2012-10

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雑記



   
 献立・メニューを考えるとき、あるいは、目の前に出された食事の栄養バランスを考えるとき、普通の人はきっと「6大栄養素プラス食物繊維」を意識しつつ、「この献立は合格だね」みたいな判定をするのかな、どうなのだろう。   
 筆者はそういうことに細かく配慮することがさほど得意でないから、「カロリー、蛋白質、食物繊維、そしてカルシウムなどのミネラル」という4つの観点だけで見ることが殆どだ。油っこいものは自分で食べたがらないし調理したくもないから、カロリーについては炭水化物/糖質を意味するに等しい。食物繊維はおおむね「野菜・根菜・海草」というものでとらえる・・・「酒飲みは便秘しない」とする言い伝えは少なくとも自分には当てはまるが親も含めて自分以外に同様のことが言えるのか何とも分からないので、親たちのためには出来るだけ意識・目配りするようにしている(食物繊維との関連で語られることの多い塩分摂取については、親たちよりも筆者のほうが多目かも知れぬ)・・・しかし・・・「食卓に野菜が登場しないのはそもそも変だろ・妙だろ」という感覚がいつも働いている(さらに、しかし、野菜に代えて/野菜を少なくして、海草やキノコを楽しむ日があってもいいよな」という感覚もあるけど)。   
   
 どうでもよい寄り道になるが、「もずく」をもっと頻繁に食べたく思う。お手軽なパック詰めの「酢もずく」を口にしたことは幾度もあるが、酢の種類によるせいか酸っぱさのトゲのあんばいがいつも気に入らない。   
   
 主に野菜などから摂るのが普通と考えられている種類のビタミンについては、「フツーに野菜を食べていればOK」と割り切ることとし、特に「ビタミン、ビタミン!」と意識しないでいる。果物は、食後のデザートとして食べるという習慣が子供の頃も現在も無いので、「ああいうものは各人の欲求にしたがって、昼間のうちにでも食べればよいではないか」と考えている。   
   
   
 さて、冒頭の写真は、おかずのひとつに用いたカボチャ。新聞紙の上で「下処理」を始めたが・・・広告にダジャレあり・・・これ、目にするのは3度目くらいかな。ここで筆者が「このくらいのダジャレ、俺でも思いつくぞ」と言った場合、ほぼ100パーセントの人がそれを信じてくれることであろう。   
 しかし、是非とも、「おお、ドバイがらみでこういうダジャレがありえたか。誰をも不快にさせないばかりか、気持ちのよいダジャレではないか。さすがだ!」というものを目にしたいな。  
   
 カボチャを煮るのはちっとも難しくなく、狙いどおりの味にも出来るのだが、普通ヴァージョンのほかに、「歯が悪いからという理由以前に、(ホクホクでなく)しっとり柔らかな仕上がりのものを食べたい」とするリクエストに応じる必要があるのが面倒と言える・・・そのぶんについては長めの時間、鍋に放置しておけば済む(余熱利用)だけの話だが、調理器具などの洗い物は「手が空いたタイミングに随時処理してしまいたい」と考える自分にはほんのちょっとだけ「心ムズムズ」の原因になりうる。   
   
 カボチャの煮物については、いずれは色合い重視で臨んでみたくも思う。しかし、薄口醤油の使いこなしというのが、自分にとっては苦手なものとなりそうな予感がする(カボチャの、この程度の煮物の場合には大した問題にならぬかな)。   
 使いこなしが苦手と言えば、ミツカンの「追い鰹」の「つゆ」・・・煮物に用いるにしても、麺つゆに利用するにしても、甘さの具合や、「だし」の種類・表情などが、どうも自分の求めるものと違うのだ(決して「不味い」わけでなく「おいしい」と感じるが、しかし・・・うーん、異国料理の目新しいソースとかと違って、醤油その他の、親しんでいる筈の材料のミックス・バランスの問題であるだけに、味覚・脳がかえって「納得」「許容」しようとしないのか・・・だとすれば厄介なことだ)。   
 他社製品を使っても、特に煮物の場合には自分で味の微調整をすることにはなってしまうのだが、ミツカンのあの製品の場合、そういう微調整がなかなか終えられない。原材料を見るとシイタケからの「だし」も含まれているようだが、それが理由なのかなあ。ミツカンが愛知県で始まった企業であるがゆえに、製品の味わいもまた関東育ちのこちらの好みと食い違うところがあるということだろうか、分からない。(なお、当然ながら、筆者個人の好みの問題、個人的感想に過ぎない。)   
   


「頑張りすぎない人生」という言葉もあったり・・・でも、「頑張る料理」について


   
 或る居酒屋にて、常連さん2人との会話・・・。   
   
 Aさん:「日本オラクルという会社のオラクルって、どういう意味? アンタ知ってる?」  
   
 オラクルとは「神のお告げ」などを意味する語であるが、ずっと昔の学生時代に某英単語集で初めてお目にかかったときの訳語は「神託(しんたく)」であったし、だから筆者も今なお真っ先に思い浮かぶ訳語は「神託」である。   
 しかし、会話で「シンタク」と聞かされても普通はすぐにピンと来ないだろうから、やはり「神のお告げ」と説明しようと一旦は思った。でも、次のように嘘の説明をしてみようかとも思った・・・どうせ一同、酒が入ってるんだし。   
   
 「“我思う、ゆえに我あり”だね・・・いや、違った、えっとね、あれだ、その、“私は来る”という意味・・・“俺(おら)、来る”」   
   
 しかし、オヤジ・ダジャレにもほどがあるからこの案はとりやめて、やはり筆者は「シンタクということだよね。でも信託銀行の信託ではないですよ」と言った。   
   
 思ったとおり、AさんもBさんも「?」という顔をした。   
   
 Bさん(かなり若い):「シンタクって?」   
   
 筆者:「あまり使われなくなった言葉だから・・・。爺ちゃん・婆ちゃんがこんなセリフ言ったりしない?・・・“去年の法事以来、新宅の純ちゃんを見かけないが、元気にしてるかねえ”とか」   
   
 Bさん:「あ、あ、そういうことですか、分家・・・本家じゃなくて分家」   
   
   
 ・・・この会話をここで締めくくってしまうと、説明が間違っているばかりか、オラクル社や関連企業に対しての、何と言うべきか“格”的な、あるいは資本関係その他における“位置づけ”などの面で誤ったイメージを植えつけてしまうことになるから、“オラクル”の意味はちゃんと説明しなおしたが・・・。   
   
 同音異義語が多い日本語は厄介だと言うべきか、でも、上のケースは「神託」という、大抵の日本人は口にすることのない言葉に関わるものであるしなあ・・・しかし、会話の材料を与えてはくれた。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 大手スーパーはもちろんのこと中堅以上の各社もまた「料理レシピ」のチラシやカード(それも写真入り)を作成し、客に喜んでもらおう/販売促進につなげようなどと工夫・努力していることは筆者などでも承知している。   
   
 老親のために、ペース的には週2回くらい(昼食を含めて都合3食か4食ほど)を用意するに過ぎない筆者は自分自身で「今度はあれを作ってみよう」と思い立つアイデアを捨てきれない・消化しきれないから、上のようなチラシ類を参考にして調理することはない・・・でも、「おっ、この料理、いいな」などと感じることもあるにはある。   
   
 しかし、全国規模で、あるいは広域に出店していたりチェーン展開していたりするような大きな店でなく、個人経営的なお店でも、地味ながらレシピをプリントしてお客などに配布しているお店もあったりするようで・・・。   
   
 或る日のこと、そういう小さなお店が発行しているものを手にすることがあった。   
 「○○ と じゃこ(ちりめんじゃこ)の ××」というタイトルの料理が紹介されていた。   
 レシピの「材料」欄を見ると、そこには「じゃこ」が見当たらないではないか(書き忘れている)・・・でも、ま、ご愛嬌だね。   
 調理方法の表現にユニークなものがあった・・・下の画像の如し・・・笑えるのだけど、でも、或る意味、そこには気持ち的リアリティや、調理上のスタンスについての的確な表現みたいなものが窺えるような気がした・・・この料理を作ってみようとは思わなかったのであるが、「よろしいではないか」と感じられた。   
   


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クラシカルな某

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クラシック音楽好きです。