2012-12

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スターン/セルによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲


   
 CD化は過去にもされているのだが、また登場する:   
   
  http://www.hmv.co.jp/news/article/1212240008/   
   
   
 下の画像は過去のものの使いまわしであるが、右下のディスクは過去にリリースされたスターン/セルのCDから。   
   


イ ン テ ル 入ってない。 Celeron 入ってない。・・・ Celery は入ってる。



   
 上の写真はセロリ/セルリ。   
   
 バーやパブなどで「つまみ」として「野菜スティック」を頼むとキュウリなどのほかにセロリも含まれていることは多い(もちろんいずれも生、すなわち非加熱)・・・しばしば注文する・・・しかし、実は、個人的感覚としては「(酒に)合わなくもないと言い切れなくもなかったりするかも知れないと、そのように言明しても差し支えないかも知れない」みたいな、実に微妙な思いもあったりはする。「合う・合わないが問題なのではない、酒の邪魔をするかしないかで評価せよ」という意見もあろうが。   
   
 しかし、そういうセロリの生のままのスティックを、日本酒や、焼酎ロックなどの「つまみ」とすると、完璧に合わなかったり、臭いだけのものに感じたりと、どうも都合が悪いことがむしろ普通だろうか。   
 しかしまた、セロリを砂糖煮にしたものや、炒めて味噌などと和えたものは、セロリ独特の風味はしっかり残っているのにそれらの酒ともよくマッチするのだ。   
   
 セロリを炒めて味噌などをからめるもののレシピについては、「セロリ味噌」などで検索すれば見つかる・・・「フキ味噌」ならぬ「セロリ味噌」。   
 自分のためにでなく親に、酒の友としてでなく「おかず」のひとつとして食べさせようとの調理初挑戦だったのであるが、「それならばセロリの砂糖煮も作ってみたいな」という思いも同時に浮かんだがため、味噌・だしのほかに加える砂糖の量を思い切って多くした。これまた、つまみ食いしてみると美味いものになった・・・きっちり甘く仕立てたうえ、酒のつまみとしては食べている途中で好みに応じて一味唐辛子など振るのも良いか。「セロリ嫌い」の人がセロリに開眼するのに最適なもののひとつとすら思うのだが、でも、そう断言したうえ責任をとるつもりはまったく無い(笑)。これだけでご飯が何杯もいただけてしまうという人がいても不思議は無い・・・ついでに「冷めてもおいしい」との、よくある文言も勢いで添えたく思ったのだが、うむ、しかし、冷めないうちに食べきるほうが良いように自分は感じた。   
   
   
 セロリは薄く斜め切りした・・・それでもしかし、筋や、厚めの表皮の一部は、あらかじめ大雑把に取り除いた。   
 調理中に換気扇はちゃんと回すこと・・・セロリの水気がほどほどに失せる・しんなりするまでには時間も要し、それまでのあいだ、発散臭気の累積量は相当のものになるかと思われた。また、セロリのゴミをちょい入れてしまった三角コーナーの内容物・紙フィルターはすぐに蓋つきバケツへ捨てた・・・そうでないと、臭いが延々と漂いそうに思えたので。   
   


わび、さび、・・・わさび




   
 (↑)・・・ワサビの葉(光の加減で、ちょい濃く写ってしまったが)。   
   
 「葉ワサビ」の名で売られていることがある。これを「おひたし」にすると美味なのである。   
 「おひたし」というより、「おひたしもどき」かな・・・しかし、レシピは「ワサビ 葉 おひたし」とかで検索していただければと思う。   
   


策を 麹(こうじ)る



   
 歯の悪い親に肉類をしっかり食べさせるには・・・。   
   
 挽肉料理もよいのだろう。労を惜しむならレトルトパウチ・冷凍食品のハンバーグや肉団子も利用可能。挽肉で作った「つみれ」なども・・・鍋料理の具などとしてスーパーなどでお目にかかることすらある。   
   
 肉を柔らかくするのに「塩麹」の活躍もありがたい・・・特有の風味があり、それが肉に移りもするが、ロース・こま切れなどをしゃぶしゃぶ風に仕上げたり、親子丼、肉豆腐を作るための、その下ごしらえとして活用すると少しばかり肉は柔らかくなっているようだ。   
   
 「しょうゆ麹」のほうは、これは、「何かを柔らかくするため」でなく、調味料として利用している。「面白い調味料」という感覚なのだが、イマイチ狙い定めた味にピタリと持っていくことがむずかしい、つまり、「使いこなしがどうも」というところがある・・・あ、自分たちはプロではないのだから、いちいち「ウーン」と唸ったりしても仕方ない。   
   

「衆院選を振り返る - 民 主 党 への裁き」・・・はどうでもいいか・・・「包丁さばき」について



   
 筆者の包丁の使いようを目にしたことある人はこの世に5人もいない・・・したがって、上の写真は貴重である。   
   
 大根の皮むきは包丁でする。しかし、面取りは、包丁でも出来るがどうもスピードが出ないので「皮引き」を用いる。にんじんの皮むきもやはり「皮引き」を利用。で、「皮引き」を扱うスピードはたぶん一般よりも速いと思う。いささか乱暴な扱いであったりもするけど。   
   
 上の写真のようにリンゴの皮むきをするのはとても久しぶりのこと。   
 筆者はもともとリンゴは皮ごと食べたいと思っている。子供の頃、学校給食でリンゴが出ると友人たちもまた皮ごと食べていた。しかし、家では皮はむいて食べるものだと言われた。農業をやっている方から、自家消費用の「消毒は1回だけのリンゴ」とか「農薬不使用のセロリ」などなど頂戴しており、また、農作業に従事している人たちはたびたび「農薬への警戒」めいたことを口にしたものだから母などは少しばかり神経質になっていたかも知れない。ただ、世間、それも都会における世間一般でも、農薬への不信感を持つ人たちは決して少なくはなかったと思う。   
 そしてまた、現在、筆者のところではリンゴの皮はむく・・・わりと厚めにむくのが習慣。   
   
 上の写真のリンゴの皮は、筆者が、スピード優先でむいたもの。右手に持った包丁の刃は自分の身とは逆の「向こう側」に向け、左手でリンゴを少し回しつつせっかちに皮むきしたもの。子供の頃は包丁の刃をやたら怖いと思って、扱う場合は必ず刃先を向こうに向けて扱っていた・・・で、今でも、スピード優先で粗く扱う場合はどうしても刃を向こう側に向けたくなってしまうのだ。   
 そんな仕方では、むかれる皮も厚くなりリンゴ果肉のロス・ムダも多くなる・・・との意見もあろうが(皮むきの様子をを目にした父は唖然としていた)、むいた皮などしげしげと観察すると、そう大騒ぎするほどの違いは無いと思えるのだなあ。何よりスピードが段違いに速く、筆者にはその点に意義を見出す。   
   
 料理の基本は包丁の扱いから、という言葉もあったような気がする。肉でもタマネギでも「繊維の方向は? 今回は包丁をどう入れようか?」など考えたりもするのだけど、包丁の、いわば「操り」を学び直そうという気持ちがどうしても生まれない。   
   
   
 下のは、ゆで玉子。   
 「野菜サラダに、ゆで卵をスライスしたものを飾る」なんていうのは子供の頃にもあった。しかし筆者は「こんなふうに玉子をのせたりするスタイルは遠くない将来に廃れるであろう」と思ったものだ。   
 それはともかくとして、先日はそういうスタイルのサラダを親が食べたいというものだから仕方ない、ゆで玉子も作り・・・何のこともないのだが、どうせなら皮が剥き易くなるよう、ゆでている途中にスプーンで叩いて殻にヒビをいれた。結果、皮はとても簡単にむけた。ゆで玉子としての見栄えはよろしくないのだが、どうせスライスしてサラダにトッピングするわけだし・・・「おなかに入れば同じじゃないか」とまでは言わないけど。   
   
 ガサツであるか? 大胆であるか? 合理主義であるか?   
   


○○の、甘さしっかり・こってり煮・・・またの名を「ケルビーノのアリアに寄せて」とも言う(嘘)



   
 画像から分かりにくいが、或る淡水魚の輪切り・・・煮付け。画像左側が腹側。   
   

雑記



   
 ずいぶん前のこと・・・。   
 サイクリングに出掛けたその帰り、頼まれていた買い物をするために某スーパーに寄ることがあった。店内にアナウンスが流れた・・・「ただいまから“サバの解体ショー”が始まります。ご覧ください。また、当コーナーで1尾まるごとお買い求めいただくと、切身のものよりもずっとお得なお値段です」という趣旨の店内放送。   
   
 マグロとかならば(とはいえ、いろいろな種類があるが)、「解体ショー」・「解体する」という言葉は似合うが、たとえばサバ、カツオ、ブリとかだと「解体」という言葉は相応しくなくて「さばく」・「おろす」という表現に則した言葉が適当ではないか。   
   
 しかし、サバ程度のサイズだからといって、丸ごとの魚をさばいてみせるということ、また、それを大人ばかりでなく子供も目にする機会がありうるということは、意義深いことのように思える・・・ここでいちいち「他の生き物の命を頂戴して人間の食事と為している」とかの文句に始まるあれこれを書いたりはせぬが。   
   
 「ファスト・フード」ならぬ「ファスト・フィッシュ」という企画が登場している。魚を食べてもらうことへの一定の効果は期待できそうに思えるのだが、しかし、長い目で見たとき、魚関係業界にとって、また、日本人一般の食生活において、ハッピーなものとなるかどうか・・・。鯉の煮付けやトビウオなどに見られる小骨を上手に容易に取り除けるようになれとかいたずらに求めたりはしないが、でも、「あら煮定食」をきれいに食べたり、魚の頭やカマなどをせせる喜びを感じたりとか、そういうことはずっと続いて欲しくもある。   
   
 「かまとと」という言葉がある。その意味・由来の説明は省略・・・いずれ、時代が進むと「イワシつみれとと」、「カニカマとと」なんていう言葉も誕生するかも知れない。「カツオの一本釣りってカッコいい。自分は、軍艦巻きと白身魚フライと魚肉ソーセージを一本釣りしてみたいな」と思う子供も出て来るかも知れない。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 日曜の昼、親たちのために、父には「温かい蕎麦」を、母には「にゅうめん」を作った。   
 別途の皿に天ぷら(ナス、おおひらたけ・・・冒頭画像、ネギ)を用意したけれども、どんぶり・麺にはカマボコ、麩などを乗せた。   
   
 朝食はご飯でなくパンばかりが続いているという人が、或る蒸し暑い夏の朝に味噌汁の香りをかいだら気分が悪くなってしまったという話を聞いたことがある。油っぽいものを避けてばかりいる筆者は天ぷらを揚げている途中でかなり具合がわるくなった・・・「油酔い」と呼ばれる症状だったのか。パン屋さんの横を通って気分が悪くなることもあるので妙に自分で納得してしまう症状ではあった。   
   
   
   
 身に付いてしまった変な習慣があって、カマボコの板をなかなか捨てられない。   
 一本足スタンドの自転車のあのスタンドは、ごく少しずつながらも庭の地面に埋もれていこうとすることがある。そのために人によってはスタンドを立てる地面にレンガや石、不要になった皿(ステンレスなどだと望ましいのだろうが)を敷いたりセメント敷きしたりもするようだが、筆者は中学生の頃から(土を少しだけ削ったうえで)カマボコ板を敷くということをしていた・・・板はやがて縮んだり割れたりもするが、スタンドの当たり・感触が微妙に心地よい。   
 また、たとえば「お茶箱」に湿気が這い上がらぬように置いたスノコが傷んできたとき、カマボコ板は応急のためにさしはさむのにさしたる力も要せず母でも簡単に使える便利用品だったりもした。   
 革製品のカシメ修理の際の作業台としても役立つようだ。   
 ノートPCの夏場の熱暴走など回避するため、キーボード下の奥側に並べるという人もいる(まったく同じ厚さのものを並べるのだろうと思う)。   
   
 自宅のお風呂が総ヒノキ作りというお方がいて・・・しかし、昔のヒノキに比べると木の傷みが早いのだそうである。予想よりも早くに破損が始まってしまう個所も出て来るそうで、それを聞いたとき筆者は「ホームセンターに行けばヒノキだろうが何だろうが好みの厚さのものがたくさんあって、ちょい料金を払えば希望の寸法でカットもしてくれますよ、それで補修するテもありそうですね」と言った。「ごくごく小さな補修ならばカマボコ板を自分で加工すればあっという間に出来てしまいそうですね」とも言った。その方は本当にカマボコ板を切ってカンナがけして補修したようだ・・・水分を吸っている木材だからその後の狂いも少ないか・・・いや、そんなことは分からぬ、顛末も知らぬ。   
   
 年末に床屋さんで貰った(「粗品」の)耳かきとか、カマボコ板とか、捨てに捨てられぬものが・・・。   
   


雑記



   
 運動・スポーツの「まえ」には準備体操があり、そして「あと」には整理体操・・・。   
   
 飲んだあとに深夜に口にしたもの・・・気持ち的には「整理体操」もどき。なお、もちろん、缶はすでに「空き缶」状態のものであるし、リンゴもまた再現のために持ち出してきた別のひとつであるが。   
   
 真ん中のは赤ワインを用いてのワイン・スプリッツァ。口にした途端、赤ワイン以外の風味要素を感じた・・・「酸味料も加わっているよなあ」と思えて缶に記載された原材料を見ると「酸味料」の記載はナシ。「おかしい、絶対に酸味料が入っていると思う」と納得がいかず、その風味要素にばかり注意を向けて飲んでしまった。翌日に再び表示を確かめると、2行にわたっている原材料表示の2行目にちゃんと「酸味料」の記載があった。トータルで「まあまあ、いい感じ」の仕上がりの飲みものと思えたのであるが、筆者個人にとっては上のような、味わいの中に気になってしまう部分もあった。   
   
 右端のは缶コーヒー。コーヒーであれ紅茶であれ砂糖を入れずに飲みたいし、また、どんなタイプであれ缶コーヒーは滅多に飲まない。缶コーヒーはあまり美味くないと思うのだよなあ・・・もちろん個人的な感想に過ぎないのだけれど。しかし、冷蔵庫に入れておいたこの写真の品はわりと気に入るものであった(だが、しかし、「砂糖・ミルク抜きで味わえたら」とも思った)。   
   


雑記



   
 親のために「牡蠣ご飯」を作ってみたいと思っている・・・。   
   
 しかし、このたびは普通の「牡蠣なべ」を作った・・・「料理手順説明」する張り合いのない料理のひとつであるなあと思った(いや、考えようにもよるのかな)・・・しかし、国民の生活が第一、じゃなかった、「食べた人の満足感」が第一なのだから、敢えて凝ったこと・難しいコツが求められる料理をする必要もないか。   
   
 筆者はずいぶん前から三陸の牡蠣を好んできたのだけれども、復活・復興への道のりはまだまだ遠いせいか、今年もまだ目にすることが出来ぬのか。   
   


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