2012-11

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雑記



   
 上のは2つとも「ビール」でないビール系飲料。   
   
 左のはサントリーの品。品名に併記されたキャッチコピーに「甘やかな香りとコク」とある・・・「甘やかな」とは正しい日本語の用法なのかという疑問も生まれたがそれはおいておくとして、また、あの「琥珀の贅沢」を発売しなくなってしまったという残念なことをもおいておくとして・・・しかし、写真のこの「カラメルブラウン」は美味いと思え、小さく唸ってしまった。ビールの諸々のタイプのことを筆者はろくに知らないのだけど、アンバー・エールとか、ああいうものも含めて、諸々のビールをそれぞれに「美味いなあ」と喜ぶ。で、この「カラメルブラウン」には惹かれる魅力がきちんとある。具体的に摂氏何度で飲んだのかなど定かでないが、多少冷やしすぎな感じで飲んだかな。   
   
 右のはキリンの品。既にかなりの酒を飲んだあとの締めに飲んだため、爽やかさが心地よかったことだけは記憶にあるのだが・・・それ以上の感想についてはまた改めて飲んだときに。   
   

雑記



   
 遅い晩に、すでに酔ってはいたのだが親のところへ出向き、あんばいよく熟していると見込んだ洋ナシを食べさせ・・・。上のはその写真であるが、カット/スライスした厚さが均等でないし、また、よく見ていただけば気づくだろうけど、多数派とは異なる包丁の入れ方(縦ふたつ割りして芯えぐり取りなどしたあとに横方向からスライス・・・ま、いいじゃないか・笑)   
   
   
 本年、洋ナシは長野県産、新潟県産、山形県産のものを買い求めたり頂戴したりで味わっている。小ぶりのものなども頂戴したのであったが、それも含め、いずれも美味であった。気象条件などが良かったのだろうか。   
   

雑記



   
 ビビビビッと挑発・刺激を受けとめたがゆえに買い求めるCD・DVDというものが稀になった。もっと大事なことは、たとえば「今宵は何をおいてもこれを聴こう、あれを観よう」みたく思い立つことが無くなってしまったことか。   
   
 冒頭画像はマゼール/BPOのDVDで「指環」抜粋・管弦楽ヴァージョン。以前から気にはなっていた品ではあるが、いまセール商品になっていたので「ついで」の気持ちで得たもの。「観もせずに死蔵することになるか」との予感もありはしたのだけど、ちょうどの自由時間枠が出来たので鑑賞・・・けっこう楽しめた・・・こういう演奏表情のワーグナーは嫌いでない。   
   

雑記

   
 前回のブログ記事では当初、洋ナシと一緒に、親のために調理しようと買い求めたスケソウダラの頭を写し入れようとした。しかし、(面倒でもあったがそればかりでなく)魚の「頭」は、見る人によっては「キモい」と感じるかも知れないと思えてヤメにした。   
   
 スケソウダラはトレーにのせられたうえラップされて売られているのではなかった。適当にカットされたものがプラスチック網に並べられており、店舗スタッフに「この皿のがいいな、これを」と声を掛けて買い求めた(身の太さ、肉の質感、付いてくる内臓の組合せの観点からそれを選んだ)。ポリ袋に入れてもらい、品物を受け取った。(かつては、もうちょっと冬が進まないと関東やその周辺ではあまり入荷しなかったように思うが、最近は入荷が早いし、他の季節でも入荷するようになって来た・・・また、かつては「頭」は付けてくれないことのほうが多かった・・・というのは筆者の限られた経験に過ぎないのだけど。)   
   
 売り場を離れようとすると・・・中学1年生かそこらくらいの娘を連れたどこかのお母さんと思われる女性から声を掛けられた・・・「これはどうやって食べるんですか?」と。煮方を説明したら「おいしそうですね」と言った。「おいしいですよ。身の味わいはとても淡いので、食べるときには、身をほぐしたら煮汁をしっかり付けて食べるといいと思いますよ」と伝えた。その女性はスケソウダラを買って行った。   
 しばらくしてから思ったのは・・・自分が初めてスケソウダラを食べたときのこと。それは子供の頃のことである。唇の周囲がちょっとだけ痒くなったような経験があった。それから、皮のすぐ下に気になるものを発見したことも・・・ま、この魚に限ったことではないし、だからこそ加熱調理するのであるし・・・。もちろん今では好きな煮魚のひとつである。でも、あの親子はこの魚を気に入るだろうか・・・いまどきの、濃厚だったり、風味ラインが明確だったり、あるいはオイリーだったりする料理が山ほどある時代に、いっぺんで気に入ってくれるのはむずかしいかも知れないなと、何となくだが不安に思えてしまった。「食べてみたけど、ちっとも美味しくないじゃん」と恨まれたりせぬか・・・(笑)。   
   
   
   
 ところで・・・。   
 人それぞれに「どういう食べ物を好むか」に違いがあるほか、「食べ物それぞれの価値や優劣をどう評価するか」という点にも違いが見られる。そして、たとえば、次のような感覚もまたありえぬではない・・・。   
   
   
 1. 魚に比べて肉は食べごたえがある。蛋白質の効率的摂取を考えても、食べ物としては魚よりも肉のほうが上等であって価値がある。   
   
 2. 料理の価値は、そこにどれだけの労力・手間隙が加えられたかを考慮して判断しなくてはならない。その意味で、魚であれば、いかに鮮度の良いものを用いての刺身であろうとも、その価値は焼魚には劣るし、ましてや煮魚にも劣る。   
   
 3. 調理作業というものは、丁寧に、精魂込めて落ち着いて行われなくてはならない。それでこそ、その料理の価値は高まる。   
   
 ・・・等々。   
   
   
 上のそれぞれの感覚は筆者のものではなく、筆者の両親のいずれかが持っているとおぼしきものから・・・。   
   
 筆者が料理をして親に食べさせると、ほぼすべてについてその味など気に入ってもらえる。どこからどこまでが「おだて」なのか注意しつつ、料理に心奪われたりせぬよう注意せねばならないなとは思っているが・・・筆者の世代だと、どうしても「私生活や家庭内での調理というものは、男が手を染めるべきものではない」という感覚を捨て去れない。   
 しかし、また、筆者としては、「この料理は温かい状態で食卓へ」とか「年寄りはどうしても味覚が鈍くなっているものだと聞くから少しだけ塩気や酸味を強めにしておこうか」とか、「噛みにくいといけないから、この野菜の茎の部分はわりと長めに加熱した・硬い部分には包丁で何本も切れ込みを加えた」等々の配慮をしたことに気づいて欲しいなと思ったりする・・・しかし、それは気づいてもらいにくいことなのか。   
   
 上記の「2」のような感覚は悩ましい。母は刺身が大好きである。しかし、父はあまり好まず、おそらくは「さっぱりしすぎていてつまらない」と思うようで、刺身などが「メインのおかず」然としていると不満そうな顔をする・・・それゆえに、ほかに用意するあれこれが多くなる・・・また、魚よりも肉を好むにしても、ローストビーフのように「すでに調理され、スライスまでされて売られているようなもの」は、これは当然に「手料理」には該当しないと感じるのであろう、ろくに喜ばないばかりか、「これはこのままでなく何かと一緒に料理して食べたりしないのか?」と言ったりもする。「サンドイッチで食べる人もいるね」と答えたらそれを覚えていて、つい先日はそのようにして楽しんでいた・・・いまの高齢者世代はパン食について或る種のモダンさをずっと感じ続けているように思う・・・対して、もっと若い世代は「パン食は普通の食事ヴァリエーションのひとつ」に過ぎないと感じているであろう。そして筆者は、サンドイッチというものは日本人が食べる必要の無いものと感じているけど。   
   
 上記の「3」もまた困ったものだ。たとえばレタス・・・。レタス1個をまるまる使おうとする場合、あるいは、使いかけのレタスを今日使い切ってしまおうという場合、あれの葉をバラバラにするには1枚1枚めくるのでなく、「ヘタ」というか「切り株」というか、下のあの部分をくり抜くか中へ押し込んでしまうかするのが効率的である。ヘタの外周のどこかに包丁の先端で切れ込みを入れればその作業は大して指の力も必要なく可能である。先日は、その作業を床の上でしていて、手近に包丁が無かったものの、しかし他の用事で使っていたドライバー(ネジ回し)があったのでそれをレタスのヘタの脇にズブリと刺してからグイグイと円を描くことをしてからレタスをバラした。いつも「あんたはやることが速い」と感心する母もそれを見ていて驚いた顔をし、「怖いことをする・・・速いけど、そんなに急いでしなくてはいけないことなの?」と言った。   
 似たようなことは以前にもあったな・・・春菊を左手に持ち、右手にハサミを持って葉をチャカチャカと切っていたときだ・・・(歯の悪い人のことを考えて)茎と葉とを分けて茹で時間に時間差を設けたいのであるし、たとえそういう理由が無くても合理的な仕方であろうと筆者は考える。   
 白菜の塩漬を作ろうとしていて・・・。白菜を縦に二つ割し、次にその下の「ヘタ」というかあの部分を包丁でV字に切り込みを入れて葉の全体をバラバラにしてから適当に刻む・・・柔らかい部分と白い肉厚の部分とは、空中で包丁を振り回して切り離す・・・また白い肉厚の部分は、歯の悪い人にも噛みやすくなるよう包丁の先端を使って筋状の傷というか浅い切り込みを入れるがこのときも傍目からは包丁を乱暴に扱っているように見えるらしい・・・それを目にした父は「ゆっくりやればいいじゃないか。なんでそんなに慌ててやらなくてはいけないんだ?」と暢気なことを言った。それから、「なんで葉をバラバラにしてしまうんだ? そうせずに(まとまったまま)塩を詰めて漬けるのではないか?」とも言った。しかしなあ、こちらとしては、一日のうちにしたいことが一杯あるし、たとえそうでなくても、調理であれ仕事であれ世の中の全般、のろのろやっていれば傍目からは「うすらバカ」と見られかねないという脅迫観念がいつもあるから、作業が単純なものであればあるほど慌しく済ませることになってしまう(しかし、煮汁などの味見はちゃんとじっくりするけれども)。また、農薬・土ぼこり等々のことも考えれば、どんな野菜であれ「洗う」ということを怠りたくない。農薬使用を悪いとは思っていない・・・アブラムシだらけのレタス、青虫のついたキャベツなど気に入るわけがない・・・野菜を調理したり口に入れたりする前に洗うことはしておきたい。   
 で、思い出した・・・。無農薬野菜というものがまだ比較的に珍しがられていた頃、あれは平成8年ごろだったかな、飲み屋で飲んでいたら青果商を営んでいるらしき客がこんなことを言っていた・・・「ホウレンソウとかの葉もの野菜が売れ残っても、実は困らない。翌日になってから、しなびてしまっていても“有機栽培野菜”のコーナーに並べ直せば前日よりもむしろ高く売れるんだから。消費者というのはバカだね」。あの頃から、無農薬とか有機栽培とか、筆者はそこに特に価値・意義を見出さなくなっているかな。マジメな生産者もいれば、生産・流通のどこかにマジメでない人もまたまぎれている可能性もある・・・それが世の中なのだ。   
   
   
 下のは白菜の漬物をしようとしているところ(少量に過ぎぬが)。   
 画像の背景は「サラダクラブ」の新聞広告から。野菜類は、サラダももちろんいいけど、いろいろな漬物もいいよ、古漬なんかだってこれまたいいよ、と思うのである。   
   


蕎麦に砂場(すなば)あり。ラーメンに鯖あり。



   
 美味いものにはクセがある? いや、変なクセまでは無いことが「美味い条件」なのか?  
   
 たとえばメロンでも洋梨でも、昔々は確か「うっ、風味の中にちょっとばかりクセがあるよな」と感じたと思う。その当時と今と、風味そのものに大きな変化・基本的な変化は無いと思うのだけど、こちらサイドの「慣れ」ということだろうか「うっ」と思うことは無くなってしまった(べつにプリンスメロンとマスクメロンなどを一緒くたにして考えたりしているわけでもない)。そうして、今ではすっかり味を堪能するようになり・・・。キムチでもチーズでも酒類でも、いくらでも似たようなことはあるが・・・。   
   
 写真の洋ナシは熟成待ち中。   
 背景は日経新聞記事から・・・大学のゼミ生たちが開発したラーメン・・・「サバぶし」を用いているのでなく、それを加工するときに出る「アラ」にて「だし」をとって利用しているようだ。ということは、普通の「サバぶし」とも違う風味なのかな。記事によると、またネット上の情報によると、臭みを消す研究はされているようであるが。   
 ラーメンに対してそれほどまでには関心を持たない筆者ではあるが、しかし、ちょっと興味を覚える。塩味スープだそうだ。  
 「サバ?」と問わば、「サヴァ・ビアン」との答えが返って来るか・・・。   
   

雑記



   
 「安い居酒屋は好きか嫌いか?」と問われれば、「好き」と答えるだろう。日本酒であるなら普通には5合くらいは飲んでしまうし、それに応じて肴もつまむし、そういう者にとって気楽に楽しめる店は絶対にありがたい。   
   
 しかし、安い居酒屋は客層が悪かったりするとの説もある。それは本当か? たぶん本当だろう・・・筆者のことをなじりながら「この店は客層が悪い」と言い放った人間もいたわけだから・・・それは初対面の、名も知らぬどこかの誰かであったが・・・民主党が政権を得るに至ったときに筆者が知人らと(小上がりの席にて)「今後の日本についての憂慮・懸念」を盛んに話していたときに会話に割り込んできて、民主党に大いに期待しているらしきその人物の言いようにことごとくあれもこれもと首を傾げ続けていたら口論になり、そのあと「この店は客層が・・・」とのセリフが飛び出した。   
 時を経て・・・今の日本はあの人物が期待したとおりの状態・姿になったと言えるのかどうか・・・感想を聞いてみたいものだ。   
   
 と、ここで、民主党の躍進と政権獲得に最も貢献した或る人物が今になって民主党を批判しつつ新しい政治勢力を作ったことや、間接的に/遠因として自民党が弱々しくなり、かつまた第三極っぽい政治勢力も生まれてこのさきスムースな政治運営が見られるのか非常に心許ない状況を憂い、何だか「スクラップ・アンド・ビルド」ならぬ「スクラップ・オンリー」みたいな情勢になったのは詰まるところ誰の責任なのか、みたいな話をしたいのであるが、それはヤメ・・・。   
   
   
 夏の終り頃のことになるが、或る居酒屋で出会ったオリジナルのメニューが、きわめてユニークながらも美味かった(このところ、その店にはちっとも行けていないのであるが)。店主から「褒めすぎだよ」と言われたが、何かの機会に例えば雑誌・タウン誌のようなものに載る機会があればこれを紹介しないテはないだろうと筆者は感じたし、その旨も言った。ネットで調べてみると、少なくとも日本語サイトでは同様のレシピは見当たらない。気に入ったので親たちのためにも作ったし・・・。いちおう許諾を得てから紹介するつもりでいるが、冒頭の画像はメインの食材を除いての一部材料(ほかに調味料もまたユニークな取り合わせとなる。筆者が調理してみようという気になったくらいだから、当然ながら例えば中華仕立てでなく、オイスターソースであるとかハーブ類も用いられず和食仕立てである・・・メインの食材は海のものか陸のものかと言えば、前者ではある)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 先日ようやく、 マ ン ガ 「 そ ば も ん 」 第10巻のページを開き、そして読んだ。   
 「ゆず切り」ならぬ「赤茄子切り/トマト切り」の話題は、蕎麦についてどうこうというよりもストーリーを楽しむものかなあ・・・べつに悪い意味で言っているわけでない、楽しめた。   
 機械を利用して蕎麦の麺をつくることを扱った話については、或る意味「食べる側にとってはどうでもよい知恵・ノウハウ」ばかりが出て来るが、それでも話にのめりこんでしまう。どこでどういう話を持ち込むか・話を切り替えるか等、なかなか上手いものだなと、筆者はマンガを滅多に読まないのだけど、そういうことにも感心した。   
 市販の麺つゆを利用するときは水とかでなく「だし汁」で割りましょうよ、といった話題が出て来る。すべての場合にそれが必要か・正解かどうかは知らない。しかし・・・筆者自身の経験として、某社発売のめんつゆについてはあまりに「だし」的な風味要素が感じられないものだから買ってすぐ後悔し、「まだたくさん残っているこれをどうしてくれよう?」と思ったときに「かつおぶし投入・浸し」や「かつお系顆粒だし水溶液追加」なども試したあと基本に忠実に「だし汁の追加」も試してこれが正解と思えたことがある。マンガに登場する、かつおぶしを食べる犬が可愛い。若い娘たちが蕎麦を食べにやって来るというエンディングも結構だが、いずれそのうちには「酒のつまみとしての“蕎麦がき”を愛でる、ちょっと疲れたキャリアウーマン」みたいなものも登場させて欲しいかな・・・「蕎麦がき」の話題は過去にも2度ほどあったと記憶するが、筆者のように蕎麦打ちまでは手が回らない大多数の蕎麦好きにとって「蕎麦切り」よりもずっとトライしやすいものだからこそ、読者に「自分も作ってみよう」と思わせるような、とびきり心弾ませられる話など期待するのであるが・・・(「期待する」のは勝手だが、書くほうは大変であろうな)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 カボチャや白菜を買うと、よそから同様のものを貰うというジンクスがある(しかし、感謝しなくてはいけないことだ)。   
   
 カボチャはかなり日持ちするとは思うのだが、もうね、これを煮るのは毎週のルーチン業務としよう(天ぷらにするとかよりも、片付けも含めて楽だし親も喜んで箸をのばすし)。   
   


雑記


   
 夏の或る晩のこと・・・介護の関係から、親が眠るベッド近くのイスに腰掛けていた。そのうち今度は床にあぐらをかいて座り、そして酒を飲み始めた。しばらくすると眠くなり、そのまま床の上に寝転び・・・。   
   
 目が覚めたときに「あ、体を冷やしてしまったな」という自覚があった。その翌々日くらいに、背中や腕に筋肉痛のような症状が現れた。それはそれはひどい「痛さ」と「かったるさ」を感じた。   
 そういうコンディションのとき、或る街の或るビルへと向かうことがあった。ビルの入り口には(横にスライドするのでなく)向こう側またはこちら側へと開閉するドアが3対(ドア6枚)あった。斜め方向から近づいていった筆者は、いちばん近い(いちばん合理的な選択として)左側のドアからビル内に入る心積もりであった。   
 が・・・自分のうしろに若い男がついて来ていた・・・「(当然のマナーとして)俺がドアを開けたあと、あとに続く彼のためにドアを押さえておかなくてはいけないよな」と思ったのであるが、筆者の背中と腕の痛みはそれすらもかったるく思えるほどにひどかった。   
   
 そこで、筆者はどうしたか? ビルに向かっていちばん左のドアに向かうとみせかけて、不意にいちばん右のドアへと進路を変えた。   
 すると、うしろについて来た男も筆者に続いて「歩みの方向」を変えるではないか。「う、面倒くせえ。俺、今日は腕が痛いしなあ」と思ったものだから、フェイントをかけるようにそのいちばん右のドア前まで進んだうえですぐ左隣のセンター位置のドアに向かいなおした。そうしたら、背後の男はまたもや筆者の後ろを追って来た。結局、自分が開けたドアをその男のために押さえておくことになった・・・ま、ほんの僅かの時間のことに過ぎないが、体に痛みを覚えているときにはちょっと辛いものがあった。   
   
 だけど・・・普通、そうまでして「他人が開けてくれたドア」から出入りしようとするか? 確かに、ドアを開ける(押すのであれ引くのであれ)というのは、ちょいとばかり力が必要ではあるが・・・もしかすると、彼にも何らかの疲労や肉体上の痛み、あるいは身体機能上で自分の思うままにならないところなどあったのかも知れないが・・・しかし、そのような様子はちっとも見受けられなったけどなあ。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 或る居酒屋にときどき現れ、そして筆者と話を弾ませることある板前さんがいる。ここ何年か、彼の勤め先の顧客をはじめ、あちこちに「おせち料理」を納品しているとのこと・・・新聞などでも報じられているが、デパート、スーパーその他が扱う「おせち料理セット」は一般家庭での人気・需要が伸びているようであるし、彼が手掛けるものもやはり同様であるらしい。勧められたのではあるが、結局、断ることになってしまった。   
   
 筆者が年末年始の「鮭」、「ぶり」、「おせち料理」に殆ど魅力を感じないことについては、いつだったかこのブログに書いたような気もするので説明は省略・・・伝統・しきたりに敬意を払うし、そして、他の人たちの習慣・行動にケチをつける気などまったく無いのであるが、筆者自身は「ほかにもっと美味いものがあるわけだし」という気持ちが強いし、さらにまた、「正月の朝だって白いご飯や味噌汁を口にしたい」という思いが強い。   
   
   
   
 東京で育ってしまった人間は、親の故郷がどこであれ、たとえば「ぶり」なら「ぶり」で、けっこうセコい切身を目にすることがあまりに多いものだから「ぶり」を尊ばなくなってしまう・・・というのは、筆者の非常に勝手な理解であるけど(魚の種類が多い、刺身重視の感覚が強いなど、ほかの理由もまた幾らもあろうけど)。   
    
   
 天然もののブリと養殖もののブリをめぐる筆者とその家族の嗜好の相違であるとか、「チリ産・甘塩鮭」、「国産・中辛鮭」をめぐって思うこと等々、色々と書いてはみたいが、時間切れ・・・。   
   
 下のは過日に親のために調理した「ぶり」・・・モノサシは切身の「厚み」に対して当てるべきであったか・・・いずれにせよ、「ぶり」・「わらさ」などのサイズ・厚みについて筆者が「許容最低ライン」と感じるギリギリのところかなあ・・・なお、もちろん、年の瀬の「ぶり」の切身がこんなんだったりすれば憤死するという人たちが大勢いること承知しているし、仮に筆者が「暮れにはぶりを食べなくちゃ」派であれば、やはり似たような気持ちになることであろう。   
   


雑記



   
 「百年麦芽」というネーミングのビール系飲料(しかし「ビール」には該当しない)についてこのブログで触れたのは先日のことであったが、あの味を気に入ったので再び買った。前回は500ミリリットル缶であったが、今度は350ミリリットル缶。   
   
 すると、「前回とはどうも味に違いがあるな」と感じられた・・・でも、美味いとは思えたのであるが。   
   
 気になって、さらに三度目、この品を買うと、またもや味に違いがあるように感じられ・・・商品のロットによってそういう味の違いが出るのか、それとも、こちらの体調や味覚のブレなのか。   
   
   
 天気が芳しくなかったり寒かったり等々あって、コンビニに寄った際についでにビール・コーナーを眺めてしまうクセが無くなってしまった。   
    
 ・・・が、しかし、コンビニというものは意地悪というか親切というかお節介というか妙なもので・・・レジで買い物代金を支払ったあと、抽選クジがあるからそれを引けとボックスを差し出された。缶ビール1本が当たったので頂戴する羽目になった(いやいや、喜ばしきことだ)・・・この当選品のビールもレジを通すことになるのだなあ・・・ディスプレイ上の年齢確認ボタンをタッチさせられるたびにそれを面倒に思うのだが、ま、仕方あるまい。   
   
   
 ・・・・・・・・・   
   
   
 冒頭写真の背景になっているのは日経新聞の土曜版の記事から。この記事では、パスタ類を茹でたときに栄養成分は減るのか否かということが語られている・・・糖質については茹でることによる影響は大して無い旨書かれている。   
 それ以外の成分については書かれていないが、蕎麦の場合の「蕎麦湯」は、風味のみならず栄養面での価値を見逃してはなるまい・・・家庭で茹でる蕎麦であっても、それが良いものであれば、蕎麦湯もそれなりのものであったりする。   
   
 下の写真は、父のために乾麺の蕎麦を茹でたときのもの。しっかりした火力で茹でて、やがてこんな具合に麺がグルグルし始めるときは楽しい瞬間・・・フィルム・カメラであれば、シャッター速度50分の1秒とか25分の1秒とかで撮るとよいのかな、どうなのだろう・・・もう、そういう感覚は忘れてしまった。   
   


雑記


   
 塩鮭でなく生鮭は、筆者の周囲(主として家族のあいだ)では不人気なのである。世間では各種の鍋物ほか、ちょっと無理やりかなと思えぬでもない料理の提案も目にする機会があるが、それら全部を試してなどいられないし・・・。   
   
 何とか出来ぬか・・・などと、鮭の肩をもつ義理は無いのであるが、しばらく前に塩麹ならぬ「醤油麹」というものを目にしたとき、「これを生鮭に利用したら」とすぐに思いついた。自力で思いついたのであるが、ネットで調べたら、やはりそういうアイデアはしっかり「既存」のものであるのだな。   
   
 日曜の朝に目を覚ますと真っ先に、(前日に買っておいた)生鮭の切身に醤油麹を塗りつけた・・・これが午前9時くらいのことで、それを親元のところまで持って行って焼いたのが昼の1時くらい。   
   
 手順は・・・。下の写真のように醤油麹を垂らし、それを塗り広げた。3時間か4時間ほどしてからスプーンで醤油麹を八割がた取り除き、そして幾分か弱めの火力で、しかし、しつこい感じにじっくり焼いた(味噌漬の魚と同様に焦げやすいのではないかという警戒があり、と同時に、加熱は中心部までしっかりと、と念じて)。   
 焼いている途中で「これは美味いに相違ない」と確信が持てたし、味の想像が膨らんだ・・・しかし、つまみ食いは我慢した。   
   
 焦げはいささか目立ったが、味の評判は良かった。粕漬けの魚を嫌う親が「これは粕漬けなのか? 違う? 美味しい」と言った。もっと味が濃くても良さそうだとの意見であったから、醤油麹をもっと長めの時間、付けたままにしてもよい/構わないのかも知れない。また、「焼き」のあとに電子レンジでの加熱を併用すれば、焦げの問題と中心部までの加熱の問題をあっさり上手に解決できるだろうか。   
   
 醤油麹は、マルコメの「生しょうゆ糀」という茶色いパックの商品(キャップ付き、200グラム)を用いた。   
   


けふ の りょうり ( 今日 の 料理 )



   
 (↑)親のための昼食メニューから。   
 クッキングホイルで遊びたくて、ガスレンジの「グリル」部分を使わずに、フライパンにホイルを敷いたその上で塩サバ(これはノルウェー産)を焼いてみたもの。一口つまみ食いしてみて出来具合にちょいとばかり不満を覚えるものがあった・・・その理由については自分なりに推測し、「たぶん、こういう理由からだろう」と思うものがあるのだが、これは今後のホイル利用に活かせるかな(こういうホイルを何にでも使いまくる必要は無かろうと思っているけど)。   
   
 下のは、サツマイモ煮(煮汁は水、砂糖、そして少量の醤油による)・・・「煮え」が早かったぶんを先にピックアップし(もちろん、味が沁みるよう、少し冷ましてからである)、写真のものは残りのほう。   
 これ以前に「またカボチャを煮てくれ。甘いものが食べたい」と言われていたのであるが、筆者、実のところ味見がてらカボチャを口にすると気分が悪くなりかけるのである・・・甘党でないからなのだろうか。それで、サツマイモにした・・・これもあまり口にしたくないのだけど(芋焼酎は、そして、それを湯割りしたものなどは好物であるが)。   
 筆者が親元を出て外出中の3時前後、母などはよそから頂戴していたモンブラン・ケーキとこのサツマイモの両方を平らげたらしい。だらだら酒を飲むことの多い筆者がああだこうだ言えるものではないが、よくそれだけ甘いものを食べることが出来るものだと、呆れた。   
   


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