2012-11

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雑記

   
 前回のブログ記事では当初、洋ナシと一緒に、親のために調理しようと買い求めたスケソウダラの頭を写し入れようとした。しかし、(面倒でもあったがそればかりでなく)魚の「頭」は、見る人によっては「キモい」と感じるかも知れないと思えてヤメにした。   
   
 スケソウダラはトレーにのせられたうえラップされて売られているのではなかった。適当にカットされたものがプラスチック網に並べられており、店舗スタッフに「この皿のがいいな、これを」と声を掛けて買い求めた(身の太さ、肉の質感、付いてくる内臓の組合せの観点からそれを選んだ)。ポリ袋に入れてもらい、品物を受け取った。(かつては、もうちょっと冬が進まないと関東やその周辺ではあまり入荷しなかったように思うが、最近は入荷が早いし、他の季節でも入荷するようになって来た・・・また、かつては「頭」は付けてくれないことのほうが多かった・・・というのは筆者の限られた経験に過ぎないのだけど。)   
   
 売り場を離れようとすると・・・中学1年生かそこらくらいの娘を連れたどこかのお母さんと思われる女性から声を掛けられた・・・「これはどうやって食べるんですか?」と。煮方を説明したら「おいしそうですね」と言った。「おいしいですよ。身の味わいはとても淡いので、食べるときには、身をほぐしたら煮汁をしっかり付けて食べるといいと思いますよ」と伝えた。その女性はスケソウダラを買って行った。   
 しばらくしてから思ったのは・・・自分が初めてスケソウダラを食べたときのこと。それは子供の頃のことである。唇の周囲がちょっとだけ痒くなったような経験があった。それから、皮のすぐ下に気になるものを発見したことも・・・ま、この魚に限ったことではないし、だからこそ加熱調理するのであるし・・・。もちろん今では好きな煮魚のひとつである。でも、あの親子はこの魚を気に入るだろうか・・・いまどきの、濃厚だったり、風味ラインが明確だったり、あるいはオイリーだったりする料理が山ほどある時代に、いっぺんで気に入ってくれるのはむずかしいかも知れないなと、何となくだが不安に思えてしまった。「食べてみたけど、ちっとも美味しくないじゃん」と恨まれたりせぬか・・・(笑)。   
   
   
   
 ところで・・・。   
 人それぞれに「どういう食べ物を好むか」に違いがあるほか、「食べ物それぞれの価値や優劣をどう評価するか」という点にも違いが見られる。そして、たとえば、次のような感覚もまたありえぬではない・・・。   
   
   
 1. 魚に比べて肉は食べごたえがある。蛋白質の効率的摂取を考えても、食べ物としては魚よりも肉のほうが上等であって価値がある。   
   
 2. 料理の価値は、そこにどれだけの労力・手間隙が加えられたかを考慮して判断しなくてはならない。その意味で、魚であれば、いかに鮮度の良いものを用いての刺身であろうとも、その価値は焼魚には劣るし、ましてや煮魚にも劣る。   
   
 3. 調理作業というものは、丁寧に、精魂込めて落ち着いて行われなくてはならない。それでこそ、その料理の価値は高まる。   
   
 ・・・等々。   
   
   
 上のそれぞれの感覚は筆者のものではなく、筆者の両親のいずれかが持っているとおぼしきものから・・・。   
   
 筆者が料理をして親に食べさせると、ほぼすべてについてその味など気に入ってもらえる。どこからどこまでが「おだて」なのか注意しつつ、料理に心奪われたりせぬよう注意せねばならないなとは思っているが・・・筆者の世代だと、どうしても「私生活や家庭内での調理というものは、男が手を染めるべきものではない」という感覚を捨て去れない。   
 しかし、また、筆者としては、「この料理は温かい状態で食卓へ」とか「年寄りはどうしても味覚が鈍くなっているものだと聞くから少しだけ塩気や酸味を強めにしておこうか」とか、「噛みにくいといけないから、この野菜の茎の部分はわりと長めに加熱した・硬い部分には包丁で何本も切れ込みを加えた」等々の配慮をしたことに気づいて欲しいなと思ったりする・・・しかし、それは気づいてもらいにくいことなのか。   
   
 上記の「2」のような感覚は悩ましい。母は刺身が大好きである。しかし、父はあまり好まず、おそらくは「さっぱりしすぎていてつまらない」と思うようで、刺身などが「メインのおかず」然としていると不満そうな顔をする・・・それゆえに、ほかに用意するあれこれが多くなる・・・また、魚よりも肉を好むにしても、ローストビーフのように「すでに調理され、スライスまでされて売られているようなもの」は、これは当然に「手料理」には該当しないと感じるのであろう、ろくに喜ばないばかりか、「これはこのままでなく何かと一緒に料理して食べたりしないのか?」と言ったりもする。「サンドイッチで食べる人もいるね」と答えたらそれを覚えていて、つい先日はそのようにして楽しんでいた・・・いまの高齢者世代はパン食について或る種のモダンさをずっと感じ続けているように思う・・・対して、もっと若い世代は「パン食は普通の食事ヴァリエーションのひとつ」に過ぎないと感じているであろう。そして筆者は、サンドイッチというものは日本人が食べる必要の無いものと感じているけど。   
   
 上記の「3」もまた困ったものだ。たとえばレタス・・・。レタス1個をまるまる使おうとする場合、あるいは、使いかけのレタスを今日使い切ってしまおうという場合、あれの葉をバラバラにするには1枚1枚めくるのでなく、「ヘタ」というか「切り株」というか、下のあの部分をくり抜くか中へ押し込んでしまうかするのが効率的である。ヘタの外周のどこかに包丁の先端で切れ込みを入れればその作業は大して指の力も必要なく可能である。先日は、その作業を床の上でしていて、手近に包丁が無かったものの、しかし他の用事で使っていたドライバー(ネジ回し)があったのでそれをレタスのヘタの脇にズブリと刺してからグイグイと円を描くことをしてからレタスをバラした。いつも「あんたはやることが速い」と感心する母もそれを見ていて驚いた顔をし、「怖いことをする・・・速いけど、そんなに急いでしなくてはいけないことなの?」と言った。   
 似たようなことは以前にもあったな・・・春菊を左手に持ち、右手にハサミを持って葉をチャカチャカと切っていたときだ・・・(歯の悪い人のことを考えて)茎と葉とを分けて茹で時間に時間差を設けたいのであるし、たとえそういう理由が無くても合理的な仕方であろうと筆者は考える。   
 白菜の塩漬を作ろうとしていて・・・。白菜を縦に二つ割し、次にその下の「ヘタ」というかあの部分を包丁でV字に切り込みを入れて葉の全体をバラバラにしてから適当に刻む・・・柔らかい部分と白い肉厚の部分とは、空中で包丁を振り回して切り離す・・・また白い肉厚の部分は、歯の悪い人にも噛みやすくなるよう包丁の先端を使って筋状の傷というか浅い切り込みを入れるがこのときも傍目からは包丁を乱暴に扱っているように見えるらしい・・・それを目にした父は「ゆっくりやればいいじゃないか。なんでそんなに慌ててやらなくてはいけないんだ?」と暢気なことを言った。それから、「なんで葉をバラバラにしてしまうんだ? そうせずに(まとまったまま)塩を詰めて漬けるのではないか?」とも言った。しかしなあ、こちらとしては、一日のうちにしたいことが一杯あるし、たとえそうでなくても、調理であれ仕事であれ世の中の全般、のろのろやっていれば傍目からは「うすらバカ」と見られかねないという脅迫観念がいつもあるから、作業が単純なものであればあるほど慌しく済ませることになってしまう(しかし、煮汁などの味見はちゃんとじっくりするけれども)。また、農薬・土ぼこり等々のことも考えれば、どんな野菜であれ「洗う」ということを怠りたくない。農薬使用を悪いとは思っていない・・・アブラムシだらけのレタス、青虫のついたキャベツなど気に入るわけがない・・・野菜を調理したり口に入れたりする前に洗うことはしておきたい。   
 で、思い出した・・・。無農薬野菜というものがまだ比較的に珍しがられていた頃、あれは平成8年ごろだったかな、飲み屋で飲んでいたら青果商を営んでいるらしき客がこんなことを言っていた・・・「ホウレンソウとかの葉もの野菜が売れ残っても、実は困らない。翌日になってから、しなびてしまっていても“有機栽培野菜”のコーナーに並べ直せば前日よりもむしろ高く売れるんだから。消費者というのはバカだね」。あの頃から、無農薬とか有機栽培とか、筆者はそこに特に価値・意義を見出さなくなっているかな。マジメな生産者もいれば、生産・流通のどこかにマジメでない人もまたまぎれている可能性もある・・・それが世の中なのだ。   
   
   
 下のは白菜の漬物をしようとしているところ(少量に過ぎぬが)。   
 画像の背景は「サラダクラブ」の新聞広告から。野菜類は、サラダももちろんいいけど、いろいろな漬物もいいよ、古漬なんかだってこれまたいいよ、と思うのである。   
   


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クラシカルな某

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