションを、食べているうちには気に入ってしまうことが多い。ただし、身(肉)から鯉ならではの風味が失せてしまっているケースもあって、そういうものはあまり喜ばしくないと思っている。   
   
 川魚・淡水魚としては、アユなどならばともかく「鯉を食べようなどと思ったことがない、滅相もない」という人は決して少なくなかろう。「美味いのか?」、「もしかして、内臓も食べちゃうわけ?」との疑問があっておかしくない・・・2つの質問とも、それへの答えは(少なくとも筆者の場合は)イエスである・・・養殖ものの鯉しか食べていないけど。   
 ただ、鯉の体内には、たとえば下の写真のような、Y字型した細い骨などもある・・・それを知らずにパクついたり、舌で探る・確認することなしにゴクリと飲み込んだりしてはいけない。鬱陶しい骨ではあるけれども、「急がずに、ゆっくりじっくり味わってよ」という鯉からのメッセージと心得たい・・・いや、鯉にしてみれば「人間に食べられるために生まれ育ったわけではない」というところだろうが。(なお、骨までも食べられるよう、しっかり煮込む調理手法もある。)   
   


雑記

   
 魚の「ブリ」の切身・・・これに塩を振り、しばし放置してからグリル・焼き網などで焼く・・・というのは珍しくもない調理だろう。   
 塩のほかコショウをも振ってからフライパンでソテーすると(もちろんサラダ油なりバターなりを使用)、サンドウィッチの具としてさほど無茶でなさそうなものとなる。しかし、ブリという魚/食材がサンドウィッチにて食されることは何だか許せないのである・・・広く主張しようなどという気持ちは無いのであるが、自分の心の中ではサンドウィッチやハンバーガーというものは“日本人がわざわざ食べなくてもいいんだぜ”的な存在だからか。   
   
 親のところにて「使い切ってないブリをそろそろ消費しきらねば」ということになっており、また、筆者のところでも「ブリ大根に」ということで買い求めた「ブリあら」があり・・・。昼食に、ソテーしてパンに挟んで食べてもらうのはどうかというアイデアも浮上したのであるが、それはやはり許しがたく(笑)、また、昼食としてはあまりに重過ぎる、消費しきれない量と思えた。   
   
 ブリと長ネギなどを主役にした、何と呼べばよいのだろう、「ブリねぎ鍋」と呼べば世間一般には通りがよいのだろうか、あれを夕食として筆者が作ることにした・・・家庭料理というよりも居酒屋料理っぽいものという感覚を持っているのだけど、ま、いいやということで。   
 写真を撮るゆとりが無く、下の画像は、食卓に供した鍋から取り除けたものたち・・・ネギの青い部分はいわば「出汁とり・風味付け」のためにオマケで投じたもの・・・なお、煮汁には昆布だしを利用し、また、ブリの臭い消し以上の目的で少々のショウガも利用したが、ショウガの香りはネギのそれと相まって冬場には嬉しい香りが立ち上ることとなった。   

   

あの名著「外国人客とも楽々コミュニケーション! ショップ経営者のための英会話ハンドブック」から・・・


   
   
  客: "Could you show me...?"    
   
 (日本語訳: 「葛湯(くずゆ)を賞味させてもらえますか?」)   
   
   
 地味な飲み物ではあるが、冬にはたまに「葛湯」も良い。   
 下の画像の右のものは静岡県の掛川市のお店の品。   
   
 背景っぽく一緒に写し入れさせてもらったのは、「東海道五十三次」を含め浮世絵についての特集があった雑誌「サライ」2009年7月2日号の72ページより。ツル性植物であるところの葛の、その繊維からは布を作ることが出来る。葛布(くずふ)と呼ばれるそうだ。   
 葛飾北斎の「春興五十三駄之内 掛川」ではそういう布・反物を扱う店の様子が描かれている。しかし、日本における葛布の歴史はもっともっとず~っと古いらしい・・・ここでは説明省略。   
   


あらたまの年のはじめに


   
 本年が、良い年となりますように   
   
   
   
   
   
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 下の画像は、新年とは特に関係なし。キウイに「竹を目にしたときのような気持ちよさ」を感じたものだから・・・。   
   


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